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白 と 青 の 雪 割 草 山の根雪が解けるまで,ニコのなきがらは庭の紫陽花のかたわらに仮埋めにしておきました。そこは、ノラ猫だったニコがはじめてうちの庭に現れ、私の姿を見てあわてて逃げ込んだ場所です。私にあてずっぽうに「シロッ」と呼ばれてそこから喜んで飛び出してきて以来、7年と数ヵ月、ニコは我が家で暮らしました。 そんな縁の場所からニコのなきがらをいよいよ山に移すことになった日、ヒツギを雪から掘り出すと、その跡に雪割草の幼い葉がのぞいていました。花が咲いてみると、ご覧のように、白と青。それは青い目の白猫・ニコの色です。別の場所には、ほかの色の雪割草が咲いているのにです。 ニコとかかわりのある場所に、こういう偶然(?)はなんとも嬉しく、見るたび心が慰められています。
April 10, 2006
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地味だけれど今は目立つ 檀 香 梅 ニコ さくら タマの眠る山にて 4月7日 ダンコウバイは、漢字で檀香梅と書くのに、梅のなかまではないそうです。一説によると、江戸時代の学者が当て字したとか。 ほんとうは、つま楊枝や箸でなじみ深いクスノキ科のクロモジと同じなかまだなんて、タラバガニがカニのなかまではなくてヤドカリのなかまというのと同じようなまぎらわしさ! このダンコウバイ、しかし、枝を割って匂いをかいでみると、たしかに芳香があり、まったくの当て字とはおもえないところがあります。これもつま楊枝や箸にするそうですが、うなずけます。
April 8, 2006
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おととい石材屋さんに、ニコのエンブレムを貼り付けいただいたのですが、昨日電話があって、まだ押さえのテープを剥がさないでほしいとのこと。また急に気温が下がったので、接着剤の乾きがおそいのだそうです。今日一日は、まだそのままにしておこうとおもいます。 とにかくブログ仲間の皆さんにエンブレムをほめていいただいたことを早くニコに報告したくて、お墓のある山に行ってきました。 雑木林の木々は、よく見れば芽ぐんではいるけれどまだほとんどが裸同然です。おかげで日がよく射し込んで、ニコたちの上は明るく暖かそうでした。 山桜もまだ固い蕾です。ふかふかの枯葉の中から緑の葉をのぞかせているシュンランもチゴユリも、まだまだ咲きそうにありません。檀香梅だけが咲いていて、地味なのに目立っていました。 あたりでトンビやヒヨドリが鳴いていましたが、長い冬が終わったことを喜んでいるような、どこか明るく、のどかな響きでした。 山桜の蕾と昼の半月 4月7日
April 8, 2006
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皆さま、ご訪問ありがとうございますおもにインターネットの接続が不安定で、ご無沙汰いたしておりました。まだ完全に復活というところまではいきませんが、調子の良いときをねらって、少しずつ日記を書いていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 ニコの生前のシルエットを彫刻した黒御影のエンブレム by プリンスホームエンジニアリングこのエンブレムをこれから庭のあるところに貼り付けます。次の日記でご紹介したいとおもいます。シルエットをとった写真
April 6, 2006
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おかげさまで、いままで気づかなかった多くの方の善意を知ることができました!
March 11, 2006
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SOS猫ちゃんたちへのご支援等につきましては以下で詳細を―リトルキャッツ http://little-cats.iooo.jp/白猫ちゃん里親募集http://b4.spline.tv/whitecats/ 皆 さ ま へ ☆急ぎの用事がかさなりましたので、ほんのしばらくブログを離れます。もどりましたら、またよろしくお願いいたします。(四季の風)
March 9, 2006
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白猫ちゃんたちのいのち 保健所送りだけは免れたようです!今回私がコピーをさせていただいたnoboさんという方のところで、ようやく新しいコメントふたつに出会うことができました。そこで、どうやら白猫ちゃんたちぜんぶが保健所送りだけは免れたことただし救済なさった方の負担が大きいこと猫ちゃんたちのほとんどがとりあえず8畳ひと間の生活であること里親さんたちが早く見つかってほしいことなどがわかりました。その二つのコメントはすでに昨夜11時近くに書き込まれていたのですが、私はすれ違いで、少し遅くなって気がつきました。皆さまにご報告が遅れてしまったことをお詫び申し上げます。なお今回私のブログを訪問してくださったたくさんの皆様に心から御礼申し上げます。皆さまのコメントを拝見するたび、胸が熱くなりました。さまざまなご事情で、「引き取ることは無理だけれども」とお断りになりながらも、SOSの猫ちゃんたちのことを本気で心配しておられることが、どなたからもひしと伝わってくるのです。私は、今回のことを通して、皆さまから、真の愛犬家、愛猫家の心のあたたかさ・すばらしさをあらためて教えていただきました。どうもありがとうございました! どうか、SOSの猫ちゃんたちに、一日も早く里親さんが見つかりますように
March 8, 2006
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ぜひ、きのう6日の日記をご覧になってください。
March 7, 2006
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ブログ友達のlittle-seedさんのところを訪問したところ、<緊急SOS!!大阪発 nobo9172さん>というリンクを貼っておられました。急遽、私も貼らせていただきました。以下はコピーの一部です。(四季の風365) * * *緊急SOS!!大阪発 期限が迫り切羽つまってます!猫ちゃん達が助かるようご協力お願い致しますm(__)m m(__)m/////////////////////////////////////////////////////////////////////大阪発白猫 22匹の一時預かり、緊急募集です。3月7日までと言う切羽詰った期限付きです。7日以降は、保健所に連れ込まれるそうです。全国に陸送します。オスは全員3歳未満で、8ヶ月から一年の子が多いです。そして全員白猫です。メスは、白黒長毛1匹、黒1匹、グレー白1匹、きじとら1匹、他白猫です。風邪の症状はありますが、基本は丈夫な子です。性格は非常に温厚で大人しいです。他の猫との協調性は十分にあります。駆虫のみしてのお渡しとなります。1匹だけでもかまいません。保護出きる方がいらっしゃいましたら、挙手をお願いいたします。連絡先はリトルキャッツ宛でお願いします。 http://little-cats.iooo.jp/白猫ちゃん里親募集http://b4.spline.tv/whitecats/
March 6, 2006
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老 婆 の メ ル ヘ ン 『 大 誘 拐 』DVD & 文庫本二つの宣伝文句の誘惑 目の前にある二つの『大誘拐』、小説と映画。文庫本の帯には「20世紀傑作ミステリー ベスト10 国内編第1位」とあり、DVDのケースには「それは八十二歳のメルヘンから始まった。身代金100億円を巡るキミョウな五十日間」とある。両方の宣伝文句がひきつけてやまない。どちらを先に楽しむべきか。亀の背それとも兎の背 文庫本の本文は、436頁。DVDの本編は、120分。亀の背に乗っていくか、兎の背に乗っていくか、同時に両方の背には乗れない。最初、小説を読んでからDVDを見ようと決めていた。そのほうが、映画をより深く味わえるような気がしたから。しかし、かぎりなくDVDに手がのびていく。レンタルショップにいくのではない、目の前にあるのである。結局はもう一方の手でぴしゃりとDVDを思いとどまらせて、やはり、小説のほうから先に入ることにした。しかし、小説はどんなに面白くても一気には読めない。面白いとなれば、よけい精読するので、なかなか先にすすまない。4分の1ほど読み進んだころ、ついにDVDの誘惑に負けてしまった。小説の中に映画出演者が… たしかに、映画は面白い。物足りないくらいの速さで、2時間がたってしまった。さて、あらすじがわかってしまったものの、さらに映画にはない細部を楽しもうと小説にもどると、こまったことになった。登場人物という登場人物がすっかり映画の出演者になってしまうのだ。読むそばから、風間トオルが、北林谷栄が、尾形拳が、樹木希林たちが立ち上がってきて、動き回りおしゃべりをする。風貌も声も別のイメージは全然膨らまないのである。ま、それはそれで面白い。風間が違う 読みながら、ちらちら気になることがあった。DVDを見ているときからずっと気になっていたことだが、主犯役の風間が、いまテレビなどでみる彼とは似ても似つかないのだ。いくら十五年前とはいえ、顔の輪郭がまったくちがう。小説にも、主犯は一見美男子風とあるが、ほんとにあごの辺りのすっきりした端正な顔立ち。もう一度DVDにもどってタメツスガメツするのだが、やはり全然似ていない。整形手術でいまの顔になったのだろうか?やがて、待てよと思う。私はこの映画『大誘拐』が製作される以前の映画、『鎌田行進曲』を見ている。その記憶の中の風間は、ちゃんといまの顔の輪郭をしている。やっと気がついた。私は、風間トオルを風間杜夫と勘違いしていたのだ。
March 4, 2006
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大 誘 拐 RAINBOW KIDSDVD(監督 岡本 喜八 原作 天藤 真) & 文庫本(著者 天藤 真) 向かって左から 緒形拳 北林谷栄 風間トオル 私は、だいぶ前から向井敏の大ファンで、この人がいい本といったら、盲目的にいい本と思ってしまう。ある日、二十年前の著作『本のなかの本』をぱらぱらめくっていたら、「痛快無比のユーモア・ミステリー」という見出しに目が留まった。そのひと月前にわが子同然の猫を失ってまだ心が沈んでいたので、痛快無比とかユーモアという言葉には、ひどく抵抗があった。それなのに、どんな本だろうと私はあえて知ろうとした。早くユーモア小説でも読めるような心境にならなければ、と自分で自分を叱咤激励する気になったのだ。それは天藤真著『大誘拐』という本で、向井は、ユーモア・ミステリーの分野では、「わが国がこれほどの傑作を持ったことはなかった」と、手放しで褒めちぎっている。そして、誘拐されたのが、大富豪の八十二歳のおばあさんで、犯人が要求しようとする身代金の額が少なすぎると、彼女のほうからその200倍の額(100億)を要求しなさいと犯人たちに指示 するくだりの文章を引用していた。いつか読んでみようという気持ちになるだろう、とりあえず手元に用意しておこうとすぐに購入。するとおもしろいことに、同じころ偶然、岡本喜八監督の東宝映画《大誘拐》のDVD版の予約が始まっているのに気がついたのである。映画は、原作に忠実に沿っているという。出演は、風間トオル、北林谷栄、樹木希林、緒形拳 等々。十五年前に制作され、大ヒットしたというのだが、当時は興味がなかったのだろう、私はなにも知らなかった。そのためにかえって期待がふくらみ、迷わず予約してしまった。しかし、そのことは、ずっと忘れていた。つい三日前、そのDVDが届いて、ああそうだったと、本のほうも思い出した。つい先日、猫の山への埋葬も無事すんで、胸からだいぶ辛さが引いていった。寂しさだけはどうしようもない。大波小波となって、寄せたり返したりしている。気がつけば、あまり抵抗もなくこのユーモア・ミステリーを読んだり観たりできそうなまでになっていた。
March 1, 2006
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詩的センスと深い洞察力で、いつも静かな感動を与えてくださるwind・JOYさんから、お花のバトンをいただきました。■1.このバトンを回してくれた人を花に例えると? 白いコスモス3S=誠実・清楚・しなやか■2.春の花といえば?梅、雪割草、春蘭、野の菫、桜■3.夏の花といえば?水芭蕉、薔薇、紫陽花、百合、夏椿 ■4.秋の花といえば?コスモス、野菊、竜胆、金木犀、吾亦紅■5.冬の花といえば?クリスマスローズ、山茶花、福寿草、シクラメン、■6.貴方が一番好きな花は?花はだいたいどれも好きなので、一番好きといいきれる花はありません。 ■7.その花のどんなところが好き? ■8.育ててみたいと思う花はありますか?白いクリスマスローズ 、白いアプチロン ■9.お花繋がりで好きな香水がありましたら答えてください特にありません。■10.それでは、最後にバトンを回す三人をお花に例えてみてください。私が知るどの方もお花が大好きそうですので、とても難しいです。どなたか、よろしかったら受け取ってくださいませんか。お願いいたします。 、
February 27, 2006
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ボ ス 猫 ニ コ の 埋 葬ニコの墓 墓標は ニコが遊んだ庭の 小さな石皆さまのコメントと花に囲まれていよいよ土に返っていくニコのなきがら 朝から陽は明るく、とても暖かい。気象情報では、四月上旬くらいの気温になるという。家の周りの雪も日陰を残してほとんど解けた。ニコのなきがらをまもっている、紫陽花の下に積み上げた雪もだいぶへこみゆがんだ。私たちはついこの間まで、仮埋めにしてあるニコのなきがらを山へ移すのは、三月に入ってからだろうと予測していた。大雪と寒波の後遺症でしばらくは山に踏みこめまいと思っていたのである。ニコの四十九日に、夫は山へ様子を見に行って少しニコの墓穴をほってきたといった。途中で太い木の根っこに邪魔されたので中断してきたが、どのみちまだ雪が深くて私などが山に入るのは無理だろうといっていた。そのあとまた雪が降った。それが今日のこの暖かさに、私たちはほとんど同時に思い立ち、同音に「今日にしよう」といって、ニコ埋葬の準備を始めたのだった。出発まえに手紙ニコの墓にいっしょに埋めてやるものは、まず、皆さまからいただいたたくさんのあたたかなコメント(掲示板の書き込みも)。これにさらに、訪問してくださったたくさんの方への感謝を忘れないようにと書いた手紙等々、3通もくわえた。花つぎは花。まだ庭には何も咲いてないので、花屋さんから購入。ひざと手を描くそして、夫のひざの輪郭をマジック・インキでなぞって描いた新聞紙。なきがらの下に敷いてやるためのもので、ニコが、大好きだったお父さんのひざにずっと抱かれて眠れるようにという祈りをこめている。なきがらのすぐ上に掛けてやろうと、もう1枚、新聞紙に描いたものがある。それは夫の両手と私の両手の輪郭である。ニコが私たちに好きなときに撫でてもらえるようにという思いをこめた。ヒツギいよいよニコのなきがらを雪から掘り起こすことになった。夫がスコップと移植ゴテで、少しずつ丁寧に雪をのけていくと、なきがらをおさめているダンボール箱が、少しのへこみもなく、元の形のまま現れてほっとする。「さあ、ニコちやん、いよいよお別れだね」とか、「さくらがとびあがってよろこぶぞ」とか、「ニコちやんの魂は、ここのおうちでいつもいっしょだよ」とか、ずいぶんいろんなことをヒツギに話しかけるのだが、どうしても語尾が涙声になってしまう。雪割草ヒツギを持ち上げると、ヒツギの形なりに黒い土が現れた。雪割草の新葉がつやつや光っている。まるで、ニコを見送るために、顔をのぞかせたかのようだ。山桜の古木 山の切れ端 私は山、山というが、私たちが所有しているのは、名も知らぬ他人所有の広い山に隣接した、ごくごく狭小な雑木林である。県道が通るときにそこだけが半端に切り離されて残ってしまったのを、何の役にも立たないからと私の父がくれたのだ。いわば山の切れ端。私たちはその山の切れ端がとても気にいっている。車で行けば、十分前後の近場にある。狭いとはいえ、傾斜の緩やかな南側で、日当たりがよい。株立ちの山桜の古木が二つもある。栗の木もある。すぐ下が県道だが、いきなり車道ではなく、クローバーの平地があって、バーベキューくらいはゆったりと楽しめる。その脇には、車数台がとめられるようにもなっている。その林の真ん中が、少しばかりテラスになっているところが、またいい。そこに座るとやや北の方角に二千メートル級の山が、木の間から遠望できるのだ。南を見おろせば、県道のさらにその向こうに、村の集落が見える。私たちは、もらってすぐのときから、ここをゆくゆくは我が家の猫たちの墓地にしようと話し合った。それも見た目は、自然のままにして、他人の目には猫の墓ときづかれないような。いい具合に、この南斜面は、我が家の方角を向いている。北枕にすれば、頭が斜面の上になる。なにかと猫たちの墓には好都合だと思った。 そんな話をしてからまさかの速さで、第一号を作ることになってしまった。さくらの墓である。テラスのすぐ上につくった。第二号は、さくらの墓参りに行く途中、農道で、交通事故死し、そのままにされていた捨て子のタマちゃんの墓。タマとは、名無しでは可哀想と、私たちがつけた呼び名である。さくらの墓 タマの墓 北向きに猫眠らせて見あぐれば木の間に透ける残雪清し ホトトギスもコゲラもしたしき林なり南斜面のわが猫の墓 手に足に枝かきわけて猫の墓にかよふ道筋けもの道めく そして第三号がニコの墓。やたら木の根に邪魔されて、穴を掘りすすめるのに夫はかなり難儀した。ようやく墓穴の形が整うと、まず、もってきたお父さんのひざの輪郭を描いた新聞紙を底に敷いた。その上にニコのなきがらを北枕におく。そしてそのなきがらの上に、こんどは私たちの四つの手の輪郭を描いた新聞紙を掛けてやる。それから、皆さまからいただいたコメントの入った色とりどりの封筒をめぐりにひとつひとつ重ねていく。そして、花ばなを―。 ニコを埋葬し終わると、不思議なほど気持ちが軽くなった。清々しくさえあった。もう涙はでなかった。 やがて、ニコの墓のまん前で持ってきたお弁当をひろげた。特別のものではないのに、とてもおいしい。まだ二月だというのにこんなにも好天にめぐまれてよかったとか、ニコはここでも親分かもしれないとか、明るい声でおしゃべりしながら、日がかげるまでそこにいつづけた。
February 22, 2006
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皆様、ご訪問ありがとうございます。またお心のこもったコメントや書き込みをたくさんいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。タケルの誕生日のとても良い記念になります。お返事が遅れて申し訳ございませんが、いましばらくお待ちください。今 日 は タ ケ ル の満1才の誕生日過 去 の お て が らありがとう タケル生後7ヵ月のとき 2005年9月 「あのとき、タケルが知らせてくれなかったら…」と思うと、いまでもぞっとなり、動悸がしてきそうだ。 それは昨年の9月14日の午前のこと。朝の日課が一通りすんで、犬も猫も鳥もみんな、それぞれしずかな休息にはいっていた。と私は思っていた。 庭のタケルがとつぜん吠え出した。サークルのふちにつかまってピョンピョンはねる音もまじる。とにかく騒々しい。いまごろ、トイレの要求はしないし、隣家の猫でも入ってきたのかしらと、とにかく庭に出てみた。 あたりを見回しても何事もない。しかしタケルは騒ぎ止まない。ところが、ふと、塀沿いの路地に眼をやって驚いたのなんの、息が止まりそうになってしまった。 ヒヨドリが、地面できょとんとしているのだ。そばによっても逃げないし、チーちゃんと呼べは顔を向ける。鳥籠を見れば、出入り口が開けられたままだ。間違いなく、うちのチーなのだ。そのころ、鳥籠の出入り口の戸の上げ下げが鈍くなっていたのに、餌をやったあと自然に下りたと思って、確かめなかったのだ。チーは鳥籠を飛び出しては見たものの、いったいどうしたらよいのか、戸惑っているふうだった。 飛翔力の弱い、15才の老鳥である。早く捕まえなければ、猫にやられてしまう。気は焦るが、やさしくやさしく名前を呼びながら静かに静かに手を差しのべていった。が、あっと思った瞬間、チーは塀の上に跳んでしまった。絶体絶命の危機とはこのこと、隣家の猫は2匹、常に放し飼いである。ときどき塀の上にやってくる。 ここで誤解をしないでほしい。私は大の猫好きで、隣の猫たちとも友好的な関係にある。塀の上にいれば、よく話しかけるし、ふだんはどこに入り込んできても、追い払うようなことはしない。隣の奥さんも娘さんも、脱走した我が家の猫を、自分の家にいれて遊んでくれたりもする。 ことこの瞬時ともいえる時の間の出来事にかぎり、心ならずも猫を敵対視しなければならなかったのである。 自分でもびっくりするような大声で、奥の部屋にいる夫を呼んだ。すぐ出てきてくれた。もう、声が出ない。塀の上を指差すのがやっとだった。 夫も度肝を抜かれた様子だったが、落ち着き払って、チーの高さに手を上げ近づけていった。すると、チーはすんなりその手に乗ってきた。 チーは、私がこのブログで連載した『ヒヨドリをよろしく』のなかで、主人公としてあつかった2羽のヒナのうちの片方である。15年前の夏、ついに親鳥がひきとるのをあきらめて私たちに託した、運命の子。私たちは、親鳥との約束を果たそうと、だいじにだいじに育ててきた。無惨な最期にだけはしたくないと、どれほど気をつかってきたことか。最近のチー こんどの夏が来ると16才 いまもチーは、すこし握力が弱ってきてはいるものの、おだやかな日々を過ごしている。タケルのおかげである。うちに来てまだ半年足らずの子供だったのに、あんなに大きな手柄をたててくれたタケル。「ありがとう、タケル、君がうちの子になってくれて、ほんとうによかった!」タ ケ ル の ア ル バ ム か ら美人ブリーダーさんに抱かれて初対面春の彼岸ころ春の彼岸ころ♪♪♪我が家にきたのは、4月1日♪♪♪今日の記念写真
February 17, 2006
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chopperさんから、バトンがまわってきました~♪初めてなので心配ですが、挑戦してみま~す!☆☆☆色バトン☆☆☆Q1:自分を色に例えると?★ピーマン色。ときどきぼんやりしていて、頭が空っぽになるからです。そんな色ないですか?では、いいなおして、ピーマンのグリーン。Q2:自分を動物に例えると?★ガラスのニワトリ。早起きだからです。なぜガラスかですって? それは、煮ても焼いてもくえないからです。Q3:自分を好きなキャラに例えると?★赤ずきんちゃん。野イチゴを摘むの好きだからです。オオカミが怖くないかですか? だいじょうぷ、オオカミのほうが逃げますから。Q4:自分を食べ物に例えると?★お赤飯なにかとおめでたいからです。Q5:バトンをもらった人を色で例えると?★オレンジ色chopperさんは、こんな私にとても優しくしてくださる、太陽の様に心の広い方だからです♪Q6:次に回す人3人を色で例えると?*いんぺっこさん エメラルド・グリーン 熱帯魚や植物を愛するおだやかで優しい方なので *自然薯パパさん スカイ・ブルー 野鳥や野の花を愛する明るくて優しい方なので*juli-tamamiさん ターコイズ・ブルー ハワイや猫を愛する健康的で優しい方なので ○今回は、3人とも男性です。よろしかったら、お願いいたします。
February 15, 2006
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そんなに期待されても…こ ざ く ら は こ ざ く ら こ ざ く ら オス 推 定 月 齢 6 カ 月ニ コ の あ と つ ぎ ? きょうは、ニコの四十九日。部屋の遺影と庭の雪下のなきがらに、新しい生花と大好物だったお刺身を供える。お線香の煙をなるべく絶やさないようにして、 一日たっぷりニコの思い出を語り合うだろう。 さて、この日、なぜこざくらを登場させるのかと首をかしげる方がおられるかもしれない。じつは、こざくらはいま、ニコの後継として、夫が特訓中なのだ。こざくらはニコが逝くわずか3カ月前にうちの子になっている。そしてニコと同じ白猫。ニコにとても慕われた夫は、ニコがいなくなった喪失感をこのこざくらで埋めあわせようとしているのだ。「こざくらは、ニコの命を引き継ぎにきたんだ」これが、いまやニコのお父さんのくちぐせである。特訓といっても、何か特別なことを無理矢理しつけているわけではない。熱烈なねこっかわいがりといったほうが、あたっているかもしれない。「ダメだね、この子はとうていニコのようにはなれそうにないよ」ニコが我が家の猫たちの中でずば抜けて頭のいい子だったことを改めて認識させられながら、それでいいんだいいんだと目を細めている。∞ ∞ ∞さ く ら の 生 ま れ 変 わ り ?拾われてすぐのこざくら さくらというまだ1才そこそこのメス猫を、人間の不注意で死なせてしまったときは、ほんとにつらかった。同じ模様の子猫はいないかと、しばらくは本気で探したほどだ。 公園で、雨に濡れてか細い声で鳴いているという子猫を、飼う、と決心するために、「さくらの生まれ変わり」という暗示を自分たちにかけた。 拾われてきた子は、汚れがひどくて模様があるのかないのかわからない。しかし、地色は白である。白黒のくっきりしていたさくらとは、似ても似つかない。おまけにオスだった。だからといって、公園には戻せない。とにかく、こざくらと命名。世話をするのに、なにかにつけ、「さくらの生まれ変わり」だから、ということを意識しつづけた。初シャンプーで真っ白に (拾われて20日日後) 初めてシャンプーをしてやった時、こざくらのあまりの白さに驚いた。完璧に「脱色したさくら」になった。それからはもう、こざくらを無意識に女の子と思いこんでいることが多くなる。だが、やんちゃぶり、暴れん坊ぶりは、どうみても男の子のものだった。寝台&トイレつき個室お母さん代わりの小雪と ∞ ∞ ∞ 栄 養 第 一こざくら 「この間テレビで見たみたいな(カリカリ)、あんなご馳走(モグモグ)、一度でいいから食べてみたいな(ゴックン)。ここんちって(カリカリ)、いつもぼくたちに(モグモグ)、こんなカリカリとか、缶詰ばっかし(ゴックン)。 たまにはたべたいよ~、テレビで見たみたいなの。…ン?」お母さんの声 「なにいってんのっ。人間様だって、あんなご馳走めったに…(ゴックン)。 そのカリカリ、厳選・栄養たっぷりキャツトフードなのよ。つべこべいわずにだまっておたべっ」こざくら 「なーんでも栄養第一なんだから」お母さんの声 「また、なんか文句いったぁ?」こざくら 「……(カリカリ)、……(モグモグ)、……(ゴックン)」
February 13, 2006
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ブログ仲間の皆様へ感謝屋 根 か ら 凶 器 落 下タタミ半畳大の大穴 その凄まじい音と振動は、家の北側でおきた。あっという間の出来事だった。私は、していた作業をすぐ中断し、居た部屋の北窓を開けた。すぐ目の下の台所の瓦屋根に、いくつもの大きな氷の塊がジグザグに転がっている。その少し左に視線を移してわが目を疑った。ポリ屋根の真ん中に、それは大きな穴があけられていたのである。下に降り、勝手口のドアを押して、ア然となった。一歩が踏み出せないほど、あたり一面が散乱していたのである。さまざまな大きさの氷と角々が鋭くとがったポリ板の破片。蛍光灯の長いガラス管もくだけちっている。 そこは3年前にリフォームしたとき、私の希望で付け足した、勝手口も含め4畳足らずの外の台所だった。使い古したけれど捨てがたかった琺瑯の流し台、小さな冷蔵庫、泥付き野菜などを置く棚、食料のストックや調理道具などをしまっておく戸棚、そんなものをならべている。冬でも水仕事が楽なように、温水がすぐ出るようにもしてある。主婦の私が、日に何度も出入りする場所だった。 またそこは、竹垣で仕切られて中庭にも面していた。狭い中庭だが、私が家でもっとも好きな場所で、冬でもやはり勝手口から日に何度となく出ていく。そうそう、ニコのなきがらもまだこの中庭で眠っているので、いまはなおさら頻度が高い。 繰り返すが、2階の屋根から一気に落下した氷塊がポリ屋根に大穴をあけるその瞬間、運よく私は、その場にいなかった。前回の日記に書いたように、元気なころのニコが子分たちといた部屋で、ニコのための作業していたのである。少し前まで、夫と庭でニコの話をしていて、思い立って、勝手口から家に入り、すぐに2階のその部屋に入っている。もし、直下にいたら、どうなっていただろう。おそらく大怪我をしていたと思う。場合によっては、いのちを落としていたかもしれない。そこで何かしていて、轟音に驚いて何事だろうと顔をあげていたとしたら、と想像しただけでぞっとする。大きな氷の塊は、庭にもあちこち転がっていたから、庭にいてもあぶなかった。一瞬のできごとだったから、よける間などなかったと思う。皆様からいただいたコメントや書き込みがなければ、私はあのときどこにいたかわからない。私はふたたび助けられたのだ、皆様に。しかも今度はいのちを。ニコがつくってくれたご縁の不思議を、いまあらためてかみしめている。2階の屋根から雪崩落ちた氷塊の一部 伊予柑Mと(翌日撮影) 今年は例年にない大雪で、しかも寒波もそうとうなものだった。豪雪地ではないので、雪下ろしの習慣がなく、そのままで平気でいたが、屋根の上でこんな凶器が製造されていたとは…。 春は、ライオンのようにやってくるというが、こんな恐ろしい経験は生まれてはじめてである。
February 11, 2006
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あ る 準 備 作 業やがて 凄まじき音と振動 昨日は、朝から凍みがゆるんで、なんとなく春の予感。屋根からぽたぽたしたたる雪解け水の音が、たえまなくきこえてくる。誘われるように庭に出た。 紫陽花の下の雪の小山のてっぺんにお線香をたてながら、夫にいってみた。「もうじきね、ニコを山に移すの」すると、即まだまだ、という答が返ってくる。今年の雪は記録的だったので、山の根雪は、三月まで融けないだろうというのだ。「じゃ、ニコは、きっとまだここにいたいのね」「そうだよ、そうだよ」といっても先の陽気のことはわからない。いつ、「今日にしよう」といわれてもいいように、もう、あれの準備だけは、しておこうと思った。 あれというのは、ブログ仲間の皆様からニコや私たちにいただいた、たくさんの心のこもった励ましのコメント(掲示板の書き込みも含む)のこと。ニコのなきがらを山に移すとき、あの子にもたせてやるつもりの。アルバムにして私のかたわらにおくのとあわせて二部ずつ、すでにプリントアウトしてある。その数、A4のコピー用紙にしてちょうど計240枚、各組120枚ずつにもなった。一枚がお一人分というわけでなく、複数名なので、のべにしてずいぶんたくさんの方々から励ましのお言葉を頂戴していたのである。ニコの闘病と死を見つめなければならなかった私の苦しみを、和らげてくれた大切な宝物。 通販で封筒とアルバムを注文したが、封筒のほうだけが一昨日とどいている。封筒はあえてカラフルなものを選んだ。千羽鶴や散華や虹の色からの連想だった。そのなかへ、皆様から頂戴した…。 やがて家に入り、ニコが元気なときに二匹の子分たちといたニ階の部屋で作業を始めた。さいわい子分だったカノンとミレンは、はやくも昼寝中で、作業を邪魔される心配がない。二枚ずつ重ねて四つ折りにして、それが少したまると封筒に入れる、それはなんとも感謝と幸福感に満たされる作業であった。 ところが、その作業の途中で、凄まじい音と振動にみまわれるのである。まずは頭上から、ややあって、下方から…。
February 9, 2006
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アーチストは不明 【 ニ コ の い る 点 描 画 】 あれ? あんなところに不思議な足あといやいや 点で描かれたみごとな抽象画もっと高いところでもっと近くで眺めてみようあれ まてよこれはうちの子のニコだわこんな広い雪の田んぼのまんなかにいったいだれが描いてくれたのだろう鴉さん?それとも白鷺さん?そんな白黒なんてどうでもいいわニコの絵であることにはちがいないんだものなになに あなたには猫には見えないって?いやいや ぜったい猫のニコ絵の右上に あおむいてる顔があってさ目はこっちを見ているよえっ あなたには猿の横顔に見えるって?じゃ 絵の下のしっぼを見てみてよニコのしっぽはね太くてさそれに毛にかくれてたけど先っぽはとぐろをまいていたんだよ見たところはあのとおりなんだそれにさニコは白むくだったんだこの雪の色みたいにねどう見たって ニコにきまっているよついでにいうけど目はブルーだったんだきょうの空の色みたいにさねぇ なぜ黙っているの?あらら あなたはまだ首かしげたままあっそうか この世には もう姿かたちのないニコだもの この私にしか見えないのねゴメン ゴメン鴉さんか白鷺さんかはたまたほかのどなたかぞんじませんがありがとう思いがけないところでニコに逢わせてくれてありがとうお日さまに おねがい温泉の帰りにもういちどここにきますそれまでニコをどうか つれていかないで(2006年2月6日)
February 7, 2006
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春 探 し日 帰 り 温 泉 ゆ き か え り木の間に透けて見える二千メートル級の独立峰。深田久弥の百名山の一つ。初夏まで雪が残る。ー 温泉付近からの眺め ー エナガのおしゃべり 今朝はやく、ベッドの中で、チュリリ、チュリリという可愛い小鳥のおしゃべりをきいた。耳を澄ますと、どうやらエナガたちがやってきたらしい。小さな彼らが、まだしっかり閉ざされている冬の扉の隙間をかいくぐって、いちはやく春を告げにくる。今年はまだ立春前なのに。そうだ、きょうは、日帰り温泉に早く出かけてみよう。立春はまだとはいえ、春のきざしが見つかるかもしれない。 昼過ぎ、おだやかな晴天のなかをバスに乗る。やはり乗客は、途中から私一人だけになった。 ハクセキレイを見送る 下りてからの道筋の雪がだいぶ融けていて、三日前に来たときよりも、かなり歩きやすい。日帰り温泉の門を入ろうとすると、ハクセキレイが入れ替わるようにチョンチョンと出てきた。かなり近くなのに、人を恐れるふうもない。立ち止まって、雪の上を尾をふりふりゆくのをしばらく見送った。 私が行く日帰り温泉の施設は、できてから何年もたってなくて、清潔なのが何よりいい。湯殿も広すぎず狭すぎず、とても落ち着ける。午後四時過ぎからはスキー帰りの客で混むというが、昼間だから,バス同様、いつも空いている。そしてこれもときどきガラガラになり、一人でゆったりできる。 子猫の話 ここの湯につかるのはこれで三回目だが、きょう初めて、ひとに話しかけられた。白髪の笑顔がかわいいおばあちゃんで、八十ニ歳だという。このおばあちゃん、なぜだろう、私が一言も猫のことなど口にしないのに、猫の話をはじめる。なんでも、去年の暮れ、かわいい子猫を病気で死なせてしまった。寒かろうとおじいちゃんの毛糸のシャツにくるんで、雪のなかに埋めてやった。雪が深くて、すぐに土に埋めてやることができなかったのだという。聞きながら、いまなお庭の紫陽花の下に仮埋めしている、ニコのなきがらのことを思いだしてしまった。「このあいだ、やっと土が掘れるようになって、深く埋めてやることができただよ。やっと気が晴れた」それは庭続きの畑だという。(ニコもそろそろと思うが、山はまだ無理だろうな)おばあちゃんが、「やっと気が晴れた」という言葉を、何度かくりかえしたのが印象的だった。現在、四匹の猫と暮らしているという。 おばあちゃんは、そろそろ湯から上がろうとする私に、もっとゆっくりしていったらとすすめる。帰りのバスの時間が気になるといったら、あきらめてくれ、「また会おうね」といってくれた。おばあちゃんがいとおしげに話す子猫の、埋葬の顛末にも、なにやら春の兆しが感じられて、心までぬくもった。 川の音 バスの本数がきわめて少ないので、乗り遅れたらたいへんだ。しかし、遅れてくることはあっても、予定時刻より早くいってしまうことはまずない。時間にゆとりがあったので、近くのつり橋を渡ってみた。つり橋といっても簡単に揺れるような代物ではない。かなり長い、均整の取れた堂々とした新しい橋である。見下ろすと、流れの幅はまだ細い。けれど、日の光を優しく散らし、気のせいか、水音も高くきこえる。雪どけ水も混じっているのだろうか。 カラスの影 ふと、輝く雪の上を大きな鳥影がよぎった。カラスだった。平らに広い雪の上を低く飛ぶカラスとそのくっきりした影。残像が離れない。もう一度、その瞬間の光景見たさに、欄干にもたれて待ったが、柳の下のドジョウよろしくカラスはいっこうにあらわれなかった。川風に湯冷めしそうなので、あきらめバス停に向かう。 犬のあくび 道々、白い畑のはるか向こうから、犬の長いあくびの声がきこえてきた。犬も、雪に飽いて春を待ちかねているようだ。 ブルーベリーの根元ブルーベリーの丘バス停近くの、ブルーベリーの丘のすそにもちょっといってみた。どの木の根元も雪がとけて円く土があらわれている。これも春の萌しにみえる。 しかし、このあたりでは、二月はまだ大雪と寒さがぶり返す時季。今朝、我が庭に訪れたエナガのように、やはりまだ、冬の扉をかいくぐってきたケブほどのせっかちな春の萌しばかりだ。それにしても楽しい気分にさせられた、小さなちいさな旅ではあった。 (2006年2月2日)
February 3, 2006
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≪ 巴 里 の 空 の 下 セ ー ヌ は 流 れ る ≫ワン エピソードペ リ エ ば あ さ ん と 猫 た ち,猫たちのミルク代さえなく… ペリエばあさんは、屋根裏でたくさんの猫と暮らしている。次の年金が入るまで、まだ二週間もあるのに、お金も食べるものも底をついてしまっている。もちろん猫たちにやる餌もない。ごみ箱あさり後のノラ猫のほうが、よほど幸せそうにみえてしまう。ペリエばあさんは自分の猫たちにいう、「おまえたちの餌が空気だったらいいのにね」街へ出て、何とかお金の工面をしようとするが、みんなつれない。金持ちそうな紳士や淑女さえ、猫のミルク代わずか64フランを恵んではくれないのだ。 なんとなく気になるのは、八百屋のおかみさんが店先で、ダンナの目を盗んで七歳の娘のポケットにお金を押し込んだシーン。「帰りにミルクを買ってくるんだよ」別に、それ以外何もいってないけれど、なんか期待してしまう。おかみさんは、64フランを貸してくれとペリエばあさんにいわれて、ツケがたまっているから、と断ってはいるのだが…。∞ ∞ ∞ この半世紀も前につくられたモノクロームの名作映画、《 巴里の空の下セーヌは流れる 》は、プロバイダーが無料で提供してくれている。パソコン画面でいつでも見られるという気楽さに見はじめたのだが、じつは、全部見おわるのに、何日もかかってしまった。見始めてしばらくすると、用事ができたり眠くなったりで、いったん一時停止や停止のボタンをおす。しかし、次に続きを見る時は、最初から見直さなければならなかったからだ。早送りのボタンがみつからなかったばっかりに。 ゆるやかにはじまる、パリのたたずまいと登場人物の紹介。ペリエばあさんたちのほかに、鋳物工とその家族や友人、地方から出てきた二十歳そこそこの娘とその友人、その友人の恋人の医者、そしてモンマルトルの屋根裏に住む孤独な彫刻家…。どうやらこの彫刻家が殺人鬼らしいのだが、それぞれのエピソードが見え隠れしながら、どう本筋に結びついていくのか、皆目わからないまま、また最初にもどって見直す。復習するので、登場人物の顔や名前、おかれた情況だけは、はっきりしてくる。そんななかで、ペリエばあさんと猫たちが最後にどうなるのか、せめてそれだけでも知りたいと思うようになった。いつのまにか、それこそが、この映画をあきらめないエネルギー源になっていたのである。 そしてついに、偶然、早送りのボタンを表示する小さなボタンを発見。今まで見たところは、五倍速で飛ばして、ようやく、この物語の全容をつかむことができたのだった。最初、ばらばらに見えた個々のエピソードが、それぞれ伏線をもっていて、見事にみんな本筋とかかわりあっていたのである。見ごたえ十分、名作といわれる所以がわかった。 ∞ ∞ ∞ それでは、お目当てのペリエばあさんと猫たちはどうなったか。 ペリエばあさんは、ひょんなことから、八百屋の母娘に感謝されるところとなり、大きな胸のおかみさん一抱えの、ミルクや肉などをプレゼントされるのである。
January 31, 2006
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雪 降 り に 夕 日 昨日、初めてひとりで、わが町に隣接するK村までいった。に入るためである。 正月早々、凍りついた道路で転んで、左手を少し痛めてしまった。手をついた瞬間は、息が止まるかと思うほど痛かったが、幸い骨折はしなかった。そのかわり、痛みは、転んだときにはなんでもなかった腰や肩にまでおよんで、ひとくちで言えば、からだのそこら中が痛むようになってしまったのだ。温泉の薬効を頼みに、ニ三日おきにしばらく通うことにした。 まで送り迎えしてもらえば、時間はたいしてかからないのだが、それではつまらない。私はあえてバスを選んだ。最近のバスは、出勤・登校と退勤・下校の時間帯を除けば、いつ乗ってもどこへ行くときもがらがらに空いている。客は私一人なんていうときも少なくない。それに、バスの窓からの眺めは乗用車の助手席からのそれとは、どこかちがう。バスは大きく迂回するので時間がかかるが、その分、なんとなく小さな旅気分が味わえるのだ。 さて、初日の昨日は、出掛けに用事ができて、家を出るのが予定よりだいぶ遅くなってしまった。それでも、乗ったバスは、思ったとおりガラガラ、気分上々で小さなちいさな旅は始まったのである。 ところが、停留所名につられて、うっかり目的地のひとつ手前のバス停で降りてしまったからたいへん。やっと見つけた人にたずねれば、までこの雪道だと三、四十分は歩かなければならないという。山村のバス停の間隔は、市中と違って長いのはわかっていたが、三、四十分とは…。 しかたなく歩き始めたものの、人家はすぐに途切れ、おまけに雪も降っている。急に心細くなってしまった。しかし、とにかく歩かなければならない。からだが痛いのなんのとは言ってはいられない。 歩きながらふと見ると、舞う雪の向こうに赤いものがボウとかかっている。眼を疑った。太陽である。まぎれもなく、雪降りに夕日なのだ。幻影のようなその眺めに、しばらく何もかも忘れて立ち尽くしてしまった。 それにしても、いい道連れができたものだ。その夕日に気をとられとられ歩いているうちに、いつか、家々のつらなる広い道に出ることができた。目ざすは、それをまっすぐ下ったところにある。道は、除雪の雪が不ぞろいで、いよいよ歩きづらくなったけれど、やはりどこか小さな旅気分。 雪降りに夕日を見ることができたことを、幸運に思っている。
January 27, 2006
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忘 れ ら れ な い 話ニコの形見の首輪とリードを見ながら、思い出した話イラスト by JUSt HOMEMちゃんのこと 都会に住んでいたころの話なので、もうだいぶ前にさかのぼる。 ある初夏の夕方、買い物帰りに緑歩道を通り抜けていると、中型犬が人なつこく近づいてきた。頭をなぜてやると、品のよい年配の女性が私にあやまりながら犬のリードをぐいぐい手繰り寄せようとする。 私は、その心配はいりません、犬が好きですからと言って、さらに犬のほうへ身をかがめた。茶色のすこし毛足のながい洋犬で、手入れのよさがひと目でわかる。 そのことをほめると、女性はすごく嬉しそうな表情になって、「実はこのMちゃんね、ノラ犬だったのよ」といった。驚く私に、彼女はさらに話をつづけるのだった。 元の飼い主が戸建てからマンションに引っ越すさいに、置き去りにしてしまった犬だということがあとでわかるのだが、とにかく、女性が近くの空き地で初めて見たときは、もう薄汚なくて、ひどく哀れをさそったという。 彼女は、愛犬に死なれたとき、あまりにつらくて、もう二度と犬は飼わないと決めていたが、やはり放ってはおけなかった。空き地に段ボール箱の寝床を置いてやり、こっそり餌を運んでやるようになったという。 ところがある朝、空き地に行ってみると、待っているはずの犬がいない。段ボール箱もない。彼女は、いちばん心配していることがおきたと、すぐにピンときた。 保健所に電話をかけると、それらしき犬が管理所のほうに来ているという返事。すぐにタクシーをつかまえて確かめに言ったところ、間違いなく探している犬だった。 犬は女性を見ると、しきりに尻尾を振り、立ち上がって喜んだという。それが、Mちゃんの幸せな生活の出発点だった。 ある首輪とリードの向こうに さて、そのとき、係員さんが親切でいってくれたことが、実は、犬好きの彼女には、すごくつらい思いにつながった。 係員さんに、その犬を連れて帰るのに首輪とヒモが必要でしょう、ここに下がっているどれでも好きなのをもってっていいですよといわれて、壁を見ると、いろいろな首輪とリードがぶら下がっている。 見ているうちに彼女は涙があふれて仕方なくなってしまった。どれもみんな飼い主たちに、ここへ連れてこられるまで、犬たちがしていた首輪とリードなのだ。 係員さんも彼女の涙に気がついて、本音をポツリともらしたという。自分もつらい、腹が立っている、無責任な飼い主に飼われた犬の末路は、本当に可哀想ですよ、というようなことを。 女性は、断るのは悪いと思って、サイズが合えばとにかくどれでもけっこうですからと、首輪とリードを一組とってもらい、Mちゃんを抱きしめるようにして帰宅したという。 その一組の首輪とリードは、とても捨てることができず、ずっと供養し続けていると女性はいった。もちろんその首輪とリードの向こうに見えてくる、たくさんのかわいそうな犬たちのために供養しているのだということが、私にはわかった。
January 25, 2006
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綿 入 れ と お そ ろ い中にニコの首輪とリードが入っている 叔母は、綿入れの共布で、小さな袋も作っておいてくれた。それを見たとき、以心伝心で私の思いが彼女に通じたのか、と驚いてしまった。というのは、ニコの首輪とリードを入れる何か格好の入れ物はないかと、ずっと探していたところだったのだ。 ニコは白むくだったので、どんな色も似合ったが、首輪とリードは、青い眼の色にあわせて、ずっと、青にしてやっていた。最後に使っていたものは、かなり色もあせ、くたびれてもいたので、そろそろ買い換えてやろうと思っていた。買い換えるときは迷わず青と決めて、青、青、青と探しまわったものだ。しかし、もうその楽しみもなくなってしまった。 主を失った首輪とリードを、むき出しのまま見るのはとてもつらいことだった。不透明なビニールの袋に入れて、ニコの霊前においていたが、大切な形見を粗末にしているようで、何とかしなければと、これもまた見るのがつらかったのだ。 叔母のところから我が家に帰って、さっそくニコの首輪とリードをその袋に入れてみた。大き過ぎず小さ過ぎず、ころあいではないか。おまけに、私の綿入れとお揃い。嬉しくなって思わず頬にもっていくと、中で鈴が小さく騒いだ。耳に近く聞くその音は、まるで「ボクは、ここにいるよ」「ずっといっしょだよ」と私にささやいているようだった。
January 24, 2006
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九 つ の 猫 の お 手 玉 以前、叔母に、我が家の猫の数だけ猫のお手玉を作ってもらったことがある。7匹いたから7つ。 どの猫がどのお手玉というわけではなかった。しかし、ニコが死んでしまうと、なお7つあるのが哀しかった。といって、6つにするのは、よけい切ない。でも、死んでしまったニコの分をいっしょにおくなら、もうひとつ加えたかった。ニコより前に、幼くして死んでしまったさくらの分も。 今回、叔母のところにいったら、その願いが早くも叶った。誰にやるあてもなく作っておいたというのが3つあって、そのうちの2つをもらってきたのである。そう、1つでなく2つ。 1つ余分のようだが、それは、タマちゃんの分。タマちゃんというのは、うちで暮らした子ではない。さくらの墓参りに行く途中、農道で車にひかれたままになっていた捨て子だった。タマちゃんと名づけて、「さくらの友達になってよね」とか、「ふたりならさみしくないよね」とか、話しかけながら、さくらと同じ山桜の下にそのなきがらを埋めてやったのだ。 余分にあったお手玉を見て急に思いついたなんて、タマちゃんには申し分けないけれど、そういうわけで、猫のお手玉は9つとなった。七 つ の 猫 の お 手 玉 猫好きの私のために、親戚のTおばさんがつくってくれた特製のお手玉7つ。我が家の猫の数といっしょである。 Tおばさんは、昔はお裁縫が得意だったけれど、いまは、年のせいで眼が悪くて、あまり大物は縫わない。気の向くままに、お手玉や巾着袋などの小物を作っては、人様にプレゼントしている。もう数え切れないほどこしらえたという。 特にお手玉は、老人ホームの人たちに人気があるという。Tおばさんは、自分でも年寄りなのに、「ホームのおばあさんたちはね、なつかしがって、すぐ手にとって、イチバンハジメハイチノミヤー♪ってやりだすんだって」と眼をほそめる。 外国人にもよろこばれ、Tおばさんのお手玉は海を越え、オーストラリアやインドにももらわれていったという。 素朴ながら日本の伝統的な玩具であるお手玉は、とんと影が薄くなってしまったかにみえるが、こんな風にまだまだ息づいているのである。 Tおばさんは、私に猫のお手玉を手渡しながら、そして渡してからも、くどいほどいうのだった。「眼が良く見えないから、縫い目がそろってないよ。みんなちがう顔になっちゃったよ」 私もそのたんびおなじ言葉を繰り返すのだった。「おばさん、私はそのほうが好き。だってうちの猫たち、全部ちがう顔しているもの。おなじだったらつまんないわよ」2005年10月の日記より
January 22, 2006
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手縫いの綿入れ純綿の純和風ホームコート 黒猫モモも女の子、興味あるのかな? この間、叔母が電話で、「○ッちゃんの綿入れつくったけど、どうする?」と聞いてきた。ワタクシメ・○ッちゃんは、嬉しいやら、びっくりするやら。「綿入れって、半てん?」「半てんよりもっとあったかいよ。前が重なるから」 叔母のいうのには、今年みたいに寒さがひどいときは、綿入れを着るのが一番だと、思い立って私にも作ってくれたのだという。 叔母のお裁縫は、何から何まで手縫いである。いくら昔とった杵柄でも、視力の衰えたいまの彼女にとっては大仕事ではなかったか。そう思うと申し訳なさが先にたってしまう。「で、どうするね?」 叔母は、誰か家の者に届けさせるか、宅配業者を頼むか、それとも私が行くか、三者択一をきいているのだ。 だけど彼女は、私の答えを知っている。 叔母は、声も顔も思い出話も、亡き母を彷彿させるこの世で唯一のひと。晴天にめぐまれた昨日、バスを乗り継いで片道一時間かけ、久しぶりにその叔母を訪ねたのだった。
January 21, 2006
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大 雪 と 寒 波 の な か で 思 う こ と 母親気分でこざくらと遊ぶ小雪 ノラ猫の知恵 これほどひどい大雪と寒波に見舞われると、ついノラ猫たちのことが気になってしまう。といっても、どのあたりのどの子とはっきり顔が浮かぶわけではない。暖かい寝床と食べ物にありつけないで凍えているであろう、不特定のノラ猫たちのことを思ってしまうのだ。 犬の散歩から帰った夫が、公園では雪に横穴をほり、その中で丸くなって寒さをしのいでいる子がいたという。晩秋には、吹き寄せられた落ち葉の中にもぐって眠る子の話をよく聞くが、雪の中というのは初耳だった。 今、我が家でぬくぬくと暮らしている小雪も、じつはいまと似たような大雪と寒さのなかで出会った、ノラ猫だった。さきおととしのクリスマスの翌日のことである。 「 ヘ ル プ・ミ ー ! 」 名前は、小雪。からだの模様からすれば、まだら雪とか吹雪のほうが似つかわしかったかもしれない。でも、女の子だから、と深雪か小雪に絞って、けっきょく小雪に決めた。深雪もかわいい名だが、人に多くつけられている。猫を呼んだはずなのに、誰かひとを振り向かせたら申し訳ない。 雪にこだわったのは、この子の運命に雪がまつわっていたからだ。 2003年のクリスマスの夜から翌朝にかけて、町は、まれにみる大雪に見舞われた。近くの川沿いの車道は、除雪が後回しになって、夕方になっても徒歩でやっと行き来できる状態だった。 そんな道をスーパーマーケットへ向かって歩いていると、いつどこから現れたのか、つかず離れずついてくる猫がいる。私たちが立ち止まると猫のほうも立ち止まり、私たちが歩きだすと猫も歩きだすといったぐあいだった。 情が移るからかまってはダメだ。心の鬼の出番である。すでに我が家には、六匹の猫がいる。これ以上飼うのは、もう無理なのだ。 しかし、私の心の鬼は、肝心なときにしらばくれてだんだん狸寝入りをはじめるしまつ。どうやら夫のほうも同じらしかった。どうしても、その猫を追い払うことができないのだった。 猫はとうとう、スーパーマーケットの入り口近くまでついてきてしまった。明るい灯の下でよくみると、猫はガリガリにやせていた。まだ子猫のようだが、その顔つきはかわいいどころか、とがってなんだか恐ろしくさえ見えた。 そそくさと買い物をしながら、気がつけば、猫缶をひとつ買い物籠に入れていた。店の外に出たときに、もしあの猫がいなかったら、うちの猫にやればいいと思いながら。 店の外に出ると、猫はちゃんと待っていた。というより、人影がほとんどないので、誰でもいいから頼ろうと思ったら、さっきと同じ人間だったというところかもしれない。 物陰で、缶詰を与えると、感極まった声を上げながらまたたくまに平らげてしまった。そして、また私たちの帰り道を、今度は、ぴったりとついてくるのだった。 私たちが立ち止まると、猫は凍り始めた雪の冷たをさけるためか、前足を交互に地面から離すしぐさを繰り返す。これをみて私たちの頼りない心の鬼は、ついに熟睡状態にはいってしまった。 とりあえず縁側にダンボール箱の仮小屋を作って、湯たんぽを入れてやった。が、私たちが中に入ってしまうと、ガラスにへばりついて、何かを訴えるように鳴きつづけるのだつた。 そこで、先住の猫たちに試して、もう飽きてほうってあった、猫の気持ちがわかるという×××リンガルを近づけてみた。 驚いたことに、液晶画面に浮き出た言葉は、「ヘルプ・ミー」だった。それまで、気まぐれな答えを出す、猫好きのための”あてにならない玩具”くらいに思っていたが、このときばかりは、すごい器械だと、恐れ入ってしまった。 「ヘルプ・ミー」といわれても、ノラ猫はどんな病気を持っているかわからない、すぐ家の中に入れるわけにはいかなかった。ただ名前だけは付けてやった。 あくる朝、小雪が水のような下痢をしていることに気がつき、動物病院に連れていった。衰弱がひどいので、このままだと命の保証はできないといわれ、即入院ということになってしまった。 小雪は一週間ほどで退院したが、命はとりとめたものの、おなかの具合が相変わらず悪かったため、けっきょく家の中で面倒を見ることになった。 プラスチックの大型キャリー・ケースにいれられた彼女が、そこから出してもらえるのは、食事と薬と掃除のときだけだった。そんな生活が、えんえん春先まで続いたが、彼女はよく耐えた。 かくして、うちの子になった小雪に、いまもう一度、×××リンガルを近づけてみたら、果たして、なんと出るか。今日(昨夏)写したこの写真をながめていると、「小雪、いまはとっても幸せよ」といってくれそうだが…。 (昨年七月の日記・補記) いまは幸せ 昨夏の小雪
January 14, 2006
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『 十 三 匹 の 猫 と 哀 妻 と 私 』 著者 古川 薫 カバー絵 和田 誠 1991年刊キャッチフレーズ 新直木賞作家の 猫と人間との温かいふれあいを描く 愛猫・愛妻ものがたり猫いじめと後悔 この猫を題材にした私小説風エッセイを初めて読んだのは、十数年前だった。そのころうちではまだ猫は一匹も飼っていなかった。ましてや将来、何匹も飼うことになろうとは想像すらしていなかった。 ではなぜ読んだのか。 ひとに読め読めと、半ば強引にすすめられたのである。 後味は、あまりよいものではなかった。本全体からすればわずかしか触れてないことなのだが、著者が猫虐め、つまり動物虐待をしたときの文章が、一番強く印象に残ってしまったのだ。看板にいつわりあり、と思ったほどだ。 その本を、いままた取り出したのは、著者の猫虐めの後悔のほうもあわせておぼえていたからである。 いま私は、ニコを意識的に虐めた記憶がないことに、救われている。 死の病をえてしまったニコを見つめながら、私は心のなかでよくこういっていた。「ニコちゃん、おまえをこんな病気にしてしまったのは、もしかしたら、お母さんにどこか手落ちがあったからかもしれない。だけど、ニコちゃんを虐めようと思ってしたことは何一つないからね。何をやるにも、みんなニコちゃんによかれと思ってやってきたことばかりなんだよ。だから、許してくれるよね」 もし、ニコを意識的に虐めていたら、と思うとぞっとする。すると、いまごろになって、著者の後悔のほどが、つらさが、よく理解できるような気がしてきて、この本を読み直してみたくなったのだ。 実は愛猫家 ほんとうは、この本は、猫への愛で満ち満ちているのだった。「後悔したってはじまらない!」と著者を嫌悪した、当時の自分の単細胞加減が恥ずかしくなってくる。 甚五郎という猫の臨終の場面など、わがニコと重なって涙があふれて仕方がない。本文から、すこし引用してみよう。 彼は、私に何かもの言いたげだった。「捨て猫のぼくを、きょうまで育ててくれて感謝します」 そう言うつもりだったのだろうか。そんなことよりも、私こそ、「ありがとう、本当にありがとう」と、甚五郎に伝えたかったのだ。 私は、甚五郎のなきがらのそばで、そのまま朝を迎えた。 著者のこんな言葉も、今の私には、心に染み入る。 愛するものの死によって、すべてが帳消しになるわけではない。深い悲 しみの記憶と同時に、生きる喜びを共有したころの思い出が、真珠のようなにぶい輝きを放ちつづけるのもたしかであろう。
January 13, 2006
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カマキリは知っていた ! 上を見ても下を見ても雪と氷 この冬は、例年になく大雪である。 リンゴ園の人が興味深いことを話していた。カマキリの卵が、いつもより40センチくらい高いところに産み付けられている。しかも、どの木の卵のうも申し合わせたようにほとんど同じ高さにあるという。 生物の予知能力はいろいろ聞くが、カマキリもたいしたものだ。去年の秋には、この大雪を予想していたというのだから。 カマキリのことを、あの拝むような格好から人は「拝み太郎」というけれど、あのポーズは、はるか先の天気を占っているように見えなくもない。「占い太郎」といってもよさそうだが。早口ことば 雪の量が多いばかりではない、寒さも今年はことのほか厳しい。あちこちにアイス・バーンが隠れていて、転ばないように転ばないように歩かなければならない。そんなとき、自然に口をついて出たのが、「降って止んで融けて凍って滑って」という言葉。幸いまだ転んではいないが、「転んですってん」まで入れたら、なんとなく早口ことばみたいになった。ついでにカマキリのも作ってみた。降って止んで融けて凍って滑って転んですってん 大カマキリ小カマキリ青カマキリ茶カマキリニコの思い? 市街でこの雪と寒さである、やがてニコのなきがらを埋める山はさぞかしたいへんなことになっているだろう。車で行けばすぐそこだが、雪の量も寒さも半端ではないはずだ。 根雪が融けるまで、ニコはアジサイの下にとどまっていることになるかもしれない。なんだかニコの意思がはたらいているような気がしてならない。でも、あの山桜の下には、どうしてもそこでなければならない理由があるのだ。ニコならきっと喜んでいってくれると思う。
January 8, 2006
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今年もどうぞよろしくお願いいたします四季の風 昨年はいろいろありがとうございました 空から皆様のお幸せをお祈りしていますニ コより 【ねこ中心生活】のchopper氏作 訪れてくださったすべての皆様、どうもありがとうございました。このたびいただいたコメント(BBSの書き込みも)はすべて二部プリントアウトして、一部は、ニコのなきがらを山桜の下に移すとき、感謝を込めていっしょに埋めさせていただきます。そのときは、またご報告いたします。
January 1, 2006
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皆様 どうもありがとうございました 我が家の一員・ボス猫ニコの闘病と看病をあたたかく見守ってくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。心から御礼申し上げます。100パーセント助からないといわれてしまったニコのいのち、それを見つめながらの毎日は、正直とてもつらいものでした。最後まで、なんとか冷静にがんばれたのは、ひとえに皆様の励ましのおかげと、感謝せずにはいられません。 ニコが、まったく何も、水さえも受けつけなくなってしまったとき、私たちの意見がすこし揺れました。せめてもう一度、ニコを獣医さんのところへ連れて行きたい、という夫。その気持ちは、痛いほどよくわかりましたが、私は反対しました。 私には、ニコをニコがこの世で一番好きだったお父さんのかいなのなかで死なせてやりたいという、夢があったのです。外では、雪がしきりに降っていました。動物病院へ連れて行ったら、今度こそニコは生きては帰ってこないような気がしました。 夫が折れてくれました。彼は、電話で獣医さんに私たちの決断を話したあと、ニコの細い腕に常に刺してあった点滴用の針を抜いてやりました。なんだかニコがとても楽そうに見えました。 それからのニコは、いつも私たちのどちらかに見守られていました。 夫は、つとめて、ニコを自分のひざに乗せてやるようになりました。お父さんのひざにいるときのニコは、とても落ち着き、安心しきった表情をしているのでした。しっかり意識を持っていて、おとうさんが用事で部屋を出て行くと、しばらくは後をおいたそうにドアのほうを見ているのでした。 24日の夜、ニコがよく可愛がり、いつも従えていたカノンとミレンに、最後のお別れをさせようと、2階から二匹をニコの枕元につれてきました。するとボスは、ウォーとしぼりだすようにひと声あげ、なんと、半身をおこしたのです。どんなにか嬉しかったのでしょう。どんなにか、またみんなといっしょの部屋にもどりたかったことでしょう。私たちは、こらえてもこらえても、涙があふれて仕方ありませんでした。 25日もニコの呼吸は、ふしぎなほど落ち着いていました。私たち二人が同時に見守っている時間が長くなりました。 私は、これでいいんだ、ニコはしあわせに死んでいけるのだと思いました。ニコがこれから歩いて行く道の両側に、四季の花がいっぺんに咲き乱れ、小鳥のさえずりもきこえてくるような光景が、頭の中に浮かんでは消え浮かんでは消えするのでした。 26日、この日は、ついに永別の日となるのですが、息を引き取る瞬間は、夫ではなく私の腕の中でした。 そのとき、夫は、ニコがいる部屋の窓の外で、灯油タンクに灯油を注いでいたのです。ひざに抱いていたニコをおろして、出て行ってじきでした。ニコが倒れて以来、夫は、ニコに風邪をひかせまいと部屋の温度と湿度にそれはそれは気をつかっていて、このときもそうだったのです。 ニコは、お父さんが自分のために、灯油を入れてくれる音を聞きながら、息を引き取っていったのでした。まだ、自分を抱いてくれていたおとうさんのぬくもりを感じていたはずです。 ついに大きな奇蹟はおきませんでしたが、この最後の3、4日は、ニコのいのちに小さな奇蹟がおきていたような気がしてなりません。 いま皆様に、ニコちゃんは幸せだったといっていただけて、こんなに嬉しいことはありません。 それでは、私たちを支えてくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。どうか、そろってよいお年をお迎えくださいませ。皆様のおしあわせを心からお祈りいたしております。 四季の風 私たちは、ニコがもう一度我が家の子になりたいと、もどってきたときのために、ニコにIDカードを持たせてやることにしました。たとえ、猫の姿で現れなくとも、私たちにこのカードさえ見せてくれれば、「ああ、間違いなくニコちゃんだ。よくかえってきたね」とすぐに抱きあげてやることができますから。 ☆皆様からいただいたコメント☆ 皆様お一人お一人のコメント一言一句に、あたたかなお心がこめられていて、たいへん慰められております。 ニコの日記を書き始めて以来頂戴したすべてのコメントを二部ずつプリントさせていただき、一部は、ニコの墓に埋めてやることにいたしました。 ニコが土に返ってゆく墓は、家から車で数分のところにある小さな山の南斜面の山桜の下です。しかし、今、雪が多いのと厳しい寒さとで、掘ることが困難なため、しばらくは庭に仮埋めということになり、昨日、いかにもあたたかそうな布になきがらを包んで、雪の中にねかせてやりました。 そこは、12月11日の日記にも書きましたが、ニコがやせこけ汚れた姿で初めて現れ、私の姿を見て、あわてて逃げ込んだアジサイの下です。できるものなら時間を逆戻りさせ、もう一度ニコとの日々をスタートから繰り返してみたいという思いをこめて、あえてその場所を選びました。 プリントのもう一部は、私どもがいつでも拝見できるように、手もとに置かせていただきます。 皆様にたいして、ただただ、感謝でいっぱいです。 四季の風 ★これからも皆様のあたたかなコメントをお待ちいたしております★
December 28, 2005
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思い出眼 が 青 い か ら「ボクは、このおうちから逃げっこないのに…」 6年前 たとえ外飼いであっても、「飼う」と決めたとたん、ニコはもう野良猫返上である。すぐに首輪を新調してやった。ニコは白むくなので、どんな色も似合うが、眼が澄んだ青なので、首輪もおそろいの色にした。 秋風が肌に冷たくなってきて、ニコは、ようやく縁側の子から、家の中の子になった。 飼い主としては、より責任を感じるようになる。特に近所迷惑にならないようにしなければならない。それで今度は、リードを用意した。その色も、眼の色に合わせて、青にする。 ニコを庭に出だすときは、このリードでつなぐのだが、みじめな放浪よりもましなのか、彼はすこしも嫌がらなかった。それどころか、戸口で、首輪とリードを振ってみせると、はやくはやくと催促の甘え声を出すのだった。 いまのニコ ニコは、12月26日午前11時18分、永久の眠りにつきました。暖かく励ましてくださった皆様へ、後ほどあらためてご挨拶申し上げます。
December 26, 2005
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思い出ニ コ の 幸 せ 「ボクのお父さんだもん」 スキン・シップ ニコは野良猫だったが、非常に人なつこかった。人の話では、うちへくるまでは、三か月ほど、近所をうろついていたという。おそらく、それまでは飼い主がいたのだろう。 うちで飼うことに決めたものの、しばらくは、家の中に入れなかった。ニコにとっては、家の中に入れてもらわないがぎり、不安だったのかもしれない。私たちが庭に出ると、異常なほどスキン・シップを求めてきた。 ベンチでお茶を飲んでいると、人の間に割り込んできて並んで座る。庭で草むしりをしていると、背中に乗ってなかなかおりない。 特に夫の背中が好きだった。そして、夫のほうもニコにそうされるのが、たまらなく嬉しいらしく、草むしりの間中、ニコを背中に乗せていたこともある。 ニコのいまゆめうつつ 23日けなげ ニコはもう、私が何を食べさせようとしても、口にしなくなってしまった。澄んだスープも、スキムミルクも。そして水さえも、いやがるのを無理やりスポイトで与えるしかなかった。 これでは肝心の薬を与えることができない。二種類あるが、どちらも食後なのだ。 それではと、夫がかわった。彼は、マグロの刺身とゼリー状の缶詰のはいったふたつの小皿をスプーンで軽く鳴らしながら、ニンゲンの子をあやすように、何度かニコによびかけた。私はおそらくダメだろうと、おもった。 ところが、ニコは、ゆっくり口をあけたのである。そして、わずかではあるが、夫が与えたマグロもゼリーもなんとか噛んで飲み下したのだ。 私は、冗談半分に思った。ひょっとしたら、ニコは、自分をとってもだいじにしてくれた大好きなお父さんの言うことを聞かないと悪いな、とおもって食べたのでは、と。 冗談ではなく、それを確信させるようなことが、このあとすぐに起きた。 これで薬を与えられると、ほっとしたのもつかのま、ニコがひどく苦しそうに嘔吐を始めたのである。夫が口に入れてやったものは、すべてもどしてしまった。 やっぱり…。あまりのけなげさに、涙があふれてニコをみていられなくなってしまった。 ニコの呼吸が速くなってきた。「もう、だめかもしれない」と夫が言う。私もそう思った。 やがてニコは、すこし呼吸は落ち着いたものの、ひどくぐったりしてしまった。 もう動物病院には連れて行かないで、残された時間をできるだけ、いっしょにいてやろうと話し合った。
December 23, 2005
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思い出ニ コ の 宿 敵畑の向こうの家にFが…なつかしんでいるのかも 今夏 ボス猫・ニコが、リードをはずされて真っ先に走って行く場所は、家の東側の軒下通路。小さな畑をはさんで真向いにある家が、気になって気になって仕方がないのだ。私たちの監視がなければ、フェンスをよじ登ってでも、つっ走っていくだろう。 その家には、ニコの宿敵・独眼のFがいた。このFとは野良時代から取っ組み合いの喧嘩をしていたというニコだが、我が家の飼い猫になってからも、脱走はほとんど、Fがらみである。 そもそもFの勢力範囲をニコが侵したのだ。ニコのほうが、おとなしくひけばいいものを、地面が白くなるほど大量の毛が抜けても、歯がかけても、絶対に屈服しなかった。 Fはもう3年前に老衰で死んでいる。でも、私たちにはそのことをニコに伝えるすべがない。獣の鋭い本能をもってしても、見ていない死を感知することは難しいのだろうか。今日もニコは、Fを気にして畑の向こうを見ている。 いや、何もかもわかっているのかもしれない。許せない相手だったけれど、いまはなんだか、懐かしい奴、と思っているのかもしれない。ニコも齢をとったから…。☆ 上は、今年書いた日記です。もうニコのこんな姿が見られなくなるのですから、私にとっては大切な記録です。年をとったといっても、ニコはまだ推定9歳、人間でいえば、まだ五十代前半だそうです。いまのニコ「もう」 と 「でも」ニコのお気に入りのバッグ 19日お気に入り 朝はやく、降り積もった雪のなかに犬のタケルを放してやると、大はしゃぎだ。首まである雪もなんのその、まだ生後10ヵ月の四肢をうつくしく躍動させる。「ニコにその元気をすこし分けてやってよ」と心の中で何度もいう。 そのニコは、また何も食べなくなり、呼んでも反応が鈍い。このあいだは大好きな出窓に、いつのまにか自力でいって驚かせたのに、そこにいきたいという意思表示すらみせない。 もう動物病院へ連れていくのはやめて、このまま静かに眠らせてあげよう。ニコもそれをいちばん望んでいるのかもしれない。 でも、もしかしたらニコはまだ生きようとしているのかもしれない、とも思う。 ニコを見守りながら、私たちは「もう」と「でも」のあいだを揺れ動いていた。 と、私たちの会話のさなか、ニコがとつぜん、「うるさくて、ねむれないよ」とでもいうように、のっそり動き出した。そしてもぐりこんだのがキャリーバッグ。 このキャリーバッグは、ニコのお気に入りなので、好きなときに入れるようにとねどこと並べておいてある。 私たちは同時に、これで決まりだね、という顔をし、うなづきあった。 こうして、せめて、もう一度だけ先生に診ていただいて、あとで後悔のないようにしようということになったのである。ザンカのつぼみモミジの枯葉2005年12月19日雪の中のつぼみ ニコはお気に入りのバッグに入れられて、車に乗せられた。 その車が出て行くのを格子戸で見送り、もどりしなに何気なくサザンカの上の雪をすこし払いのけると、赤くかたいつぼみが顔を出した。 ニコはこれが開くまで生きていてくれるかしら? 動物病院には、ニコが危ないときは、すぐ知らせてほしいとプライベート用の電話番号を控えてもらっている。午後、そのプライベート用の電話が鳴り出したときは、「ついに」と受話器をとる手が震えた。しかし、間違い電話だった。 ニコは、日帰り入院を無事を終えて、また我が家へもどってきた。 動物病院で、点滴の最中にほんのすこしだが、缶詰を食べたという。でかけるときより、眼もしっかりしている。 私の顔をじっと見て、何かをねだるように鳴いてくれた。
December 20, 2005
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思い出ニ コ と 子 分 た ちミレン ニコ カノン ニコが我が家に来てから一年後にカノンが、そのまた一年後にミレンがやってくる。この三匹はみんなオスで、最初からいたモモだけがメスだった。 四匹は、しばらくの間、全部いっしょに仲良く遊んでいた。 しかし、いつのころからか、モモだけが孤立してしまう。 気がつけば、ニコはいつもカノンとミレンを従え、カノンもミレンもすこぶるニコに従順だった。そして、モモはといえば、オス三匹に意地悪く追い回され、追い詰められ、家具や欄間などの高みでうなり声をあげながら人の助けを待っているということが多くなっていく。 猫の豹変というのもへんだが、ニコは気遣い猫から、堂々たるボス猫に見事化けてしまったのだ。内庭の カノン と ニコ光線のかげんで、いかにもボスっぽい顔に柿の木の ニコ と ミレン遠くの山々にまだ雪があるころ 4年ほど前 ニコのいまし っ ぽ も ほ そ る2005年12月16日 ニコのしっぽ ニコのしっぽは独特である。ボスにふさわしく、なんとなくライオンのしっぽに似ている。付け根からまっすぐ骨をたどるとその先っぽは、とぐろを巻いている。全体にそのしっぽは、ほかの猫に比べてかなり太かった。 一昨日、驚いたのなんなの、そのしっぽが、出窓にひいたカーテンの下からたれさがっていたのである。 私がうたた寝しているまに、ニコは自分で出窓にあがったのだ。それまでは、抱いてやらなければ、あがれなかったのに。それほどまでに外が見たいのだ。それにしても、衰弱しているからだのどこからそんな力が出たのだろう? しっぽにそっと触ってみた。それから握ってみた。肉が落ちてすっかり細くなっていた。しつぽも体のいちぶなのだからあたりまえのことなのだが、そのときは、しっぽもいっしょにやせ細るということにショックをうけてしまった。 昨日は、点滴で動物病院に日帰り入院させたが、報告では、入院前に計った体重が100グラム増えていたという。そのあとの言葉が、がっかりさせる。体重が増えたのは、どうやら、また腹水がたまり始めたあかしらしいというのだ。 覚悟はしている。だから一喜一憂はしない。 病院から帰ってきたニコは、マグロの刺身をほんの少し食べ、私が作った無塩の野菜スープの澄んだのをほんの少しのんだ。そのあと、私は思わず「えらいっ、ニコ」と発してしまった。 カリカリ、つまりドライフードを口に含んだのだった。噛み砕けなくて、みんな、口から出てしまったが、ここ何日もまったく食べようとしなかったカリカリにも口をつけたのである。 感動を抑えるのにやっとだった。というより、抑えられてしまうのだ。死病というレッテルのなんと、わずらわしく、いまいましいことか。
December 17, 2005
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【思い出】ニ コ と モ モニコの立場 モモは、ニコを喜んで迎えた。彼女は生後一か月くらいのとき土手で拾われ我が家にやってきた子で、二年間、ずっと一人っ子で育ってきた。ニコの推定年齢も2才だったから、同い年同士である。とてもよい遊び友だちがやってきたと思ったにちがいない。 モモを庭にだしてやると、ニコはすぐによってきた。どう見ても、ニコのほうがモモに気をつかって下でにでている。じゃじゃ馬からとつぜんパンチを食らっても、仕返しのかまえすらみせなかった。 秋風が肌に冷たくなったころ、ニコを家の中に入れてやることにした。二匹は家中を遊び場所にして、ほとんどいっしょにいた。でも、ニコは相変わらずモモに気を使っているふうだった。 あるとき私は、二階で遊んでいるかれらを階下から呼んだ。階段の一番上に、ニコだけが姿を現した。モモの気配がいっこうにない 私は、階下にいたまま、モモの名をよびつづけた。いくら待ってもモモはあらわれない。「ニコちゃん、モモちゃんはどうしたの?」ニコは、モモがいるはずの部屋のほうを見た。まるで、「モモちゃんは、そこにいるよ」とでもいっているように。やがて、ニコが姿を消した。 そしてふたたび階段の上にニコが現れたときには、おどろいたことに、かたわらにモモの姿もあった。ニコは「お母さんが呼んでるよ」とでもいって、モモをつれてきたのだろうか。 二匹は、モモのほうが先になって階段をおりてきた。 そのまま、二匹はますます仲良くなっていくかに見えた。 しかし、一年後、そして二年後、ニコによく服従する二匹の子分ができて、形勢は逆転する。ニコは、堂々としたボスになり、一方モモはといえば、孤立してしまう。 【ニコのいま】 『 ず ー っ と ず っ と だ い す き だ よ 』 ハンス・ウィルヘルム(えとぶん) 久山 太市(やく) 2005年12月14日のニコ 私の12月9日の日記を読んだでくださったnami3323さんが「ハンス・ウィルヘルムの『ずーっと ずっと だいすきだよ』という絵本を思いだしました」というコメントを書き込んでくださった。 タイトルはそのままニコにたいする私の気持ちと一致する。絵本ということだが、なにやら大人も癒されそうである。 ネットで探すと、一両日中に届くという新本がみつかり、即注文。2日後にはもう手にすることができた。 犬といっしょにそだったぼくだが、じぶんの成長とは反対に、犬のほうはとしをとっていき、ついに別れを迎える。悲しかったが、ぼくにはすくいがあった。それは、犬に「ずーっと、ずっと だいすきだよ」と毎晩いってやっていたからだ。一口で言えば、内容の中心はそんなところだが、思い出の数かずをほのぼのとしたタッチの絵がつたえ、思ったとおり、癒される。 私はこの絵本を、かたわらで死の病と闘っているニコに、ささやくような声で読んでやった。ときどき、エルフィーという犬の名前のところをニコにかえて。 「ニコは、せかいでいちばん、すばらしい猫です」 「ニコはかいだんものぼれなくなった」 飛ばして読んだところもある 「あるあさ、めをさますと エルフィーがしんでいた。 よるのあいだに、しんだんだ」 私も朝、ニコのねどこをのぞくのがこわい。だから、ニコとできるかぎりいっしょにいてやろうと、夜もソファーで寝ている。 心の中ではいつも思っていることだけれど、私もこんどからもっと声に出していってやろう。「ニコ、ずーっとずっとだいすきだよ」「ニコ、とってもとってもいい子だよ」「ニコ、どこにいってもいっしょだよ」 気づいたのだが、こういうことを声にだすときは、相手をだきしめるようにして、じっとみつめるものだ。ニコも「わかってるよ」といいたげな眼を向けることがある。
December 15, 2005
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ニ コ は 縁 側 の 子【 サ イ レ ン 】 ニコは、最初に餌をもらったその日から「ボクはここのうちの子にしてもらうんだ、ぜったいに」と決めてしまったらしい。私たちが庭に出れば、どこからか現れ、大きな甘え声を出して寄ってきた。その声があまりに大きいので私たちはそれをいつの間にか「サイレン」と呼ぶようになった。 朝庭に出るのが遅いと目覚ましのサイレン、外出から帰ってくるとお帰りのサイレン…。猫嫌いの人なら、耳をふさぐかもしれない。でも私たちには、たまらなく魅力的なサイレンだった。その声を何時間も聞かないと、心配し、さみしくなった。 やがて餌だけのつもりが、外で飼ってやろうということになる。夏だったので、縁側に寝場所を作ってやった。どんなにか嬉しかったのだろう。人が縁側に腰掛けると、おんぶしてというように、背中に甘えかかってきた。「ボクもうぜったいにはなれないからね」といっているようだった。 だいぶたってから、とうとう家の中で飼うことになるのだが、それからのニコは、あまり大きな声は出さなくなった。甘え方もそれほど極端ではなくなった。どうやら私たちは、「どうしても、ここのうちの子になりたい」ニコの作戦にひっかかったらしい。 陽を浴びてうとうと 9日2005年12月10日 9日、窓の外を見ようと眼を見ひらき、やがて陽を浴びて気持ちよさそうにうとうとしはじめたニコ。 そのニコの様子を見て、私たちの迷いは消えた。まだ生きられるかもしれない、動物病院へ連れて行こう。また点滴をしてもらおう。腹水も抜いてもらおう。少ない腹水を抜くと、腸をいためる心配があり、抜けないでいたが、もう限界だろう。 それらは、けしていたずらな延命措置ではないと判断した。 10日、日帰り入院でほとんど一日中を病院で過ごして、ニコは無事帰ってきた。おなかがへっこんで、見るからに小さくガリガリになったが、なんだか楽そうだ。 報告を聞くと、腹水はどろどろのが800cc以上、熱は40度を超えていたという。苦しかったはずである。食欲が出なかったはずである。
December 12, 2005
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「シロッ」と呼べば ニコが我が家に来た日の月日は、いつでもすぐいえる。7月23日。「な・に・さ」と覚えておいたからだ。 縁側に出るガラス戸を押すと、見たこともない薄汚い猫が庭にいて、まさに逃げ腰になっているところだった。もう一歩出ると、腹ばうようにまっしぐらに逃げ出し、花の盛りの過ぎたアジサイの陰に隠れた。しかし、それ以上逃げようとはしない。痩せこけた尻を向けたまま、何かこちらの出方をうかがっている様子だった。 その汚さから、野良猫とすぐわかった。雄か雌かわからないが、どこから見ても成猫である。早く出て行ってくれればいい、と思う反面、餌探しにうちへやってきたと思うと、追い払うのにしのびなかった。 汚いがしかし、どうも白猫のようだ。それで私は、ためしに、「シロッ」と小さな声で呼んでみた。すると、その野良猫は、もうほとんど反射的に、ウンアーというような声を上げて私のそばまで寄ってきた。 頭をなでてやると、からだをすり寄せてくる。「よしよし、ちょっとまっててね」 家には、二年前から飼っている黒猫のモモがいたので、猫用の餌は十分あった。 ドライフードを近づけると、悲鳴にちかい声を上げてくらいついた。がつがつ食べるのだが、そのあいだ中、感極まったような声をだしていたのをおぼえている。 思えば、あれからもう7年数ヶ月の歳月が流れたのだ。 2005年12月9日のニコ 朝からまったく何も食べなくなったので、もうだめかもしれないと思った。スポイトで、薬を混ぜたスキムミルクを与えるが、これだけでは、もつはずがない。 からだに触ると熱がかなりあるようだ。腹水のほうは、どんどんたまっていくばかりだ。上から見ると、その腹はまるで空気の抜けた水入り風船である。別個の痩せこけたニコがそれを押しつぶしているかのように、両脇に大きくはみ出していた。 このまま、息を引きとるのを待てばいいのか、それとも、動物病院に連れて行くべきか、私たちは、何度も話し合い、迷った。肝心のニコにきいてみようがない。身の置き所がないというように、ときどきからだの向きを変えるが、そのあとは、耐える様子でじっとしているばかりなのだ。 ニコの好きな出窓に、南の陽がさしてきた。よく脱走した外をみせてやりたくなった。抱きかかえて、ガラスのそばにおいてやった。すると、なんとニコは、窓の外に顔を向けた。そして、眼をしっかりとみひらいたのである。名前を呼ぶと、力ないが、こちらを向いて返事もした。ニコは、からだに陽を浴びて気持ちよさそうに見えた。それを見ていて、私たちの迷いは、消えていった。
December 11, 2005
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私が一番好きな、 ニコの写真<七年前のニコ>> この子は眼ばかり大きい、やせこけた野良猫だった。それがうちの子になって、食べるわ食べるわ、それは食いだめするかのようだった。そうしていつの間にか、別猫のように太ってしまう。 ただ、かわいそうばかりで、餌をほしがるだけ与え続けたことを猛省したのはいうまでもない。 眠っているニコの後ろにあてがってあるのは、犬の顔型の座布団。 (2005年6月16日の日記より)2005年12月8日のニコ 腹水がどんどんたまってきているので、一見やせているようには見えない。しかし、よく見れば、顔も肩も背中もガリガリになってきている。栄養がみんな腹水のほうに流れていってしまうらしい。 あんなに食べた子が、今はほとんど自分からは食べようとしない。スポイトで、スキムミルクを飲ませる。そのとき、インターフェロンも混ぜてやる。 ニコが一番好きなのが、マグロの刺身。これも食べなくなったらお手上げだと思う。それが、今日は、鼻先に持っていっても、顔をそむける。三日前からニコ用にと分け、パーシャルにいれてすこしずつ食べさせていたのと、同じものである。 もっと新鮮なのだったらどうだろう? もしやと思い、スーパーで、おろしたばかりの赤身を買ってきてもらった。するとどうだろう、新鮮なのを部屋の遠くから見せたとたん、重い体を上げて、かぼそいけれど催促の声を上げるではないか。 調理バサミで薄切りにしては、口に近づけてやる。おいしそうに、ほんとうににおいしそうに食べた。わずかだけれども。
December 9, 2005
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なぜ?なぜ?なぜ?年に一度、必ず予防注射をしていたのに、家の中で飼っていたのに、ニコはなぜ死の病に侵されてしまったのだろう。混合ワクチンを接種すれば、万全と思っていたら、まれに予防できない病気もあるという。ニコは、そのまれな病魔にみいられてしまったのだ。 12月7日のニコ自分から食べようとしなくなったので、午前10時から、午後7時まで、動物病院に点滴など依頼。点滴が終わる10分前に、自分から、肢の針を抜き取ってしまったそうだ。家に連れ帰ると、マグロの刺身2切れ、このところまったく口にしなくなっていたカリカリもすこし食べる。1日2回飲ませるようにと病院で渡されたインターフェロンの粉末を今夜より与えはじめる。S字形爪とぎで爪をすこしといだ。しかし、あまり音は立たない。
December 7, 2005
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皆様へ お久しぶりです。今日より、日記を再開いたします。もう少し古い日記の整理・保存をしてからと思ったのですが、どうしても書きたいことができました。また、よろしくお願いいたします。 今日のニコ 我が家のボス猫ニコが、今日、動物病院で、とうとう死病の宣告をうけてしまった。「かかったら必ず死ぬ病気」「この病気にかかったら長くても一年」先日来、ニコを連れてふたつの動物病院にいき、それぞれの名獣医に、それとなく「かもしれません」といわれていたので、すこしは可能性をおそれていた。が、精密検査の結果「100%まちがいない」といわれてしまった。ニコがうちの子になってから、7年と数ヶ月。推定年齢は9歳と数ヶ月である。
December 6, 2005
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皆様へ私の日記、今日でちょうど半年になりました。この辺でちょっと休憩したいと思います。実は、私の身体ではなく、パソコンのほうの調子がだんだんおかしくなってきました。容量不足もしきりに訴えます。これまでの日記の整理・保存、パソコンの切り替え等々が終了しましたら、またもどってまいります。忘れないでくださいね。どうか皆様、お元気でお過ごしください。四季の風365
November 30, 2005
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白 い エ プ ロ ン 白いエプロンは、幼い少女やフランス人形などによく似合う。我が家のモモも女の子。このときは、まだ1才にもなっていなかった。それでモモにも白いエプロンをかけてみた、というわけではない。この日、モモは避妊手術を無事終え、3日ぶりに動物病院から帰ってきた。傷口を護るために、白いガーゼをエプロンのようにあててもらって。「まあ、白いエプロン、モモちゃんかわいっ…」といいかけて息をのむ。 その白いエプロンの、わがモモに似合うの似合わないのって! どっちかって? 私は、モモが可愛くてたまらないから…。で、どっちかって? ま、ご覧になってご判断を。「モモちゃーん、ちょっとこっち向いてぇ」 「はーい、なーに?」現在のモモ 9才
November 28, 2005
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テ レ ビ で 見 た ご 馳 走 こざくら 「この間テレビで見たみたいな(カリカリ)、あんなご馳走(モグモグ)、一度でいいから食べてみたいな(ゴックン)。ここんちって(カリカリ)、いつもぼくたちに(モグモグ)、こんなカリカリとか、缶詰ばっかし(ゴックン)。 たまにはたべたいよ~、テレビで見たみたいなの。…ン?」飼い主の声 「なにいってんのっ。人間様だって、あんなご馳走めったに…(ゴックン)。 そのカリカリ、厳選・栄養たっぷりキャツトフードなのよ。つべこべいわずにだまっておたべっ」こざくら 「なーんでも栄養第一なんだから」飼い主の声 「また、なんか文句いったぁ?」こざくら 「……(カリカリ)、……(モグモグ)、……(ゴックン)」
November 27, 2005
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ラ イ カ の ふ て 寝 ライカにとって、小雪は特別な存在だった。妹のような、恋人のような。それが、「あいつ、そう、あの白い子猫が来てからというもの、あいつの子守ばっかりしていて、ちっともボクのほうを…」と、今日もライカのボヤキがきこえてくる。
November 26, 2005
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こ ざ く ら は こ ざ く ら もう猫は飼わない飼えない、といいながら、いつの間にか七匹にもなっている。公園のそばに住む者の宿命とさえ思えてくる。だが仕方なしとはいえ、飼ってみると、どの猫もみんなかわいい。しばらくすると、もう誰が欲しいといってもやりたくない、と言う気持ちになる。といっても、欲しがるひとなどめったにいないのだが…。さくらというまだ1才そこそこのメス猫を、人間の不注意で、死なせてしまったときは、ほんとにつらかった。同じ模様の子猫はいないかと、しばらくは本気で探したほどだ。公園で、雨に濡れてか細い声で鳴いていたという子猫を、飼う、と決心するために、「さくらの生まれ変わり」という暗示を自分たちにかけた。拾われてきた子は、汚れがひどくて模様があるのかないのかわからない。しかし、地色は白である。白黒のくっきりしていた さくらとは、似ても似つかない。おまけにオスだった。だからといって、公園には戻せない。とにかく、こざくらと命名。世話をするのに、なにかにつけ、「さくらの生まれ変わり」だから、ということを意識しつづけた。 写真は拾ってすぐのこざくら 初めてシャンプーをしてやったとき、こざくらのあまりの白さに驚いた。完璧に「脱色したさくら」になった。来春には、去勢手術をする。性転換だね、なんて冗談をいう人もいる。それも私たちが、しょっちゅう「この子は死んださくらの生まれ変わりでね」というからなのだ。こざくらを無意識に女の子と思いこんでいることが多かった。ところが最近のこざくらのやんちゃぶり、あばれんぼうぶりは、どうみても、男の子のものだ。やがて、「さくらの生まれ変わり」という視線から開放され、こざくらはこざくらとして、白いオス猫以外の何ものでもなくなっていくことだろう。 写真は2か月たった現在のこざくら
November 24, 2005
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落ち葉の公園にて遠くの連峰が真っ白になり、冷え込みが本格的になってきた。犬小屋のほうは、すでに発泡スチロールと断熱シートをつかって、魔法瓶状態にしてあるので、問題はない。だが、犬の飲み水の器には、もう、二日連続で氷が張ってしまった。昨日の朝のことだが、タケルと公園に行くと、イチョウの葉がしきりに降っている。タケルにとっては、生まれてはじめて浴びる落葉の雨である。不思議そうに木を見上げつづけているのだった。今日はもう、その光景をみることができなかった。タケルの影はどーれだ?タケルの立ち木ポーズ
November 22, 2005
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さ よ な ら、 別 府 ふたたび防波堤へ三泊四日の旅の最後の朝。ホテルのチェックアウトまでの時間を、私はもう一度、防波堤のほうに歩いてみることにした。もしハマさんにあえたら、昨日のお礼を言おう。おかげで、うみたまごや高崎山で楽しい時間を過ごすことができました、と。もしかしたら、テトラポットに住んでいるというクロという猫に、あえるかもしれない。昨日の日曜、白い帆がいくつも広げられて、とてもまぶしかったヨットの溜り場は、今朝はもう、眠っているように静まり返っていた。平日の朝のせいだろう。何かに、高崎山は別府湾を引き締める役目を果たしている、と書いてあったが、画家の梅原龍三郎は、この風景をこよなく愛し、「高崎山」という絵をのこしているという。輪郭が単純で、絵に描けば、これほど簡単な山はないだろう、と素人目には思えてくる。それだけに、この山は私の眼にもいつの間にか親しくなっているのだった。しかし、もう、今朝でみおさめである。 ハマさんの影法師昨日の道を防波堤まで行くと、テトラポットに向かって猫の名を呼んでみた。やはり、よそ者の私を警戒するのか、何の気配もない。そろそろホテルにもどろうとしたとき、なんとハマさんが影法師と一緒にやってきた。自転車の前と後ろに釣り道具一式をくくりつけている。うみたまごと高崎山はいったかと、ハマさんのほうから、訊いてきた。このハマさんに出会わなかったら、私はうみたまごにも高崎山にも行かなかった。いや、そのまえに、観光客のあまり流れてこない、この防波堤へ続く道へ折れてこなかったら、ハマさんと会うことはなかった。いやいやその前に、ホテルで、海に面した部屋がとれていたら、私はおそらく、そこからぼんやり海を眺めていただけだろう。そうして、それに満足して、別府の旅は終わりだったろう。別府にくるまでは、別府は私の頭の中では、海と温泉の街というイメージしかなかった。しかし、実際は、人口十二万の多様な貌をもった都市である。私が見ることのできたのは、そのごくごく一部分でしかない。でも、これからは、別府という文字を眼にしただけで、別府にいろんな興味が湧くことだろう。訪れることができなかった名所旧跡、見ることができなかった有名無名のたくさんのものへ。 別府紀行 おわり
November 21, 2005
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【 旧 別 府 市 公 会 堂 】別府市中央公民館(旧別府市公会堂)の2階の窓辺にうみたまご(大分マリンパレス水族館)と高崎山自然動物園に遊んできた帰り、別府駅近くの書店で『別府懐かし物語』という面白そうなムックを見つけ、ホテルでの時間つぶしにと購入してきた。 この日一日よく歩いたので、温泉に浸かった後、すぐ眠りに落ちそうだった。が、『別府懐かし物語』をぱらぱらめくっていて、最後のほうで、はっとなって、眼がさえてしまった。「レトロ建築めぐり」と題されたなかに、前日私が行ってきたばかりの別府市中央公民館が、立派な建築遺産として取り上げられていたのである。「気品あふれる外観、柱の模様や外装に使われているスクラッチタイル、音響空間として計算されたホールの天井、月夜と星をテーマにしたステンドグラス…」そしてこの建物は、「ノーベル賞受賞式後、晩餐会・舞踏会が行われるストックホルム市庁舎をモデル」にして、昭和3年に竣工していると紹介されているのだ。うかつだった。何も調べないで、ありふれた公民館だと思ってやってきた。見てすぐは、なんだかやけに古ぼけた建物じゃないの、という印象がした。お会いした前館長さんが、二言三言、この建物について何かおっしゃったような気がするが、私のほうは、ここへやってきた本来の用向きのほうに気をとられていて、建物への興味など示す余裕はなかった。あわててカメラを取り出し、昨日撮ったところを順繰りにみてみたが、建物自体への興味で撮ったものなど一枚もなかった。確かにここを訪れたという、代理人の証拠写真のようなものがいくつかあるだけだった。明日は、もう帰らねばならない。無念をかみしめながら、ようやくベッドにもどった。建築遺産・旧別府市公会堂のファサード
November 21, 2005
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【 ボ ス 猿 ゴ ル ゴ 】 相撲でも横綱は一番あとから、にならい、この猿寄せ場の日記の最後には、ボスを登場させることにした。このボスの名は、ゴルゴ。オン歳27で、人間で言えば、90歳にもなるという。餌のサツマイモをこぼしこぼし食べるのも、しっかり老人力が身についていることのあらわれだろうか。飼育係のひとが、マイク片手に、もういつお迎えが来てもおかしくないとか、このボスと一緒に写真を撮ると福をよぶとか、長生きできるとか…。私が一人で来ていることを察知したのか、その飼育係の人が、ボスと並んだところを撮ってあげげましょう、と声をかけてくださる。私は喜んでカメラを渡し、親類のおじいさんのようだとおもいながら、ゴルゴの横に立った。一人旅は、自分が映った写真をあまり残せない。このご親切のおかげで、かけがえのない思い出の写真を一枚ふやすことができたのだった。
November 20, 2005
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