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明日は元樹の9回目の月命日です。その月命日に、実家に帰ることになりました。両親が航空券をプレゼントしてくれたので、2人の好意に甘えて、だんなといっしょに1ヶ月ほど日本でゆっくりします。その間に元樹のお骨の一部を私の家族のお墓に入れて来る予定です。今日元樹の骨壺をだんなと二人で開けて、小さな入れ物に入れ替えた時はやっぱりたくさん涙が出ました。元樹のお骨は抜け殻で、彼はもうここにはいない。それはわかっているんだけど、改めて小さなお骨のかけらを見て、やっぱり悲しかった。去年の今頃は、「元樹が生まれたら、来年は元樹を連れて桜を見に実家に帰ろうねー!」とだんなと二人ウキウキしながら話したのを思い出します。形は違うけれど、元樹を連れて桜の時期に帰る、というのは実現できたのかな。きっと桜の花にも、花に降り注ぐ日差しにも、花びらをとばす風にも、元樹はいるのだと思います。週末に友達とランチをした時に、彼女がこう言ってくれました。「美しいものが、全て楽しいものだとは限らない。もとちゃんのことは悲しいけれど、同時にとてもとても美しい想い出だよね」。子供がいなくてわからないことも多いだろうに、いつも私の気持ちをくんでくれる彼女の言葉はとっても暖かかったです。今年の桜は、元樹のおかげでいつもよりもっと美しく見えそうです。
2010.04.08
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昨日は元樹の8回目の月命日でした。もう8ヶ月なんだなあ...。この一ヶ月はだんなも私もどうも元気が出ず、停滞気味の月でした。どうしても追いやれない空虚な感じがいつもあって、悲しみが新たに押し寄せて来た感じです。当たり前なのだけど、何ヶ月経ったからといって悲しみが急になくなることはない。人に「Xヶ月が元気の出るめやす」と言われた時は、子供を亡くした辛さはそんな賞味期限のように無くならないよ...と思ったのに、自分でも半年を過ぎたら仕事をを始めなきゃとか自分に期限をつけてプレッシャーをかけたりしていていたみたい。進んだり後退したりしながら、前進していくのだなあと改めて実感しています。見つけなきゃと思っている仕事もなかなか見つからず、情けない日々でもありました。カナダでは結婚しても共働きが当たり前で、子供が生まれるまでは(人によってはもちろん生まれた後も)二人でいっしょに稼いで、旅行にたくさん行ったり、なにか大きな買い物をしたり、ちょっと贅沢して暮らしている人が多いです。でもリウマチになってからずっと働くといってもパートで、学校に行かせてもらっていた私。だんなの周りの同じ給料で同じ職業の友達と比べるとうちは私が働いていない分節約しなくてはいけなくて、他の人みたいに贅沢できなくて悪いなあっていつも感じています。元樹がいたら出ているはずの私の育休のお金も止まった今、仕事に出なくては!という焦りが大きいです。でもそんな私にだんなは「リウマチやもとちゃんのこと、僕にはいくら助けてあげたくてもどうにもできないことばかりだ。でもお金だけは唯一僕が何とかしてあげられることなんだから、僕に助けさせてほしい。」と言ってくれた。私が仕事に出て少し贅沢ができるよりも、私がやりたいことをして笑顔である方が自分もよっぽど幸せだ、とも。そんな彼に甘えて、先月から自分が将来働けたらいいなと思うアートギャラリーと図書館でボランティアを始めました。仕事と違って時間数も自分で調節ができるし、気軽な気持ちでできるので、社会復帰のリハビリになっています。それ以外の時間はウェブデザインを少ししたり、書き物をしたりと、お小遣い稼ぎにもならない程度の自営業(というより趣味)をしてます。辛い日も毎日仕事にでているだんなのおかげで私は自分のペースでゆっくり社会復帰できること、とてもありがたいと思います。いつもいつもありがとう、だんなさん。いつも優しいあなたといっしょにいられて、いろいろ辛いことがあってもやっぱり幸せだよ。もとちゃん、優しいお父さんと弱いお母さんを見守ってくれてありがとうね。いつも想っているよ!
2010.03.09
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昨日は元樹の7回目の月命日でした。だんなと二人元樹の幸せを祈りながら静かに過ごしました。7ヶ月経った今思うことは、あれからどんなに体が回復したか、とういうことです。元樹を帝王切開で産んで1ヶ月くらいはスーパーを一回りできないくらい体が弱ってた。9月にジムに通い始めた頃はラニングマシンで20分レベル1(一番軽いもの)でジョギングするだけで辛かったし、重りを使うような機械は一番軽いのしか使えなかった。今は40分間レベル5でジョギングできるし、ウエイトも結構重いものを使えるようになった。何週間か前に雪の中ハイキングに行ったときも、自分があまりに疲れないので驚いた。知らないうちに体力は元樹を妊娠する前よりもついているみたいです。体重も12月に妊娠前の体重に戻り、今は自分のベスト体重にさらに戻りました(妊娠前はベスト体重よりちょっと重かったのです...)。急激に体重が減ることなく、時間をかけて健康的に戻すことができたのは、ひとえに父と母のおかげだと思ってます。孫を亡くした辛い日々に、父母は慣れないカナダで車を運転して食料を調達してきてくれ、毎日3食時間をかけて、おいしいものを作ってくれた。自分ではとても何も作る気もしなかったし、作っても毎日カップラーメンみたいな生活(笑)になってしまったような気がします。そんな愛情のこもった食事だから、辛いときもたくさんいただけた。本当にありがたい思っています。一番辛かった時、「これからどうしよう」と泣きじゃくっていた私にだんなは「先のことは考えないで、この一秒、一秒を生きていこう。今この瞬間にできる最善のことをしていこう。」と言ってくれました。苦しくて何もする気が起きなかった時、「今できる最善のことはごはんを食べることだ」と決めて食卓へ降りていったこと。悲しくてどうしても眠れなかった時に「せめて目を閉じて、目だけでも休めることが次のステップにつながること」とまぶたを閉じたこと。あまりに小さなことばかりで、自分ではなんの変化もないように思っていたけど、7ヶ月経ってそういう小さなことの積み重ねが見えて来たように思います。小さな小さな目に見えない一歩を踏み出すのを助けてくれた周囲のみなさんに感謝感謝です!今月から4月にかけて私とだんなの周りで出産する人が5人もいます。生まれた赤ちゃんのニュースを聞いたり、出産直前のウキウキのカップルに会ったりすると、やっぱり心がザワザワします。「私達だけなんで...」ってどうしても思ってしまいます。でも、これからも無理せず、この瞬間にできることを自分のペースでこなして行こうって思います。
2010.02.10
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最近ずっと考えている言葉があります。9年前に妊娠36週で赤ちゃんを亡くされた、今は2児のお母さんの言葉。元樹が亡くなってから3人の天使ママさんがそれぞれ私に会いにきてくれました。3人とも知り合いを通して紹介していただいた方で、7年から10年前にお子さんを亡くされたお母さん達。皆とても明るく、職業をもった素敵な女性で、強く、優しい人。辛い時にたくさんのアドバイスをくださる、私の道しるべのような存在です。そのうちの一人のママさんが、前にこう言われたんです。「私の子供が亡くなったときは、なんでやっと授かった宝物をとられちゃったのって思った。でも今ではとられたのではないと思う。大切な宝物を確かにいただいて、思い描いていた形ではないけれど、今もその宝物は私が持っているのだと思う。」それを聞いた時、私はなんだかしっくりきませんでした。わからなかったというよりは共感できなかった。元樹を不本意に奪われたという気持ちが強かった私は、「かけがえのない愛しい人をとられたという事実が変わることなんかないのに」と思ったのです。でも最近彼女の言葉を反芻して、やっとその本当の意味がわかって来たように感じます。元樹が私のもとに来てくれたことはかけがえのない宝物。元樹が逝ってしまったあとも、元樹が残してくれたものや自分の中で日々生きている元樹の存在は大切な大切な宝物。抱っこはできないけれど、成長を見てあげることはできないけれど、私は今も毎日その宝物といっしょに生きている。それは誰にも奪ったりとったりすることのできないものなんだ、と。元樹がいなかったら、今日の私はずいぶん違うことを考え、だいぶ違った人生を歩いてたと思います。元樹がいてくれたからこそある今日の自分。夢見ていた毎日とは違うものになってしまったけれど、やっぱり天からいただいたかけがえのない宝物は今日も私といっしょなのだ、と感じる日々です。ハイキングの途中で撮った写真
2010.01.20
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いよいよ新年ですね。今日は元樹の6回目の月命日です。もう半年が経ったのかあ...。はじめの頃は一時間が一年のように感じた毎日。一分を過ごすのも苦しくて、いったいどうやってこの先の長い時間を過ごしていけるのだろうって思ってた。それがあっという間にもう半年になって、なんだか実感が湧かない。元樹を産んで、お空に返したあの日はまだほんの少し前のことのように感じるのに...。振り返ると、この半年は私が一番強く生きた時間だったように思います。元樹が亡くなるまで、私にとって強さとはスポーツで優勝することとか、辺境を一人旅すること、異国で自立して生きること、職場で頑張って認められること、リウマチを持ちながら学校に通うこと...とか何か目標があって、それに向かって突っ走って結果を出すようなことだったように思う。この半年の私は傷ついた動物みたいにただじいっとうずくまって、その日その日を生きて来たと思う。泣いてばっかりの日、外に出られなかった日、人に頼ってばっかりだった日、グチャグチャな気持ちに振り回された日。誇れることばかりではないけれど、そういう日々に一分一分呼吸をして生きてこられたこと、それは言葉のわからない異国で一人重いバックパックを背負って歩くことよりもずっとずっと見えない強さを要求されたものでした。そういう静かな強さもあるんだな、と実感しました。家族や友達の大切さ、命の尊さ、親子の絆の深さ...「本当に大事なものは目に見えない」ー この半年元樹のおかげで、本当に大事なものが見えてきたように思います。だんなとの絆も今までよりさらに強まって、だんなという人を改めて尊敬した半年でした。ありがとうね、もとちゃん。もとちゃんたくさんの大事なこと教えてくれたね。さて、キューバ旅行ですが、すごく良かったです。-17度の自宅を出てキューバに着いたら25度、なんと温度差40度!この機会を逃すまいと、毎日たくさん海で泳いできました。夕暮れには毎日だんなといっしょに砂浜に元樹の名前を書いて、それが波に洗われるのを静かに、涙ながらに見守りました。何度書いても静かに消え行く元樹の名前に、命のはかなさと大自然の大きさ、行ってしまうものを静かに見守って受け入れることの悲しさ、大切さ、難しさを感じたキューバの夕暮れでした。キューバから帰って来て日常に戻り、新しい一年の始まりに元樹がいないことを改めて実感した今週はだんなも私もちょっと元気がなかったかな。でも一番つらい半年を越えられたんだもの、この先の半年だって大丈夫。今年も自分のペースで歩いていこうと思います。この一年、みなさんにたくさんの笑顔と幸せが訪れますように!
2010.01.08
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もうすぐクリスマスですね!カナダではクリスマスは家族が集まって過ごす祝日なので、元樹といっしょに過ごせないことはとてもさみしく感じます。12月になってから元樹のコーナーにくつ下を飾って、「元樹がいたらなあ」と思う時気持ちを書いて入れるようにしています。家族や親しい友達にも今年は私達はクリスマスカードやプレゼントは遠慮したいけど、もしよければ元樹のコーナーにキャンドルを灯してあげてほしいこと、くつ下に手紙を入れてほしいことを伝えました。たくさんの家族や友達が心のこもった手紙を書いてくれたり、元樹のお供え用に本やおもちゃ、折り鶴などを持って来てくれたりしました。とてもうれしかったです。こんなこと頼んで迷惑かなあ、変かなあ、とすごく迷いましたが、思い切ってお願いしてみてよかったなあと思っています。みんなの思いに包まれて、元樹きっとうれしいと思います。ところで、明日から8日間キューバにだんなと2人旅行に行ってきます。ギリギリに決めたのですが、やっぱりだんなの実家に帰るのは辛いし、ここにいるのもさみしいのでいっそのことどっか行っちゃおうと決めました。寒さから解放されるのもうれしいです。思えば元樹がお空に返ってから、今年がもう少しで終わる今日までなんだかあっと言う間でした。今年は私とだんなにとって人生の中で一番うれしい年でもあり、一番悲しい年でもありました。元樹がお腹にいる時は本当に毎日が幸せで幸せでしょうがなかった。もうこれ以上何もいらないなって毎日思ってたなあ。それから生まれてきた元樹にやっと会えて抱っこできたことは、やっぱり私の人生で一番うれしい出来事でもありました。元樹、本当にかわいかった!元樹が亡くなってからは正直地獄のような毎日でした。息をするだけでも苦しくて苦しくて、潰れてしまいそうだった。そんな中たくさんの人に支えてもらいました。はじめの一ヶ月は父と母にごはんから洗濯、掃除まですべて面倒を見てもらい、おかげで毎食ちゃんと食べて、精神的にもたくさん支えてもらいました。自分達も辛かったのに、私達のためにひどい無理をしてくれたのであろう両親に感謝の気持ちでいっぱいです。その後はだんなの家族が交代で3日ずつくらい来てくれて、友達にもごはんを作ってもらったり、話を聞きにきてもらったり、大変お世話になりました。遠くの友達にもメールや電話で励ましてもらったなあ...。元樹が亡くなってすぐのボロボロの時から、天使ママさん達のブログを見て「私だけじゃないんだ」とはじめて勇気をもらいました。コメントをしたり、していただいたりするようになってからはもっと直接的にたくさんの元気をもらいました。昔からのブログ友達にも暖かいコメントで力強く励ましてもらいました。実際お会いした天使ママさんにもすばらしいアドバイスをもらいました。自分がみんなに支えられて生かされている、とこんなに強く感じたことはありません。そばでいつも支えてくれただんなを始め、みなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にどうもありがとうございました!それからいつも心の中で励ましてくれる元樹、どうもありがとうね、大好きだよ。長い長い道のり、これからもだんなと支え合い、心の中の元樹と共に歩いていきたいと思います。それでは、みなさんが良いクリスマスと新年を迎えられますように!来年もどうぞよろしくお願いします。
2009.12.23
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今日で学校が修了しました!早く終われ、早く終われと思いながら(笑)、なんだかあっという間だったなあ...。行きの車やバスの中で泣きながら通ったことも1回や2回ではなかったし、集中できなくて困った時もあった。クラスメートに一度だけ休み時間の間に大声で「赤ちゃんどうしてる?この前会った時はお腹こーんなに大きかったもんねー。」と言われて廊下に連れ出してなんとか元樹が亡くなったことを伝えたことも...。零下28度の中、遅れた学校へのバスを外で20分も待ったこともありました。いろいろあったけれど、最後まで続けられたのは、やはり元樹が見守ってくれたからだと思います。元樹がお腹にいた時いっしょに通った楽しかった日々を思い出して、なんとかがんばることができました。もとちゃん、いつもいつもありがとうね。学校から帰って来た後、ひどくむなしく感じることが何度もありました。私にとっては元樹が亡くなって世界が壊れてしまったような気がしているのに、何も変わっていない学校。なんだか一人だけひどく取り残された感じがして...。そんな時家に帰って来て天使ママの皆さんのブログを見たり、お話したりして、悲しくてもいいんだな、一人じゃないんだな、みんながんばってるんだな、と思い、元気をもらいました。ここでもたくさん励ましの言葉をもらってうれしかったです。どうもありがとうございました。おかげさまで今日まで通うことができました。写真は子供病院のクリスマスツリーです。子供病院で亡くなった子供達への飾りだけでデコレーションされたクリスマスツリーがあるので、そこにサポートグループで出会った天使ママパパとだんなと4人で飾りをつけに行きました。2メートルくらいの大きな木がたくさんの赤ちゃんや小さなお子さんの飾りでいっぱい。こんなにもたくさんの小さな子供達が亡くなってしまったのか...そう思うと苦しくて、悲しくて...。いっしょに行った天使ママの「こんなにたくさんの天使ちゃんといっしょだから、もとちゃんもうちの子もさみしくないね。」という涙ながらの言葉に少しだけ気持ちを楽にしてもらいました。お母さんやお父さんの子供達へのせつない想いがたくさんこもった大切なクリスマスツリーです。
2009.12.18
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今日は元樹の5回目の月命日。月命日にはいつも元樹がいっそう恋しくなって涙がでてしまいます。「元樹」という名前は「もとめ」という名のうちの祖母から2文字もらい、元気な木のようにたくましく自然体な子に育ってほしいという願いを込めて命名しました。私の祖母はお世辞にも美人とは言えないし(笑)、特別何かこれをしたという偉業があるわけではないけれど、私が一番尊敬してきた人です。貧しい田舎から10代の頃一人で東京に出稼ぎに来て、戦時中もいろいろ苦労をした祖母。ほんわかした優しさの中に強さを持った、正直で素朴な祖母。何か私がプレゼントをあげると、どんな小さな物でも「おばあちゃんこんなに良くしてもらったら罰が当るねえ。」と喜んでくれたのを思い出します。欲がなく、うそみたいに心がきれいで、子供や孫、友達やご近所さん皆に愛された人です。元樹をなくしてから、そんな祖母の優しさと強さは大切な人を失った事があるからではないかと思うようになりました。祖母がまだ小さい頃に産まれたばかりで亡くなった妹。冷たくなった妹を抱っこしてみんなに止められてもずっと「いやだ、いやだ」と言って離さなかったのだ、と昔話してくれた事を思い出します。成人してからは戦争で大好きだった弟を亡くし、「いい子だったのにかわいそうに」と思い出す度言っていました。36年前には4人目の孫を誕生の際に亡くしてとても辛い思いをしたようです。叔母が最近当時のことを思い出して「義母さんにたくさん励ましてもらった」と言っていました。大切な人を何人も亡くしたからこそ、本当に大事なものがはっきり見えていたのかもしれません。そんな祖母が7年ほど前から認知症をわずらっています。今はもう私の事もわからないし、電話でも混乱してしまうので話す事ができません。私は13年間ずっと海外に住んでいるので、なかなか会う事もできない...。それでも、自分の中で祖母の影響は大きく生きているんだなと日々感じます。何かあるたびに「おばあだったらどうするかな」とふと考えている自分。おばあに喜んでもらえるようなことをしたいと思っている自分。そういう意味ではそばに住んでいる誰よりも祖母は私の近くにいるのだと感じます。そして元樹も祖母のように私の中でこれからずっと強く生きていくのだと思います。辛い時には励ましてくれる元樹の笑顔、何をするにも「元樹の母としてこうしたい」と思っている自分がいます。亡くなった後も魂は存在するのか、本当のところ私にはわかりません...。私にとって元樹は天国にいる天使ちゃんというはっきりとした存在ではなくて、もっと抽象的な生命体のような存在なんです。「千の風」の詩のように、大自然に返って、夜は星に、昼は太陽に、冬は雪の結晶の中に存在して、私達を見守ってくれているような気がしています。亡くなった後魂はどうなるのか、それは私が向こう側に行く日まではわからないことなのだと思っています。でもはっきりわかっていることは、元樹がこれからもずっと私の中でたくましい根を張って、大きな樹になって生き続けること。今はまだ5ヶ月のかわいい木がこれからどんどん私の中で成長し続けていくのだと思います。月命日にはそれを思い出して感謝したい、とこの5回目の月命日に思っています。
2009.12.08
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3週間前のこと。義妹が8月に妊娠した、と義母に知らされました。義妹は結婚していないし、1年以下と付き合いの浅い彼氏がいるだけなので驚き。その彼氏は3人の子供がいる元の奥さんと別居中でまだ離婚が成立してない状態。全然心の準備ができていなかったのでとてもショックでした。うちのだんなは長男で、義妹も義弟も結婚していないので、元樹の妹か弟が次の赤ちゃんになると思って疑わなかった自分がいて...。それから3日くらいは気持ちがグチャグチャで泣いてばかりで何もできませんでした。やっと抜け出したと思った谷底にまたストーンと落ちてしまった感じ...。義妹には元樹が亡くなってからたくさん支えてもらいました。仲もいいし、とてもいい子。だから誰よりも義妹の妊娠を喜んであげたいのに、涙ばかりあふれて、どうしても素直に喜べない自分がいる...。2ヶ月前に友達の妊娠がわかった時はおめでとうって言えたのになあ...。どうして家族の妊娠がこんなに辛いんだろう、といろいろ考えました。たぶん元樹のおじいちゃんやおばあちゃん、おじちゃん、おばちゃんが義妹の子におもちゃを買ってあげたり、抱っこして微笑んでる様子を思い浮かべると、「ああこれは本当は元樹がしてもらえることだったのに...。」と思ってしまうからではないかなあ...。妊娠がわかってからみんなでおめでとうのディナーをしたとか、義母があかちゃんのためにいろいろ家を改装している、なんて聞いただけでも涙が出てしまう私。義妹の赤ちゃんも元樹がしてもらえたように、みんなに喜んで祝福されて迎えてもらえるのが当たり前だと思います。そして私もおばちゃんとしてそうしてあげたい。でもどうしてもできない自分が本当に情けない。車で8時間くらいの所に住んでいるだんなの家族。クリスマスは毎年帰るのだけど、今年は遠慮させてもらおうと思ってます。親戚達に囲まれて、お腹の大きい義妹が赤ちゃんの話を聞かれてるパーティーに涙なしにいられる自信がどうしてもなくて...。一番気持ちがグチャグチャだった時に、何人かの天使ママさんに話を聞いていただきました。みなさんご自分の体験を話してくれ、それぞれの言葉でたくさん励ましてくれました。そのうち印象的だったのが、カルガリーに住んでいる天使ママさんが言ってくれた言葉:「これからおばさんとしてその赤ちゃんとは何十年もつきあっていくんだから、これからいくらだって祝福してあげる機会あるよ。それが何ヶ月後でも何年後でも、心から喜べる日が絶対来る。その時がきたら今の分もかわいがってあげたらいいよ。今は無理して急ぐ事ないじゃない。」、と。みなさんのメッセージを反芻して、こういう風に思ってしまうのはしょうがないんだな、今は無理しなくていいんだな、自分ができる時に何倍にも返して祝福してあげればいいなと思えるようになりました。まだまだ谷底から這い上がって来ている途中でなかなか元気は出ませんが、学校やジムに行ったり、家事をしたり、一日一日を過ごしてます。この事を通して、天使ママさんの存在に自分がどんなに助けてもらっているか改めて実感しました。こちらで実際に会ってお話することができるママさん。ブログを通して励ましてもらっているママさん。みなさん私にとって本当にかけがえのない存在です。いつも支えてくれてどうもありがとうございます!元樹のおかげでできたご縁、これからも大切にしていきたいです。
2009.11.28
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元樹が亡くなって日が浅い頃に友達が英語版の「星の王子様」をくれました。星の王子様は昔から大好きな本で自分でも持っていて、抽象的でとても奥の深い話だと読む度に思ってました。そんな「星の王子様」を友達にもらって改めて読んでみて、この本の意味がまた深くなった気がします。まるで元樹のことを書いたみたいだなあと感じたんです。一部マーカーで友達が線をひいてくれた部分があって、日本語訳だとこんな感じになります。王子様が星へ帰る(亡くなる?)前に主人公に言った言葉です。「夜、空をながめたとき、そのどれかにぼくがすんでるんだから、そのどれかでぼくがわらってるんだから、きみにとっては、まるで星みんながわらってるみたいになる。きみには、わらってくれる星空があるってこと!」 その子は、からからとわらった。「だから、きみの心がいえたら(ひとの心はいつかはいえるものだから)、きみは、ぼくとであえてよかったっておもうよ。きみは、いつでもぼくの友だち。きみは、ぼくといっしょにわらいたくてたまらない。だから、きみはときどき、まどをあける、こんなふうに、たのしくなりたくて……だから、きみの友だちはびっくりするだろうね、じぶんのまえで、きみが空を見ながらわらってるんだもん。そうしたら、きみはこんなふうにいう。『そうだ、星空は、いつだってぼくをわらわせてくれる!』だから、そのひとたちは、きみのあたまがおかしくなったとおもう。ぼくはきみに、とってもたちのわるいいたずらをするってわけ……」 そして、からからとわらった。「星空のかわりに、からからわらう、ちいさなすずを、たくさんあげたみたいなもんだね……」(全文はここで見られます: http://www.alz.jp/221b/aozora/le_petit_prince.html)元樹が亡くなって苦しさのどん底にいた頃、よく夜星空を見てました。そのどこかに元樹がいるのかなと思うと、星空全体が今まで以上に輝いて見えて、私に向かって優しい光を浴びせてくれているような感じがしました。元樹、私に向かって笑ってくれているのかなあと思うと星空全体がキラキラして見えました。昨日あんまり行きたくないなあと思いながら学校へ通う道、満月がずっと私の行く方向にあって、柔らかい光を届けてくれました。あっ、そこに元樹がいるのかなと思うような優しい光でした。先日の記事にみなさんから暖かいコメントやメールをいただいて、一人じゃないんだな、元樹もどこかから見ていてくれているんだなと思ったからこそ感じられたことなんだと思います。「いちばんだいじなものは、目に見えない。」星の王子様が何度も小説の中で繰り返す言葉です。目に見えないけれどいつもそこにいてくれる元樹を感じてあげられる母でいたいなと思います。
2009.11.04
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月曜日から学校に通い始めました。通っているのは成人向けのウェブデザインコースで、全部で13講座取れば修了証書がもらえるもの。時間的な期限はないので、たくさん講座をとって1年以内に終わらせる人もいれば、毎学期1講座だけとって3年以上かけて終わらせる人もいる。だからクラスメートも講座によって違うし、夜間なので仕事の後に来て授業後すぐ帰っていく人が多い。私はあと残すところ2講座。ずいぶん迷いました。授業は週に2日、合計6時間のみ。それも2ヶ月ほどで終わるもの。今回を逃すと来年の冬までこの講座はないし...。でもお先週の車を傷つけてしまった事件のこともあって、自分の心理状態が授業に通えるところまで来ているのか自信がなくて。挨拶やおしゃべりをする程度のクラスメート達はもちろん私が妊娠してたことは知ってるけど、元樹が亡くなったことは知らない。もし同じ講座を取ったことのあるクラスメートがいて、元樹のことを聞かれたら泣いてしまいそうだし...。さんざん迷って、講座が始まる2日前にやっぱり通おうと決めました。もう2講座しか残っていないのは妊娠中に元樹がいい子でいてくれたから。体調がとても良くて、気分もいつもうれしくて、臨月まで楽しく学校に通うことができた。元樹のおかげでここまで順調にやって来れたんだから、最後の2講座は元樹のためにがんばって終わらせよう、と。きっとその方が元樹も喜んでくれるんじゃないか、と。初日は学校までの道を泣きながら運転して行きました。大きなお腹にシートベルトをして、ウキウキ学校への道を運転していた日々。元樹が授業中にお腹を蹴って、それがクラスメートにまで見えるくらい大きなキックでいっしょに笑ったこと。出産前最後の授業の時に先生に次に会うときはお母さんだねって言われたこと。なんだか涙が止まりませんでした。でも元樹が応援してくれてるから大丈夫!と元気を絞り出して教室へ。クラスメートは1人しか前にも同じ授業を取っていた人がいなくて、なるべく遠くに座ったので(笑)元樹のことも聞かれず済みました。授業中はやっぱり集中力が減っているので途中で気持ちここにあらずという感じの時もあったけど、3時間無事に終えることができました。思い切って来てみて良かった、かな。あとはもう一つの講座で顔見知りが少ないこと、2ヶ月継続していけることを望むばかりです。学校に通い出したことで、改めてうちのだんなの大変さがわかって来た気がします。どんなに悲しくても、どんなに元気が出なくても毎日おなじ時間に起きて、元気な仮面を被って、8時間人に接しなくてはいけない彼。彼の仕事は人の心理を治療するものなので、難しいものだと思います。当たり前に見えて来ていた彼の毎日が、どんなに大変でエネルギーのいることなのか、身をもってわかった気がしています。いつも頑張ってくれてありがとうね。
2009.10.29
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友達の結婚式とてもいい時間が過ごせました。本当は式だけ出てパーティーの方は遠慮しようかなと思っていたのに、最後まで居座っちゃいました。教会で行った式はとても素敵で、心が清められるような思いがしました。私は無宗教だけど、宗教建築が好き。それがイスラム教でも仏教でも、中にいると透明な気持ちにさせられます。式の最中神父さんが子育てと子供の大切さについて話した時は涙が出そうだった、それからパーティーには赤ちゃんも何人か来てた。でも静かな気持ちで友達の幸せを祈ることに専念できたし、ご家族の笑顔や涙に「人生ってやっぱりいいことあるよなあ」と元気をもらいました。サンクスビギングも楽しく過ごせて、やっぱりお祝いして良かった!と思えました。その週は他にもボランティアに応募したり、自分自身のキャリアの夢に向かって活動し始めたりいろいろ前進できた週でした。でも知らないうちにがんばりすぎたみたいで、その後風邪を引いてしまった...。リウマチの薬エンブレルを再開して免疫が低くなっているため、治りにくい!もう1週間くらい調子が出ないです。体に元気がないからか心もちょっと沈んでいて、朝は起き上がる元気が出ないし、何をしていても集中してない...。今日はこれじゃあだめだ!と思って元樹が産まれてからはじめてジムに行って来ました。ところがジムの駐車場で車を停める際にお隣の車に接触してしまい、なんと相手の車にけっこう大きな傷を作ってしまった...。その駐車したスポットは特に狭かったりわけでもないのに...。なんだかボーッとしてるんだなあ、私。元樹を亡くしてから、元樹が産まれて来てくれたことの意味、自分が今日も生きていることの意味を常に探してきたような気がします。そしてその意味はきっと私がこれから作っていくものなのだと最近では思っています。元樹の”死”だけに気持ちを取られ、泣き暮らして、世の中を恨むだけの人生にはしたくない(もちろんそういう日もあります)。一生懸命生きてくれた元樹が、私にくれた物を糧にして、自分の人生を今までよりももっと充実したものにしたい。それが私の元に産まれて来てくれた元樹への一番の供養だと思うから。そして毎日少しでもそのための努力をしたい、と常に思ってきました。でも今日の駐車場でのことで、自分が少し先を急ぎすぎていたのに気づきました。ゴールは同じでももっとゆっくり進まなくては。それに休憩も、それから寄り道や後退ももっと許してあげなきゃ、と。長い道のり、自分のペースでいかなきゃだめですね。明日は何も予定せず、ただボーッと過ごそうと思います。
2009.10.22
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とうとうカルガリーに初雪が降りました!これからどんどん寒くなるんだなあ...カナダの冬は毎年苦手。でも今年は元樹といっしょにふわふわ舞落ちる雪をみながらうちで過ごすのもいいなあと思ってたなあ。元樹が窓の外の雪に向かって手を伸ばす姿がなんだか目に浮かぶような気がして、何をしても悲しく、かなりへこんだ初雪の日でした。なんでも「初」は辛いけど、2回目以降はずっと楽になるから、「初」の悲しさはしっかり受け止めて泣きたいだけ泣こうと思っています。最近だんなにあまり元気がなくて、悲しい日が多いみたいです。天使パパ達ははじめの何ヶ月かは奥さんを支えてがんばらなきゃと強くいるけれど、奥さんが少し元気になってきてちょっと安心した時、やっと自分の悲しみに向き合える状態になることが多いみたいです。ここは私がだんなを支えなくっちゃ。今まで支えてもらってばかりだったから少しお返しができるかなと思うと力が湧き出て来ます。今週末はカナダの感謝祭、七面鳥の丸焼きを作ったりして家族で集まる祝日。うちはどちらの家族も遠いので毎年友達とホームパーティー。思えば元樹を授かったのは去年の感謝祭の日だったなあ。これからいろいろ「ああ、去年の今頃は妊娠中でこうしてたなあ」という出来事が出て来て辛いかもしれない。感謝祭もどうしようかなあと思っていたけれど、やっぱり元樹を授かって、短い時間でもいっしょにいられたことに感謝したいと思い、親しい友達だけ呼んで小さいホームパーティーをすることに決定。それから今週の土曜日には友達の結婚式にも出る予定です。ギリギリまで迷って先週末にお返事したお祝いの場への出席。元樹が亡くなってから友達や家族には毎日のように会ってきたけど、みんな私達の状況をわかってくれて悲しみを隠さなくていい人ばかり。結婚式は知らない人もたくさんいるし、何しろおめでたい席だからにこやかに過ごさなくてはいけないからドキドキ。でもやっぱり「行きたいなあ」と思えたので、その気持ちを大事に行って来ます。少しずつ、少しずつ、日常に戻っていってる感じです。
2009.10.07
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前回の日記へのコメントやメールどうもありがとうございました。気持ちのこもった暖かい言葉、とてもうれしかったです。返事が遅れしまってごめんなさい。元樹が亡くなってそろそろ3ヶ月経ちます。元樹が亡くなったのが昨日のことのようにも、ずっと昔だったようにも思える。私の体は順調に回復してます。心はまだまだ涙の出ない日はないけど、元樹が亡くなってすぐの頃の息をするのも苦しいような、常に溺れているような痛みは和らいだかな。元樹の写真を見るときも涙だけではなくて笑顔が出てくるようになりました。ああ、もとちゃんなんて可愛かったんだろうなあって。「愛する人を亡くした時の痛みは海の中に落ちたガラスの破片のようなもの。ずっと波の中で寄せては返し、無くならない。でも時間が経つにつれ、初めは鋭くてそばにあるものを何でも切ってしまったような角がだんだんとれてくる。いつでもそこにはあるけれど、足に当たっても傷がつかないくらいになる日がくる。」元樹が亡くなったばかりの頃、「こんな苦しさをいったいどうしたら乗り越えて行けるの?」と聞いた私に、先輩天使ママがこんな風に答えてくれました。今その意味が少しわかって来たように思います。10月1日は私達の6回目の結婚記念日。今年は3人で過ごすと思っていたのにまた二人だけの記念日。思えば6年前移民してきたばかりの私と学生だった旦那はワンルームアパートで貧乏生活してたなあ。その後も文化の壁やリウマチを乗り越えて、やっと授かったもとちゃんを亡くして、二人支え合ってやってきた6年。元樹を亡くした直後、「私の人生で一番大事だったもとをこんな風に取られて、もう何もかもいやだ、何にもいいことなんかない」と泣きわめいている私に、だんなは「そんなことないよ、これからも、今だっていいことあるよ。今自分がありがたいって思ってること言ってみな。」と言った。「ありがたいことなんか何もない!」とそれでも泣いている私に、彼は自分がありがたいと思っていることを言ってくれた。「りうちゃんの命まで取られなかったこと。短い時間でも元樹が生きてくれたこと。苦しまず、眠っているようにりうちゃん腕の中で逝ったこと。りうちゃんのお父さんとお母さんがここにいてくれること。もっとたくさんあるよ、考えてごらん。」それから辛い時はありがたいことを考えるようになった。自分を100%支えてくれる自分とだんなの家族。駆けつけてくれたり、遠くても電話やメールで励ましてくれる友達。お腹にいたもとと作ったキラキラの想い出。そして自分がどん底にいる時も前向きで強く優しく私を支えてくれるだんな。みんなどうもありがとう。そして、だんなさん、いろいろ苦しいことあったけど、あなたとだから乗り越えて来られたよ。あなたと結婚して本当に幸せだよ。だから悲しいけど、寂しいけど、やっぱり結婚記念日はお祝いしよう、と思う。
2009.09.29
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悲しい出来事を書かなければいけません。待ちに待っていた赤ちゃん、元樹が産まれてすぐ亡くなりました。7月8日のことでした。5週間たった今、やっと書けるかもと思い、力を振り絞って書いています。ここでずっと書いていたように、妊娠中は私も元樹もとても健康で何の問題も無く過ごして来ました。予定日の2日後の7月8日に陣痛が始まり痛いながらもうきうき病院に行った際も、元樹の心拍は強く順調でした。それから30分ほどで破水し、看護婦さんが来てもう一度心拍と確認しようとしたらなぜか元樹の心拍がひどく落ちているのを発見。あっという間に何人もの医師や看護婦達に囲まれて、わけもわからないうちに手術室に運ばれ、緊急帝王切開をされると言われ、麻酔をかけられました。麻酔から目が覚めると、「元樹の具合が悪いから新生児の救急室にいる」と青ざめた顔でいう旦那。全くわけがわからなくてショックだったけれど、元樹は大丈夫なんだろうと信じて疑わずにいた私。でもその直後医師団が来て、「元樹が助かるチャンスはほとんどない、夜は越えられないだろう」と言われ、目の前が真っ暗になりました。ベッドに乗せられたまま会いに行った元樹はいろいろな機械やチューブにつながれていてとても痛々しかったけれど、とてもとてもかわいい子でした。それから何時間か経ち、もう機械の力を使ってもこれ以上持たせられないと言われ、機械やチューブを全部取るという決断をしました。チューブが取れて全体が見えた元樹の顔は今まで見た何よりもきれいで愛しかった。駆けつけてくれた私の父母と旦那と4人で交代にだっこしてあげて、最後は私の腕の中で本当に安らかに、眠っているように息を引き取りました。9時間一生懸命生きてくれました。3540グラムの大きな子でした。その後胎盤の解剖結果が出て聞かされた死因は「臍帯圧迫」。破水した際なんらかの原因でへその緒が圧迫されてしまい、その結果へその緒が出血してつまってしまい、私と元樹の間の流れを止めてしまった。破水から緊急手術で元樹を取り出すまでの8分間酸素供給が全くなかったのが致命傷になってしまったとのこと。「とてもとても不幸な、起こる確率のとても低い事故」で母親や赤ちゃんの健康状態とは何も関係がなく無作為に起こってしまい、予防はできなかったと言われました。こんなに辛いことが世の中にあったのかと思うほど辛い5週間でした。リウマチの痛みが何でもないと思うような息もできないような胸の痛みに悩ませれました。あんなに大事に大事に育ててきた元気な健康な子が、こんな事故で一瞬にしていなくなってしまうなんて残酷すぎる...。あれをしてあげたい、これをいっしょにしようと夢見ていたことが、本当の夢になってしまいました。元樹のために用意された物に囲まれた家への手ぶらでの帰宅。赤ちゃんがもういないと知らないで出て来てしまうお乳。すぐにしなければならなかったお葬式の用意。赤ちゃんのいない空のお腹。元樹の泣き声で目覚めるはずだった朝が特に辛く、起きたってもう何もやることが無いんだと思うと体が重くて重くて沈んでしまうのではないかと思いました。でも旦那や家族、友達に力強く支えてもらい、一日一日を過ごし今日までなんとか来ることができました。まだ元樹が恋しくて恋しくて涙の出ない日はありません。社会的に復活もしていません。ただただその日にできることをなんとかこなして生きています。でも他の赤ちゃんを亡くしたお母さんと話をして、この悲しみは乗り越えたり克服したりするものではないんだとわかりました。これはずっと消えることのない、共に生きていくものなのだと。いつかお空の元樹に会う時「お母さんもとちゃんのおかげで幸せな、充実した人生を過ごせたよ。」と言えるよう、その日まで元気にいきて行きたい。元樹の死によって失ったものよりも、私が今持っているもの、それから元樹が産まれて来てくれたことによって得たものを大事にしていきたい。9時間を一生懸命生き抜いてくれた元樹のために、私のこれからの人生を無駄にせず前に進んで行きたい。長く、寂しく、険しい道のりですが、旦那と、心の中にいつもいてくれる元樹といっしょにゆっくりゆっくり歩いて行こうと思います。どんなに苦しくても大好きな元樹のためならやっていけそうです。このブログでずっと私の妊娠を応援してくれた皆さん、本当にどうもありがとうございました。たくさん励まされました。10ヶ月元樹がお腹にいた時間は毎日がキラキラして人生で一番幸せな時間でした。悲しい結果となってしまったけれど、本当に元樹に会えて良かった!そう思っています。
2009.08.12
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とうとう予定日まで残すところ一ヶ月、なんとも早い!リウマチ+妊娠ということで、最初から最悪の場合を考えていた私。バイトと学校はいつでもやめられるように、それから薬を使うことになったら何をどのくらい使うか。最悪の場合にはずっとベッドで安静にしていることもあるだろうと思ってました。でも今までのところリウマチはおさまってくれていて、妊娠もとても順調。薬は2回の関節への局部注射のみで済み、バイトはあと4回で終わり、学校の方もあと2週間で授業が終わるところまで続けられました。ウェブデザインの証明書をもらうためにはあと2クラスを残すのみ、赤ちゃんが産まれてからゆっくり終わらせられたらいいなと思ってます。ここまでこんなに順調に来られたことはなんだかうそみたいです、感謝感謝!先週から出産と子育てについてのクラスが始まりました。週に1回2時間、出産をはさんで10週間。赤ちゃんが産まれてからは赤ちゃんもいっしょに連れてきて、赤ちゃんマッサージの仕方を教えてもらったり、子育てについていろいろ学びます。10カップルみんなだんなさんもいっしょに参加、みんな立ち会い出産になるので、だんなさんも真剣に参加してます。出産も子育ても日本といろいろ違うことも多いので、いろいろためになりそうです。あとは最後の1ヶ月が順調に進んでくれること、赤ちゃんが元気に出てきてくれることを祈るばかり。出産後のリウマチの悪化と授乳のことなどとても心配ですが、それはそのときになったら対処すればいい!と割り切って、最後の一ヶ月を楽しみたいと思います。
2009.06.05
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もう5月ですね!カルガリーはなんとおとといも雪が降っていましたが、今日はとてもいいお天気で、週末は10度を越えるみたいです。やっと春かな?リウマチの方は相変わらず順調に抑えられてます。2週間前にリウマチ専門医に会って、ずっと腫れていた左手首にステロイド注射をしてもらいました。私のリウマチがひどくならない限りは、これが妊娠中最後のリウマチ医診察。妊娠中はリウマチ悪化覚悟だったので、たった3回しかリウマチ医に会わないですんだのがうそみたいです。妊娠後の授乳の話などもして、先生としてはステロイドを飲みながらの授乳も、エンブレルを摂りながらの授乳も大丈夫だと思うとのことでした(もちろんリスクはあるけれど)。授乳の大切さがどんどん分かって来ている今、できるだけ長く授乳したい!でも薬を飲みながらの授乳には私はやはり抵抗が。。。出産後リウマチが悪化して薬を飲まなくてはいけない状態になったらどうするか、大きな課題です。赤ちゃんはすくすく元気に育ってるみたいです。1.4キロになって、よく動いてたまに痛いくらいのキックも!ちなみに私の体重増加は8.2キロ。あと2ヶ月1.8キロ増を目指して頑張るぞ!ところで、昨日4D超音波というのをしてもらいました。赤ちゃんの顔がはっきり見えたのでびっくり!ただ胎盤の位置が今だに低いようなので、来週産科のお医者さんに会ってどのくらい低いのか、安静が必要なのかなど詳しく説明を受ける予定です。4D写真添付してみました。赤ちゃんが左手で顔を半分隠しちゃってますが、こんな顔してます:だんないわく、ふてくされた時の私の口にそっくり...笑ってる!(
2009.05.02
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妊娠27週目に入りました!あと1週間でいよいよ妊娠後期、最後の3ヶ月です。なんだかあっと言う間でびっくり。”赤ちゃんが産まれる前にすることリスト”を作ったのですが、まだまだやるべきことがたくさんなので焦り気味。。。体重はあれから1キロ増にとどまっています。プールには相変わらず週2で通っていますが、毎回の泳ぐ距離を600mから750mに上げました。あとは食事にも前より気を付けて、カロリーの高い物を控えめに摂ってます。とはいえすでに7キロ増なので、この後の3ヶ月間、1ヶ月1キロ増にとどめてなんとか合計10キロ増で抑えられるようがんばるぞー!リウマチは驚くほどおさまってくれてます!バイトが週に4日、学校が週に2日と結構忙しい日々なのですが、腫れはほとんどなし。たまにリウマチなのを忘れそうなくらい。私の場合妊娠が進むにつれてリウマチの症状がどんどん軽くなっていっているようで、本当にホッ。ここ1ヶ月くらいは食後にフラフラする症状もなくなって元気です。それからすごくうれしいニュース。産休、育休のお金がもらえることになりました!私の今の仕事はヨガスタジオの電話番/レジで、日本でいったらまさにバイトかパート。でもカナダではバイトという観念がなく、仕事は仕事。産休/育休を申請する前の1年間に合計600時間働いていれば、政府から給料の55%の産休/育休金が出ます。リウマチと学校のことで、自分の合計時間が600時間にいくか不安でしたが、やっと600時間達成しました!もともと給料が安いので対した額にはならないけど、健康でフルタイムで働ける人と同じ権利がもらえるというのが本当にうれしいです。寒いし(なんとおとといも雪が降って15センチ積もった)、住み難さを感じることもあるけれど、カナダは弱い人に優しい国だ!と改めて実感する今日このごろです。
2009.03.30
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1週間風邪をひいてへばっていました!喉が痛くて声がでないし、鼻水は垂れるし、頭は痛いし、ちょっと辛かったです。そんな時にバイト先の子が突然2人やめたので、バイトの日数も増えたので、すごく疲れた一週間でした。昨日あたりからやっと本調子になってきた感じです。と思ったら今度はお天気が急降下。今日は最高気温-21度(最低気温は-27度)で雪。道路も凍って運転も気をつけないといけないし、いったい春はどこに!??寒くなったせいか、夜になると関節も少し痛むようになってきました。天気が良くなったら関節も治ると良いなあ。。。一応まだ薬ゼロで持ちこたえてます。明日は妊娠の定期検診、すべて順調だといいな。
2009.03.09
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妊娠6ヶ月目に入りました!21週が終わったところで、残すところあと半分。なんだかあっという間に時間が過ぎてるなあ。今悩んでいるのが体重管理。21週にしてもう6キロ増えてしまった!つわりのある人は初期に体重が増えなかったり、減ったりするらしいのですが、私つわりがほとんど無かったので、初期から何でもたくさん食べて、着々と体重増加してしまいました。日本では私の妊娠前の体型からは体重増加の目安は8キロと言われていて、このままではやばいです。カナダでの目安は11.6kから16キロと多く、こちらの医者からは何の注意も受けないので、最近まであまり気づかず過ごしてしまいました。なんでこんなに日本とカナダの目安が違うの?と思い、医療関係の知り合いに聞いたら、いろいろ原因はあるけれど、統計上アジア人は体重増加による妊娠中毒症になりやすいので、できれば日本の体重増加の目安に合わせたらと言われました。それよりとにかく体重があまり増えると下肢の関節に負担がかかってリウマチが悪化するのが心配です。今週になって少し膝と股関節に痛みが出て来て、ああ、これは気をつけなきゃ!と痛感しています。体重管理の上で大事なことはやっぱり食事と運動。食事は昔からやせの大食いなので、減らすのは本当に難しい。。。もともと甘いものやあんまり脂っこい物は苦手なので、健康な食事を摂っていると思います。そうなると、もっと運動をした方がいいと思うのですが、ちょっとやりすぎるとすぐ膝が腫れるので難しい!今は週に2回プールに通ってゆっくり600mのみ泳いでいます。あとは家で週に2回くらい関節に負担のかからない簡単なヨガをしています。毎日30分から1時間くらい散歩をしたらいいと妊娠本などに書いてありますが、そんなの膝に無理。。。体重が増えすぎると膝に負担がかかる ―> 膝が腫れている間は運動ができない(というか、歩くことさえ無理になる) ―> さらに体重が増えて膝がさらに悪くなる!という悪循環に陥らないように、なんとか体重をうまく管理して行かなくては!と思っています。みなさん、もし何か良いアドバイスなどあったらぜひ教えてください。
2009.02.23
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今日18週の超音波に行ってきました。結果、どうやら男の子だとことが分かりました!女の子の感じがしていたのでびっくりです。健康で元気に育っていてくれてホッ!動きすぎて超音波がやりにくいくらいでした。ただ、低置胎盤と言われ、胎盤の位置が低いみたいです。でも後で上がって来ることが多いから今は心配しないようと言われました。リウマチは左手首の腫れと痛み以外はまだおさまってくれてます。ただ妊娠前からの低血圧がさらにひどくなってきたのが困りもの。おととい夜ごはんをたらふく食べた後、学校に小走りして到着したら、授業中に急に息が苦しくなり動悸も激しくなって、冷や汗がたらたら垂れてしばらく横にならないとだめなような状態になってしまいました。医者に行ったら低血圧が原因と言われ、ご飯を食べた後はとくお腹に血が集中するから、急な行動はしないでしばらく休まなきゃだめだと言われました。リウマチ持ちだから普段から無理しないようにと十分ぐうたらの私ですが、妊娠が重なってもっと休まなきゃいけないのだなあと実感する今日この頃です。
2009.02.05
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明けましておめでとうございます。半年ブログをお休みして、やっと復活です。コメントを残してくださった方、どうもありがとうございました!ずっとお返事できなくてごめんなさい。しばらくブログをお休みしようと思ったのは、妊娠したい!と焦りを無くしたいと思ったからです。妊娠のことをなるべく考えず、リラックスして毎日を楽しもう!と決め、妊娠のためにしていたこととか、どうしても妊娠を考えてしまうことなどを一旦中止してみました。何もお知らせせず、勝手にストップしてしまってごめんなさい!この6ヶ月にいろいろ変化があったので、書いてみます:ーリウマチ専門医が変わった ずっと見ていてもらった女の先生が病院自体をやめてしまったので、新しい先生にみてもらうことに。今度の先生は大学病院で働いていて、経験も豊富で、なかなか頭も柔らかく、今のところとてもうまく行ってます。ーエンブレル再開 9月になってリウマチがステロイドでは抑えられなくなったので、新しいリウマチ専門医と相談して、エンブレルを再開しました。医師によると、腫れがひどいので体が妊娠に対応できないだろうし、エンブレルを妊娠が分かるまで使用するのは先生の患者さんに何件もあったので心配ないだろうということで、思い切って再開しました。ー美大をやめて専門学校へ 美大でやっと1年生が終わったのですが、2年生からはデザイン学科に入るとフルタイムで毎日学校に行かなくてはならない上、課題が多くて夜も毎日10時頃まで残っている生徒が多々。8月になってあまりに腫れがひどくなり、将来妊娠とかを考えると体がついて行けないなあと思い、思い切って美大から同じ敷地にある専門学校に転学を決めました。同じくグラフィックデザイン専攻で、取らなくては行けないクラスが13クラスと少なく、どれも夜のクラスで融通がきき、何より自分のペースでできるので、とても楽です。今のところ4クラス取り終わり、5クラス目に取り組んでます。ー念願の妊娠! 10月の終わりに妊娠が発覚しました!なんとなく体の調子がいつもと違う感じだったので自分でテストをしてみたらなんと陽性。すぐにエンブレルを中止して、体調は100%とは行かずも、薬なしでなんとか元気にやっています。12月の末に一度膝があまりに腫れて歩けない状態になってしまったので、膝の水を抜いてステロイドの局部注射をしてもらい、その後は今まで持ちこたえている状態。このまま最後まで薬なし、もしくは局部注射のみでいけたらいいなと思ってます。いろいろ不安もありますが、私もお腹のあかちゃんも元気にやってます。ずっとブログに書きたい気持ちでいっぱいでしたが、せめて5ヶ月目に入ってからにしようと思い、今になってしまいました。予定日は7月の前半です。ブログの再開までに時間がかかってしまいましたが、リウマチ発症からずっと続けてきたリウマチ日記、これからも自分にできるペースでアップデートしたいと思っています。いいかげんな私ですが、今年もよろしくお願いします!
2009.01.22
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かなり久しぶりに膝が腫れてしまった!左足が特にひどくて水がたまって曲げにくいし、痛いので足を引きずって歩いてる感じ。さわってみると熱い。エンブレルをやめてからも膝がこんなに腫れたのは初めて、エンブレルを始める前以来(かなり前だあ)かも。バイトは順調で、お客さんが来たり、新しい洋服やヨガ用品が届いたのをフロアに出したりする時以外は座ってインターネットを見たり、本を読んだり、なんともリラックスしたバイト。だいたい一人なので話し相手がいなくて少し寂しいけど、自分のペースで何でもゆっくりできるのでとっても気楽。なので、リウマチの調子は良かったのだけど、週末にお店のある通りで大きなイベントがあり、従業員みんな出勤で、外に机を出して立ち売りしたり、歩き回ってクーポンを配ったりと7時間くらいほとんど立ちっぱなしだった。その時は少し痛いかなくらいだったけど、家に帰って来たらどんどん膝が腫れてきてしまった。だんなにはもっと座らせてもらえばよかったのに!と言われ、まさにその通りなのだけど、椅子はレジのそばに一つしかないし、みんなが立って歩き回ってる時に一人で座っていられなくて、ついつい無理しちゃった。バイトしてる仲間には特にリウマチのことを言ってないので休みにくかった。こういう時に上手に休ませてもらえることができるのは難しいけど、そうできるようになれるといいな。天気もいいし、学校が休みで宿題もないので、友達と遊びに行ったりキャンプやハイキングやバイトやショッピングと少し調子に乗りすぎて、なんだか知らないうちに体全体に疲れがたまってるみたい。今週はゆっくり休むことにしよう。
2008.07.22
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旅行から帰って来て、落ち着いてみれば、学校が夏休みなので暇!!!それに家計のやりくりも厳しいので、ヨガ用品店でバイトを始めた。ヨガ用の洋服やマット、その他を売っているお店で、ヨガ教室も階下にある。40%の店員割引とヨガのクラスがただでとれるのに惹かれて。立ち仕事なので辛いかなあと思ったけれど、一応リウマチのことを面接の際に話して、あまり長い間立っていられないことも言っておいた。レジに椅子がないので聞いたら椅子は店員が怠惰になるから置かないことにしてるからと言われた。。。うう。で、初日はリウマチが心配だったので4時間だけにしてもらって、そのかわり一生懸命働いた。そうしたら次の日に「椅子を用意するから、週に4日間お願いできないか」とマネージャーから電話がきた。わーい!ということで、椅子付きのバイトが開始しました。体の調子はわりと快調で、今週末なんと17キロ(6時間半)もハイキングしたのに、次の日関節が痛くならなかった。ビックリ!この分で赤ちゃんも授かればいいなあ。
2008.07.02
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また生理が来てしまいました。毎回来るたびにがっかり!今回は体調からなんとなく妊娠してるかなと思っていたのでよけいショック。そういう時に限って「そういえば妊娠どうなってるの?」とか「赤ちゃんいつかな?」などと人に聞かれる。「妊娠してたらもちろん言うよ、それまでほっといて!」なんて思ってしまう。でも私も前は妊娠にトライしてる友達によく同じことを聞いてたので、かなり自己中な怒りだけど(笑)。朝大泣きして、その後家中をこれでもかーというくらい大掃除したらずいぶんすっきりした。そんなにあせってもしょうがないよね。旅行中でいつもより薬を多めに飲んでたから、妊娠してなくてかえって良かったかもしれないと思おう。と立ち直ったところ、昨日今日となんだか嫌なニュースばかり。少し前からだんなに他の国で仕事をしないかというお話があって、私もかなり乗り気だったのだけど、それがだめになりそう。というのはそのお仕事でもらえる医療保険の最高額が一年で5万円のみ、しかもこちらにいる時からの持病はカバーされないということが判明。具体的に私のリウマチのことを聞いたところ、リウマチで医者さんにかかる場合はもちろん薬も100%自腹になってしまうそう。今だってなんだかんだ言って3ヶ月に1回はリウマチのお医者さんにかかってるし、1ヶ月に1回は血液検査もしてるし、そういうケアがなくなるとあまりに不安。やっぱり行けないかなあ...。リウマチのためにできないこといろいろあるけど、またこんなことまで、しかもだんなの足まで引っ張ってと思うとなんだか悲しくなってしまう。もう少し他の手も探してみるけど、なんだか残念です。それから私の大好きなリウマチ担当医の先生が9月で病院をやめることになってしまった。リウマチ医自体をやめて、何か他のことを始めるそう。次の先生を何人か薦めてもらったけれど、妊娠が終わるまではせめて同じ先生に見てもらいたかったなあ。とあまり楽しくないことが続いたので、明日からは楽しいニュースでもちきりかなと自分を励ましているりうちゃんでした。
2008.06.18
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1ヶ月近い日本での滞在+タイ、ベトナム3週間の旅が終わり、昨日カルガリーに戻ってきました。いやーーーーー、とっても楽しかった!!!!!日本では家族といっしょにゆっくり過ごせて、かわいい姪っ子とも遊べて楽しくてしょうがなかったし、アジアでは10年来の友達に会えて、いろいろ新しい体験ができて、本当に今までした中で最高の旅だった。旅に行く前からリウマチのことがとてもとても心配で、もしかしたら訪問地を減らしたり、何日かどこにも行かないでホテルで休んだりすることになるかと思った。エンブレルの再開もあり得るかなあなんて思ってた。ところが意外にもとても元気に歩き回れた!とは言っても始めの5日くらいは妙に張切ってしまい、痛みや腫れが足の関節に出て来てしまったので、反省。それからは休みをうまく入れるようにして、ナプロキセンという非ステロイド性抗炎症薬をだいたい毎日朝晩飲み続けた。これは妊娠にも大丈夫だからと主治医が処方しておいてくれたもの。それから途中一週間くらいのみステロイドを10mgに増やした、足首に腫れが出てしまったのだ。でもそれだけで毎日健常者と同じペースでたくさん歩き回って、移動の飛行機もこなせた。びっくりでうれしい!カナダに帰って来たら家だけ無駄に広くて、だんなと二人っきりでなんだかとても寂しい。さっそくホームシックになってしまったかんじ。これリウマチよりタチが悪いかもなあ。
2008.06.13
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あの恐ろしい激痛、3日ほどで急に治りました。ホッ!突然来て突然去っていく、なんて勝手な激痛!あの後リウマチ担当医に会ったらとにかくステロイドは7.5mgに増やすように、それから妊娠するまではかってに減らさないように言われました。3月末ごろからずっと以上のなかった血沈値も高くなってきていたので、やはり5mgではちょっと無理かなあと。ステロイドは最小量がいいと思ってどうしても減量を心がけてしまうのだけど、5mgでがんばりすぎてまた今回のようなことが起こったら10mg以上に吊り上げないといけなくなるし、一度腫れてしまった関節はなかなか治せないし、その方が今は良くない、と先生に言われました。ということでしばらくは7.5mgでいきます。東京に戻ってきたので、家事もせず、両親に甘えてごろごろしています。時差ぼけと旅の疲れでまだ100%ではないのですが、だんだん元気がでてきました。これから久しぶりの日本を満喫しまーす!
2008.04.29
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先週の金曜日の朝から2日間なんと大雪が降った!25センチも積もって、気温も-10度くらいに下がった。先々週末は気温も20度で、いよいよ春だなあというお天気だったのに。いくらカルガリーにしても4月末にこの大雪はめったにない。雪が降り始めてから土曜の朝までに自動車事故が200件以上あったらしい。もう春が来たと思って冬用タイヤをはずしていた車も多いし、除雪も季節外れのせいかすごく遅かった。金曜日どうしても学校に行かなければいけなかった私は、おそるおそる運転したけれど、道路がこんなに滑ったのは今までで初めてだったと思う。怖かったけど、みんなかなりゆっくり運転してたので無事に家に着いた。ホッ。この急な気温の変化のせいかどうかわからないけれど、リウマチ君が土曜日の午後から大暴れ。午前中は元気に買い物に行ったりしたのに、午後に入ってから左の股関節が急にじんじん痛くなって来て、夜にはひどい激痛で歩けないくらいになってしまった。一人で立ったり座ったりもできなくて、だんなに手伝ってもらったり。夜中にはちょっとでも体を動かすだけで、ぎゃーっと叫ぶくらい痛くなってしまった。こんなに痛いのはエンブレルを飲み始めてからはもちろん、ちゃんと診断が下って強い薬を飲み始めてから一度もなかったから驚き。最初は一日経てば治るかくらいに思ってたけれど、日曜日の朝もまだ激痛で歩けず、ステロイドを飲んでやっと自分で歩いたり座ったりできるようになった。あと両手の小指の第二関節も腫れてきて痛い。こんないきなりどうしたんだろう???悲しいというよりも、本当に不思議!この休薬期間の間、痛かったのは左肘と手首のみでけっこう元気だったから、日本への帰国と旅行も絶対大丈夫という自信があった。でもこんなに何の前触れもなく、一時間前まで元気に買い物をしていたのに急に歩けなくなったりすると、旅行がとても心配。こんなに痛かったら空港の中を歩くのも無理だなあ。今週の木曜日にはもう日本へ出発なのに、痛みのせいで何の準備もできてないし、困った。あさってちょうどリウマチ専門医に会う予定が入っているので、いろいろ聞いてみよう。もしかしたらエンブレル再開も考えることになるかなあ。とりあえず今日はステロイドの増量でしのぎます。春が来たーと思ってバルコニーに出したテーブルにこんもり積もった雪。まだ元気だった土曜日の朝、呑気に写真撮影したもの。裏庭も真っ白。
2008.04.21
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出たあ、卵!!!数日前に排卵検査薬で排卵が認められました!ほっ。。。なんだかんだ言って排卵がなかったのは心配だったからこれでかなり気が楽になったかも。過去4ヶ月の私の基礎体温を見てみると、なんと高温期ばかりで低温期がない。。。と思ったら先月はブログに書いた通り生理が来すぎてしまい、ブログの書き込みの後また一度すぐ生理があって、一ヶ月に3回も生理があった。生理が始まってから今までこんなことは一度もなかったのであせった。貧血気味で大好きな水泳もできないし、最悪。体温はうってかわって低温期ばかりの一ヶ月だった。排卵検査薬の結果からも排卵がないようだった。そして今月に入ってからいいかんじの低温期があって、それからまるで基礎体温表のお手本のように体温がグッと下がって、その次の日にググッと高温になり、ちょうどその頃に排卵があった。その後は体温がちょっと低かった日もあるけど、一応高温期がいい感じで続いている。かなり驚き!ちょうど体温がいいかんじになった2日前から友達がわざわざドイツからとりよせて送ってくれた医療用ハーブのお茶を飲み始めた。一パックは冷え性用、一パックは女性ホルモンを整えて生理不順や不妊症などに効くというもの。私の好きな味で何より大好きな友達が送ってくれたというのがうれしくて、毎日楽しみに飲んだ。でも長い目で見て体調が良くなったらいいなくらいの気持ちで飲んでたので、排卵が8日目で来たときはかなりびっくりした。このお茶のおかげなのか、たまたま体が汚い血を出して、子宮をきれいにしようとして生理を3回起こした後準備完了になったのか、その両方が重なったためか、よくわからないけどすごくうれしい。pingchanどうもありがとう!いつもビンチの時に助けてもらってるね。排卵が一度あったからといってすぐ妊娠できるわけではないけど、ひとまず心配が一つ減った感じです。今日で今学期最後の授業が終わり、今週末は初めて展覧会に作品をだすことに。来週には久しぶりの東京、楽しいことがたくさんです。
2008.04.18
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落ち込み中にコメントやメールをくれた皆さん、どうもありがとうございました!皆さんがくれた一言一言とてもうれしかったです。元気をもらって、わたくしリウ99%復活です。この三週間の間作品作りに励んで、いくつか満足できるものができました。よく考えてみたら、私は今年の予定を全て妊娠を中心に立てていて、つまり妊娠が遅れると全ての予定が成り立たないという、今思えばアホなプランに振り回されていたんだなあ。例えば夏には日本に帰りたいけど、妊娠しているだろうから大事をとってカナダで過ごすとか、来学期は妊娠しているだろうから学校は休学、とか。これからは今年中に妊娠したらいいなあくらいの気持ちで、後のことは妊娠を中心にせず予定をたてようと決定。始めの一歩として、今学期が終わったら日本に1ヶ月ほど帰国して、ついでにタイやベトナム旅行に行ってきます!それから来学期も授業は取り続けることに。こうなると気になるのはリウマチ君だけど、ステロイドは5mgに減らした今も手首の炎症を除いては結構元気にやっているので大丈夫かなあと。帰国前にもう一度関節注射を射ってもらって、調子が悪化したらいつでもエンブレル再開という必殺技が残ってるし。リウマチを心配しすぎて妊娠が遅くなったらそれこそバカみたいなので、まあどうにかなるだろうというスタンスでいいのかな、と。といっても現状は変わらなくて、あの19日周期で生理が来た後、また今度は13日周期で生理が来てしまった。それで今日産婦人科に行って来たところ、基礎体温から見るところ排卵はしてないかもしれない、だから生理が突然早く来たのかも、と言われてしまった。でも基礎体温や排卵検査薬だけでは決定的にはわからないし、まだ子作りを始めて1ヶ月くらいなんだから心配するな!、と。とにかくあと5ヶ月くらい子作りを試してみて、それでも無理だったら不妊治療とか他の可能性を考え始めよう、ということに。とにかく考えすぎないようにと念を押され、もし基礎体温をつけるのがストレスにつながるようならいっそつけなくてもいい、とまで。自分ではここ3週間考えすぎていたつもりはないのだけど、おととい見た夢が帰国したらいとこみんなに子供ができていたという内容で、ああ、やっぱり考えすぎてるじゃんと実感。考えることより、考えないことのが実はずっと難しいんだ!と、当たり前のようで、また新しいことを学んだ感じです。ということで、考えすぎないようにしつつ、長い目でみていこうと思います。ううっ、できるかなー。
2008.04.04
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実はちょっと落ち込んでます。排卵検査薬をちゃんとタイミングをはかって使ってみましたが、7日目になっても排卵の兆しがなく、排卵検査薬キットを全部使い果たしてしまい、また買わなくてはいけないはめになりました。その後も3日ほど試しましたがやっぱり陰性。どうやら私排卵してないようです...。まあ、今回は遅れてるだけかなと自分を励ましていたら、なんと今日19日目にして生理が来てしまいました。今までどんなに体調が悪くても生理は28-30日単位でしっかり来ていたのでびっくりです。一体どうしたんだろう、私の体?基礎体温を見ても、今月は高温期がなく生理が来てしまったので排卵がなかったと断定できます。先月の基礎体温は高温と低温がバラバラで、たぶんステロイドとかリウマチの腫れ(腫れがあると体温が高い日が多い)の影響のせいだと思うけど、ほとんど参考にならない...。それ以前の月は体温を測ってない日がとびとびにあり、なかなか判断しにくいです。ステロイドのせいで排卵が影響されたのか、それともずいぶん前からなかったのか...。今までリウマチと薬の減量にだけすべての神経を費やしてきて、3ヶ月休薬達成したのがうれしくて、まさか排卵に問題があるなんて全く考えもしなかった。ステロイド注射をしてちょうど1ヶ月経ち、左手首も2、3日前からじんじん痛んできて、はやくこのエンブレル休薬期間を終わらせたいのに、なんか踏んだり蹴ったりだなあ。私の体はまだ子供が産めるほど健康じゃないってことなのかなあと思ったりしてしまい、とてもショックでした。ここ何日ずどーんと落ち込みました。友達(医者のタマゴ)に話したら、今月子作りを始めたからホルモンが狂ってこうなったのかもしれないし、とにかく心配しないで来月また様子を見て、また排卵がなかったらまた産婦人科に行けばいいよ、と言われた。とにかくこれがストレスにならないようにねっと。確かにこのまま落ちこんでいても、何もいいことが起こらないのは確かなので、あんまり考えず待ってみようと思います。でも何かしてないとどうしてもいろいろ考えてしまうので、美大の作品作りに集中して、なにか大きな作品を作ってみようかな。また越えなくてはならないハードルが増えてしまったような気がしてため息が出てしまう。でも今までだっていろんなハードルを越えてこられたから、今回もなんとかなるよね?
2008.03.15
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今日初めて産婦人科の専門医にだんなといっしょに会って来た。カナダでは普通はファミリードクターに妊娠5ヶ月くらいまでは診てもらって、6ヶ月頃になってやっと産婦人科医に会うらしい。でも私の場合はリウマチなのと薬を飲んでいるのもあって、早め(というか妊娠もしてないのに)に会ってくれることになった。「妊娠してないのになんで来たの?」って言われるかと思ってドキドキしながら行ったけど、先生はとてもいい人で、ゆっくり時間をさいてくれ、「妊娠する前に話せて良かった」と言ってくれた。(ちなみに彼は40代くらいのアジア人の男性)薬についてはエンブレルもステロイドもどちらもリスクがあること。ステロイドの方が研究がされていること。ステロイド錠剤にしても、ステロイド関節注射にしても、やはりリウマチが耐えうる限り最低量を摂ること。もし妊娠待ちの期間が延びてエンブレルを再開することになった場合も先生は妊娠を応援してくれること。それから妊娠した場合超音波を普通の人より頻繁にやって、赤ちゃんが無事かどうかモニターすること。後は普通の妊娠中の注意などを話してもらった。リウマチ専門医の方針を産婦人科医にも支持してもらえたのでなんだか安心できた。ちなみにステロイドは減量して7.5mgになった!そして、なんと左肘の可動域が100%に戻った!!!まだ少し痛むけど、右肘と同じように動かせるようになった!!!すごおおおおおくうれしい。肘が動くようになったので、水泳も再開した。かなりゆっくりと、最長500mくらいしか泳げないけど、大好きな水泳がまたできるようになって、やったー!排卵検査薬を使って2日目。まだ排卵はなし。いつになるのかな?
2008.03.07
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ステロイドを10mgに減量に成功した!もう3日経つけれどけっこう元気にしている。来週はいよいよ目標の7.5mgに挑戦。ところで、排卵テストキットというのを買ってみた(詳しくはここ)。3700円とちょっと高かったけど、99%の確率で排卵日がちゃんとわかるので、妊娠しやすいと言うもの。あと1週間ほどでエンブレル3ヶ月休薬も終わり。排卵テストでなるべく早く妊娠できるといいな。焦っちゃだめ!と自分に言い聞かせつつ、期待がどうしてもふくらんでしまう。。。ちょうど友達が妊娠中で、一番の苦しみがお酒が飲めないことだと言っていた。ああそれが一番辛いことだったらどんなにいいか!とすごくうらやましく思った。リウマチ人の私達は妊娠に行き着くまででのステップも長く辛い。でもその分学ぶことも得るものもきっと多いに違いない、と無事女の子を出産されたほんのりさんのブログを読んで改めて感じる私でした。以下写真愛好会のために撮ったカルガリーの裏路地写真です。表の虚栄が取り払われてて、何でも裏側って面白いなあ。
2008.03.02
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先週1週間学校が中間休みだったのでゴロゴロゆったり過ごした。おかげで、ステロイドを15mg、12.5mgと徐々に減らすことができた!前より疲れは増したし、少し何かをすると関節が痛くなったりするけど、肘もまだ腫れて来ていない。まあいい感じと言えるかな。目標は妊娠していい時期(あと2週間ほど)には7.5mgにすること。うまくいきますよう!写真愛好会に入ったので、毎月テーマにそって写真を撮って発表する。今月のテーマは裏路地。カルガリーは新しくてわりときれいな都市だけど、裏路地は汚くて、生活臭くていいなと思った。写真を始めたことで今まで見えなかった物が見えるようになって来たように思う。私は寒がりで、子供の頃から冬は冬眠したいほど嫌いだけど、レンズを通して冬にしかない美しさが見えて、冬もすてきだと生まれてはじめて思った。リウマチの痛みとか悲しさとか、いろんな感情も写真を通して表現できて、自己満足だけどすっきりする(笑)。レンズを通すと、どんな普通の物にもすてきな瞬間があるように思えて、それを探すのが楽しい。リウマチにならなかったら写真も始めなかっただろうなあと思うと、人生なかなか面白い。
2008.02.24
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12日に担当医に会って来た。うちのだんなといっしょにエンブレルの妊娠関係の資料を持って行って、45分くらいかけていろいろ話し合った。自分としては肘が痛くてしょうがないので、妊娠がわかるまでエンブレルを使いたいことを話した。ところが、先生はせっかく2ヶ月もエンブレルを休薬できたこと、それから腫れが左手の肘と手首だけに限られてることなどからできればステロイドでいきたいという意見だった。それからステロイドとエンブレルどちらが安全かという話になって、先生としてはステロイドはかなり長期的に妊娠に使用されてきていて、信用できる結果がでているけど、エンブレルの方は子供が成長して10歳になったらどうなのかとかそういう長期間のデータもないし、数字敵にも100人以上のデータがないからリスクも高いと言われた。医師用の最新のデーターをくれて、それを読んでもう一度リスクを考えてみて、と言われた。結論は今回左肘と左手首にステロイド注射をしてみて、それが効いたらステロイドを10mgまで減らして来月妊娠に臨む。もし注射が効かなくて腫れが引かなくて、リスクを承知できるのであれば、エンブレルを使っての妊娠に先生も協力するということになった。それで痛い痛い関節注射を我慢して受けた。それから3日、腫れが驚くほど引いた!肘が100%とはいかないけど85%まで動くようになって、痛くて夜起きることも無くなった。日常生活にも支障がないほどだし、これだったら来週にはステロイドを減らせそうだ。あと1ヶ月、このまま順調にステロイドが減らせますように!!!!!
2008.02.15
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ステロイドを20mgに増やしたと言うものの、左肘の調子は全く良くならないどころか少しずつ悪化している。夜に肘が痛くて起きることも出て来て、これは困ったと思う。可動域はさらに小さくなって、このままでは固まってしまうのではないかと不安。肘が動かないと日常生活でできなくなることも意外と多くて不便。この1、2週間インターネットを通して日本、アメリカ、カナダでエンブレルを使って妊娠に成功した方達の体験談を読んだり、アドバイスをいただいたりした。やっぱりエンブレルかなあと気持ちが傾いて来た。来週の火曜日にまたリウマチ専門医に会うので、その時までに資料を集めて彼女に見せて、エンブレルで行くようにお願いしてみようかなあと思う。体はそんな感じで元気がないのだけれど、心が意外に元気なのに自分でもびっくり。今日は元気に写真愛好会というオンラインで調べたグループの月一回のミーティングに飛び入り参加してきた。前だったら体の調子が悪かったら家にこもって知り合いとさえもあまり会う元気が出なかったので、自分にとってもこれは意外。エンブレルを止めて、体がまた痛くなって来てしばらくは悲しかったし、元気も出なかった。それでたまたま元気を出すために読んだ五木寛之のエッセーに書いてあった「毎日自分がうれしかったことを書く」というのを始めた。そうしたら、人が聞いたらかなり下らないことでも、自分にとってうれしいことがゴロゴロそこら中に転がってることを発見。例えば「今日食べた日干ししたソーセージはお日様のにおいがしてうれしかった」とか(笑)。うれしいことにフォーカスすると、他のことがどんどん気にならなくなって、まあ体は痛いし、肘は曲がらないけどいい毎日だなあと心から思える今日このごろ。健康を失ってる時だからこそ、自分が持ってるものに目を向けて大事にしていきたいな。
2008.02.07
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ステロイドを15mgにして少し元気が出たものの、またリウマチくんもがんばりはじめて、とうとうステロイドが20mgになってしまった。まだ痛みも腫れも疲れもある。たぶんエンブレルなしでは他の薬をいくら使っても効かないのが私のリウマチくんなのだろう。エンブレルを始める前もリウマトレックスやステロイドをいくら使ってもほとんど効かなかったもん。2週間後に肘に関節注射をして、それから薬のことは様子を見るしかなさそうだ。昨日理学療法士と作業療法士に会って来て、いろいろ対策を練ってもらった。肘の可動域をこれ以上狭めないよう、来週からしばらく通ってひじ専用のスプリントを作ってもらい、運動の仕方なども教えてもらうことになった。話題は変わるけど、最近父が「水分の摂り過ぎは今すぐやめなさい」という本を送ってくれたので、読んで中に書いていることを試している。水は体にいいと思ってついつい飲み過ぎてしまうけど、とくにリウマチのような病気には、体にたまった余分な水が冷えを起こしてよくないようだ。いろいろ納得できることが書いてあるし、勧められていることも全部家にあるもので簡単にできて、お金もかからないのがうれしい。私は今のところショウガ紅茶とショウガ風呂を毎日実践中。ショウガ風呂は汗がいっぱい出て、夜中にトイレに起きることもなくなったのがうれしい。あと水をあんまり飲めないと思うと、塩分の摂り過ぎにも気を使うので(
2008.01.31
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いろいろ考えて、だんなとも相談して、やっぱり今学期授業2つ取ることに決めた。授業に行くのはやっぱり楽しいし、学校は私にとって学ぶ場所である以上に大切な自己表現の場。作品を作ることによって自分の内側と時に静かに、時に激しく、でもまっすぐに向き合うことができる気がする。ずっと家にいて休養しているよりも、週に二日だけ学校に行って、若い学生達からパワーを吸収して、表現したいことを思いっきり吐き出した方が俄然精神的にいいなあとこの2週間で実感した。この先万が一体がしんどかったら無理せず休む、先生に話して課題を軽くしてもらう。何も成績もA取らなくてはいけないわけじゃないし、楽しんでやれる範囲でやってみようと思う。ステロイドは昨日から15mgに増やした。昨日主治医と電話で話をしたところ、20mgまでなら思い切って飲んで、肘の炎症が引いたら積極的に減らそうと言われた。15mgに増やしてから肘の可動域が少し大きくなったし、炎症もましだし、なによりだるさがかなり改善された!!!だるさがなくなって、元気になって、いろんなことにやる気がでてきた。とりあえず、ああ良かった。この先も無理しないで気楽にいこう。
2008.01.19
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ステロイドを10mgに増やして一週間ほど、でもあまり改善が見られない。だるさは少し良くなったような気がするけど、肘の炎症はほとんど良くなっていない。その上左膝が少し炎症してきた。体内に残っていたエンブレルがどんどん切れて来て、リウマチくん暴れているね。この間出かける準備をしている際、コートの一番上のボタンまで左手が届かなくてボタンがはめられなかったのでびっくりした。肘が曲がらないってけっこういろんなことに支障が出るんだなあと実感。学校は先週今週と2クラス(デッサンと3Dファイバーアート)授業に出て、先生と私の体調についての話をした。2つともすごく面白そうなクラスだし、先生がまたとても良い感じの人だ。二人とも私が今学期を乗り越えられるようどんなことでも手助けすると言ってくれた。学校に行かないでずっと家にいるのも寂しいし、子供を産む前に1年生の授業全部を切りよく終わらせたい気持ちはある。でもどちらも手を動かす授業だし、特にデッサンは一日中教室にいることになるから大丈夫かなあ。今週末以降にクラスをやめると学費(1クラス5万円ほど)が戻ってこないので、今週内に決めなくては。どうしようかな????
2008.01.15
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だだだだるるるるるるるうううううい!!!!!ここ3、4日体が恐ろしくだるい。朝もなかなか起きられないし、起きても何もできないほどのだるさと疲労感。時間はたっぷりあるのに、何もできない。出かけても、運転してもなんだかぼーっとしてしまう。リウマチくんががんぱっているみたい。左手の肘もまた腫れて、可動域が小さくなってきた。まっすぐ伸ばせないし、曲げても肩に届かない。シャワーや服の脱ぎ着、食事の際に少し支障がでてくるようになってしまった。今日リウマチ専門医の先生に会って来た。やっぱり肘の変形を避けるためステロイドを5mgから10mgに増やすことに。そして我慢しないようにと言われた。いざとなったらエンブレルを使いつつの妊娠という手もあるという話になった。エンブレルを使いつつの妊娠成功例は今世界的にどんどん出て来ていて、妊娠B級(危険性は認められていないが安全性も100%は証明されていない。利益がリスクより多い場合に使用する)のお薬と言うことになっている。やっぱりデータの規模が小さいことからまだ妊娠に完全に安全とお墨付きにはなっていない。でもいろいろ調べると日本でもカナダでも多くの人がエンブレルを使って妊娠に成功しているし、医学的な調査でも安全性が確かめられて来ているよう。とにかくまずはステロイドのみで様子を見よう。明日はデッサンの授業。6時間高い椅子に座ってずっと絵を書きっぱなしなので大丈夫かなあ。というか、このだるさを押して、朝起きてちゃんと学校まで行けるのかどうかも自信ない弱気な今日の私です。
2008.01.09
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あけましておめでとうございます!とうとう2008年、私にとって妊娠祈願の年です。エンブレル中止からの経過です:最後のエンブレル注射を12月11日に射ってから2週間ほど薬全くなしで元気にやっていた私でしたが、その後だんだん左手首が腫れて来て、痛いし、伸びなくなってきて、やむなくステロイド2.5mgを大晦日の日に開始。それでもあまり症状が良くならなく、左手首まで腫れて来たので、昨日からステロイド5mgに増量し、今日は痛みは少し良くなったかな、でも腫れはあまり引いてない様子。ありがたいことに、左肘と手首以外はすこぶる良好。不思議なのはエンブレル開始前の一番リウマチがひどかった時期にも左肘がこれほど腫れることはなかったこと。エンブレル中止前に関節注射もしたのになあ。来週リウマチ担当医の先生に会って、これからの対策を考える予定です。7日から美大の新学期が始まるのだけれど、今学期はお休みしようかなあと迷ってます。というのは美大は体、特に腕を使う授業が多いし、授業のためにステロイドを増やすのはいやだなあという気持ちがとても強いので。学校も終わらせたいけれど、31歳の私、今年一番の目標は妊娠して家族を増やすこと。それ以外のことは犠牲にしていかなきゃなあ。来週授業に参加してみて、無理そうだったら取るクラスを減らすか、お休みするか決めよう!
2008.01.05
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エンブレルを先週の火曜日を最後に停止してから9日、まだステロイドなしで元気にやっています。といってもちょっとずつ関節の節々にじーんとする痛みを感じるようになってきた。。。体内に残っているエンブレルがなくなったら前みたいに歩けなくなるのかとびくびくしていますが、まああまり心配しないようにしてます。炎症に良いと言われている物を食べたり、瞑想をしたり、ステロイドを極力少量しかとらないですむようにがんばるぞう。あさってからうちの夫の実家に10日ほど行ってきます。だからこれが今年最後のブログ書き込み。今年を振り返ってみると、とにかくあっという間に過ぎてしまったと言うのが感想。とにかく学校が忙しかったので、夏休み以外は学校の課題に打ち込むだけで1年がさっと過ぎて行った。美大に行って一番の収穫は絵や写真を撮るのがうまくなったことではなく、ああ、自分てこのままでいいんだと思ったこと。私はけっこう過激なというか変わった考えを頑固に持っている人で、でもそれは極力出さないようにがんばってきた気がする。でも美大に行って、そういう考えをしっかり持って表現していくのはすばらしいことだと教えられた。そう思ってから世の中がすごく面白くなってきた。自分の体の痛みやいろんな社会的なことに対する怒りとか疑問、それを何を通してどう表現するか。美術自体よりも芸術家の卵としての生き方を学んだ一年でした。来年は妊娠が一番大きな目標です。どうなるかなあ。今年もブログを通していろいろサポートしていただき、どうもありがとうございました。みなさん、良いお年を!来年もどうぞよろしく。
2007.12.20
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またまた久しぶりの書き込みになってしまった。学校が忙しくてなかなかここにゆっくり書き込む暇がないのもあるけれど、リウマチの症状がとても落ち着いてるのであまりニュースもなかったのが主な理由かもしれないなあ。今日久しぶりにちょっと変化があったので記録。夏に張り切りすぎて手首をちょっと痛めてから、ずっと今までなかなか炎症が治らなかった。普通にしていると全然何ともないのに、ちょっと学校の作品で手首を使いすぎると腫れと痛みが。他の関節はとても元気なので痛み止めを飲むのには気がひけて、結局様子を見ていた。それがそろそろ5ヶ月くらいになるので、今日お医者と話し合ってステロイド注射をすることに!関節注射というのは初めてだったけど、思ったほど痛くなかった。始めに注射針で関節にたまっていた水を抜こうとしたけど、あまりたまってなかったようでとれなかった。そのあとステロイドを注入。痛かったけど、それよりなんか大きな異物の塊が血管に入って来たような不快感があった。でも意外にあっけなく終わったのでほっとした私。関節注射は恐ろしく痛いと聞いていたので緊張しすぎたせいか、注射のあとちょっと気持ち悪くなって診察所で横になってやすませてもらった。これから24時間は左手首の使用禁止。これでよくなるといいなー。もう一つの大きな変化は、しばらくエンブレルを中止することに決めたこと。というのはなんと、私妊娠を試みようかと思っているのです!妊娠のためには少なくとも3ヶ月は妊娠計画前にエンブレルを止めなければならない。本当は来学期が終わってから学校を完全にお休みにしてエンブレル中止と思っていたのだけど、それはそれで暇すぎるかなあと思い、学校とエンブレル中止両立をチャレンジしてみようと思い立った。始めはステロイドも0でチャレンジしてみるけど、お医者さんによればやっぱりステロイドを使わないと無理だと思う、と。はっきり言うとエンブレルをやめるのはすごおおおおおくこわい。エンブレルに出会う前のあの歩けない状態に戻るのかと思うと本当に泣きそうになる。でもやっぱり子供は欲しい。もう31歳だし、今トライしないと一生やらなそう、だからがんばってみようと思う。
2007.12.14
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12日で31歳になる。30代の自分は天職に就いて、仕事をバリバリやってるだろうと昔からずっと思ってたけど、大はずれ。未だ学生の私。最近しばらくご無沙汰していた友達に会った。2年くらい会ってなかったかな。彼女は10歳年上の40代で日本人。独立していて、はきはきしていて、前向きで、とてもすてきな人。お昼ご飯を食べてた時、そんな彼女が「不思議だけど、40代になってからもっと自分が好きになった気がするなあ」としみじみ言った。私も共感できた。リウマチになる前の20代後半、私はキャリアを求めてとにかくカナダでの仕事をがんばって、よい給料をもらってて、形だけ見れば自分が昔思い描いていた私により近かったと思う。今の私はキャリアウーマンとは遠い貧乏学生で、バイトはカフェテリアのレジ、嫌なお客にも笑顔で接するリウマチ持ち。でもなぜかずっとずっと毎日が充実していて、自分のことも100倍は好きだなあと思う。人生って奥が深い!
2007.08.10
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夏休みになってから週に2回か3回のバイト、2週間ごとに行くキャンプ、友達とのランチ、庭仕事などで忙しく、楽しく過ごしている。でもちょっと忙しすぎたみたい。実は少し調子が悪い。関節が痛いし、なんだか少し腫れもあるような気がする。そして疲労感が強い。エンブレルを始めてからずっとなくなっていたリウマチ結線が左の鎖骨のあたりに出て来た。リウマチくんがんばってる。自分では適度にやっていたつもりだけど、関節には少々無理だったようだ。やりたいことはもっともっとたくさんあるのに、体はその10分の1くらいしか動かない。昔みたいにくたくたになるまで走ったり、踊ったり、歩いたりできたらいいのになあ。今はくたくたになるずっと前に止めても、あとで痛みに襲われたりしてしまう。悲しいけど、リウマチと供に生きる私はちゃんと自分の限度を知って守って行かなければならないんだなあと改めて痛感させられた。
2007.08.01
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モントリオールに1週間旅行に行って来た。モントリオールはフランス語圏、食べ物や文化もフランス系が多く、とてもおしゃれな都市。美術館や博物館、ギャラリーがたくさんあって、歴史のある教会や建物もすばらしかった。ちょうどジャズフェステバルがあったので、野外で聞く音楽もとても良かった。それにしても、毎日かなり歩いた。自分で驚くくらい一日中歩き回った。リウマチになって初めて筋肉痛になったのには感動した。前はなんでもやりすぎると関節が痛むので、筋肉痛になるまで何かをやるなんて不可能だった。昔はいやでしょうがなかった筋肉痛に乾杯。
2007.07.05
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昨日100回目のエンブレル自己注射をした。100回!始めは怖かった注射も今は慣れたもの。そして立ち上がるのすら大変だった身体がスイミングも自転車乗りもできるようになった。100回も注射したこと自体はすばらしくおめでたいことではないけど、100回目に、そして元気でいろんなことができることにバンザイ!
2007.06.16
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バイトを始めた、先週から。病院内のカフェテリアでレジをしたりサンドイッチを作って売ったり。8時間ほとんど立ちっぱなしの仕事なのでどうなるかと思ったけど、それなりにこなせた。でもさすがに膝が疲れる。暇をみては座るようにしないとかなり辛い。バイトが終わるともう何もできないほどクタクタ。健康だった頃は一日立ってるくらいなんでもなかったのに、立ってるってこんなに大変なことだったのかあと痛感。。。来週からはレジもサンドイッチ作りも椅子に座ってやらせてもらえるようにお願いした。バイトって大変だな!でもやっぱり雀の涙ほどでも自分の力で稼げるのはとてもうれしい。昨日行ったハイキング先で。10キロくらいゆっくり歩けた!
2007.06.04
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学校のことを少しずつ書いていこうと思う。今日はLARC (Learning Assisitance and Resource Center) について。カナダの大学にはこのLARCがあって、体やLearning Disability(知的障害?)のある人をサポートしてくれる。Learning Disabilityというのは日本で言う知的障害とニュアンスが違う。例えば私の仲の良いクラスメートはとてもテンポの早い頭の良い子なのだけど、物を書く方面だけにLearning Disabilityがあるので、ノートをとったり試験を書いたりするのがうまくできない。彼女はLARCを通してノートを提供してもらったり、試験は別の部屋でコンピューターでやらせてもらったりしている。私もこのLARCにとてもお世話になった。学校でクラスを選択する際に関節に負担のかからないものを選びたいと思って、どんなクラスが負担が軽いか大学の事務に聞きに行った。そうしたらLARCにまわされた。私は「なんだろLARCって?」と思いつつとりあえず行ってみたらまず担当医の診断書を要求された。診断書が届くと、コーディネーターが来て、関節に負担のかからないクラス、それから体に負担のかからない授業の取り方の相談にのってくれた。それから診断書にもとづいて私の病状や授業の担当教師達にしてほしいことを書き込んでくれた:ー リウマチであること、リウマチが自己免疫疾患であることー 同じポーズで長時間いると体調がわるいときは体がこってしまうことー 関節に負担のかかる作業はさけたいことー 重いものの持ち運びはさけたいことー 万が一病状が悪くなったら授業を休むかもしれないことこれを授業の初日に各教師に見せてサインをもらい、LARCに提出。どの教師も「できるだけ力になるからね」と言ってくれた。これがデッサンやデザインのクラスにとても役立った。デッサンのクラスはとても心地の悪い椅子に長時間座って話を聞いたり描いたりするのでリウマチがない人でも体がこってしまう。私は先生の話し中に立ち上がってストレッチをしたり、一人うろうろ教室を歩き回ったりさせてもらった。関節にきつそうなプロジェクトはやらなくてもいいと言ってもらった(結局すべてやってしまったけど)。デザインの先生も常に私の体調を気にしてくれて、具合が悪かったら午後はいつでも帰っていいと言ってくれた。重いものを運ぶのも避けられた。うちの大学は授業を一学期で3回休んだらその授業は失格と厳しい。宿題の量も異様に多い。言い訳もほとんど通用しなくて、体調が理由の場合も厳しい。日本の大学と違って入試がないので、入ってから不真面目な学生をどんどんふるい落として行く。私のクラスはだいたい3分の1が失格になったり、そうなる前に自分からやめていった。そういう厳しい状況下、LARCを通しておくと、万が一リウマチがぶり返して授業に出られなかったり宿題ができなかったりした時も理解してもらえるのだ。今学期は一回もリウマチのせいで授業を休んだり宿題提出を伸ばしたりしないですんだ。でももしリウマチが悪化した場合、LARCは私のこの学校での存亡に関わる大事なサービス。この先手の関節が痛くなったら、レポートをタイプしなくていいように、しゃべる内容がコンピューターにインプットされるプログラムも使わせてくれるし、使い方も教えてもらえることになっている。本当に何から何まで親切だ。日本の大学はこんなサービスあるのかな?私が日本の大学にいた時は健康すぎて気がつかなかった。中国の大学にはこんなサービスはなかった、何につけても弱いものに厳しい世界だったと思う。カナダは弱いものにやさしい社会だ。弱いものというより、いろんな違いを受け止めてくれて、誰にもチャンスをくれる社会だと思う。リウマチになってしまったのはこの国だけど、再生するチャンスをくれたのもこの国、私はここで生きて行くんだなあと強く感じる今日この頃です。
2007.05.15
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またまたさぼってしまった、しかも4ヶ月も!この4ヶ月、学校を始めてから恐ろしく忙しい日々が続いたので、ブログどころじゃなかった。。。美大の授業は週に3日のみ、だから自分の時間がとれるなあと思っていたらとんでもなかった。どの授業もびっくりするほど宿題がでるので、夜も、土日も、休む暇なく絵を描き、本を読み、レポートを書いていたら、あっという間に4ヶ月過ぎてしまった。友達や家族にメールする暇さえなかったあ。。。美術関係のことを今までほとんどしてこなかった私には、授業でやることは新しいことばかり。英語で大学レベルの授業を受けるのも始めて。周りは若者だらけ!そして身体にも気をつけないといけない。カナダ人の健康な若い学生さんと比べるといろいろハンディーだらけで大変だったけど、その分得るものも大きいはず。一番うれしかったのは、身体がついて行けたこと!週に2回水泳に行って、その上あの忙しさだったのに、元気に、薬も増やさずやって行けた。会社に行ってた時は週三日しか働かず、後の日はごろごろして休んでたのがうそみたい。やっぱり好きなことをやるのが一番いい薬なのかな。成績も予想以上に良かったので、これからアートに関わって行くことに自信ができた。ただ4年間続けるかはまだわからないなあ、子供も欲しいなあと思ってるし。。。やりたいことがたくさんあるのに、身体は一つ。。。どっちをとるか悩んでいます。とりあえず5月から9月までは夏休みなので、夜に授業を一つだけとって、あとはバイトするべく求職中。夏休みの間にもっと絵描きの練習もしなくちゃなあ。(ブログもちゃんと書きます。)
2007.05.09
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