つれづれなるままに―日本一学歴の高い掃除夫だった不具のブログ―

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次郎と吾一とデヴィッドと



この差がどこから生じたのか。簡単である。『次郎物語』の方がより「教育的」だったのだ。それは作者の深い愛情に根ざしたものであり、この年になってみればそれがそれがよく分かるのだけれど、当時の自分はただ「うるさい」としか感じなかったのだろう。

ただ両作品に共通しているのは、どちらも「未完の物語」というところである。『路傍の石』は最後まで読むと一層その感が強くなる。『次郎物語』の方は中途半端ではあるが限のよいところで終わっている。第五部まで読了した読者は、次郎の切ない恋の行く末や、暗い時代の波に翻弄されながらも成長していくであろう次郎の今後の姿を、ぜひ作者に書いてほしかったと思うに違いない。

実際、作者も最終的には戦後の次郎の姿を描いた第七部までの執筆を構想していたようである。ただ第五部を書き終えた時、湖人はすでに古希を越えていて、その翌年に永眠した。次郎がその後どうなったかは、各人の頭の中それぞれにある。…

『次郎物語』が完結していれば、それは現在のように青少年の文学としてではなく、ディケンズの『デヴィッド・コパフィールド』のような本格的ビルディングス・ロマンとして鑑賞することが可能だったかもしれない。しかしそれは叶わぬ願いだった。


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