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法の本質など、一人ひとりの具体的でかけがえのない生と決して切り離すことなく深く描いており、考えさせられる番組だった。主人公寅子はその時々において「法の本質」を語るが、鍵となる言葉は三つ。最初の二つの内容は(録画していないため)記憶に頼って書いておく。 ①「水源」(共亜事件判決後の寅子の発言)法は「水源」のようなもの。特定の色に染められることなく、汚されず清らかさが保たれれば社会も個人も健全に守られる。 ②「人権」(戦後における寅子の発言)法は人々の基本的な権利を守るためのものであり、新憲法のもと、すべての人が平等に保護されるよりどころとなるもの。③「船」(最終週における発言)人の尊厳や権利を運ぶ船のようなもの。時に操作を間違えたり誰かを沈めることもあるが、漕ぎ手は船を修繕したり改造したりしながら進む。様々な人、すべての人たちが快適に過ごせるためには不断の努力が法をつかさどるものにとっては必要(末尾註)。 さて、前記事で私は「司法の独立」という民主主義の重要な原則において、明らかに日本が韓国に後れているという事実を指摘した。だが、「虎に翼」をとおして上記③に関連する事実=法をつかさどるものが「司法の独立」や「人権保障」に奮闘した事実にも目を向ける必要があると感じることはできた。番組で示されただけでも以下のものがある。・共亜事件(モデルは帝人事件)・・・検察の横暴で起訴された帝人社長ら全員に対して(事件そのものが存在しなかったとして)無罪判決がくだされた。・原爆裁判「賠償を受ける権利を明確にできない」など不十分な面を含みながらも、被爆者救済の道が開かれるきっかけとなった。・四大公害訴訟例えば新潟水俣病1971年の判決。「原因物質・汚染径路について様々の情況証拠により、関係諸科学との関連においても矛盾なく説明でき、汚染源の追求が被告企業の門前に達した時には、被告企業が汚染源でないことの証明をしない限り、原因物質を排出したことが事実上推認され、その結果工場排水の放出と本疾病の発生とは、法的因果関係が存在するものと判断すべきである」とされた。 ドラマでは、最高裁長官(桂場)による新たな法解釈として描かれた。・尊属殺重罰規定の違憲判決をもたらした「弁護人による陳述」「人倫の大本、人類普遍の道徳原理」に違反したのは一体誰なのか。本件において被告人はその犠牲者であり、被害者こそこの道徳原理をふみにじっていることは一点の疑いもない(・・・)。被害者の如き父親をも刑法第200条は尊属として保護しているのでありましょうか。かかる畜生にも等しい父親であっても、その子は服従を要求されるのが人類普遍の道徳原理なのでしょうか。本件被告人の犯行に対し、刑法第200条が適用され、且つ右規定が憲法第14条に違反しないものであるとすれば、憲法とはなんと無力なものでしょうか。(・・・)もはや、刑法第200条の合憲論の根拠は音を立てて崩れ去ると考えられるがどうでありましょうか。ドラマにおける弁護人山田よねの陳述は、明らかに上記に基づいて(台本が)書かれている。以上、司法機関に関係する個人・団体による奮闘は十分確認できるが、司法の独立・憲法の人権尊重などが押しつぶされた例も忘れてはならないだろう。1963 年「砂川訴訟」判決においては、高度な政治性を持つ条約(例えば日米安全保障条約)については、一見して明白に違憲無効でない限り、司法審査の対象外という統治行為論が採用された。この判決により、アメリカ軍の駐留は憲法違反ではないとされ、東京地裁の判決が破棄されたわけだが、2000年代に入ってから、砂川事件を担当した田中耕太郎最高裁長官(当時)が、判決前に駐日米国大使ダグラス・マッカーサー二世と連絡を取り合っていたことが、米国の公文書で明らかになった。これは、米国の圧力を背景に「司法の独立」を守れなかったのではないか、ということを疑わせる事実である。そして、その悪影響ははかりしれないほど大きかった。「憲法が最高法規で条約はその下」という、法体系の常識が日本の場合逆転してしまったのだ。ドイツやイタリアでなしえた米軍の「地位協定の改定」が極めて困難になっている大きな理由もここにあるだろう。「最高法規であるはずの憲法の上に、日米安全保障条約が存在している」ためだ。「地位協定」を本気で改定しようという意思が日本政府にない(なかった)ことは明らかだが、日米安全保障条約の下に憲法が置かれてしまった出発点は砂川訴訟の最高裁判決である。「統治行為論」として、憲法判断を回避したため憲法が安保条約の歯止めにならなくなったのだ。 さて、このような「統治行為論」は「法体系の常識の転覆につながった事例」といえるが、その他にも「検挙率」の高い日本において実に数多く生み出されてきた「冤罪」の問題。(袴田事件も象徴的であるが)仮に「死刑」が執行されなかったとしても、人生の多くの時間を奪われ精神的にも大きな負担を強いる「冤罪→服役による人権侵害」、あるいは「取り調べに際しての人権侵害」の例は、枚挙にいとまがない。 確かに「虎に翼」で描かれた家庭裁判所の活動のほか、例えば人間裁判と言われた朝日訴訟など司法にかかわる個人・団体による奮闘に目を向けることは大切だろう。しかしながら「不断の努力」によって改善していくべき課題はあまりに多いと言わなければならない。(引用者註)上記の下線部分「不断の努力が法をつかさどるものにとっては必要」については、違和感もある。「船を修繕したり改造したり」(法の改正や新たな制定)に責任を持つべきは判事や弁護士だけでなく、すべての主権者であると考えるからだ。第12条にもあるとおり「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」ものであること、さらにいえば私自身、「人民(国民)の主権」とは社会的な意思決定権であり、意思決定は原理的に代行不可能なもの」というルソーの見解が妥当だと考えているからだ。 2015年に集団的自衛権を容認する安保条約「改正」への反対運動が大きく盛り上がった際に国会で発言した奥田愛基も第12条に触れていたが、その後においても検察法改正法案(焦点となったのは「内閣や法務大臣が認めれば定年を3年まで延長できる」という規定が黒川検事長〔当時〕の恣意的な定年延長を正当化する問題)が、「ツイッターデモ」によって阻止されたことは記憶に新しい。にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など
2024.09.30
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9月4日のBingNewsに以下のような記事が掲載された。(以下抜粋)NHK連続テレビ小説「虎に翼」の第112話が3日、放送され、ヒロインの学友、山田よねが弁護士として法廷に立つシーンが初めて描かれ、視聴者から大きな反響が寄せられた。・・・行われた裁判では、原爆投下が国際法に反しているかが争点となり(・・・)被告側の教授、嘉納隆義は、新兵器である原爆を想定していない国際法の規定を類推解釈すべきでないと(原告側に)反論した。反対尋問にたったよねは、・・・「いくつかの国際法に『戦闘における不法行為を行った国には損害を賠償する義務がある』と定められています」と述べた。そして、この義務は国家間にのみ発生するものかと確認。嘉納は、国際法の原則では不法行為による損害賠償は国家が請求するものだとし、個人が国に賠償責任を求めることも不可能だと答えた。その言葉によねは歩み寄り「主権在民の日本国憲法において個人の権利が国家に吸収されることはない。憲法と国際法および国際条約の規定と法的にはどちらを上位に考えればよいとお考えですか?」と再質問。戦時中に今の憲法は存在しないとはぐらかす嘉納に「原告は『今』を生きる被爆者ですが?」と詰め寄った。・・・(よねの)その姿に多くの視聴者がXで「立派になったなあ」「キレッキレ」「しびれます」などと感激。常に弱者に寄り添うよねの信念を改めて感じたという視聴者も多く「胸アツ」「朝から魂持っていかないで」「言葉に魂が籠ってる」といったポストも目立った。(抜粋は以上) 先入観がなければ、上記よねの発言は違和感なく納得できるものであろう。よねの主張を繰り返すと「主権在民・人権の尊重を基本原則とする憲法のもとでは、個人が受けた人権侵害に対して補償を請求する権利は国家に吸収されることはない」「憲法は国際条約の上にある」、というもので全く妥当な原則だ。実をいうとそれは、韓国の法廷が「朝鮮人徴用工が受けた被害(=賃金不払いや酷使・虐待)への日本企業による補償義務」を認定した根拠と同一である。本来ならば妥当な論理を「徴用工や韓国政府は日本企業に難癖をつけているだけ」という先入観によって否定しようとする現実はないだろうか。 基本的な論点は過去記事で整理しておいたので参照されたい。 黒部ダムだけでなく 「動員」された朝鮮人 | “しょう”のブログ - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)徴用工問題の「政治解決」について | “しょう”のブログ - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)確かに、日韓を問わず「政府」は戦時中や植民地支配のさなかに他国の民衆に与えた人権侵害・被害に対する賠償責任を否定する傾向にある。しかしながら、日韓の司法機関の違いについては明確にしておきたい。「政府の意向に忖度して判決が左右されてしまいがちな日本の法廷」に対して、相対的に司法の独立が実現しているのが韓国の法廷であることは、以下の例からも明らかだろう。韓国で「ベトナム民間人虐殺」裁判が大詰め 証言者に危険迫る懸念も|NEWSポストセブン (news-postseven.com)ベトナム戦争中、(米国の要請で出動した)韓国軍による残虐行為について、ベトナム人の視点からは非常にで痛ましい記憶が残っている。韓国軍は1964年から1973年の間に約32万人の兵士をベトナムに派遣し、多くの民間人に対する虐殺や暴行が行われた。(例:1968年2月12日にクアンナム省のフォンニ村・フォンニャット村で発生した虐殺事件がある。この事件では、韓国軍が無抵抗の村民約70人を殺害。)近年、ベトナム人被害者が韓国政府を相手に国家賠償訴訟を起こし、韓国の裁判所が韓国軍による民間人虐殺を事実と認める判決を下した。(韓国政府は当初、賠償責任を認めようとしなかったが・・・)ベトナム戦争民間人虐殺での賠償判決 韓国政府が控訴 | 聯合ニュース (yna.co.kr) ベトナム戦争虐殺での賠償判決 韓国外相「人権尊ぶ国として賢明に対処」 | 聯合ニュース (yna.co.kr) このような動きは、過去の出来事を再評価し、和解と正義を求める努力の一環として重要であろう。韓国の裁判所がベトナム人の賠償請求権を認めた根拠は、以下の点に基づく。1. 歴史的事実の認定:裁判所は、ベトナム戦争中に韓国軍が民間人に対して行った虐殺や暴行が実際に発生したことを認定。2. 人権侵害の認定:これらの行為が重大な人権侵害であり、国際法や人道法に違反するものであると判断。3. 被害者の権利:被害者が正当な賠償を受ける権利があると認められた。4. 国家の責任:韓国政府が当時の軍の行為に対して責任を負うべきであると判断された。これは、国家が自国の軍隊の行為に対して責任を持つべきという原則に基づく。 第二次大戦後、韓国は独裁体制から民主的な社会への移行に相当な年月を要したのは事実である。しかしながら現在、「司法の独立」という民主主義の重要な原則において、明らかに日本が韓国に後れているという事実としっかり向き合ったうえで、この社会の今後を考え、創造していく必要があるのではないか。にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など
2024.09.07
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