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今日は午後をオフとして、久々に太宰府方面へ足を伸ばしてみました。最初にやって来たのは太宰府天満宮。ここでもアフター・コロナを印象付ける様な光景を目の当たりにすることに・・・。平日にも関わらず、この日も参道からたくさんの人でごった返していました。アジア圏を中心としたいろんな言葉が飛び交う人混みをすり抜ける様にしてようやく楼門へとやって来ました。さらに本殿へと進んでいくと、目の前に姿を現したのは宛ら空中庭園と化した屋根を戴く仮本殿。(背景の木々や山々に溶け込んだ佇まいのこの仮本殿を設計したのは藤本壮介氏とのことです。)従来の唐破風造の本殿については、令和9年に迎える「菅原道真公 1125年太宰府天満宮式年大祭」記念事業の一環として改修中となっていました。この日は、参拝後、本殿の左手(向かって右手)に佇む飛梅を探してみるものの、見つけることができず・・・。(残)飛梅もまた養生シートの内側に入っているのかな??そんなことをぼんやり考えながら、境内にて花をつけ始めた紅梅をカメラに収めてみました。飛梅を詠んだ道真公の歌をひとつ。「東風吹かば 匂いをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」この歌は、生あるものを愛しむ感性に富み、自他一如の観念に通じるところがあるといった解釈ができると思われ、個人的にも好きな歌の一つでもあります。今回も参拝後に本殿奥の梅園内にある小山田茶屋さんへ立ち寄ってみました。今回もこちらで梅ヶ枝餅を堪能し、軽くエネチャージも済んだところで、今回の目的地である九州国立博物館へと向かいます。こちらでは、生誕270年を記念し、今日から開催されることとなった長沢芦雪特別展の鑑賞を楽しみました。序盤の展示ブースの「幽霊図」を始めとする作品からは、師匠である円山応挙の型の踏襲を基本とした作風が印象的に映る一方で、同じ対象物を描きつつも細部の描写にアクセントを入れたりデフォルメを加えることで写生の枠に捉われない独特な表現力みたいなものが感じられ、芦雪の非凡さみたいなものが窺える様な気がしてしまいます。(楽)その一方で、奇想と称される芦雪の世界観を支えるダイナミックな構図と秀麗な筆致はやはり師のもとで培った高い基礎力みたいなものに裏付けられているとも思えてしまいます。本日最後の一枚は芦雪の降雪狗児図。紀南地方において芦雪が襖絵制作を始めとする揮毫にあたった史実を勘案すると、題材となったこのワンコ達は紀州犬なのかな??そんな楽しい想像を犬バカな私はつい膨らませてしまいます。(楽)画中においてひらひらと舞い降りる雪の動きを目で追う子犬の何処とないあどけなさと温和さみたいなものを感じさせられる描写に個人的に心惹かれる一枚でもあります。芦雪が活躍した18世紀の京都は、師である応挙の他、伊藤若冲、与謝蕪村、池大雅といった江戸期を代表する日本美術の巨匠たちが、多くの作品を世に送り出した時代でもありました。こうした世の中の空気というのは、互いに切磋琢磨する摩擦熱が生み出す創造的なエネルギーみたいなものをより一層醸成していくものなんでしょうね。突出した逸材が生まれる時代や場所は集中する傾向があることは歴史が物語っていると思いますが、この頃の京の街中もまたそうした熱気に満ち溢れた時代であったと言っても過言ではないと思います。いつか南紀方面へと旅する機会に恵まれた折には、現地にて芦雪の作品を改めて目にしてみたい・・・♪例年の如く、慌ただしさに追われ始めた梅見月の空にそんな楽しい想像を浮かべながら、古代ロマン薫る太宰府の町並みに別れを告げ帰途に就きました。
2024.02.06
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4日前の一枚。こちらは全国展を終えて宿泊した津山を後にして、帰りのルートとなった中国道の風景。行きに大雪に見舞われ一面の銀世界と化していた風景は何処へやら♪と思えてしまう程に、車窓には再び晩秋の表情を湛えた山深い景色が広がっていました。こちらは途中、昼食を取るために立ち寄った美東SAの様子。今回はこちらの美東ちゃんぽん亭さんにてちゃんぽんを頂くこととしました。こちらの名物は何と言っても美東ちゃんぽん♪犬友でもある諌早咲蔵荘さんにもすすめて頂いていたこともあり、遠征帰りに立ち寄ったことがきっかけでこのところこちらのSAが食事を兼ねた休憩場所として定着しつつあります。(笑)この日は美東ちゃんぽん+チャーハンを頂くこととしました。しっかりと香ばしさが出るまでに焼き上げられた野菜とイカに浅蜊といった海鮮がふんだんに盛られた具材に豚骨ベースでコクの利いたスープと麺の相性が抜群で食べ始めると一気に完食に至ってしまう程の美味しさがこのちゃんぽんには確かにある様な気がしています。九州人として長らく長崎ちゃんぽんファンを自負して参りましたが、美東ちゃんぽん恐るべし♪そんな感想を抱くに至っております。(笑)(因みに、現在のところ、美東ちゃんぽん亭さんは下りのSA内のみの出店となっております。)食事を終えて車内で待機していたカイハル親子としばしSA内をプチ散歩してみることとしました。こちらは芝生広場でのひとコマ。すっかり退屈を持て余していた様子のふたり。ここでもまた開放的な空間で羽を伸ばす様子を見せ始めます。(楽)お父ちゃんのカイの合図でお互いに攻守の切り替えを繰り返しながらすんごい勢いでプロレスごっこを楽しんでいたふたり。長旅の疲れなどどこ吹く風~♪といった相も変わらずエネルギッシュなそうした親子の遊びがひと段落したところでカイハル・コンビのツーショットを一枚!カイもハルも初めての全国展、ホントによく頑張りました!それぞれに旅はまだ続いていくからね、これからもよろしくね!!今年はカイハル親子の他にナツファミリーから楓そして朝陽もご家族とともに全国展への出陳が叶いました。大舞台へのチャレンジを夢見て春と秋の展覧会に臨み準備を重ねてきた経験は楓に朝陽そしてそれぞれのご家族の今後にとってもまた大きな財産となっていくのでは?それぞれに愛犬との旅も帰途に楽しまれた御話もまたお伺いしながら、そんな楽しい想像を私もまた膨らませております。(楽)最後に、いつもこうした楽しい旅ができているのは留守を預かってくれている家族、そして展覧会に挑む面々を長きに亘って応援し続けて下さっているモモパパさんやママさんを始めとするファミリーの方々の存在が本当に大きいと感じております。皆様、今年も本当にありがとうございました!
2023.11.24
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こちらは4日前の一枚。全国展の会場を後にしてこの日は磐梯山を眺めながら磐越道を走り、宿泊先となった新潟方面を目指しました。この後、新潟に着いた頃にはすっかり日も暮れて予報通りに降りしきる雨の中、楓と散歩道を辿ることに・・・。念のためにと雨具の準備をしてくれてた妻に感謝しながら、この日は楓とともに夕飯を済ませてベッドに横になると、そのまま朝を迎えておりました。(笑)翌日も夜明け前にチェックアウトを済ませ、次なる滞在地となる津山に向けてクルマをひたすら走らせていきます。この日最初の休憩を柏崎にある米山SAでとることとしました。ここでも買い物を済ませて楓とのんびりと施設内を散策してみることにします。展望台から望む明け方の日本海の景色が綺麗でした。北方にはぼんやりと佐渡島が、そして北東方向には柏崎の原子力発電所が小さく見えています。今回の旅で辿った名神、東北道、北陸道はかつて奥の細道を記した松尾芭蕉が辿ったルートに重なるところもある様です。こちらには「草臥れて 宿かるころや 藤の花」と印された芭蕉の句碑がありました。徒歩での旅とクルマでの旅といった移動手段の違いによって、旅路から感じ取られる味わいの深さには大きな違いもあるとは思いますが、訪れた場所で何処かしみじみと旅愁に捉われる感覚みたいなものは現代にも通じている様な気がしてしまいますね。 その後、舞鶴若狭自動車道へと入り途中、福井の三方五湖PAへとやって来ました。こちらでもご機嫌な楓と施設内をのんびり気分で散策してみることにします。展望台にて三方湖の景色をしばし堪能した後に楓と軽く昼食をとり、中国自動車道へ向って西へ西へとクルマを走らせていきます。こちらはこの日の滞在地となった津山でのひとコマ。こちらでも楓とのんびり町並み散策を楽しんでみました。楓にとっても生まれて初めての大遠征となった今回の旅。出発前は、途中、疲れが出たりしないか?そんな心配もありましたが、終始楽し気に過ごす姿を見せてくれていたことが本当に何よりだったと感じています。(安)いろんな場所でいろんなものを見て感じてそして経験をした今回の旅が楓のこれからの犬生にとって大きな糧となってくれたらいいな・・・、散歩中、時折、ニコ顔でこちらを見上げながら歩を進めるちび子の姿を眺めつつ、そんな楽しい想像を膨らませてしまいます。こちらは最終日となった2日前の一枚。この日も夜明け前にチェックアウトして中国道をひた走り、帰宅の途に就きました。昼過ぎに帰宅し、面々の歓迎を受けて大喜びしていた楓。その後、日陰にてナツ爺としばしのんびりとした面持ちで過ごす姿を見せていました。ちび子はナツに今回の旅の土産話をしてくれていたのかもしれないですね?(楽)そして今日、我が家での長い合宿生活を終えてご家族のもとへと帰宅していった楓。楓は来年以降も引き続き、日保会員2年生となるパパさんママさんと展覧会の舞台を目指して進んでいくことになります。楓、よく頑張ったね、ホントにお疲れ様でした。これからもみんなで大いに楽しんで過ごしたこの2ヶ月の日々のことを忘れない様にね♪そしてまたいつでも遊びにおいでね。ナナにナツ、結、そしてカイとともに成長した楓と会えるのを楽しみにしてるからね。
2022.11.17
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こちらは2日前のひとコマ。この日は早起きして全国展が開催される福島の地へ楓とともに向かいました。東の空が白み始める前に関門海峡を渡り、中国道へ向かってクルマを走らせていきます。そして中国道へ入り、山深い景色を眺めながらのんびり気分でさらに東へと進んでいきます。所々にいい風合いになってきているポイントもありますが、この辺りの木々の色付きはこれからが本番といったところでしょうか?こちらは休憩のために立ち寄った筒賀PAでのひとコマ。ここではPAの外へ出て楓と気分転換も兼ねてプチ散歩を楽しんでみました。朝霧に包まれた山あいの集落の景色を堪能した後に坂道ダッシュを繰り返しスッキリした表情を覗かせるちび子の給水が完了したところで休憩を終えて再びクルマを走らせていきます。こちらは2日目のひとコマ。5泊6日の旅となる今回の福島への遠征。大半の時間を移動に費やすこととなったため、ホテルでの朝食を楽しむことは叶わず夜明け前にチェックアウトして次の目的地へと向かうこととなります。(残)この日は小牧JCTの手前での事故渋滞と岐阜へ入る手前での道路工事による通行規制による渋滞に遭い、若干のタイムロスが出たものの、その後はほぼ予定通りに最終目的地である福島へ向かってクルマを走らせることができました。休憩も挟みつつ、名神高速を走破して長野自動車道へ進んでいきます。信濃路に入ると鮮やかに紅葉した風景を至る所で目にすることができました。雪を戴いたアルプスの景色も堪能して更に北へ向かいクルマを走らせ群馬へと入ります。こちらは途中、楓と立ち寄ってみた甘楽SA。赤煉瓦調にデザインされた建物は、最寄りの富岡製糸場の外観をモチーフとしているとのことです。今回はこれまで旅をしてきた地域をひたすらクルマで走り抜ける旅でもありました。(笑)こちらはそんな場所の一つでもある宇都宮市にある大谷PA。午後の陽射しに映える紅葉を一枚。地元の大谷石で作られたと思われるテーブルに椅子、建物の壁面に目が留まります。(楽)店舗の入り口では、石で象られた餃子キャラである「スタミナ健太」君が利用者の方々をお迎えしていました。台座には「スタシナ健太」と印してありましたが、「スタミナ健太」君が正式名称なのだそうです。餃子の街、宇都宮に因んだ楽しいキャラクターですね。こちらは今日のひとコマ。前日、無事に福島へ到着し、この日は午前中の時間を楓とのんびりと過ごして午後に会場へと向かいました。会場にて諌早山麓荘さん、多良山麓荘さん、そして川口さんと合流して見学と下見を行うこととします。会場風景を一枚。このスケール感にリングの数はやはり全国展ならではといった観がありますね!この後、散歩がてら、会場を楓とのんびり歩いてみました。初めての場所ということもあり、いろんなものに興味津々な面持ちを覗かせつつも、終始落ち着いた様子で会場の空気を吸い込んでいた様に見えた楓。旅の疲れが出ている様子も無く、こちらも胸を撫で下ろしながらちび子と予行練習を楽しむことができたひとときとなりました。そしてこの全国展の会場でも「柴楽日記、見てるよ!」といった嬉しい御言葉を頂けたりと、いろんな方々と楽しい出会いに恵まれました。(感)設営されたリング内にて宮城支部の利府櫻井荘さんのワンコ達を一枚!向って左側が雄部成犬A班で、そして向かって右側が雌部若一組で明日の全国展に出陳される予定なのだそうです。ともに上席犬にいても不思議ではない、素敵なワンコである様に感じながら拝見させて頂いておりました。(楽)櫻井さん、この度はいろいろと御親切にして頂き、そして写真撮影にも快く応じて頂き、誠にありがとうございました!この日の開門は午後2時でしたが、会場では開門後も当日の準備を着々と進めておられる福島支部や東北連合の皆様の姿が見られました。支部展の開催準備においても様々な苦労があると思いますが、全国展ともなるとその準備期間からそこに掛ける労力に至るまで、そこに関わる方々の御苦労は役員経験の浅い私には想像を超えるものがある様に感じられてしまいます。いろんな方々の思いやお力添えによって実現した3年ぶりとなる今回の全国展。出陳させて頂く私もそうした方々への感謝の気持ちも胸に明日は楓との全国展を楽しむことができればいいな・・・、そんな思いを胸に会場を後にしました。(感)
2022.11.12
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数日前のひとコマ。この日は朝一の所用を終えたところで、久しぶりに筑後市の溝口竈門神社へ足を運んでみました。溝口竈門神社は平安期に大宰府の竈門神社より勧請され、玉依姫命を祭祀する神社です。そしてこの神社は、5年ほど前の週刊少年ジャンプへの掲載から昨年のTV放送を経て世界的にも爆発的なヒットを現在も記録し続けているアニメ「鬼滅の刃」の聖地の一つとしてファンの間でここ数年話題になっている場所でもあります。今回はいつもの「グルメ・旅」特集とはいささか趣を変えて、鬼滅の刃の聖地としての溝口竈門神社をご紹介して参りたいと思います。一の鳥居をくぐると、山門前に聳える二本の大きなクスノキに象徴される鎮守の杜然とした佇まいが広がります。こちらは楼門の阿形像。こちらの阿形像の袴が市松模様となっており、鬼滅の刃の主人公でもある竈門炭治郎の羽織の紋様に一致しているといったファンの声もある様です(以前は青の市松模様がもっとはっきりと確認できていた様な気がします)。こちらは境内の西側に位置する鳥居。こちらの扁額についてもまた、鬼殺隊員として鬼退治の旅へと向かう炭治郎のために育手である鱗滝が妹の禰豆子の収納箱として作った木箱に酷似しているといった声がコアなファンの間で上がっているそうです。山門をくぐり社殿を一枚!戦国期にはこの地域に溝口城が配置され、竈門神社の境内の一部も馬場として使用されていたといった言い伝えが溝口地区には残っている様です。こうして静寂に身を委ねていると、幾多の時代を経て地域の人々に愛され守られてきた竈門神社の佇まいを通して、そうした長い歴史の中で醸成されてきた荘厳さみたいなものがこの地を訪れた人々にも自然と伝わっていく様な気がしてしまいます。ちなみに溝口城に纏わる御話もここでひとつ。こちらの溝口地区にはきせる祭りといったちょっと変わったお祭りが毎年師走の時期に行われています。このお祭りは戦国期にこの地域の城主であった溝口重正が龍造寺氏との戦に敗れ、落ち延びる道中で竹筒をキセル代わりにして煙草を吸ったことに由来していると言われています。「竹筒」というワードから鬼滅ファンの方は禰豆子に繋がるイメージをお持ちになられる方もたくさんいらっしゃるかもしれないですね。またこのお祭りには天狗の面が登場します。天狗の面と言えば、鱗滝左近次!こちらもピンとこられる方がたくさんいらっしゃると思います。(楽)この神社のすぐ南側には堤防を隔てて一級水系でもある矢部川が流れています。治水工事が進んだ近年でも雨季にはある程度の氾濫リスクが想定される矢部川。流量の変動が大きいと言われるこの矢部川は、遠き古より、度々洪水と干ばつを引き起こしてきたと言われています。そうした自然災害に苛まれながらも、この地域の人々はきっと矢部川が育む様々な恩恵を享受してきたことに由る敬虔な気持ちを絶やすことなく生活を営んできたんでしょうね。そうした長きに亘り培われてきたこの地域の人々の思いは社殿に刻まれたレリーフからも窺い知ることができる様な気がします。この竈門神社では、社殿をぐるっと一周包み込む様にこうした波を象った彫刻が見られ、かつてこの地域に棲んでいたと思われる生き物とともに、水の波形もそのポイントにより激しくうねる様なものから穏やかなものまで様々な表現がなされており遠き日への思いをかき立てさせられる内容である様に感じられました。こちらの社殿正面に見られるこのうねる様な波形もまた、炭治郎が師匠である鱗滝から伝授された水の呼吸により繰り出される剣術型を使用する際に発現する波姿に酷似しているといった多くのファンの声があります。言われてみると、確かに似ている様な気がしてきますね。(楽)因みにこちらは竈門神社がある溝口地区から矢部川を少し下った場所にある水洗小学校の校章。こちらにも波の紋様が描かれています。こうした観点もまたこの地域の人々の暮らしが矢部川ともにあったというひとつの証左でもある様な気がします。こちらは同じく筑後市内の水田天満宮境内にある恋木(こいのき)神社。幼い頃より幾度となく訪れている水田天満宮ですが、メディア等を通して恋木神社の存在を知ったのは十数年程前のことであった様に記憶してます。お知り合いでもあるこちらの宮司さんの御話によると水田天満宮の建立当初から恋命をご祭神として祀り天満宮の末社として鎮座しているとのことです。少々前置きが長くなってしまった感がありますが、再び鬼滅モードに話を戻していきたいと思います。(笑)この恋木神社についても、登場人物の一人である女性剣士の甘露寺蜜璃が剣術において恋の呼吸の使い手であるといった点から作品との関連性が想起されるといった感想を持つファンの方が多いようです。また溝口竈門神社については、現在、こちらの水田天満宮に合祀されるかたちとなっています。この点において見ても恋木神社と甘露寺蜜璃の関連性について確信を深める方がいたとしても不思議ではない様な気もします。更に冒頭で述べた通り、竈門神社が玉依姫命(たまよりひめ)を祭祀としている点に着目して、作中において鬼でありながら鬼殺隊と運命を共にすることを選んだ珠世(たまよ)との関連性を見出す方もいらっしゃるみたいですね。ちなみに鬼と言えば、溝口竈門神社が溝口城の鬼門に位置していたと言われていることに加え、筑後市には久富地区に盆綱引きそして熊野地区に鬼の修正会といった鬼に纏わる祭りが存在していること等にも作品との関連性が見い出すことができる様な気もします。そしてまた、上述しました鬼の修正会は隣接する久留米市大善寺の玉垂宮において年の初めに例年行われる鬼夜と並んでこの地域を代表する火祭りでもあります。火と言えば炎、炎と言えば炎柱である煉獄杏寿郎をつい連想してしまいますね。(楽)こちらは溝口竈門神社の西方にある中山大藤の様子。ここはお隣の八女市にある黒木の大藤と並んで地元では藤の名所と呼ばれている場所で、この2つの場所を作品とリンクして楽しんでいらっしゃる方も多いようですね。確かに、4月下旬から5月初旬にかけての見頃の時期に訪れると、炭治郎たちが臨んだ鬼殺隊最終選別の舞台となった藤襲山(ふじかさねやま)の光景にオーバーラップして映ってしまう程の光景が広がっています。溝口竈門神社を聖地とする鬼滅ファンの皆さんの楽しく熱い想いの轍を辿っていくと、原作を読ませて頂いた私もまた勝手に楽しい想像が独り歩きしてしまう様な感覚を抱いてしまいます。筑後市に隣接する八女市の黒木や矢部エリアには巨大な奇岩群が存在し、またこの矢部エリアには杣の里と呼ばれる渓流公園があります。岩と言えば鬼殺隊最強と謳われた岩柱である悲鳴嶼行冥、そして杣と言えば杣人から転身し僅か2か月で鬼殺隊最高位である柱へと昇進した天才剣士時透無一郎を思わず連想してしまいます。(楽)作中では主人公の炭治郎が最終選別で共に戦った同期たちとその後、友情を育みながら幾多の困難を乗り越え共に成長していく姿が描かれています。筑後市内の江口地区には雷神社があります。雷⚡と言えば柴楽日記では我が家のマリということになりそうですが、(笑)鬼滅ファンの方であれば作中を通して炭治郎の親友となっていく我妻善逸をイメージされることでしょうね。そしてこの雷神社の夏の祭事となっているのが獅子回し。獅子と言えば炭治郎にとってのもう一人の親友でもある嘴平伊之助が連想されますね。そしてこちらの境内にはたらちねの碑というものが存在します。目立たずひっそりと佇む石碑をこうして眺めていると、作中で幼い伊之助に深い愛情を注ぎながらも息子を鬼から守りこの世を去ることとなった母 琴葉の姿にふと思いを巡らせてしまいます。溝口竈門神社に奉納されている絵馬を撮ってみました。作者である吾峠呼世晴さんが福岡県出身であるとされていることも、県内における聖地として溝口竈門神社が太宰府の宝満宮竈門神社と並び称されることとなった要因のひとつとなっているのかもしれないですね。ただ、個人的には、どこが正式な聖地なのか?ということを確定させることではなくこの作品を愛する方々が思い思いにその想像の翼を広げて楽しく自由に思いを馳せることができていることそのものに大きな意味がある様な気がしています。「鬼滅の刃」に限らず、実際にこうしたひとりひとりの思いが繋がることにより、聖地というこれまでとは違ったかたちで脚光を浴びることとなった地域や場所は多くあると思います。私自身もまた、竈門神社の世話役を務めておられたお世話になっている大工さんより、前述しましたこの地のお祭りのことや、かつてこの地域では1mを超える程の巨大な瓢箪が栽培されていた(この瓢箪についても先日TV放送された「『鬼滅の刃』柱合会議・蝶屋敷編」にて描かれているものと関連性があるのでは?といった声がある様です[楽])ことも含め、予てより地元のいろんな御話を伺っていたり、折に触れて足を運んでいた場所が、これまでとは全く異なるイメージでクローズアップされている現実に驚嘆させられている一人でもあります。(凄)そして、こうした状況を目の当たりにしてみると、現代はその国々や地域の魅力が以前にも増して様々な手段で発信される時代である点に加え、この国においては伝統文化のみならず、アニメコンテンツ等のポップカルチャーのポテンシャルにもまた計り知れないものがあることを再認識させられている様な気がしてきます。そう言えば、明日は地上波で「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」が初放送されるみたいですね。無限列車編において炎柱である煉獄が主人公である炭治郎に「溝口少年、君の刀の色は何色だ?」そうした問い掛けを行うシーンがあります。竈門少年を溝口少年と言い間違えたこのセリフからこの作品と溝口竈門神社との関連性を多くの方々が見出すきっかけとなったとも言われている様です。また、かつて溝口竈門神社がある筑後市の羽犬塚駅から先述しました大藤の名所となっている八女市の黒木には旧国鉄時に矢部線という路線があり、黒木駅があった場所には当時運行していたSLが展示されています。こうした点も含めてSLが物語の舞台となる明日の無限列車編を様々な角度から楽しむ鬼滅ファンの方もたくさんいらっしゃるんでしょうね?飽くまで個人的な見解でありますが、鬼滅の刃とは単なる鬼退治に留まることなく、細部に至るまで緻密なほどに伏線が巡らされていて、決して堅苦しいものではなものの、非常に重厚感のある展開に、読み進めていくうちにすっかり魅了されてしまう、そんな物語である様な気もします。また、一見すると、人喰い鬼とそれに対峙する人間という二律背反な存在に思えてしまう二者の関係性についても相対主義的な観点で描かれている点は作品の奥深さを感じさせるものがある様に思われます(絶対悪な存在であると結論付けされがちな鬼たちですら、主人公である炭治郎の精神性というフィルターを通して解すると、人間の弱さによる産物であると定義でき、だからこそ人として私たちは如何に生きていくべきか?といった希望の灯然としたテーゼが読者の心を捉える効果をより一層引き立たせている様に感じられます。さらに、こうした考え方は学校や組織といった様々な人間関係や利害関係の中で生活する現代の私達にも深く通じるところがある様な気がしてしまいます)。竈門神社の参拝を終えて、市街地へ向かいクルマを走らせる道すがらには昭和にタイムスリップした様なレトロ感ある溝口の町並みが窓の外に流れます。そしてちょうど今頃、この溝口エリアを含む矢部川沿いでは彼岸花が見頃を迎える時期でもあります。ひょっとしたら、作者である吾峠さんも過ぎし日にこの地域のこうした風情を通して、作品のインスピレーションを得るに至ったりしたのかも??この日はそんな楽しい想像を膨らませながら、すっかり鬼滅のファンと化してしまった私も帰宅の途に就くことと相成りました。(楽)
2021.09.24
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今日は先日開催された四国連合展からの帰途の様子をお届けしたいと思います。会場を後にして、大洲市へと入り国道378号線を三崎港へ向けて進んで行きます。夕焼け小焼けラインから望む伊予灘の風景を一枚。時折水平線に沿ってぼんやりと浮かんでいる様に見える島影を目にしつつ、海と空の青さを堪能しながらクルマを走らせていました。夕焼け小焼けラインに別れを告げて、佐多岬の尾根に沿う様に走る国道197号線に入り道の駅瀬戸農業公園でフェリー乗船前の休憩を取ることとします。こちらは地元愛媛を中心とした海の幸から山の幸まで豊富な特産品を取り扱う直売所で、立ち寄らせて頂いた日は柑橘類が店頭に所狭しと並んでおりました。波の穏やかな午後の入り江を眺めながら、カイと一緒にのんびりと施設内の広場をしばし散策してみました。今回の四国遠征は私たちにとってもそしてカイにとっても多くのことを学ばせて頂いた楽しい武者修行の旅となった様な気がしております。カイ、今回はお疲れさんだったね、そして今シーズン、ホントによく頑張りました!ありがとね!!こちらは佐賀関へと到着し、夕日が波間にきらめく海岸線を大分宮河内ICへと向かう道中での一枚。今春もナツファミリーのワンコ達とたくさんの場所へと楽しい旅が叶ったシーズンでした。こうした時間を過ごすことができるのも、犬バカな思いを共有して下さるファミリーの皆さんや協力してくれる家族、そしていつも温かく見守って下さる諸先輩方の存在によるところがホントに大きいと感じております。皆様、いつもいつも本当にありがとうございます!
2021.05.04
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今日は早起きしてライトそして結とともに岡山へ向かいました。一泊二日の日程で、初の遠征となる2匹。こちらは途中、休憩で立ち寄ったPAでの一枚。移動中の爆睡も効いてスッキリした表情を見せるライトと外の空気を吸い込んで思わず大きなあくびが出る結。「これだけ遠くへ出掛けるのは初めてだからね、さすがに疲れちゃうよね、結。」(楽)色づき始めた山深い景色をのんびり眺めながら中国道を進み、お昼過ぎに会場へと到着しました。駐車スペースには下見に来ていらっしゃるたくさんの方々の姿がありました。リングを囲む様にテントが連なる光景は全国展ならでは!といった感じがしますね。(楽)「オジイ、もう着いたんだろ!?早くボクたちを出してよ!!」って言わんばかりのライトのリクエストに応えて早速、2匹をゲージから出してみました。開放的な雰囲気に大はしゃぎするライトと結。明日に備えて少し場慣らししてみることにしてみました。こちらは結。そしてこちらはライト。お世話になった諸先輩方や犬友の皆さんそしてファミリーの皆さんへの感謝の気持ちを胸に、結果はともあれ、明日は初めての全国展の雰囲気を2匹と普段通りに楽しむことができればと思います。(楽)せっかくなので会場周辺を散歩してみることにしました。今回の全国展の会場となったのは美作市のバレンタインパーク作東。会場の後方に位置する「天使と恋人達」の像を一枚!ここは恋人の聖地として知られる場所なのだそうです。この公園名は美作市と合併する前の作東町がセント・バレンタイン市(仏)との姉妹都市提携を機に名付けられたものなんだとか。色づいた木々を眺めながら、のんびりと歩を進めてみました。前方には「オジイ早く~、日が暮れちゃうよ~!」って面持ちでこちらを見つめるライトと結。美しさに見惚れて思わず、道草を食ってしまっていたみたいです。(笑)散歩を終え、会場を後にして本日の宿泊先となった湯郷の竹亭さんへ到着しました。ペットも一緒に滞在できる別館にて今回お世話になりました。部屋に到着して専用サークルに収まったライトと結。室内にはこのサークルを始め、愛犬用のアメニティが充実していました!荷降ろしが済んだところで早速夕食の時間が訪れます。楽しみにしていた夕飯は海の幸に山の幸で彩られた会席膳!旅の疲れを取るには十分なボリュームで最後まで美味しく頂くことができました。(感)ワンコの箸置きに、こちらもワンコのカップ。また、こうした愛犬と過ごせる別館ならではの細やかな演出も楽しみながらのひとときともなりました。(楽)就寝前の2匹を一枚。今日までライトも結もめげずについてきてくれてホントにありがとね!明日もいつも通りに楽しんでいこうね、よろしくね!!
2019.11.16
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今日は朝一で熊本の和水町の金栗四三生家を訪れてみました。南関ICを過ぎて県道4号線へと入り、目的地へと続く沿道に立つ「金栗四三生家記念館」と記されたのぼり旗を頼りにクルマを走らせていきます。程なくして生家へ到着。確かに大河ドラマで目にする金栗さんの実家のイメージと重なる様な山村に生家はありました。こちらは金栗さんが水浴びをしていたという井戸。ドラマでもお馴染みとなっているあのシーンはここから生まれたんでしょうね?築200年のこちらの生家はその広さも母屋だけでなんと100坪!この地に15代にわたって続いてきたとされる名家の名残が屋内の至る所に感じられる様な気もします。四三さんが生まれた頃は酒造業を営んでいたとされる金栗家。家屋を巡ってみるとそんな往時の様子や金栗家の人々の暮らしが窺える様な気もしてきます。見学を終えて外へ出ようとしていたところにツバメが屋内へと入って来ました。見上げると梁部分に巣作りの真っ最中の様です。この梁のラインには他にも巣作りの跡が見られます。日本が世界に誇る韋駄天を育んだ家は長きにわたりツバメたちにとっても快適な子育て空間となっているみたいですね。生家の見学を終えて金栗四三ミュージアムへと足を伸ばしてみました。こちらでは金栗さんの生い立ちから現役時代そして引退後、この国におけるスポーツ振興に努めた足跡についての解説や金栗さんが使用したユニフォームや足袋といった数々の所縁のものが展示されていました。またこちらのミュージアムには金栗さん愛用足袋のこんなオブジェや金栗さん、高橋尚子さんそして野口みずきさんのレース中の歩幅についての展示もなされていたりとマラソン好きな私にとっては楽しい内容となっていました。幼少期はひ弱な子供だったという金栗さん。小学校へと上がり往復12kmにも及ぶ通学路を走って通学する日々を繰り返す中で後のレースに耐え得る基礎体力を育んでいったと言われています。日本マラソンの父と称される彼の言葉に「体力、気力、努力」という名言があります。日々の積み重ねの肝要さについて考えさせられる言葉だと思います。この日は午後の所要に合わせてこの後、植木の直売所にてスイカを買ってトンボ返りと相成りました。いだてん誕生の地として知られる和水町。今回訪問が叶わなかった場所も多々あるだけに、今度はしっかり時間を取ってまたのんびり訪れてみたいと思います。
2019.05.25
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今回もまたまた先日訪れた瀬戸内紀行の模様をお届けしたいと思います。瀬戸内の旅の最終目的地となったのは姫路城。こちらは三の丸御殿跡から撮影した一枚。大天守の保存修理工事も4年前に完了し、再び壮大な城姿を望むことができる様になっていました。連休中ということで開城前に余裕を持って到着したんですが、入城口へ向かって既に長蛇列!並んでしばらくして振り返ってみるとはや後方もこの人だかり!(凄)国宝に重要文化財そして世界遺産に登録されている天下の白鷺城。それだけに特にこの時期のこうした混雑は仕方のないことの様に思えますね。格式の高さをうかがわせる櫓門となっている菱の門をくぐり城巡りがスタートします。大天守へ向かっていの門からほの門まで五つもの門が続きます。こちらは「はの門」門から門へと進んでいくにしたがい徐々に通路の幅員が狭小となっていき、大挙して攻め込んだ敵を石落としや狭間からの狙撃そして土砂による封鎖などで一網打尽にできる造りはまさに難攻の要塞と呼ぶに相応しいものと言えそうです。最上階から望む大天守の鯱瓦と姫路の街並みを一枚。りの一渡櫓には明治、昭和、平成と時代ごとに大天守を守ってきた鯱瓦が展示されていました。大正モデルは無いみたいですね。新しき時代となる令和には果たして新モデルのお目見えはあるのでしょうか??(楽)菱の門を出て西の丸へ。全長が約240m(約121間)にも及ぶ渡櫓廊下である百間廊下へと足を伸ばしてみました。こちらの西の丸が整備されたのは江戸初期の初代藩主本田忠政の頃と言われており、ここには忠政の息子にあたる忠刻と妻千姫の居館である中書丸が築かれ、百閒廊下には千姫の休憩所である化粧櫓が設けられました。姫路城巡りを終えて隣接する庭園好古園に足を伸ばしてみました。好古園は活水軒や潮音斎から眺める御屋敷の庭(写真)を始め、往時の西御屋敷跡や城下跡の地割を活かした9つの庭園で形成された四季折々の風情を堪能できる池泉回遊式の庭園です。門をくぐると早速、四季折々の木々の風情が漂う樹林帯が広がります。ちょうどツツジが見頃を迎えていました。こちらは潮音斎内に設けられた展示スペース様子。「千姫ミニ着物展」と銘打った展示会が開催されていました。ミニチュアサイズに仕立て直された数々の着物が新緑の季節の到来に華を添えています。絢爛豪華な競艶!といった感じがして実に艶やかなものですね。薫風にのって流れてくる姫山原生林からの新鮮な空気に触れながら、心地よい森林浴を終えて帰宅の途に就くこととします。最後に西の丸より撮影した姫路城を一枚。天に向かって白く映えるその城姿はまさに白鷺の如し!(平成の大改修を待って訪れた甲斐がありました[楽])美観そして城郭としての本来の機能性を併せ持った名城であることを今回の訪問で改めて感じた楽しい城巡りとなりました。あっという間の瀬戸内の旅でしたが、四国連合展の見学も叶い、今回もまたいろんな町で多くの方の人情や風情に触れる機会を頂くことができた思い出深い素敵な旅ができたと思います。(感)
2019.05.20
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今回もまた先日訪れた瀬戸内紀行の模様をお届けしたいと思います。四国連合展の帰途、鳴門市の大塚国際美術館に立ち寄ってみることにしてみました。国立公園内の山を削り取って埋め込まれた巨大な構造物といった外観を持つ館内の延べ床面積は29,412㎡に及び当時建築許可を得るために5年もの歳月を要したといった話をかつて耳にしたことがあります。エントランスをくぐると地下3Fへと続く全長41mの長いエスカレーターが観覧者を迎えます。最初に現れたのはミケランジェロの天井画の最高傑作といわれるシスティナ・ホール。現地さながらの臨場感に包まれた空間で早速シャッターを切るたくさんの方に紛れて私も記念の一枚を撮ってみました。(楽)こちらの美術館は古代美術から現代絵画に至る約1000点に及ぶ西洋の名作を原寸大で楽しむことができる場所となっています。山中に建造された地下3Fから地下1F部分は古代、中世、ルネサンス、バロック、近代そして地上1Fから2Fは現代といった具合に絵画史の変遷を辿ることができる展示がなされていました。企業の文化事業のひとつとして運営する一般的な美術館では従来オリジナル作品をコレクションして展示するといったかたちが採られてきた様に感じますが、大塚製薬グループが創業の地で運営するこの美術館では先に述べました通り、世界的に知られる数多くの名画の複製画が原寸大で展示されています。実際、これだけの内容の原画を現地に赴いて鑑賞するのはなかなか困難であることを考えれば、この場所は西洋美術についての造詣を深める機会を広く提供している意義ある空間である、と言っても過言ではない様な気がします。今回はタイトなスケジュールによる疲労感と勉強不足も相俟って、終盤は頭の中が酸欠状態に陥りながらの見学と相成りました。(笑)次回はもっと西洋史についての知識も深め、また時間をかけながら、のんびり楽しむことができればと思います。神戸淡路鳴門自動車道を上り、この日の宿泊先となる兵庫方面へと向かいます。途中、淡路SAに立ち寄りこの日の夕食をこちらで頂くこととしました。フードコートにてご当地ラーメンを注文!今回は私が鯛塩ラーメン(向かって右)、そして妻が牛肉入りの徳島ラーメン(左)を頂きました(鯛塩ラーメンは、ヘルシーなあっさりスープに麺がよく絡み柚子の味もアクセントとなっていて、美味しかった!!)。下りのSAの観覧車に明りが灯り始める様子を眺めながら、のんびり楽しい夕食時が過ぎていきます。出発前の明石海峡大橋を一枚。次第に暮れなずんでいく景色もまた絵になりますね。~次回へ続く~
2019.05.19
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前回の続き。鞆の浦に別れを告げて翌日の四国連合展が開催される徳島方面へと瀬戸大橋をクルマを走らせていきます。こちらは道中立ち寄った与島PAからの眺め。行楽日和に恵まれた空の下には瀬戸内の海が静かに広がっていました。橋の向こうには香川の玄関口にあたる坂出の街並みと番の州工業地帯が見えます。背伸びを終えてこの日の最終目的地であるさぬき市へ向かって出発です!さぬき市へ到着し、途中、津田石清水神社へと立ち寄らせて頂きました。津田石清水神社は瀬戸内海国立指定公園に指定されている津田の松原にあります。津田浦の氏神社である石清水神社は仁和年間(885~888年)に京都の石清水八幡宮より分霊を勧請し、現在地の西方にある雨滝山麓に津田八幡宮として鎮座したと言われています。戦国期には長曾我部軍の兵火による大打撃を被るも約10年後の1582年には再興を果たし慶長五年(1600年)に現在の場所へ遷座することとなったそうです。境内へと進んでいくと最近ではあまり見かけなくなった三毛猫(この子は女の子です)と白いワンコがお出迎えしてくれました。猫と挨拶を交わしていたところでちょうど社務所から出てこられたこちらの宮司さんと遭遇し、神社の歴史やこの二匹との出会いから現在に至る経緯までいろんな御話を伺う機会を頂くことができました。(感)元々は共に野良だったという二匹ですが参拝者との間合いもよく心得たお利口さんな二匹なのだそうです。そんな二匹にまつわるエピソードも交えた御話を伺いながら、二匹を眺めていると神の思し召しというかお使いとでもいうのか、こちらの神社との何とも只ならぬ縁の深さが感じられる様な気もしてきます。(楽)こちらは本殿前に鎮座する狛犬。こちらの二体一対はいずれも吽形を現していることも珍しいと思えるのですが、何よりこちらの狛犬が日本狼をモチーフとしていることに犬バカな私は何より興味が湧いてしまいます。夫婦でこの神社を守護しているというこちらの狛犬。(後方では先程ご紹介したシロ君も一緒にのんびり夕方の社中警護に当たる姿が見えます[楽])こちらは夫にあたる雄。妻と向き合うのではなく、その視線は別の角度へまっすぐに向けられています。その視線は鬼門切りの方位に向かって注がれているのだそうです。こちらは妻にあたる雌。そうした観点から眺めていると外からやって来る邪気からこの場所を守護する役割を果たす旦那を見守っている様にも見えます。昨今は世の中の様相もずいぶんと変わってきましたが、外で働くお父さんと家(境内)を守るお母さんといったひと昔前の家族像にも重なるトコがある様にも思えてきます。古くから人々が切り開いてきた耕作地を鹿や猪といった害獣から守る存在として解釈されていた狼。狼の狛犬が祀られている津田石清水神社が鎮座するこの一帯も、雨滝山を始めとする山間部を抱えた地形からそんな山犬信仰が浸透していた場所だったんでしょうね。参拝を終えて津田の松原を歩いてみました。津田の松原は琴林公園としても広く知られ、その呼称はこの松原を吹き抜ける風の調べが琴を奏でる様な音色に聞こえることに由来すると言われています。松林を抜けると蟹甲湾を望む美しい浜辺の景色が広がります。一日の旅の疲れも心地よいものになりそうです。この日の旅の宿としてお世話になったのは国民宿舎クアパーク津田さんでした。津田の松原に隣接し部屋からはオーシャンビューを堪能できる素晴らしいロケーションとなっています。こちらは夕食時の一枚。(レストランからの眺めもまた最高でした!)そしてこちらは朝食。さぬきうどんも付いていました!(嬉)夕食はもちろん朝食も地元の味を堪能できるメニューとなっていてとても美味しく頂くことができました。今回、クアパーク津田さんで美味しい食事に快適な室内でのひとときを過ごさせて頂き、翌日の四国連合展への見学もフル充電状態で望むことができました。(感)そして今回訪れたさぬきの町もまた機会があれば今度は時間をかけてのんびりと町巡りを楽しんでみたい、そう思える素敵な場所でした。
2019.05.17
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前回の続き。尾道より国道2号線を経由して福山の鞆の浦へと足を伸ばしてみました。豊後水道と紀伊水道双方からの海流が合流する瀬戸内海の中央にあたる鞆の浦は古代より潮待ちの港として繁栄した場所です。その街並みは現在も江戸期の町絵図とほぼ一致する区割りとなっています。石畳の街路を進むにつれ、何処か懐かしい感覚に包まれていく様な気がしてくるのもこうしたことに起因しているところがあるのかもしれないですね。こちらは太田家住宅。古くから海上交通の要衝として多くの人々が往来したこの場所で江戸期に藩の宿泊施設そして要人を繋ぐ場としての役割を果たしたのが太田家住宅だったと言われています。江戸初期に大阪からここに移り住んだ漢方医のルーツを持つ中村吉兵衛が16種類に及ぶ生薬を使って保命酒を醸造し、後に福山藩より醸造販売の独占権を与えられることとなりお上のお墨付きを得た保命酒はその名が広く世に知られることとなっていきます。太田家住宅の店土間には醸造に使用されている生薬の展示と解説がなされていました。この住宅での製造は1901年(明治34年)に中村家の廃業により終了することとなりますが、現在も鞆の浦の4軒の酒蔵でその製造が行われています(当住宅は翌々年に太田氏が所有することとなり、平成3年に重要文化財の指定を受け、その後6年にわたる保存修理工事を経て江戸末期~明治初期の住宅の姿へ整備され一般公開されることとなったそうです)。太田家住宅の隣にある保命酒屋(鞆酒造)も保命酒を醸造・販売するお店のひとつです。甘みがある口あたりの良い薬味酒で、旅のお土産とさせて頂くこととしました。江戸期そのままの港湾風景を残す鞆港南端に立つ常夜燈を一枚。沿岸部とその周囲の島々が鞆公園として国の名勝そして国立公園に指定されている鞆の浦。そして2年ほど前には文化財保護法144条に基づく福山市鞆町伝統的建造物群保存地区として港を含む8.6haのエリアが重要伝統的建造物群保存地区としての指定を受けるに至ります。産業革命の波がこの国にも押し寄せた明治期から大正、昭和、平成と時代を経るにつれて社会の変化のスピードは益々勢いを増している様にも感じられます。今後AIの台頭によりデータに基づく合理化が様々なシーンにおいて更に進んでいくことが予想される昨今、一方で普遍的な価値を持つものを保護し後世へと伝えていく責任もまたこれまで以上に求められる時代となってくる様な気もするこの頃です。
2019.05.16
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今回は先日四国連合展の見学を兼ねて訪れた瀬戸内の旅の模様をお届けしたいと思います。関門海峡を渡り山陽自動車道を通ってこの日最初にやって来たのは広島の尾道。連休初日ということもあり、早めに出発してみましたが道路状況の混雑もなくスムーズに到着することができました。尾道市役所西側に位置する十四日元町桟橋から望む尾道水道の風景を一枚。こちらは十四日元町桟橋の住吉浜公衆電話室。海運の町として繁栄してきた尾道最古の荷揚げ用クレーンが街のオブジェというかたちで産業遺構として保存されています。ちなみに電話ボックスとなっている部分はかつての操縦室だったそうです。電話室横のデッキには日除けのパラソルが花を開きその向こうには尾道水道クルーズへと出航する遊覧船の姿が見えます。潮の香りを吸い込んで薬師堂通りへと入り、坂の町散策をスタートすることとしました。こちらは尾道本通り商店街。西方に位置するJR尾道駅へ向かって1.2kmにも及ぶレトロな雰囲気を随所に残す商店街となっています。連休がスタートしたこの土日は尾道みなと祭が開催されていて、地元の方から観光の方まで多くの人々でこの商店街も賑わいを見せていました。商店街散策を終えて坂の町を堪能すべく始発駅となっている山麓駅からロープウェイに乗車して千光寺山へ向かうこととしてみます。こちらは山頂の展望台からの眺め。尾道の町並みと瀬戸内海へと続く尾道水道の景色が一望できる絶景スポットとなっていました。再び尾道の町へ向かって新緑が眩しさを増し始めた坂道を下っていきます。こちらは千光寺境内にある鼓岩。この岩を石で打つと「ポンポン」といった鼓を打つような音がすることからポンポン岩とも呼ばれています。この日もそんな悠久の調べを堪能するたくさんの人々の姿がありました。こちらは山の中腹に位置するみはらし亭。大正10年築で木造二階建ての建物となっていて眼下の尾道水道へ向けて開口部が設計されています。現在は観光案内所そしてゲストハウスとして利用されているそうです。みはらし亭を通過して猫の細道へと進んでいきます。路面には猫の足跡!猫の細道の名前は、セメント舗装仕立ての路面をお構いなしに猫たちが歩き、思いもよらずこんな仕上がりとなったことに由来するそうです。町おこしに動物たちが一役買ったという楽しいエピソードですね。カフェや雑貨のお店も点在するこのエリア。小路をそぞろ歩きしてしまうツンデレな猫たちの気分も少しわかる様な気もしてきそうですね。(笑)坂の町の風景を堪能したところでお昼時を知らせる腹時計が鳴り始めます。(笑)この日お伺いさせて頂いたのは尾道ラーメンのお店「壱番館」さん。先日福山聖さんに御馳走になった尾道ラーメンの味が忘れられず、今回ランチの予定に入れてしまいました。(楽)今回頂いたのは味玉ラーメン。しょうゆベースで少しこってり感のあるスープとコシの効いた麺との相性が抜群で美味しく頂くことができました。腹ごしらえを終え、当初の予定よりだいぶ順調な旅程となっていたこともあり急遽鞆の浦へと足を伸ばしてみることにしてみます。~次回へ続く~
2019.05.15
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昨日のひとコマ。この日は早起きしてナツマリ結の早朝散歩を終えて家族と長崎へやって来ました。楽しみにしているランチに向けてカロリーを消費すべく(笑)、今回も街並みを楽しみながら歩を進めることとしてみました。公会堂前通りから諏訪町へと進んでいくと途中、眼鏡橋が見えてきます。眼鏡橋を始め、この中島川に架かる数多の石橋の佇まいはこの町の歴史の薫りを現在に伝えている様に感じられます。諏訪町を抜けて風頭山麓にあたる寺町へ入ると異国情緒漂う寺院が立ち並ぶ街並みが現れます。今回は興福寺に立ち寄ってみました。こちらは重要文化財にも指定されている本堂にあたる大雄宝殿。興福寺は1624年(寛永元年)に創建された国内最古の黄檗宗の寺院で開基は中国僧の真円とされ、黄檗宗の開祖である隠元隆琦ゆかりの寺院としても知られています。また先程ご紹介しました眼鏡橋は当寺の二代住持である黙子如定により架設されたと言われています。大陸の先進的な技術や文化等をもたらす大きな役割を果たしたこうした中国寺院の存在はその後江戸期に鎖国政策を採っていたこの国の文化にも大きな影響をもたらすこととなっていきます。今回は実に10年ぶりとなるルートを家族で歩いてみました。こちらは寺町から階段道を進み、亀山社中記念館の見学を終えて風頭公園の展望台から望む長崎の町並みと港の風景。坂道コースに脱落者が出ることもなく(笑)、心地よい疲労感を伴いながら登り切ったところで景色を堪能しながら、ここでみんなでひと休みとすることとしました(「気軽にこうした街歩きができるのも犬達との日々の散歩の賜物だったりするのかな?ナツマリ結そしてトラに感謝!」休憩中そんな話題にも花が咲きます)。この展望台には腕組みした龍馬の銅像。その視線の先には長崎の港そしてその先に広がる広大な大海原。大志を抱きながらも志半ばで倒れた龍馬の胸中には「日本を今一度せんたく」した後、どんな日本の国の姿がイメージできていたんでしょうね?風頭山を下り、中華街へと向かう道すがら丸山エリアへと足を伸ばしてみました。こちらは史跡料亭花月。花街丸山を代表する茶屋として幕末から明治にかけて社交場としても賑わいを見せていた場所のひとつです。現在も卓袱料理を堪能できる名店として広く知られるほか、建物や庭園そして古文書が保管される集古館の存在等、その歴史的価値の高さから昭和35年に県の史跡に指定されたことが国内でも珍しいとされる史跡料亭たる所以となっています。中華街でのランチを終えて帰途、諌早のスウィーツのお店ネオクラッシック・クローバーさんへ。こちらでは「長崎石畳ショコラ」や「抹茶ロール」をよく頂いてきましたが、今回は地元雲仙産のじゃがいもをふんだんに使用したじゃがモンブランを注文してみることにしてみました(店内にはイートイン・スペースも併設されています)。クリーム状のじゃがいもの食感が抜群でこちらも個人的にはおすすめの一品である様に思えます。史上空前の10連休も残すところあとわずか。この連休は充実した時間とのんびりとしたひと時を過ごすことができ良き休息を取ることができました。令和元年スタートとなる連休明けの業務に支障をきたすことの無きよう、そろそろ日常への戻り支度を始めなきゃ・・・と思いつつも、休み明けはブルーマンデーな気分がくすぶったりもするのかな?そんなこともふと考えてみたりしてしまいます。(笑)
2019.05.05
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前回の続き。ナツマリ結との初旅行も2日目の朝を迎えました。この日は早朝ナツマリと山道をのんびり散策しながら、一日のスタートを切りました。朝焼けに染まる入り江を一枚。昨日とは打って変わって今日はいい天気になりそうです。散歩から戻り、部屋でお留守番していた結も一緒にドッグランにて朝の庭遊びが始まります。今回の旅で結もずいぶんトラと打ち解けた様子を見せてくれていました。ナツ直伝のドーナツスピンをトラおじさんに披露して見せるちび子。「おじちゃんどう?アタイも上手にできるでしょ!大爺ちゃまに教えてもらったのよ!!」って感じでトラとおしゃべりを楽しんでいる様子の結。しばらくすると実家の母がドッグランへやって来ました。「おーっ、婆ちゃん待ってたぜ!!」って感じで大喜びするナツを先頭に4匹が母のもとへ集まっていきます。いの一番に駆け寄って来て母をしばし独り占めしていたナツにマリそしてトラが続きます。いつもは親子でおバカな意地の張り合いを見せながら母の取り合いを繰り広げるナツとトラですが、この時は不思議なことにお互いに空気を読みながらオトナの対応に努めてくれていた様にも見えました。(楽)こちらはチェックアウト前のひとコマ。最後の庭遊びに興じるナツマリのもとへマルティームさんがおもちゃを片手にやって来て下さりました。(嬉)柴ワンコの格好をしたこのおもちゃ。しゃべりかけるとその言葉を真似して動き出す楽しいぬいぐるみでした。そんなおもちゃにいち早く反応したのは、やはりナツ。好奇心が旺盛で楽しいことが大好きな坊はフェンス越しに、「それなんだ?ちょっとオレに貸してくれよ!」といった面持ちをマリティームさんへ見せています。与えてしまったら最後!一気にジャイアン・モードにスイッチが切り替わって何でも自分のものにしてしまうのでご用心!といった趣旨の御話をさせて頂き、一旦事なきを得ましたが、事もあろうか家族がこのぬいぐるみのおもちゃを手にして程なくしたところで、あっさりナツに奪われてしまう事態に・・・。何処に行ってもやっぱりナツはナツ、そんなことも改めて認識させられた旅でもありました。(笑)こちらは朝食のひとコマ。昨夜と同じテーブル席をご用意頂き、この日の朝食もまた絵になる素敵な景色を楽しみながらのひとときを過ごすことができました。(感)朝食にも旬な食材がふんだんに使われていて、どのメニューもホントに美味しいと思えるものでした。またこちらのパンは香ばしさの中にももちもちとした食感が堪らない一品でした。こちらは朝食後に撮らせて頂いた一枚。あちらこちらで柴を始めとするワンコグッズにも目が止まり、滞在中思わずこうしてカメラに収めさせていただくことも多々あったりと、御宿の遊び心にこちらも思わず楽しい気分にさせられてしまう、そんなひとときでもありました。またフロント手前のスペースにはこれまでここを訪れた方々が愛犬達と幸せそうな表情を浮かべた写真がびっしりと貼ってありました。美味しい食事と素晴らしいロケーション、そして愛犬同伴でも快適に余暇のひとときを満喫できる場所。マリティームさんはそんな素敵なオーベルジュである様な気がします。今回の滞在ではナツマリトラから結までマリティームさんには本当にお世話になりました。こちらで過ごさせて頂いたひと時もまた、最後に撮って頂いた家族の集合写真とともに我が家の楽しい思い出としたいと思います。(感)マリティームさんを後にして、旅2日目も実家の家族が立てた旅行プランに従ってクルマを走らせていきます。窓から顔を出したトラを一枚。「今回のマリティームさんでの滞在も大満足だったみたいだねトラ!誘ってくれてありがとね!!」この日は海沿いの景色を楽しみながらの旅となりました。こちらはお昼前に立ち寄った小浜温泉。初めての海の景色と硫黄の匂いに触れたナツマリ。どうだったかな??トラ王子はこちらで足湯を堪能していました。(楽)長崎に別れを告げて佐賀県太良町にある大魚神社にやって来ました。こちらは潮の満ち引きによって海中の鳥居がいろんな姿を見せる様が神秘的である場所です。この時はちょうど干潮時で鳥居をくぐって参拝する方の姿も見られました。こちらはこの旅で最後に訪れた佐賀市東与賀町にある干潟よか公園から望む有明海の風景。夕映えしながら静かに広がる海とその先に佇む普賢岳の景色は得も言われぬものがある様に思えます。そんな素敵な景色をしばし堪能した後、この公園から海沿いに果てしない程に西へと伸びるコースをこの日の夕方の散歩道とすることとしました。この日はひたすらクルマの中でお留守番状態だった結。次回旅する機会がやってくる頃には家族水入らずの時間をもっと満喫できる様にもなってる筈ですね。(楽)この旅最後の一枚はナツトラ親子のツーショット。おバカな親子の意地の張り合いもすっかりファミリーの風物詩のひとつとして定着した感もあるこの頃。今回もそんな二匹の掛け合いを始め、新しい家族となった結を含めて何かと世話を焼くマリの姿など見守るこちらもそうした光景に大笑いしたり、慌ててお灸を据えたりと、犬笑う一年の締めくくりとして、楽しいエピソードがたくさん詰まった良き旅ができたと思います。(楽)
2018.12.26
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昨日の続き。自宅をお昼に出発し、ナツマリトラそして結との旅がスタートしました。向かうは長崎は諌早市。道中はあいにくのまとまった雨。予定していたドッグラン併設のパーキングでのナツマリトラの休憩は取りやめてのんびり長崎道を西へ向かってクルマを走らせていきました。その後、大村湾PAを過ぎたあたりで雨も上がりましたが、途中夕方の散歩をかねた海沿いの散策も中止してそのまま今回お世話になる御宿にチェックインすることとしました。初めてのナツマリそして結との旅でお世話になったのは諌早市森山町にあるマリティームさんでした。こちらはペットとの宿泊ができ、一日3組限定のオーベルジュとなっています。昨年もトラがお世話になり、マリティームさんをすっかり気に入ってしまった実家の家族の中で「今年はナツマリも一緒に!」といった話が盛り上がってくれたことで今回私たちもお伺いする機会を頂くこととなりました。(楽)庭には広々としたドッグラン!ファミリーきってのスプリンターでもあるトラやマリにはきっと堪らないスペースなのでは??そんな楽しい期待が早くも膨らみます。ドッグランに併設されたデッキからは橘湾そしてその先に続く天草灘を望むことができ、素敵な眺めとなっています。今回ナツマリ結と宿泊させて頂いたのは離れの3号館でした。檜材をふんだんに使い仕上げられた室内は木のぬくもりが感じられ、天井窓から柔らかな陽が注ぎ込むゆったりとしたリビングはワンコ達と時間を忘れてついついのんびりしてしまいそうになる程、リラックスできる空間となっている気がします。こちらはテラス。ここからも遠くに海を望むことができました。荷物を部屋へ下ろし片付けも完了したところで、早速ナツマリ結を連れてドッグランへ向かいます。今回の旅では、このドッグランと宿泊させて頂いている部屋のみが幼い結の自由行動スペースとなりました。そんな結も初めての場所だけに多少緊張するかな?と思ってみていましたが、ゲージから飛び出すと超ハイテンションで普段通りにナツマリに甘え始めました。(楽)その後、トラも輪に加わり4匹で賑やかな庭遊びが始まります。しばらくすると、予想通りマリとトラの遊びのギアが上がり始めました。当初は目にも止まらぬスピードで追いかけっこをしたりプロレスごっこを繰り広げる2匹に唖然とした表情を見せていた結。ただしばらくすると、徐々に一定の間合いを保ちながら、冷静にその動きを興味深げに目で追い続けるちび子の姿が何とも印象的でした。こうしたトコも含めてやはり結はマリにもよく似ている様な気がします。(楽)一方のマリトラ親子も久々の家族水入らずの時間をホントに満喫してくれているみたいでした。ワンコ達の充実した表情から今回もまたいろんなことを教えられている様な気がしてきます。(楽)結も部屋に戻り、ナツマリの夕方の散歩も終了し、すっかりお腹も減ってきたところで楽しみにしていた夕食のひとときがやって来ました。マリティームさんのディナーは地元の食材をふんだんに使った創作和洋会席でした。素材と鮮度を活かし、その味付けとのバランスもまた素晴らしく、一品一品が噂に違わぬ美味しさでした。楽しい夕飯のひとときもあっという間に終了し、部屋へと戻ります。妻が先日3匹へのクリスマスプレゼントとして買っておいたベットをこの旅で3匹に与えてみることとしました。旅の疲れもあるんでしょうね?早速、ベットに入りまったりをきめ込んでいたナツマリ。この日は最初、ナツが結の傍にどっかりと腰を下ろしていましたが、しばらくすると普段通りマリが結の傍で寝息を立て始めます。3匹揃っての初めての旅。道中の心配もありましたが、なんとか無事に初日の夜が更けていきます。(安)快適なお部屋にすっかり馴染んだ様子でリラックスする3匹を一枚!家族揃っての初めての旅がナツマリ結にとっても楽しいものになるといいな・・・。そして3匹が大した粗相もなくチェックアウトまで過ごしてくれるといいんだけど・・・。どうかな??次回へ続く。
2018.12.24
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前回の続き。湯ノ湖から白根山を下り、再び日光市街へと戻って来ました。大人の社会見学を終えて本日の宿泊先となったはなぶささんへと到着します。はなぶささんはフロントとレストランが入る本館と各客室が離れになった一日5組限定のオーベルジュとなっています。今回、利用させて頂いた客室は「蔵」。内装から家具に至るまで古民家なコンセプトの中にもモダンさを取り入れた素敵な雰囲気のお部屋でした。こちらは敷地の最奥にあり、露天風呂が併設されたデッキでは隣接して流れを為す鳴沢川のせせらぎが心地よく響いていました。すっかり日も暮れて楽しみにしていた夕食の時間がやって来ます。こちらは赤ワインソースとの相性も抜群だったみかわ牛のグリエ。シェフの下元さんが腕を振るう創作料理の品々は見た目の美しさからその味に至るまでこだわりを感じさせるもので、アミューズとして頂いた雲丹のグラティネからデザートまで総てが素晴らしい逸品でした。(感!!)こちらは翌朝の一枚。朝の空気を吸ってみようを窓を全開したその時、デッキの下から一斉に沢へ向かって小さな鳥たちが猛ダッシュで駆けだして行きます。(驚)背中や羽の模様からキジかな?と思って眺めていましたが、何の鳥だったかはいまいち定かではありません。(楽)今回、はなぶささんでの素敵な時間を通して、日常とそして旅の疲れを癒すことができました。また機会に恵まれることがあれば是非足を運んでみたい! はなぶささんはそう思える素敵なオーベルジュでした。旅も最終日となったこの日、はなぶささんを発って向かったのは石の里、大谷。この地で採れる大谷石は比較的加工が容易で軽量である特徴を活かして、防火壁や門柱等の住宅資材として利用されたり、耐火性・蓄熱性があることから石窯やピザ焼窯の構造材としても身近に利用されています。この辺りには大谷石の岩肌が切り立つ奇岩群が存在し、大谷景観公園として国の名勝にも指定されています。そうした中、操業を終えた採掘場後の一部が現在、観光学習施設である大谷資料館として開放されています。長く続く階段を下り、中へと進んでいくと眼前に広大な空間が広がります。その広さは実に約2万平方メートル。坑内の温度は年間を通して然程大きな変化もなく平均気温は8℃前後。そんな巨大な冷蔵庫と化した環境を利用してワインや日本酒の貯蔵や熟成場所としての活用もされているそうです。それにしてもこのスケールはホントに圧巻です。地底宮殿とも見紛うほどのものがありますね。こうした非日常的で幻想的な空間を利用してこの場所は数多くの映画やドラマ、CMそしてPV撮影の地として活用されています。またメディアによる紹介に加え、最近はこの場所の素晴らしさがSNS等を中心としたネット上の情報として拡散されたことにより、国内外からも多くの観光客が訪れる場所となった様です。その地域の潜在的な価値の掘り起こしを通して町の魅力を高めていくことも地域の活性化には必要不可欠なファクターの一つである、そんなことを再認識させられた様な気がした今回の訪問となりました。大谷を後にして、都心を抜けて川崎方面へと向かいます。ICを下りてやって来たのは川崎駅前のウェアハウス川崎さん。扉をくぐると怪しげな雰囲気の世界が広がります。ここは在りし日の九龍城をモチーフにしたアミューズメントパークです。18歳未満は入場不可となっており大人の遊び場といった雰囲気を感じる一方で、日中ということもあってか、この日は思った以上に年配の方の姿も多く見られました。建物内はゲームセンター、ビリヤード、ダーツが楽しめるスペースがあり、最上階はネットカフェスペースとなっています。トイレも凝っています。(楽)無造作に壁に貼られた怪しげな広告が猥雑な雰囲気を醸し出していました。(笑)かつて中国での内戦の影響で多くの流民が香港の地へと逃れ、やがてそうした人々のエネルギーを吸い込んで最初は小さなスラムに過ぎなかった一角が肥大化し、九龍城が形成されていったんでしょうね。2階や3階の吹き抜けから眺める景色は、ここで生活するそうした人々の息遣いまでもが聞こえてきそうな程、その街並みもリアルに再現されていました。ひと通りの見学を終えて、出口へ。非日常空間の境界を越えて扉の向こうの日常へと戻る瞬間がやって来ました。今回も大人の社会見学をのんびりと満喫しつつ、束の間の骨休めも叶った楽しい旅となりました。
2018.12.20
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今回も先日訪れた日光の旅の模様をお届けします。程よく歩きお腹も減ってきたところで昼食とすることにしました。この日お伺いさせて頂いたのは中善寺金谷ホテルさん。こちらも湖畔沿いの絶好のロケーションを誇るホテルです。このホテルの中にあるレストラン「みずなら」さんにてランチを頂くこととしました。注文させて頂いたのは百年ライスカレー。このカレーもまた昔のレシピを忠実に再現しお客様に伝統の味を楽しんで頂くべく復活した一品ということで、今回こちらでの昼食を楽しみにしていました。口に入れた瞬間の感想は甘口カレーといった感触なんですが、徐々に程よい酸味と辛味が広がっていき、実に味わい深い伝統の逸品と言っても過言ではないホントに美味しいカレーでした。(感)みずならさんでの昼食は湖畔の自然豊かな風景を眺めながら、コンビネーション・サラダからデザートまで美味しく頂くことができ、大満足の楽しいひとときとなりました。昼食を終え、竜頭の滝へと足を伸ばしてみました。かつて男体山が噴火した際に流れ出た溶岩の上を高さ210mにわたって勢いよく落ちる滝が滝つぼ近くで分岐する様が竜の頭に似ていることがその名の由来と言われています。この辺りまで来るとこの時期はさすがに色づいた木々を愛でることは叶いませんでしたが、この場所もまた奥日光の雄大な自然美を満喫できるスポットの一つと言える様な気がします。奥日光の自然を楽しむ旅へと更にクルマを走らせていきます。急峻な山道を抜けたかと思うと一気に視界が開け、広大な湿原が現れます。ここは戦場ヶ原。一説によると、太古の昔、下野国の二荒神と上野国の赤城神が中禅寺湖を巡って対立し、それぞれが大蛇と大ムカデに姿を変えてこの湿原で戦ったことにこの地名の由来があるとされています。また日光の地名の由来についてもこの戦いに勝利した二荒によるとする説もあります(こちらの説によると、弘法大師[空海]が二荒山(男体山)に登った際に二荒(ふたら)を日光(にこう)と音読し良き漢字をあてたことに由ると言われています)。また本州最大の高層湿原地帯であるこの場所には水鳥を中心とした多くの鳥類が存在する他、実に100種以上にのぼる多様な植物相が形成されていると言われています。私達が目にする雄大な自然の美しさは私達の想像を超えた地球の歴史やそこに息づいてきた様々な生物の営み等の積み重ねによって形成されているんでしょうね。更に奥へとクルマを走らせて湯滝へとやって来ました。こちらも竜頭の滝同様、観瀑台から眺める滝の流れは圧巻でした。こちらは湯ノ湖。湯滝はこの湖から生まれ、滝で勢いを得たその流れは戦場ヶ原を流れる湯川となり竜頭の滝を経由して中禅寺湖へと注いでいます。湯滝へと向かう途中には鮎の塩焼きを供するお店から香ばしい匂いが漂っていました。日本人のみならず、たくさんの海外の方が観瀑台にてこの雄大な景色を堪能しつつ、塩焼きを頬張る姿が見られました。美味しいものには目がなくなるのは古今東西、変わらないものなのでしょうね。(楽)そんな私たちもまた食欲をそそる香ばしい匂いに後ろ髪を引かれつつ、白根山を下り、再び日光市街へとクルマを走らせていきます。
2018.12.19
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前回に続き、今回も先日訪れた日光の旅の模様をお届けしたいと思います。金谷ホテルを発ってこの日は日光田母沢御用邸記念公園へと足を運びました。田母沢御用邸は明治期に嘉仁親王(後の大正天皇)の静養所として造営され、戦後の昭和22年に廃止されるまで、三代にわたり天皇・皇太子が利用した施設です。明治32年に創設された田母沢御用邸は、この地にあった小林家の別邸に赤坂離宮より建物の一部を移築し、その後様々な増改築を経て大正10年に現在の広大な姿となったと言われています。その部屋数はなんと106室!皇室の方々の滞在時の大所帯を収容するためにはやはりそれだけの規模が必要だったんでしょうね。そして建物全体を俯瞰すると増改築を経た歴史を物語る様に江戸、明治、大正期の建築技術や様式を見ることができます。御用邸を後にして、いろは坂を登り中禅寺湖へとクルマを走らせていきます。こちらは展望台からの眺め。予報とは裏腹に午前中は良き散策日和となりました。中禅寺湖へと到着し、英国大使館とイタリア大使館別荘記念公園へと足を運んでみることとします。こちらは英国大使館別荘記念公園。園内の建物は明治期にアーネスト・サトウの別荘として建てられたものが後に英国大使館別荘として近年まで使用されていたものです。イタリア大使館別荘記念公園同様、こちらも湖畔の立地を最大限に活かし、1階と2階の開口部は湖面に向かって開放的な広縁スペースとなっています。ここから望む中禅寺湖と奥日光の山々の景色はホントに絵になります。こちらの桟橋はかつてのボートハウス跡。表情豊かな奥日光の自然に包まれながら、古くより多くの人々がこの場所で至福の時を過ごしてきたんでしょうね。こちらはイタリア大使館別荘記念公園。杉皮や杮板仕上げの特徴的な外観が目を引く建物です。訪れたこの時期はちょうどそんな杉皮や杮板仕様の外壁や外部建具の改修工事の真っ只中でした。こちらは中禅寺湖を望む広縁スペース。内観もまた避暑地の別荘といった雰囲気を感じさせる素敵なものとなっています。前回触れさせて頂きました金谷ホテル創業時の逸話にも関連した内容ですが、日光の美しさに魅了された海外の方もまた数知れず、明治中期から昭和初期にかけてこの中禅寺湖畔には各国の大使館を始めたくさんの海外の方の別荘が建てられたと言われています。今回立ち寄らせて頂いたこの2つの記念公園はこのエリアが明治期以降、国際避暑地として発展していった歴史や当時の文化についての香りを今に伝える施設となっていると思います。次回は日光紀行その2をお届けしてまいります。
2018.12.18
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今回は先日訪れた日光の旅の模様をお届けしたいと思います。この日は夕方日光へと到着し、そのままホテルへチェックインしました。この日お世話になったのは日光金谷ホテルさん。その歴史は明治の創業から140年余を数え、我が国最古のリゾートクラシックホテルとして登録有形文化財、そして近代化産業遺産に認定されています。大谷石が組まれた重厚感漂う玄関の回転扉をくぐると、館内には何処とない懐かしさを感じさせる和洋折衷の建築様式の空間が広がります。こちらはフロント(写真上)とダイニング(写真下)。館内を進むにつれ、古き良き時代へとタイムスリップしたかの様な感覚に包まれていきます。クラシックな調度品や照明設備から彫刻や天井絵画などの内装に至るまで館内もまた随所で文化的価値の高さを窺い知ることができます。葵紋のランプや想像の象など館内には創業者である金谷善一郎と幕府や東照宮との所縁の深さを物語る足跡を数多く目にすることができます。こちらもそんな所縁の深さを窺わせる眠り猫。クリスマスシーズンの到来を控え、眠り猫もサンタの格好で私達をお出迎えしてくれていました。(楽)本館2階の廊下にはこのホテルの歴史を物語る写真や資料が展示されています。またこちらはこうした展示内容を通して、明治期以降の日光の歩みを窺い知ることもできる様な興味深いスペースともなっている気もします。こちらは本館1階にあるバー「デイサイト」。真空管アンプから流れるジャズの音色がノスタルジックな雰囲気を醸し出していました。こちらは夕食時の一枚。今回はクラシック・ディナーを頂きました。今から100年ほど前にこのホテルで提供されていたメニューの中から選ばれたコースでレシピも当時のものを忠実に再現したものなのだそうです。写真は日光虹鱒のソテー金谷風。地元の食材も多く取り入れられ、日常ではなかなか食する機会もない洗練された味に舌鼓を打ちながらの楽しい夕食となりました。今回滞在させて頂いたのは別館でした。こちらは昭和10年築の木造3階建の歴史を感じさせる建物です。建物本体も本館同様、耐震補強が行われ室内も昭和初期のレトロ感を残しつつ、時代の変遷に合わせた空間づくりの工夫が随所に感じられ、私達も快適にのんびりと余暇のひとときを過ごすことができました。部屋からの一枚。日光の四季を感じながら、渓流のせせらぎまでもが耳に届きそうな絵になる景色が広がります。朝食前にひんやりとした空気の中、落ち葉の絨毯の感触を楽しみつつ、大谷川沿いの散策路を歩いてみました。奥日光では紅葉の時期も終わっているとの話を聞いていましたが、この辺りではまだ所々で色づいた木々の美しさを愛でることができました。この散策路からは神橋を望むこともできます。こちらはチェックアウト後に撮った一枚。明治初期に一人の外国人が日光を訪れます。鎖国も解かれまだ間もないこの時期、ここ日光でも外国人が宿泊できる施設はなく、彼は途方にくれます。そんな中、その外国人を東照宮の楽師であった金谷善一郎氏が自宅に招き入れたことが金谷ホテルの原点となっていきます。日光の美しさに魅了された彼はこれからこの地に数多くの外国人旅行客がやって来ることを予見し金谷に外国人も泊まれる民宿の立ち上げを提案したとされています。ちなみにその一人の外国人とは教育者そして医師など様々な見識の立場から明治期にこの国の近代化に影響を与えたとされるヘボン博士だったと言われています。(驚)その後、明治後期から昭和初期にかけて観光地としての日光のインフラが充実していく中で、金谷ホテルも、国内外からの貴賓客の増加に伴いサービスや施設の整備も進み、大きな発展の時期を迎えていくに至ります。ホテルニューグランドに滞在させて頂いた折にも感じたことでもあるますが、時に新たな時代の息吹を感じ取りながら、その国や地域に根ざし、人々に必要とされる存在であろうとする不断の努力の積み重ねの中にいつしか歴史や伝統といったものが醸成されていく様な気もします。次回は日光紀行の模様をお届けしたいと思います。
2018.12.17
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全国展を前日に控えたこの日、朝一の飛行機に乗って私達も関東へとやって来ました。日中の所用を終えて、ホテルにチェックインした後、今日は妻のリクエストに応じて埼玉の飯能市にて今月9日に部分オープンしたテーマパーク「メッツアビレッジ」へと足を伸ばしてみました。メッツアビレッジは日本でもお馴染みのムーミンを核にレストランから物販そして体験型施設に至るまで北欧のライフスタイルをコンセプトにしたテーマパークです。その中で来年3月のオープンするムーミン・バレーパークを除いたエリアが今回のオープンでお披露目となりました。森の中を歩くような感覚に包まれるエントランスロードを抜けると眼前には宮沢湖が広がり、その湖畔に沿って完成したばかりのマーケット棟やレストラン棟が建ち並んでいます。反対側のルートにはカフェや雑貨そしてワークスショップスペースが入った北欧テイストたっぷりの三角屋根のテナントが軒を連ねています。場所場所で時間の流れ方もホントに変わるものですね。到着したのは夕方でしたが、湖を望むイベント広場には思い思いに黄昏のひと時を楽しむ人々の姿もありました。海外へと足を運んでみて感じたことでもありますが、日々時間に追われがちな私たち日本人の間にも多少こうした時間の流れを楽しむ感覚や文化が芽生えてもいいのかなとも思えます。こちらのテーマパークは愛犬の同伴もOK!この日も小型犬から大型犬までいろんなワンコ達が散歩を楽しんでいました。夕暮れ時の湖を一枚。夕食を済ませて再び湖畔を歩き出した頃には日も落ちて外はすっかり別世界の様相。野外レストランスペースにて一枚。今年もクリスマスへ向かってイルミネーションが街の景色に一層映える季節になりましたね。間もなくこの湖畔にムーミン一家がやって来ます。機会に恵まれることがあれば、またのんびりと足を伸ばしてみたいと思います。明日はいよいよ全国展!良き展覧会日和になるといいな・・・。
2018.11.16
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日中のひとコマ。今日も朝からドタバタ感満載の一日でした。大牟田でのお昼の所要を終えて午後からの所要先の八女方面へクルマを走らせていきます。相も変わらず暑い日がホントによく続きますね。福岡南部地方はこの日も日中はクルマの温度計も外は30℃後半を指す程の暑さ。私にとっては、まだまだ遠い夏休み。業種によっては、欧州並みの夏季休暇を取れる様な休暇取得の仕組みが今後、国内の企業の中にも出てきてもいいのかもしれないとも、思えてきます。今日は途中、昼食にみやま市にある大力うどんさんにお伺いしました。お昼時を過ぎてはいましたが、この日も大入り状態の店内。大力うどんは、味はもちろん、メニューも豊富で、価格もすごく良心的な古くより地元の人々を中心に親しまれてきたお店です。今回はボリューム満点の大力うどんを頂くこととしました。えび天に肉そして山かけまで豊富な具材ともちもち感のある麺と出汁の相性もバッチリな一品だと思います。このうどんを食べると、且つて家族でお伺いした際に、このボリュームをペロリと完食した当時80代後半の祖母の姿に私たち家族もビックリ仰天したエピソードが、今でも懐かしく思い出されます。今回も、美味しく最後まで頂くことができ、大満足のお昼のひと時となりました。こちらは夕方の散歩風景。夕方の散歩時にご近所さんと世間話しているところにロードワーク中のトラがやって来ました。ナツマリそしてモモカの姿を見つけてテンションもすっかり上がっています。加えて話に花が咲くご近所さんの楽し気な雰囲気に誘われる様に超ニコ顔での登場となったトラ坊。(楽)ナツといつもの如くおバカな親子の張り合いを演じた後、マリとモモカに挨拶を交わしご近所さんの呼びかけにニコ顔で応えながら、先を急ぐ実家の父の先導でコースへと再び駆け出していきます。次第に小さくなっていくトラの背中を見送った後、私達もご近所さんに別れを告げて再びコースを進んでいきます。「大爺ちゃま、どーしていつもトラおじちゃんとケンカしちゃうの?」「モモカ、爺ちゃんはな、ワルくないんだぞ」「あらナツ、何言ってんのよ!アンタもトラもまだ青いのよ。二匹合わせて一匹前!?ってことなのよ!(笑)」和やかに歩を進める3匹からはそんな会話が聞こえてきそうです。(笑)この暑さのため、この時間の散歩コースはここのところ閑散としていることが多い日が続いていましたが、今日は三々五々、ワンコと一緒に散歩を楽しむ方の姿も見受けられました。遠くのコースには久しぶりにチャコちゃんの姿も見えます。そう言えば、気象庁の統計に基づく全国各地の7月の気温データが発表されていました。九州では久留米が一日の最高気温の平均値(34.5℃)、及び一日平均気温の平均値(29.4℃)でともに全国5位となる暑さを記録していました。ちなみに一日の最高気温の平均値では岐阜県多治見が35.3℃でトップ、それに続いたのが京都府京都の35.0℃、また一日平均気温の平均値では京都府京都が29.8℃でトップ、それに続いたのが岐阜県岐阜の29.6℃となっていました。反対に一日の最低気温の平均値では沖縄県石垣島の27.1℃をトップに沖縄の島々が主に上位に名を連ねる結果となっていました。こうしたデータは私達がこれまで抱いていた夏の酷暑に見舞われ易い場所に対するイメージが大きく塗り替えらえていくことを示す結果にも繋がって行く様な気もします。西日本豪雨に梅雨明けの高温続きの日々。7月のこうした天候について、気象庁は異常気象だったとの認識を示しているとのことです。異常気象であったということは確率的に来年以降は平年並みの天候となる見込みであることを意味しているとも取れますね。また、地球上のいろんな場所で発生する異常気象については、各国が権益を超えた立場において、国際レベルでその因果関係の解明と採るべき方策の確定を急ぐべき時期に来ている様な気もします。兎にも角にもこうした天候が常態化しないことを願うばかりです。予報によるとこの土日も福岡南部地方の天気は概ね晴れ。まだまだ猛暑日をうかがう日が続く模様です。子供さんたちも夏休み真っ只中のこの時期、行楽地へのお出掛けを予定されていらっしゃるご家族の方も多いのでは?と思います。皆様、暑さ対策も万全に、良き週末をお過ごしください。
2018.08.03
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今回も前回に続き、大江戸散策紀行をお届けしていきたいと思います。神宮外苑へとやって来ました。新国立競技場の建設も進んでいます。ついこの間、東京でのオリンピック開催が決まったと思っていましたが、早いもので2020年も再来年に迫ってきました。東京、そしてこの国はどんな2020年を迎えているんでしょうね。聖徳記念絵画館へとやって来ました。当時の建築技術の粋が注がれた建物は「直線的意匠と先駆的技術を採用した我が国初期の美術館建築」と評され2011年に国の重要文化財にも指定されています。汗だくになった体をクールダウンしながら、のんびりと館内の見学をさせて頂くこととしました。館内には幕末から明治期までの明治天皇の事績を描いた絵画が展示されていて、その芸術的価値はもとより絵画に付された補足とともに歴史的そして文化的価値が高い展示内容であると言えると思います。絵画館の見学を終えて正面玄関より一枚。聖徳記念絵画館の周辺には国立競技場のみならず、スポーツ関連施設が集積しています。絵画館の南側には6面ものスペースを有する軟式野球場が広がっていて平日の日中でもゲームを楽しむ人々で賑わいを見せています。絵画館から軟式野球場西側に併設されたバッティングセンターや室内球技場を抜けて青山方面へと進んでいくと途中、神宮球場が見えてきます。こちらも平日の昼下がりにも関わらず、球場周辺には開門待ちの長蛇の列ができていました。現在、ペナントレースは交流戦真っ只中。こちらも大きな盛り上がりを見せている様ですね。ユニホーム姿のこんな柴ワンコ達も居ました。(楽)雰囲気のあるオープンカフェが立ち並ぶ神宮外苑銀杏並木を通って青山通りへと向かいます。こちらは今回の散策紀行最後の一枚。青山通りから外苑軟式野球場に向かって真っ直ぐに伸びる並木道を撮ってみました。樹齢100年を超えるこの銀杏で形づくられたこの並木道は大正12年に整備され、そうした長い歴史の中で育まれてきた四季折々の風情が現在もなお多くの人々をこの場所へと誘い続けています。東京滞在2日目となったこの日は久々に完全オフの一日をのんびり散策で楽しむことができました。次回も機会に恵まれれば、遠い昔に空想を膨らませながら、大江戸散策を楽しんでみたいと思います。
2018.06.12
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今回は先日よりお届けしております大江戸散策紀行の続きをお送りしたいと思います。浅草蔵前から深川エリアへとやって来ました。こちらは最初に立ち寄った清澄庭園。清澄庭園は都の名勝にも指定されている回遊式林泉庭園です。この場所には江戸期の豪商紀伊国屋文左衛門の屋敷があったと言われています。その後享保年間に下総関宿藩主であった久世氏の屋敷となり庭園が築かれていったと考えられている様です。そして明治期に入り荒廃したこの場所を三菱創業者である岩崎弥太郎が購入し、大掛かりな整備を施し、現在の庭園の体を為すに至ります。弥太郎はここを要人の迎賓や社員の保養の場所として活用していきます。その後、大正期に三菱三代目社長であった岩崎久弥により敷地の東側半分が公園として当時の東京市へ寄贈され、残り西側半分を清澄庭園として開園することとなります。清澄庭園は昭和に入り、東京都が購入し管理運営を行い現在に至っています。庭園に入るとちょうど新郎新婦の記念撮影が行われていました。こうした光景もまた絵になりますね。小島に架かる橋を一枚。随所に奥ゆかしさや風情がそこはかとなく感じられる様な庭園でした。外は日が高くなるにつれて雲一つない青空に。木々の緑も次第にその眩しさを増していきます。池の傍に咲く紫陽花も一層花映えして見えます。岩の上では甲羅干しする亀の姿がよく見られました。隣の岩から様子を覗き込んでも相も変わらず、この通り。完全リラックスモードの亀。手足もだらんと伸ばしたまま、警戒感ゼロって感じです。(笑)私が住む田舎町の亀たちは目が合うと我先に水の中へダイブするんですが、こちらの亀たちはすごく人慣れしているんでしょうね。前日とは打って変わって、この日は日中の気温もグングン上昇し、日なたを歩くと汗だくになるほどの陽気に恵まれました。木陰でちょっと一服。モスグリーンの絨毯がひんやり感を一層演出していました。清澄庭園の見学を終えると時刻はお昼時。朝からの散策でちょうどお腹も減ってきたこともあり、昼食タイムとすることとします。今回は深川めしのお店、深川宿(ふかがわじゅく)さんにて昼食を頂くこととしました。こじんまりとした店内は深川の町の歩みを今に伝える内装が施されていて素敵な雰囲気を醸し出しています。現在の様に埋め立てが進む前の深川は魚介類の豊富な漁場だった様です。ここでは特に良質のアサリもたくさん採れていたそうです。そうした海幸をふんだんに使って生まれた大衆の味が深川めしということの様です。深川めしとして漁師の日常食として定着していたのが、ネギとアサリを味噌煮込みしたものをご飯にぶっかけるタイプのものでした。また大工などの職人さんたちの弁当として生まれたアサリの炊き込みタイプのご飯もまた深川めしとして人々の間に浸透していったといった趣旨の御話をお店の方よりお伺いさせて頂きました。今回は折角なので、ぶっかけと炊き込みの2種類の深川めしを堪能すべく、「辰巳好み」を頂くことにしました。関東味噌と信州味噌の合わせ味噌をベースにしたぶっかけも、そして出汁が程よく効いた炊き込みも共にまろやかな風味を伴ったもので、いずれも素材の美味しさを損なわない様なバランスの良い味わいを堪能できる一品だと感じました。こちらは食後のデザートとなっている葛切りと羊羹。食前はボリュームのあるランチかな?と思っていましたが、美味しさも相俟ってか一品一品を堪能しながらもあっという間に頂いてしまいました。(笑)会計時にはお店の方に気さくに御話も頂き、楽しい昼食のひと時となりました。(感)昼食を済ませて、深川宿さんの目の前にある深川江戸資料館に立ち寄ってみました。この資料館では江戸期を中心にこの町の歴史に関する資料が展示されています。入口を入るとこの町にもゆかりが深い人物の紹介コーナーが設置されています。ここを抜けるとこの施設のメイン・ゾーンともいうべき江戸期の深川佐賀町を再現した展示スペースが広がっています。ここでは往時の庶民の暮らしが再現され、照明や音響によって1日の町のサイクルが演出されていました。建物入口の右側には昭和の大横綱大鵬の顕彰コーナーが設置されていました。国民栄誉賞を受けている大鵬。江東区に住み、名誉区民第一号となっていることにも因んで設けられたものなのかもしれないですね。このコーナーでは彼の輝かしい数々の足跡が展示されていました。展示されていた彼の言葉をご紹介させて頂きたいと思います。「心」の上に「刃」を載せて生きていく。必死に生きてきた私の人生をこの一文字が表している。「夢」は、忍び続けた人生の末に訪れるかどうか。 そうじゃないかねえ。 第48代横綱 大鵬 幸喜人生は真剣勝負。武士道精神の境地に何処か通ずる哲学が込められた言葉であるように感じられる節もあります。そこには勝負といえども他者へのこだわりではなく、自己研鑽による修練の積み重ねの肝要さが説かれている様にも思えます。我が身を顧みれば、まだまだ至らぬところだらけです。(笑)転じて、人生における夢は果てしなし、といった境地がこの言葉の先には続いているのかもしれないですね。近年、カフェの町としても脚光を浴び始めた深川エリア。時間の関係上、今回は残念ながら、足を延ばすことは叶いませんでしたが、深川宿さんよりお勧めのお店もお教え頂いたりと、また次回の楽しみも出来たような気がする下町散策となりました。深川エリアに別れを告げ、神宮外苑エリアへと向かいます。次回へ続く。
2018.06.11
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昨日の続き。御茶ノ水から浅草蔵前へとやって来ました。蔵前の地名の由来は江戸期に遡ります。幕府の直轄領地から送られてくる米を収納する米蔵がこの辺りにあったことに由来しています。ちなみに当時この辺りには67棟もの蔵が存在し、約62万5千俵(37,500t)もの米を備蓄することができたそうです。このエリアの整備は元和元年に行われ、その内容も鳥越の丘陵地帯を切土したその土砂で隅田河岸を整地するといった大がかりな工事だった様です。こちらは藏前神社。大通りから入った閑静な住宅街に佇む神社です。勧進大相撲発祥の地としても知られる藏前神社。境内ではかつてこの地で行われていた力持の技芸の奉納の様子を描いた錦絵を楽しむことができます。文化後期より流行した素人の力持は、江戸庶民の文化として当時深く浸透していた様です。こうした奉納力持が開催されたこの場所は深川八幡、回向院とともに勧進大相撲の三大拠点として当時賑わいを見せていたと言われています。こちらには落語の演目のひとつにもなっている元犬の像もあります。元犬は「白犬は人間に近い存在」といった俗説を基にした御話です。「白犬は信心すれば来世には人間に生まれ変わる」そんな話を近所の人間から聞いた白犬が藏前の八幡様(目黒不動とする場合もある)へお百度参りを始めます。毎度毎度「できれば今生の間に人間になりたい」と願い続け満願の日を迎えた白犬。果たして願いが叶い、人間となり「四郎」という名で奉公に出ることとなります。奉公先でついつい出てしまう犬の習性による失敗談が噺を彩る楽しい落語となっています。こんな時私の頭に浮かぶのは、やっぱり・・・。そう言えば、ファミリーの方から「ナツって何だか、ぬいぐるみを被った人間みたいに見える時がある」といった様な御話を頂いたことがありました。確かにこんなキャラの男がいたら楽しいかも!?来世もお手柔らかに頼むよ、ナツ。(笑)蔵前を後にして隅田川沿いを散策してみました。昨日の雨天から一転、すっかり天気も回復し、いい散策日和になりました。河岸を縁取る様に整備された隅田川テラスの散策を浅草方面へ向かってスタートします。風情漂う下町の風景とウォーターフロント開発が進んでビルの森化した光景が河川の両袖には広がっています。川面では河岸に停泊する屋形船や穏やかに河川の中央を往来する水上バスが目に留まります。こちらは駒形橋の袂に位置する駒形堂。この辺りはかつての船着き場となっており、対岸から船で浅草寺へと参詣にやって来た人々はこの駒形堂にお参りした後、観音堂へと向かっていました。渡しや船宿が軒を連ねた町並みは当時、大層な賑わいを見せていたんでしょうね。駒形橋からスカイツリーを撮ってみました。下町浅草から眺めるこの景色には時代の変遷とともにランドマークが加わっていて近未来的なものに変化している様にも感じますね。浅草蔵前エリアに別れを告げ、次なる目的地である深川エリアへと向かいます。~次回の大江戸散策紀行は6/11号でお送りさせて頂きたいと思います~
2018.06.08
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前回の続き・・・。東京滞在2日目の朝を迎えました。昨日の雨も上がり、今日は良き散策日和になりそうです。チェックアウトを済ませてのんびりと束の間の涼し気な朝の空気を感じながら、外堀通りを御茶ノ水方面へ向かいながら本日の散策をスタートしました。途中、早速寄り道をしてみます。こちらは日本サッカーミュージアム。代表やJリーグの各チームに関する展示はもとより日本サッカーの歴史にも触れることができるサッカー好きにはお勧めの施設となっているみたいです。平日のこの日の開館は午後からとなっていて見学はできませんでした。また次回のんびりと足を延ばしてみたいと思います。サッカーミュージアム前の通りはその名も「サッカー通り」。街路灯にはサムライ・ブルーのフラッグそして壁にはサッカー通りを彩るアート。(楽)この壁画の後方にはワールドカップ・トロフィーに口づけする選手のシルエットが描かれていて末尾にはJFA2005年宣言の熱いフレーズが描かれていました。「夢があるから強くなる」まだまだ果てしなく遠い道程の様に感じられることもありますが、いつの日か夢が現実になる時がやって来るかもしれない、そんな勇気をもらえるフレーズですね。(楽)ロシアの地で力強く羽ばたく日本代表の勇姿を期待したいと思います。(楽)寝起きの体にもだいぶエンジンがかかってきたところで、本日の最初の目的地である神田明神へとやって来ました。創建は奈良期(天平2年)と言われ、江戸東京では最も歴史のある神社のひとつとされています。参拝を済ませて久しぶりに境内をのんびりと歩いてみることにしてみます。こちらは本殿横の石獅子。神楽坂の善國寺に鎮座していたのは石虎でしたがこちらは石獅子。江戸期に制作されたこの石獅子もまた往時の庶民の信仰を知る上で貴重な資料のひとつとなっている様です。本殿の裏手に入るとまず目に止まるのは銭形平次碑。台座部分はお馴染みの「寛永通宝」がデザインされています。小説「銭形平次捕物控」では神田明神下の元の台所町が平次の住んでいた場所という設定になっていることから、所縁の明神下が見下ろせるこの場所にこの碑が建立されることになったということなんだそうです。こちらは力石。力石は円形または楕円形のある一定の重さの石で、神社などの村の鎮守や村境に置かれていたとされ、若者たちが力試しに用いた石だと言われています。またこの国に古来から伝わる石に関わる信仰に端緒を為していると解釈されているみたいですね。境内脇にそびえる大公孫樹とさざれ石の側に静かに佇んでいるのは明神男坂。江戸期(天保初年)に四組の町火消(「い」「よ」「は」「萬」)が石段を明神へ献上したことに由来すると言われています。当時この大公孫樹は安房方面から江戸へとやって来る漁船の目印になっていたという逸話やこの坂からの眺望の素晴らしさから毎年一月と七月の26日には観月が行われていたという話も残っています。徳川家康公を始めとする幕府との所縁の深さから江戸総鎮守府としての機能を果たす一方で、移りゆく時代の中にあってもその歩みは常に江戸庶民の暮らしとともにあり続けてきた神田明神。今回も薫り高きこの神社の歴史に触れさせて頂いた参詣となった様な気がします。こちらは神田明神から御茶ノ水方面へと向かう途中で訪れた湯島聖堂。気になってはいたものの、いつも素通りしてしまっていた場所です。今回の散策でようやく訪れることができました。石段の傍には紫陽花。梅雨入りした都内の紫陽花も見頃を迎えていました。入徳門から杏壇門をくぐり大成殿へとやって来ました。湯島聖堂は当初、5代将軍綱吉によって建てられた孔子廟でした。寛政期になると寛政異学の禁による幕府の朱子学奨励の流れの中で昌平坂学問所となり、幕末まで開成所や医学所と並び称される教学機関として機能しますが、明治期になると新政府に接収され、昌平学校としてその色彩も徐々に変化していくこととなり(従来の儒学教育ではなく皇学を主とし儒学を従とする機関とする新政府の位置付けによる)、その後、廃校となるに至ります。昌平坂学問所は後の東京大学へとその系譜の一部が連なっていったり、筑波大学や御茶ノ水大学の源流となっていったという点においても大きな意義を為したと言えるのではないかと思います。湯島聖堂を後にしてやって来た聖橋にて一枚。次なる目的地、蔵前方面へと向かいます。次回へ続く。
2018.06.07
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今日は早起きして午後からの所要に合わせて東京へとやって来ました。関東地方もこの日梅雨入りし、都内もあいにくの雨模様。見慣れた神保町の街並みを眺めながら、のんびりと一ツ橋方面へと向かいました。所用を終え夕方の目白通りから靖国通りを飯田橋方面へと向かって歩いてみることにします。千鳥ヶ淵と武道館を左手に眺めながら雨の九段坂を靖国神社方面へと登っていきます。さらに早稲田通りに進んでいくと閑静な文教地区へと入ります。文教地区に佇む東京大神宮へ途中、立ち寄ってみました。「東京のお伊勢様」としても親しまれている東京大神宮はこの国で初めて神前結婚式を執り行った神社としても有名です。涼し気な風鈴の音色が心地よく響く境内には、雨天にも関わらず、この日も参拝される方の姿が見られました。この後、飯田橋方面へと進み、宿泊先でのチェックインを済ませ、久しぶりに神楽坂へと足を延ばしてみました。その名の通り神楽坂もまた坂の町です。地名に「坂」の付く場所の多さもさることながら、散策してみると江戸の町には実際こうした坂が数多く存在します。神楽坂の坂名の由来は諸説あるようですが、いずれも神楽に因んだものとなっている様です(坂の途中にあった高田八幡の御旅所で神楽を奏したから、この地に津久戸明神が移ってきた時にこの坂で神楽を奏したから、若宮八幡の神楽が聞こえたから、この坂に赤城明神の神楽堂がかつてあったから、・・・等)。こちらの急峻な坂は「逢坂」。昔、武蔵守としてこの地に赴任してきた小野美作吾という男が美しい娘と恋仲になるも任期を終えて男は都へと戻り、かの地にてその生涯を終えることとなった。やがて娘の男への想いが夢となりこの坂で再び逢うことが叶ったという言い伝えに因んでこの坂を逢坂と呼ぶようになったそうです。こちらはメインストリートにあたる神楽坂通りに位置する善國寺。善國寺は安土桃山期に日惺上人により創建された日蓮宗の御寺です。火災都市と呼ばれる程、火事が多かった江戸の町。善國寺の歴史も火事に見舞われながら、馬喰町に創建されるもその後、麹町を経て、寛政期に神楽坂のこの地へと移り現在に至っているとの解説がなされていました。本尊の毘沙門天は芝正伝寺、浅草正法寺とともに江戸三毘沙門天と呼ばれ、「神楽坂の毘沙門様」として地元はもとより多くの信仰を集めています。こちらの本尊前に鎮座するのは狛犬ならぬ狛虎。石虎ともいわれる阿吽一対の狛虎は江戸期のものと言われています。江戸後期における毘沙門天信仰の広がりの中、その信仰が「虎」を重視していたことが、石虎の造立につながっていったと解釈されている様です。神楽坂通りから一本入ると小路には老舗からモダンなものまで様々な顔のお店が軒を連ねています。石畳が続く路地にはちょうど明りが灯り始めていて、江戸期から育まれてきた花街の薫りを残す情緒を感じさせる雰囲気が漂っていました。数年ぶりにやって来た神楽坂。今回もこの街の醸し出す風情に浸りながら、のんびりとしたひと時を過ごすことができました。(楽)明日は日中のんびりと大江戸散策を楽しんでみたいと思います。雨が上がるといいな・・・。
2018.06.06
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今日は朝からあいにくの雨。朝食を終えたナツマリも部屋の中でのんびりと過ごしている様子です。お昼近くになり、雨もだいぶ弱まってきました。午後の所要先へと向かう私をデッキでお見送りしてくれたナツを一枚。雨の九州自動車道を北へ北へと向かいます。休憩で立ち寄っためかりPAにて関門橋を一枚。この後、関門橋を越えて山口県の光市へとやって来ました。予定より少し早く到着でき、折角なのでしばし駅周辺をプチ散策してみることとします。JR山陽本線の光駅を背に南下していくと松林が見えてきます。林を抜けると眼前には海が広がっていました。ここは虹ケ浜海水浴場。周防灘を望む開放的な景色と弓なりに伸びる美しい海岸線が特徴的な海水浴場です。今はまだ人もまばらでどこか閑散としていましたが、今年も梅雨が明けてシーズンがやって来ると賑わいを見せるんでしょうね。この後の所要を終えてのんびりとこの辺りの散策も楽しんでみたかったところではありましたが、残念ながら今回は明日の朝一の所要に合わせて福岡へトンボ返りと相成りました。(悲)要件を済ませて九州へ向かって夜の山陽道をクルマを走らせていきます。帰路に立ち寄った壇之浦PAにて夜の関門橋を撮ってみました。橋の向こうには門司の街明かりが見えます。夜もだいぶ更けて灯った明かりもだいぶ消えてる様な気もします。(笑)先週に続き、今週も怒涛の一週間の幕が上がりました。伸びをしてひと息ついたところで再び帰宅の途に就きます。そう言えば気象庁の発表によると、先日の九州南部に続き、九州北部と四国地方も本日梅雨入りしたそうですね。この田舎町でも平年に比べ一週間以上も早い梅雨入りとなりました。その分早い梅雨明けを願いたいところですが、今年はどうでしょうね?また早く梅雨明けすると、その分、暑い夏がやって来たりするのかな??ドタバタな日常をやり過ごす中にあっても、雨の季節の風情も堪能しながらまたナツマリとの散歩を楽しんでみたいと思うこの頃です。
2018.05.28
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今日はのんびりとしたナツマリとの朝の散歩を終えて長崎へとやって来ました。今回も中華が食べたくなり、足を伸ばした長崎。折角のプチ旅にも関わらず、気の向くままということもなく、自ずと足は中華街へ向かっていきます。(笑)途中、出島(出島和蘭商館跡)に立ち寄ってみることとします。GW前半の連休最終日ということもあってでしょうか?子供さん連れのご家族からご年配の方、そして海外からの団体さんまで施設内はたくさんの方が見学していました。近年、リニューアルされていたり、オープンした建物もあり、思いがけず今回も見応え満点のひと時となりました。こちらはミニ出島。現在はすっかり埋め立てられ、その原型を止めてはいませんが、こちらの模型で教科書で目にする扇形の島状を確認することができます。ミニ出島は昔のまま。ここは私にとっては毎回、目にする度、どこか懐かしく思えてしまうポイントとなっています。思いの外、のんびりとした出島めぐりを終えて、程よくお腹も減ってきたところで、そのまま中華街へ・・・。今回も大好きな中華を美味しく頂き、長崎を後にしました。そう言えば、朝、モモがやって来た!といった連絡をパパさんより頂いていました。新緑を眺めながら、ナツマリそしてモモが待つ我が家へ向かって長崎道をのんびりクルマを走らせていきます。
2018.04.30
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昨日の続き。美幌峠にて眼下に広がる雄大な景色を一枚。たくさんの楽しい旅の思い出が詰まった屈斜路湖に別れを告げ、網走方面へと進んで行きます。道中の何気ない風景もホントに絵になります。網走市へと入り、再び天都山を登り、やってきたのは博物館網走監獄。この博物館は、今から40年以上前に網走刑務所が改築されることが決まったことを受けて、網走新聞社社主 佐藤久氏が歴史的建物の価値を後世へ伝えるべく、網走市、北海道、そして法務省の協力を得て設立された財団法人により、明治期に建造された網走刑務所の旧建物をこの地へと移築保存したものです。その後、敷地内の多くの建物が重要文化財や登録有形文化財に指定され、現在に至っています。木造の行刑建築物としては世界最古と言われているこの五翼放射状平屋舎房も重要文化財となっています。教科書には明治期の我が国の北海道の開発を担ったのは屯田兵だったと記されていましたがその動きに先行して、南下政策をとるロシアの脅威に対処するため、ここに収容されていた人々が幹線道路の開発などの厳しい突貫工事に従事していたといった解説が館内にてなされていました。今日、この地を訪れて私たちが目にする自然の豊かさと開墾された人工美が織りなす独特な道内の風景はこうした先人たちの築いた礎の上にあるものなんだなといったことを改めて感じさせられます。館内ではライラックの花が見ごろを迎えていました。道東紀行最後の一枚はメルヘンの丘。短い時間ではありましたが、いろんな道東の顔を垣間見れた様な気がした素敵な旅でした。またいつの日か訪れる機会に恵まれといいな・・・。そんなことを思いながら機上から小さくなっていく北海道の景色を眺めながら帰途に就きました。
2017.07.01
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今回も先日、訪れた道東の風景をお届けしたいと思います。アトレーユさんで朝を迎えたこの日。早起きして、アトレーユさんの釧路川源流ツアーに参加させて頂きました。出発は釧路川を源流とする屈斜路湖。真っ白な霧に覆われた幻想的な湖面を出発です!釧路川へと入ると朝日が眩しく川面にきらめいています。いい天気になりそうです。(楽)澱みない流れに感動しながらさらに川を下っていくと流れのない静かな場所へとやって来ました。ここはその中でも川底の倒木は勿論のこと小石まではっきりと肉眼で確認できる程、特に透き通っています。(感)スタッフの金川さんの御話によると、ここはその透明度の高さから「鏡の間」と呼ばれているスポットなのだそうです。ツアーのスタート前に注意事項として「カヌーから川へ飛びこまない様に!」といった御話を頂いていましたが、この光景を目の当たりにすると、そうしたくなる気持ちも分からなくはない様な気もしてきます。(笑)この鏡の間の美しさは地中より止めどなく溢れる湧水によるものです。湧水は湖や川そして森に暮らす生き物を潤し、この地に育つ農作物、家畜そしてこの地に暮らす人々にも大きな恵み与えます。国内最大と言われる屈斜路カルデラはこの屈斜路湖周辺にもこうした多くの湧水をもたらしています。鏡の間を後にして、しばらく進んで行くとカモの親子に遭遇。愛くるしい6羽のヒナたちを引率する母鳥。そんなほのぼのとした光景を静かに眺めながら、艪を漕ぐ手も止まり、金川さんより差し入れ頂いたアトレーユさんの美味しいスモークチーズでティータイムとなりました。好奇心の赴くまま、あっちに行ったりこっちに行ったりと、冒険好きなヒナもいて目が離せない様子の母鳥。カモたちの子育てもヒトや犬達とよく似ているみたいです。(笑)ようやく親子で陸(おか)へ上がり帰巣の途に就く様です。母鳥からはぐれることなく、6匹みんな揃っているかな?見守るこちらもついつい気になってしまいます。(笑)金川さんの御話によると、この辺りでも人間が商用で持ち込んだ外来種のアメリカミンクが野生化し、こうしたヒナたちが犠牲になる事例が後を絶たないそうです。ヒナたちの逃げ場でもある水の中まで侵入する姿が度々目にされるなど、これまで天敵だった在来のエゾクロテン以上のペースでヒナたちを捕食するだけではなく、他の在来種も次第に駆逐されている状況も確認されている様です。豊かな自然の恵みが長い年月をかけて育んできた生態系の維持に努めながら、こうした美しい風景を後世に残していくことの大切さを考えさせられます。川面と森と空のコントラストを堪能しながらの楽しいツアーもあっという間に終了です。アトレーユさんに戻り、すっかりお腹も減ったところで、先程、お世話になったカヌーを眺めながら美味しい朝食を頂きました。アトレーユさんを後にしてやって来たのはメジェール・ファームさん。スタッフの方にご案内頂き、手続きを済ませて気もそぞろに向かった先はこの建物の裏側に広がる開放的なこの空間。いたいた!たくさんの馬たちがのんびり牧草を食べています。メジェール・ファームさんでは好きな馬で乗馬体験ができます。スタッフの方の御話によると馬も犬同様、群れの生き物なのだそうです。この子はリーダーのマーブル君。毛艶も良く、自信に満ち溢れた若雄といった雰囲気が感じられる子でした。こちらでの乗馬体験は、放牧している馬を観察し、乗馬する子を決め、馬を迎えに行き馬具を付けるといったところから始まります。私はこの子に乗馬させて頂くこととします。名前はあんこちゃん。穏やかな雰囲気の女の子でした。早速、挨拶してコミニケーションを取ろうとしてみましたが、黙々と草を食べています。食いしん坊な女の子でもある様です。(笑)スタッフの方にお教え頂き、何とか馬具も装着して念願の馬とのトレッキングへと出発です!蝉の声が心地よく響く森の中を進んでいきます。天気も良く、絶好の森林浴日和です。途中、気を緩めるとあんこちゃんはこの通り。前を進むスタッフの方や先輩馬のことはお構いなしといった具合にムシャムシャ道草を食い始めます。(笑)距離が広がらない様に程良いタイミングで手綱を引くとすぐにコースへ戻り、列に戻ってくれたあんこちゃん。乗り始めは私も少し緊張感がありましたが、間合いがある程度取れる様になると楽しさ倍増って感じがしてきます。あんこちゃんは良く訓練されていて本当にお利口さんな女の子みたいです。森を抜け屈斜路湖へとやって来ました。馬上から仰ぐ湖の景色もまた格別です。馬たちも給水して一息ついたところで湖畔をのんびり進んでいきます。ここでもあっという間に楽しいひと時は過ぎて馬たちに別れを告げる時がやって来ました。こちらは妻がお世話になったみらいちゃん。群れの中では最年長の女の子なのだそうです。名前の由来は長生きできます様にという願いに因るんだそうです。散策中も「これぞみんなのお手本!」といった仕事ぶりを見せていたみらいちゃん。メジェール・ファームさんで過ごした時間は、いろんな個性を持った子たちに会うことができ、そして触れ合いの機会も頂き、興味深く幸せなひと時でした。今回の旅の前半戦は悪天候に泣かされた感もありましたが、この日は道東の自然を思う存分満喫することができ、ホントに素敵な一日となりました。
2017.06.30
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今回は先日の道東滞在時にお世話になりました弟子屈町屈斜路の御宿アトレーユさんのご紹介をさせて頂きたいと思います。アトレーユさんは屈斜路湖から程近い国道243号線沿いの長閑な自然に囲まれた場所に佇む御宿です。到着するとオーナー様ご夫婦とともにお出迎えしてくれたのは看板犬のモグモグちゃん。初めての私たちにもお腹を見せて「撫で撫でしてちょーだい!」って感じで超フレンドリーに挨拶してくれました。(嬉)モグモグちゃんを通して愛犬家でいらっしゃるオーナー様ご夫婦と御話が弾むのにさほど、時間はかからなかった様な気がします。いつものことながら、ワンコたちが持つパワーは凄い!と思います。(楽)アトレーユさんは子供さん達と一緒にアットホームな雰囲気でやっていらっしゃるお宿です。敷地の至る所では工夫を凝らした遊び心満点な空間が楽しめます。例えば御庭には開放的なゲルが立っていたり、露天風呂にはこんな浴槽があったり、のんびり気分で童心に返った様な楽しさがたくさん詰まっていました。カヌーか何かで使うオールを持って水平に、炊飯釜みたいに見える、こちらの浴槽の蓋を開けると中はこんな感じです。(楽)この浴槽はバルクと言って、酪農で搾り取った牛乳を一時的に保管しておく容器なのだそうです。(楽)お部屋も寝室にリビングまで付いたゆったりとした快適な空間でした。こちらは翌朝の一枚。アトレーユさんの庭にもキツネがやってきていました。運にも恵まれていたんでしょうか?今回の道東の旅では毎日の様にお目にかかれています。森の奥へと去って行ったキツネの気配を感じていたのでしょうか?一匹の黒いワンちゃんが朝の散歩で勢いよく庭へと駆けて来ました。この子は、先住犬のモグモグちゃんと一緒に暮らしている、ロン君。これだけ広いスペースを思いっきり走れたら、犬たちはホント幸せですね。まだまだ、たくさんアトレーユさんの素敵なところをご紹介させて頂くはずが、ついつい、いつもの様に犬バカスイッチが入りかけてしまい、すっかりワンコたちの紹介の記事になりかけていました。(笑)こちらは夕食時に撮った一枚。木の温もりが溢れるログハウスにてアトレーユさんのフルコースディナーを頂きました。オーナー様ご夫婦の息子さんが振る舞われる料理は素材にもそして味にもこだわりを感じる品々で、本当に素晴らしいと思える夕食でした。こちらは釧路産海藻ポークのソテー。さっぱりした中にも甘味があって美味しいお肉でした。こちらのスモークチーズも最高でした!お酒が苦手な方も、こちらの赤葡萄(ジュース)との相性は抜群だと思います。ご家族の温かなお人柄に触れながら、犬バカな御話もたくさん頂き、心も体もリラックスでき、アトレーユさんでの滞在は私たちにとって本当に楽しいひと時となりました。いつかまた今度はゆっくり訪れてみたいと思います。
2017.06.27
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~道東紀行3の続き~今回も先日、訪れた道東の風景をお届けしたいと思います。知床峠を越えて羅臼方面へと山を下って行くとこれまでの天候が嘘だったかの様に上空の見通しが良くなってきました。羅臼に到着するとウトロとは打って変わって空は気持ち良いくらいの日本晴れ。ここでもウトロでは叶わなかったクルーズを予約していましたが、天気は回復したものの、やはり高浪のため今日も船は欠航との知らせを受けてガックリ肩を落とします。(残)クジラやイルカそしてシャチとの遭遇はまたの機会の楽しみということにして、気を取り直してやってきたのは羅臼国後展望塔。360°パノラマビューで素敵な景色を堪能できる高台でした。北側には知床の雄大な山々が聳え、東側には羅臼の町並みが広がり、そして南側には現在の日本人にとっては近くて遠い場所でもある北方四島の一つ国後島が見えます。羅臼を発つ前に立ち寄った「純の番屋」。建物内は食堂になっていて、「北の国から2002遺言」で使用された番屋のレプリカになっています。ちなみに本物の建物はここから中心地を抜けて羅臼の奥地、根泊の漁村に現存していて、今でも地元の方が利用しているとのことです。到着するとさだまさしさんの「北の国から~遥かなる大地より~」が流れていてドラマの情景が彷彿とさせられ、北の国からファンの人たちには堪らない場所となっていました。羅臼に別れを告げて中標津町にある開陽台へとやって来ました。こちらも北海道の雄大な景色をパノラマビューで堪能できる素敵な高台です。こちらのカフェで頂いたハチミツソフトクリーム、景色を堪能しながら頂く味はなかなかの美味でした。さらに弟子屈町へと足をのばし、まずやってきたのは摩周湖。こちらは第一展望台からの眺め。この時にはすでにだいぶ霧も出始めていましたが、湖の中央に位置するカムイシュ島や遥か彼方の対岸の輪郭もぼんやりとではありましたが確認でき、霧の摩周湖の風情を湛えていました。第三展望台へ移動したころにはすっかり湖もすっかり濃霧に包まれてこの通り。天候に恵まれた日には、日本屈指の透明度からその湖面の色を「摩周ブルー」と呼ばれる摩周湖の表情を窺うことはできませんでしたが、幻想的な景色を堪能できた思い出深いひと時となりました。摩周湖を後にして川湯温泉方面へと向っていると茂みから出てきたキツネがこちらへトコトコやって来ました。警戒する様子もなく、道のど真ん中で何かを食べ始めました。何か餌となるものが落ちているみたいですね。驚いたことに、この後、車の前で動かなくなったキツネ。クラクションを鳴らしてみますが、全く効果がありません。ヒトに餌をもらう習慣がすっかり身についてしまっているんでしょうね。しばらくすると、助手席の方へ回り込んでくる始末です。この日、お世話になった御宿アトレーユさんのスタッフの方からお伺いした御話によると、観光客数の増加に伴って、この辺りではこうしたキツネが見られるようになっていったとのことです。スタッフの方の見解ではそうしたキツネは往々にしてどの時期に目にしても状態がよろしくないものが多いんだとか。餌付けされたことにより、栄養バランスの偏りが生じたり、日常的に獲物を追うといった習性が薄れてしまったりと、本来あるべき姿を失ってしまっているんでしょうね。ここ最近は観光客へのマナーの徹底が進み、だいぶ改善が見られるようにもなってきたみたいですが、実際こうした光景を目の当たりにしてしまうと、キツネに遭遇した嬉しさも何だか萎んでしまうような気持ちにさせられてしまいます。川湯温泉から屈斜路湖へとやって来ました。湖畔の原生林からは木漏れ日が注ぎ、穏やかな夕刻の湖の顔が見え隠れしています。屈斜路湖といえば砂湯。砂地を試し掘りしてみると生温かいくらいのお湯が出てきます。その後、既設の足湯スペースにてのんびり湖面を眺めながら、しばし旅の疲れを癒します。道東の旅もはや折り返しを過ぎました。この空模様だと旅後半は気持ちの良い天気に恵まれそうです。(楽)
2017.06.26
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今回も先日訪れた道東の風景をお届けしたいと思います。オホーツク海を眺めながら知床国道を進み、ウトロヘやって来ました。最初に立ち寄ったのはオシンコシンの滝。滝に向かって整備された階段を登りきると落差50mにも及ぶ分岐瀑の迫力を間近に体感できます。あいにくの雨と寒さで人もまばらでしたが、滝の音や風に揺れる木々の音がより近くに感じられ、自然豊かな知床にやって来た!といった実感が湧いてくる様です。ウトロの中心地へとやって来ました。この町のシンボルともいえるオロンコ岩。階段を使って岩の上に登ると、ウトロの町並みを始め知床連山そしてオホーツクの海をパノラマビューで楽しむことができます。ウトロではこうした不思議な形の岩をあちらこちらで目にすることができます。こちらはゴジラ岩。確かに言われてみるとそう見えなくもないですね。(楽)この日の午後はこのゴジラ岩の傍の港から出発する知床半島クルーズを予定していましたが、このあいにくの天気と高波で船は欠航。(残)人影のない港にはたくさんのカモメたちが羽を休めていました。日も傾き雨脚も強くなり寒さも増してきたところで、この日は少し早めにお宿へチェックインすることとしました。こちらは翌朝の知床散策時に撮った一枚。フレペの滝を目指す今回の散策は現地ガイドの西さんのお世話になりました。(感)私と同じ九州出身でいらっしゃるという西さん。北海道、とりわけこの知床の自然に魅せられてこの地に根を下ろし、訪れる方々に知床の素晴らしさを伝える活動をされています。散策を始めて間もなく上空に鷲を発見!西さんの御話によるとこの鳥はオジロワシとのことです。肉眼では配色が確認できませんでしたが、写真で見ると確かにトレードマークの白い尾が確認できます。白い息を吐きながら、話も弾みあっという間にフレペの滝のある岬へとやって来ました。前日に訪れたオシンコシンの滝とともに知床を代表する滝でもあるフレペの滝。この滝の水源は知床の山々からの地下水となっているため、一般的な滝に比べ水量が少なく崖の割れ目から滴り落ちるその様子から「乙女の涙」という愛称で親しまれているといった解説を西さんより頂きながら、絶景を眺めていました。こちらは帰路に撮った一枚。鹿に出会うことができました。(嬉)しかもこんなに至近距離です。私たちが近づいてきても逃げることもなくマイペースに食事をしたり写真上のこの子は脇目も振らずに木の幹に首をスリスリしています。ここでもヒグマがよく出るといったことも聞いていただけに緊張感を伴った早朝散策となりましたが、今回、西さんよりそうした場所では予め熊にこちらの存在を伝えてあげることによってバッタリ遭遇するリスクを軽減する必要がある、といった御話などたくさんの基本的な考え方をレクチャー頂いたりと、自然に暮らす生き物と人間との向き合い方にほんの少しだけではありますが触れさせて頂く機会を頂いた様な気がします。以前も述べさせて頂いたことがありますが、こうした生き物と私たちの関係も無定見な餌付けなどにより、そのバランスが崩れるといった事例を新聞やニュースでも目にすることがあります。自然世界遺産に登録され年々観光客数が増加する知床の地で、そうしたことが起こることが無いことを願わずにはいられません。朝食を終えて、知床五湖へとやって来ました。今回は時間の関係もあり、一湖を眺めてUターンするコースにて散策をスタートです!低層の原生林の上を一湖まで高架木道が縫うように走っています。こちらは一湖を望む湖畔展望台から撮った一枚。この一湖から先を散策する場合は高架木道を下りて遊歩道を進むこととなります。遊歩道周辺にヒグマが出没すると安全が確認できるまで遊歩道散策が中止になるといったことも伺いました。自然豊かな原生林には多くの生き物が棲んでいます。知床五湖入口の案内に記されてあった通り、野生動物のすみかへの訪問者であるという謙虚な気持ちで散策を楽しむことの大切さを雄大な自然を前に再認識させられます。知床五湖からの帰り道に道路を悠悠と横断するヒグマに遭遇!距離を取って渡り切るのを静かに待ちます。そんな中、こちらはまさかの光景にシャッターチャンスを逃してしまう始末です。その後、ゆっくりと熊は森の中へと姿を消していきました。この日もあいにくの天気での一日のスタートとなりましたが、ヒグマを目にすることが出来た満足感に包まれて次なる目的地である羅臼へ向かって斜面にまだ雪が残る知床峠を登っていきます。頂上に向うにつれてだんだんと霧も濃くなってきました。羅臼も雨なのか・・・!?。移り気な山の天気に一縷の期待を託しながらクルマを走らせて行きます。
2017.06.24
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今回は先日訪れた道東滞在時にお世話になりました大空町女満別のお宿ノーザンロッジ カントさんのご紹介をさせて頂きたいと思います。女満別空港から車で10分ほどの国道39号線から一本入った農場が広がる静かな場所にあるお宿です。近くにはメルヘンの丘(国道39号線沿い)もあり、またお宿周辺もこうしたのんびりとした美しい景観に囲まれた素敵なところです。室内は木のぬくもりを感じさせる素敵な造りになっていました。外は冬の寒さを感じる程でしたが、暖炉型のストーブの温かさが室内を柔らかく包み込むような心地よさを感じます。こちらは客室から撮った一枚。窓の外も絵になっています。荷をほどいてオーナーのご主人より入れて頂いたお茶を飲みながらのんびりとそんな窓の外の景色を眺めていると・・・。キツネが目の前に現れました!そんなに警戒した素振りもなく、庭の様子をしばらく伺った後、トコトコと奥の茂みの中へと姿を消して行きました。この地の人々とキツネとの距離感みたいなものを感じたひとコマとなりました。夕食時に一枚。地元産の肉野菜とオホーツクの海の幸を中心に新鮮な素材の美味しさと味付けのバランスが絶妙で一品一品にこだわりを感じるホントに味わい深い素敵なディナーでした。この日は久しぶりにTVそしてPCからも完全に離れ、日常の慌ただしさからも解放された一日となりました。ノーザンロッジ カントさんはオーナーご夫婦の温かいおもてなしとカラダに優しい美味しい料理に癒しを覚える素敵なお宿でした。また道東を訪れる機会に恵まれた折には是非、立ち寄ってみたいと思います。
2017.06.23
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道東の旅2日目はあいにくの雨。気温も5℃を下回り、ダウンを羽織っての一日のスタートとなりました。途中、JR釧網本線の北浜駅に立ち寄ってみました。展望台から望む網走方面も雨に霞んでいます。ホームの目の前はオホーツクの海。駅舎や構内の醸し出す雰囲気もまた旅情を誘います。そんな旅の足跡を残していきたいという気持ちにかられるんでしょうね。待合室の壁には名刺や切符そしてメモが一面に所狭しと貼られていました。国道244号線を走り北浜駅の隣駅にあたる原生花園駅を囲むように広がる小清水原生花園へとやってきました。北側のオホーツク海そして南側の濤沸湖の間に形成された細長い砂丘に季節を彩る草花が原生しています。こちらは展覧ヶ丘展望台から望む草原とオホーツク海の眺め。そしてこちらは木道入口から望む湿原と濤沸湖の眺め。花のピークは6月から8月と聞いていましたが、華やぐ景色はもう少し先になりそうな様子です。それでも少し立ち止まって見ると所々に綺麗に咲き始めた花々を目にすることができます。こちらはヒオウギアヤメ。一面に咲き誇る花々の風景に人々が心を奪われるというのも、北国の短い夏ならではのものなのかもしれませんね。降り続く雨にも負けず、じゃがいも街道を走り、知床方面へと進んでいきます。こちらは途中、立ち寄った桜の滝。「熊出没注意!」の立て札にやや気後れしそうになりながら、し~んと静まりかえった笹に囲まれた道を抜けると深々とした緑の中を流れ落ちる光景が目の前に飛び込んできます。こちらは神の子池。摩周湖(カムイト=神の湖)の伏流水からこの池ができているという昔からの言い伝えによりこの池が「神の子池」と呼ばれてきたと言われています。ただ現代の地質調査により、摩周湖ではなく外輪山に降り注いだ雨が伏流水となってその水源となっていると解釈されている様です(ややロマンを欠く調査結果となったみたいですね[残])。雨天だったにも関わらず、池の水の透明度はこの通り。(驚)池底の倒木の姿も神秘的に見えます。摩周湖と地下でつながっているだろうと考えた先人たちの気持ちもよく分かる様な気がします。所々ちょっぴりスリルな午前中のウォーキングで程よくお腹も減ってきたところで御昼とすることとしました。この日の昼食は清里町にある道の駅パパスランドさっつる内にあるレストランパパスさんで頂くこととしました。今回、注文させて頂いたのはオホーツク清里虹色うどん。地場産の小麦、長芋そしておいしい水で構成されたメニューです。地元清里のご当地グルメなのだそうです。パパスさん推奨の食べ方というものがあって、上記写真の左下から上へ向かって昆布だしの利いた醤油味の温つゆで頂き、写真の頂上から右下へ向かってはコンソメ風の塩味の冷つゆで頂いて下さいとのご説明を店員さんより頂きました(メニューには虹色にちなんだ七種類の所謂、わんこうどんを「左下から中央へ『斜里岳』を登るイメージで食べ進め、頂上に来たら右下に来たら下山すべし」といった解説もなされていました)。(楽)食後の長芋チップス(写真中央)に至るまでとにかく長芋づくしのワンコうどんでしたが、箸のペースが緩むこともなく一気に駆け上がり、下山と相成りました。(笑)腹ごしらえも済んで、再び雨の知床ロードを進んでいきます。ひたすら続く一本道を登り切ったところで一枚。道程を振り返るとそこには天に向かって果てしなく伸びているかのような一本道の風景が広がっています。この道は「天に続く道」と呼ばれているそうです。こちらは路傍の駐車スペースにあった展望台からの眺め。広大な畑とその間を縫うように存在する防風林の景色の向こうにはオホーツクの海が広がります。こちらは天に続く道の起点となっているT字路を左折してウトロ方面へ北上していく「海に続く道」。この日はあいにくの天気でこの道の彼方に広がる大好きな海を望むことは叶いませんでした。また、いつか来た道をたどる機会に恵まれることを願いながら、知床方面へ向かうこととします。
2017.06.22
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今回は先日、訪れた北海道紀行の模様をお届けしたいと思います。羽田のラウンジにて撮った一枚。年明けからほぼフル稼働だった私を見かねてのことだったんでしょうか、ずいぶん前に私が立案していた北海道旅行を妻が企画し、今回の旅が実現しました。行き交う飛行機の様子を眺めながら、久々にのんびりとした昼食を頂いていざ北の空へと出発です!着陸態勢に入った機内から撮った一枚。眼下には自然豊かな道東の大地が広がっています。今回は女満別に降り立ち、道東の旅をスタートすることとします。海岸線を走り、まず向かったのは能取岬。オホーツクの自然を堪能できる雄大な景色が眼前に広がります。この美しい景観は「南極料理人」や「子ぎつねヘレン」などの映画の撮影地として使われたことでも知られています。ここから臨む冬の流氷の景色はきっと得も言われぬものがありそうですね。いつか目にしてみたいものです。能取岬を後にしてやって来たのはオホーツク流氷館。幻想的な流氷の世界をイメージした階段を下り、地下の展示スペースへと誘われる様に進んできます。「流氷の海の生き物たち」と題した展示コーナーではクリオネも紹介されていました。ゆっくりと羽ばたきながら、透明な体をゆらゆらと浮遊させる姿に、眺めているこちらも心が和むようです。「流氷の天使」のイメージそのものって感じがしますね。館内にはオーホーツクの冬の厳しさを体感できる「流氷体験室」のコーナーもありました。スタッフの方のご案内で防寒コートをお借りして、いざ-15℃の世界へ!室内には流氷漂着時のオーホーツクの様子が再現されています。この氷の塊も本物の流氷っぽい感じです。入ってしばらくは、室内には風もなく、不思議な世界への好奇心からでしょうか?それほど寒さを感じることもありませんでしたが、時間の経過とともに体の芯までコチコチに凍りそうな寒さが徐々に増してくるのを感じます。そんな体感を実践すべく、お決まりのタオルスウィングも試みてみます。あれよあれよという間にふんわり柔らかタオルが固形物と化してしまいました。(楽)こちらは流氷館の展望台から撮った一枚。天都山に建つ流氷館の屋上からは彼方に知床半島も望むことができます。前方に見える斜里岳にはこの季節にまだ雪が残っています。こうした景色も北海道ならではのものですね。こちらはオーヴェールの丘近くで撮った一枚。北海道を訪れるたびに感じることですが、何気ない風景そのものがホントに絵になります。明日は途中、道草もしながら、知床方面へ・・・。
2017.06.21
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今日は早起きして長崎へとやって来ました。今年は何かとドタバタな感じになってしまっているGW。そんな中、今回の長崎への旅は、ようやくお休みとなったこの日に合わせ、急遽企画した日帰り家族旅行となりました。今回はまず、のんびり出島を抜けて中華街を眺めながら唐人屋敷跡へと歩を進めていくこととします。こちらは出島前で撮った一枚。入り口前にはご当地キャラの「さるくちゃん」も登場し、多くの方々が写真を撮ったりと賑わいを見せていました。ちなみに「さるく」とは「ぶらぶら歩く」といった意味の方言で、私が住む福岡南部でも日常的に今でもよく使う言葉です。九州の南の方でも使うといったことを聞いたことがありますので、ほぼ九州地方の方言と言ってもいいのかもしれないですね。唐人屋敷通りの入り口に立つ唐人屋敷門をくぐると、まず右手に見えてくるのがこちらの土神堂。その名の通り土地の神である土神を祀った御堂です。オランダ人の居住地であった出島とともに、この国が鎖国体制を敷いていた江戸初期にあたる1689年(元禄2年)に現在の館内町エリアのほぼ全域を幕府は唐人町として定めこのエリア以外における唐人の居住を禁止していきます。現在、このエリアには土神堂の他、天后堂、観音堂、福建会館といった4つの御堂が残っています。こうした現存する御堂は、幕末が開国期を迎え唐人屋敷の撤廃に至るまで、この地に唐文化がしっかりと根を下ろし、長崎に暮らす人々の生活様式や文化に影響を与えてきた軌跡を今に伝える貴重な遺構となっている様な気もしてきます。館内町ではこの町の歴史を感じさせるこうした風情漂う光景が今でもあちらこちらで見られます。午前中の散策を終えて、程よくお腹も減ってきたところで御昼とします。今回もお昼はやっぱり新地の中華街にて中華!!美味しいものを頂くと、また明日から頑張れそうな気がしてきます。(感)楽しいランチの後は、しっかりため込んだカロリーを消費すべく、午後も坂の町長崎の景色を満喫しながら歩を進めていきます。今回の散策でもあちらこちらで猫たちに遭遇しました。人懐っこい猫も割と多く、こんな感じでヒトと一緒に歩いてくれてみたりと、何だか猫に街案内されているみたいで、自然と愛着を覚えてしまいますね。散策中、例外に漏れず坂の町長崎にも、昨今、やはり少子高齢化の波が押し寄せていると感じられる光景をあちらこちらで目にします。こちらは斜面地移動支援機器。坂の町ならではのものですね。高齢化が進む斜面市街地の住民の生活を支援する自治体の取り組みが覗えます。こちらはさらに階段を上がったところで撮った一枚。新緑の季節を彩る鯉のぼりが趣ある風景に花を添えています。最近はこの辺りでも高台へと進んでいくほど、空き家や更地が目につくようになってきた様に感じられます。こうした斜面市街地の世帯数の減少は、これまで長崎の観光の目玉の一つと言っても過言ではなかったこの町の夜景にも近い将来に影響を与えていくことになるのかもしれないですね。いろんな町が近い将来こうした問題に直面することが予想される中、自治体も私たち住民もこれから様々な知恵を絞っていかなければならない時代を迎えているんでしょうね。坂を登り切ってやって来たのは東山手十二番館。木造平屋建寄棟造の洋風建築で国の重要文化財にも指定されています。幕府が日米修好通商条約を締結し、鎖国制度が終焉を迎えた1858年(安政5年)にここ長崎の外国人居留地は制度化されていきます。この東山手地区には教会や個人住宅が整備されていきますが、特に学校が多く建てられていったと言われています。現在でも、この場所に隣接して活水女子大学や海星高校といった学校が多く見られます。こちらはオランダ坂近くにて撮った一枚。長崎といえば、今が旬の枇杷(びわ)。中でも茂木びわは有名ですよね。小さい頃からびわ好きの私ですが、最近はびわゼリーにハマっています。今回も茂木一まる香本家さんにて、家族でびわゼリーをお土産とデザート用に買って帰ることにしました。こちらは果肉が丸ごと入っていてびわ好きの方にはおすすめだと思います。オランダ坂を下ってのんびり遠回りしながら孔子廟へとやってきました。孔子廟の創建は1893年(明治26年)に遡ります。孔子廟は、当時、大浦居留地の裏手にあたるこの地に創建され、その12年後境内に在留華僑子弟の教育機関として小学校(大清国長崎時中学堂)が設立されました。その後、学校は児童数の減少により廃校となりますが、我が国唯一と謳われる本格的な中国様式霊廟の維持改修が続けられ、孔子廟大成殿の後方には中国の国宝級の品々を常設展示する中国歴代文物展示館が今から34年前にオープンし、現在に至っています。孔子を始祖とする儒教はその学問的な側面から儒学として解釈され、その後、宋代には朱子学、明代になると陽明学といった具合にその解釈も時代に伴って変遷していきます。そうした観点に立脚すると、鎖国から開国へそして維新へと続く江戸期の潮流を見ても、儒教的道徳観やそこから派生していった学術的思想は、儒教伝来時から現在に至るまで長らく日本人の精神性に大きな影響を及ぼしてきたことを再考させられます。こちらは境内にあった宥座之器(ゆうざのき)。「虚なればすなわち傾き、中なればすなわち正しく、満なればすなわち覆る」器であるとされ、かつて孔子が魯の桓公の廟に参詣した際に宥座の器を指して「満ちて覆らない者はいない」と弟子たちに訓戒したといった解説がなされていました。至らぬところばかりの私も、社会の中で人格を陶冶しながら生きていくことの肝要さを考えさせられます。図らずも居留地巡り散策となった今回の旅。食べて、さるいて、坂の町長崎を満喫できた良き一日でした。
2017.05.04
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神田神保町へとやって来ました。近代化が進むビルの森の中にところどころ時間が止まった様なレトロな建物が混在する街並みを眺めながら散策をスタートしました。明治期以降、神保町周辺は大学の拡張によって学生の街として発展を遂げていくことになります。それに伴い、本屋さんの数も次第に増えていき、世界一と称されるほどの本屋街の規模を誇るほどになり、出版関連会社なども集積し、この国の活字文化の発信拠点としてその役割を担うに至ります。こちらは学士会館。学士会館は明治期に旧帝大卒業生の同窓会組織として発足した学士会の本部会館となっていて、会員の学会活動や同窓会、講演会の活動等に利用されています。その他、現在はホテルとしても一般の方も利用できる施設となりました。今回、旧帝大OBではない私も東京滞在時にお世話になったホテルです。学士会が置かれるこの地は東京大学発祥の地でもあります。明治10年に開成学校と東京医学校が合併して東大が創立されます。この場所が「我が国の大学発祥地」として記銘されるのは、その後、東京大学が現在の本郷の地へ移るまでの間、神田錦町のこの地に法学部、文学部そして理学部が置かれたことに由来します。学士会館内部も撮ってみました。重厚感のある建物内部もレトロ感満点です。また館内には雰囲気のある飲食店も併設され、オフ時に時間を忘れてのんびり寛ぎたい方にはおススメの隠れ家的なホテルと言えると思います。大学発祥の地のみならず、現在学士会館が建つこの地は様々なものが産声を上げた場所だった様です。同志社大学設立の父として知られる新島襄もこの地で生まれたと言われています。また先に述べました様に、この場所にあった東大の前身となる開成学校で我が国で初めて野球が行われたことから、この地が「日本野球発祥の地」として知られることになっていきます。東大野球部と言えば、東京六大学野球で活躍する宮台投手が頭に浮かびます。球筋の良いストレートと切れのあるスライダーが持ち味の本格派左腕です。現在、肩痛で調整中の様ですが、復調してマウンドで躍動する姿をまた見てみたいと期待する野球ファンも多いと思います。ということで東大へと足を運んでみました。東大と言えば赤門。でも赤門は正門ではありません。重要文化財にもなっていますね。正門から真っ直ぐに伸びる並木通りを進んでいくと東大のシンボル安田講堂が見えてきました。こちらは安田講堂手前の法文2号館。こちらも安田講堂と同じく東京都の登録有形文化財に指定されています。歴史的な数々の建造物も国内最高学府と称される構内の雰囲気を格調高いものとしているように感じられます。こちらは以前、当ブログにて御話させて頂きました弥生キャンパス内に昨年建立された上野博士とハチ公像です。東大農学部にて教鞭を取っていた上野博士にちなんでハチ公没後80年にあたる年に農学部がある弥生キャンパス内に建てられました。親愛なる主人を見つめるその表情まで如実に表現されている様に感じられます。仕事を終え渋谷駅に到着した上野博士と改札口でその帰りを待っていたハチが喜びじゃれ合う姿がイメージされている様です。お互いに心が通い合う人と犬とのあるべき姿が表現されている様に思え、何とも心が温まる空間でした。今回は日頃の慌ただしさから、ずいぶんとタイムラグができてしまった大江戸散策紀行シリーズの後編をお届けさせて頂きました。季節感のズレもあり、イメージがピンとこない記述となってしまっている箇所も少なからずあったかと思われますが、最後までご愛読頂き、本当にありがとうございました。
2016.12.11
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今回も前回に続き、大江戸散策紀行をお届けしたいと思います。六義園へとやって来ました。六義園は五代将軍綱吉の側用人として手腕を発揮した柳沢吉保が自らの敷地内に造営した大名庭園です。六義園はおおよそ2万7千坪にも及ぶ広大な敷地に丘を築き、玉川上水を水源とする千川上水を引き込み池を造ることにより豊かな景観を演出した回遊式築山泉水庭園となっています。明治期に入ると、維新後荒廃していた六義園を岩崎弥太郎が購入し、庭園の整備がなされ、再び美しい景観を取り戻すことになります。大正期の関東大震災や昭和期の東京大空襲の難を逃れ、現在に造営時の面影を伝える六義園は昭和28年に特別名勝に指定されることになります。午前中の日差しを浴びて眩しいくらいに新緑がきらめいています。ホントにどの角度からも絵になる景観が楽しめます。ツツジの名所としても知られる六義園。ちょうどこの頃は大山ツツジを始め、園内の至る所で見ごろを迎えていました。また春の枝垂桜と晩秋の紅葉の時期にはライトアップを楽しむことができる様です。今回初めてやって来ることができましたが、またいろんな時期に訪れて四季折々の情緒を堪能してみたいと思える素敵な庭園でした。
2016.12.10
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今回はもうずいぶん前にご紹介させて頂きました大江戸散策紀行シリーズの続編をお届けしたいと思います。新緑の頃の記事となっていてすっかりタイムラグができてしまいました。(詫)上野公園へとやって来ました。広大な公園内には上野動物園を始め、美術館や博物館そして歴史的な建造物等、多くの文化的な施設が存在します。今年はル・コルビュジェ設計による国立西洋美術館が世界文化遺産に登録されたことでも改めて脚光を浴びることとなった一年だったかもしれないですね。この日はこうした施設の多くが休館日にあたる月曜日でした。江戸期より既に桜の名所として知られていた上野公園。今年も花見客でにぎわった桜並木をのんびりと進んでいきます。上野東照宮へやって来ました。上野東照宮は徳川家康の重臣であった藤堂高虎が自らの敷地内に創建した神社で、ここには家康、吉宗、慶喜が祀られています。鳥居をくぐると石灯籠が並ぶ参道の奥に唐門そして後方に社殿が見えてきます。こちらは社殿。壁面には精巧な彫刻が施され、金色殿と称されるほどの佇まいは絢爛豪華そのものです。こちらは唐門。社殿とともに国の重要文化財に指定されています。唐破風造四脚門となっています。柱に彫られた昇り龍と降り龍、壁面の透彫り等、細部に至るまで安土桃山期の匠の技術の粋が凝縮されている様に感じられるものでした。こちらの龍については、徳を積んだ偉大な人物ほど頭を垂れるという考えから、頭が下を向いているものを昇り龍と呼んでいます。透彫りに見られる諌鼓鳥(かんこどり)については「昔、皇帝が広く民の声に耳を傾けるために、自らの政に誤りがあると感じる時は、遠慮なく民衆に太鼓を打って知らせよ、ということにしていましたが、その治世は太鼓が打たれることもなく、終いには太鼓に鶏が棲み付くほど善政であった」という中国の故事に由来するといった解説がなされていました。こうした彫刻を始め、東照宮には長い戦乱の世を治めた当時の為政者の天下泰平への願いが込められていると考えられる、といった解説がなされていました。不忍池にて一枚。学生時代に遊びに来て以来の上野公園でしたが、都会のオアシスとしての佇まいは昔と変わらず、今でも訪れた多くの方々の憩いの場となっている様です。最後に、上野公園といえば西郷隆盛像。愛犬ツンとのツーショットは広く世に知られています。この銅像についてはいろんな逸話があります。幕末期を駆け抜け、維新後に要職を務めた多くの人物の写真が残る中、写真嫌いだったのでしょうか?西郷どんについては今のところ、全く写真が残っていないと言われています。私たちが知っている西郷さんの肖像画については、弟の従道と従弟の大山巌をミックスしたものといった説もあったり、なかなかその実像に迫りにくい観がある様にも思えます。銅像の制作にあたった高村光雲も作品のイメージを確立させるのに様々な腐心があったのかもしれないですね。そういう訳で、明治期に銅像の除幕式で主人の姿を目にした西郷夫人の口から出た「こげんなお人ではない」という言葉についても、「主人はこんな顔じゃなかった」と解釈する説と「主人はこんな浴衣なんかで外に出る様な非礼な人ではなかった」と解釈する説に分かれるようですね。さらに愛犬ツンとして知られるこの犬についても、これはツンではないといった意見もあるようです。西郷どんとツンとの出会いは、下野して鹿児島へ戻った頃と言われています。薩摩川内にある藤川天神を参拝した西郷どんが境内で偶然見かけた犬がツンでした。ツンは「ツン」と立った耳と左尾が特徴的な薩摩犬の雌だったと言われています(ちなみに上野公園のツンとされる犬は雄でした。その風貌と合わせてこれはツンではないという意見が出ているのかもしれないですね)。ウサギ狩りが大好きだったと言われる西郷どんは、ツンの狩猟能力の高さに惚れ込み、飼主へ何度も譲って欲しいと懇願していたそうです。そんな西郷どんの情熱に根負けした飼主は最終的にツンを譲ることに決めます。西郷どんのもとでも、その狩猟能力を存分に発揮していたツンでしたが、猟の最中に隙をみて脱走し、二回ほど遥か遠く離れた前の主人のもとへと帰ってきたことがあるんだとか。日本犬らしい忠犬ぶりをうかがわせるエピソードですね。薩摩犬は薩摩の地で古来より猟犬として活躍してきた犬種です。絶滅の危機に瀕しながらも薩摩犬を愛する人々の手により、昭和後期から再び血統の安定が図られ現在は薩摩犬保存会により、その保存を図る努力が続けられているそうです。上野公園の犬の像がツンであるか否かはさておき、いつの日か西郷どんが愛した薩摩犬も川上犬や琉球犬と同じく県指定の天然記念物となる日が来て欲しいものですね。
2016.12.09
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前回の続き。京都滞在2日目のこの日は京田辺市にある酬恩庵へとやって来ました。一休寺としても有名な酬恩庵。この旅の第二の目的地です。酬恩庵は鎌倉期に南浦紹明が開いた妙勝寺がその前身となっているお寺です。その後、鎌倉末期に戦火により一時衰退の途を辿ることになりますが、室町後期にこの地に酬恩庵と号した草庵を一休宗純が結び中興することとなっていきます。総門をくぐった一休和尚碑前にて皆さんと合流して境内参観がスタートします。碑には「諸悪莫作 衆善奉行」と記されています。先生より「悪事を成すことなく、善行を積み、己の心を浄める。これが諸仏の教えである」という意味になりますとの解説が皆さんになされていました。こちらの参道の紅葉も見事に色づいています。方丈庭園にて一枚。こちらは南庭。緑豊かな後方の山を借景にした枯山水庭園。ホントに見事です。こちらは北庭。この方丈庭園と虎丘庭園は酬恩庵庭園として国指定の名勝となっています。方丈の襖絵も撮ってみました。こちらは檀那の間。陶淵明、林和靖図が描かれています。こうした襖絵はかの狩野探幽の筆によるものです。方丈中央となるこの隣の室中の間には重要文化財ともなっている一休禅師木像が安置されています。方丈参観を終えてみんなで宝物殿へ。こちらには一休禅師の書跡や頂相などが保管されていました。素晴らしく達筆な文書や感情がこもった文書などその筆跡を通して僅かながら一休さんの人柄に触れることができた様な気がしたひと時となりました。昼食前に虎丘庵にてこちらの住職さんより酬恩庵の歴史や一休禅師についての御話を頂きました。晩年、東山にあったものをこの地に移し、一休禅師が結んだ庵には様々な分野からたくさんの人々が訪れたそうです。能楽についても造詣が深かったと言われている一休さん。彼のもとには金春禅竹や観阿弥の孫でもある音阿弥も教えを乞いにこの庵を訪れていたと言います。茶道の祖と言われる村田珠光もそうした中の一人と言われています。当時修行に励む禅僧の間でお茶には眠気防止の効用が認識されていたと言われています。一休禅師の禅弟子でもある珠光に座禅時に茶を勧めたことが珠光と茶の出会いとなったと言われているようです。その後珠光は、「四畳半の茶室の中においてはそこに身分の上下はなくもてなす亭主と客人との空間が存在するだけ・・・」そうした観念を体系化し茶の湯の概念を確立していきます。その思想は武野紹鴎そして千利休へと受け継がれていくことになります。日本文化の集大成と言っても過言ではない茶道の萌芽の地がこの酬恩庵であることに改めて感慨深さを抱きつつ住職さんの御話に耳を傾けます。その後、時は流れ明治期に入るとかつて境内に三つあった庵も廃仏毀釈の嵐に巻き込まれることとなり、この虎丘庵を残すのみとなったそうです。一瞬一瞬を大切にすること。その積み重ねがまだ見ぬ未来へと繋がる。そんな趣旨で結ばれた住職さんの御話。ありがたい御話を頂いたと思います。本当にありがとうございました。こちらは京都を発つ前に訪れた平等院。2年前に補修工事も完了し、鮮やかな朱色が午後の日差しに輝く鳳凰堂を一枚。平等院鳳翔館(平等院の博物館)の出口にて一枚。近代的な構造と境内の風景そしてそれを包み込むような色づいた光景の調和は得も言われぬものがあります。短い滞在期間ではありましたが、味わい深い晩秋の古都巡りを満喫できた2日間でした。最後に今回の旅に参加させて頂く機会を頂いた皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました!
2016.12.04
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前回の続き。今回の旅の目的地の一つでもある陽明文庫へとやって来ました。陽明文庫は内閣総理大臣も務めた近衛文麿が1938年に設立した歴史資料保管施設です。こちらには平安期から近世に至るまでの歴史資料が収蔵されており、その数は約10万点以上にも及ぶと言われ、近衛家伝襲の文化財(古文書、美術品、典籍等)が保管されています。こうした歴史的価値の高い文化財の保存の観点から一般公開は行われておらず、また湿気などによる書籍の傷みを最小限に抑える目的で参観期間も一年を通じて、3~5月、9月~11月に限定されています。現地にて住職さんや妻がお世話になっている陶芸家でもある高見世先生の一行と合流し、陽明文庫長の名和さんの案内のもと施設内へと進んでいきます。案内が始まると重厚な扉が施錠されます。施設内ではマスク着用!手荷物の持ち込みは不可!という徹底した管理体制が敷かれています。今回の訪問に合わせて展示頂いた資料を目にすると、こうした管理のあり方にもホントに納得がいく様な気がします。今回は和漢朗詠集や御堂関白記等の一部を中心に拝見させて頂きました。常日頃、漢詩を始め古典に親しまれていらっしゃる皆さんの見識の深さに感服しながら、飛び入り参加で不勉強な私も先生や名和さんの御話に楽しく傾聴させて頂きました。かの藤原道長公が書いた御堂関白記では、事細かに出来事が綴られている日もあれば、しばらくのんびり日記をサボっている様にも思える(当時の殿上人でもあったのであるいは政務に追われていたのかもしれませんが・・・)余白が続いていたりと、何だか現代を生きる私たちから見ても親近感を覚える様なところも部分的にあったりと、展示されている作品を様々な観点から楽しむことができたひと時となりました。陽明文庫の参観を終え、敷地内に佇む虎山荘へとお邪魔しました。名和さんご夫婦より美味しいお茶と和菓子にておもてなし頂き、御話も交えつつ、しばし数寄屋造の風情を堪能しながら寛がせて頂きました。お庭も素敵でした。こちらは奥の間にて撮った一枚。近衛文隆氏の書「山光無古今」。人事有憂楽 山光無古今 の下段です。人の世には憂楽があるが自然の美しさは不変であるという解釈になりますが、あえて下段のみの表現としたところに日本人としての奥ゆかしさが、僭越ながら感じられます。皆さんに別れを告げ、暮れなずむ嵐山へと足を伸ばしてみました。こちらは3年前にリニューアルした嵐電嵐山駅。ホームもライトアップされて幻想的です。京友禅による装飾で「キモノ・フォレスト」と呼ばれているそうです。インバウンド効果で海外からもたくさんの方が、現在京都を訪れていますが、この演出はそうした観光客の皆さんに受けること間違いなし!って感じがしますね。この日の夕食は嵐山羅漢が目印の嵯峨野さんにて頂くこととしました。店頭にてゴールデンのワンコのお出迎えを受けて奥の本館へと進んでいきます。嵯峨野さんと言えば湯豆腐!嵯峨豆腐を中心に京料理を堪能できるヘルシーな素材で美味しく頂きました。夕食を終え、嵯峨野さんの前の宝厳院にて開催中の紅葉のライトアップを眺めに院内へと足を伸ばしてみました。暗がりにぼんやり浮かぶ紅葉や、キレイにライトアップされて鮮やかに映える紅葉を眺めながら順路を進んでいきます。「京都の紅葉も温暖化の影響もあってか昨今は12月に入って見頃を迎えることが多いんですが今年は晩秋の頃に見ごろがやってきている様です」といった御話を京都の住職さんよりお伺いしました。素敵な京都の風情をより一層堪能できる時期にこの旅を企画頂いた皆さんに感謝しながら初日の夜が更けていきます。
2016.12.03
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今日は先日訪れた京都紀行の模様をお届けしたいと思います。今回の旅は日頃より大変お世話になっている住職さんと古典文学の先生にて企画頂いた古典を通してこの国の文化を学ぶ旅ということで、私も予てよりこの日を楽しみにしていました。この日の集合時間は午後ということもあり、早めに京都へ入り午前中お寺見学してみることとします。最初に訪れたのは妙心寺。臨済宗妙心寺派の大本山です。三門をくぐり境内へと入ると中央を北へ向かって伸びる参道上に仏殿、法堂、伽藍が配置され、それを囲むように搭頭が立ち並んでいます。こうした搭頭は46を数え、国宝級のものを始めとする多くの文化財が所蔵されていて、古都の歴史に育まれてきたスケールの大きさを窺わせます。まず退蔵院へと足を運んでみました。狩野元信作と伝えられる枯山水庭園を始め晩秋の風情が香る院内を進んでいきます。敷地の最奥の余香苑。ひょうたん池をベースにした池泉回遊式庭園です。奥行きを利用し勾配をとり要所に段差を設けることによって源流、滝、そして海へと注ぐ川の流れを表現しているように思えます。そして四季折々の草木が見せる美しさがそれをより一層情緒深いものにしているんでしょうね。退蔵院にはこんな国宝も所蔵されています。如拙作と言われる「瓢鯰図」です。日本史の教科書で目にしたことがある方も多くいらっしゃるのではと思います。果たして瓢箪で鯰を捕まえることができるか?そんな愚問に当時の禅僧たちが一見思い思いの解釈に基づいたアプローチで句を寄せている様に思えますが、これが見事な連句となっていると言われています。そうした自由闊達な文化背景から生まれた瓢鯰図は室町期を代表する水墨画であると言われています。法堂にも八方にらみの龍として知られる雲龍図(狩野探幽作)や黄鐘調の鐘(おうじきちょうのかね)と呼ばれる梵鐘といったいずれも国宝が所蔵されています。こちらの梵鐘は698年に鋳造され、記銘のあるものとしては国内最古と言われています。兼好法師の「徒然草」にも登場し、近年まで年末の恒例番組「行く年、来る年」でもその鐘の音を響かせていたこの鐘も経年による劣化が進んだこともあり、現在は現役を引退しこの法堂内にて大切に保存されています。この鐘は九州の筑紫の地にて鋳造され、その秀逸さから太宰府の観世音寺の梵鐘と兄弟鐘と並び称されているといった解説を法堂内にてこちらのお坊さんより頂きました。妙心寺はとにかく広い!今回、訪問が叶わなかった境内の搭頭については次回の訪問時の楽しみとして、妙心寺を後にして仁和寺へとやって来ました。古都京都の文化遺産として、世界遺産にも登録されている仁和寺。午後の集合時間も近づいてきたこともあり、御殿を中心に見学してみることとします。宸殿にて一枚。こちらは宸殿の北庭。どの眺めも絵にかいた様に素晴らしい。言葉にならないですね。色づいた木々を眺めながら、仁和寺を後にし集合場所の陽明文庫へと向かうこととします。
2016.12.02
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北鎌倉の散策を終えてこの日の午後は、境内の孟宗竹林で名高い報国寺へとやってきました。午前中の強い雨脚も弱まり、竹林から見上げる空も次第に明るさを増してきた様です。静寂に包まれた山音の調べに耳を澄ませながら歩を進めていきます。竹々の間に垣間見える苔むした灯籠も風情を湛えています。足利氏に所縁が深いと言われる報国寺。開基は足利家時公とされています。家時の孫にあたる足利尊氏が室町幕府を開いた後は鎌倉公方に尊氏の子基氏が就き、その後約90年間、四代にわたり鎌倉の地を治めることとなりますが、永享の乱において持氏方が敗れ自害し、その子義久もこの報国寺で最後を遂げることとなります。竹林を抜けると緑深い岩屋の中に足利一族の墓が見えてきます。報国寺は鎌倉公方足利氏の終焉の地であるとも言われています。報国寺から程近い場所に位置する旧華頂宮邸。先に訪れた鎌倉文学館と並ぶ、鎌倉を代表する西洋建築の建物です。建物内は春と秋に年間で数日しか公開されておらず、庭園内も週2日は休園日となっています。この日は、建物外観と開放的なフランス式庭園そしてその向こうに広がる紅葉を眺めながら、邸内の見学をさせて頂きました。浄妙寺へやって来ました。枯山水庭園にて一枚。雨も上がり雲の狭間から陽の光がこぼれ始めました。明日は天気も回復しそうです。(楽)杉本寺へとやって来ました。鎌倉最古のお寺と言われている杉本寺。開基は行基と言われています。切妻造りの仁王門にて金剛力士(仁王)像を撮ってみました。吽形像(向かって左)に阿形像(向かって右)。かの運慶作と言われています。仁王門をくぐると本堂へと続く、この寺の歴史を物語るかの如く苔に覆われた鎌倉石のすり減った階段が姿を現します。風情ある石段の佇まいに苔寺たる所以を感じさせられます。本堂では十一面観音、不動明王、毘沙門天王を始め、貴重な仏像を拝観できます。杉本寺を後にして訪れた鎌倉宮での参拝を終え、瑞泉寺へとやって来ました(上記写真は鎌倉宮にて撮った一枚です)。瑞泉寺は鎌倉期に夢窓疎石を開山として創建された臨済宗円覚寺派の寺院です。足利尊氏公の四男にあたる基氏公が夢窓疎石に帰依したことが端緒となり、鎌倉公方足利家の菩提寺となっていきます。名勝瑞泉寺庭園を撮ってみました。夢窓疎石作庭とされる方丈書院庭園です。山々の紅葉が錦の屏風の如く美しく映えることから錦屏山という山号が名付けられたとされる瑞泉寺。紅葉シーズンの拝観は初めてでしたが、深まる秋の鎌倉散策コースには欠かせない素敵な紅葉スポットというのも納得です。鎌倉・湘南散策を満喫し全国展が行われる千葉方面へ向かって出発です!!写真は途中、休憩で立ち寄った海ほたるにて撮った一枚。九州の犬友の皆さんと思いもかけず、御会いしたりといよいよ始まる年に一度の大舞台へ向けて、皆さんの応援と見学でやって来た私も犬バカモードにスイッチが入ります。(笑)今年は房総の地でどんなドラマが生まれるのかな・・・。(楽)
2016.11.22
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前回の続き。明月院から円覚寺へとやって来ました。山門をくぐると本尊が鎮座する仏殿が見えてきました。仏殿内にて一枚。ここにも御本尊を守護するかのように天井に躍動する雲龍が描かれています。ご本尊の傍らにもまた目を引く書が展示されていました。書家の金澤翔子さん揮毫による「佛心」。迸る様なエネルギーを感じる中にもどこか暖かさを感じさせる作風に書の心得のない私も胸を打たれる様な感覚に包まれます。細部に至るまで風情を感じさせる境内の散策を満喫しながら歩を進めていきます。こちらは桂昌庵にて撮った一枚。今回も道場では弓道の練習が行われていました。円覚寺は鎌倉期に時の執権北条時宗公が中国より高僧 無学祖元を招いて創建したお寺です。円覚寺の創建については時宗公が元寇の戦没者の菩提を弔うことと、政務をつかさどる時宗公の精神的支柱であったと言われる禅宗の普及を図ることを願いこれを行ったとされています。時宗公のこうした意向を受け、円覚寺では元寇での戦没者が日本の武士も元軍の戦士も分け隔てられることなく供養されていると言われています。円覚寺の拝観を終えて、やって来たのは東慶寺。江戸期まで開山以来、夫から離縁状を貰えない限り妻の縁切りができなかった時代背景の中で、女人救済の駆け込み寺として、縁切りの寺法を守ってきた東慶寺。その後、明治期に入り我が国が近代国家への歩みを進めていく中、こうした寺法にも終止符が打たれる時を迎えることとなり、東慶寺は臨済宗円覚寺派の禅寺となります。今日、東慶寺は小林秀雄や西田幾太郎といった多くの著名な作家や学者達が眠る場所としても知られています。こちらは浄智寺。総門の手前にかかる古めかしいアーチ状の石橋のたもとに鎌倉十井に数えられる甘露ノ井を目にしながら苔むした鎌倉石の階段を上っていくと唐様の鐘楼門が見えてきます。緑深い境内を森林浴感覚で奥へ奥へと進んでいきます。トンネルをくぐり布袋さんが待つ洞窟へ。お腹を撫でると元気がもらえると言われているだけあって、参拝した多くの方がここにやって来ていることをこのお腹の色が物語っている様です。御多分に漏れず、私もこの後、明日開催される全国展の舞台に立つワンコ達の活躍と旅の安全を祈願して撫で撫でさせて頂きました。(楽)早朝から歩きっぱなしだったこともあり、バッテリー切れする前にお昼にすることとします。ここ最近、鎌倉ではビーフシチューに人気が集まっているとの話を耳にしていたこともあり、今回は初めて去来庵さんへお伺いさせて頂きました。数寄屋風の門をくぐり、紅葉を眺めながら階段を上ると趣のある古民家風の建物が姿を現します。店内も内装から照明に至るまでレトロ感たっぷり。窓際の席で庭の景色を楽しみながら頂くこととなりました。去来庵初心者の私が今回、注文させて頂いたのはビーフシチューセット。こちらは、サラダを平らげメインを頂き始めたところで写真の取り忘れに気が付き、撮った一枚です。(失)コロコロしたニンジンと柔らかいビーフの食感が相性抜群で、更にコトコトしっかり時間をかけて仕上がったシチューの味がホントに良かったー!至福の時間を満喫し、充電も完了したところで午後の散策へといざ出発です!!次回は二階堂・浄妙寺エリア散策の模様をお届けしたいと思います。
2016.11.21
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鎌倉・湘南滞在2日目のこの日は朝からあいにくの雨。(悲)この日の散策は建長寺からスタートです!こちらは国の重要文化財に指定されている三門(三解脱門)。空・無相・無作を表すこの三門をくぐることにより、あらゆる執着から解き放たれることを意味していると言われています。開山である蘭渓道隆は「福山は揮(すべ)て松関を掩(と)じず無限の清風来たりて未だ已まず」といった言葉を残しており、建長寺はあらゆる人々(修行者)に門戸を開放している寺院であることを表しています、といった解説がなされていました。俄か修行者である私も降りしきる雨の中、境内の奥へと歩を進めていきます。(笑)唐門を裏側から撮ってみました。境内においてひと際、華やかさを放つ桃山風向唐破風の漆塗りの門構えとなっています。この唐門は徳川秀忠公夫人である江姫の霊屋の門として芝・増上寺に建立されました。その後、建長寺へ寄付され、ここ方丈(龍王殿)の正門として移設され現在に至っています。建長寺最奥に位置する庭園へとやって来ました。この庭園も蘭渓道隆の作庭とされています。四季折々の木々の色彩を鮮やかに映し出す蘸碧池(さんぺきち)を囲むように得月楼、大客殿、方丈が配置され創建時より応接空間として用いられてきました。建長寺を後にして長寿寺へと立ち寄ってみましたが、今日はこの雨で拝観は叶わず。(残)長寿寺は足利尊氏公が自らの邸宅跡に創建したお寺です。寺名の由来は関東で長寿寺殿と称された尊氏公の法名によります。更に歩を進め、明月院通りへとやって来ました。いつもは観光客で賑わうこの通りもこの雨で今日は人もまばら。心地よい小川のせせらぎに耳を澄ませ、雨にも映えるほどに色づいた紅葉を眺めながら歩を進めていきます。こちらは境内の北条時頼公墓所前にて撮った一枚。木々の鮮やかさに所々で足が止まります。アジサイ寺として知られる明月院ですが、秋も趣深いものがあります。山門をくぐり庭園へと向かう途中、小鳥とタイワンリスの餌場にて一枚。この後、小鳥たちの餌場でも食欲旺盛ぶりを発揮していたリスたち。かつて鎌倉一帯に一気に繁殖の場を広げていった生命力の強さを窺わせるひとコマでした。本堂と枯山水庭園へとやって来ました。仏教観を表現したこの空間は訪れた人の琴線に触れること間違いなし!といった雰囲気を醸し出しています。こちらは本堂の悟りの窓。コンパクトな空間に主観を置き、丸窓の外に広がる際限のない空間に客観を見出してみると、人ひとりとしての在り方と世の中の広さが自然と感じられる様な気がしてきます。次回は北鎌倉散策の続きをお届けしたいと思います。
2016.11.20
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湘南の海に別れを告げてやって来たのは佐助稲荷神社。朱塗りの鳥居が幾重にも連なる幻想的な参道を進んでいきます。以前は大量発生したタイワンリスたちがこの鳥居の上を行ったり来たりする光景に毎度毎度、呆気にとられながら参拝していましたが、ここのところは本来の佇まいを取り戻しつつあるようですね。鳥居群を抜け、拝殿へとやって来ました。五穀豊穣を祈願する神として奉られる稲荷神社。佐助稲荷においてもこの拝殿近くに霊狐泉と呼ばれる湧水が存在するなど、この辺りの山あいから供給される水が古くから人々の生活を潤してきた様です。こちらは拝殿の奥にある本殿。全国展へ向けて日々励んで来られた犬友の皆様のご健闘を祈念して、次なる目的地、銭洗弁天宇賀福神社へと歩を進めていきます。銭洗弁天に到着し、鳥居の先に続くトンネルをくぐり、境内へとやって来ました。銭洗いの始まりは鎌倉期に北条時頼公がここの霊水で銭を洗い一族の繁栄を願ったことによるとされています。本宮横の洞窟に奥宮があり、この洞窟から湧き出る銭洗水と呼ばれる清水で参拝者たちは思い思いに願いを込めながら硬貨や紙幣を洗っていきます。ここの湧水は鎌倉五名水に数えられています。銭洗弁天での参拝を終えて、源氏山公園へと足を伸ばしてみました。深まる秋に木々もすっかり色づいています。こちらは化粧坂。南方を海、三方を山に囲まれた自然の要塞の地であるこの鎌倉に源頼朝公が幕府を開いて以来、人や物の往来が活発になっていきます。この化粧坂は鎌倉七口の一つに数えられ、地方から鎌倉への陸路の入口として長らく機能してきました。鎌倉攻めに際し、新田義貞公もここから進攻を試みましたが、突破することができず、先にご紹介しました稲村ケ崎から鎌倉へ入ったと言われています。源氏山公園の散歩コースを抜けて長谷方面へとやって来ました。久しぶりに鎌倉文学館へと足を伸ばしてみました。なだらかなスロープを登りきると、開放的な空間にレトロ感たっぷりの洋館が姿を現します。後方には緑豊かな鎌倉の自然が広がり、前方には長谷の町並みを挟んで美しい相模湾の風景が広がります。館内には古都鎌倉にゆかりのある文人たちについての紹介や原稿等の文学資料の展示が行われています。文学館の見学を終えて、鎌倉文士たちが愛した長谷の裏路地を散策しながら、高徳院へと歩を進めていきます。鎌倉を象徴する大仏を本尊とする高徳院へとやって来ました。日もだいぶ傾き、観光の方も少なくなってるかな?と思っていましたが、海外の方も含め、境内はまだまだたくさんの観光客でごった返していました。鎌倉時代に建立されたと推定されている大仏ですが、当時は奈良の東大寺の大仏同様大仏殿の中に鎮座していたと言われています。天災により大仏殿が二度にわたり倒壊し、その後、再建されることもなく、現在の露座する姿に至っています。大仏の保存にあたっては主に地震対策として、前傾姿勢の首部分を強化プラスチックで補強したり、台座と仏体を切り離すことによる免震構造を取り入れたりと先人の知恵と現代科学の融合により、大仏を後世へ遺す努力がなされています。次回は北鎌倉エリア散策の模様をお届けしたいと思います。
2016.11.19
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今日は午前中の所用を終えて、湘南へとやって来ました。海をのんびり眺めたくなり、途中、稲村ケ崎(海浜公園)へ立ち寄ってみることとします。 前回は雨に煙っていた江の島も今日は天気にも恵まれ、いい眺めです。 この場所から眺める江の島とそこへ向かって弓なりに続く海岸線の景色はホントに絵になります。秋の穏やかな陽射しが眩いくらいに波に煌いています。その向こうには波待ちのサーファー達が波に揺られながらプカプカ浮かんでいるのが見えます。公園内では平日の昼下がりにも関わらず今日も三々五々、のんびりと時を過ごす方たちの姿が見られました。こちらは柴ワンコと散歩するご近所さんでしょうか?思い思いの至福の時を楽しむ方々の姿にこちらも心が和む様です。この後、久しぶりに砂の感覚を楽しみながら浜辺をしばし散策した後、腹ごしらえに腰越漁港へとクルマを走らせて行きます。御昼は「しらすや」さんへお伺いさせて頂きました。「しらすや」さんは目の前の腰越漁港からの水揚げされた新鮮な海の幸を堪能できるお店だと思います。今回は迷わず「しらすづくし定食!」を頂くこととしました。鮮度抜群の生しらすに、釜揚げ、佃煮、かき揚げといったその名の通りのしらすづくしにご飯も進みます。エネルギー補給も完了し、しばし江の島を散策した後、鎌倉方面へと向かうこととしました。次回は、鎌倉エリアの散策の模様をお届けしたいと思います。
2016.11.18
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今日は地元の日帰り旅行に参加させて頂きました。行く先は佐世保。ICを降りて、まず向かった先はセイルタワー。セイルタワーの正式名称は海上自衛隊佐世保資料館。各フロアごとに江戸期に遡るこの国の海軍の歴史から現在の海上自衛隊に至る資料をまとめた資料館です。入場料は無料となっていて誰でも気軽に見学できる施設になっています(平成28年現在)。この建物は海軍士官の懇親や外国士官の接待のために建築された佐世保水交社の跡地に海軍の遺産を承継する施設として整備されたものです。7階建ての建物は水交社の建物の一部を再利用しレトロな雰囲気を感じさせる1、2階部分とガラス張りの現代的なビルとなっている3階以上部分からなっています。セイルタワーの愛称は建物の屋上に設置されている屋根の様な構造物が船上の帆に見えることに由来するとの説明がなされていました。こちらはセイルタワー下の国際通りにある佐世保バーガーを代表するヒカリとログキット。今回は時間の関係で立ち寄ることができませんでしたが、佐世保を訪れた際には、よく腹ごしらえに入らせて頂くお店です。セイルタワーを後にして向かった先は西海パールシーリゾート。今回の旅の目的でもある九十九島巡りの出航地となっています。ツアーコンダクターとなっているコミニティの担当者の皆さんとバス会社の息もピッタリでスムーズに乗船できました。ここ佐世保から平戸へかけて幾重にも連なるリアス式海岸が生み出す風光明媚な景色を堪能する遊覧へと、いざ出発です!天候不良のため、前回そして前々回と連続で乗船が叶いませんでしたが、今日は天気にも恵まれホントに良かった。(嬉)ゆっくりと流れていく島々の景色を眺めつつ「九十九島とは言いますが、実際には208もの島からなっています」といった旨の船内アナウンスによる説明に耳を傾けていました。カキや真珠の養殖場としての九十九島の光景も波の穏やかな内海ならではのものですね。こんな晴れた秋の海も良いものですね。遊覧を終え、ちょうど良い頃合いに腹時計がなり始めます。(笑)この日のランチは弓張の丘ホテル内にあるレストランILMARE(イルマーレ)さん。九十九島を臨む抜群のロケーションとメインからデザートまで種類も豊富なブッフェ形式のレストランで美味しく頂くことができました。こちらは食事を終えて、しっかりため込んだカロリーを消化すべくホテルから足を伸ばしてみた展望台から撮った一枚。陽射しにきらめく穏やかな海が静かに広がっていました。ここのところの慌ただしさから離れて、今回もいろんな方と御話をさせて頂く機会を与えて頂いたり、ホントに楽しく有意義な時間を過ごさせて頂いた旅となりました。こちらは夕方の散歩風景。マリ婆恐怖症だったサクラもだいぶスムーズにコミニケーションが取れる様になり、その背中から少しずつたくましさも感じれる様になってきた気もします。成長の種は結構身近にあるもの、そんなことを今回はサクラから教えられている様な気がするこの頃です。
2016.10.12
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