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Ryu-chan6708

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2018.10.01
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カテゴリ: カテゴリ未分類

ウラジオストク かって、中国では「屈辱」の地 であった。

帝政ロシアは1860年に清朝と北京条約を結び、沿海地方をもぎ取り、その南端に軍港を築き、ロシア語で「東方を征服せよ」という意味のウラジオストクと名付けた。

2008年に国境が最終画定し、領土問題 が再燃することはないにせよ、中国にとっては本来受け入れがたい地名。

だから、中国の地図には、ウラジオストクの音訳の表記「符拉迪沃斯托克(フーラーティーウォースートゥオコー)」の後にカッコ書きで「海参ワイ(ハイシェンワイ)」がつく

中国当局の規定で「海参ワイ」を明記 しなければならないが、 清朝時代の地名で「ナマコの入り江」という意味だで、ナマコがたくさん採れたらしい。

吉林省 のすぐ隣なのに欧州風の街並みが広がるウラジオストク には今、 大勢の中国人観光客 が訪れるが、 当たり前のように「海参ワイ」と呼び、ロシア語の地名を知らない人も目立ち、人気の「ナマコ博物館」を訪ねると、ガイドが「ここは中国に属していたのに、不平等条約でロシアに割譲された」と力説 していた。

近くの展望台で街並みを眺めた黒竜江省 の男性観光客は「屈辱的だ」と唇をかんだ

A そのウラジオストクは、中ロの和解のきっかけの場 でもある。

1949年の新中国成立後しばらく、社会主義国の兄弟としてソ連と中国は緊密だったが、50年代末から政治路線をめぐって争い、武力衝突 まで起き、 その後、新思考外交を掲げたソ連のゴルバチョフ 書記長 が86年に同地を訪れ 「我々を分ける国境が平和と友好の国境となることを望む」と述べて30年近い対立に終止符を打つ意思を示した

その3年後に北京を訪れたゴルバチョフ氏に、中国の最高実力者だったトウ小平氏は「訂正依頼は150万平方キロの中国領土を侵略し、中国人は屈辱を味わった」と述べながら「過去を終わらせ、未来を切り開く」と関係改善にかじを切った。

:その ウラジオストクで、9月 「東方経済フォーラム」 が開かれ、 習近平国家主席 は、 「中ロ関係は歴史上、最良の時期にある」と述べ、プーチン大統領と固い握手を交わし、「屈辱」の地は、「団結」の地となった。

米中通商紛争が激しくなるなか、両氏の親密さをトランプ政権に見せつけた。

前夜には海岸沿いを散策し、両氏はエプロン姿で自ら焼き上げたロシア風クレープ「ブリヌイ」にキャビアを載せ、にこやかにウォッカで乾杯した。

トランプ政権が仕掛けた米中通商紛争は、中ロの関係をより密接なものにしているようだ。






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Last updated  2018.10.01 17:34:22
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