よんきゅ部屋

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Jul 23, 2006
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カテゴリ: オーケストラ
昨日のことを一日遅れで。

昨日はOBオケの練習。「悲愴」の合奏指揮だった。全部の楽章をつまみながら練習。本番指揮者のニュアンスを含めて復習。少しずつ進歩は見られているような気がする。

とはいえ、少し悩ましいこともある。各個人はさらってきた成果を見せてくれているのだが、オケ全体が有機的に鳴ってこない。無理に合わせにかかってしまい、かえってずれてしまうということが起こり始めたのだ。

「時間(とか縦の線)が合うことが何よりも重要」というのは、いろいろな場所で言われることであろう。「音の強さを楽譜通りに」ということもそうだ。しかし、問題はそういったものを絶対的な尺度で捉えがちだということであり、それができたと判断した時点で思考停止になってしまうことである。

フォルテならこのぐらいとか、ピアノならこのぐらいといった具合になってしまうのだが、ppと書いてあっても「感情を込めて」などと横に書いてあれば、単に音量を小さくするだけでは曲に求められるニュアンスは出てこない。音量はそこそこあってもいい場合もあるのだ。求められているのは、例えば「内に秘めた感情」のニュアンスだったりする。それをメッセージとして伝えてほしいと作曲家が選んでその言葉を書いているように思われるのだ。つまり、そういった記号は相対的な尺度で考えなければならないということなのだ。本当に音量だけを書くのならば、ボリュームを数字で表した方が手っ取り早いはずである。

単なる記号のその先にあるものことこそ必要である。とはいえ、共通のテンポ感がないとかいうことになると、そういう練習も必要である。思考停止なのか、本当にわかっていないのかを判断するところが悩ましい。前回、本番指揮者の初回の練習は、テンポ設定を理解させるための練習だった。指揮棒で譜面台を叩いてオケにテンポ感を覚えさせようということなのだ。そういう練習を「音楽的じゃないな」などといったりする人も時々いたりするのだが、それはそうではないだろう。テンポ設定は曲のカナメである。これによってニュアンスも変わってくるからだ。それを理解してもらわないことには味付けのしようがないのだ。

しかし、毎回ずっとこういった練習だけをやっていても、それは「悲愴」にはならない。そのテンポの持つ意味をプレーヤーが捉えていく必要がある。オケも自分で考えて行かないと、いいものはできあがらないのではないだろうか。

そこで、練習指揮としては悩ましいところだ。基礎的な練習は絶対に必要であることは確かなのだが、度を超すと今度は「悲愴」ではなくなっていく。細かいニュアンスはともかくとして、少なくとも「悲しい場所」なのか「嬉しい場所」なのかという大まかな流れは考えながら演奏していかなければならないだろう。どういう和音の中に自分がとけ込まなければならないのか、難しい和声学を知らなくても「おかしい」かどうかという点には気を遣っていく必要がある。

と、いろいろ悩みは尽きないところだが、練習の翌日は若干の筋肉痛が残る。本当はそういうのがあってはいけないはずなので、余分な力が入っていたということになるだろう。かなり力は抜いたつもりだが、ここ一番でついついやってしまうのかな...。まだまだ甘いというところだ。練習をどう考えていくか、さらにアイデアが必要になりそうだ。





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Last updated  Jul 24, 2006 11:09:55 PM
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