朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。
≪2015年3月28日≫
「後腹膜平滑筋肉腫」というまれながんになった静岡市の女性(54)は、再発後、東京の国立がん研究センター中央病院で新薬の治験を3年8カ月受けた。病状は安定していたが、2012年5月、薬の開発は中断され、薬は飲めなくなった。
女性は、肉腫の研究をしている大阪府立成人病センターの高橋克仁医師に相談した。
12年中には、悪性の軟部肉腫を対象にした初めての分子標的薬、パゾパニブ(商品名ヴォトリエント)が発売される予定だった。「それまでなんとか抑えよう」。ほかの治験を探した。
高橋さんの勧めで新たに参加したのは、白血病の抗がん剤の適応を広げるための治験だった。女性は東京郊外の病院に入院したが、薬を飲み始めてから1カ月後の8月、腹部に腫瘍(しゅよう)の再発がみつかり、参加は終了となった。
あとは新薬を待つしかない。9月、再発時の手術を担当した大野烈士医師のいる、淵野辺総合病院(神奈川県相模原市)で、3度目の手術を受けた。小腸の周りにできた5センチの腫瘍を手術で切除した。
パゾパニブが発売された11月、高橋さんの診察を受けて薬を処方された。「何とか、生き延びた」。そんな気持ちだった。1日1回服用する日々が始まった。
だが、肺に転移した腫瘍が徐々に大きくなり、肺炎を併発。呼吸困難になった。腹部と肝臓にも新たな腫瘍が見つかった。14年の夏には、肺と腹部、肝臓の合わせて4カ所を一度に切除する大手術も受けた。
現在は小康状態だ。パゾパニブがどれだけ効いているのか、効果がいつまで続くのかは、分からない。だがそれでも普段は症状はなく「病人に見えない」と言われるとうれしい。
これまで、様々な条件や幸運が重なったと女性は振り返る。自宅が東京や大阪に通える距離にあったこと。子どもがおらず、治療に専念できたこと。夫の理解と協力があったこと。そして何より、治療をしてくれる医師に出会え、治験によって命をつなぐことができたこと――。
そのすべてに感謝して、一日一日を過ごしている。
写真:昨年手術を受けた海辺の病院で、ソーシャルワーカーの女性と話す女性(右)=静岡県
私が軟部肉腫(この女性の「後腹膜平滑筋肉腫」ではなく「後腹膜脂肪肉腫」)にかかったとき、ネットで調べて、この「バゾパニブ」の情報にも出会いました。この記事にあるように、すでに承認されていました。
主治医にも聞いてみました。私のがん種に効果があるかどうかは定かではなく、すごい勢いでがん巣が大きくなっていたので、とりあえず標準の抗がん剤「イホマイド」「ドキソルビシン」でスタートしました。
ここに出てくる大阪府立成人病センターに、私は二度セカンドオピニオンを聞きにいきました。一度は、抗がん剤治療を勧められたとき、二度目は抗がん剤治療を終え、残っている腎臓ごとの切除を勧められたときです。
二度目のセカンドオピニオンで、主治医から全く話がなかった粒子線治療の話がでてきました。 結局、残っている腎臓を温存できる粒子線治療を選択して、現在に至っています。
ここに書いてあるように、「肉腫の研究」という点で、大阪成人病センターにセカンドオピニオンを聞きにいったのは正解だったのでしょう。
それから何度も書いてきましたが、まず紹介状と画像データを渡して、それを病院内の関係者で吟味したうえで、セカンドオピニオンを受けるシステムになっており、お金と時間がかかりはしますが、より信頼性のあるセカンドオピニオンになっていると思います。
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粒子線治療で入院していたときも、下記のようにリアルタイムで投稿しました。
http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201503290000/
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