2013年 アベノミクス~反動安~ラリー 0
2015年 不動産購入 投資意欲減退 0
2015年 チャイナショックで禁パチ宣言 0
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調べても当時の自分の資産状況ってもうわからないですね。確か注文のたびにE-TRADE証券からわざわざ郵便物が届いてたので今もその状況だと思うとぞっとします。2005年と言えば泣く子も黙る小泉劇場、郵政民営化の年です。みなさんすごい儲かってたようですが、私は一体どんな銘柄を買ってたのか、本当に覚えていません。覚えているのは、2008年の初めころに勝負をかけた3711創通エージェンシーくらいからで、他はまあ相対的に安くなったから買ったり、高くなったから売ったりしてたんでしょう。2006年にライブドアショックが起きるのですが、私の株はもちろん下がります。でもなんか興奮して売ったり買ったりはしてたような気がします。今考えると恥ずかしくなるような銘柄も買ったような(GDHとかね)。もちろんほとんどの株は最低単位(50万円くらい?)の分散投資でした。2006年の春頃からガクッと新興市場が下がりだして、だらだら体感では4割くらいは下がっていってたような。ライブドアショックは、新興市場の3年近くに及ぶ下落相場の始まりだったのですが、それでも2006年は活気があったような気がします。ここで、なぜこんなに下がり続けるんだろう?と現物オンリーでやってた私は疑問に思います。このとき信用をやってなかったのは不幸中の幸いでしょう。このときいろいろとその疑問を解決するために投資本をさらに読みまくってます。(経済の歴史の本はリーマンショックの時まで読んでなかったかも)で、実はここでアンラッキーとなったビッグなボーナスが私の懐に転がり込むのです。12月ですよ。ええ、仕事はできるんです。また、お金にもがめつかったのでしょう。そんな優秀な私はもういません。窓際といったほうが似合うかもしれません。10年経つと人格が変わってますね。子供には1年に1度は会ったほうがいいと思います。脱線しました。 で、2007年の私の投資知識は、簡単に言うと「会社が税引き後の儲けが株価の8%あるんだから、その8%複利で長期的には資産が増えていくはず。私の計算では定年退職する(ベンチャーで??)ころには、10億円になっているはず!!」という単純明快な知識がベースになっています。間違ってはないと思いますよ。今でもそう思ってます。ちょっと修正はしますが。 ただ、若くて怖いもの知らずなのでこんな会社にいるわけで、「禁断の信用取引」に手を出すことになります。理由は、「私は慎重だが、今は勝負をするときだ。ライブドアショックから1年間にわたって下げ続けてきた新興市場。一方、大型株は強さを保っている。ここで一発ボーナス入れて、更に信用取引を使って!!!」まさに、バッファローマンに果敢に立ち向かうウォーズマン。100万パワー×2×2×3=1200万パワーです。そうです。総資産6000万円が倍になったらどうなるでしょう。ほとんど1億円いきますよね。もちろん入金投資法ですから、1年で億です。去年に比べて4割安なのですから、戻るだけで1億円いくわけです。 たぶん5,6百万円で運用していただろう口座に1500万円をぶち込んで2000万円とし、さらに信用取引を4000万円いきなり計上して勝負に出ます。当時の不動産会社の営業歩合社員は20代でボーナス5000万とかあったときいてます。私にもできないことはないかもしれません。だって同じ若さですから。背負ってるものもありません。そもそも、幼いころから競争することによってここまで成長してきたわけです。ほかの人よりも競争することが好きでしたし、ごく自然に競争意識が出てきます。やるぞ~~~~!!2007年1月頃のことだったと思います。さて、どうなったでしょうか。
2015.08.31
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昔から本はよく読んでいたと思う。歴史の本とかは好きでした。いわゆる徳川家康26巻セットとか。小説とかはホント、シドニイシェルダンくらいであとは推理小説程度でしょうか。まあそんな感じで大学生のときに、いつもの立ち読みする(すいません)郊外の書店に寄ったら「金持ち父さん、貧乏父さん」が100万部売れたぞ!みたいに売ってたのを覚えていて、それが最初の投資本(大きいくくりでの)との出会いだったと思う。 もちろんお金もあんまり持ってないのですが、それ以上にこの本を買うことは「恥ずかしい」感覚だったような。で、まあ、中身はすべて立ち読みで読破してしまって内容もそんなに難しくなく、そりゃそうだ、と思った。 で、まあ、なんとか金融機関に就職して、何ヶ月か研修というか勉強してから夏に配属。自分でいうのもなんですが、仕事はよくできたと思う。(実は面倒な事務作業を押し付けられて喜んでいただけの馬鹿という見方もあります)非常に忙しく、新しい分野の部署だったから面白かったですね。でまあ、初めて投資をしたのは一年先輩が「アパマンショップの株を買って儲けたからお前もやれよ!」というおせっかいに乗ったのがきっかけで、自分で口座を開くのさえ面倒だと当時は思い(今のサラリーマンもこんなもんでは?)50万円(ほぼ全財産)を預けて、指値をしてもらってたけど、1000円上で急落が止まって買えなかった。「だからお前はだめなんだよ、ほしいときには、成り行きだろ!」なんてほほえましく言われて結局お金を返してもらった。2004年5月頃じゃないかなあ、たぶん。 結局この会社は3年で辞めて転職します。今の会社です。未来がなくなったというのでしょうか。周りのいいなと思った先輩は半分以上辞めました。ただこのときの選択がみんなによかったか、それはどうでしょう。 入社したのは、出来てなんと2ヶ月の会社。今なら行かないかもなあ。本当に田舎者でしたね。 なんと、そこで、当時の社長に言われます、「株をやっといたほうがいいよ!!」と。今考えるとなんて思いやりのあるお言葉なんでしょう。もしかすると、私が一緒に営業に出たときにまともに世間話が出来ないところを見てそういったのかもしれません。商社出身の人でしたが、商社の人のものの見方を勉強しました。また、当時の金融機関とは時間の使い方が違います。「暇な時間がやたら多かった!」今考えてみると、偶然、株式投資に出会えたのであって、自分で突っ込んで行ったわけではないんですね。ただ、やってみるとはまりました。それ以来、信長の野望みたいなゲームを純粋に楽しめなくなりました。 最初に買った株は、三菱重工でした。何冊か本屋さんで株式投資の本を読むと、まあ、自分の好きな会社を買えなんて書いてあったものですから、PBRとかチャートで低迷してるけど、いい会社みたいなざっくりしたところで東証1部の銘柄を買ったわけです。 で、275円で確か1000株買って、数日後になんと20円下がったのです。なんと気持ちが悪くなったことでしょう。負けたくないのに、お金が減っていく。憂鬱でした。それを見ていた社長が次につながることを言ってくれました。「J-COFFEEさんってブログ面白いから読んでみなよ」(実はきっこのさるさる日記というのも教えてもらったのですが、こっちにははまりませんでした。他にも忘れてしまったものがいっぱいあるでしょう。) また、下世話な話ですが、給料が倍以上に増えたこと(年金の前払い的性格+不安定な職)や生活を切り詰めていたことによって、今まで引越しでほとんど貯金がなくなっていた私に毎月40万円ものお金が入ってくることになりました。もちろん私は複利計算くらいはできる(本屋で知識を吸収。ただし、郊外の本屋においてある投資本)ので、25歳の今、毎月もちろん全額株につぎ込むでしょう!と考えました。 十分投資に充てることの出来る自由時間+潤沢なキャッシュフロー(笑)+継続的な買い付け+中途半端な株式投資知識+若さ これで、2004年の終わり頃から始めてライブドアショックを迎えます。
2015.08.29
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