全2401件 (2401件中 1-50件目)
下村文部非科学大臣の下、現在教育再生会議が行われている。数年前に行われた司法試験改革と同じような結果を招く危険性があるのではないかと考えている。
2013/11/20
ところで、先生の発音はよく言われるように美しい。ネイティブ並に綺麗な発音をされる。日本人男性でここまで綺麗に英語を話す人を私はあまり知らない。(日本人女性は英語が上手な方が多い)英語の発音で難しいのはreallyやgirlなど「r」と「l」が連続して出てくる発音だと個人的には思っている。舌を丸めてから上の歯にくっつけるまでの動きが日本人にはなかなか出来ない。あとはthの発音。上江洲先生はこれらの単語の発音も大変綺麗だ。上江洲先生は、ご自身の塾SORAの生徒さん(高校生)に対し、発音矯正も行っていると言う。また、小学英語もロカビリー先生のブログや細川先生のお話によると、大変インタラクティブに進んでいくらしい。授業内に「話す」時間を多めに取っている印象を受ける。今回の特別授業でも、日比谷高校の英語を大変美しい発音で読まれていった。そして、要所要所でさまざまな例文を出し、それらをまるで映画のワンシーンのように印象的に発音される。さらに、こうして出てきた例文に対し、関西弁で意味を添えていく。これは生徒達にとり、大変印象深い授業だと思う。 たとえば、細川先生も言及されていたが、否定疑問文の際に出した例文「Aren't I cool?」は秀逸だった。(元ネタは皆さんもご存じのアレらしい)また、anotherという単語が出てきた時には、「もう1つの別の、と覚えなさい」とズバリ言い切った。力量のある先生というのは、こうした重要単語の訳語をズバリ1つに絞って言い切る傾向が強い。(そういえば、細川先生が現代文の特別講義をやってくださった時、「逆説」の意味は、こうこうこういう風に覚えておくといいよと、やはり言い切っていた)もちろん、上江洲先生の場合は、これらの例文に「関西弁」を付け加えて、印象を強める。先ほどの「Aren't I cool?」に対し、「カッコええやろ~?」という関西弁を当てたかと思えば、anotherという単語に対しては、「またこれやっ!もうえぇっちゅうねん!」というニュアンスを生徒達に伝えた。こんな例文や訳語がすらすら出てくるところが上江洲先生のすごさだ。力量のある先生というのは、数学であれば、別解の多さ、板書の美しさ、各定理の根本からの理解、その場で問題を作成できる能力などが判断基準になるだろう。国語の先生であれば、比喩の巧みさや例示のわかりやすさということになるのだろうか。他に背景知識の豊富さも重要かもしれない。では、英語の先生の場合はどうであろうか。やはり発音の美しさと例文の豊富さに英語の先生の力量は見えてくると思う。上江洲先生は、その両方を持ち合わせている。あらゆる場面場面で、さまざまな知識や例文がスラスラと出てくるのだ。そして出てきた例文を美しい発音で生徒達に聞かせ、その上、関西弁の訳語でダメを押す。これが先生の授業の特長なのだろう。 普段から上江洲先生の指導を受けているSORAの生徒さん達はもしかしたら気づいていないかもしれない。しかし、SORAの生徒さん達にとって、英語は間違いなく武器になることと思う。それは当然のことだ。なぜなら、上江洲先生が出す例文は全てが洗練されており、それをネイティブ並の発音で印象づけ、さらにこれ以上ないほどピッタリの訳を当てはめていくのだから。生徒さん達の頭の中には、きっとどんどん生きた英文が蓄積されていくはずである。 進学塾SORAの秘密を探ろうと、全国の多くの先生方がSORAさんを訪問していると思う。しかし、SORAで使っている教材、プリント類など、そうした外面的なものだけを取り入れても、きっと同じような効果は生まれないだろう。なぜなら、進学塾SORAの合格実績や指導の秘密は教材やカリキュラムにあるのではないからだ。進学塾SORAの秘密は上江洲先生そのものにあるのだ。あの味は決して他の先生には出せないだろう。だから、私も上江洲先生の授業を聞いて、それを自分なりの色で自塾に落とし込んでいくしかない。そうすることで、またSORAとは違った自分なりの色が出てくるのだと思う。そんなことが分かった1日でもあった。 上江洲先生の塾が近くにあったら嫌だろう。きっとそれは多くの塾経営者が考えるはずだ。だが一方で、こんなことも考えるかもしれない。もし自分の子供を預けるとしたら、ぜひ上江洲先生の塾に預けたいと。良い塾の定義はいろいろあるだろう。私が思う良い塾とは、「同業者から見て近くにいてほしくない塾」であると同時に、「同業者が自分の子供を預けたいと思う塾」だ(←私は子供がいないけど)。上江洲先生の塾というのは、そうした魅力に溢れている。今回、先生の授業を拝見し、その思いを強くした。 上江洲先生。今回は本当にありがとうございました。先生の日比谷高校の英語解説を受けることが出来た当塾の塾生は本当に幸せです。重ね重ねありがとうございます。また、お会いできる日を楽しみにしております。それまでまた修業の日々です。 ※自分自身の指導を見つめ直すために、上江洲先生の授業とは関係のないことも書いたため長くなりました。実はまだブログ原稿は残っているのですが、細川先生のブログと重なる部分も多いですし、今回はここで終わりといたします。赤虎先生の次回作にご期待ください(ジャンプ風)
2013/11/17
上江洲先生の授業技術で「ここが決定的に他の先生と違う」というものは何だろうか。答えを1つに絞るのは難しいが、あえて言えば「発問の質」に上江洲先生の凄さは集約されている私は思っている。先生の発問は1つ1つが大変工夫され、練られている。 よく塾のチラシで、「共演授業」「双方向の授業」というキャッチフレーズを見ることがある。簡単に言えば、講師から生徒への「発問」が多い活気のある授業のことを指しているのだろう。しかし、力量のない先生が行う発問は、単なる時間稼ぎであったり、生徒の退屈しのぎであったり、あるいは居眠り防止のためだけになっていることが多い。また、発問の多さをアピールするあまり、「発問すること」それ自体が目的になってしまっている先生もいる。そのような先生の発問は、「発問がたくさんある授業にするための発問」になっていて、決して悪いとは言い切れないのだが、こうした発問には思想と意図がない。上江洲先生の発問には思想があり、意図がある。先生が授業中に行う発問は、その全てが生徒の頭を回転させるという明確な目的を持っている。生徒が反射的に答えられるような質問、頭を使わずに答えられる質問、単に知識を問うだけの発問はほとんど行わない。生徒が頭を働かせないと答えられないような発問を次から次へと繰り出してくる。そればかりでない。その発問と生徒からの応答を積み重ねた集合体は、長文読解と設問解答の要諦へときちんと結びついているのである。ここまで書くと、徐々に上江洲先生の授業がどのようなものが明らかになってきたと思う。要するに上江洲先生は英語という教材を用いて国語力と思考力を鍛える訓練をしているのだ。英文を訳すのではなく、脳を回転させながら読解する。その際、1つ1つの単語のニュアンスに敏感になり、どんな意味が含まれているのかを考えさせる。こうした作業を通し、本文全体のテーマを正確に読みとっていく。これを国語の授業と言わずして何と呼ぼう。 上江洲先生の特別講義。使っていた教材は紛れもなく日比谷高校の英語であった。しかし、私が目にしたのは、間違いなく国語、いや言語の授業と呼ぶにふさわしいものであった。上江洲先生は、英語の授業を通し、物事を理解する上で最も大切で本質的な部分を指導しようとしていたのだ。この事実に気づいたとき、「あ~、やはり上江洲先生は神江洲先生であったか」と思わざるを得なかった。
2013/11/17
上江洲先生は授業中、常に「机間巡視(キカンジュンシという業界用語)」を行う。本日は問題演習中心の日ではない。生徒が事前に日比谷高校の問題を予習してきており、その「解説授業」という位置づけの日だ。こういう授業では、先生がずっと黒板の前に立ち、解説中心の授業を行うことが一般的ではないだろうか。だが、上江洲先生は違った。この日、先生は常に机間巡視を行いながら授業を進めたのである。一人一人の答案をのぞき込み、生徒達を指名しながら授業を進めていく。生徒が答えやすいような「空気作り」と「声かけ」を行い、決して「正解だけ」を求めるようなことはしない。うちの塾生から出てくるイマイチな解答(笑)も全て採用し、それをもとに解説を進めていく。そうしているうちに、いつの間にか長文の内容が明らかになっていくという仕組みだ。ところで、「机間巡視」というのは、小中学生対象の塾では基本的な授業技術の1つである。中位から下位の子の学力を大きく伸ばしている塾では、質の高い机間巡視が行われている。机間巡視の存在しない塾、あるいは机間巡視していてもただ単に講師が歩いているだけの塾では、おそらく中位から下位の子は劇的には伸びない。それほど机間巡視というのは、集団指導において大変重要な役割を占めており、質の高い机間巡視が出来るかどうかが一流講師とそうでない講師の分かれ目と言っていいかもしれない。 生徒が演習している間、先生がずっと座りっぱなしの塾は結構ある。中には先生が自分の事務作業をやっていたり、テストの採点をしていたりする塾も多い。しかし、このような「机間巡視なしの授業」(予備校型授業や映像授業)で伸びるのは上位15%程度だろう。ごくごく僅かな層だ。したがって、生徒の平均偏差値や学校内申がある程度上位で固まっているような場合を除き、机間巡視は必ず行わなくてはならない。そもそも机間巡視をしないのであれば、それこそ映像授業をやっているのと同じだ。わざわざ通塾するメリットがほとんどない。(長くなるので、理想的な机間巡視の方法については省略)私の塾が1クラスの定員を絞っている理由の1つも、「机間巡視を行うため」と言い切っても良い。とりわけ、各学年とも春先(新学期)は入念に机間巡視を行う。また、新入生に対しても入念に行う。それこそノートの書き方、テキストへの記号の入れ方、姿勢などを含め、事細かに注意を与える。こうした「ささやかなこと」というのは、注意しすぎてもしすぎることはない。ここは生徒と先生の「戦い」でもある。 机間巡視の目的の1つに「ルールの厳守」というものがある。演習のやり方には、塾ごとに「決まり」がある。その決まりを守らせるために、机間巡視は不可欠なものだ。先生が設定したルールを先生側が諦めてしまうケースは多い。しかし、これは良くない。クラス内にルールが徹底されないという問題ももちろんあるのだが、何より生徒達の中に、「この先生は甘い」という認識が出来てしまうことが一番まずいことだ。ルールというのは、生徒が出来るようになるまで繰り返し繰り返し指導することが大切だ。この「繰り返し」こそが教育の基本である。子供という動物を定義することは難しいが、あえて言えば、「子供とは失敗し、間違う動物である」ということである。何度も何度も間違え、そして失敗する。できるようになったと思ったら、そのすぐ直後に失敗をしたり、過ちを犯す。そんな生き物が子供である。たとえば、普段何気なく使っているお箸にせよ、普段ごく自然と身につけている靴下にせよ、これらを使えるように(あるいは身につけられるように)なるまでに、実は子どもたちは何年も何年もかかっている。この事実を我々は忘れてはならない。お箸の使い方や靴下の履き方を身につけるのに何年もかかるのが子供、いや人間という動物なのだ。これは生まれた瞬間から親と一緒に行動する他のほ乳類や魚類とは明らかに異なる。人間というのは、大変成長速度の遅い動物である。まして、問題集の使い方なんて、たった1回や2回言ったきりで改善されることはまずない。だから、我々は何度も何度も指導する。その指導の際に必要不可欠な方法が机間巡視というわけである。うちの塾も、詰め込もうと思えば机も椅子ももう少し入るのであるが、机間巡視できるスペースを確保するには、今の人数が限界。経営よりも大切にしたいことがあるから独立した。うちが少人数クラスを保っている理由はそこである。(もう1つ。行列が来るほど問い合わせが来ないというのが最大の理由だったりもする)上江洲先生の机間巡視には、机間巡視の基本が詰め込まれていた。「生徒の観察と把握」という目的を達成するための要素が、それこそ「てんこもり」であった。ただ教室を巡回しているのではない。それでは単なるパトロールだ。上江洲先生は、生徒の答案を見つめ、生徒自身を観察し、生徒の学力を引き上げる机間巡視を行っていた。その証拠に、上江洲先生が授業を行っていた僅か90分ほどの間に、先生は塾生の実力を的確に把握された。授業後、細川先生と3人で飲みに行ったのであるが、そこで生徒一人一人の名前と癖がぽんぽん出てくる。あの僅かな時間で、性格まで掴んでしまった子もいる。これらは机間巡視のなせる技。机間巡視というのは、生徒の実力を正確に把握する重要な手段である。また、机間巡視には、授業の速度やレベルを臨機応変にギアチェンジさせるという目的もある。生徒の作業スピード、答案、解答、その他ノートの使い方や文字を見ることにより、生徒達の学力をおおかた判断することが可能だ。そうして得たデータを元にし、授業の展開方法や内容をリアルタイムに微妙に修正していく。上江洲先生の机間巡視は、まさにこうした技術の集合体。机間巡視のお手本であった。事実、ある生徒に感想を聞いたところ(←上江洲先生が褒めていたIくん)、「ずっと回ってくれるので良かった」という声が聞かれた。生徒だって先生のことをちゃんと見ているのだ。ここでも上江洲先生は「生徒」と「私」の両者に対し授業を行っていた。対生徒という面では、机間巡視によって緊張感と集中力を生み出し、授業のレベルを微妙かつ上手に修正されていた。私に対しては、「これこそが理想の机間巡視だ」というメッセージをくれていたように感じた。
2013/11/17
閑話休題 さて、上江洲先生が「超一流」と称された日比谷高校の英語。上江洲先生は、日比谷高校の入試問題がどれほど素晴らしいのか、それを三流の入試問題と比較しながら、生徒達に説明を始めた。ここまでで3分が経過した。いよいよ日比谷高校の解説に入っていく。先生が注目されたのは第1パラグラフである。一流の英文は第1パラグラフが濃い。そして、一流の先生は第1パラグラフをじっくり説明する。一流の第1パラグラフを一流の先生が解説することによって起こる化学反応。その化学反応が生徒の頭をビンビン刺激する。そんな光景をこの後、目の当たりにする。 上江洲先生は、この第1パラグラフを丁寧に2回読解するよう指示された。そして、じわじわと第1パラグラフを解きほぐしていく。解きほぐすといっても、SやVを緻密に分析し、正確な和訳を付けていく・・・というのではない。そうではなく、1つ1つの名詞に注目しながら、まるで歌の歌詞でも理解するかのように・・・いや「感じる」かのように第1パラグラフをイメージ化していった。一方、日比谷高校の英文も、そうした上江洲先生の授業に応えられるだけの奥行きを持っていた。教室は、英語の授業ではなく、まるでコンサート会場や映画館のような感覚に包まれる。いつの間にか、生徒達の頭の中に、第1パラグラフの情景が浮かび上がる。生徒達は「入試英語長文」ではなく、英語で書かれた「小説」の中へ誘われていった。それは普段、オーソドックスな英語授業を見慣れている私にとって、まるで夢の中にでもいるかのようであった。奇跡と呼んでも言い過ぎではない。英語を苦手とする生徒達が、まるで映画でも観るかのようにスッと長文に入り込んでいる。不思議な時間であった。 随分長い時間が経ったようでもあり、あっという間のような感覚でもあった。第1パラグラフの数行が終了した。第1パラグラフ開始から26分が経過した。そう、上江洲先生は、たった数行の第1パラグラフになんと26分間もかけたのだ。ところで、この「26分間」という数字は私自身が計っていたわけではない。上江洲先生が「第1パラグラフの解説だけで26分間かかってしまいました」と「わざわざ」生徒に伝えたのだ。だから、私の記憶に「26」という数字が明確にインプットされている。25分ではない。26分である。おおまかに「25」ではなく、正確に「26」と言う必要があったのだ。もちろん、これも重要な授業技術のうち。今回の上江洲先生の授業には、いくつもの「英語の極意」と「授業技術」が混在していた。それを細川先生はブログで「てんこもり」と表現している。 極意の1つに、もし入試当日、「読めない!つらい!」と思ったら、どのように対処していけばいいかというものがあった。その際に必要不可欠なのが第1パラグラフへの対処である。その重要性を強調するために、先生はわざと「26分間」という数字を口に出したのだ。(おそらく)第1パラグラフを読むに当たって、先生はイメージ力や品詞への注意力を強調された。今年の中3生の国語力と英語力が弱いことは既に述べたが、上江洲先生はそれらを同時に引き上げるための絶好の方法を実演された。訳すのではない。イメージする。これが先生の授業の特長である。たった1枚の写真や絵からでも、様々なことをイメージできる。先生はビートルズのyesterdayを気持ちよさそうに歌いながら(笑)、イメージすることの重要性を強調された。yesterdayという歌詞に込められた想い。それが英語の持つ特性であり、魔法でもある。 第1パラグラフが終了。先生は、難解な長文読解に立ち向かうための「極意」を生徒に伝え、それを生徒に印象づけるための「授業技術」を私に伝えた。 そう。この日の上江洲先生は「私の塾生」と「細川先生&私」という二者を相手に授業を行っていた。二種類の相手に対峙し、同時に勝負する。武器は先生の培ってきた経験だけ。まるで、その勝負の先に「新しい自分」が待っているのを知っているかのようでもあった。私は第1パラグラフ終了と同時、今更ながら上江洲先生の覚悟と挑戦心を感じ、震えが止まらなくなった。
2013/11/16
入試問題というのは、作問している段階で、「模範解答」が作問者の頭の中に出来上がっていることが多い。このことは実際に入試問題や模試を作ってみると分かる。例えば、国語の傍線部問題を作る際、その傍線部の解釈や理由が出題者の頭の中に既に存在しており、その上でその部分に傍線を引くのだ。これは、何も入試問題や模試の問題を作るなんて大げさなものでなくてもいい。たとえば、国語の授業中、文章を読んでいてふと気になる部分に出くわすことがある。指導者は「生徒達はこの部分の意味わかってるかな?」と頭の中で考える。そして、それを確認するために、「この部分の主人公の気持ちが分かる人いるかな?」と生徒に発問する。この時、先生の頭の中には「模範解答」が浮かんでいるはずである。これだって立派な作問だ。塾講師というのは、授業中、あらゆる場所で「作問」を行っている。それを「発問」という形で生徒に提示する。もちろん、その全てに解答が存在しているとは言い切れないが、多くの場合、講師の頭の中に「模範解答」に近いものが出来上がっているはずである。入試問題においても、問題作成者が作問した段階で、自然と解答例が出来上がっているという事実は、それほど不思議なことではない。むしろ、そのように考えるのが自然だ。そもそも、模範解答がなければ客観的な採点が出来ない。 つまり、日比谷高校の英語にせよ都立中学の適正検査にせよ、解答例を出していない学校は多いのだが、「それでもやはり模範解答は存在する」と考えることが受験指導の肝なのである。1つ前のブログで述べたが、このタイプの入試問題は大変おそろしい。なぜなら、指導者の力量がそのまま入試結果に結びついてしまうからだ。最近、入塾面談でこんな話を聞くことが多くなった。「(小学校の時に通っていた)塾の授業や模擬試験では良くできていたのに、都立中入試で不合格になってしまいました」というものだ。もちろん、本人が入試当日のプレッシャーで力を発揮できなかったという原因もあるかもしれないが、実はそうではない場合も多いと私は見ている。入試当日、本人には手応えがあった。塾で指導されたように答案も書いてきた。しかし、それでも不合格になってしまった。このケースでは、塾側の指導が間違っていた可能性を疑わないとならない。数年前、都立中高一貫校の指導をしている先生方とお話する機会があった。二人の若い先生であった。たまたま雑談中に見ていたテキストの問題で、お二方が資料の読み取り方を誤解していたので、僭越ながらアドバイスをさせて頂いたことがあった。当塾は都立中高一貫校の指導はしてないのだが、実際の入試問題と、その塾で使用されている教材の解答を見て、少々模範解答に疑問を感じた次第である。都立中側が求めているであろう解答は、おそらくその塾で指導されている解答とはずれているだろう。そう直感した。 これは大変大きな問題を示唆している。すなわち、その塾やその教材でいくら頑張っても、そこの塾生は合格できないということを意味しているのだ。同様のことが、都立高校の推薦入試指導でも起こっていると私は予想している。 ところで、塾・予備校業界では、論述・記述問題の指導について、次のようなことがよく言われる。「受験生は制限時間内に答案を作らないといけない。だから、小論文や記述問題の指導で、講師が入念に予習して作った完璧な解答例なんて意味がない。あんなもん受験生には作れやしないさ」というものだ。確かに、この主張は間違ってはいない。その通りだと私も思う。しかし、だからといって、塾の先生は入念に精査した模範解答を作らなくていいという理屈にはならない。指導者であるならば、じっくりと入試問題を分析し、満点(近くになるであろう)答案も1つは作っておくべきだと私は考えている。満点答案を目指して解答作成しなければ、大学側・高校側が要求している解答が分からない。もしその解答を作るのに数時間かかるなら、それでも構わないと思う。時間短縮は後から考えるべきことだ。スポーツでも勉強でも、最初から時間短縮をすることなどありえない。まずは正しいフォームを身につけ、その後時間短縮を目指すことが、物事の道理であると私は考えている。それに入試問題を作る側は膨大な時間を作問に費やしている。それに立ち向かうためには、我々だって膨大な時間を費やし研究を行わねばならない。そうでなければ互角に戦えない。 都立中高一貫の適性検査は、採点者によって合否に有利不利があると言われているが、実際はそんなことはないだろう。そんな運不運によって、優秀な受験生を逃すことなんて学校側だってやりたくないはずだ。おそらく都立中学も都立自校作成校も、採点は「合議制」によって行い、客観的に合否が決められている。そして、その際、明確な採点基準は間違いなく存在しているはずである。都立中入試や日比谷英語の恐ろしいところ。それは、塾で習ったとおりに解答を書いても、それが学校側の用意した「解答例」と大きくずれている可能性があるということだ。だから塾講師は研究を重ねねばならない。生徒が1勉強するなら、指導者は10勉強しなければならない。上江洲先生の授業を拝見し、上江洲先生と授業前後にじっくり話すことによって、そんな思いを強くした次第である。
2013/11/16
自校作成校の一部や都立中学の多くで模範解答を出していないという事実。これは非常に「おそろしい」ことだと思う。上江洲先生のお話を伺い、私はその思いをいっそう強くした。その理由を述べたいと思う。 模範解答というものは、学校側(出題者側)が出してしまうと、基本的には誰でも(営業活動で忙しい専任講師や経験の浅い学生講師でも)受験指導が出来てしまうようになる。なぜなら、高校側や中学側の求めている解答が一目瞭然なので、過去問を入念に研究しなくても解答が分かってしまうからである。また、解答から逆算し、学校側が求めている模範解答を指導することも可能になる。ところが、そうではない学校もある。都内で言えば、日比谷高校や新宿高校の英語、あるいは都立中学の多くは、「オフィシャルの解答」を出していない。私は数年前、都教育委員会や都立中学に対し、模範解答例を出すべきである旨を伝えたことがあったのだが、それでも頑なに拒否された。つまり、都立中学や日比谷高校の受験生を担当している指導者は、みずから模範解答を作成しなければならないのだ。同時に、もう1つ重大な事実があることも忘れてはいけない。それは学校側は、間違いなく模範解答例を持っているという事実である(←ここが重要)。超一流の入試問題とは、アドミッションポリシーが存在している問題であることは先程述べた。また、日比谷高校の英語は超一流であることも述べた。すなわち、日比谷高校の英語は「こういう風な解答が書ける受験生が欲しい」という強烈なメッセージ性を持った入試問題と言えるのである。要するに、模範解答はオープンにされていないのだが、だがしかし、模範解答はそれでも確実に存在している。私が「おそろしい」と表現した理由はそこである。上江洲先生は1年分解いただけでその点に気づかれた。そして、先生の特別授業と黒板に書いた模範解答は、その点に十二分に留意した最高級の品質と言えるものだった。(この項つづく)
2013/11/16
ところで、超一流の入試問題とは何か。ある人は次のように言うかもしれない。「難しい問題が一流で、簡単なのが三流だよ」と。また、ある人は次のように言うかもしれない。「超一流の問題?それはね、基本事項はいくつも積み重なっていて、一見すると難しい問題に見えるんだけれども、解きほぐしていくと簡単な問題に変化するものだよ」と。私が考える「超一流の問題」とは、「その学校がどんな生徒を欲しているのかを明確に感じ取れる作問になっており、同時にその作問方針が学校の教育方針とずれていない問題」である。もっと言えば、「うちが出題する問題を、うちが望んでいるような考え方で解答できる生徒が入学してくれれば、3年間鍛えあげて志望大学へ導いてあげますよ」というメッセージが感じ取れる問題、それこそが超一流の入試問題だと考えている。つまり、「アドミッションポリシー」(その高校がどんな生徒を欲っしているのというメッセージ)を入試問題を使ってきちんとアピールできている入試問題のことである。 そうした点で日比谷高校の入試問題は、他の自校作成校と比べて「ワンランク上の質」と言えるかもしれない。すなわち、入試問題にメッセージが隠されているのである。上江洲先生はその質の高さとメッセージをたった1年解いただけで見抜かれた。もうこれだけの上江洲先生のすごさが分かるというものである。上江洲先生と電話でお話している際、先生が何度か指摘されたことがある。それは、日比谷高校の英語は、模範解答に「略」が非常に多いということだ。つまり、高校側は「公式の模範解答例」を出していないのである。これは多くの「都立中学」と同じだ。実はここに大変重要な問題が隠されている。(この項つづく)
2013/11/16
上江洲先生の日比谷授業が始まった。冒頭、上江洲先生は日比谷高校の英語を「超一流、一流、二流、三流に分けたうちの超一流である」と述べられた。まさしくおっしゃる通りで、自校作成校の入試問題は「超一流」の問題ばかりだ。それは英語も数学も国語も全てである。そして、「超一流」であることに指導者が気づけないまま指導すると、自校作成問題は、ただ単に「長いだけ」「難しいだけ」の問題に陥ってしまう。 話を戻す。「日比谷高校の自校作成問題は超一流である。」授業開始時の最初の一言として、上江洲先生は上の言葉をお選びになった。私は当初その意図が分からなかった。なぜ上江洲先生は冒頭の一言に上記の言葉をお選びになったのだろう。他にもいくらでも選択肢はあるはずだ。「では、日比谷高校の解説を始めます。」「日比谷の問題を解いた感想はいかがでしたか?」「この話の意味が分かった人?」「何分かかりましたか?」などなど。しかし、こうした当たり障りのない言葉ではなく、上江洲先生の選んだ言葉は「超一流の問題」という一言。私は考えた。上江洲先生のお言葉の意味を。そして、この言葉が大変重く、深い意味を持っていることに気が付いた。そう、この一言は生徒に向けられたものではなかったのだ。では、誰に向けられて発せられた言葉なのか。 「日比谷高校の問題は超一流である。」 それは、東京で塾講師をやっている私自身に向けられたメッセージだったのだ。私はそう感じた。そして、その感覚は日が経過するにつれ、確信に近いものに変わっていった。(この項つづく)
2013/11/16
上江洲先生の授業は静かに始まった。それは、まるで静かな交響曲のようでもあり、壮大なスケールの映画や小説のようでもあった。大きなクライマックスを迎えるストーリーの始まりはいつも静かなものである。そして、その静かなプロローグと印象的なエピローグがピタッと線で繋がる。良い授業とはそんなものであることを、細川先生と私はこの後、目にすることになる。上江洲先生は、他の多くの先生がそうであるように、まずは自己紹介から始めた。そして、そのまま授業に入っていくのかと思っていたその瞬間、上江洲先生は私が想像もしていなかったことを言い始めた。「じゃあ、ちょっとみんなで「上江洲先生~」って呼んでみてください」 それはまるでコンサートにおいて、歌手が観客にお願いするかのような仕草であり、言い様であった。しかし、歌手と上江洲先生との間には決定的な違いがある。それは上江洲先生はアウェイの環境にいるということだ。繰り返しになるが、上江洲先生はあくまでもゲストである。そこに上江洲信者はまだ一人もいない。サッカーで言えば、アウエイの環境での授業だ。しかも相手は最も恥ずかしがり屋な世代である中学生。この状況下で、「ちょっと私の名前をみんなで呼んでみてください」と言い出せる講師が、果たして世の中に何人いるだろうか。私が驚いているのも知らず、上江洲先生は続ける。「さん、はい!」すると、生徒達が一斉に「かみえすせんせーい!」と元気よく応える。 上江洲先生は続けた。「もう一度お願いします。さん、はい!」生徒達「かみえすせんせーい!」さらに元気の良い声が教室に響く。 これはなかなか出来ることではない。この瞬間、教室は上江洲先生のコントロール下に置かれていた。安倍首相が五輪招致のスピーチで言った「アンダーコントロール」とはまさしくこのこと。こうして上江洲先生の授業は開始された。ここまででちょうど1分が経過した。※なお、きちんと「かみえすせんせーい」と大きな声で言えるうちの塾生達もなかなかのものであると思っている。手前味噌で恐縮だが、あの場で「かみえすせんせーい」と全員で話せる中3クラスは、全国にもそう多くないのでは・・・。
2013/11/15
塾、予備校の先生は、大きな声を出して授業をする先生と普段通りの声で授業を行う先生がいる。上江洲先生は、どちらかと言えば後者のタイプの先生である。 私は以前の塾で新人研修する際、原則「大きな声で」授業を行うように研修をしていた。理由は、多くの若い先生にとってその方が安全だからである。とりわけ小中学生対象の塾であるならば尚更である。大きな声で授業を行う方が活気が出るし、少なくとも「声が聞こえない」というクレームがくることはない。また、自信がありそうにも見える(笑)一方、普段通りの声で行う先生もいる。私もそちらのタイプ。これは小さな声というのではない。普段通りの声である。但し、普段通りの声で授業を成立させるためには条件が3つある(と思う)。1つはその先生の声がよく通る声であること。2つめは、生徒の側に「聞く力」(聞く意欲+聞き取れる学力)があること。3つめは講師側に教室をコントロールできる技術があること。この条件が揃えば、私はむしろ後者の方が良いと考えている。だが、大手塾において、この3条件が揃うことは大変難しく、したがって若い先生方は大きな声で授業を行うのが一番安全ではある。多くの大手塾でそのような研修が行われている背景にはそうした事情があるのではなかろうか。私が普段通りの声で授業を行っている理由はいくつかある。一番の理由は、大声で怒鳴っていると、声を出す方にばかり気を取られ、私自身の頭が働かないということがある(笑)。レベルの高い問題を解いている時は、高校受験とは言え、ちょっとした知的作業が必要とされる。授業中、順を追って論理的に説明している際、大声で話していると何を話しているのか自分自身で分からなくなってしまうのだ。他にも理由はある。講師が普段の声で授業を行うことが最も自然な状態であると考えているからだ。この状態が、生徒の頭を最も働かせることができ、知的好奇心をも喚起でき、さらに入試会場で問題を解く時に最も近い環境を作り出すことができると考えている。多くの大手塾で行われているパフォーマンス型の授業は、普段子供達が勉強する環境と比べると、あまりにも異空間。「塾だとやる気になるのだけれど、家だとサッパリ・・・」という受験生は多いが、これは塾の空間があまりにも日常空間とかけ離れていることも関係している。こうした事情もあり、私は普段通りの声で授業を行う派である。
2013/11/15
上江洲先生が到着して、塾の中を見てもらいながら(と言っても狭いので一瞬で終わり)、しばし雑談。その中で、上江洲先生が本日解説される「日比谷高校の英語」について、ある一言を述べられた。それもサラッと。参った。上江洲先生が来てから時間にして10分程度。この時点で上江洲先生が「本物」であることを私は実感した。上江洲先生がさらっと言った一言こそが、自校作成問題英語の秘密の1つである。これは日比谷高校に限らず、自校作成全般に言える「秘密」なのであるが、私はこの秘密を発見するのに2年かかった(←遅っ)。しかも、15校ある自校作成校の入試問題をおおかた解いた後に気づいた。しかし、上江洲先生はその秘密を僅か日比谷高校1年分を解いただけで気づかれた。さすがである。(もちろん、言われてみればごくごく当たり前のことであり、私自身が気づくのが遅すぎということもあるが・・・)自校作成校の入試問題はボリュームがあり、設問も大変よく練られている。そのため、試験時間内に解答を出すことが難しい問題も散見される。しかし、「あること」に気づくと実は答えが若干見つかりやすくなる。あくまでも「若干」ではあるのだが、そのわずかな差が受験生の心に余裕を生み出し、もしかするとその一問が合否を分けることもあるかもしれない。だから、些細なこととは言え、上江洲先生がおっしゃった一言は大変重要な一言なのである。それを上江洲先生はさらっと指摘された。 その後、上江洲先生は本日の授業準備(最終的な仕上げ)を行うために教室へ向かわれた。もちろん、上江洲先生は事前に問題を解かれているし、新幹線の中でも英文を確認されてきたそうだ。その上での最終確認である。 そこで、私も本日の授業の最終確認を始める・・・。すると、教室から上江洲先生の声が聞こえてきた。遠くからでも分かる流暢な英語である。上江洲先生は、本日の授業で扱う日比谷高校の英文を音読されているのだ。授業開始30分前になる。ここでもう一人のゲスト細川先生が登場する。細川先生は大学受験予備校で現代文を指導しながら、自身の個人塾「進学塾uine」を開かれた凄腕の塾長さんである。3月に一度、当塾に見学(および授業)にいらっしゃったのだが、今回は上江洲先生の日比谷解説を見たいとのことで、再びいらっしゃった。 時間は15時。授業開始は15:30なので、生徒達が続々と塾に集まり出す。普段遅刻にはとりわけ厳しくしている当塾であるが、さすがに「今日は遅刻しないで来てくれよ」と私は一人緊張していた。特に男子生徒で遅刻しがちの子がいるので、気が気でなかった(笑)。私はたとえお客様がいようと、遅刻した子はその場で帰宅させる。もちろん激怒した後に。せっかく上江洲先生と細川先生がいらっしゃっている日に、私の怒鳴り声で雰囲気を壊してしまうのが嫌であった。だから、全員が時間前に揃った時は、いつも以上にほっとした。全員教室に着席し、いよいよ上江洲先生の授業が始まった。
2013/11/15
上江洲先生のことは今さら説明するまでもあるまい。奈良県の最大手塾で20年近く指導をされ、奈良県公立高校入試が終わった後は、テレビで入試問題解説も務められていた関西圏トップクラスの講師である。東大寺をはじめ、県立奈良や県立畝傍高校に多数の合格者を輩出している奈良県トップレベルの先生。もちろん、合格者数だけではなく、その指導方法の多彩さ、引き出しの多さも先生のブログを読めば一目瞭然。日々教育技術の研鑽を積まれている職人である。私が普段懇意にしている関東圏の多くの先生方の中にも上江洲先生を尊敬されている方は多い。もちろん、技術だけではない。上江洲先生の技術には、常に「思想と精神」が宿っている。そのあたり小手先の技術に頼りがちな私のような講師とは一線を画す。上江洲先生の持っている技術の裏には思想があり、なぜその技法が生み出されたのかの理由を探ってみると、そこには必ず先生の思想なり信念なりが横たわっている。進学塾UINEの細川先生が、上江洲先生のことを称し、「カリスマ」と表現されていたが、多くの方が上江洲先生にカリスマ性を感じる所以も、先生の背後にある思想性、宗教性が関係しているのではないだろうか。上江洲先生は自らの指導技術の集大成の場として奈良県に「進学塾SORA」を創設された。当時、上江洲先生が独立し、塾を創られたことは、多くの塾講師の心を揺さぶった。「あの奈良県の上江洲先生が独立される・・・」。これに刺激を受けた塾の先生は私の周りでも多く、全国で大手塾を辞め、自らの塾を創設した先生は私の知るだけでも数名存在する。そうした意味で上江洲先生は、細川先生のお言葉を借りれば「個人塾界の巨人」である。(ちなみに私は阪神である。) さて、その上江洲先生。どういう訳か私が行き詰まっていたり、人生の分岐点にいたりすると決まって電話をくれる。独立する際も、独立後も、節目節目で必ずお電話をくれるのである。(もちろん、ただ単に好きな漫画について語って終わる場合もある)今回もちょうど私が最終盤の英語の進め方について考えていた時の電話であった。今年の子達は、昨年の子に比べ、少々平均偏差値が低い。大体5程度低い。原因は国語の力である。国語が出来ないがために、社会や英語の偏差値も下がっており、そればかりでなく数学の応用問題も出来なくなっているという状況だ。私の塾は選抜テストもなく、先着順に入塾して頂いている。特に新中1や新中2の春は、学校成績で2がなければ入塾可能であるため、オール3程度で入塾してくる子がほとんどだ。そして、学校成績でオール4に届かない子はほぼ例外なく国語が苦手である。その国語力が足を引っ張る形で全体の成績が低迷し、さらには「意欲」まで下げてしまっているのである。(国語力と意欲との関係はいずれ書きたいと思う)また、先着順入塾のため、年度ごとに力のバラツキも大きい。昨年のように学年1位がクラスの4分の1(16人中4名)を占める学年もあれば、そうでない学年も当然ある。今年の中3生は、中2時代から勉強面以外の修正点が多い学年で、学力も当初はそれほど高いわけではなかった。ここに来て偏差値は随分上がってきて、「塾生全員の偏差値60以上」まであと1名という状態まで来ている。しかし、いかんせん国語の力が弱い。その対策を考えていた矢先の上江洲先生からのお電話であった。 上江洲先生は電話口で次のように言われた。「先生の塾に伺ってもいいですか?」私は独立してからこの瞬間を待っていた。独立するとなかなか他の先生方の授業を見る機会がなくなる。他の先生と交流する機会がなくなると、どうしても自分自身の成長度も弱まってしまうもの。こんな機会はめったにない。生徒達にとってもきっと有意義な時間になるに違いない。私は電話で快諾した。というより、正確にはお願いしたと言った方が正確かもしれない。
2013/11/15
9月16日...。祝日のため、この日の塾は休み。ただ、休日といっても、大抵は仕事のことを考えている。特に受験生のことを考えることが多い。彼らの学力と志望校との距離を考え、その差をどのように埋めていくか、そんなことを考えながら過ごしていることがほとんどだ。そうこうしているうちに、あっという間に休日が終わってしまうということもしばしばである。この日もそうだった。前日までの残務を塾で片づけ、帰宅したのはちょうど夕食の頃。食事を済ませた私は、妻とテレビを見ながら(そうそう、ブログを休んでいる2年の間、私事ですが結婚いたしました)、流れてくる映像とは全く関係のないこと、すなわち受験生達の最終盤プロジェクトを「アーデモナイコーデモナイ」と考えていた。携帯電話の着信音が鳴ったのはそんな時であった。進学塾SORA塾長、上江洲先生からである。
2013/11/15
!
2013/11/13
整数問題を苦手とする受験生が多い。中学入試でも高校入試でも大学入試でも出題されるが、出題パターンが多く、暗記型の勉強法だとなかなか対処できないのが現実である。学校の教科書でも「整数」という単元は存在しないのに、入試用問題集では「整数」という単元が用意されている。実際、教科書数学と入試数学の乖離が最も激しいのが、図形ではなく整数問題である(と感じている)。 そこで、現在整数問題のプリントを作成している最中。 ところで、昨夜はたまたま帰宅が早く、たけしのコマネチ大学を見ていたのだが、番組内で「n!(nの階乗)の最後に0が15個並ぶ最小の整数nは?」という問題が出題されていた。(ちなみに答えは65) この問題は結構出題頻度が高く、2001年の千葉大学でも同様の問題が出題されている。「30!(30の階乗)は、末尾から続けて0が何個並んでいますか。」という問題。都立自校作成でも出題されている。「1から25までのすべての自然数の積を計算したとき、末尾に0が何個並ぶか。」(平成21年度の都立国立高校)こうした問題は、ある程度問題演習を重ねて慣れることも必要であるが、他の単元以上に数字に対する理解が必要になってくる。とりわけ、素数、素因数分解、因数、約数、倍数、わり算の一般式などに関する理解と知識が必要。 ということで現在、数ある整数問題を分類し、プリントを作成している最中である。 と思ったら、シリウス発展編とJACK発展編にまとまっていた…
2011/09/27
覚える力・暗記力・記憶力をバケツに喩えるとわかりやすい。覚える力が弱いというのは、穴が空いたバケツに水を注ぐようなものである。 対策として、1 水が漏れても良いので、気にせずどんどん水を注ぐ2 最初にバケツの穴を塞ぐ3 新しいバケツを買ってくるという3つが考えられるだろう。 3番目は人間の脳みそには応用できない。却下。 1番目も駄目だ。記憶力のない子に授業を行うことは、「1」の方法を選択しているのと同じことなのだが、これは2つの理由で意味がない。 1つめの理由は、長期戦に耐えられないからである。もし仮に、穴が空いているのを承知で、どんどんバケツに水を注いだらどうなるだろうか。もちろん、穴が小さければ、もしかしたらある程度はバケツ内に水が残るかもしれない。しかし、そのバケツを持って目的地まで歩いているうちに、水はドンドンなくなってしまうだろう。歩く距離が長ければ長いほど、バケツ内の水は少なくなるだろう。すなわち、学校の定期試験程度ならぎりぎり知識が残っているかもしれないが、入試会場までは知識を持っていけないということである。だから、記憶力がない状態の子に授業を行うことは遠回りなのである。 2つめの理由は混乱を招くからだ。「忘れる」という現象の厄介なところは、抜け落ちていく知識が1つの単元丸々きれいに抜け落ちるのではないということだ。たとえば、「1 不定詞はto+動詞の原形」「2 受動態はbe動詞+過去分詞」という2つの知識を教えたとする。しかし、ある生徒はすぐに忘れてしまう。問題はここからだ。仮に忘れるにしても、1の「不定詞はto+動詞の原形」だけ忘れてしまうのなら良い。なぜなら、その子の頭の中には、少なくとも「2 受動態はbe+過去分詞」は残っているのだから。 ところが、記憶力のない子は、一部分だけ中途半端に抜け落ちる。上の例で言えば、「動詞の原形」という言葉と「be動詞」という言葉が抜け落ちてしまう。そのため、「不定詞はto+過去分詞」という訳の分からないことを言い始めるのだ。これがいわゆる「混乱する」という現象。暗記力のない子に授業を行うと、それらが時間が無駄となってしまうだけでなく、単元が進むにつれ混乱度が大きくなるという事態に陥る。 したがって、上記のバケツの話で言えば、何よりも最初に行うべきは、「バケツの穴を塞ぐ」という2番目の方法になる。
2011/09/14
久しぶりにこちらのブログを更新します。昨日90万アクセスに到達したようです。どうもありがとうございました。 最近つくづく感じることは、勉強の基本は覚える力、すなわち暗記力・記憶力と言われるものであるということ。もちろん、論理的な思考力、読解力、計算力、スピード、情報処理力など、勉強が得意になるための要素は様々であるが、それらの前段階として「覚える力」がない状態で何を勉強しても、すべてが無駄となってしまうということである。 古代ローマには、「穴を掘っては埋め、埋めたらまた掘る」という刑罰があったそうだ。これは肉体的苦痛よりも、精神的苦痛を与えることが目的だったという。他にも、「重い石をA地点からB地点まで運び、それが終わったら再びA地点まで戻す」という刑罰もあったそうで、これも精神的苦痛を与えるためのもの。これらの刑罰が精神的に辛い理由は、人間の精神は、「無意味なことを繰り返す」ということに耐えられない仕組みになっているからだ。すなわち、相手に精神的な苦痛を与えるための最高の手段は、「その日行った作業を、その日のうちに元の状態に戻させる」ということのようである。 これは理解できる。たとえば、「掃除をやり終えたその瞬間に何かをこぼし汚してしまう」、「トランプでピラミッドタワーを作り終えた瞬間に崩れてしまう」、「テレビゲームでレベルアップをした瞬間に、電源が抜け、本日の最初の状態に戻ってしまう」など、その日行った作業が、水泡に帰することは精神的に相当堪える。 勉強も同じだろう。「その日行った作業がその日のうちに元の状態に戻る」というのは、記憶力のない子に頻繁に起こっている事態だ。これは冒頭に書いた拷問と、全く同じ効果がある。「昨日やったはずなのに全く覚えていない。」「あんなに復習したはずなのに、前回の内容を全く覚えていない。」という状態だ。本人に全く悪気はない。 ところで、私が浪人時代にバイブルとして読んでいた漫画に「冬物語」というものがある。浪人生である主人公が予備校に通い、無事?大学に合格するまでの話である。この「冬物語」で、2浪している主人公が、もう入試直前の寒い頃、単語帳を眺めながら絶望するシーンがある。「駄目だ、全然覚えていない」と頭を抱えるシーンだ。個人的に非常に印象的な場面である。 中学生の場合はそれほど意識も高くないので、冬物語の主人公ほどではないだろう。だが、記憶力のない子の絶望感たるや、もしかしたら私の想像以上なのかもしれない。覚える力のない子に勉強を強制することは、実は拷問と同じ効果があるのではなかろうか。最近つくづくそんなことを感じている。あれだけ一生懸命勉強した内容が、翌日にはきれいリセットされているのだから、その虚無感、むなしさと言ったらそれは、精神的苦痛以外の何ものでもないだろう。 学年1位や学年上位が大多数を占めているうちの塾においても、現在成績や偏差値が伸び悩んでいる子はいる。彼らに共通しているのは、覚える力の欠如、暗記力のなさである。(※ちなみにもう1つ。彼ら全員AK○のファンで、定規や下敷きや筆箱のキーホルダーが、A○Bグッズで埋め尽くされている。私の経験上、アイドルやバンドに夢中になる子は、成績が伸び悩むケースが非常に多いように感じている。)
2011/09/14
高校入試の作文で、「段落分けをすべきか」「最初は1マス分空けるべきか」「行の最後に句読点がはみ出してしまう場合は、どうすべきか」について質問がありましたので、塾ブログに書いておきました。
2011/08/30
別にフジテレビのことを書きたいわけではありません(笑)すごい偶然ですが、8月8日の本日、ブログのアクセス数が888888に到達します。あと10くらいで到達です。最近は本家のブログ更新が忙しく、こちらのブログが更新出来ていません。毎日何百ものアクセスがあるのに申し訳ありません。ちなみに、もう一つのブログは1日50アクセスくらいの過疎ブログ(笑)そのうち半分以上は業者の巡回ソフトによるアクセス。おそらく読んでる方は10名にも満たないようなブログなので、気楽に書いてます。
2011/08/08
(月)(火)(木)(金)とトイレ掃除に膨大な時間がかかった。ここまで連日汚されたのは初めて。トイレの汚れは、生徒たちに緊張感がなくなってる時。気をつけねば。それにしても夏期講習中に余計な体力を使わせないでほしい。掃除スタッフ雇うか…当然授業料も上げざるを得ないが…
2011/08/06
夏期講習前のため細々とした事務作業が多い。最近はとりわけ仕事が多く、また再テストや宿題の管理も仕事を増やす要因で連日朝まで残務をこなしている。中3生は、各々が帰り際に伝達事項を伝えてくるので、それらも一つずつ処理していく。「あ、うっかり忘れてました!」では生徒に申し訳ないばかりでなく、社会人として恥ずかしいので、きちんとやっている。それにしても仕事があることは幸せである。忙しく、体力的にも楽ではないのだが、かといって苦でもない。開校から丸3年。終わらないほどの仕事量(←終わらせますが)があることに改めて感謝し、一つ一つきっちりこなしていきたい。
2011/07/17
なでしこすごいな~
2011/07/14
我が新居はゴキブリが出る。それはそれは頻繁に出る。30分間に4匹出たこともあった。どこから出てくるのか不思議なくらい出る。バルサン焚いた翌日から出る。ホウ酸ダンゴやゴキブリホイホイを大量に仕掛けても出る。いま新築をお願いしている1級建築士さん曰わく「ちょっと異常ですね。そこまで出るのはおかしいですね。」と言われるくらい出る。さて、そのゴキブリ対策。最近いろいろ対策する中で最良の対策を発見した。最良のゴキブリ対策。ゴキブリホイホイ?ちがう!ホウ酸ダンゴ?ちがう!バルサン?ちがう!ゴキブリが出なくなるスプレー?ちがう!バポナ吊す?ちがう!殺虫剤?ちがう!食器洗い洗剤?ちがう!どれもちがう!最良のゴキブリ対策。それは、ゴキブリを何とも思わない自分を作ること。ゴキブリなんて平気で一切気にしない自分になること。これに限る。で、実際どうするかなんだけど、もう気合いしかない。不良の喧嘩みたいに気合い入れて、叩いて捨てる。これを繰り返す。むしろ「ゴキブリ出てこい。このやろう!力づくで俺を超えてみろバカやろう!」と両手を叩き、アゴを出しながら、マイクパフォーマンスしながら、ゴキブリを待つ。そしてやっつける。これが一番。嫌なところに足を踏み入れ克服する。いわば、ゴキブリ版森田療法。これが一番の対策。気にしない。ただの虫だから。
2011/07/14
まずは、ぞうきんを水に濡らして、それから・・・ って、ちがーーーーーうっ!!! 「相似」の基本について、書こうと思ったのですが、先月購入したパソコンが誤変換しやがった 今年の塾生(中3)が通う学校のうち、A中学とB中学は数学の授業が「図形」と「数量」に分かれている。2学期制と3学期制で分かれているだけでも大変なのに、もう進度やカリキュラム調整が大変なことになっている。塾運営上も重大な支障を来してしまう。 でも、そこを何とかしちゃうのが私なんだけど、ってことで、塾では二次方程式を5月で終了し、現在は相似の特訓中。 すでに、ピラミッド、ハの字、跳び箱(解法3パターン)、砂時計(蝶々、リボン)、リボン+ピラミッド(解法3パターン)、核の二等分線(←いや、角ね)を終了し、本日は、「高さ共通三角形の面積比」と「重心」の指導。ひとまず、基本構図の中でも、とりわけ基本となる構図の指導は、本日で終了させる。重心と角の二等分線は見た目間違いやすいので、注意させないと。 これで夏前半までで相似を終了させ、後半は二次関数へいけたらいいな~という予定。大手塾でも、たとえば首都圏だとI塾さんなどは、二次関数の前に相似を指導するので、今年はうちもそうした順序にした。今年の中3生は力があるので、この順序で大丈夫だと判断した。 実は、数年前にもこの順序にしたことある。すなわち、展開→因数分解→平方根→二次方程式→相似→二次関数→三平方という順序。 ただし、数学の力が弱い生徒が多いと、この順序は失敗することもある。中3数学の代数分野はよく言われているように、芸術的な進行で進んでいく。展開→因数分解→平方根→二次方程式→二次関数の順で学習していくと、おもしろいように1つ前の単元をそのまま利用して次の単元を習得できるようになっている。ところが、二次方程式の後に「相似」を紛れ込ませると、この流れが分断される。ここが数学の苦手な子にとっては混乱を招く。(もちろん、ここで混乱が起こるようでは、入試には対応できないのだが・・・)大手塾や比較的上位ねらいの塾ならいいのだが、そうでない場合は少々注意が必要だなと感じていた。 だが、ことしは中学校で「図形」「数量」を並行して行っている中学があるので、致し方なくこの順序で行う。「致し方なく」と書いたが、この順序にもメリットはある。 まず、相似を夏で終了させるので、比較的早めに入試問題に入ることができる。多くの中学生が苦手とする図形問題を、早い時期から勉強することにより、じっくりと鍛えていくことも可能。また、二次関数を9月に後回しにすることにより、ちょうど学校の進度と塾の指導内容が重なることになる。内申点で重要となる2学期の成績。そのメインが二次関数だが、ちょうど塾でも二次関数を指導することになるので、生徒もよく内容を覚えていられる。二次関数を、塾で6月や7月に指導すると、場合によっては2学期期末の頃にはさっぱり忘れているという生徒がいるが、この順序なら若干その危険性も緩和される。 一方、相似分野については、多くの中学校で12月に行う。相似の応用は11月の期末テストの範囲から外れる中学校も多い。したがって、相似分野については、こと定期試験対策に限って言えば、塾でそれほど力を入れる必要もないのだ。 こうした理由から、二次方程式の後に「相似」を入れ、その後二次関数に入るというのは、デメリットばかりでなく、メリットもある。とりわけ、都立の自校作成校を受験する場合は、こちらの方がいいのかもしれないと最近感じ始めている。(なぜなら、都立自校作成入試のメインとなる図形分野に多くの時間を割くことが可能であり、同時に二次関数を2学期に回すことにより内申対策も行うことが可能だから) ところで、話は変わるが、中3数学のカリキュラムについて。東京書籍だけは、平方根→展開と因数分解という順番になっている。個人的にはあまり好きではないのだが、私の感想だと、東京書籍を採用している自治体と、それ以外の教科書を採択している自治体を比較すると、前者の方が、圧倒的に都立自校作成や上位校への合格実績が高いように思うのだがどうなのだろう。 たとえば、当塾がある市内だと、学年で都立トップ校や自校作成校に進む子は3~5名。2番手校まで範囲を伸ばしても、学年で10名も行けばいい方。実際は、そんなにいかない。それに対して、お隣の自治体2つは、東京書籍を数学、英語、理科などで採用しているが、1学年から20名くらいトップ校が出る。もう市の教育レベルが全く異なるというのが実感。 ┌───────┐ │ │ │個人の感想 | │です │. (ヨ─∧_∧─E) \(* ´∀`)/ Y Y 教科書採択と学力との相関関係は、どうなのだろうか。ちょっと調べてみようと思っている。
2011/07/12
塾生に学年1位の子が入塾してくる。中3クラスに2人、中2クラスに1人、学年1位の子がいるので、4人目。ご両親がこのブログをご覧になっていらっしゃる方で、昨年在籍してくれていた子の弟妹(ていまい)にあたる方なので、こちらも良い緊張感を持って指導に当たれることができる。(それにしても5科目合計点は驚きました。個人情報もあるので数字はかけませんが、私が過去に聞いたことがない点数です。お姉さんに引き続き都立トップ校へ合格できるように一緒にがんばっていきましょう。) 学年1位の子たちに共通しているのは、将来像や夢をきちんと持っていること。「将来何になりたい?」と尋ねると、具体的な返答があることが多い。もちろんこれから色々な選択肢ができることだろうし、夢が変わることもあるだろうが、目標があることは本当にすばらしいと思う。 私なんて何も考えずに生きてきたので、いつのまにか・・・(以下略) 将来像や夢があるので、そこから逆算して大学、高校進学、そして普段の勉強と順々にノルマを落とし込むことができる。 一見無意味と思える普段の行動に意味を見いだすことで、やる気が芽生えてくる。非常に大切なことだと思う。詳しくは、次々回の塾通信で書こう思う。 ところで、話は変わるが、友人が国立大の准教授になった。さすが。中学の頃からのライバル←うそ常に切磋琢磨してきた仲←大嘘その彼が准教授。非常にうれしい。(おーい、ブログ見てる~?^^v)最近は日経新聞や経済雑誌にも出ていて多忙なようだが、でも端から見て疲れているように見えない。むしろ楽しんでいるように見えるからすごい。私もがんばらなければ。 さてと・・・もうすこし残務を・・・ ←いや、疲れてないから、大丈夫です… 全然疲れてない。
2011/07/08
むしろ外より暑い(T_T)
2011/07/08
正直、日比谷や西に見学行くより、私が解説する日比谷や西の国語解法や数学解法を聞いてた方が数倍有益かと思う。見学に行くことによりモチベーションが上がる?見学行かないと上がらないようなモチベーション程度で受かる高校ではないよ、トップ校は。そもそも、高校見学へ行ったことにより「受けたい」と思うのは、その場の雰囲気や気分で決めているわけであまり深い考えや将来像はないと思われる。そーゆーの学校の先生が普段一番嫌う考え方(進路の決め方)だと思うんだけど…
2011/07/08
一昨日、中3生は「夏期講習、遅刻欠席なし」と書いたが、本日2名から連絡を受けた。「高校見学(←正確には上級学校訪問というらしい)があるので、夏期講習中の休みが増えます。」というもの。しかも、最低3つ行かないといけないらしい。え~…コホン…高校見学「なんて」いくら行っても、偏差値も上がらなければ、受かりもしません。だいたい、夏休みに見学に行った高校なんて、まず受験しないですから。ほとんどの子が受かりもしない身の程知らずな高校に見学に行くか、友達に付き合って全く受験する気もない高校に見学に行くかのどちらか。(まあ、たまに例外はあるけど)その高校見学に最低3回とは…無駄すぎる。特に、本日報告に来た2人には無駄すぎる。だって一人は志望校1本に決めてるし、もう一人は見学行ってる場合じゃないんだから。嗚呼、高校見学…どうせなら、貴重な塾の授業じゃなくて、立ち歩きや私語で崩壊してる中学校の授業つぶして行けばいいのに…(あ、言っちゃった…)
2011/07/08
ある模試業者からファックスとメールで夏期休業のお知らせが入った。「節電対策の一環としてお休みします」と書いてある。「節電対策の一環として」↑ここいらないでしょう。お盆の期間なのだから、普通に「夏期休業」でいいのに…節電を都合良いように利用してる気がする。そんなに節電対策したいなら一年中休んでればいいのに…。そもそも、会社休んでる間に、そこの社員が自宅やそれ以外の場所で電気や冷房使ったら一緒でしょ。いや、むしろ電力量上がる。「本当に」節電対策したい気持ちがあるなら全社員拘束して、冷房と電気点けないで働かせてるのが一番の節電対策。そうでないなら、「節電対策の一環」などという文言を外して、堂々と休めばいい。取引先の学習塾が、夏期講習中で忙しい最中に休むことに気が引けるのかもしれないが、そんなの関係ない。普通に堂々と休めばいい。
2011/07/08
今年の中1は頑張らないとな…とにかく、学校で2が付かないようにしなくては。そういうレベル。でも、保護者の方の志望校はトップ校なので、少しでも間をつめていきたい。最終的(中3の最後)には、「4番手から5番手の都立高校が志望校」と口に出せるレベルには持っていかなければ…とにかく、学校で落ちこぼれないようにしてあげることが最優先。ただ問題は、それまで持つかな…ということ。(生徒たちの体力と保護者の忍耐力が)
2011/07/06
現在、中2英語は動名詞。テキストに次のような問題が載っていた。 「次の文には誤りが1カ所あります。直しなさい。」Eating flowers are popular around here. 解答はare を is に直すのだが、flowers を自分が好きな食べ物に書き換えていた子が数名いた。文法面だけでなく、いろいろなことを指導しなくては…
2011/07/06
うちは、夏期講習の欠席と遅刻は、予め指定の用紙に記入し、提出することになっている。1つめの理由は、夏期講習中は忙しくなるため、欠席や遅刻の連絡を毎回受けることが大変だからだ。2つめの理由は、全員出席した日に、関係代名詞、二次関数の導入、歴史テーマ史、飽和水蒸気量などの重要単元を講義したいからである。今日はその「欠席遅刻届」の締切日。昨年に引き続き、一人を除いて、全員が白紙を提出してきた。白紙とはすなわち、遅刻も欠席もないということ。素晴らしい。こちらのテンションも上がる。たった一人の子は、昨年の子と同様、テニス部の合宿で、2回ほど休み。これは仕方ない。とにかく、夏期講習を「全員参加、全員欠席なし、全員遅刻なし」で迎えられることは最高。カリキュラムも組みやすいし、進行がスムーズ。補習日程を組む事務作業もなくなる。補習がないので、全体力、全神経、全エネルギーを授業に集中できる。さらに、こちらのテンションも上がる。結果的に生徒の学力も上がる。とにかく良いことばかり。プロレスやコンサートと同じで、ファンが盛り上がれば選手や歌手も乗ってくる。塾の場合は主役は生徒だが、生徒たちが盛り上げてくれれば、講師も乗ってきて、素晴らしいクラスになる。各自が遅刻や欠席をしないと、クラス全体の学力も伸びやすいのだ。とにかく、この夏で彼らのレベルを上げていきたい。
2011/07/05
塾生用速読英単語が入荷された。使い方は未定。←勢いで買った!迷わず行けよ。行けば分かるさ。元気があれば、速読英単語も暗唱できる。
2011/07/05
BGMがオフコースの「さよなら」だった。素晴らしい選曲だと思う。
2011/07/05
言っていることが正しい正しくないはさて置き、あの世代の方ってああいう態度の方が多いという印象。私自身、学生時代にサービス業のアルバイトをしていたし、今現在サービス業の仕事をしている知人友人も多いが一番マナーの悪い客は中学生。その次が(それと並ぶのが)あの世代の方に多いという話はよく聞く。よく「店長出せ」とか「アルバイトじゃ話にならない」とか言い出すタイプの方。下手に出て、おだててれば、大抵気分良くして帰る。基本は「大変勉強になりました」みたいな謙虚な態度で接すれば満足してくれる。あとは「私はあなたの味方です。あなたの意見に賛成です。」というスタンスも大切。最後に「さすがですね~。」という尊重した態度を見せれば、問題なし。「こいつは自分側の人間だ」と勘違いしてくれ、以後攻撃を仕掛けてこない。
2011/07/04
先週、たまたま中3クラスと中2クラスから同じ話が出た。「学校でみんな「英語が分からない」って言ってる」ということである。同じ話が複数の中学校の生徒から出たので、ある程度一般的な事例なのだろう。「英語が分からない」とは、おそらく「文法が分からない」ということだと思う。もっと言えば、中学生の場合、be動詞と一般動詞の区別があやふやなのだと思われる。そもそも、近隣中学校の授業では「be動詞」という言葉自体が使われていないようだから、おそらく文法よりも会話重視なのだろう。やはり、文法はきちんとやった方がいい。先日たまたま拝読したS予備校のI師のブログにも文法の重要性が説かれていた。個人的な意見だが、とりわけ、中1の「be動詞と一般動詞の区別」および高校の初めに勉強する「5文型」は、最重要だと考えている。学校の教科書は大変よく出来ているが、うまく使わないと文法力養成の面で抜けが出る。教科書とは別に大量の英作文プリントなどを配ってくれる先生に当たればいいのだが、教科書だけしか使わない先生の場合、余程経験のある先生でないと、文法面で弱点を抱えることになりかねない。英語学習導入時には、単純作業的な要素も必要かもしれない。今回は、中2中3生から「塾に来てなかったら全然分からなかった」という話を聞けて良かった。少しは役に立ってるようで(笑)
2011/07/04
書店に電話し、速読英単語の中学生版を予約しておいた。普段は吉祥寺の紀伊国屋書店かジュンク堂に行くのであるが、今回は塾がある地元の書店に予約した。(と言っても、塾から電車1駅分、自転車で15分程度かかるが)この書店は、実はあまり好きではない。以前、発注したものを間違えたことがあった。何度もタイトルを強調し、「間違えやすいタイトルがあるので気をつけてください。」とまで伝えた。出版社と費用も教え、表紙の色も教えたのに、それでも間違えた。 他にも、数千円する大きな本を数冊購入したことがあったのだが、レジで定員さんが、その数冊の本を両手でつかみ、レジの机に「バンバン」とたたきつけた。背表紙を揃えるためだろうが、あれをやると本が傷む。本を大切に扱うタイプの自分としては、あのようなことを書店の定員さんが行うのが不思議でならない。 万引きに対してもかなり神経質になっているようで、店のあらゆるところに「万引きは警察へ通報します。」という張り紙があり、定員さんもお客さんをよく監視している。じーっと見ている。 「いらっしゃいませ」も言わず、お客さんが多いと、結構いらいらした態度をお客さんに見せるお店なので、本当はあまり利用したくなかったのだが、今回は吉祥寺まで出る時間がなかったので、その書店で予約をした。 先日電話をし、「速読英単語の中学版」を発注。Z会、速読英単語、中学生版とはっきり伝え、料金も伝えた。 すると折り返し電話がかかってきて、「すいません。速読英単語の中国語版は発売されていないとのことです。」ものすごくゲンナリした。 大体、英単語の中国語版って何だよ。「英」単語の「中国語」版?それって、フランス料理の中華版みたいなもので、完全に矛盾しているのではないだろうか。 百歩譲って、「速読中国単語」ならまだ分かるが、中国語を速読する本を高校受験塾で使うずなかろうに。とにかく、まだ発注できていない。
2011/07/03
中1生と中2生の夏期講習を来週で締め切る。中1と中2の夏期講習は例年自由参加にしてある。むしろ、1学期しっかりがんばった人は参加しなくてもいいとまで言ってきた。これは、ある知り合いの塾長さんがそうした方針で運営されていたので、真似させていただいたのだが、今年に限っては、少々中1と中2に不安を感じていたので、なるべく多くの子に参加してもらいたいと考えていた。結果は、2名を除き全員が参加してくれることになった。(参加しない2名は学年1位レベルの子なので、こちらから「参加しなくていいよ」と伝えておいた)この夏で、基礎学力の再構築をしておきたい。土台がしっかりしていないところに家を建築しても、そろは砂上の楼閣。学年が上がるにしたがい、そのほころびは必ず目に見える形で現れてくる。逆に土台工事をきちんとしていれば、たとえば「増築」も「改築」もしやすい。新しい単元を無理なく消化することもできるし、すでに学習した単元を忘れてしまった場合でも復習・遡及が容易だ。学習における土台工事は、建築におけるそれと同じくらい重要。そうした意味で、この夏期講習で少しでもがっちりとした土台を作り上げたい。そもそも、夏期講習で土台作りをしないといけないということは、私自身が反省しないといけないことである。本来は通常授業のみでその土台を作り上げなければならないと思っているからだ。そうした意味で、この夏期講習は私にとっても土台作りのラストチャンスだと思って臨むつもりである。 と言っても時間が無限にあるわけではない。夏期講習と言っても、日数は他塾に比べ限られている。そのため、ある程度内容を絞り込んでいく必要があろう。具体的には、「作業的な基礎訓練」と「いろいろな単元につながる重要な考え方」という2つのテーマを二本柱として進めたいと考えている。問題は後者。非常に難しいテーマのため、何を素材にし、どういった形で身につけていくのか思案中。工夫が必要だろう。
2011/07/03
塾通信の作成が終了した。今回はB4両面2枚分。今回で塾通信は最終回にしようと思う。あまりにも時間と体力を使いすぎる。なお、今回の塾通信のテーマは自学力について。たとえば、定期試験前に生徒に手取り足取り型の指導をすることの弊害、定期試験過去問を塾で配付する弊害。そのあたりを重点的に書いた。 定期試験過去問をなぜ配るのか。それは、あくまでも「塾側の都合」で配付しているだけである。直近の定期試験で良い点数が取れれば、それが集客に繋がるからだ。塾を選択する際、そうした事情は理解しておくべきだと思う。 塾はビジネスなので、定期試験対策を行えば、手っ取り早く生徒を増やすことが可能だ。しかし、そうやってテストの点数を上げたところでどうなるのか。たとえば都立高校。こうした形で内申点をとっても、行ける高校はせいぜい3番手校まで。そして、その3番手校からの大学進学状況を見れば、「塾の力」で内申点を取ったとしても、その生徒の辿り着くゴール地点(←大学受験での)は明らかである。 手っ取り早く点数を取りたいと思っている生徒や保護者は、結局のところ学歴がほしいのだと思う(正確には学校歴)。(違ってたらごめんなさい。でもそうでなければ、なぜテストの点数を上げたいのか、理由がわからない。他に定期試験の点数を上げたい理由があるのでしたら、大変申し訳ありません。)だからこそ、言葉は悪いが、「焦って」直近の点数を取りに行っているのだろう。そこで、定期試験対策をばっちりやってくれる塾を選択する。そこに「将来的に伸びる学力を身につけたい」という考えは、あまりないように感じる。ところが、そうやって定期試験の点数を上げても、せいぜい都立3番手校にしか入れない。都立3番手校からは、良くて日東駒専。多くの子は短大や大東亜帝国。あるいは専門学校や就職。(別にそうした進路がいけないわけではありません。ただ、定期試験の点数を大幅に上げたい方は、私の経験則ではもっと高い目標を持っている場合が多いもので…)親が望んでいた「就職に近い大学」とは、少々離れた進学先が待っている。 「良い点数を取って良い高校に入りたい。だから定期試験対策をしっかりとやってくれる塾へ・・・」その気持ちは痛いほど理解できるが、実はその選択が、逆に就職に近いとされる難関大学からどんどん遠ざかってしまうことになる。学校の定期試験に左右されず、中学段階は暗記力と思考力をじっくり鍛えていく方がいい。たとえ成果がすぐに現れなくても。 もちろん、定期試験対策が悪いわけではない。定期試験という機会を利用しながら、暗記力をつけたり、長時間勉強のスタミナ・集中力を付けたり、思考力をつけたり、実力をつけたり、自学力を付けたり。それができるのであれば、定期試験は最高の機会。しかし、そうではなくて、定期試験過去問を暗記して、手っ取り早くテストの点数を上げるような定期試験対策は、むしろ弊害の方が大きい。(と私は思う) 繰り返すが、塾による定期試験過去問の配付は、(多くの場合)、生徒のためではなく塾側の経営上の理由から行っている。そうしたことも頭にいれた上でその塾を上手に利用するのであれば、それはすばらしい選択だと思う。しかし、そうした事情を一切考慮に入れず、「定期試験過去問の暗記→定期試験の得点アップ→内申アップ→少しでも偏差値の高い高校へ入学→偏差値の高い大学へ合格」という青写真を描いているとするならば、それは大きな勘違いであり、むしろ、そうならない可能性の方が高いということは、親として頭に入れておくべきだとは思う。 その上で「定期試験過去問暗記」という「この世に実在する暗記パン」を利用するかしないか、個別に判断するのがいいだろう。定期試験過去問の暗記は、ドラえもんの暗記パンと同じである。それにより、点数は伸びたけれども、性格がのび太になってしまっては元も子もない。あくまでも個人的意見ですが。追記:まあ、過去問と同じ問題を毎年出題する公務員が最もいけないのは言うまでもありません。
2011/07/02
最近、調べたいことがありグーグルでキーワード検索すると、ツイッターのどうでもいいような一般人のつぶやきが検索上位に引っかかる。迷惑極まりない。必要な情報や有益なページが下の方に来ている。
2011/07/02
塾の近所でタバコを吸っている中学生を見た。ただ、喫煙する中高生は、私の感覚であるが、この10年でものすごく減少したように思う。ひとつは、タバコの害が世間一般に伝わったことが大きいだろう。ただ、中高生が喫煙する場合、あまり人体への害は考えないはずだ(笑)そうなると、やはりタスポの影響と価格上昇の影響が大きいのだろうか。私が喫煙していたころはセブンスターが220円であった。しかし、先日自販機を見たら400円を超えていて驚いた。1日1箱から2箱吸っていた自分からすれば、とてもではないが禁煙せざるをえない価格。まして中高生が購入できる額ではない。そうした未成年の喫煙を防ぐという面では、タスポの導入と価格上昇はよかったのかもしれない。 ところで、未成年の喫煙は法律違反であるし、やはりいけないことだ。私たちの高校時代などは、むしろ吸っていない高校生を見つけることが難しいくらい、みんながみんな吸っていた。バイト先でも高校でも地元の友達でも、タバコを吸っていなかった人を思い出そうとしても、全く記憶がない。それほど高校生の喫煙率が高い時代だった。(私は吸っていたかどうかは秘密) 確かに、いま考えると本当に馬鹿だったと思う。やはり未成年の喫煙はよくない。しかし、「タバコは20歳を過ぎてから」という文言通りに、せっかく二十歳までタバコを我慢してきたのに、分別のつく二十歳を過ぎてからわざわざタバコ吸い出す方がよっぽど馬鹿だと思う。まあ屁理屈なのは百も承知しているが。
2011/07/01
6月末締め切りの課題を、塾生に与えていたのだが、終わっていない子が大変多い。こういう子は、学校の試験勉強でもノルマを消化せずに試験日を迎えているケースが目立つ。彼らに欠けているのは、「期限までに終わらせる」という観点である。普段の生活の中で、根本的に「優先順位の付け方」が間違っている。夕食を終え、リビングで音楽を聴いたりテレビを見たり…。しばらくすると、お母さんから「勉強しなくていいの?」という声がかかる。すると、本人の頭の中には、一応「試験勉強しなきゃ」という意識があったので、母親に注意されるとイラっとくる。そして「今、やろうと思っていたのに、やる気なくした!」という訳の分からない言いがかりを付けることになる。これなどは、一日の行動の中でも優先順位が間違っている典型。「ドラマを見てから勉強しよう。」「音楽を聴いてから勉強しよう」という発想が、そもそも間違いである。一般に成績の上がらない子の多くは、本来やるべきことを後回しにし、「○○が終わったら勉強しよう」という考え方になっている。逆である。「○○が終わったら勉強しよう」ではなく、「勉強が終わったら、そのご褒美として○○をしよう」と考えなければならない。計画を立て、今日のノルマをテキパキとこなしたら(かといって適当ではいけないが)、自分へのご褒美として「楽しいこと」を行えばいい。しかし、やるべきことが残っているのに、後から遊びの予定が入ると、そちらを優先してしまう子が多い。もちろん、仕事は別だろう。将来やることになる仕事においては、優先順位の高いものが後から割り込んでくることは頻繁にある。会社によっては、「朝令暮改」などは日常茶飯事であるし、ソフトバンクなどは、社長がツイッターで「やりましょう」と呟いたら、即その案件が実行に移されるようだ。しかし、中学・高校の6年間で、果たして勉強よりも優先順位の高いものが入ってくることがあるだろうか。重要でないことを優先し、肝心な試験勉強や宿題が、試験日や提出期限に間に合わないというのでは、明らかに優先順位の付け方が間違っている。 今日は彼らに優先順位について話そうと思っている。「○○が終わったら勉強をしよう」ではなく「勉強が終わったら○○しよう。終わらなかったら、その○○はなしだ。」という考え方を身につけないと、生涯ダラダラした精神を宿すことになってしまうからだ。
2011/07/01
電流計と電圧計は、「最小目盛りの10分の1まで目分量で読む」ということは、多くの学参(市販用)には記述してある。また、学校の授業や学校のワークでは、この点をきちんと強調している場合も多い。ところが、塾用のワークや問題集でこの点を強調しているものが少ない。というより、ほとんどのテキストが、この点についてはスルー。塾生に配っているKEYワークには記述されているが、実際に生徒が問題を解き、解答解説集を見ると、「なんでこの問題は小数第1位までなのに、次の問題は小数第2位まで書いてあるのですか?」「なぜ、この問題は3.00で、こちらは5.0なのですか?」という質問が必ずと言っていいほど出てくる。逆に、この質問が出ない子は、適当に丸付けをしていている場合が多い。あるいは、解答集の答えと自分の答えがちょっとばかり異なっても全く不安にならないという子も、あまり質問をしてこない。 今回、ある中学校の1学期期末テストでは、授業でオームの法則まで進むことができず、電流計と電圧計の読みとりがメインの試験になった。学校では大量のプリントが解答付きで配付されたが、解説がないため塾生は戸惑ったようだ。そこで、「最小目盛りの10分の1まで」の意味を解説し、読みとり方を指導した。練習問題を10題ほどやり、万全の対策。結果、この読みとりをしっかりやっていた塾生は、塾に来るなり「完璧です」と笑顔で報告してきた。続けて、「テストを集めている時、周りの子や後ろの子の答案をチラッと見たのですが、みんな正確に書けてなかったです。」とのこと。実際の採点では、おそらくであるが、3Vも3.0Vも3.00Vもすべて正解になるだろう。なぜなら、多くの問題集の解答もそこまで要求しておらず、学校の授業でもそこまで指導していないケースが多いからだ。しかし、移行措置が始まり、有効数字の概念も中1数学で学習しているので、できれば正確な解答を書いた子には加点措置でもしてもらいたいと、密かに思っていたりもする。何より、こうした細かい部分にまで気を配り質問をしてくる子は、かなりの確率で大きく伸びることが多い。今回質問をしてきた男子生徒も、前回の中間テストでは、学年トップ5以内(190人中)に入った。入塾時は5科目350点未満だったので、大幅な伸びを示している。この調子で伸ばしていきたい。
2011/06/30
最近はお問い合わせがあっても 全て対象中学外。今のところ10件連続くらいで 市外からのお問い合わせが続いている。立川市、国立市、武蔵野市、東村山市、東久留米市、練馬区などなど。本日、久しぶりに対象中学からのお問い合わせがあった。ところが、「成績は、オール2にいくつか1が混ざる」ということだったので、丁重にお断りさせていただいた。当塾の入塾基準は、「成績3以上」だからだ。(なお、学校のテストで40点でも取れば、この地域では3がつく)一応、春先に出した新聞折込には「入会基準」が明記してあるのだが、新聞をお取りになっていないご家庭からのお問い合わせでは、どうしても入会基準をご存知でない方も多く、その場合は口頭でお断りしなければならない。 成績基準でお断りするのは、後味は決して良くないのだが、仕方のないことだと思っている。その理由の1つめは、現在の塾生(5科平均420~430程度)の中にオール2の子が入ると、本人も周りの子も私自身も、いろいろな面で消耗が激しくなってしまうからだ。私は仕事だから構わないのだが、当塾ではクラス全体で行う学習もあり、他のクラスメイトがストレスを感じてしまうことが最も怖い。新入生本人もつらいであろう。 2つめの理由は、「オール2に1がいくつか混ざる」ということは、「学校での授業態度に大変大きな問題を抱えている」ということだからだ。これについては、塾に来る以前の問題だと思っている。それに、「そうした子が通ってる塾」という評判が立てば、間違いなく上位層ややる気のある層からは敬遠される。 (別に上位層を集めたいわけではないが…)逆に不良のたまり場となってしまうケースさえある。これは以前の塾で実際に経験しているのだが、塾が悪い子たちのたまり場となると、まじめな子が入塾してこない。「あそこは、○○中の不良集団がいるそうよ。」などと評判が立てば、勉強したい層が入塾しなくなるのは当然の結末だろう。つまり、オール2の子をお断りするのは、何てことはない、塾を維持していくための自衛策でもあるのだ。大変申し訳ないのだが 別に地域貢献のために塾をやってるわけではなく、あくまでも「商売」で塾をやっている。これは私だけでなく全国のほとんどの塾がそうだろう。塾が潰れたら私と家族が死んでしまう。そこまでして、地域の評判の悪い子を集めて勉強を教える義理もない。それは公教育の役割だ。それに私は賢者ではないので。以上のような理由で、オール2の子や素行不良の可能性がある場合はお断りしている。 もちろん、「学校での授業態度は極めて真面目だが、それでもオール2」という子もいるかもしれない。だが、むしろそのケースの方が、当塾で力になれることは少ない。そうした子はいろいろな問題を抱えており、今の自塾の力ではどうしようもないのだ。出来もしないことを承知で引き受けることは、私にはできない。言ってみれば、ガンの手術をできないのに、悪性腫瘍の患者を引き受けるようなものだ。できないことはできない。そうした難しいことをできる専門家もいるのだから、それは専門家に任せた方がいい。 今回のお問い合わせ電話で気になったことは、成績の悪い理由を「今通ってる塾のせい」 にしていたことである。だが、塾のせいで成績が悪くなることは、余程のことがない限り難しいと思っている。たとえば、「にしが8、にさんが6、にく18」を、「にしがあっちで東がこっち、兄さんちょっと遊んでかない?、にく沢山食べたい」みたいに滅茶苦茶な内容で指導していれば、それは成績も下がるだろう。だが、きちんとしたテキストで勉強をさせていて、その上で塾のせいで成績が下がるということは、むしろ本当に難しいことだと思う。確かに成績の悪い理由を「塾のせい」にするのは、一番手っ取り早いのではあるが、これは思考停止している典型であり、非常に危険な状態である。では逆に聞き返したいのは、その塾で成績が上がっている生徒さんはいないのかということである。もし成績が上がっている子もいるのに我が子だけ成績が上がっていないということであれば、まずは塾の分析ではなく、自分の子の分析をすべきである。 なお、そういう意味では、「塾のおかげで成績が上がりました」とおっしゃる保護者や生徒も、本質的には同じ問題を抱えていると思っている。なぜなら、塾を卒業したら一人では何も出来なくなってしまうということなのだから。とにかく、成績で入塾をお断りするのは、大変後味は悪いのだが、今の私の力では仕方ないことだと言い聞かせている。
2011/06/29
WILL先生の塾みたいにうちも社会科見学しようかな。阪神タイガースのレフトスタンドに連れて行き、「こういう世界もあるんだよ」と…ある意味これも社会(科)見学…・いいか。阪神の攻撃中は立つんだぞ。守備の時は、人が変わったように静かに座って観戦するんだ。あるいはトイレに行け!ちなみに、通は阪神の攻撃中にトイレに行くんだ。すいてるから。「かっ飛ばせ~かっ飛ばせ~ 〇〇」とヒッティングマーチの間に、数秒間だけ間があるんだ。この時は自由に叫んでOK!題して「くたばれ読〇そーれ行け行けツアー」みたいな社会科見学。誰も参加しなそ…ってゆうか生徒やめそうなんで却下だな…
2011/06/28
最近のモンスターペアレンツ関連のニュースや学校関連のニュースを見ているととにかく「子供を傷つけた」「子供たちにショックを与えた」ということで大人や教師や教育委員会や市や学校が謝罪するケースが目立つ。もちろん、中には大人側の対応に問題のあるケースもあるが(というより大半はそうなのかもしれない)最近の風潮は、あまりに「子供たちを傷つけない」ということを最優先にしている印象を受ける。確かに子供を傷つけることにより、それが生涯にわたってその子のトラウマになることも多い。しかし、一方で子供たちは傷つきながら成長するという側面もある。要はバランスなのだろうが、むやみやたらに「傷つけること」を排除してしまうと、子供たちが強くなるきっかけを奪ってしまうことにもなりかねない。そうした傷つけられずにきた人たちだけで社会が構成されるようになればその国はきっと弱々しい国となるだろう。教育現場に対する地域や保護者の監視は重要だが、過度な介入は逆に子供たちを混乱させ、成長の機会を奪ってしまう。モンスターペアレンツが増えてきたと言われているが、それはつまり、親も子育てについてもがいているということなのだろう。なぜなら、子育ての仕方など、中学でも高校でも教わったことないのだから。子育てだけでなく、その子育てをする親へのアドバイスや教育機関などが必要なのかもしれない。もちろん子育てに正解はないわけだから、どちらかと言うと教育の専門家も交えた勉強会のような場。
2011/06/28
さーて来週の「赤虎さん」は。「住所不定のまま病院へ搬送される」「赤虎君、重要事件の取り調べを受ける」「赤虎アパートに大量のゴキブリ発生」以上3本です。 (完全に塾ブログではなくなってます)
2011/06/27
そういえば新婚初日。自宅になるアパートに、まだまだ足りないものがたくさんあり、私は塾の近くのコンビニで買い出しをした。 行きは自転車で行ったのだが、あまりの荷物の多さに、たしか帰りは自転車を置いていったん塾に来たのだ! (そうだ!やばっ!)自転車は盗まれたんじゃなくて、俺がコンビニに忘れていただけだ!!!やば、どうしよう。どうしよう。 というわけで、翌日交番に平謝りに行ったことは言うまでもありません。 なお、その後は念のため、馬蹄錠だけでなく、輪っか式の「チャリンコチェーン」(←漫画のタイトルではありません)も買ってきて、完璧な状態で新しい自転車を乗り回している。
2011/06/27
前日45分歩き、本日も歩いてきたため、すでにクタクタ。しかも精神的にも疲れて、とりあえず塾近くのコンビニへジュースを買いに行くことにした。 トボトボと歩いてコンビニの前に着いた。「さて、入るか・・・・」・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・ん?・・・・・・・・・あれ?・・・・・・・・・ん?この自転車見たことあるな・・・ コンビニの前に私の自転車と酷似した物体がおいてある。 あれ?あれ?ちょっと詳しく見てみた。完璧に自分のだ。・・・・・・・・・ん?どういうことだ?思い出せ!思い出せ!(ふぁんふぁんふぁんふぁんふぁん・・・)←2日前の記憶をたどってる音楽。私の頭の上に、漫画の吹き出しが出てます。
2011/06/27
全2401件 (2401件中 1-50件目)