詩集の中の栞のように~裏ブログ~

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2009/06/26
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カテゴリ: 教務(全般)

3月10日にアップされた元読売の 桑田真澄氏のブログ を繰り返し読んでいる。

(そういえば、以前「なぜ先生は、巨人ではなくて、読売と表現するのですか」という質問を受けたが、

「阪神」タイガースは「阪神」、「横浜」ベイスターズは「横浜」、「中日」ドラゴンズは「中日」と表現するのに、
なぜ「読売」ジャイアンツだけを「読売」ではなく、ジャイアンツの和訳である巨人と表現するのか分からないため、そのように表記している。)

独立以来、私の授業から「笑い」の要素は少なくなった。

以前の塾では、自分で言うのも何なんだが、
でも、自分で言っちゃうけど、
正直、私の授業は人気があった。


とにかく人気を取るための、もっと言えば、生徒を集め、売上を伸ばすための授業を行っていた。塾長として。

分かりやすい説明を心がけ、解説はテクニックも重要視し、話し方も工夫に工夫を重ねた。

雑談は授業開始時に「入りの一言」、授業の合間に「爆笑エピソード」、そして解説の途中にも、豆知識や雑学などさまざまな話を盛り込んでいた。

生徒を励ます言葉や元気の出る話、いわゆるモチベーショントークなども入れていた。


今考えると、モチベーショントークというよりは、自分自身の話に酔っている○○○○ベーショントーク以外の何ものでもなかった気もするが。 (←この部分は伏せ字にしておかないと、公序良俗に反する表現が含まれているため、アップできませんでした。初めて知りました。ということは、今まで公序良俗に反する表現はなかったということなんですね笑・・・ちょっと安心)


ところが、開業してからは、とにかく厳しさが前面に出ている。
怒鳴ったり、叩いたりすることは決してしないが、優しさや楽しさは私の授業から消え、
最近では「先生こわい」「厳しい」という言葉が多く聞かれる(笑)

新規の保護者からも「厳しくしてもらえると噂を聞いて、やってきました」という話を伺うことがある。


授業中の雑談もなく、シーンと演習をこなしているだけの日も多い。
(僕が中学生だったら、思わず口に出して「しーん」とか言っちゃうと思う)

休憩も少なく、教室内はページをめくる音しか聞こえない。


ただ、最近はいろいろ反省している。

まず、自分自身が無理をしている面は否定できない。
元来、それほど厳しい人間でもなく、芸能人に喩えれば、高倉健でも緒方拳でもなく、どちらかと言えば、志村けん、堀内健のようなタイプである。
少なくとも、宇津井健であることは絶対にありえない。

そんな自分が、とにかく塾生の偏差値・成績を上げたいという責任感のプレッシャーから、少々厳しくなりすぎていた感がある。


また、生徒にとっても、この塾で勉強することは、楽しくないと思う。
そもそも、学ぶことが楽しくないだろうと想像する。
(それでも毎日楽しそうに来てくれている子がいることには、こちらが救われる)

学びたいから勉強する、もっと知りたいから勉強する、将来の夢があるから勉強する、先生が好きだから勉強する・・・

そういう感じではなく、とにかく「先生に強制されるから勉強する」「しないと怒られるから勉強する」「受験があるから、仕方なく勉強する」という感じになってしまっている子もいるに違いない。

もう1つ、たちの悪い(?)のは、うちの塾は保護者の方のご理解と協力が、若干他塾よりも強い。個人塾なので当然なのかもしれないが、私の考えに共感された方が入塾している。つまり、塾とご家庭がスクラムを組んでいるのである。

これは、良い面もあるが、子どもにとっては結構重圧になってしまい、簡単に言えば逃げ場がなくなっているのだ。


もちろん、今後厳しさをなくすことはしない。ガンガンいく予定だ。授業中や自習室の静粛は当然のことである。それに、 中には厳しさが必要な子もおり、特に学力の低い層には、最初はある程度、強制的にやらせる必要性は感じている。

しかし、一方で、上位層に対しては、厳しすぎはマイナス効果もあるだろう。実際、以前の会社では、上位層に説教をしたことなどほとんどなく、楽しい授業で十分な効果と結果が出ていた。


ということで、開業以来「ムチとムチ」でやってきたが、そろそろ「アメ」も随所に入れていく時期だと考えている。今の状態は、治安維持法と国家総動員法が同時に施行されたようなものだ。


勉強量の面でも、遅刻欠席などの面においても、手を抜くことは今後も行わないが、その厳しさの中に、どこか自分らしさを混ぜていこうと考えているのだ。

そして、厳しさには、その背景となる深い専門知識が必要なことはいうまでもない。
そうしたことを改めて考える良いきっかけになったのが、桑田氏のブログだ。


思えば、上から押さえつけられて成長するケースは、非常にマレ。
やはり、生徒を認め、励まし、生徒たちが夢を持てるような授業を行うことは、私の中では大切な要素であるし、子どもの成長にとっても決して悪いことではないと思っている。
(一方で、夢や理想だけでなく、現実もちょろっと教えてしまう自分がいるけれども^^;)

ところで、マンガ「美味しんぼ」の第1巻3話にこんな話がある。


舞台は銀座の最高級寿司屋「銀五郎」。
山岡士郎はじめ東西新聞社の社員が、その寿司屋に入ると、店主の銀五郎が威張りまくっている。

客の寿司の持ち方にいちゃもんをつけ怒鳴り、
別のカウンターでは、ある客が「おいしいところ頼むよ」と言った途端に、「てめえらに食わせる寿司はない。帰れ。うちのは日本一の本マグロのトロだ。まずいところはねえ。とっとと出て行け」と客を追い返す始末。


さて、その銀五郎が、山岡たちの前にやって来る。

ところが、栗田ゆう子が何を頼むか迷っているのを見ると、「おたくみたいは貧乏人にはうちみたいな高級な寿司屋は無理。スーパーのパックの寿司でも食え」というような言葉を吐く。


傷つく栗田ゆう子。


その時、隣に座って寿司を食べていた山岡が発する言葉が強烈だ。

「このおっさんの言うとおりだ。スーパーの寿司を食えよ。」

そして続けざまに山岡は言う。

「こんな店の寿司より、スーパーのパックの寿司の方がよっぽどうまいぜ。

確かにネタは最高。シャリも最高。だがオヤジ、肝心のおまえの腕が最低だ。

日本っていうのは不思議な国だ。客のくせにペコペコするのがいるから馬鹿な料理人がつけあがるんだ。」


私は、この言葉を自分に置き換えてみた。

「確かに教材は最高。設備も最高。だが赤虎、肝心のおまえの授業が最低だ。」


うわっ!きつい(鬱ポイント1→ 画面緑色 になった)


この話の最後で、次のような結びの一言が出てくる。

「寿司は、米粒と米粒の間に適当な空気を含んでいないと、舌の上でほろりと崩れない。ネタとシャリの味がうまく溶け合わないのさ。おごりたかぶった心で握ればシャリもガチガチに固まってしまうんだ。心のこもっていない寿司は寿司じゃない。シャリとネタの固まりだ。おまえの寿司がそれなんだよ!」


授業に置き換えてみた。

「授業は、厳しさと厳しさの間に適当な空気を含んでいないと、生徒の心の中でほろりと崩れない。知識と知識がうまく溶け合わないのさ。おごりたかぶった授業を行えば、意欲も好奇心もガチガチに固まってしまうんだ。心のこもっていない授業は授業じゃない。教材と知識の単なる固まりだ。おまえの授業がそれなんだよ!」


うわっ!きつい(痛恨の一撃 →  画面真っ赤・・・  → 協会へ)

そんなわけで、心新たに頑張ろうと決意した赤虎でした。
でも、今日もビシバシいきますけどね(笑)






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Last updated  2009/06/26 05:14:32 PM
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