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老犬が側溝から助け出されたのは、一週間前のことでした。あの日、夫は午後になって今度は車でその犬を預かってくれている農家に出かけていきました。バールを借りたお礼と犬用の缶詰やカリカリを持って―。自分が中心になって犬の救助にかかわった以上、”あとは知らん振り”という気持ちにはなれないのです。私にも、完全にはホッとできないものがありました。農家の女性が、犬を預かってくださるときにおしゃったという「動けるようになるまでなら...」という一言が気になります。じゃ、ワンちゃんが動けるようになったら、どうなるのだろう、といろんな想像をしてしまうのです。動けるようになったら、また放浪しなければならないのだろうか?そうなったら、今度こそ野垂れ死にしてしまうのでは?いや、その前に保健所に…?このまま飼ってもらえれば、それほどありがたいことはありません。夫は、「あの奥さんはほんとにやさしそうだから、それはダンナさんしだいだろうな」といいます。ダンナさんが帰宅して、その老犬を見たら、果たしてなんて…?「可哀想な犬だ、このままずっと面倒みてやろう」といってくださるだろうか?それとも、怒り出して…?夫の報告は、どちらでもありませんでした。ダンナさんは、まだ戻ってはいなかったのです。犬は広すぎる立派な犬小屋で寂しそうにポツンといました。「すこし元気になったみたいだったよ」老犬の本当の落ち着き場所を見届けるまで、毎日、タケル&ギルとの朝の散歩は、同じコースにするという夫。私もそうしてほしいと思いました。夫は、ほんとうに翌日の朝も2匹を連れて老犬に会いにいきました。次の写真はそのときの一枚です。元気になりつつはあっても、まだよく動けません。ああ、冷たいだろうに、オシッコをしてもその場に…!この日、私たちは暇さえあれば、老犬の話をしていました。犬の救助に協力してくれた上に、その犬をともかく預かってくださった農家の女性。この人の老犬にむける眼差しはまこと温かいそうで、犬が動けるようになったからといって、簡単に追い出すような人でないことはわかります。 やはりダンナさんの出方が、老犬の運命を大きく左右するのでは…?天気予報も気になります。明後日あたりから、寒波がくるというのです。できることなら我が家で飼ってやりたい。でも、すでに犬2匹、猫6匹、それに兎も1羽いて、二人とももうこれ以上生きものは飼えないということがわかっています。二人は心の中に、「もうだめ、飼うのは無理」という鉄棒をもった鬼を住まわせているのです。ところが、夫がこんなことをいいだしました。「タケルがやけにあの犬のことを気にするんだよな~」主人が犬小屋に入って老犬のフンのしまつなどをしている間も、おとなしくしていて、さぁ、帰ろうといっても、なかなか動こうとしないで、じっと老犬のほうを見つめたままでいるというのです。ギルもタケルにならって、おとなしくしているそうです。つまり夫は、これならその老犬をわが家へ連れてきても大丈夫といいたいのです。実は私も、離れて心配しているくらいなら、いっそその老犬をうちに連れてきて最後まで面倒みてやったらどうだろうか、と思うようになっていたのでした。ここまでくると、お互いの心の鬼を追い出すのは、簡単でした。たちまち、その老犬を我が家に連れてくることに決定。それにしても、犬はいくつくらいなのでしょう?相当年をとっているようだし、そうは長くは生きられないかもしれない。そのときがきたら、山で眠っているニコとサクラの近くに埋葬してやろう。それまで、精一杯幸せに過ごさせてやろう。私たちは、どのみち市内に動物保護センターができたら(目下、この話は進展していません)、そこでボランティアをするつもりでいたので、これもその一環と思えばいいのです。「そうと決まれば早いほうがいい。明日にでも、動物病院で診てもらって、そのまま連れて来よう」と夫。 明くる日は、つまり老犬が側溝から助け出されて三日目。夫は、まず老犬を預かってくださっている農家の方にこちらの決心をつたえてくるからと、タケルとギルを連れて、いつものように朝の公園をつっきっていきました。彼らを見送りながら、どうか、ワンちゃんが無事待っていてくれますようにと祈らずにはいられません。心配はいろいろに膨らみ、お会いしたこともない農家のご主人ですが、怒ってもう老犬をどこかにやってしまったのでは、とそんなことも思わないではないのでした。驚いたことに、その私の心配がまるで現実となったような光景を夫が出かけた先で目の当たりしたのです。足早のタケルとギルに引っ張られながら犬小屋に近づいて鳥肌がたちました。なんとモヌケノカラだったのです。食器もきれいに片付けられていました。これは、ひょっとしたら…!?。一足遅かったのかもしれない!?ドキドキしながら農家の庭に回り込みましたが、やはり、老犬の姿はありません。もしかしたら、家の中に入れてもらっているのでは!?まさかあの汚れたワンちゃんが…!?きっと、ダンナさんにうけいれてもらえなかったのだろう!?息詰る思いで呼び鈴をおしました。例の女性がとびきりのニコニコ顔であわてて出てきました。もうそれだけで、夫から不吉な予感が消え、女性の次の言葉に胸が熱くなったそうです。「あんた、一足違いだったがね~、。あの子、飼い主がみつかったんだよ~」言いながら、彼女は声を詰まらせ、あわてていおうとして次の言葉がでてきません。ようやく口をついて出てきたのは、なんとなんと、「うちの人が、そこらじゅうに電話をかけまくってくれてさ、とうとうゆんべ遅くに…」老犬の飼い主は、夫婦でやってきました。それは涙涙の対面だったそうです。やがてその老犬は、温かい毛布にくるまれ大事そうに奥さんに抱かれて、車でいってしまったそうです。夫の話を聞いている私の方も、顔を手で押さえずにはいられませんでした。それから、二日後の夕方、老犬の飼い主さん夫婦が我が家を訪問。老犬の名前はチビちゃんでした。21年前、もういちどいいますね、21年前、チビちゃんはほかのきょうだい2匹と一緒に土手に捨てられていたところを今のお母さんに拾われました。チビちゃんは、中で一番小さかった子なので、チビ、チビと呼ばれて、そのままきてしまったそうです。3匹とも長生きで、ほかの2匹は16、7年生きて先に逝ったそうです。最後の1匹チビちゃんは、現在、21歳。もうよぼよぼなので脱走などしないだろうと、首輪もしないで庭で自由にさせていたのだそうです。チビちゃんの姿がないことに気づいてから、それはそれは必死に探したそうです。いなくなって四日目。あの体力では、もう生きてはいまいと思い、見るのがつらいからと、お父さんはチビちゃんの小屋を分解して物置にしまってしまったそうです。我が家にもどったチビちゃんは、その日は、テレビの前に敷かれた毛布の上で、家族のみんなに見守られて過ごしたそうです。チビちゃんにとっての一番の幸せは、お父さんお母さんのところ。めでたしめでたし。その後の情報はありませんが、チビちゃんは前よりいっそう大切にされていることでしょう。
February 5, 2009
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皆さまに新年のご挨拶もできぬまま、一月ももう終わろうとしています。それでも、一月うちはまだ正月、遅ればせながらも滑り込みセーフということで…、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 今年初めての日記は、きょう、もう少しでうちの子になりそうになった、ある老犬のお話です。まずは、おとといの朝の出来事から。夫が珍しく腰痛をうったえるので犬の散歩は私が近くの公園で、と思っていたのですが、彼はいつもどおり二匹を連れ出し、公園を突っ切って遠出の散歩に出かけていきました。ところが、予定の時刻がかなり過ぎても帰ってきません。遠出の散歩コースは四つあります。でも、選ぶのは柴のタケルの、そのとき行きたがるコースと決めているので、留守番の私には、彼らがどのコースをいったのかわかりません。あいにく、夫は携帯も忘れていきました。不安がよぎります。腰痛がますますひどくなって、犬と一緒にどこかで休んでいる?あるいは、事故?やきもきしているところへようやく帰ってきました。無事だったのはいいのですが、夫の着ているものがかなり汚れています。それに、くたびれきった顔。やっぱり何かあったのです!私が聴く前に、夫のほうから話し出しました。この日、タケルが気まぐれに選択したのは、一ヶ月ぶりのコースだったそうです。それは、急坂をおりて農道へとつづく道でした。坂をおりきると、どこからか、か細い犬の声が聞こえてきました。ほんとに消え入りそうに力がないけれど、それはどうも悲鳴。助けを求めているようです。とてもそのまま通り過ぎることができません。どこだどこだとあっちこっち見まわす主人に、こここことおしえるように、タケルが側溝のフタに鼻面をもっていきクンクンしました。たしかに、SOSの発信源は側溝の中。フタの隙間をのぞくと、白っぽい毛が見えました。「お~い、いま助けてやるよ~」夫がそう声を掛けてやったときには、鳴き声は、もう止んでいたそうです。もともと断末魔の声のようだっただけに、まさか…、と心配になり焦りました。けれど側溝のフタは、厚いコンクリートでできていて、びくともしません。何度試みてもダメ。バールがほしい。こうなれば、知らない家に飛び込むしかない。一番近い農家に走っていって呼び鈴を押すと、年配の女性がでてきて事情をきくなり、快く釘抜き兼用のバールを貸してくれました。そしてそのまま、夫の後をついてきました。ああ、残念、そのバールを使っても、フタはびくともしません。すると、農家の女性は家に引き返し、こんどはさっき貸してくれたのより、長さも太さも三倍程もあるバールを引きずってきてくれました。それをつかうと、フタが少し動きました。でも、いくら力を入れても上手にずらすところまではいきません。下手にずらしたら、側溝のなかで身動きできないでいる犬の上にガタンと落ちてしまいます。おりよく散歩の男性が通りかかり、何事だろうと寄ってきました。少なくとも七十代には見えましたが事情がわかると、なんと傍らの小さいほうのバールを手に取り、夫を手伝ってくれはじめたのです。おかげで、フタ二枚をうまくずらすことができ、うずくまっていた犬を無事側溝から抱き上げることが出来ました。助け出された犬は、夫の手が両脇に差し込まれた瞬間、うう、と声にならない声を出しましたが、ほとんど無抵抗だったそうです。抵抗する力も尽きていたのでしょう。道に下ろすと、犬は腰が立たず、ガタガタ震えているばかりでした。農家の女性が、いつの間にか水の器を持ってきて犬の前に置きました。すると、夢中で飲みました。こんどは、夫がうちの二匹の犬のおやつを取り出して口に近づけてみました。よっぽどおなかが空いていたのでしょう、それも夢中で食べたそうです。助けたには助けたけれど、さあこれからこの犬をどうしよう。腰はあいかわらず立たないままでした。毛がぼさぼさで、しかも首輪をつけていないところを見ると、捨てられて放浪していた犬のようです。昨夜はひどく寒くて、水のない側溝の中へ中へともぐりこみ、身動きできなくなってしまったのでしょう。夫が目やにを拭いてやりながら、その目をよく見ると、かなり濁っていました。どうやら、目が良く見えないようです。やがて、農家の女性が、こういってくれました。「動けるようになるまでなら、うちで…。前に飼っていた犬が死んで、小屋があいているから…」これには、夫も手伝ってくれた男性も、ホッとして顔を見合わせたそうです。夫がその犬を抱きかかえて農家の方へ向かい始めると、男性もようやく別れの挨拶を述べ、去り際に、犬の頭を撫でてこういったそうです。「いいかね、動けるようになったら、また自分の力でしっかり生きていくんだよ」木に繋がれて一部始終を見ていた我が家の犬、タケル&ギルは、「エラカッタ」そうです。主人が自分たちのおやつをよその犬にやるときも、そしてその犬を抱き上げたときも、おとなしく見守っていたとのこと。「タケルなんかまるでその犬のことを本気で心配しているようだったよ」ふだんなぜか黒っぽい犬と白っぽい犬に吠えかかるタケルなので、私も驚きました。ギルのことは、たいていタケルに従うので、よくわかりますが―。このタケル&ギルが見せた態度が、あとで、私たちの心の鬼を追い出すことになります。 つづく
January 30, 2009
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だいぶまえから、ほしいと思っては、忘れ、また思い出しては、忘れ、そんな繰り返しばかりしていたけれど、ついに、思いがけないところで手に入れることができたもの。それは、天然岩塩二つ一緒に掌にのるほどの欠片です。なんと、よくいく隣村の「道の駅」でお土産として売っていました。もちろん、隣村で産出したわけではありません。原産国パキスタンのヒマラヤ岩塩です。なんでも恐竜時代よりももっとずっと昔、二億年も三億年も前に、海の底だったヒマラヤが地殻変動で押し上げられ、そのとき陸に封じ込められた海水が固まってできたものだそうです。だから「海の化石」とか「海水の化石」とかいわれるのですね。この岩塩、一緒に付いてきた小さなステンレスの卸し金でパウダーにしてから料理に使うのですが、化石だとおもうと、いきなりはその気になれず、しばし手にとって、宝石のように眺め、いろんなことに思いをはせました。たとえば、この美しい化石を産する国パキスタンのこと。パキスタンといえば知識の乏しい私には9.11テロ以来、アルカイダとかタリバンとか、どうも平和とは程遠い国というイメージばかりが強くて…。悠久の自然の中に静かに眠り続けてきたものとは、どうもしっくり結びつきません。ところで、ようやくめぐり合えた天然岩塩ですが、ネットで調べてみたら、何のことはない、いくつものお店で、いろんな状態のを販売しているのですね。色も私が手に入れたのは、ピンクとホワイトですが、ブラックやレッドなどもあります。ピンクは、いちばん一般的のようです。どのお店にも岩塩で作られたソルトクリスタルランプがいくつも展示されていて、見るからに温かい光をともしています。幻想的なだけでなく、マイナスイオン効果もあるとか。つまり、心にも身体にも効能があるということですね。夫へのクリスマスプレゼントにしようかな、と思ったのもつかの間、猫たちがハイになって飛び回る光景が目に浮かんできてあきらめました。それにかわって目にとまったのが、ピンク岩塩パウダーの袋詰め。業務用なのでとても割安。注文の翌日には届いて、2.5キロ2袋が早くもクリスマスプレゼントとして夫に。彼は、半分ジョークと受け取りながらも、さすが漬物自慢、まずまずの気にいりようでした。私はその海の化石で漬けた漬物が食べられるのですから、それが彼からの何よりのクリスマスプレゼント、とシオらしいことを思い…。なんだかしけたショッパイ話になってしまいました。どうやら、私の日記はこれが今年最後のものになりそうです。皆様、今年一年、本当にありがとうございました。どうか、よいお年をお迎えくださいませ。四季の風
December 20, 2008
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鉢植えの蔓ミニバラを地植えにしたのは、もう何年も前。今では、ミニバラだったことが嘘みたいに成長して、剪定や誘引が欠かせません。といっても、通り抜けの邪魔にならないようにするだけのことで、枝を切るのも引っ張るのも、ほとんどやみくも流。今回、それでついにギセイシャが出てしまいました。切り落とした小枝をかき集めていたら、カマキリの卵のう可哀想だからと部屋に持ち込むわけにはいきません。暖房で春と間違えて、じきに小さなオオカマキリの大量発生となってしまうでしょう。そうなってから外に出したらなおさら可哀想。彼らを待ちかまえているのは、厳しい寒さと飢えばかりですから。結局、自然の状態が一番だと思い、卵のうのついた枝をそのままもとの蔓バラの誘引の紐に差し込んでやりました。卵のうがわの枝葉はどんどん枯れていきますが、そこから養分を取っているわけではないので、心配はいりません。心配なのは、風や雨で地面に落下すること。責任があるので、見守ってやらねばなりません、このまま春まで無事であるように。(こんどからやみくも流の剪定をあらためなければ、と反省した次第です)前回、葉を散りつくしてヒヨドリの空き巣をむき出しにしているヤマボウシを紹介しましたが、なんと、その直ぐ下では、気の早いフキノトウまさか!?やがてこれも葉っぱに化けるのでは、と疑い、悪いと思いながらも苞をほんの少し割って中をのぞいてみました。すると、ちゃ~んと、びっしりの花の蕾が…。紛れもなくこれはフキノトウです。じきに、大雪が来るかもしれません。そうしたら、どうするのでしょう。見れば、ほかにも小さなフキノトウたちなんだか、これこそ、家の中に入れてやりたくなりました。
December 13, 2008
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帰ってきたチーちゃんダイちゃん真夏の熱いあつい盛りに、ヒヨドリ夫婦が茂みの中で4羽の雛を育てた中庭のヤマボウシ。それもいまやすっかり裸木となってみすぼらしくなった空き巣を12月の空にさらしています。4羽の雛が無事巣立ちしてから、だんだん、そしてついにはまったく姿を消してしまったヒヨドリ一家ですが、最近またわが小さな中庭にやってくるようになりました。といっても、どうやら2羽だけ。藤の木にきては、さえずります。しかも、そんなに私たちを怖がりません。どうも、ジュースを請求しているみたいです。ためしに、藤の木の、以前とまったく同じ場所に、ジュースの器をかけてみました。直ぐに1羽がやってきて、「これこれ、これが欲しかったの」と言いたげに夢中で飲んでいきました。それからというもの、2羽だったり1羽だったり、しょっちゅうやってくるので、ジュースの継ぎ足しをなんども―。私たちはもう当然のごとく、この2羽のヒヨドリをチーちゃんダイちゃんと呼んでいます。
December 10, 2008
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柿漬けの作り方 <材料>大根…数日で食べきれるほどの量熟柿…大根が隠れる程度の量塩…好みで適宜<作り方>1 … 皮をむかずに適当な長さに切った大根を、 さらに縦に半切あるいは四つ切にします。 2 … 1を二、三日天日に干します。3 … 2の按配ををみて、熟柿をつぶして柿床を作ります。 ヘタ以外は取り除かず、種も皮もそのままです。4 … 熟柿をつぶして汚れたままの掌に塩をつけ、 2の大根一つひとつに擦り付けては、3の柿床に漬け込んでいきます。 <食べごろ>上の作り方(皮付き・天日干し・薄味)ですと、一週間たつとおいしくなります。※大根の皮を剥いた場合と剥かない場合で違ってきます。※柿床に塩を入れた場合と入れない場合でも違ってきます。翌日にでも食べたいときは、2の天日干しをはぶき、皮を剥いた大根にしっかり塩をすり込んで漬け込みます。あるいは柿床のほうにも塩を入れます。長芋のぬか漬けワンコの友達のお父さんに教えていただき試してみたところ、これがなかなかもおいしくて、皆さまにもおすすめです。
December 8, 2008
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兼業農家のUさんは、年に何回か軽トラでやってきて、「たいしたもんじゃね~んだけど」ともごもごいいながら、我が家の庭先に、どっさりの野菜をおろしていってくれます。Uさんの言葉とはあべこべに、いただいた野菜はどれも見事で、選んでもってきてくださったのだということがすぐわかります。昨日も畑から直行で、白菜と大根を―。漬物自慢の夫は、ほとんどを漬物にしたいようです。でも、まずは、お味見ということで、大根の一本で、私が風呂吹きをつくってみました。やはり畑から直行の冬大根はちがいます。やわらかくとってもおいしく出来たので、仏様にもお供えしました。水に昆布と塩を入れただけで茹でたのですが、その茹で汁がまた、とてもおいしいのです。大根の甘味と昆布のだしとがほどよく調和して絶妙の味を作り出してくれました。もちろん大根くささなどはありません。煮込みうどんの汁に加えたところ、自然の甘さによって旨味が増しました。今日のことですが、夫は、大根の柿漬けをつくるといって、野鳥のためにと高枝に残しておいた熟柿をはりきってもぎました。ずいぶんもいだのですが、前と変わりないように、熟柿はまだ高枝にいっぱい残っています。大根の甘さとこの熟柿の甘さとがまたどんなにおいしい味をつくりだしてくれることか、一週間後が楽しみです。夫がつくる白菜漬けも楽しみです。丁寧に二度漬けして、真冬は樽を雪の中に置き、春先、酸味を帯びるようになるまで、何段階ものおいしさを味あうことができるからです。
December 6, 2008
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十二月に入ったとたんに、どこか忙しない心地がしてきます。年内に、一段落つけたいことのひとつが自分の不用品の処分。年のはじめに一大決心で始めたものの、これがなかなかはかどらず、いまに及んでしまっているのです。洋服は型が古いとか派手になったとか、本は文字が小さ過ぎてとかインターネット検索で間に合うとか、案外思い切れるのですがどうしても処分できないのが着物です。ゴミの日に出すことはおろか、人さまに差し上げることも、古物屋さんにもっていくことも出来ません。母の形見だとか懐かしい思い出があるとか、理由はいろいろありますが一番の理由は、もっと年をとったら着物を楽しみたい、展覧会やコンサートにも着物で出かけていきたい、つまり、いつかもう一度、今ある着物の袖に手を通したいということなんです。私が最後に着物を着たのは、今は昔、猫や犬が一匹もいなかったころ。いま、家の中には6匹の猫、庭には2匹の犬。彼らには、エプロンも一張羅の着物ももちろん区別がつきません。着物を着れば、その日のうちに二度と外に着て出られなくしてくれるでしょう。え、どなたですか?「そうなったら、着物も処分しやすくなるでしょう」な~んておっしゃるのは―!ま、これから先、着物が着られる日がこなくても、夢が夢のまま終わっても、それはそれでいい。いきものの幸せを何より優先。みんな可愛くてかけがえのない子らだから…。
December 2, 2008
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真冬を除く日曜の早朝、近くの空き地に農産物が主の青空市が立つ。生産者直売なので、とても新鮮で安いものばかりだ。そこへ出かけるのはきまって夫で、私は庭で主人を追いたがって鳴く犬たちの子守。きょうはどんな野菜や果物を買ってきてくれるかと楽しみに待つ。青空市の様子をきくのもまた楽しみである。たとえば、こんな―可愛がっていたウサギの子が目の前で客の手に渡るのを「売らないで、売らないで」と母親の背で泣いていた坊やの話をきいたのは、何年前のことだったろう。その子が最近、野菜を売る母親のお手伝いを一生懸命しているという。きょう、夫が青空市で買って来たもののなかに、ラ・フランスがありました。無骨なかっこうで、色が悪くて…。それはまあ、ラ・フランスでは当たり前のことですが、実は、初めて食べたのがあまりおいしくなくて、どうも、先入観がはたらいてしまいます。で、勝手に”あれ”を作ろうと決めているのでした。”あれ”の簡単レシピラ・フランスを薄くスライスして鍋にそこへ砂糖を適当に加えさらに白ワインを適当に加えたらコトコト煮込むこと約10分砂糖とワインがトロッとしてきたらできあがりあとは冷やして、アイスクリームなどを添えていただくところが、夫が、ためしにひとつ生で食してみようといいだしました。なんと、なんと、見事にウラギラレました!その生のおいしいことといったら、ラ・フランスって、こんなにおいしいものなの、と二人とも、もう、びっくりです。”あれ”を作るのは、もちろん止めにしました。
November 30, 2008
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世の中に、あまりにむごたらしい事件事故が相次いでいて、新旧の記憶がこんがらがってしまいそう。一日冷たい雨が降ったりやんだり、時々、強い風も吹く。雨戸を閉めようとすると、西南の空には、宵の明星が美しく輝いている。ああ、今日も私たち夫婦と9匹のいきものたち、なんとか無事な一日を終わりつつある、と自然に感謝の気持ちがわいてくる。もうおとといのことになりますが、犬たちとの朝の散歩から帰った夫が、タケルがたいへんなものを見つけたよ、と私に湿った、革の、薄い財布のようなものを手渡しました。それは、まだ有効期限がずっと先の自動車の免許証でした。中年女性の顔写真をみながら、ずいぶん困ったり、心配したりしていられるだろう…、とこちらも落ち着かない気持ちに。警察に届けることも考えましたが、住所が市内だったので、電話番号を調べて、本人に直接、連絡しました。先方はそれはそれは、喜んでくれました。なにしろ、いまの世の中、運が悪ければ拾った人間の出来心で、悪用されることも。お礼にとホールケーキをいただきました。一部分、ケーキでは今まであじわったことのない味が…。それは、なんとなく、懐かしいキャラメルの味…。これが、いま人気の生キャラメル入りチーズケーキというものなのだろうか!?とてもおいしいケーキです。お手柄のタケルにも、もちろんギルにも、ワンコ禁断の味をちょっぴり味あわせてやりました。タケル&ギル
November 29, 2008
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昨日の朝はよく晴れてはいましたがとても寒く、遠くの山はいつのまにか初冠雪。季節は晩秋から初冬へ確実にバトンタッチしたようです。その昨日、大都会で暮らす義弟夫婦がはるばる遊びに来てくれました。とにかく澄んだ山の空気が吸いたいというので、初冠雪した山の方角にドライブし、途中、山里の手打ち蕎麦屋に寄り、新蕎麦をご馳走することにしました。夫と私はもともとこのお店の蕎麦が気に入ってるのですが、初めての義弟夫婦のお口にあうかどうか?実は義弟は腕のいい板前さんなのです。やがて、香りの良い新蕎麦が運ばれて来て、箸を取った彼が開口一番、「これはおいしい」といってくれたときはホッとしました。奥さんも、同様でした。さて、夕飯準備の時間が来ると、予定通り、我が家の狭い台所はたちまち板場に変身。こんどは客人の義弟が、腕をふるってお土産に持ってきてくれたヒラメを私たちにご馳走をしてくれることになったのです。ヒラメといっても養殖ではなく、相模湾で獲れた天然モノ。長さ約52センチのまな板にのせると、体長はほとんど同じでした。養殖モノと天然モノとの違いは、裏側を見ればすぐわかるそうです。養殖モノは、どこかに必ず黒っぽい不定形のシミのようなものがあり、天然モノは真っ白だそうです。お土産のヒラメは、紛れもなく天然モノでした。私は、食器を用意するぐらいしか手伝うことがなく、プロの見事な包丁捌きに見とれてばかりいました。義弟は手を動かしながら、まな板をしきりにほめてくれます。うちのまな板は、昨年の暮れ大工の棟梁にいただいたイチョウの無垢の一枚板なのです。イチョウのまな板は、殺菌力、水はけ、刃当り、いずれも素晴しく、料理人が最高と絶賛するとどこかで知りましたが、どうやらその通りのようです。最初に出来上がったのが薄造りでした。フグの薄造りよりは厚めにしたそうです。次は姿造り。ところがちょうどいい大きさのお皿がなくてあわてました。うちで一番大きいのは、薄造りに使ってしまったのです。はたと思いついたのが、まな板。棟梁から、同じのを2枚いただいたのです。一枚は、一度も使わずに大事にしまっておきました。取り出してみると、ああ、それで十分だということになり、やがて完成したのが、縁側や湯引きした皮も入っています。ニンジンのチョウも飾られて…。それにしても、2枚のイチョウのまな板は、これでどんなにか満足してくれたことでしょう。私たちが天然ヒラメのお造りを堪能したのはいうまでもありません。
November 21, 2008
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戸を叩 く狸と秋を惜しみけり 蕪村この時季になると、ふと浮かぶのがこの句。戸を叩いたのはタヌキではなくてほんとは木枯らしだったのかも、なんておもうこともあるけれど…。やっぱりタヌキのほうがいいな、メルヘンチックだし、どこかユーモラスだし。それに何よりタヌキのほうが温かいもの。今朝は霧が立ちこめて辺りを幻想的にしてくれたので、この私でさえも秋の終わりをしみじみ惜しむ気持ちになりました。自宅から眺めた霧の公園庭には、今が盛りの花は少なくなりました。サザンカツワブキ庭の落葉をはじめたヤマボウシを見上げたら、ヒヨドリの巣が姿を見せていました。そんなに崩れもせずにちゃんと残っていたのです。親鳥がその巣をしっかり木にくくりつけるために使ったビニール紐があらわです。それがちっとも無機質なモノにみえません。夏の思い出を必死にとどめようとしている、いじらしい紐…。柿の実が熟れる頃から、またヒヨドリが庭に姿を見せるようになりました。不思議なことにまたまた2羽だけです。つがいになるのかな。なったらまたその子たちをチーちゃんダイちゃんと呼ぶことにもう決めています。小鳥のために木に残しておいた柿の実赤い花はつるバラチーちゃんダイちゃんに食べてもらいたい実が柿のほかにもいくつかあります。ツタの実ナンテンの実色づきはじめたマンリョウの実木の実を食べつくし、本格的な冬がやってきたら、こんどは、ジュースをやるのが日課となります。ヒヨドリのほかにも、いま庭に見え隠れする可愛い小鳥がいます。ジョウビタキ、シジュウカラ、ムシクイなどです。そのうち、ツグミやメジロもやってくるでしょう。さっき、公園の方を見たら、イチョウの黄色い葉っぱが地面をおおい尽くしていました。明日の早朝、 清掃の人がやってくる前に、踏みしめて別れを惜しんできたいと思います。
November 17, 2008
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今朝はきれいに晴れ渡り、二階の窓から北の遠山を眺めると、紅葉の色合いがいいあんばいに見えました。あと10日もしたら南の山に紅葉狩りに行く予定でいましたが、それはそれとして、北の山にもいってみようということになり、急きょ、ドライブとなりました。目指すは2000メートル級の山の中腹ですが、狙いは見事にあたり、紅葉の真っ盛りでした。ところが、まず出会ったのが、これ、ニホンカモシカにはすぐ近くで出会ったことがありますが、クマにはまだ一度も…。死んだふりはだめ、クマにくすぐられるから。木登りもだめ、木登りできないから。逃げてもだめ、熊のほうが速いから。「クマに友達気分でやさしく話しかけるといいらしいよ」なんて夫が冗談交じりにいうけど、いざとなったら、そんな悠長な行動がとれるわけがありません。だめだめ尽くしの私は、正直怖さが先にたってしまうのでした。そのうえに、平日とあって、私たち夫婦のほかに、人影はほとんどありません。油断はできないので、とにかく、車の外にいるときは、大きな声で会話を心がけることにしました。なんだか命がけみたいな話になってしまいましたが、それでも紅葉狩りは、楽しいものとなりました。ヤドリギの実雲の機嫌で、日がさしたり引っ込んだり、時雨になったりけなげに咲き残っていました虫に食われた葉っぱも面白い虫食い葉の孔から写して見ました
November 4, 2008
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今日から11月、霜月。昨日あたりから、急に寒さが増してきました。コタツにもぐりこんだ猫たちは、なかなか出てきません。せっかくいただいたスイカですが、どうも食べる気になれず、飾ったままです。楽しみは、あと十日もすると見ごろになる山の紅葉。 一昨年見た山の紅葉
November 1, 2008
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奇跡といったら大仰過ぎてしまうけれど、でも、偶然とは思いたくない。ささやかながら目には見えない何か不思議な力を感じるときがあります。きのうはこんな経験をしました。ことの発端は、午前11時過ぎのことでした。猫のカノンが、動物病院からもどり家に入れる直前で脱走してしまいました。新しく購入したキャリーの留め具がもともと甘かったことは甘かったのですが、まさか、突き破って飛び出すとは…!一瞬の出来事で、あたりをいくら探してもカノンの姿は、もうどこにもありませんでした。私たちは、そのうちお腹が空けばもどってくるだろうと半分はたかをくくりながら、一方で交通事故など最悪の事態にならなければいいがと半分は気をもみながら、家の戸口を開けたまま、家出ムスコの帰りを待ちつづけました。しかし、彼は陽が沈むころになっても、帰ってきません。何度か、近所のあちこちを名前を呼びながら探し回っては見たのですが、気配すらないのです。どこへいってしまったのだろう?病院の行き帰りのストレス爆発で突っ走って、かなり遠くへいってしまったのかもしれない?あたりがすっかり暗くなっても、戸口は開けたままにしておきました。もう今日は帰ってこないかもしれない、三日間、いやそれ以上たってようやく帰ってくる猫もいるということだから...。そう思いながらも心配がつのるばかりであきらめ切れない私。じっとしていられなくて、気がつけば、ふだんはあまり通らない暗い道にいて、カノンカノンと呼んでいるのでした。やがて、はたと思い出したのが、「ニコの鈴」でした。「ニコの鈴」というのは、ニコのなきがらから外して、大切にとっておいた首輪についた小さな鈴のことです。ニコは我が家のボス猫でした。特に、カノンはミレンと共に二コの従順な子分でした。三匹は二階の同じ部屋でずっと暮らした仲でもありました。果たして、聞き覚えのある懐かしい「二コの鈴」につられて、カノンはもどってくるかしら…?鈴の音は小さくて頼りなく、どこにいるともわからないカノンの耳にとどくとも思われません。でも、鈴を鳴らしながら歩いていると、二コと一緒にカノンを探しているような、どこか切なくどこかうれしい気分になるのでした。さて、あたりを一巡してもどって来て見ると―。夫が心配して、庭に出て待っていてくれました。やっぱり駄目だったと報告しようと思ったちょうどそのときでした、私たちの間の塀の上に、なんとカノンが姿をあらわしたのです!そして、私たちのほうは見向きもせず、まっしぐらに戸口から二階へと上がっていったのです。これを偶然なんて思いたくありません。ああ、ボス猫二コは、こうしてやっぱり生きているのだ、と思わずにはいられない私です。ありがとう、ありがとうといいながら、ニコの碑を撫でていると、不慮の事故で1歳そこそこで逝かせてしまったサクラも、このぶんだと、二コにしっかり守られてはぐれずにいる、という思いがしてくるのでした。
October 28, 2008
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まれに地域の人々に大事されている野良猫たちの話を聞きますが、たいていの野良猫は、哀れです。まして仔連れの野良猫ともなれば、見るに忍びないものがあります。でも、可哀想だからといって、野良猫親子を一緒に保護するのは、なかなか出来ないことですよね。それが、2,3年前、ブログ友だちのmimityanさんは…、なんとなんと親子で5匹にもなる野良猫一家を、一度にみんな保護してしまったのです。さらに驚いたのは、mimityanさんのご一家が、その5匹をぜんぶ飼い猫として迎え入れたことでした。やがてお互いに多忙になり、共にブログを長いこと休んでいました。でも私は、5匹の保護される様子やその後の幸せぶりを日記で拝見していたく感動したことを、忘れることはありませんでした。ときどき、どうしてるかしらと思いをはせてきました。うれしいことに最近mimityanさんからのコメントで、5匹がみんな元気にしていることがわかりました。このニャンコが、危険なめにあっていたわが子を全部助けてもらって、一緒に保護された幸運なお母さんです。妹が切花のウィンターコスモスもって来てくれたのですが、その五弁のかわいい花を見ていたら、なんだかmimityanさんところの5匹のニャンコと重なってきました。別名をイエローエンジェルというそうですが、イエローもエンジェルも幸運を呼びそうで、なんだかそれもまた幸せになった5匹のニャンコにふさわしいような気がします。
October 23, 2008
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今日は、ほんとうに肝を冷やしました。それは朝、夫と犬の散歩の時間が近づいるときでした。夫が出発の準備をしている間に、タケルとギルにハーネスを装着してやり、裏口の外まで連れ出すのが、私の毎朝の役目です。今朝は、裏口へ連れ出しかけたところで、柿の葉っぱがあたり一面に散り落ちているのに気づいて、手順を変えてしまいました。公道だけでもすぐに掃かねばと、2匹の犬のリードをそれぞれの背中に結わえつけて、私一人、竹箒を取りにひきかえしたのです。もちろん、そのときは門扉の鍵はまだ掛けたままで、犬は敷地の中でした。しかし、竹箒をもって公道に出るとき、鍵はかいませんでした。すぐ戻るからです。ただ、閉め方が中途半端だったのです。キャンキャ~ンという絶体絶命の犬の悲鳴と人間の慌てふためく怒声が一緒くたにきこえてきたのは、柿の葉っぱを掃き始めてじきでした。驚いて顔を向けると、自分がいる公道の十数メートル先に、紛れもなく見慣れた1人と2匹の後姿が…!わけもわからず駆けつけると、タケルとギルが夫に首輪をつかまれて引き倒されんばかりに後にひきずられ、その先に、小さな白犬を抱きかかえた老人がしりもちをついているではありませんか。すぐに事情が飲み込めた私は、老人がようやく立ち上がるのを平謝りしながら手伝い、おしりの泥をはたいてさしあげたのですが、老人も抱かれた犬も小刻みに震えているのがわかりました。どうやら、みたところ怪我の様子はないのでほっとしたのですが、お名前だけはうかがっておきました。老人はTさんというかたで、川向こうに住んでるとのことでした。あとで何かあったらご連絡をくださいとお願いして、その場はそれで後姿を見送ったのでした。 しかし、あとになって、電話番号もうかがっておくべきだったと、後悔しきりでした。主人も私も、老人とワンちゃんのことが心配で心配で、朝食もあまりすすみません。すぐにもお詫び方々、その後の様子をうかがいにご自宅をたずねようということになりました。でも、「川向こうのTさん」だけでは、場所の検討もつきません。川向こうの住宅街は広くて、道筋がいく本もあり、家の数も相当なのです。だからといって、このままでは気がすみません。門扉を中途半端に閉めた私の責任が大きいので、まず私が根気よく捜し歩くことにしました。川向こうのどの道筋もけっこう通るのですが、知り合いの家は一軒もありません。犬を飼っている家をみつけては、T宅をご存知ですかと尋ね歩きました。ある家では、モノを売りに来たのかと、携帯電話中のおばさんにのっけから追い払われる始末。それでも、思いのほかはやく、表札から目的の家をみつけることができました。老人と奥さんが、そろって笑顔で出てこられたので、まずは胸をなでおろしました。しかし、老人は、あれから腰が痛くなったそうです。けれでもじきに治りそうだともいってくれました。ワンちゃんのほうはというと、あれからしばらくエサを食べなかったとのこと。ショックがよほど大きかったようです。それは当然です、自分よりずっと大きな犬2匹に襲われかかったのですから。お二人がワンちゃんのいる、庭に案内してくれました。すると、うれしいことにワンちゃんは小屋からまっしぐらに私のほうへ駈けよってきたのです。元気そうです。それに、小さくて可愛いらしいのです。私は思わず抱き上げようとしました。すると、ワンちゃんは、噛みつかんばかりに私にむかって吠えはじめたのです。これには、驚きました。恐ろしい無法者の一味をしっかり覚えていたのです。そばのお二人も驚いた様子でした。でも、お二人とのお話は終始和やかでした。なんだか私のほうが慰められているようなところもありました。私の報告に夫もかなり安堵した様子です。が、2週間ほどしたら、もう一度その後の様子をうかがいにTさんのお宅を訪問することにしました。老人やワンちゃんに後遺症が無いとわかったら、そのときこそ心から胸をなでおろせると思うからです。今回の首犯はタケルです(こんないいかたしてごめんね。ほんとうは、お母さんが…)。彼は、お父さんに叱られて、今日は一日、いや半日、バツが悪そうに沈んでいました。明日は、またいつもの元気に戻っていることでしょう。それにしても、犬は、可愛いだけでは飼えない、野生もどこかに潜ませていると思って、油断してはならないということを、あらためて痛感しました。
October 16, 2008
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わが家では現在、猫6匹、犬2匹、そしてうさぎ1匹(羽)、つごう9匹のけものが一緒に暮らしています。犬のタケル以外は、みんな保護した子たちなので生年月日がわかりません。それで、うちの子になった日を誕生日にしています。9月の下旬に、猫のザクの誕生日がありました。保護したのは3年前、生後2ヶ月前後で、近くの公園に捨てられていました。やせているうえに汚れていて、可愛いどころではありません。でも、何日かたって、すっかり元気になったところで、シャンプーをしてやると、見違えるほど、綺麗な白猫になりました。こんなに可愛い男の子だったのです。テレビが好きな子で、気に入ると30分、ときにはそれ以上も見続けます。それは、いまもかわりません。画面に反応するその後姿がまた可愛くて、私たちのほうは画面より、ザクの方を見て楽しんでいることもあるほどです。テレビを見ているといっても、ザクはまったく耳が聞こえません。音であたりの気配を感じ取るということがないので、急に目の前に現れたものには、びっくりして逃げ出すことがあります。また、音に煩わされるということがないので、他の子よりずっとよく眠ります。薄目を開けていますが、じつはよく眠っています。ザクの姿がどこにもない、脱走かもしれない、とあわてて探すと、とんでもないところで熟睡中だったりします。たとえば、うっかり閉じ込められてしまったトイレとか―。とんでもないところといえば、よく、洗濯物を取り出した直後の乾燥機に、すかさず飛び込みます。なにはともあれ、ことしも元気に誕生日を迎えてくれました。プレゼントは、S字型の爪とぎ。とっても気に入ってくれたようです。
October 7, 2008
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つい最近、二種類のタマムシの美しさに魅せられたせいか、虫のことがちょっと気になるようになりました。今朝、フェンスで見つけたのは、 オンブバッタ(負飛蝗)調べて驚いたのは、メスがオスよりかなり大きいということ...、ではなくて、「オンブバッタ」が正式な和名だったこと!「オンブバッタ」という呼び方は、見たままで親しみやすく、私でも知ってるくらいですから、当然、通称だと思っていました。それが、れっきとバッタ目オンブバッタ科 ― !ムシの、いえ、ムチの驚きでした。
October 2, 2008
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ヤマトタマムシ(大和玉虫)とウバタマムシ(姥玉虫)このところ、九月とは思えないような寒い日がつづきますが、一昨日は特に寒く、遠くの山に初雪が降りました。ギルときたら犬にもかかわらず、縁側でこの有様ですさて、昨日、タケルとギルを連れて、朝の散歩に出かけた夫が、公園で珍しいものを拾ってきました。といっても、帰ってきたときは、拾ったもののことはすっかり忘れていて、夕方になってから思い出し、あわててポケットから取り出したのでした。私には、はじめてみる昆虫でした。夫も初めてだそうで、そろそろ銀杏拾いの時期だなァと、地面を見ていたら、足元にひっくり返っていたのだそうです。もう少しで踏みつけるところだったとか。もう少しで洗濯するところでもありました。調べるとそれは、ウバタマムシ(姥玉虫)という甲虫目タマムシ科の昆虫でした。どうやら、あまりの寒さにこらえきれず、木から落下したようです。拾ったときすでに死んでいたと思っていたそうですが、部屋で温まって、もぞもぞ動き出しました。赤松の小枝を寝床にしてやると、わずかながらも動きが増してきました。やがて夫が、三十年以上も前につかまえ、あまりの美しさについに手放せなかったという、そして今も大切に保管している玉虫を出してきました。私は、これまで玉虫のホンモノは、夫に見せてもらったこれしか見たことがありません。ヤマトタマムシ(大和玉虫)という名前があるそうです。ウバタマムシ(姥玉虫)と区別するために、今回初めて使います。今日、太陽が出たので、大和玉虫と姥玉虫を自然の光にあててみました。まず、大和玉虫玉虫色という言葉の意味がよくわかります。おなか側は、ほんの斜めから。カラカラに乾いていて動かすと砂糖菓子のように崩れてしまいそうです。それでも玉虫色は健在なのですから、驚きます。この大和玉虫を甲虫の美の極致というひとがいますが、私は、姥玉虫も負けてはいないと思います。一見地味ですが、見事な漆装飾の沈金のような美しさなのです。おなか側はメタリックな一色の輝き。自分でひっくり返ったのですが、合掌してなにやら祈っているようで、神々しくさえ感じられます。あら、どなたでしょう、「ほんとは命乞いをしているんだよ」なんておっしゃるのは…?外へ飛ばしてやりたいけれど、本来なら夏の子だそうです、もう外は無理でしょう。暖かい部屋の中で、一日でも長く生きてもらうことにしました。それでは最後に、大和玉虫と姥玉虫のツーショット(?)をどうぞ。ヤマトタマムシ ウバタマムシ
September 30, 2008
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「今日で夏は終わり、本格的な秋に…」とテレビで報じていました。そういえば、ヒマワリとコスモスが別れを惜しんでいるような…。 裏庭のフェンスに、いつの間にかホトトギスが3種咲いていました。野草のホトトギスは、私にはまだ幻。めぐり合える日が楽しみです。
September 25, 2008
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以下は前回の続きです。「山の切れ端」およびそのごく近場で撮ってきたものだけを並べてみました。 ありふれた植物ばかりですが、よく見るとみんなステキでした。 私が触れてきた山の雰囲気をすこしでもお伝えできたら、幸いです。 お父さん、今日はこれしかとれなかったの?いやいや、お母さんを家まで送ってきてまた山へいって、こんどはこんだけ―。皆さま、最後までお付き合いありがとうございました。途中、お気づきになりましたでしょうか。クローバーが四つ葉と五つ葉だったのを。四つ葉のほうは幸せをよぶそうで、皆さまへのおみやげです。夢と希望のシンボルである虹のフレームにおさめました。でも、画像を見ていただくだけで、ごめんなさい。
September 20, 2008
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きのう、どじょう家族さんのところへうかがったら、きれいなヒガンバナの写真が載っていました。もうあちらでは満開なんだ~、と驚くとともに、うちで「山の切れ端」に植えたヒガンバナはどうなっているだろう、と気になりだしました。自然薯パパさんのところへうかがったら、星朝顔という小さな花が―。私などひとからげに雑草として見過ごしてしまいそうな野の花を、自然薯パパさんはこうしていつも素敵なヒロインとして見せてくださるのです。いんぺっこさんには、このあいだ「ヒッツキムシ」という言葉を教えていただきました。こちらでは「バカ」といってるのですが、こんどは「ヒッツキムシ」と言ってみたくなりました。そんなふうに皆さんからの刺激もあって、キノコ採りにいくという夫の車にのせてもらって、久しぶりに「山の切れ端」に出かけてみました。ヒガンバナはまだまだでした。夫は少し奥にはいってキノコ採りの下見、私はそのまま「山の切れ端」にのこって、姿は見えないけれど元気なニコ&サクラ&タマちゃんたちと一緒に植物観察。そのわずかな周辺だけで、小さくて可憐な花がいっぱい咲いていました。最後に、うれしいものを見つけましたので、皆さんに...、あ、だめだわ、ブログですものね。とにかく、楽しいひと時を過ごし、ヒッツキムシをあちこちにつけて帰宅したのでした。下手の横好き写真はこちらから
September 20, 2008
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見苦しい小屋ですが、アンのお気に入りです。新しいのに換えて半月でグサグサに。お菓子の家のように食べてしまうからです。 先月下旬、うさぎのアンが、うちの子になって以来はじめて体調を崩しました。まったく食べなくなってしまったのです。大好物も食べず、水も飲みません。動物病院でレントゲン検査をしてもらったところ、どこにも悪いカゲはなく、何かのストレスでしょう、といわれました。そして、とりあえず蜂蜜の薄め液やスポーツドリンクなどに主食のカリカリを粉にして混ぜ、それを針なし注射器などで、少しづつ回数多く与えるように、と。帰宅してからがサア大変、アンは、撫ぜなぜは喜ぶけれど、抱っこは大嫌いな子と決め込んでいたので、ほとんど抱いたことがなく、なかなか教えられたとおりにはいきません。「こちらが怖がると相手も怖がって抱っこさせませんよ」という先生の言葉を思い出し、やっとの思いでひざにのせ、どうにかこうにか注射器の中身を口に注いでやることが出来ました。そのうちほんの少しですが、自分から牧草を食べ始めました。やれやれ―。と思ったのですが、あくる日はまたアンは何も口にしなくなっていました。注射器で流動食を与えるにも、このままでは、体力がどんどん落ち、命が危ないと判断し、もう一度病院へ連れて行きました。こんどは、こちらから何か力のつく様な注射をしてくださいとお願いしたところ、先生は、それではとビタミンE入りの皮下注射を打ってくださいました。帰宅後、注射が効いてきて、アンに動きが出てきました。こんどは、夫と二人がかりで流動食をやることにしました。ところが、アンの抱っこ係を引受けた夫は、私以上におっかなびっくり。アンを抱いてはバタバタされて逃げられ、その繰り返しを何度したことでしょう。まあ何とか流動食を与えることができて、アンをケージにもどそうとしたときでした。夫のかたわらに、ポロンと得体の知れないものが…!?よく観ると大人の小指ほどの長さで、黒くて、先が尖っていて、触れば石のように固くて…!?「あ~~~~っ!」「ひゃ~~~っ!」二人はほとんど同時に、それが何であるかわかりました。そう、アンはフン詰まりだったのです。夫がアンを抱いては逃げられるのを繰り返したおかげで、アンのお腹が刺激され、詰まって固くなったフンを圧し出したというわけです。それからのアンはどんどん食欲を取り戻し、たちまちもとの元気な子になりました。先生の「何かのストレスでしょう」というお見立ても無理からぬことです。食欲不振の元凶は、レントゲンには写らないところに隠れていたのですから。
September 12, 2008
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ヒヨドリが巣立ってから、そろそろ一月になります。巣立ってからしばらくは、親鳥が雛を引き連れて、日に何度も庭にやってきて、にぎやかで楽しい光景を見せてくれました。それが、行動範囲がひろくなり、まだクチバシが黄色くてもなんとかエサがさがせるようになったのでしょう、だんだん庭にやってくる回数が減り、やってきても、一羽だったり二羽だったり。どの子がどの子だかまったくわからないので、そのつど、ほかの子は無事かしら、と心配になるのでした。数日前、雛だけでしたが、四羽がそろってやってきたときは、それはうれしかったです。目頭が熱くなりました。それにしても雛の成長の早いこと、驚くばかりです。そしてまた、いや、前よりもさらにヒヨドリのやってくる回数がすくなくなり、ついに途絶えてしまいました。(野鳥大好きさんのご推察のとおりでした)鳴き声も、あたりからはほとんど聞こえてこなくなりました。これでいいんだ、これが自然なのだと自分にいいきかせながらも、さみしいものです。夫はけさも、新しいジュースとブドウをチーちゃんの形見の器に満たしてフジの枝にかけました。わたしには、それは今はもう、ヒヨドリ一家の無事を祈る「かげぜん」のように見えてなりません。 夏の暑い暑いさなかを命がけでがんばったお母さん。せめて、おまえだけでも、またうちの庭にもどってきてね。私たちは、おまえをチーちゃんと思っているのだから…。ヒヨドリが抱卵しはじめたころ、私は、近所の猫好きな人たちに、「ヒヨドリが無事に巣立つまで、もしかしたら猫ちゃんを追い払う私の大きな声が聞こえるかもしれませんが、決して虐待しているのではないので、心配しないでくださいね」と冗談交じりに断っておきました。 さいわいというか、不思議というか、それ以来、近所の放し飼いの猫ちゃんたちは一度も我が家の塀の上に姿を現しませんでした。きっと、それとなく協力してくださっていたのだと思います。その協力者の一人(70代の女性)に道で、お礼をのべたところ、彼女は「ああそれはよかったよかった、あ、ちょっとまって」、と返事もそこそこに家の中に飛び込み、両手にかわいいものを揺らしながら出てきました。そして、わたしに「これ、トイレででも使ってね」それはタオル地の手ぬぐいで作った、その方お手製のお手ふきでした。「ふたつもですか!?」ヒヨドリのことで感謝している私のほうが…、とうれしいやら、申し訳ないやら。 かわいくてもったいなくて、それに、あのヒヨドリたちに無関係ともおもえなくて、飾っておくことにしました
September 5, 2008
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ヒヨドリ夫婦は今日も子育てに一生懸命です ヒヨドリ夫婦 よくエサをくわえてとまっています。 雛のオトシモノ数日前から、ヒヨドリ一家がヤマボウシ(空になった巣は、まだそのままです)の葉群にもどって来るようになりました。その下のフキの葉の上に…。雛たちは親たちに何の実をもらって食べたのでしょう? (8月18日撮影) ブドウを一度に藤の木に皮をとったデラウエアをおいておくと、母鳥は一度に複数個くわえて雛たちのところへ運んでいきます。それにしても、産卵・子育てでみるからにやつれきったお母さん。お父さんも一生懸命子育てに協力していますが、見た目はそれほどではないので、すぐ区別がつきます。 母鳥が雛4羽全部を引き連れて雛4羽がそろったところを見るとほっとします。ずいぶん大きくなりました。遠からず、親と見分けがつかなくなるでしょう。 (8月21日) 雛のうちの2が、ちょっとわかりづらいので―さらに父鳥が加わって、一家全員がそろうこともあります。親鳥がいなくなって、雛だけになることもあります。そんなとき、わが小庭はまるでヒヨドリの託児所のようです。 おや、自分でジュースを… ふとみると雛が、ひとりでジュースを飲んでいます。 (8月21日) もうブドウだって雛がやっとくわえあげたのをみて、別の雛が口をあけます。くわえあげるたびに、両脇にいるきょうだいに横取りされる子も。それにしても、成長が早いのに驚きます。さすが野生の子たちです。 (8月22日) 私たちは、このヒヨドリ一家6羽ぜんぶが電線に並んだところを撮ってみたいのですが、よほど運がよくなければそんな光景にめぐり合えない様な気がします。18年前の夏を思い出します。チーの母とチーのきょうだいである3羽の雛が、ひとつ電線に並んだときのことを。彼らはそれを最後に姿をみせなくなってしまったので、あとになって、あれは、お別れの挨拶にそろって来たのだとおもいました。同時に私たちは、あの母鳥は、どうしても自分についてこないわが子(チー)を、やむなく人間に託していったのだとおもいました。「どうぞそのヒヨドリをよろしくお願いします」と。
August 23, 2008
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皆様、暑いあつい日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。前回も、ご訪問、あたたかなコメントほんとうにありがとうございました。 早く「ヒヨドリをよろしく」の続きを書きたいと思いながら、なかなかじっくりと取り組むことができないでおります。また完結場所を変更したくなるような、「続ヒヨドリをよろしく」ともいうべき、思いがけないドラマが我が家の庭で展開しました。それは、わずかこの一ヶ月間のできごとです。今日はまだ詳しくお話する余裕がないのですが、夫の協力(じつは彼のほうこそ夢中)で、たくさんの撮影をしましたので、皆様にその一部をご覧いただきたくて、ブログに戻ってきたしだいです。 2008年7月10日遅い朝、居間でぼんやりお茶を飲んでいると、庭の宙を長くて白いテープのようなものがスーッとよぎって、ヤマボウシの茂みに消えていきました。何だろう、と思うまもなく、今度はヤマボウシのほうから白い蝶がヒラヒラ舞い出てきました。何だ、テープのようなものは蝶だったのか。ぼんやりしていたから...。半信半疑ながらも、そのことはもうそれきり忘れていました。 7月11日早朝、庭いた夫があわてた様子で私を呼び、ヤマボウシの茂みを指さしました。「小鳥の巣?」「そう、ヒヨドリの」なんとその巣には白いビニールの紐が...。私は、はたと思い出しました。ああ、これだったのだ、きのう庭の宙をよぎっていったのは...。やはり蝶ではなかったのだ…。 困ったなァ、といいながらも、夫は巣を見上げながらどこか嬉しそうです。じつは私も同じでした。2年前の春(16年間我が家で暮らしたヒヨドリのチーが死んだ直後)から、毎日ジュースを飲みに庭にやってくるようになったオスメス2羽のヒヨドリ。私たちが妄想と混同を楽しみながら、「チーちゃん、ダイちゃん」と呼んでいるその子たちの作った巣だということはすぐわかりました。近くの公園や川沿いの道には大樹がそれは豊かに葉を茂らせていて、私たちの見えないところでたくさんの小鳥たちが命をはぐくんでいるにちがいありません。それなのに、人間の出入り、2匹の犬の放し飼い、室内飼いとはいえ6匹の猫の視線、それらのものを間近に感じながらなお、この狭い我が家の中庭を一番安全な場所としてえらんだ小鳥。「チーちゃん、ダイちゃん」のほかにそんな小鳥がいるとは考えられません。私たちはいつのまにか、「あの16年間一緒に暮らしたチーちゃんが親になる」という思いで会話をしているのでした。巣は、一階の和室の高窓から少し見上げる高さにありました。ガラス越しですが、カメラを三脚で固定し、まずは定点観察をすることにしました。そしてカメラをのぞいた人間がこれぞとおもったら好き勝手にシャッターボタンを押すことに。 産卵がはじまったようだ 9時22分7月19日 抱卵 15,6日頃から 7月27日 激しい雨の日も そろそろ孵化…8月1日 1羽 2羽 3羽 8月5日 いつのまにか目が開いて8月6日 あれ、4羽 !!!この日の夕方から夜明けまで、激しい雨と風と雷が… 8月7日どうやらみんな無事だったようです。それどころか、この日、親鳥は雛たちの巣立ちを促しました。 この子は最後に残ってしまって、なかなか飛びたてませんでした。以下のこの日の写真はすべて、この最後に巣立った同一の子です。 ↓ 気がついたら、ベランダの縁に。 その下で二匹の犬が昼寝中でした。 ↓ 藤の木 ↓ ツツジ ↓ 隣家の物置の雨樋に ↓ 裏の柿木に やがて親が来て エサを与える 8月9日 裏手の柿の木の下に鳥のフンが 親鳥たちはみごとに四つ子すべてを一か所に集結猛暑のなかで、みるからに体力を消耗させながら、ついに4羽の雛を無事巣立ちさせた親鳥たちの愛情の深さ、連係プレイの見事さ、ほんとうに神秘的でただただ驚くばかりです。 8月12日 昨日の朝、予告なしに役所の殺虫剤散布が近くではじまり、胸が締め付けられるほど心配しました。午後になって、柿の木に親子いっしょの光景を見たとき、どんなにほっとしたことか。わずかの間にだいぶ大きくなっています。おや、一羽足りません!? いえ、ちゃんといます。 「ヒヨドリをよろしく」のなかで、私がいちばん書きたいことは親鳥の愛情の深さなのですが、それは私が野鳥の子育てに無知であったがために、はからずも一歩踏み込んで知りえたひとつの神秘的な世界でした。私の野鳥への関心(といっても専門的なことでなく、野鳥への親しみ)は、ほとんどここからはじまっています。野鳥へ関心がいくようになると、いやでも自分の無知に気づかされるようになり、「ヒヨドリをよろしく」といいながら、大げさに言えばどこか罪悪感のようなものも感じ続けなければなりませんでした。しかし、だからこそ今回、雛たちの危なっかしい巣立ちをハラハラしながらもいらぬお節介をやかずに見守ることができたのでした。無駄な経験というものはないな、とあらためて感じました。そしてなんだかようやく、罪悪感のようなものが吹っ切れた気がします。十八年目にして。
August 10, 2008
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犬と猫とうさぎ、そしてヒヨドリ
April 1, 2008
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レオくんの分身 生まれ故郷へ
June 16, 2007
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小庭にて
June 1, 2007
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感謝と近況私の花見
April 27, 2007
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ご挨拶
March 31, 2007
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窓をたたいたのは、だれ? 空腹が満たされると、チーちゃんとダイちゃんはフゴの上でうとうとしはじめました。もう雛のおきている時間ではありません。鳥籠にもどすと、二羽はピッタリ寄り添い、ふたたびうとうとしはじめました。眠くて眠くてもうだめ、という感じです。 私たち人間も、ほっとしたとたんに疲れがどっと出てきました。台風が去ったあと、寝不足のうえにおそい朝食をとったきり食事らしい食事もしないで、ヒヨドリ一家に一日中振り回されていたのです。「どれ、夕飯になる前に、お手柄ヌウの相手をしてやろう」夫が立ち上がると、私の肩にいたヌウは畳にとびおり隣室に行く彼のあとを、ちょんちょんホッピングしながらついていきました。私は、むき出しの雛たちの籠をおおうために、古いレースのカーテンと少しかび臭い毛布をだしてきました。ガラス戸を閉めてもけっこう蚊は忍び込むし、夏とはいってもこの田舎では明け方近くになると肌寒いほど気温が下がることもあります。鳥籠をすっぽりレースのカーテンでおおい、その上から、前面だけあけて毛布をかけてやりました。「チビさんたち、ぐっすりお休み。明日になったら、またおかあさんにあえるからね」そうささやきかけたものの、明日はどうなることやら...。四羽いたすべての子を巣から失った母鳥は、いまどんな思いで過ごしているのだろう?小鳥のことだから、もうあきらめてしまったのだろうか?あの、Tさんちのベランダから消えた雛は、もう生きてはいないのだろうか?父鳥はどこへ?いろいろな思いが頭の中をかけめぐり、ぼんやりしていたそのとき、誰かが窓ガラスを触れるほどに軽くたたいたような気がしました。(だれだろう?)音のするほうに顔を向けた私は、「あ!」と息をのんで、そのまま身動きできなくなってしまいました。ガラス窓の木の桟に、鳥がへばりついて部屋の中をうかがっているのです。なんと口には、羽のついた虫をくわえているではありませんか。ボロボロで貧弱な尾羽がはっきりとわかります。ヒヨドリのお母さんがわが子たちに餌を与えにきたのです。私は感極まって、短い声を発し、思わず不動の姿勢を崩してしまいました。とたんに母鳥は、背後の闇に姿を消しました。一瞬間の出来事でした。隣室にいき、文鳥のお手柄ヌウをかまっている夫に、たった今の出来事を夢中で話しました。彼は最初、いくらなんでもこんな暗くなってから鳥が飛んでくるわけがない、雀蛾かなんかと間違えたのではないかと、にわかには信じられない様子。「もっとも、真っ暗ではないし、鴉や白鷺がこんなころ飛んでいくのを見たことがあるから...」たしかに暗くなったといっても家々に明かりがともり外灯もついています。母鳥は、自由には飛べないまでも、その明かりをたよりに、ずっと気を抜かずに家の中の様子をうかがっていたのでしょう。 この分だと、明日も母鳥がやってくるに違いないと思いました。私たちはその様子を見守るために、そして一日でも早く親子を一緒にしてやるために、一つ屋根の下で、そう、あばらになりかかった離れで、チーちゃんダイちゃんと寝起きをともにすることにしました。
March 30, 2007
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甘えん坊の文鳥が 当時、我が家にはヌウという名の、オスの桜文鳥がいました。すこぶる甘えん坊の手乗りでした。この日私たちは、ヒヨドリ騒動にかまけて彼のことをほとんどほったらかしにしていたから、たいへん。ヒヨドリの雛チーちゃんダイちゃんたちと、この日初めて部屋で対面するわけですが、ヌウのそのときの反応は、まさに異常としかいいようのないものでした。鳥籠の金網にしがみついて、ついに爆発したのです。「イイヨ、イイヨー」それは私たちに何か訴えるときの、ヌウ独特の細く高い鳴き方なのですが、いつもとはボリュームがぜんぜん違います。「(そんな子たち、ほっとけば)イイヨ、イイヨー」といっているようで、ヌウには悪いが、思わず笑ってしまいました。「ほっといてごめんごめん」といいながら鳥籠の入り口を開けてやると、すぐ飛び出してきて、私の手の甲をがむしゃらにつつきはじめました。アワやヒエなどの粒餌を噛み砕くほどのくちばしなので、本気でつつかれると、その痛さは悲鳴を上げたくなるほどです。夫が口笛で呼ぶと、夢中で彼の肩へ飛んでいき、そこでも不満を乱暴にぶちまけ、むき出しの首筋を容赦なくつつくありさまです。そうして今度はチーちゃんとダイちゃんのほうを見て、さて、どうしてくれようとばかり、眼を鋭くし、体を細くしました。文鳥も気が強い鳥ですが、ヌウはこのとき、無鉄砲に雛たちに飛びかかろうとはしません。相手はまだあどけないとはいえ、自分とあまり大きさがかわらないのです。しかも二羽。下手をすると、自分のほうがやられると思ったのかもしれません。ヌウには、私たち親を奪われたことのほかに、我慢できないことがもうひとつありました。それは、自分が毎日愛用しているフゴのふちに、チーちゃんダイちゃんがとまっていたことです。フゴというと、魚を入れるびくなどを思い浮かべるひとがいるかもしれません。ここでいうのは、飼い鳥の雛を入れておく藁で編んだ蓋つきの入れ物のことです。いわば小鳥用のベビーベッド。面白いことにヌウは成鳥になっても、まだフゴ離れができない子でした。昼寝のときは鳥籠の止まり木でうとうとするのですが、夜、本格的な睡眠をとるときは、このフゴの中でなければ落ち着かないのです。といっても、このフゴに自分からさっさと入るというわけではありません。夜眠くなると、いったん私たちどちらかのところへやってきて、人の手の中かふところで、うとうとするのです。すると私たちは、そう、ちょうど大人の膝で眠ってしまった幼児をそうっとベッドに移すように、ヌウをフゴに入れて、蓋をしてやるのです。フゴの中でぐっすり眠ったヌウは、あくる朝目が覚めると、とっておきの機嫌のいい声で、「ピピヨピピヨ ピッピピピー ピピヨピピヨ ピッピピピー」と鳴きだします。それは私たちには「オハヨウ、オハヨウ。ハヤクフタトッテェ」と聞こえ、楽しい目覚まし時計のようなものでした。ヌウはその気になれば、くちばしでポコポコ蓋をずらして自分で出てくることが出来るのですが、朝はきまって、私たちが蓋を取ってやるまで、歌いつづけながらいつまでも待っているのでした。そんなわけでフゴは、ヌウにとってとてもだいじなものだったのです。それを私はうっかり、止まりやすいだろうと、チーちゃんとダイちゃんに―。あっと思ったときには、もうヌウは、フゴの縁にいました。そして、憎き相手に触れんばかりにくちばしをつきだし、「イイヨ、イイヨー」 私たちは同時に、「ヌウ。だめっ」と、激しく叱って、もう少しで彼を払いのけるところでした。ところがなんとそのとき、あれほどまでにかたくなだったチーちゃんとダイちゃんが、そろって大きく口をあけたのです。しかも小刻みに羽をふるわせ、チィ、チィ、チィと親に甘えるのと同じ声を出してー。フゴとチーちゃん&ダイちゃんこの写真は、何日かあとのものです私たち人間にも、こんな風によく口をあけるようになりましたヌウは面食らって、そのままフゴの上でキョトンとなっています。夫が、しめたとばかり、すり餌を指先ですくってすばやくダイちゃんの口におしこみました。すると、ごくりとのみ込んだではありませんか。私も真似して、チーちゃんの口にすり餌をおしこみました。これも夢中でのみこんだのです。うれしいことに、二羽の雛はそれをきっかけに、私たちが餌を与えようとすると羽をふるわせ、大きく口をあけるようになったのです。そして、すり餌だけでなく、デラウェアも蜘蛛もよろこんでのみこみました。「ヌウちゃんでかした。でかしたぞ」「ヌウちゃんは、救いの神よ」やっと自分に関心が向けられ、優しい声をかけてもらえるようになった甘えん坊は、ようやく落ち着きをとりもどしたのでした。外は、とっぷり暮れていました。もう、この日は、これで何事もおきないと思っていました。
March 25, 2007
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強 情 な 雛 「あれ、今度は虫をくわえてきたぞ!」夫の言葉に、鳥籠の上にきた母鳥をよく見ると、蜘蛛らしきものをくわえていました。チーちゃんとダイちゃんは、真上に大きく口をあけ、青葡萄のとき以上に羽をふるわせています。蜘蛛は、母鳥の細いくちばしとともに、やすやすと金網の中に入りました。やれやれ、ちびさんたちはこれでやっと餌にありつける、今度こそだいじょうぶと思いました。ところが、雛たちときたら、やっぱり餌に向かってジャンプもしなければ、背伸びもしません。ただ口を思い切り大きくあけているだけなのです。母鳥のほうも蜘蛛をくちばしから放してまっすぐ落下させれば、雛の大きくあけた口に難なく入るのに、いつまでたってもくわえたままです。夫はみかねて、母鳥が飛び去ったすきをねらって、止まり木をすばやく上にずらしてやろうとしました。が、鳥籠の中に手を入れようとしたとたん、どこからともなくサッと母鳥が舞い戻り、狂ったように鳴きだしました。そして、夫の頭上をせわしく飛び回り、威嚇しはじめたのです。実際に夫の髪の毛が、母鳥の爪に少しひっぱらればらつきました。あの細いくちばしで、眼球でも狙われたらたいへんです。結局彼は目的を果たせないまま、ふたたびカーテンの陰に身を隠したのでした。気がつけば、あたりは暮れはじめています。母鳥のやってくるのがだんだん間遠になり、ついにはピタリと来なくなってしまいました。わが子たちのことをあきらめてしまったのだろうか。あれほどまでにわが子を奪い返そうと必死だった母鳥が...。もしかしたら、疲れが限界に達してしまったのかもしれない。もう一羽の雛を誘導しようとしていた父鳥のほうも、そのあとまったく姿を見せませんでした。母鳥の絶叫が、そして親鳥同士の励ましあう声が、いつまでも幻聴となって耳から離れません。 ピッタリ寄り添ったチーとダイの胸の産毛が夕風に優しくふるえています。いったいどうしたら、この子たちを無事親に返してやることができるのだろうか? なんとも切なくなってくるのでした。夫が、ためしにもう一度、白樺の巣にチーちゃんとダイちゃんを戻してみました。しかし、どちらもすぐ出てきてしまい、ヒヤヒヤハラハラさせられるばかりで、とても目が離せません。「仕方がない。やっぱり飛べるようなるまで、うちでこのまま面倒を見ることにしよう」夫のこの決断に異存はありませでした。小さな縫いぐるみのように愛らしい雛たちを見ていると、面倒なことになるという思いよりも、たとえ一時でもそばで世話ができてうれしいという思いのほうが強いのでした。いまは建て替えましたが、当時、狭い中庭をはさんで、木造の古い離れがありました。鳥籠をそこに運び、二羽を部屋に出してやりました。どちらも飛ぶどころか、固まったままです。わざと少し離れた場所においても、すぐ互いににじり寄ってピッタリと寄り添ってしまいます。まったくの別世界につれてこられて、どんなに心細いことだろう。親鳥はどこからか網戸越しに、この様子をみているのだろうか。問題は餌でした。私たちが与えるものは、絶対に口にしないのです。鳥籠の中のデラウェアもすり餌も元のままでした。「そうだ、蜘蛛なら食べるかもしれない。それがだめなら、口をこじ開けて、ジュースでも流し込むよりほかないね」夫はいいながら、フィルムの透明な空ケースを持って庭におりていきました。そしてじきに戻ってくると。雛たちの目の前で、ケースをふってみせました。「ほら、これを食べなきゃ、もうしらないぞ」ケースには、コガネグモばかりが数匹、もぞもぞ動いていました。蜘蛛には気の毒だが、雛たちにはご馳走のはず。夫は指先につまんだ蜘蛛を、彼らの目の前ででふって見せました。しかし、チーもダイもまったく反応しません。かたくなに口を閉じたままなのです。「おそろしく強情だ!」あきれながらも、夫は何とか相手に口をあけさせようと必死でした。私も試みてみました。「ほら、アーンしなさい。あんたたちの好物なんでしょ。はやく、アーンして」雛たちはゴクリともしません。スポイトでオレンジジュースをやろうとしましたが、それさえもまったく受け付けようとしないのでした。口では乱暴なことをいってみても、黄色くてか細い雛たちのくちばしをこじ開けるなんてことは、夫にも私にもできません。万策尽きて、私たちはただただ途方にくれるばかりでした。ところが、なんとなんと、ごく身近なところに思いがけない救いの神がいたのです。 このときは、大きさの違いはまだわずかでした口は誓い合ったようにどちらもかたくなに閉じたままです
March 21, 2007
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父鳥もわが子を必死に― 「もう一羽も気になるなぁ」「生きててほしいわねぇ」鳥籠のチーちゃんとダイちゃんに気をとられながらも、私たちは、行方不明になったままの雛のことも気になっていました。そんなに遠くへ行くはずがないのに、近辺には、気配がまったくないのです。(もう猫にやられてしまったのだろうか...)望みがまったくないわけではありません。チーちゃんダイちゃんと一緒に巣から飛び出したとき、三羽ともがまがりなりにも宙を飛んだのを夫が目撃していたからです。私たちは、近所の屋根の上を探さなかったことに気がつきました。私がまた鳥籠の見張り役になり、夫が二階にかけあがっていきました。それからほどなくしてでした。夫がダダダとすざましい勢いで階段をおりてきたのです。「いたよ、いたいた!」もう一羽が見つかったというのです。「ほんとっ!?」「Tさんちのベランダの手すりにいたよ。父さん鳥もいたよ」「ほんと?」私はすぐに二階にいき、東側の窓から外を見てみました。二軒続きの平屋をこえたその先にTさん宅の二階がみえ、ベランダの側面がこちらを向いてます。その手すりに、たしかに灰色の小さなかたまりが―。目を凝らすと、間違いなく鳥籠の二羽と同じヒヨドリの雛でした。 その子を父鳥(ヒヨドリは外見だけでは雌雄の区別はつけにくいのですが、どうやら羽がボロボロのほうが母鳥のようなので、こちらは自然に父鳥ということに)が、懸命に誘導しようとしています。手すりのわが子の隣に並んでは、すぐに平屋の瓦屋根に飛び移ってみせて―。こちらの耳までは届かないのですが、きっとこの父鳥も、母鳥が裏庭でしたように、グウェ、グウェと低い蛙のような声で、「コッチヘ、ハヤクオイデ」と優しく厳しく、呼びかけているのでしょう。台風が去ってもいっこうに姿を見せなかった父鳥ですが、陰でわが子の救出に懸命だったのです。しかし、ベランダの雛ときたら、父親の心配をよそにその場をぜんぜん動こうとしないのです。見ていると、じれったくなるばかりでした。力つきて地面に落ちなければいいが、と見ていてヒヤヒヤします。夫がチーちゃんとダイちゃんの入った鳥籠をさげて二階にきました。「きょうだいを見せればつられてやってくるかもしれない」彼は鳥籠を高くかかげ、T家のベランダにいる雛に気づかせようとしました。しかし、気づいてか気づかずか、何の反応もありません。母鳥が勇敢にもその鳥籠のそばまできて、「ワタシタチノ、コドモヲ、ハヤクカエシテ」と騒ぎ立てるばかりです。私たちは、鳥籠をそのまま出窓に置き、レースのカーテンをひいて、陰でしばらく様子ををみることにしました。母鳥は籠のわが子たちにとっかえひっかえ青葡萄を与えようとし、父鳥は危なっかしく金属の手すりにいるわが子を誘導しようとし、どちらもむなしい努力を休みなく続けているのでした。そうしている間も、親鳥同士は励ましあうように甲高い声を長くのばして、互いを呼び合うことを忘れないのでした。どれくらいたったでしょうか、ふと気がつくと、Tさん宅ベランダの手すりにいた雛の姿がありません。ついに力尽きて地面落ちた?そして猫にやられた?マイナスのことばかり考える私たちでした。が、雛は平屋の瓦屋根に降りていました。そして父鳥は、といえば、姿はどこにもみあたりません。そして、ちょっと目を放した隙に雛も消えていました。もしかしたら?なんだか希望がうまれてきました。父鳥は、雛をどこか安全な場所にうまく誘導できたのかもしれない!
March 14, 2007
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なんとしても口をあけない雛 夫が息せききって戻ってきました。買ってきたのは、小粒の種無し葡萄デラウェアと和鳥用のすり餌。私も、腹ペコの雛たちは、これらのご馳走に夢中でとびつくと思いました。夫はまず、デラウェアの皮をむき、甘そうに熟れた中身を爪楊枝に刺して、雛の口にもっていきました。ところが、チーちゃんもダイちゃんも、まったく口をあけないではありませんか。テレビのアンテナに止まってうろたえている母鳥の声は、「オマエタチ、ゼッタイニ、ソンナモノ、タベテハイケナイヨ」といってるように聞こえます。 チーちゃんとダイちゃん&行方不明2羽のお母さんすり餌は、淡水魚粉や青菜粉の入った栄養もうまみも満点という五分餌でした。そのまま水溶きしただけで与えてよいとありましたが、まだ飛ぶこともできない雛だからと、乳鉢ですってなめらかなペースト状にしました。それを割り箸を削って作ったヘラの先につけて、今度こそはと、雛の口先へもっていったのですが-。やはり二羽とも口をかたくなに閉じたままです。「ほら、やせ我慢しないで食べるんだ」「こんな無邪気な顔してるくせに、おそろしく強情だわね」卵から孵ってまもなくだったら、私たち人間を親と思いこんで、与えるものを素直に食べたかも知れません。しかし、本当の親から口移しにエサをもらってきた彼らとって、私たちは、怖い生き物でしかなさそうです。それにしても、ひどく空腹だろうに、目の前にご馳走をつきだされてもゴクリともしないとは...。「死んでも人間の世話にはならないつもりかしら?」「もう野鳥のプライドを持っていのかもしれないね。たいしたものだ」感心している場合ではありません。このままでは、チーちゃんもダイちゃんも飢え死にしてしまいます。私たちは鳥籠のなかにデラウェアをばらまき、すり餌の器をかけて、しばらく陰で様子をみることにしました。もしかしたら、空腹に耐え切れなくなって、野鳥のプライドをかなぐりすてて、敵の差し入れにむしゃぶりつくかもしれない。しかし親に口元まで運んでもらうばかりだった雛たちが、止まり木を動いてエサをついばむはずがありません。私たちが隠れると、じきに母鳥がわが子のいる鳥籠の上にやってきました。青葡萄をくわえていて、さっきと同じように、むなしい努力をくりかえします。
March 9, 2007
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友達からのプレゼント
March 8, 2007
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鳥 籠 と 青 葡 萄 夫が物置から古い鳥籠を出してきました。先代の文鳥が長く出入りしていたものです。金網はさびかかっていましたが、目がきれいにそろっていて危険なところはありません。底のプラスチック部分に、わずかにヒビが走っていました。それも実用には差し支えなかったのですが、念のため荷造りテープを絆創膏よろしく貼り付けました。「少しかっこ悪いけど、これで我慢してもらおう」「すぐ放すんだもんね」母鳥は、近くの枝に来て、私たちのすることを監視しながら、「コドモヲカエシテ。ハヤクカエシテ」と、あいかわらず鳴きつづけています。「おまえの赤ちゃんは、とっても安全な保育器にいれられたのよ。ちゃんと飛べるようになったら、すぐ返してやるからね」といったところで、ヒヨドリに人間のことばが通じるわけがありません。声がつぶれそうに鳴いている母鳥の気持ちをおもうと、こちらまで切なくなってくるのでした。雛たちは籠に入れられた瞬間からずっと、二段ある止まり木の上段で、まるで磁石の両極のようにピタリと体を寄せ合っています。「ドンナコトガアッテモ、イッショニイヨウネ」「オカアサンノトコロニモドレルマデ、ズットイッショダヨ」そんな風に、誓い合っているかのようでした。二羽は並んでみると、大きさがだいぶちがっていました。それは、だんだんわかってくるのですが、オス・メスの違いだけでなく、体力、成長の違いなどをしめすものでした。この違いが後に、このきょうだい鳥の運命をまったく別のものにしてしまうのです。そんなことを知るよしもない私たちは、どうせすぐ親に返すのだからと、二羽にいとも簡単な呼び名つけたのでした。大きいほうをダイちゃん、小さいほうをチーちゃん。やがて、私たちはあることに気づきました。母鳥は、自分の子どもを返してほしいという悲痛な叫びのあいまに、まったく別の鳴きかたをしていたのです。それは遠くまで響いていく甲高い声で、語尾を長くひきます。彼女がその声を発するたびに、どこからか、同じような鳴き声が返ってくるではありませんか。ときには、その逆に、むこうから先に鳴き声がとどき、母鳥がそれにこたえることもあります。どうやら父鳥は、無事だったようです。夫婦で、互いの場所を確かめ合ってでもいるかのようでした。それにしても、台風が来るまで、四羽の雛にあんなに一生懸命餌を運んでいた父鳥が、いまなぜ母鳥と一緒にわが子を助けようとしないのだろうか、と不思議でした。声だけで、姿を見せないのです。夫は巣のある白樺の太い枝に、チーちゃんとダイちゃんの入っている鳥籠を下げました。私たちが家の中に隠れると、とたんに、母鳥がその上に飛び乗りました。彼女は美しい緑色の玉をくわえています。「葡萄だわ」近所に葡萄棚を作って日よけにしている家があります。おそらく、手っ取り早くそこから失敬してきたのでしょう。「雛があんなに若い実を食べるのかな?」ほんとに硬くてすっぱそうな青葡萄でした。母鳥はそれを雛に与えようとけんめいです。悲しいことに、葡萄の粒は鳥籠の金網の間隔より大き過ぎて、雛が大きく口あけても下に落ちません。母鳥はあきらめず、新しい青葡萄をとりにいっては、何度も同じことを試みるのでした。しかし、粒の大小を選別する能力がないのでしょうか、それとも無我夢中で手当たり次第にとってくるのでしょうか、運んでくる青い実はみんな大きすぎて、金網の目を通過しないのです。夫は、母鳥のいないすきを狙って、すばやく鳥籠の天井の金網を、一か所押し広げてきました。しかし、青葡萄をくわえてもどってきた母鳥は、ちっともそれに気づきません。チーちゃんもダイちゃんもあいかわらず上を向いて、甘え声とともに羽をふるわせ、口を大きくあけるだけでした。背伸びすらしないのです。「このままでは二羽とも弱ってしまう。何とかしなければ...」夫は、ヒヨドリ一家を不幸にした全責任が自分にあるかのように、真剣な口調で言いだしました。そして「ひと走りして、スーパーに行ってくるから、猫にとびつかれないようによく見てて」といいのこして、自転車に飛び乗り、あたふたと出かけていきました。
March 6, 2007
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目が離せない どのくらいたったでしょうか。しびれをきらした私は、ついに勇気をふるいおこしました。恐るおそる雛に近づいていったのです。とにかくこのときの私には、このまま放っておいたら雛がいとも簡単に猫や蛇に襲われてしまう、ということしか考えられませんでした。母鳥のあわてふためきようといったらありません。耳が痛くなるほどの絶叫をくりかえしながら、私に接近しては離れます。「だめよっ、つついちゃ。おばさんはこの子を助けてやるんだからねっ」そんな私の強いさとしが通じたかのように、母鳥は頭上で騒ぐだけで、実際には私を襲ってはきませんでした。それでも雛をつかまえる一瞬の怖かったこと、むき出しの肌が粟立つほどでした。母鳥は、悲しそうな叫び声をあげながら、雛を胸にした私のあとを、つかず離れず追ってきました。空家同然の離れ、小さな中庭、私たちが休暇を過ごしている母屋、それらのわきを通り、そして白樺のある猫の額ほどの前庭へ―。 1990年当時そこへ、ちょうど夫も門の外からもどってきました。なんと、彼の手の平の中にも、雛がいるではありませんか!その子は、はす向かいの生垣にしがみついていたそうです。母鳥が私たちの頭上を旋回しながら、「コドモヲカエシテ、ハヤクカエシテ」と休みなく叫びつづけています。とにかくいま二人の手にいる二羽を巣にもどして、親を安心させることにしました。親といっても、父親のほうの姿は朝からまだ一度も見かけないような気がします。どうしたのでしょうか。昨夜の強い雨風の中で、何か事故でもあったのかと、気がかりでした。それに、行方不明になったままの二羽の雛のことも頭から離れません。台風のさなかにいなくなったとおもえる一羽は、ほとんどあきらめてはいましたが…。ともかく、いまふたりの手の平にいる二羽の雛を巣にもどしてやることが先決です。ところが、夫がなんど試みても、二羽ともすぐに巣から出てきてしまうのでした。どっちもどこかへ飛んでいこうとする気などぜんぜんないのですが、枝のあちこちをヨチヨチ動きまわるので、地面に落ちてしまうのではないかと目が離せません。そのうち本当に一羽が落ちてしまいました。母鳥は、近所迷惑なほど騒ぎ続けています。このままでは、雛たちは間違いなくは母鳥の目の前で、猫にやられてしまうと思いました。思案の結果、親鳥には気の毒だけれど、私たちは二羽の雛を、一時、鳥籠に入れることにしたのでした。
March 3, 2007
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ああ、じれったい! 私は始め、上のほうばかり探していました。雛たちが曲がりなりにも宙を飛んでいなくなったからです。我が家の柿の枝と、川向こうの土手から長くのびてきている桜の枝とが、こちらの土手の真上で深く交差しています。台風一過の青空が、深緑の間から散らばったガラスの破片のようにキラキラのぞいていました。(いたいた!)と思ってよく見ると、それは雛ではなく重なり合った葉の造形でした。あせっているので、ちょっとしたものが探している雛の形に見えてしまうのです。どこかで低く変な調子でカエルが鳴いています。さっきからずっと鳴いています。ふと少し離れた土手の斜面を見て驚きました。 ヒヨドリの雛があどけなく遊んでいるではありませんか。そう、草の葉をしゃぶったりしてあどけなくです。そっと近寄っていくと、とたんに、いつきたのか親鳥がフェンスの上でけたたましく鳴きだしました。頭の羽毛を逆立て、今にも飛びかかってきそうです。私は恐ろしくなって、あわてて家の陰にかくれました。様子をうかがっていると、親鳥は地面におり、雛のそばまでいって低い声で鳴きだしました。(あっ、カエルの声!)さっきまで聞こえていたのとまったく同じ、あのカエルの声...。私は勘違いしていたのです。カエルの声と思ってきいていたのは、実はこのヒヨドリの声だったのです。するとこんどはその同じ声が、なんともいえない哀調を帯びてきこえるのでした。甲高くてやかましいときより何オクターブも低い声。あたりに聞こえるのをはばかるような、そしてどこか優しさと厳しさをあわせもった声。よく見ると、親鳥は尾羽が少ししかありません。(ボロボロ母さんだわ!)やがて母鳥はフェンスに飛び移り、またグウェ、グウェとカエルに似た声で必死に雛に呼びかけます。「ハヤク、コッチヘキナサイ。ハヤクハヤク。ドウシテ、オカアサンノイウコトガキケナイノッ。サア、ハヤクツイテイラッシャイ」そしてまた雛のいる土手の斜面におりてくるのです。その繰り返しです。しかし、無邪気な雛は、いっこうに母親の思うようにはならないのでした。猫の親だったら、こんな場合、子猫の首筋をくわえて安心できる場所に連れて行くことができるのに...。(ああ、じれったい。はやくしないと、猫や蛇にたべられちゃうわよ)
March 1, 2007
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巣が 空っぽに! 雛の声をたどると、ドウダンツツジの暗がりに、灰色の小さなものがかすかに動いているではありませんか。まさかと思いながら、近寄ってみると、まぎれもなくヒヨドリの雛でした。「えー、おまえ生きていたの!」私は声を押し殺しながらも、興奮していました。雛は短い翼をバタバタさせて逃げようとするのですが、地面のほとんど同じ場所をうろうろするばかりです。手を近づけると、まるで「ヤダー、ツカマエナイデ」というように、口を大きくあけてのけぞります。しかし、まったく飛ぶことのできない雛をつかまえるのは簡単でした。そっと両の手に包みこむようにして拾いあげました。胸いっぱいの真綿のようなにこ毛をとおして、温みと鼓動がはっきりと伝わってきました。野鳥の雛が落ちていても親が上手に巣に連れもどすから手を出してはいけない、といいますが、山林でならともかく、猫がうろうろする自分の家の庭先で、まして親の姿が見えない状況では、そんなことを考える余裕はなく、とにかくほうってはおけませんでした。夫も庭に出てきました。雛を手渡すと、「よかったよかった。すぐ巣に返してやるからな」といいながら、おびえている小さないきものの背にやさしく息を吹きこんでやりました。「これでまた、元どおりの四羽になるのね」「はい、こっちによこして」白樺に立てかけたはしごに片足をかけながら、夫が小声でいいます。私はおびえている雛を手渡すと、あたりを見回しながら、「早くしないと親がもどってきちゃうわよ」と夫をせかせました。親鳥がいないすきに雛を巣にもどしてやるわけですが、いつ現れるかわかりません。彼らは急降下、急旋回が得意で、空からでも地面からでも、思いがけない現れ方をするのです。あの甲高い鳴き声や餌場などで先客を追い払う気の強さから想像すると、ヒヨドリの襲い方は相当すざましいような気がします。私は急いで二階にいき、レンズをのぞきこみました。夫の顔が巣に近づく。雛を握った手が巣の縁にいく。巣の中をのぞきこんだ彼がなぜか首をかしげる。どうしたのだろう?「早く、早く」私は小声でいよいよ急かせます。そして、ついに雛は巣にもどされたのでした。(やった。奇跡の生還!)ところが、心の中での歓声と同時に、レンズの中の光景が大きく乱れてしまいました。「しまった!」夫の声も同時です。私は、窓から身をのりだしました。「どうしたの?」「まいっちゃったよ。みんな飛び出しちゃったよ」私には、すぐには何のことかわかりませんでした。ともかく、あわてて階下にいき、庭に出てみました。はしごからおりてきた夫は、興奮気味にこう説明します。「あれを巣に入れたら、とたんに中にいたのが、みんな飛び出しちゃったんだ」「えーっ!」私は、それきり声が出ません。夫はなおも衝撃的なことをいいます。「巣には二羽しかいなかった」「二羽? 三羽じゃなかった?」「いや、二羽しかいなかった」夫が巣の中をのぞいたとき首をかしげたのは、そのことだったようです。とすると、さっき拾ったのは、けさ巣の中にいた三羽のなかの一羽だったということになります。となれば、最初にいなくなった雛は?あれはやっぱり昨夜の台風でどこかに落ちて、そこを猫にやられてしまったのかもしれない、と思いました。私は、信じたくないおもいで、やっとききました。「それじゃ巣はからっぽ?」「そういうことなんだよ。なんだか親切があだになっちゃった」話している間も、私たちはたえずあたりを見回し、雛たちの姿を探していました。 空っぽになってしまった巣 最初はヒナが四羽いたのにまだ巣立ち前の、羽ばたきの練習もすまない子たちだったから、そんなに遠くへ行くはずはない。まごまごしていたら、みんな猫にやられてしまいます。裏の川の土手には蛇もいます。夫は門の外を、私は家の裏のほうを、手分けして探すことにしました。
February 27, 2007
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台風が去ってみれば 台風が、この地方を直撃すると予想されながら、途中で進路を変えていきました。それでも雨風の激しさは相当なものでした。次の朝、私ははめごろしの小窓の明るさに驚いてベッドから跳ね起きます。一晩中ヒヨドリの雛たちのことを気にしながら、寝入ったのは明け方近くになってからだったのです。もどかしい気持ちで広縁の雨戸の一枚目をくると、おそるおそる白樺の根方に眼をやりました。(よかった!)濡れて光る地面には、ヒヨドリの巣はおろか、一羽のヒナも落ちていなかったのです。親鳥の騒ぐ声もまったくしません。(すごい。あんなに雨と風がひどかったのに、なんともないなんて。白樺が守ってやったんだ)夫も昨夜は、雛たちのことが心配でまんじりともしなかったといいました。そして、「みんな無事っていうけど...」、と寝不足のはれぼったい目をこすりこすり、半信半疑の顔を白樺の上のほうに向けながらいいました。「巣が遠くに吹き飛ばされているかもしれない」二人で二階に行き、窓からそろって身を乗り出しました。白樺の葉むらに目を凝らすと、巣は元の位置にちゃんとあるではありませんか。そればかりか、雛の頭も見え隠れしていたのです。「たいしたものね。台風にもびくともしないなんて」ヒヨドリは、大切なわが子を守るために、われわれが想像するよりずっとしっかりした巣を作るようです。夫はそのあとすぐ、台風の予報で取り外しておいた望遠レンズを、再び窓にセットしました。ピント合わせをしていた彼が、首をかしげました。「どうしたの?」「.........」「ね、どうしたの?」「う、うん。どうもヒナが一羽足りないみたいなんだ」「エーッ、ほんと?」私は彼を押しのけ、レンズをのぞきこみました。 四つあるはずの雛の頭が、たしかに三つしか見えません。まだ眠っているのがいて、親鳥が餌を運んでくれば、その子もきっと大きく口を開けて伸び上がるかもしれない。私たちは、四羽いると信じようとしました。親鳥は二羽ともまだ姿をあらわしません。それもまた心配でした。ことに母鳥のほうが気になります。あの尾羽では、強い雨風の中でバランスをとるのは難しかっただろう。わが子を守るために力つきて、いまごろ...?いやなことばかり考えてしまいます。親鳥たちへの心配がいよいよつのって、このまま雛たちだけが残されたらどうしようなどと考えているとき、やっと一羽がエサをくわえて巣にやってきました。ボロボロの母鳥のほうでした。雛たちは機械仕掛けのボタンをおされたようにいっせいに大きく口をあけ、またいつものようにピィピィにぎやかに鳴きだしました。しかし、レンズの中の雛は、いくら数えても、三羽しかいません。姿の見えない一羽は、巣の中で死んでいるのだろうか。それとも昨夜の雨と風にやられて地面に落ち、猫に食われてしまったのだろうか。巣立ちまえの、羽ばたきの練習さえもまだだった雛がいないとなれば、どうしても悲観的な想像をしてしまいます。羽が散っていたり、死骸の一部が残っていたり、むごたらしいあとがないのがせめてもの救いでした。野鳥には卵のときから危険がいっぱいで、天寿を全うできるのは、よほど運がいいとききました。それにしても、あそこまで育ちながら残念でしかたがありません。ところが、おそい朝食をすませて、まだ食卓でゆったりしているときでした。どこからか、チィチィと幼げな弱々しい声がしてきました。それは、白樺とは違う方向からで、しかもどうやら地面から―。
February 23, 2007
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ヒヨドリ親子と野良猫親子 やがて私たちは、一方の親鳥の羽がボロボロなのに気がつきました。特に尾羽ときたら、かろうじて残っているという感じで、それも片側によっているのです。 ボロボロ母さんのほんとうのシルエット換羽期というのは個体差があってまちまちにしても、よりによって子育ての時に、それだけでも体力を消耗する換羽の時を重ねるなんてことがあるのだろうか、と疑問をいだきました。ヒヨドリのオス・メスの区別はつけにくく、はっきりした決め手は何もないのですが、どうもボロボロのほうが母親のような気がします。本で調べてみると、メスは数個の卵を産み、それを二週間抱き、そして卵がかえってからは、パートナーといっしょにせっせと子育てに励む、とあります。そこには書いてなかったけれど、その間の天敵から卵や雛を守る苦労のほうも並大抵ではなさそうです。いま目の当たりにしているヒヨドリのボロボロさかげんが、いかにもメスのそんな苦労をよく物語っているような気がするのでした。日がたつにつれてそれはいつしか確信に変わっていき、ボロボロの方を話題にするときはごく自然に、「母さん」あるいは「おっかさん」、そしてときには「ママ」などというようになっていました。もう一方の親鳥の尾羽は、バランスよくそろっていました。全体に体が一回り大きく見えます。おそらくこれがオス、つまり雛たちの父親だろうと思いました。そのうち、巣の縁にとまって遊ぶやんちゃなのが出てきました。成長したヒヨドリの特徴のひとつは長い尾羽ですが、ヒナたちの尻に、それはまだ数ミリ程度、あるかなしの長さです。胸元は灰色のふわふわの産毛に包まれ、まるで小さなぬいぐるみのよう。まだとても空を飛べそうもありません。落ちそうなほど危なっかしい場面が何度もくりかえされます。落ちないまでも、あんなところを猫に狙われでもしたら...、ととてもハラハラ、ヒヤヒヤさせられるのでした。我が家の裏で、私がエサを与えている野良猫親子の存在がひどく気になりだしました。親猫だけでなく、子猫にだって油断はできないのです。ある話を思い出して、よけいそう思うのでした。それは、猫好きの妹から聞いた話です。ここでまたまた寄り道―。あるとき、タスケテェ、タスケテェといわんばかりにミャーミャー鳴き声がするので、妹が庭に出てみると、立ち木の上のほうで子猫がふるえている。調子にのってどんどん登ったものの、高みにいきすぎて、降りるに降りられなくなってしまったらしい。はてどうしたものか,と手をこまねいていると、その子猫の兄さんにあたる猫がどこからともなくあらわれて、弟猫のところへすばやく登っていくではないか。そして、ミテテゴラン、コウヤッテオリルンダヨという風に、隣の立ちの少し低めのところに飛び移り、また子猫がいる木のさらに低めのところに飛び移り、という具合にジグザグに降りて見せたのだという。さらに驚いたことに、弟猫は、おそるおそるながらもその兄さん猫の手本を真似ておりはじめ、ついに地面に無事たどり着いたという。この話をきいたときには、もちろん感心するばかりだったのに、ヒヨドリの雛を目の前にすると同じ話が、子猫だって木登りするんだ、という怖い話に反転してしまうのでした。いや、だいじょうぶ。彼らに雛を狙うつもりがあれば、もうとっくに餌食にしていたはずだ。なんとかそう思おうとしました。野良猫の親子にも情が移ってしまっていたので、かれらを悪者扱いにはしたくなかったのです。しかし、あっちにゆれこっちにゆれ、さんざん悩んだ末、ヒヨドリのボロボロ母さんのために、結局は心を鬼にすることにしました。家の裏手に野良猫親子の餌をおくのを中断することにしたのです。それだけではありませんでした。我が家の敷地に一歩でも入ろうものなら、私たちは、足を大げさに踏み鳴らし、しっしっと追い払うことにしたのです。野良猫親子は逃げる途中、たいてい立ち止まってこちらを振り返ります。そのたびに悲しそうな目が、「ヤッパリ、ニンゲンナンテ、キマグレデ、シンジラレナイ」とうったえているようで、こちらもつらくなるのでした。雛たちが無事に巣立つまでのわずかな間だけだから、と彼らに、というより自分たち自身に言い聞かせ言い聞かせしつつ、心を鬼にしつづけるしかないのでした。 ところが、ほどなくして、猫ではなく、まったく予想すらしなかったものが、ヒヨドリ一家を襲ったのです。
February 22, 2007
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見のがした孵化と羽化 こうしてかわいい雛たちを見ていると、無事な巣立ちを祈る一方でなんとも残念に思えてくることがあります。それは、雛たちが卵から孵る瞬間を見逃したこと。親鳥が鳴こうが騒ごうが、ヒヨドリはもともとそういう鳥だと決め込んでいたばっかりに、我が家の白樺に巣があり、そこに卵が産み付けられていることに気がつかなかったのです。目の前で野鳥の孵化を観察できる、滅多にないチャンスだったのに。 私はそれ以前にも、蝶の羽化で、とても残念な経験していました。また寄り道になりますが―。ある日、郷里・北関東にいる小学生の甥から都会で暮らす私たちのもとに、宅配便が届いた。包みをあけると、和菓子の空き箱のなかに、虫食いだらけの小枝が一本、それにただ手紙が添えてあるだけ。はてな、何のつもりかしらとけげんに思いながら、手紙を読むと、およそ次のような文面だった。ぼくの大切なアオスジアゲハの幼虫を救ってやってください。このあいだ、鎌倉に行ったとき見つけて、持ってきてしまいました。こっちでは、エサのタブノキやクスノキがみつかりません。もう、いっしょに持ってきたタブノキの葉っぱもそれだけになりました。どうかオバサンのところで、チョウチョにしてやってください。すごくきれいなチョウチョになります。鎌倉といえば、たしか頼朝の廟所に大きなタブノキがあったはず。まさか、そこから失敬してきたのでは...?そんなことを思いながら箱から小枝を取り出し、おそるおそる調べてみると、ほんとに青虫が一匹かくれている。のけぞりたいほど気持ちが悪い。当時は、まだ私は虫は苦手だったのだ。甥は幼いときからやたら蝶好きな子だった。よくサンショウやカラタチなどの木から幼虫を見つけてきては、だいじに育てていた。大人たちが気持ち悪がるとよけい調子に乗って、その幼虫を自分の胸にいくつも勲章のようにたけてみせたりするのだった。彼は、アオスジアゲハの幼虫を餓死させてしまうのがしのびなくて、私を本気で頼ってきたのである。叔母さんとしては、なんとしても頼りがいのあるところをみせたい。気持ち悪がってばかりいられなかった。幸いなことに、ちょっと先の辻公園に、大きなクスノキが一本あった。毎日、暗くなってから、誰がとがめだてするわけでもないのに、なんだか後ろめたいような気持ちで、こっそり小枝を折ってきたのをおぼえている。ときには夫が勤め帰りの道筋でみつけたのを、おみやげだといいながら渡してくれることもあった。大食漢のイソウロウにせっせと餌を与えているうちに、だんだん気持ち悪さが消え、なんだか可愛くなってくる。葉を食べる音さえ耳に心地よいのだった。蝶の幼虫がサナギになるまでの過程を、あんなにつぶさに観察したのは、あのときが初めてだった。まして、郷里では見たこともないアオスジアゲハの...。さて、今日がいよいよアオスジアゲハの羽化まちがいなしという日、私はそのさぞ神秘的であろう一瞬をしかとこの目で見届けようと、早朝からそわそわ落ち着かなかった。ところが、である。サナギが割れ始めた肝心なときに、玄関のチャイムが鳴ってしまったのだ。用事を済ませて戻ってみると、サナギはすでにもぬけのから。蝶はと探すと、カーテンに止まって、羽を静かに乾かしている。その羽は、黒地にブルーの斑紋が列をなす、宝石のようなとしか例えようがないほど美しい。本物のアオスジアゲハをみたのは、これがはじめてだったので、感動もひとしおだった。なにはともあれ、無事に羽化したことにほっとしながらも、その瞬間を見逃した無念な思いは、しばらく尾を引いたのだった。 雛が、親のあしもとに甘えかかっているように見えます。 親は、やはりこちらを警戒しているようです。 ビニールひものくずも巣の材料に―。いま観ているヒヨドリの雛たちの孵化は、きっと少しづつ時間のずれがあったはずです。巣立ちのときも、だから四羽が全部同時ということはないだろう。どんなに運が悪くても、気をつけていれば、一羽くらい、巣立ちの瞬間を見ることができるかもしれない。いや、どうしても見たいと思いました。
February 19, 2007
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四きょうだい と 両親 枝切バサミ?私はあっけにとられて、窓から顔を突き出します。夫は、慎重に巣のあたりにハサミをのばし、小枝をいくつか切り落とすと、「これでどう? ちょっとレンズをのぞいてみて」と、声を押し殺していいました。あらためてレンズをのぞくと―。私は思わず歓声を上げそうになりました。よく見えるようになった巣から、可愛い雛の頭が複数のぞいているのです。 夫が二階にもどってくると、もうレンズの奪い合いでした。 ちょうど私がのぞいているときでした。親鳥の一羽が何か餌をくわえてもどってきました。ヒナたちはいっせいに伸び上がって口を大きくあけ、ピィピィ、ピィピィ、それはにぎやかに鳴きだしたのです。その瞬間をのがさず、すばやく可愛い頭を数えると、全部で四つありました。四きょうだいというわけです。 手ブレではありません。雛たちが全身を震わせて、エサを ねだっているのです。 親が一回に運んでくる餌は、ヒナ一羽の口におさまるだけですから、そのときありつけなかったほかの三羽は、口を大きく開けたまま、親鳥が巣のふちに止まっているうちいっぱい鳴きやみません。親鳥はやがて巣の中に頭を突っ込んだかと思うと、何かをくわえて飛び去っていきました。どうやらそれは雛のフンのようです。感心なことに、親鳥は雛のベッドを清潔にしておくらしいのです。夫は、親鳥がいなくなったすきに、もう一度、白樺の小枝を切り落としてきました。巣のようすは、さらに観察しやすくなりました。こんどはさっきのとは別のらしい親鳥が、やはり餌をくわえてやってきました。ヒナたちはまたまたいっせいに口をあけ、ボクニモ、ワタシニモとにぎやかに鳴きだします。 よく見ると 、たしかに雛が4羽います。 この親も、餌を与えたあと、巣の中に頭を突っ込んでフンらしきものをくわえ出しました。ところが、なんとその親鳥は、そのフンらしきものを飲み込んでしまったのです。わが子の餌探しに一生懸命で、自分の分を探すいとまもろくにないのでしょうか。後になって実際にこの目で見るのですが、雛にはまだそんなに消化能力がないので、時には、ほとんど餌のかたちのままフンになって出てくることがあります。親はそれを自分の餌にするのかもしれません。 親鳥の目線を見て下さい。何だか家の中の私たちの気配を気にして いるような…。私は、雛たちが親に餌をねだる光景など、テレビや図鑑でしか見たことがありません。それがいま、目の前で本物を見ているのです。なんとも不思議な気持ちでした。雛たちは、あとどのくらいでこの白樺から巣立っていくのだろう。それほど先ではないだろうから、楽しみな日帰り旅行は、それを見届けてからにしよう、と私たちの意見はすぐに一致しました。観察していると、興味深いことが多くて、まったく飽きないのです。どうか四羽とも、無事に巣立ってほしい―。
February 14, 2007
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雛の合唱 小鳥のさえずりで目を覚まし、新鮮な果物や野菜をたっぷり食べ、読書や昼寝を心ゆくまでする。都会にいるときには味わえなかったそんなぜいたくも、半月もたつと慣れてしまって、だんだんありがたみが薄れてきました。そして、そろそろ日帰り旅行にでもでようか、とどちらからともなくいいだすようになりました。 そのまま天国へ通じているような尾瀬の木道をどこまでもてくてく歩いてみたい。霧で見え隠れする谷川岳の絶壁を川辺の石にもたれていつまでも仰いでいたい。絞りたてのこくのある牛乳を、日光の林の中の牧場でたっぷり飲んでみたい。あちこちの温泉にも行ってみたい―。ところが、私たちの退屈をいやしてくれるものが、意外にもごく身近なところに存在しました。早朝、それはそれは愛らしい雛の合唱がきこえてきたのです。 実は何日かまえから雛らしきか細い声には気づいてはいたのですが、どこか遠くからきこえているようで、たいして気にもとめていませんでした。その声は少しずつ大きくなって、いつのまにか自然に気づくほどになったのでしょう。 それにしても、雛たちの合唱というものは、なんて素敵なんでしょう。耳を澄ましているだけで、とても幸せな気分になってきます。 それはどうやら我が家の白樺のあたりから聞こえてきます。 白樺といっても、けして避暑地にあるような広い庭園を想像しないでください。我が家の白樺がたっていたのは、猫の額ほどの前庭です。この何年も前、窓の日よけとして植えたのが、枝葉が二階の窓を十分覆うほどに成長していたのです。 二階にいくと雛の声はいっそう近くなりました。まだ閉め切ってあるカーテン中央のはしからそっとのぞくと、、ヒッ、と短く鋭い声がして、目の前をすばやく鳥影がよぎりました。それと同時に、雛たちの鳴き声がピタリと止んでしまったのです。 電線で再び鋭い鳴き声を発したのは、ヒヨドリでした。 もしかしたら、雛たちはあのヒヨドリの...? そうか、そう、だったのか。 私たちが都会から戻ったとき、二羽のヒヨドリが異常な騒ぎ方をしましたが、彼らは、夫婦だったようです。私は少しがっかりしました。心なごませるかわいい声の主たちが、あの、騒々しい鳴き方をするヒヨドリの雛たちだなんて...。あとで、声ばかりでなくいくつものヒヨドリの魅力を知ることになるのですが、このときはまだ、ヒヨドリのことはあまり知らず、マイナスイメージのほうが強かったのです。それにしても、気になって仕方ありません。 しかし雛たちの巣は、いくら目を凝らしても、白樺の葉が茂りすぎていてなかなか見つけることができません。目の高さより少し低い位置に、やっとそれらしきものを発見したのですが、やはり葉に邪魔されて雛たちの姿を見ることができないのでした。動く気配すらないのです。 やがて夫も興味をもちだし、望遠レンズをセットしたカメラに三脚まで用意してきました。そして、レースのカーテンのこちらに身をかくしながら窓をすこしあけて、そこからレンズの先を外に向けたのです。ピント合わせがすむと、彼は小声で私にものぞいてみるようにいいました。 驚いたことに、レンズのなかには、一羽だけですが雛の姿がおさまっているではありませんか。赤肌に産毛がまばらな首をせいいっぱいのばして、まるであわててキヲツケをしたような格好をしています。「アヤシイモノガキタカラ、チュウイシナサイ」という親鳥の警告の声をきいて、本能的に不動の姿勢をとったのでしょう。電線に、もう一羽の親鳥が現れました。二羽とも心配そうに鋭い声で鳴きつづけます。「とつぜん、こんな大きな一つ目が窓に現れて、親鳥たちも気が気じゃないわね」「そうだろうな。野鳥はすごく敏感だからね。でもまったく動かないってわかれば、すぐに平気になるよ」どのくらいたったでしょうか。夫の言うとおり、親鳥たちは、大きな一つ目を危険なものではないと判断したらしく、てんでに我が家の裏手のほうに飛んでいってしまいました。「きっと、エサを探しにいったんだよ。じゃ、そのまにちょっと」夫はそういうと急いで階段を降りていき、たちまち長柄のついた枝切バサミをもって前庭に現れました。
February 8, 2007
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の ら 猫 母 子 ふたりでぬれ縁に腰かけ、缶コーヒーで一息入れているときでした。軒に吊るした鳥籠の文鳥が、急に落ち着きをなくして、止まり木をガタガタ鳴らしはじめました。ふと見た草ぼうぼうの向こう、椿の木の下にいつ来たのか猫がいます。しかも二匹。どちらも逃げ腰でこちらの出方をうかがっています。これは油断できない、と思う一方で、猫への同情もわいてくるのでした。二匹とも、どうみても野良猫です。薄汚れている上にひどくやせこけていました。餌探しで近所をうろついて戻ってみたら、見知らぬ人間に安住の場所を占領されていた、まあ、そんなところでしょう。よくみると一匹は、まだあどけない子猫でした。野良猫の母子を見ると、私にはすぐ思い出す話がありました。猫好きな妹夫婦のところで、実際にあったことです。寄り道にはなりますが、なんだかこれも皆さんにきいてもらいたくなりました。あるとき生んでまだ日の浅い子を一匹だけくわえウロウロしている母猫を見つけ、急きょ、庭隅に専用の小屋を用意してやった。親子はそこに落ち着くが、母猫は警戒心が強くて自分はおろか子猫にも触らせようとはしない。夫婦は餌は与えるけれども距離をおいて見守るより仕方なかった。それでも、すくすく育っていく子猫は愛らしく、母猫が連れ歩いたり、遊んでやったりする光景には眼を細めずにはいられなかった。ところが子猫が、月齢三ヵ月くらいになったころ、何が原因か元気がなくなってしまう。母猫は、わが子にずっとつきっきりで、ただからだをなめてやるだけだった。そのころはもう、彼女の警戒心もかなり弱くなったので、何とか子猫を動物病院へ連れて行こうとするが、それが人間の善意であることを理解するはずもなく、必死にわが子を守ろうとし、恩人に牙をむき出す始末。妹たちは、どんどん衰弱していく子猫をどうしてやりようもなく、これはもう助かるまいと覚悟したという。そのうち、母猫がときどき病気のわが子を残したまま、どこかへ消えてしまうようになった。そして、気がつくといつの間にかもどっている。何よりも不思議なのは、子猫がだんだん元気になっていくことだった。注意していると、塀の外からもどってきた母猫が何か口にくわえている。それがドジョウだとわかったとき、初めてナゾがとけたという。母猫は、わが子を助けたい一心で、住宅街を通り抜け、車道を渡り、かなり先の田んぼや川にいっていたらしい。この猫の母性愛のつよさに、いたく感動した私でした。目の前の母猫も、わが子を無事に育てるために、どんなに苦労していることだろう。ときにはものを投げつけられたりしながら...。そういえば、夫が猫を追い払おうとしないのが不思議でした。夫は、今でこそ大の猫好きですが、当時はどちらかといえば、猫嫌いの部類でしたから。なんでも子供のとき、可愛がっていた小鳥が、目の前で猫の犠牲になって、それ以来、猫イコール小鳥の天敵と思うようになってしまったのだそうです。私は、反対されるのを承知で、「なんか、缶詰でもやろうかしら?」と、いってみました。すると、夫の返事は意外でした。「餌をやるなら、ヌウの目に入らないように、裏のほうがいいよ」さすがにやせこけた親子猫が、あわれに思えたようです。ヌウというのは、このとき鳥籠で落ち着きをなくしていた手乗り文鳥のことです。私がすぐに台所へ跳んでいったのはいうまでもありません。少なくも、自分たちの休暇の間だけは、この野良猫母子にひもじい思いはさせないぞ、とこのときの私は、本当にそう思ったのでした。さて、ヒヨドリたちですが、気がつけば、いつも甲高く鋭い声で鳴きあっていました。特に、白樺の木に近づこうものなら、声は威嚇的になり、そのやかましいことといったらありません。近くに公園があるというのに、ヒヨドリがどうして、我が家の狭い狭い庭にこんなにもこだわるのか。ほかに気をとられることがいくつもあって、それほど気にもしなかった私たちが、ほんとうの理由に気づいて驚き喜んだのは、だいぶ日が経ってからでした。
February 6, 2007
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騒 々 し い 二 重 唱 それは1990年の夏のことでした。舞台は、北関東の四方を山に囲まれた小さな町。といっても、これからお話しするのは、現在私たちが住んでいる家の、ほとんど庭周りだけでくりひろげられた出来事です。当時、このささやかな自宅は、利用の仕方からいえば別荘のようなものでした。ほとんど夏冬の休暇やゴールデンウイークを過ごすためにだけ帰っていたからです。ふだんは、夫の勤めの都合で都会で暮らしていました。その夏は猛暑つづきだったのをおぼえています。エアコンだけがたよりの都会の生活は、どこにいても息苦しく、もうじき田舎に帰れるという思いだけが、何よりの気なぐさみでした。それが運のよいことに夫が、八月の初めから四十数日間、この年の休暇をまとめてとることができました。いよいよその第一日目がやってくると、私たちは、ワンボックスカーの後部に、しおれかけた鉢植から使いかけの食料まで詰め込めるだけ詰め込んで、最後に文鳥の籠を安定させると、逃げるように、およそ百五十キロ先のふたりの共通のふるさとを目指しました。車の中で、私たちは休暇中にやりたいことをあれこれ話し合いました。前半は、家でゆっくり過ごし、後半は、尾瀬や日光など、できるだけ多くの日帰り旅行を楽しもうということで、二人の意見は一致します。その後半のプランが、なに一つ実現しないまま終るなどとは、このときは夢にも思いませんでした。 田舎の家に到着したのは、日が沈む少し前でした。子供のときからみると、驚くほど住宅が増え、立派な車道が交差しあい、ゴルフ場などもできて、ご多聞にもれずここも緑ゆたかな林や清らかな流れはだいぶ少なくなってしまいました。それでも都会から戻ってみると別天地であることに変わりありません。気温はまだ高かったけれど、期待通り空気は澄んでいたし、日陰はひんやりと気持ちよくて、「たすかった」ということばが何度もでたほどでした。まずは家の中に飛び込んで、窓という窓を開け放ちにかかりました。梅雨の間もずっと閉め切っていたので、かび臭い空気がよどんでいるのです。バタバタ開けていくのですが、二階の南側の窓だけは別でした。特に雨戸は、慎重にしなければなりません。戸袋に小鳥の、だいたいスズメですが、かわいい雛がいることがあるからです。たいていは巣立ってしまったあとで、枯れ枝や枯れ草が詰まっているだけですが、万一ということもあります。私はこのときも、雨戸を開ける前に壁に耳を当ててみました。戸袋の中でかすかな物音や鳴き声がしないか、と。異常なしとわかって、雨戸の一枚目をくりはじめたとき、ハッとして手をとめました。一羽の灰色っぽい鳥があわてて飛び出していったのです。しかしそれは、戸袋からではなく、窓のすぐそばの白樺の葉むらからでした。そしてその鳥はすぐ近くの電線に止まり、甲高い声で鋭く鳴きはじめました。ヒヨドリでした。ヒヨドリがときにやかましく鳴くというのはわかっていましたが、それにしても、このときは異常でした。休止符なしに鳴きつづけるのです。それにこたえるように、家の裏手のほうから同じ様な鳴き声が近づいてきて、それはそれは騒々しい二重唱になりました。庭にいた夫が顔をあげ、別に気にすることないよと言いたげに笑いました。「ふたりを警戒しているんだ」自分の家に帰ってきた私たちですが、このヒヨドリたちにとっては、どうやら迷惑千万な闖入者だったようです。ところが、私たちの突然の出現を迷惑がっているのは、このヒヨドリたちだけではなかったのです。
February 4, 2007
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は じ め に あなたがいま、公園のベンチで何かを口に入れかけていると想像してみてください。ジュースとか、バナナとか。そこへ、とつぜんヒヨドリが肩にきて止まったとしたら、さあ、あなたはどうするでしょう ?たいていの人は、そんな人なつっこい野鳥がいるなんて思ってもいないので、ビックリするでしょうね。なかには気持ち悪がったり、悲鳴をあげて振り払ったりする人がいるかもしれません。 もしヒヨドリが私の肩に止まったら?私ならきっと、あの子だと思うでしょう。そして、「オバサン、ソレ、アタシニモ、チョウダイ」といってることにすぐ気がついて、自分の飲み物食べ物を気前よくわけてやるでしょう。やがてそのヒヨドリが、「ゴチソウサマ、ドウモアリガトウ」と機嫌よくふたたび空に舞い上がっていく姿を、目を細めて見送ってやることでしょう。現実、元気に空を飛んでいるヒヨドリを見ていると、あの子かもしれない、と思うときがよくあります。 それでは、これからそのわけをお話ししましょう。皆さんにも、あの子に会ってもらいたいのです。話は、一気に16年半前にさかのぼります。
February 2, 2007
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