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【上記の感想】画像は、1957年11月26日発行の記念切手。「小河内ダム完成」を記念したものだ。小河内ダムがどこのダムか知らず、今日は、これを調べてみた。すると、意外にも、東京にあるとのこと。以下に、ウィキペディアより、「奥多摩湖」の項を引用。-----引用開始-----1957年(昭和32年)多摩川を小河内ダムによって堰き止めて造られた。竣工当時、水道専用貯水池としては世界最大規模の貯水池であった。現在も水道専用貯水池としては日本最大級を誇る。現在、東京都の水源は利根川水系を主としているが、渇水時の水瓶として極めて重要な役割を担っている。また、東京都交通局の発電施設(多摩川第一発電所)も併設されており、発電された電気は東京電力へ売却され奥多摩町、青梅市などの多摩地区に電力を供給している。-----引用終了-----奥多摩湖の正式名称は、小河内貯水池(おごうちちょすいち)とのこと。
2007/07/02
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【上記の感想】6月28日の日記の続きになる。まずは、最近の読売新聞の記事を引用。-----引用開始----- 35年前の壁画発見直後、寄付金付き記念切手が発売されると聞き、胸を躍らせた。「高松塚は村の宝。その大切さを広く全国に伝えられる」と思った。 当時は切手ブーム。発売初日の記念押印に価値があった。地元の明日香郵便局で押印しようと、母親の局長らが近畿郵政局に掛け合い、郵便局と旧高市小学校講堂で実施できることに。 73年3月26日の発売日。郵便局前には、早朝から数百人の行列が出来た。郵送での押印依頼は約30万通。郵政局からの応援やアルバイトらと消印を押し続けながら、「高松塚は国民みんなのもの」と実感した。 記念切手3種類は全国で計1億2050万枚が売れた。寄付金は6億6200万円。壁画のレプリカを展示する高松塚壁画館の建設費などに充てられた。-----引用終了-----この切手が発売されたのは1973年3月26日のことだが、当時の様子がわかり興味深い。学校も春休みに入っており、私も行列に加わり、この切手を買い求めたものだった。しかし、数日で6億円以上の寄付金を集めたわけで、当時の「切手ブーム」のすごさがわかろうというものだ。
2007/07/01
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【上記の感想】画像は、1974年10月1日発行の「第61回列国議会同盟会議」の記念切手。聞いたことがない会議である(^。^ゞ石見銀山が世界遺産に認定されたそうだが、その石見銀山は島根県にあるそうだ。島根県関連のHPを見ていたら、足立美術館があった。その足立美術館の収蔵品に一つに、川端龍子の「愛染」がある。その「愛染」を切手に採り入れたのが、今回の「第61回列国議会同盟会議」の記念切手。川端龍子だが、「かわばたりゅうこ」とという女性と思っていた。が、そうではなかった。「かわばたりゅうし」と読み、男性である。簡単な紹介になるが、ウィキペディアから引くと、次のとおり。川端龍子(かわばた りゅうし、 1885年6月6日 - 1966年4月10日)は、大正~昭和期の日本画家。
2007/06/30
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【上記の感想】上記は、1973年3月発行の記念切手。「高松塚古墳保存基金」である。郵便局で切手を購入した時、その鮮やかな色彩に少々見とれたのを思い出す。現在は傷みが激しく、修復のために搬出作業をしている最中である。以下に、毎日新聞の記事を載せておく。-----引用開始----- 国宝壁画の搬出が完了した高松塚古墳(奈良県明日香村、7世紀末~8世紀初め)について、文化庁は27日、石室の現状写真を公開した。すべての天井石と壁石が外され、残された4枚の床石だけが面影を伝えている。 床石周辺では、7月末の取り上げに備えて、発掘担当者らが図面などの記録作業や石室の構築方法などの調査を開始した。 東壁男子群像は修理施設で、壁面に補強のため張っていたポリエステル紙などの取り外しをほぼ終えた。カビ除去などの応急処置を終え、作業室に移した男子群像のある西壁石と共に報道陣に公開した。 -----引用終了-----そして、文化庁提供の現状写真を載せておく。
2007/06/28
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【上記の感想】画像は、1951年6月1日発行の記念切手。観光地百選切手の「赤目四十八滝」より「荷担の滝」である。「荷担の滝」は「にないのたき」と読むが、実はこの滝は全く知らず。そこで調べてみようと思った。赤目四十八滝の公式HPは、こちら。また、なぜ赤目というのかだが、これは地名と関連するようだ。赤目四十八滝の所在地は三重県名張市赤目町である。なお、名張市のHPは、こちら。江戸川乱歩生誕の地でもある。名張市という市名も実は知らず、夕張市の間違いではないかと思ったりした。
2007/06/25
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【上記の感想】上記は、1969年10月26日に発行の記念切手。私が最初に郵便局で買い求めた、長崎県で開催された24回国体の記念切手である。当時は切手の背景に興味を示すことはなかったので、ここで改めて調べておく。手元のカタログによると、この切手の背景には、大浦天主堂とツバキが描かれている。今となっては、大浦天主堂がキリスト教関連の建築物であり、ツバキはおそらく県花であろうと想像がつくが、小学生だった38年前はそんなことは知らず。長崎県のHPでツバキを確認すると、「県の花木」である。同HPによると、「長崎県に広く分布しています。中でも五島つばきは全国的に有名です。つばきの実の生産は全国第1位になったことがあります」。
2007/06/25
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【上記の感想】画像は、1995年4月に発行された切手趣味週間の切手。80円切手だが、阪神・淡路大震災寄付金つきで、100円で販売された切手である。この切手を挙げた理由は、手元のカタログの次の記述による。「総発行数5000万枚のうち4728万8000枚が販売され、経費を除いた寄付金9億4000万円が、兵庫県および神戸市に配分された」発行枚数の多寡はあろうが、私が蒐集をしていた1970年代は、販売して切手は完売していたように思う。少なくとも地元の郵便局では、記念切手の発行日当日でも買えないという時期があった。それ故に、1995年時点で切手の売れ残りがあったということに、新鮮な驚きがあった。
2007/06/21
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【上記の感想】上記画像は、1958年6月18日発行の「ブラジル移住50年」の記念切手。今から49年前になる。切手のデザインでは船が描かれているが、この船名は、「笠戸丸」。最初のブラジル移住者を乗せた船である。ものの本によると、800人近い移住者を乗せ、新天地へ向けて神戸沖を出港したのは1908年(明治41年)4月28日の夕暮れだったようだ。小船から壮行の花火が打ち上げられたものの、突堤から別れのテープで盛大に送り出された後年のブラジル移民に比べれば、さびしい出港だったらしい。来年は、ブラジル移民100周年にあたり、イベントの準備が進められているそうだ。
2007/06/19
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【上記の感想】画像は、1965年9月21日に発行された記念切手。「第9回国際原子力機関総会」の記念切手である。デザインは、東海村の原子力発電所。今後は時々切手のことをブログに書く予定だが、まだ流動的で企画倒れになるかも。第9回総会は、9月21日から28日までの8日間にわたり東京で開催されたそうだ。成果としては、各国代表が平和利用に徹してすすめられているわが国の原子力開発利用に対し認識を深めたこと、各国代表とわが国原子力関係者との会談を通じて広く国際協力の道がひらけたことなどのよう。ちなみに、昨年の総会はウィーンで開催された。以下に、政府広報記事を載せておく。-----引用開始-----2006年9月18日より22日まで、ウィーンにおいてIAEA第50回総会が開催され、わが国政府代表として、松田科学技術政策担当大臣(当時)が出席しました。同総会では、各国の政府代表が自国の原子力政策等について演説を行ったほか、北朝鮮による弾道ミサイルの発射を受けて全会一致で採択された国連安保理決議1695に留意しつつ、北朝鮮に対し、無条件で直ちに六者会合に復帰し、2005年9月19日に発出された共同声明の迅速な実施に向けて作業することを強く要求する決議等が採択されました。-----引用終了-----
2007/06/18
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