ワルディーの京都案内

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2016/07/06
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カテゴリ: 京都のニュース
2016年

「第4回内国勧業博覧会」 を2年後に控えた1893(明治26)年、京都市左京区岡崎で行われた博覧会場建設のための地鎮祭で、祇園祭の山鉾が並ぶ様子を撮影した鮮明な写真が見つかった。写真を購入、分析した穎川(えがわ)美術館(兵庫県西宮市)の八反裕太郎学芸員(43)によると、この地鎮祭に山鉾が出た写真は初めての確認であり、“知られざる山鉾巡行”の一面と言える。山鉾の近代史を捉える上でも注目される。

 同志社女子大で6月に開催された「藝(げい)能史研究会」の第53回大会において、八反学芸員が発表した。写真は2枚あり、それぞれ縦18センチ、横20・8センチ、当時主流だった鶏卵紙を使用していた。縦23・5センチ横28・3センチの台紙には「明治廿(にじゅう)六年岡崎大極殿四回大博覧會(かい)地鎮祭の時地かための為め引出せしの時の寫眞(しゃしん)」との書き付けがあった。

 写っていた山鉾は、後方から南観音山と八幡山、鯉山、浄妙山、北観音山、黒主山で、この年の祇園祭のくじ順とは異なる。判別できないが、鉾の特徴である真木(しんぎ)が4本立つ。後祭の山鉾に真木を持つ鉾はなく、前祭の鉾も出ていたことが分かる。鯉山には現在はない屋根が付き、南観音山2階に羽織はかま姿の囃子(はやし)方が乗る。ガス灯も確認できる。また、山鉾の進行方向に瓦屋根の建物が写り、八反学芸員は金戒光明寺(左京区黒谷)だとみる。

 1890(明治23)年4月8日、岡崎地区で行われた 琵琶湖疏水完成記念式典 に月鉾、鶏鉾、郭巨(かっきょ)山、油天神山の4基が出る絵図は残るが、鴨川を越えた場所で山鉾が写真に写るのは、地鎮祭の2枚だけという。八反学芸員は「山鉾町には大量の資料が眠っている。祇園祭の近代に目を向けるきっかけになってほしい」と話している。


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最終更新日  2019/04/10 04:15:08 PM
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