ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2017/05/26
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テーマ: 京都。(6078)
カテゴリ: 講演会
2017年 5月26日(金)】

 今日は色々忙しく京都の中を歩き回りました。

 午前中
 1)京都アスニー ゴールデン・エイジアカデミー『坂本龍馬と酢屋』聴講
 午後
 2)京都ウエルカムサポータ 伏見稲荷現地研修見学
 3)修学旅行御所下見

 2)は、 こちら 、3)は こちら に投稿しましたので、よろしければご覧ください。

 この投稿では、1)について書きます。

 京都アスニー ゴールデン・エイジ・アカデミーは無料で事前申し込みもいらないセミナーです。今月は大政奉還150年を記念して、それに関連した講演が3回あります。

 今日はその3回目(最終回)で 『坂本龍馬と酢屋』 と題して、 京都 酢屋 十代目 中川敦子氏 による講演でした。


http://hananomichi.at.webry.info/201111/article_6.html





 木屋町の変遷、酢屋の歴史、先祖から聞いた坂本龍馬などのこと、家を守ることの大変さなどお話いただきました。


 いくつかメモから・・・

・享保6年 南山城から移ってきて材木商を営む。290年あまり続く。

・木屋町は今は飲食店ばかりだが、昔は生活の町だった。
 水路(高瀬川)と街道(東海道)が交わるところだった。
 三条通の南に「五之舟入」があり、これが一番大きかった。
 「九之舟入」まであった。

・五代目が幕末のちょっと前。6代目酢屋嘉兵衛が幕末から明治。
 6代目は頭よく、材木商の重要な世話役した。

・今の酢屋は、ギャラリーになっているが、場所は変わらず、
 2階は今より低かった。構えは変わっていない。
 材木商なので、虫籠窓ではなく、昔から格子窓。
 階段は奥にもあるが、表の階段は2階に入りやすいように。

・慶応3年6月9日、龍馬は長崎から船で京都を目指し、その中で「船中八策」を考えた。
 6月15日、京都に入り酢屋に入った。経済、情報、通信の中心は高瀬川沿いだった。
 この2階で龍馬は船中八策の成文化と大政奉還に向けた活動をした。
 6月22日、薩摩と土佐の間で大政奉還を成功させようと丸太町吉田屋で「薩土盟約」が
 結ばれる。
 大政奉還が近づいたと喜んだ龍馬は、酢屋で、6月24日、乙女姉さんに5メートルに
 も及ぶ手紙を書いた。乙女姉さんは身長は173センチ。

・6代目はこの家は決して売るなと言って亡くなった。また、坂本龍馬や
 海援隊志士をかくまったことは口外するなと言った。

・8代目が学校で坂本龍馬がいたことを言って、そのことが7代目の耳に入り、
 8代目が7代目にひどく怒られたということがあった。

・1928年(昭和3年)京都市教育委員会による石碑が建った。
 戦後も8代目は、過去のことについて何も語ることはなかった。

・父は教師になりたかった。しかし材木屋を30歳で8代から継いだ。家を守るのは
 大変なこと。

・ビルにしてマンションにするなどしなおいとやっていけないというような風潮
 だったが、ギャラリーにして、一軒残った木材屋としてやっている。

・大政奉還は武力によらない政権交代。皆が命をかけた。そして慶喜の英断によるもの。


 酢屋を預かる当主ならではの、熱のこもった講演でした。




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最終更新日  2019/06/01 04:06:42 AM
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