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久しぶりにこちらのブログを更新します。昨日90万アクセスに到達したようです。どうもありがとうございました。
最近つくづく感じることは、勉強の基本は覚える力、すなわち暗記力・記憶力と言われるものであるということ。
もちろん、論理的な思考力、読解力、計算力、スピード、情報処理力など、勉強が得意になるための要素は様々であるが、それらの前段階として「覚える力」がない状態で何を勉強しても、すべてが無駄となってしまうということである。
古代ローマには、「穴を掘っては埋め、埋めたらまた掘る」という刑罰があったそうだ。これは肉体的苦痛よりも、精神的苦痛を与えることが目的だったという。
他にも、「重い石をA地点からB地点まで運び、それが終わったら再びA地点まで戻す」という刑罰もあったそうで、これも精神的苦痛を与えるためのもの。
これらの刑罰が精神的に辛い理由は、人間の精神は、「無意味なことを繰り返す」ということに耐えられない仕組みになっているからだ。
すなわち、相手に精神的な苦痛を与えるための最高の手段は、 「その日行った作業を、その日のうちに元の状態に戻させる」 ということのようである。
これは理解できる。
たとえば、「掃除をやり終えたその瞬間に何かをこぼし汚してしまう」、「トランプでピラミッドタワーを作り終えた瞬間に崩れてしまう」、「テレビゲームでレベルアップをした瞬間に、電源が抜け、本日の最初の状態に戻ってしまう」など、その日行った作業が、水泡に帰することは精神的に相当堪える。
勉強も同じだろう。「その日行った作業がその日のうちに元の状態に戻る」というのは、記憶力のない子に頻繁に起こっている事態だ。これは冒頭に書いた拷問と、全く同じ効果がある。
「昨日やったはずなのに全く覚えていない。」「あんなに復習したはずなのに、前回の内容を全く覚えていない。」という状態だ。
本人に全く悪気はない。
ところで、私が浪人時代にバイブルとして読んでいた漫画に「冬物語」というものがある。浪人生である主人公が予備校に通い、無事?大学に合格するまでの話である。
この「冬物語」で、2浪している主人公が、もう入試直前の寒い頃、単語帳を眺めながら絶望するシーンがある。「駄目だ、全然覚えていない」と頭を抱えるシーンだ。個人的に非常に印象的な場面である。
中学生の場合はそれほど意識も高くないので、冬物語の主人公ほどではないだろう。だが、記憶力のない子の絶望感たるや、もしかしたら私の想像以上なのかもしれない。
覚える力のない子に勉強を強制することは、実は拷問と同じ効果があるのではなかろうか。最近つくづくそんなことを感じている。
あれだけ一生懸命勉強した内容が、翌日にはきれいリセットされているのだから、その虚無感、むなしさと言ったらそれは、精神的苦痛以外の何ものでもないだろう。
学年1位や学年上位が大多数を占めているうちの塾においても、現在成績や偏差値が伸び悩んでいる子はいる。彼らに共通しているのは、覚える力の欠如、暗記力のなさである。
(※ちなみにもう1つ。彼ら全員AK○のファンで、定規や下敷きや筆箱のキーホルダーが、A○Bグッズで埋め尽くされている。私の経験上、アイドルやバンドに夢中になる子は、成績が伸び悩むケースが非常に多いように感じている。)
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