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** 京都市内全寺社巡り 山科区#1-1 **
「京都市全寺社巡り」 3月16日(水)
の歩き・ 山科区1日目の1回目
。
前回で伏見区を踏破したので、この日から山科区となりました。伏見区からの続きで、南から北上していきます。
この日は、ハローワークはなしで、純粋に京都歩きだけでした。
下記のルートは、3月16日の散歩日記に掲載したものの再掲載です。
地下鉄醍醐駅11:40→
・小栗栖瓦窯跡碑・法琳寺跡碑(両者とも伏見区)
事前にネットで位置を確認して出かけたが、今回も発見できず。
・王将醍醐店で昼食
・桜塚(伏見区)
・明智塚(発見できず)
・西向寺
・八幡宮
・宮道神社
・佛光院
・唱玄院
・妙教寺
→地下鉄小野駅 15:30
最初に、以前そして前回と発見できなかった小栗栖瓦窯跡・法琳寺跡碑(両方とも伏見区)を探しました。前回、発見できなかったので、再度チャレンジです。ネットで色々調べ、なかなか情報はないもののわずかですが、より可能性のある情報も見つけましたので。
しかし、三度目の正直も敢え無く敗退。小栗栖瓦窯跡は碑があるわけではないかもしれないので、その近くまでは行っていたとは思いますが。もうこれ以上は追いかけません。
王将で昼食を摂った後、これも伏見区で残っていた桜塚へ。
●桜塚
宇多天皇皇孫雅慶王墓のことをこう呼んでいます。
雅慶は平安時代中期の真言宗の僧。父は宇多天皇の 第8皇子敦実親王の六男。
宇多源氏の一人であるが寛朝僧正のもとで得度し、寛朝から灌頂(かんじょう)を 受けて勧修寺長吏となった。
雅慶は986年(寛和2年)に仁和寺別当、998年(長徳4年)に 東寺一長者兼高野山座主となり、翌999年(長徳5年)には
東大寺別当に任じられた。
桜塚と呼ばれているのは、この周りに桜の木が植えられ ていた事に由来する。
その後、山科区に入り、「明智塚」を探しましたが、発見できず。
明智塚があると思われる近辺の建物。ちょっと強い地震がくればあっという間に潰れそうな建物。
その建物の近くに、あやしい案山子(かかし)のような物体。
この辺り、なんか霊気が宿っているような。
●西向寺
浄土宗の寺院。
●八幡宮
文徳天皇(在位850年-858年)がこの地を鎮護国家の霊場とすべく創建したと伝える。
醍醐天皇
が身を清められたという井戸
金運向上、蓄材の神、 金山彦神、金山彦姫
を祀る。今は石碑と石垣を残すのみ。
太閤灯籠
豊臣秀吉
の遺命により、寺社奉行 前田玄以
が大型の灯籠を奉納したという。
(続きます)
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