ワルディーの京都案内

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2015/07/22
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テーマ: 癌(3513)
カテゴリ: 癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」2014年10月18日の記事です。

 血液がんの成人T細胞白血病(ATL)と診断された、元宮城県知事の浅野史郎さん(66)は2009年10月、東京大学医科学研究所付属病院から国立がん研究センター中央病院(東京都中央区)に転院した。骨髄移植を受けるためだ。田野崎隆二・輸血療法科長(55)が待ち受けていた。

 基本的な白血病の治療法は、大量の抗がん剤と強力な放射線照射で骨髄を完全に破壊し、新しい造血幹細胞を移植する。ただ、その「フル移植」には体力がいるので、原則55歳くらいまでしか受けられない。一方、白血病の患者の平均年齢は年々上がり、移植を受けられない患者が増えていく。そこで「ミニ移植」が生まれた。

 「ミニ移植では、確かに患者さんの白血病細胞が体内に残ってしまうのですが、それが移植されたドナー(提供者)のリンパ球の持つ免疫力で殺され、なくなっていくんです」と田野崎さんは言う。

 ミニ移植の最先端を行く国立がん研究センターでは、1999年~13年末に600人以上の患者がミニ移植を受け、生存率は年々向上している。公的保険医療の対象にもなり、最近では地方の病院でも受けられる。

 10年2月の退院の日、浅野さんは田野崎さんに聞いた。

 「先生、マラソンで例えるなら、いま、何キロですか」

 「10キロ地点ですかね」

 手術後、浅野さんはドナーの骨髄への拒絶反応である「GVH病」や移植後の合併症で入退院を繰り返しながらも、10年10月からは横浜市の自宅で暮らしている。

 09年5月の発病から5年5カ月がたった今も、浅野さんは3週間に一度、妻の光子さん(65)と連れだって定期的に診察を受ける。

 昨年から神奈川大で「地方自治論」を教えている。発症前に慶応大で教えていた楽しさが忘れられず、大学にお願いして「障害福祉論」のゼミも受け持っている。

 「官僚時代も知事時代も、与えられた仕事を精いっぱいやる姿勢でやってきた。でも病気をして、自分がもらってきたものを学生に与えることが、これからの自分の仕事と思うようになりました」

 発症で突然「闘病」が仕事になり、そして再び、「授業」が仕事になった。


写真:ゼミの学生たちと=7月9日、横浜市神奈川区の神奈川大で
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 やはり年齢や状況に応じた治療って重要だと思います。私は59歳、しかも片方しか腎臓がない状態での抗癌剤治療でしたので、抗癌剤は標準の60%からスタートでした。副作用を見ながら、3クール目から70%、5クール目から80%でした。

 それはそれでよかったのですが、抗癌剤治療が終わった後、腎臓ごと切除の提案を受けました。片方の腎臓しかないので、透析が前提になります。止むを得ないと思いながら、セカンドオピニオンを受けて腎臓を残せる方法として粒子線治療があることのを知りました。

 粒子線治療を受け、今のところ腎臓を残したまま、健康な生活を送れています。腎臓は2個あって、片方なくても普通の生活ができるし、両方なくても透析という方法があるので、泌尿器科の医師は「とにかく取りましょう。」という発想になりがちです。

 年齢と同時に、特殊な体の状態にある場合は、それも考慮したうえで最適の治療方法を選択するということが必要です。医者がそこまで踏み込んでくれなかったり、医者にも知見の限界があったりするので、セカンドオピニオンを活用するなど患者側も治療方法を自分で探す努力が必要です。


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最終更新日  2016/09/16 06:29:23 AM
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