February 12, 2006
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夕立ちがあがったので、信夫は雨宿りをしていた文具店の軒下から出てきた。
リコーダーの位置を直すと、ランドセルを背負い、いつもの下校道を歩きだす。
舗装されていない道路は、夏の乾いた地面が濡れたせいで、埃っぽい嫌な臭いがした。
タバコ屋の角を曲がると、やはり水たまりが出来ていた。
ここは、ゆるく窪んでいて、雨が降るといつも大きな水たまりが出来る場所だった。
信夫は、それを避けるため右へ廻わろうとして、少し向こうの水面に小さな波紋が細かく揺れているのに気がついた。
見ると、一匹の蟻が忙しくもがいていた。
信夫は辺りを見回し、軒下から枯れ枝を1本見つけて持ってきた。
薄灰色の枯れ枝を蟻の方へ延ばすと、枝は水を吸って黒く濡れる。
それでも蟻は気がつかずにもがいているので、信夫は枝を蟻に押し付けてやった。
蟻は枝に押され張り付いたが、すぐにしがみついて登ってきた。
信夫はその枝ごと、雑草の中へそっと置いた。
そして、ランドセルを直すと、また下校道を歩きだした。

蟻を一匹救ったからといって、何が変わるわけでもないということは信夫にも解っていた。
事実、蟻を助ける前と後とで、自分の人生が変化したようにも思えない。
しかしそう考えはじめると、自分が今、こうして歩いていること自体にも果たして何か意味があるのだろうかとも思えてくる。
自分がこのまま歩きつづけて、世の中何かが変わるのだろうか? 
見渡すと誰も居ない土の道に、太陽の照り返しだけがキラキラと乱反射している。
不意に見慣れたはずの下校道が、白く形のないものに見えてきた。と同時に今すぐに誰かが話しかけてくれなければ、これが現実かどうかさえ解らなくなってしまうような気がしてきて、信夫はたまらずに走りだした。走って走って残りの道を一気に走りきりそうして勢い良く玄関の扉を引いた。
「なーにが?そんなに勢い良く開けて。走ってきたんか?」
奥から祖母がびっくりして出てきた。
信夫は、はあはあと息を整えると、なんでもないと言いい、ランドセルを持って奥の間へ入った。
そして畳にあぐらをかくと、扇風機のスイッチを入れた。
勢い良く回転する羽に向かって大きな声を出してみると、いくつもに割れてかえってきた。
自分は確かにここに存在している。
信夫は大きなため息をつくと大の字に仰向けになり、窓の外を見た。
空には大きな入道雲が高く伸び、その先端を真っ白に光らせていた。
信夫はそのとき、その強い光の上に、まったく違う別の世界があるような、そんな気がした。







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Last updated  March 28, 2010 09:48:42 PM
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