子どもの頃のこと 0
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昨年11月に「守山文芸」と云う文芸冊子を友人から紹介されて目を通しました。通巻28号も続いている地域の文芸同人誌です。参加されている同人は近在の方々を中心に約20名。昨夜、その守山文芸の集い&懇親会に参加してきました。参加メンバーは70〜80歳位の男女熟年高齢者で構成されている。飲み物、食べものを各自持ち寄りでの談論風発の2時間半でありました。冒頭年会費、2千円を納入したので晴れて正会員になれました。と云うことで早速、寄稿文の締切が7月末日。なんだか作家になったような気分が味わえるというわけです。 #守山文芸 #郡山市田村町守山 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ランチ、山菜料理の「食菜・曲り家」で御弁当。その途中に城跡があると云うことで帰りに寄ってみた。守山城跡、車の往来が多い国道49号線から入る道路が細いのと表示板が無いので予め地図なりカーナビなどセッテングして向かった方がいいですね。昭和12年に奉納された威風堂々とした立派な狛犬が鎮座した神社が建っていた。まずは現場に足を運び立ち寄ってみる。そこからいろいろ知れることがあるかも。入口周辺はホタルブクロが咲いていた。境内には土俵が設えてあった。力比べの力石も置かれてあったが私の力ではびくともしなかった。#守山城跡 #守山八幡神社 #「食菜・曲り家」で御弁当¥650のランチ
2024/06/22
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居心地のいい仲間とは同質結集の法則。質が同じものは自然と集まってくる自然界の法則でもあります。同じ質とは心の質が相似通ったもの同士であれば違和感が比較的に少ないわけです。ゆえに居心地もいい仲間としての認識が生まれる。「そうだよね」と云う同意ある言葉は安心であるが、「それはそうじゃないよ」という不同意の言葉が返ってくるのでは情緒安定というわけにはいかないだろう。何度も否定されたりするとその人はコチラとしても緊張関係となるわけです。居心地が良いわけありません。必然だんだんと距離を置く関係となるでしょう。人は居心地の悪い場所からは離れるというものです。この居心地というものは、言葉に出さなくとも五感が感じとるものです。なんとはなしにわかる、伝わってくるものです。居心地とは、心地良い、心地良くないの自己判断です。生命維持のセンサーともつながっているわけですから誰でもが過敏に働きます。
2024/05/08
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「複写ハガキ」という人間交流のツールを広めた坂田道信先生が亡くなった。複写ハガキを書くことによって全国各地に友人ができました。坂田道信先生に初めてお会いしたのは平成3年(1991)でしたので32年前でした。長崎の深沢さんが主宰するJapan鷹山会で山形県米沢市の上杉鷹山公を訪ねる旅に参加しませんかと坂田先生からの電話があったのです。それから新潟県十日町市の村山さんの声掛けで全国各地から複写ハガキの仲間とのハガキ祭りで坂田先生との交流がありました。郡山以北に講演旅などあると、帰路に郡山駅に下車して駅前ホテルで雑談会をしようと度々、声がけが有りました。はがき道https://www.chichi.co.jp/web/20230219_sakata_michinobu/#はがきの力https://www.chichi.co.jp/web/nengajyou-hagaki-sakata-michinobu/『ハガキ道に生きる。』「ハガキ」を1日30通、1年間に1万通を目標に書き続けている男性がいます。広島県に住む坂田道信(さかた・みちのぶ)さんです。坂田さんは、1940年のお生まれといいますから…坂田さんの書くハガキは、少し変わった書き方のものです。『複写ハガキ』と呼ばれるもので…白紙の紙とハガキの間にカーボン紙を置いて書きます。こうすることで、当然、上の紙に書いた文面がカーボン紙を通してハガキに写るとともに、「自分の書いた文面がちゃんと残る」という仕組みなのです。この『複写ハガキ』を始めたきっかけは、29歳のとき、たまたまこの書き方を実践している人に出会い、薦められたことでした。「義務教育を終えたら…次の3つが出来なければならい。挨拶ができること。ありがとうが言えること。そしてハガキがちゃんと書けること」。坂田さんはこの言葉を信じて、農業や建築関係の職に就きながら、まずは身近な人へ宛てて、ハガキを書き始めたといいます。そして信じるままに書き続けて10年が過ぎたころ…自分の「人生」に大きな変化が生まれていることに気が付きました。苦労した漢字や文章も、苦にならずに書けるようになっていました。そして、全国…日本全国に、ハガキのやり取りをする「友達」が出来ていました。そしてそれは、「自分は一人じゃない」そんな心の大きな支えになっていたのです。さらに…『複写ハガキ』で残った何万通にも及ぶ文面を振り返り、友人とはどうやって関係が出来上がってきたか?こんなことを書くと喜んでもらえる、こんな言葉は使うべきではなかった…自分は何を考え、何を伝えてきたのか?これからの人生にとっての「大事なヒント」が、たくさん残されていたのです。坂田さんは、この「素晴らしい経験」をもっと多くの人に知ってもらいたいと考えました。そして、全国を飛び回り、『複写ハガキ』の良さを講演で訴え続けるようになったのです。そしてそれを聞いて実践した人からは、たくさんの反響が届いています。ある会社の上役が部下に「ねぎらいのハガキ」を定期的に送り続けました。部下をどう指導してきたか? 一貫性があったか?振り返ることができました。そして、それを受け取った部下の家では…ハガキがひそかに家族の目にも触れていて、一家の大黒柱がどんなに大変な思いをして給料をもらっているのか、それを知るきっかを作ったそうです。坂田さんは、「字が下手とか、文章がうまくないとか、気にすることはまったくない」といいます。重要なのはそこにある思い…それは、ひとつ、ひとつ、手で書かれた「文字」そのものが、ちゃんと伝えてくれるというわけです。 そして…話の最後に、こんなことを言ってくれました。「財産といっても、モノやお金はいつかなくなります。でも人と人との心のつながりは、たとえ死んだあとでも、ちゃんと『想い出』として残ってくれるのです。」プロフィール昭和15年2月20日生れ。一男二女の長男。向原高校卒業。昭和42年(27才)結婚。昭和46年8月森信三先生に出会う。昭和50年10月、一男二女を遺して妻死別。百姓の合間に種々の日雇い職を経験。大工の名人に出会い、30才過ぎよりその配下で働き、現在に至る。大工兼業の百姓に従事しなから、ハガキ道一筋にかけた真実には眼を瞠るものがある。そのハガキ道は、一葉の「ハガキ」に全生命を托するやり方で、わずかに一枚のハガキでも、読む者をして感銘を呼びおこす。毎日、一日もかかさず、旅にあっても寸暇を惜しみ、乗車中でも、複写ハガキを構え、どんな人にも、どんな事でもハガキに託し、必ず返信し、しかもその一枚にこめられた謙虚な姿勢は心打たれるものがある。活動は一見地味なようであるが、内に燃える真実は一条鉄の如しで、大地に根ざした優しさがあり、この「ハガキの功徳」に気づいた。ハガキを書く――この、日常の言わば何でもないようなことを継続・実践し、「ハガキ道」という道にまで高めた坂田道信さん。学問はない、裕福でもない、逆境の連続だった人生を、ハガキ一つで開いてこられました。そんな坂田さんが月刊『致知』読者限定の講演会で語った内容は、「人生のコツ」とも言うべき教えで溢れています。 ■弱くても生きられる文化〈坂田〉その人の実力は友達である――。頭、悪くてもいいんです。頭のいい人を友達にすればいい。お金、なくてもいいんです。お金持ちを友達にすればいい。国語ができない人は、国語ができる人を友達にすればいい。友達をつくる技術が生きる技術です。 私たちの先祖は友達づくりの技術を、躾(しつけ)という形で伝えたんです。挨拶一つできない人に、友達はできません。返事一つできない人に、友達はできません。履物を揃(そろ)える、立つ時机に椅子を入れる。これは約束を守るということに通じます。この躾の三原則を教えたら、親としての義務は9割以上果たせるんです。 テストの成績が悪いとかそんなことは、走りっこが一番か四番かという程度の問題です。走りっこが一番でも四番でも、人生には関係ないだろう? ところがいつからか私たちは、テストでいい成績を取れる人が幸せになれるという錯覚を起こしたんだよな。 私の若い頃、結婚は90%以上が見合いでした。年寄りは、結婚する女は器量よしがいいだの、頭がいいだのとは言わなかった。見合いの相手が履物を揃えとったらパス。これは凄いよね。 私はこれまで生きてきましてね。世間の人が持っとるものさしとは、違うものさしで生きたほうが幸せになれることが分かったんです。 それは森信三(もり・しんぞう)先生の言われる「全一学(ぜんいつがく)」というものさしです。分かりやすく言ったら「易(えき)」です。科学のものさしでなしに、易。科学のものさしは得てして西洋からきたものですから。 人と競争しないのが利口なあり方です。競争したら絶対に弱い者が負ける。勝った人でも、その上にもっと強い人が現れていつか負ける時がくる。 人間の感情の中で、悔しい思いが一番危険なんです。恨みを買わない生き方が一番の基本です。 西洋のものさしの価値観では、相手より強くならないと生きられないんです。資本が大きい、従業員が多い、誰それはこんないい家に住んでいる……、どれも相手より強く、大きくなるところに価値を置いています。 ところが世界の中で、日本だけが弱くても生きられる文化をつくり上げたんです。技――。西洋には技という概念がありません。自分が相手より強くならないと生きられんのですから。でもこの技があれば、相手が強ければ強いほどいいんです。その分、相手の力を利用して生きられるんです。 ハガキ道というのは、技の文化です。頭のいい人は絶対に複写ハガキを書きません。一対一だから手間がかかる。お金がかかる。だから頭のいい人は、効率や能率を考え、一対千といった接し方をするんです。 ■すべてのものに拝まれているいま、私はマイクに助けられとる。椅子に助けられとる。服に助けられとる。眼鏡に助けられとる。女房に助けられとる。子どもに助けられとる。近所の人に助けられとる。私が有名になったのはね、皆さん方が一枚一枚、毎日せっせと手紙を書いてくださったからなんです。 そうやって、すべてのものに拝まれとるなぁ、と気がついたんです。でも私は拝み返したことがなかったんだよな。俺はハガキを書くんだよ。日本一だよ。100万円以上使うよー言うて、恥ずかしいぐらい、自慢する言葉を口にしてきたんです。 ところが60歳を過ぎてだんだん体力が衰えてくるだろう。あ、拝み返すことが必要だなぁ、と坐禅断食をしながら気がついたんです。拝み返すことができるようになって一人前です。限りなく拝まれとる世界に対してね。 私たちは拝まれとる存在。拝み返すというのは、「感謝」をすることでもいいんです。ハガキ道というのは、拝み返す世界です。ハガキを書いたら売り上げが上がるとか、いいことがいっぱいある、手に入らんものはないくらいです。でもそれは表面的なことです。 裏には、命を与えてくださった人に対して限りない感謝の心が溢れている。24時間拝み返す世界へ入った時に、びっくりするくらいにそのことを感じました。 よく私たちはツイとる、ツイとると言うでしょ。年に数回はツイとることが起こるでしょ。自分の実力以上のことが起こるでしょ。でも私は感謝することを知ったおかげで、毎日がツイとる人生を歩かせてもらえるようになりました。
2023/03/27
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人間が人間らしくあるのは、感情の発露があり、受けとめてくれる会話がある。感情の受発信を認識できる交流があることではないだろうか。コロナの流行が3年間も続き、気がつけばスーパーもコンビニも100円ショップの買い物も自分で詰めて自分で支払いの精算をするシステムに変わってしまった。人と人とが会話する機会がなくなりつつあるわけです。ちょっとした会話ができる場が失われてつつあるように感じる昨今であります。一方で、あるスーパーでは店内従業員の背中に名札「声を掛けて下さい」のメッセージ。客と店員とのコミュニケーションで顧客密着感を高める方針を示すところがTV番組で流れました。ニーズあるところにビジネスチャンスもあります。人間交流が希薄になりがちな効率一辺倒の買物環境に一石投じる企業も出現しています。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆たのしみは 鶯の声 聴きながら 真似て口笛 吹いてみるとき坂道散歩の道路脇斜面は雑木林になっており、鶯が鳴いていたので、私も口笛で鳴き声を真似て吹いてみた。縄張り意識が働くようで鶯も負けずに鳴き続けておりました。坂道散歩3往復で鳴声競演です。もうちょっとうまく鶯の声をマネできればいいのですが、まぁいいか‼️ #鴬と競演 #鶯坂坂道散歩とは、約30分ほどの散歩道の途中に、標高差約15m、歩数にして120歩ですがこれを何度か往復すればいいかもと。山登りの脚力をつけるのに坂道を利用することを思いつく。具体的に始めることによって具体的な成果がでることを期待するわけです。坂道散歩は5日前から新しく加えて始めた次第です。#脚力をつける #継続してやり続ける #坂道散歩 #標高差15m #目標は20往復 #登山ができる脚力復活を #秋に三本槍岳登山 #コツコツやり続ける #ルーティン
2023/03/24
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「年賀状交換行事が衰退」とやや嘆き節調のblogカキコミを目にしましたが、年賀状衰退は今に始まった事ではございません。だいぶ以前から年賀状発売枚数の減少が言われてきました。念のため調べてみたら年賀状売上のピークは2003年(平成15年)の44億5936万枚でした。もう20年前から減少傾向が続いていたわけです。ちなみに人口減少化は、2008年の1億2,808万人をピークに減少に転じた。昔こどもの頃のTV番組、太田博之主演で「時間よ止まれ」ありましたが現実社会では時間が止まるようなことはあり得ません。時代はたえず変化しています。変化常道なのです。不常は不変のルールです。どう生きるか、生き方と考え方は人それぞれ。自分の考え方を中心に世の中は廻ってくれるものでもありません。どう折り合いをつけるかを含めての自分の生きる道というものかも。自分と波長が合うか合わないかで私は晩年の基準にしています(笑)人と人との交流密度は、人それぞれですし、この時代、スマホがあれば瞬時に通信を送ることもできるし、話をすることもできるわけです。季節の美味しいものを贈りたければゆうパック&レターパックで翌日には時間指定で贈れる時代です。どんな交流を望むかは、アクションとリアクションの質と量。感情の揺らぎとハートの熱量ということになりましょうか。意識が変われば、、、、行動が変わる意識の変化が無ければ、行動変化は起こらないでしょうから、人々の間に意識の変化が起こり、年賀状交換行事の衰退ということになったと言えるでしょう。儀礼的な年賀状は送らずとも圧倒的な信頼を得ることに長けた人がいる、元角川書店勤務、現在、 幻冬舎社長の見城 徹氏だ。これはと思う作家の本を出したいと思うと書かれた本を全部読み、新刊が出ると直ぐに読んで感想文を手紙にして本人に送ると云うことを続けて信頼を得るとのことです。人間は自分に興味と関心を持って接してくれる人には好感を持つわけです。作家は著書をしっかり読み込んで批評文をいち早く送ってくれる人のことは記憶にインプットされるでしょう。それを反復してやってくれる人があったら、リアクションの機会があったら手を差し伸べることになるでしょうね。
2023/01/10
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居心地の良し悪しが行動に表われる。参加している趣味の会でのこと、いつも遅れてやって来る人がいます。遅刻常習です。遅刻常習すら気にしなくなっている本人です。私なら遅れてドアを開けて入るのにちょっと躊躇しますね。要は決まり事、定刻の時間という約束事を守れなかった後ろめたさでしょうか。そして今回は加えて途中退席でした。居心地がよろしくないようにみえます。周りの人達は気づいても何も言いません。云ったところで今更変わらないだろう。とばっちりを受けるかもしれない。寄らば斬るぞの空気感が漂う存在に浮いてしまったようにもみえます。団体組織では協調感がなく個性が際立っていると浮いた存在になってしまいます。心の有り様が安定しないのかもしれません。それでも周囲は何気に受け容れてくれる寛容が見て取れるわけです。2ヶ月ほど前にみんなの前で団体長と激しい口論となったことがあり、いちど詫びを入れた経緯があるとのこと。私はその場に居合わせておりませんでしたが、シコリというか、わだかまりがくすぶっているのかもしれません。今後どう折り合いをつけるのか見守っていくしかないですね。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆私の独楽吟を掲載 ▶︎ https://plaza.rakuten.co.jp/sinsenbikan/3002/たのしみは 想定外の 日本一 3名の吟 耳にするとき第34回 日本詩吟選手権、東北本部福島地区決戦大会 於:ミュージカルがくと館(郡山市)。総勢77名がエントリー、他流派も入り乱れての詩吟選手権を午前11時から16時までじっくり堪能でありました。私の所属する岳風会の吟は、吟詠の縛り決まり事が吟詠の流れ、詩文の味わいを削いでいる様にも聴こえてしまった。伸び伸び感に劣る。わが流派の出場者は普段の吟よりも伸ばして吟じてはいるものの、いかんせんつけ焼刃的であり物足りなく聴こえてしまうのでした。岳風会の吟は多流派に混じると吟詠の味わいが乏しいかのような、比べるとどうも素気なく聴こえてしまうようだ。全体的にのびのびと自由に吟じる日本詩吟協会の薦めている吟じ方の方に魅力を感じてしまう。情緒感あるわびさびを覚えますね。今まで自分の参加している流派の吟しかほぼ聴いていなかったので今回の選手権にふれて新しい発見がありました。今回、私が所属している会派の入賞者が少なかったわけですが、加えて最後に登壇した審査員3名の模範吟はいずれも少壮吟士の称号(日本一に 1度だって難しいのに 3回ならないと到達できない達人域)を持つ先生方ですから、それはまことにもって魅力的な吟詠を聴かせてくれるわけです。それだけでも足を運んだ甲斐があるというものでした。日本詩吟選手権、福島地区決戦大会。入場無料で最後に少壮吟士3名の吟を聴くことができてラッキーな1日でありました。
2022/11/23
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趣味の詩吟稽古の会に週1回2時間程ですが参加しているのですが、進行状況で終了時間よりも25分ほど早く終了すると言われたので、挙手して提案をしました。25分早く終わるのであれば、1人1分間、詩吟のことでも、それ以外でも、この1週間で見たり聞いたり体験したことで素晴らしいなぁと感動したことや、驚いたこと、タメになったこと、あそこのランチは美味しいよ等々各々の気づいたことを述べあったらどうでしょうか!10人いたら新しい情報や関心ごとを共有化できるのではないでしょうかと。進行者の反応は、「では来週からやりましょうか」私が一人一分間の発表見本をやりました。今コロナ禍で免疫力を高めるとイイと言われますが、米麴がいいですよ。米糀で甘酒を作るととっても美味しい。スーパーで売っている甘酒と違ってスッキリとした自然の甘味、家にある電気釜でできます。米糀は同じ詩吟仲間のSさんのところが糀屋さんをやっています。糀に塩を加えれば調味料の塩麹もつくれるし、納豆と米糀で納豆糀もできる。糀菌は国の定める国菌です。桜が我が国の国花で、雉が国鳥、麹菌が国菌なのです。日本酒、味噌、醤油など麹菌による発酵がないとつくれないので麹菌は国菌と定められたのです。米麹で甘酒を自宅で作って飲んで腸内免疫力を高めましょう。体調も良くなりますよ。さて、来週から予定時間より早く終わったら1人1分間スピーチを採用することになりましょうか。定時まで2時間みっちり詩吟練習できたらそれにこしたことはありません。
2021/03/10
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中学校の同窓会総勢133名中、出席は38名(生存者出席率33%)3年ぶりに集まる顔はもうそんなに変化は感じられない。一方50年ぶりに初出席する顔は別人、名札を見てから面影を探す。これからはみんな暇な時間が多くなるはずだから、1年に1~2回の顔を合わす機会をつくってもいいかもと思った次第。日時:2019/11/17 12時~会場:館林文化会館内 ニューミヤコホテル2次会は会場の近くに喫茶店があるだろうと歩いたがそれらしい店は閉店、閉店で、駐車場に戻った方に拾ってもらってココスに移動、9名でお茶飲みながら少し話して明るい内に解散となりました。同窓会は幼いころ小学校・中学校同じ学び舎で9年間過ごした仲間です。参加する顔ぶれは固まってきた感がある。病気で亡くなる同級生を知るとどこかやるせなさを覚えるものですが、集まった同級生との歓談は愉しいものです。趣味の毛ばりフィッシング、携帯には渓流で釣った魚がアイスボックスに満杯の写真!スマホ・携帯のフォト保存を見ればその人の趣味の世界がかいま見られる現代社会かも。趣味の蕎麦打ちを活かして気の合う同級生らとの懇親会もいいかもね。気が向いたときに蕎麦を食べる会を10名位で開催することが可能かも、10名位だとコミュニケーションも一堂に会してできるわけです。 (^_-)-☆趣味のあれこれ、web検索してみましたら趣味探しお手伝いサイト!350種類以上の趣味を紹介!年代別・男女別の人気趣味ランキングも充実!「 趣味探し.com 」と云うサイトをみつけた。
2019/11/17
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ピザ釜を自宅の庭に作った友人宅でピザ釜パーティーやるのでと声がかかり2度めの参加。集まったのは11名、いつものメンバーに加えて新客3名でした。ピザ生地を延ばしてトッピンしてつくったピザを自分でピザ釜で焼いて、焼きたてを口にできるのは最高!!なんとも贅沢な遊びです。今回は後半、やってみたかった釜にピザを入れて焼く係です。やらせて欲しいと申し出て担当しました。外気温が32℃だった。10月でこの気温は高すぎる。ピザの発祥の地は地中海にあるイタリアと云われています。子どものころには口にしたことがなかった食べ物です。餅を焼いてその上にトッピングするなんて発想は生まれなかったわけです。しいて云うならば長野の「おやき」あたりだろうか、だが決定的な違いは焼いてとろけたチーズ味だろう。強力粉を1400g用意しました。水を900g加えて練ります。イースト菌、塩、オリーブオイル、砂糖、蜂蜜も使います。1時間ほど一次発酵させます。15個ほどボール状にして20分の二次発酵したものを手で丸く薄く延ばしてピザ生地づくりです。お店で焼くピザでは、こんなにもたっぷりとピザをこれでもかと載せることはないでしょうね。まず最初にハーブ入りのトマトペーストを生地に塗ります。オニオンスライス、ブロッコリー、ハム、ジャガイモとのせます。ベースにハーブ入りのトマトペーストをスプーンで広げてその上に、ピーマンの輪切り、玉ねぎスライス、小海老、イカ、シジミ、チーズをトッピングします。油紙を敷いてその上にトッピングし終えたピザをのせてピザ釜に入れて焼くわけです。ピザ釜から取り出した焼きあがりのピザを四等分に切りました。お好みでタバスコを振ったりします。蕎麦打ち仲間ですから、、、蕎麦をのせて焼いてみようということになりました。焼きあがった蕎麦ピザです。これは、どんな味のピザなのかみんな興味津々でした。一番最初に口にしたのは、ピザ釜の主である遠藤さんが「うん!微妙だなぁ~!!」蕎麦は、蕎麦で食べた方が美味しいという結論でしたが、焼いてみたからわかったことでした。このピザ釜は遠藤さん宅の庭の一角にあります。ちなみに、この人がこのピザ釜の持ち主でピザ釜製作者です。自分で作りあげてしまったということですから恐れ入ります。ピザ釜の中の温度は300℃近くになります。蓋を開けた状態で250℃ですから250~300℃の間で焼き上げるということになります。右上の丸いのが温度計です。大鍋でつくった豚汁もありました。かぼちゃをタネをとり半切りにしてピザ釜で焼きました。これが本日のいちばんほっこり味で美味しかった。たっぷりと美味しいものをいっぱい食べたあとに、いよいよ真打の新そばが登場となります。蕎麦打ち仲間ですから蕎麦がでてきます。会津喜多方(雄国産)の夏蕎麦。うっすら薄緑の蕎麦です。 朝8時から蕎麦打ちをした深沢さん、切りは二瓶さんが担当。茹でたてをすぐ口にできるわけです。蕎麦が焼きそばみたいな色合いに見えますが、テントが焼きそば色の透過光なものでご愛敬です。腹いっぱいのはずなのですが、120gを3皿、新そばは美味しい。炭火で焼いているのは罠で仕留めたイノシシの肉です。解体も自分でやってしまう遠藤さんです。焼いているのは狩猟が趣味の深沢さん。深沢さんと遠藤さんは狩猟仲間とのことで今、ともに蕎麦打ち修業に邁進中です。美味しいものが並ぶと蠅が飛んでくるねぇ~昔は蠅取り紙があったものだが、と云うと主はほどなく蠅取り紙を持ってきて吊るした。昭和遺産の蠅取り紙が出てくるとは一同ビックリ。〆は目の前の畑で早採りしてよく冷やして、塩をふっただけのミニトマトが美味しい。加えて屋敷の横の畑で育った大粒の栗をおみやげに持って行ってくださいと渡されるのです。冷蔵庫の冷凍室にて冷やすと甘さが増すだろうか、と冷凍庫に保存してみました。※前回のピザ釜パーティはこちら帰宅してからピザの発祥の地を調べてみたら、イタリアのミラノとあった。それがアメリカに渡って広がっていったとあった。生地だけをみたらインドのナンとも似ている。ナンは竈の側に張りつけて焼き上げる。ピザもナンも窯で焼くのは同じだが、ピザは具をのせるので平らに置かれるわけです。ピザはパンを焼く文化圏の産物ということでしょうね。
2019/10/02
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郡山市シルバー人材センターの音楽愛好会「シルバー元気塾」が発表会を開くと昨日の新聞記事が目にとまったので、開催時刻が同じ会議を途中でぬけて足を運んでみた。ミュージカルがくと館の小ホールはほぼ満杯だった。
2019/09/07
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夕方、近所の友人が自分で打ったうどん&黒にんにくを散歩の途中に届けてくれた。一晩冷蔵庫で熟成させて明日茹でて食べることにします。近所に、お裾分けしあえる友人がいるといいね!黒ニンニクは自宅の庭でニンニクを栽培して、ニンニク専用の電気釜でもってニンニクを保温熟成させてつくるという。熟成ニンニクの香りが台所から漂ってくるので、タッパーに入れて冷蔵庫に保存することにしよう。沸騰した鍋で10分茹で上げたうどんをそのまま釜揚げしたら丼にうつして、生卵を割って生醤油とかき混ぜていただいたらいいと食べ方をプリントアウトしてあったので、そのとうりやってみました(^_-)-☆このうどんを食べていて気が付いたことがあった。私の慣れ親しんだうどんは平打ちの手打ちうどんだったということです。それを冷や汁で食べることが多かったのです。今、残暑が厳しいので残暑が続くうちに、その平打ちの手打ちうどんを手打ちして冷や汁で食べてみたいものです。
2019/09/06
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蕎麦打ちの仲間から、自宅の庭のピザ釜でピザを焼いて食べる会をやるのでと声がかかり初参加してきました。年に30回ほどピザ釜を使っているとのことでした。ピザ屋さんでデリバリーするピザを食べるのでなく、自分でピザ釜をつくってしまう方を選択するわけですから恐れ入ります。ピザ釜の中の温度が外からわかるように温度計までついています。ピザ釜の中の温度は約300℃になっていました。薪を燃やしてピザを焼きます。このピザを釜に出し入れする役を一度やってみたかったのですが、、、ピザ釜から焼きたてのピザを取り出してアツアツをすぐに食べることができるわけです。蕎麦打ち仲間ですから、もちろん手打ち蕎麦が出てきます。朝早く起きて参加人数分の蕎麦を打って生蕎麦持参。この蕎麦も美味しかった。おろし大根も持参です。かたわらでは鮎を竹串にさして炭火で焼いています。炭火でじっくり焼いた鮎。これも美味しかったですね。
2019/06/12
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温泉タワシの会友忘年会、又の名をオッサンズ飲み会by 飲み食い処 長ちゃん(郡山市亀田)温泉タワシの会も高齢化に伴い病院へお世話になる方が増えて、今回は若返り半分入れ替えになり新鮮な忘年会となりました。新鮮で美味しい肴が出てくる居酒屋さんでした。ハタハタの唐揚げ食べてみたいと思っていたものが、揚げたてのタイミングで美味しかった。普段は温泉だけで顔を合わす方たちとの交流会でした。年代が10年違うとズックは靴だとわかるが、シャッポーと云ったら3名とも初めて聞く言葉ですと云われて60代のおっさん3名は、えっ!!と絶句でした。職場では管理職は本社から派遣されるパワハラ調査の査察やら、部下とのかかわりが仕事以上に気を使わなくてはならない時代であることを聞かされました。ビール2杯で仕上がりました(笑)
2018/12/19
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8月28日早朝に母は、あっけなく逝って位牌になってしまいました。人の命のはかなさを知ることとなりました。母は祖爺さんの93歳を目指していたのに行年91歳でした。最近、親族で集合写真を撮ることがなかったので50年後の子孫にむけて記録写真を撮りました。精進落としの席で戒名にちなんだ詩吟を献吟しました。#親族葬 #秋月文寿
2018/09/03
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夏だ!ということであさかの学園・クラスの暑気払いに参加!1泊2食付き@3500、市内在住60才以上は宿泊料800円の逢瀬荘です。冷えたビール付き、温泉付き、信じられない低価格なのです。市外の在住の方は2900円で素泊まり可能。5人部屋でいびきの大合唱でとても熟睡できる状況ではありませんでした。冷房換気扇を一晩中、肌寒いのだけど寝汗をかく、前の晩の体重計と朝風呂後の測定差が約2kgそんなに寝汗をかく!?というわけで、今日は昼寝で睡眠補給でした(笑)次回からは、いびきの合唱を避け、泊まらずに帰った方が無難なことを学ぶ!!正式名称は「郡山市高齢者文化休養センター・逢瀬荘」とリーフレットにありました。価格表を載せておきます。逢瀬荘の前の斜面に山百合が群生アップで撮影したら、もう赤とんぼが草の葉に羽根を広げているのを発見する
2018/07/15
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ドトールのちはれやかコーヒー鼎談はDOUTORでした。「ドトール珈琲はコメダ珈琲のモーニングセットよりも50円安くてボリューム感あるね!」の声に、確かにと思った1日の朝でした。近所のドトールポイントをチェックしておきましょうか。調べてみたら、近所にはドトールはなかった。気分転換に車で移動するか、読書タイムに使用するか意識しないとまずは寄れない距離であった。
2017/04/01
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あさかの学園大学、卒業記念祝賀・謝恩会。 300名の卒業生です。卒業7クラスと事務局職員、それぞれ工夫をこらしたアトラクションがあり、年齢を忘れたノリのいい仲間たちでした。byビューホテルアネックス
2017/03/03
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ラーメンと云えば何が思い浮かぶでしょうか。私が最初に食べたラーメンは袋入りのラーメンです。日清のチキンラーメンだったろうか。フライ麺に味が染み込んでいるのでスープの小袋なんって入っていないシンプルな麺を蓋のついた丼に入れ、熱湯を注いで3分待つのだった。昭和34年頃だったろうか。あのころの最高のご馳走は小泉町の吉田屋の生寿司と中華そばだった。それから父が鳶職をしていたので棟上げの焼鯛入りの折詰をほぼ毎月食べられたことだった。母親がときどき手づくり饅頭を蒸かしてくれた。お彼岸のぼた餅、運動会の稲荷寿し、年末の搗きたての餅、正月の鶏肉の煮込み、冬のどじょう鍋、茹でたてのきぬかつぎ。春先になれば天気のいい日にヨモギを一緒に摘んで草餅をつくってくれたものです。手づくりのおふくろの味で育ったんだなぁ~を思い出します。
2017/02/20
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高段伝位受證祝賀会・忘年会が始まり、まもなく地震が2回!思わず天井のシャンデリアの揺れを確認、スマホやタブレットで震源地確認でした。125名の出席でした。詩吟の世界は、脳梗塞、脳溢血、胃癌など経験した方もなんのその、「吟道は氣を養うの道なり。人の生や氣なり。一聲士氣高し。」の心意気で参加している人がいることを知る。病気を経験しながら詩吟をやっているのです。いやはや驚きました。ちなみに支部会員の最高齢は104歳です。
2016/12/04
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同窓会に参加。133名中、33名の参加。亡くなった方9名。住所不明10名。中学卒業から来年3月で半世紀です。出席率25%、4人に1人と云うことになります。2次会には約半数が参加です。合わせて6時間の時間共有でした。 誰かが言った、みんな昔と変わんない顔してるよね!って、、、談論風発がすすむ中で面影が増幅してくるようです。私たちの中学校は統廃合で中学3年生の時に長柄中学校から邑楽中学校長柄教場となった。町にある中学校3つが統合したのだけれど新しく統合した中学の新校舎ができていないのでそのまま旧中学校の建物で学んで卒業したのです。名前だけが邑楽中学校長柄教場と変わったのです。中途半端なまんまの卒業でした。だから長柄中学校卒業というものもいるんです。正しくは邑楽中学校第一回の卒業生なのです。作詞、作曲をした方はどんな由来の方々だったのか、あとで調べてみることにしよう。■岩上行忍氏 - 作曲家。 1909年-1992年 東京音楽学校卒。群馬大学助教授、鳥取大学教授。ありますので、群馬大学助教授のころ作曲されたのでしょう。■贄田太二郎(にえだたじろう)氏は、田山花袋研究者だったようです。また同じ邑楽郡内の明和中学校の校歌も作詞していることがわかりました。そこで両校の校歌の詩を並べてここに比較してみました。左:長柄中学校、右:明和中学校1 紫そむる赤城嶺に 1 たなびく雲に 空明けて 雲わき立ちて 大利根の 遙かに望む 赤城嶺や 水浄々と 流れゆく 歴史は遠し 故郷の めぐみゆたかな 丘の辺に ああ宏壮の 学園よ いらかそびゆる 学園よ 学ぶわれらの 胸おどる ああ我等の 長柄中学校 励まん ここに明和!明和中学校 2 長柄の杜の とこしえに 2 みどりの大地 開けゆき 希望にもゆるくらかけの 洋々 利根の水流る 松の常盤の心もて 理想は高く 若人の 自主独立の 意気高く ああ清新の 学園よ はげむ若人 かず五百 学ぶわれらの 胸かおる ああ我等の 長柄中学校 鍛えん ここに明和!明和中学校 3 学びの道は 遠くとも 3 ゆたけき幸に めぐまれて 年小気鋭たゆみなく 輝く穂波 はるばると 師弟互いに 手を取りて 光を掲げん 鐘ぞ鳴る 文化の楽土 打ち建てん ああ黎明の 学園よ 伸びよ若人 すこやかに 学ぶわれらの 胸たのし ああ我等の 長柄中学校 振わん ここに明和! 明和中学校
2016/11/20
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たのしみは 仲間と集う 芋煮会 歌って踊り 若返るとき秋晴れのもと芋煮会でした。 in三春の里同じ材料で芋煮鍋をそれぞれつくりますが3つの鍋を食べ比べしてみましたら微妙に味が違います。つくる人によって味が変わるのです。加える味噌の量の加減やアクとりなどにより変わってくるのです。ハーモニカを吹き始めると歌声喫茶よろしく合唱になるのです。広場で全員輪になりフォークダンス。老体に鞭打つもステップに身体がついていけずバラケながらのフォークダンスはご愛敬でした。里芋、椎茸、人参、牛蒡、白菜、大根、油揚げ、うどん、豚肉など具沢山の芋煮鍋です。15×20センチの昆布も入ってました。味噌で味を調えるだけですが大鍋で煮込むと美味しくなるのです。この鍋で10人前です。これをたべると身体がほっこりと温まりました。気持ちはみんな若いのです(笑)
2016/10/07
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たのしみは よく似た顔が 2年ぶり また集まって 語りあうとき2回目のいとこ会を開催しました。今回は瑞宝双光章を叙勲されたいとこがいたのでそのお祝いも兼ねて集まりました。叙勲の感想を尋ねてみましたらなんと皇居には3度目の入城授賞ということでビックリ!中古四輪トラック1台で砂利砕石販売の仕事を1人で始めるときに親戚ということもありわが家に創業の挨拶にみえたのは私が高校1年の時ですからあれから47年です。皇居は松の間、竹の間、梅の間とあるそうです。歌会始めに使用するその部屋で叙勲授与式はおこなわれるのだそうです。受け付け時間に遅刻した人は門の中に入場できない時間厳守だそうです。 いとこ会は参加者一同、親が兄弟ですからお互いどこか似た雰囲気を共有することを感じますね!
2016/02/28
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たのしみは 仲間を募り 新そばを 食べる会をば 企画するとき手打ち蕎麦 4人前 (@130g × 4 )1000円で実演販売しておりました。好評で総て売切れということでしたが、身体が疲れ気味のようだったので、その場でケアーしてあげましたら これ持っていって下さいとプレゼントされてしまいました。ということで今夜は蕎麦ということになっちゃいました。^_−☆ 3日間で400人前の蕎麦打ちを一人でこなすとのことです。全部で52kg、1日あたり約17kg余、いやはやご苦労さまです。行動やアクションに、人は各人おのおの個性を持っている。ちょっと変わった行動でも、その人の個性だと思えれば傍観者として受け入れることができるかも。ねばならないという枠に固執すると違和感として受け入れ難くなるというものです。無料視聴CDを送ってくれるというスピードラーニング。テレビショッピングの速読です。0120に電話すると先方から確認の電話がくる、1と2のどちらを選びますかと聞いてくる。そのまま申し込みに連動するようにうまく電話誘導されますが迷わず最初の予定通り無料視聴CDを申込みました。【おうちで朝カフェ】濃厚なコクがたまらない「バターコーヒー」って? | クックパッド これはぜひ試してみなくてはと思ったね。
2015/11/02
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あさかの学園大学、郡山市内の60歳以上の方が毎週1回2時間の授業がある学び場です。今回は運動会ということで参加してまいりました。平均年齢が65歳をこえるであろう方々の運動会に参加してきましたが皆さんとてもパワフルで驚きました。地域の運動会では見られない活力とパワーです。ビックリしました。元気な年のとり方もあるんですね!1年をかけて体質改善を心掛ける人が多いようです。365日の積み重ね運動は人をかくも健康体にするという見本を見せられたような気がしました。熟年ないしは高齢化した人たちの運動会は、イメージした動きと自分の身体との整合性を考えながらの理性的な動きを伴わないと転倒しかねません。要は身体がついていかないという状況を未然に防ぐ心がけがないと怪我をしかねないということです。日ごろから運動して身体づくりをしておかないと年に1回の運動会といえどもハッスルできないわけですね。そんなことも教えられた運動会でした。
2015/07/01
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ヨネスケの「突撃!隣の晩ごはん」という番組がありますが、よその家のふだん食べている食事って興味あるではないですか。それが生活圏の違う地域の食べ物は、なかなか乙なものがございます。山開きの日の朝、車を走らせていたときに(現地から約10kmほど麓の一本道に)なにやらテントを出して庭先に臨時売店を設置しているように見えたので下山後に立ち寄ってみました。「とち餅」を一切れ、日本蜂蜜を塗って食べさせてくれるのです。とち餅は10切れ入って千円だというので購入。次に写真にあるご飯を潰して餅状に丸めたもの(この地域はもち米を栽培していなかったので替りにご飯をつぶして餅の代用としたとのこと)に自家製の辛子味噌を塗って食べさせていただく。これがなかなか美味でした。売っているならこの辛子味噌をわけてほしいと尋ねましたが在庫がないという残念!先週、唐辛子の種をプランターに播いたら芽を出し始めているので、こうなったら自分で辛し味噌をつくることにしましょうか。今、熊汁煮ているから一椀食べていってと椀がまわってくる。20年ぶり位になる熊汁だ!ところがこの熊汁の熊肉臭みがあって美味くない、記憶にある熊肉は獲りたてで熊の油がたくさん浮いていたとても美味しかった。とはいえタダでご馳走になったのにまずいとも云いにくい。川を挟んだ反対側に湧水があり最近人気スポットだというので足を運んでみました。大火の後、明治30年ころ建てられた曲家はかなり大きい茅葺の家です。7件揃って裕福な暮らしぶりが偲ばれます。先祖は猟師ということですから獲物が豊富だったのだろうか、家を建てたのは越後大工ということですから新潟から大工さんが泊まり込みで工事にあたったのだろうか。
2015/06/15
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蒲生岳に向かう途中に、新ソバまつりの幟が並んでいたのでちょっと立ち寄って腹ごしらえです。駐車場は車が満杯状況でした。ちょうどこれからランチタイムという時間だったので蕎麦には行列ができ始めておりました。「ごっつおまつり」と銘打って、地元の美味いものが勢ぞろいです。そこに行かないと食べることができない、地域の伝統料理を食べることができるのはいいですね。残念ながら時間がなかったので新蕎麦だけでした。蕎麦好きなので、それでも2種類の蕎麦を食べましたが、、、また、奥会津でそば打ちしていた応援団は郡山市大島のそば打ち愛好会の有志だったのにはビックリでした。いずれにしても新蕎麦はいいですね ^_−☆
2014/10/29
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武蔵嵐山志帥塾 2014.10.11〜12武蔵嵐山駅につくと会場まで15分歩くかと思いきや、出迎えの車が待機しており送迎つきです。会場に着くと撮影までとおそれいりました。中に入ると神渡良平先生が笑顔で待っており、握手から始まる武蔵嵐山志帥塾、今回20回目の開催です。明日の昼まで24時間の滞在です。2014年10月11(土)、12(日)の両日第20回武蔵嵐山志帥塾が、国際女性教育館で行われました。講師は塩沼亮潤さん 「毎日が小さな修行」 Aikaさん 「生かされた命に感謝して」 今野華都子さん「未来のために今できること」 神渡良平さん 「中村天風とヒマラヤでの瞑想」
2014/10/12
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ホタルと共に語り部の夕べ いつ: 平成26年6月28日(土)PM6:00〜場所: なんだべ村(郡山市逢瀬町多田野字南山田原1-2)会費:@1500円 先着30名程度主催:逢瀬ゆめくらぶ28日午後6時から開催された「蛍と共に語りの夕べ」なんだべ村のスタッフさん総出でおもてなしです。屋外で始まったのですが、途中から雨が降り始めて屋内に急遽移動しましたが、すみやかに何ごともなかったかのように紗羽しゅうこさんの昔語りがスタートました。逢瀬町 なんだべ村で開催された「蛍と共に語りの夕べ」、昔語り6話を聞かせていただきました。終了後、雨降る中を傘を手にして、田んぼ道を南へ約200mにある、ほたる荘まで足をのばしてみましたら木陰からスーと滑るように源氏ホタルが頭上を移動してゆくすがたを3匹ほど目にすることができました。雨の中でも健気に木蔭に飛ぶホタルの淡い光は幽玄でもあり感激ものでした。本日のディナーレシピです。会費1500円をすませますと食事券と蕎麦券が渡されます。手打ち10割そばです。蕎麦粉は全部で8kg使ったとのことです。蕎麦粉8kgに水分4000ccでトータル12000g÷100g(1人前)=120人 ということで約120人前を用意したということになりますね。一人前100gということで、計りで計測しながらです。私はぶっかけそばにしていただきました。
2014/06/28
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入り口では山頭火の「分け入っても分けいっても青い山」茶室にすすみますと「雲は無心にして岫(しゅう)を出(い)ず」下に目をやれば露草があり。 坐禅仲間のWさんのおもてなしは和の流儀が凝縮しています。忙中閑あり、時の流れが別世界でした。 雲無心出岫(陶淵明・帰去来の辞の一節) 雲は無心にして岫(しゅう)を出(い)ず色紙の書は瑞巌寺の先代住職の手によるものだとのこと、雲の文字が入道雲のように見えました。ツユクサと額紫陽花、花器は番傘「 ちょっとお茶でもいかがですか 」と会議室から隣の部屋に案内された和室は茶室でした。 梅の実にみたてた和菓子をいただき一服しました。予期せぬサプライズでした。
2014/06/14
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第1回郡山掃除に学ぶ会 掃除実習会場 郡山市立富田東小学校 8:30〜13:00 第2班になり水濾しのサビ落としを担当しました。2時間かけてサビ落としに集中しました。水濾しは普段、目にすることはありません。目に触れないところも磨きをかけろとのお知らせかと思い取り組ませていただきました。参加者みんなで学校中のトイレをきれいにしたあと、講堂で仲間と食べたカレーはとても美味しかったですね。掃除に学ぶ会は平成5年11月に岐阜県恵那の大正村で田中義人氏らを中心にしてスタートしました。私はその田中氏にその年の7月に長野市で開催されたjapan鷹山会で、宿泊が同室であったこともあり、その話を聞かされておりました。あれから20年余をへて、郡山掃除に学ぶ会は全国で127番目としてスタートです。5月17日(土)16:00〜 ホテルハマツにて 鍵山秀三郎氏講演会「 やっておけばよかった 」 やらずに残った悔いよりも「 あのときに、、、やっておいてよかった 」生き方を話されました。5月18日(日)午前7:30〜掃除実習受付開始 8:30開会式・掃除実習・昼食 12:00閉会式 13:00解散 富田東小学校トイレ掃除実習カレーライスは参加社のライフフーズさんで担当されました。
2014/05/19
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春は花 蕾ふくらむ 夢創り第2回 夢創塾セミナーい つ 平成25年4月12日(金)13:00開場 13:30開始どこで 21世紀公園、とんがりふれあい館、体験学習室 郡山市麓山1-16-17 (駐車場はNHK郡山の西側に無料駐車場)■アベノミクス助成金の賢い活用法がある (会社を元気にする助成金・給付金) みよた社会保険労務士事務所 所長 御代田 裕介氏 ■健康講座 「ツボがわかると経営と健康のコツがわかる」 知っておくといざというときに便利です 元氣研究会 川島弘嵩 会費 1000円 (定員先着15名様まで)夢創塾に参加すると、夢と希望が生まれる。夢創塾に参加すると、友達の輪が広がる。夢創塾に参加すると、すぐに使える技術が覚えられる。夢創塾に参加すると、楽しくなる。夢創塾に参加すると、可能性が拓ける。夢創塾に参加すると、明日の展望が拓ける。 夢を創るっていいね~夢を実現させるっていいね~ そんな塾を目指しています (^。^)y-.。o○夢創塾郡山 川島弘嵩 090-2029-3128
2013/04/09
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啓蟄に 一歩進める 夢創り夢創塾セミナーい つ 平成25年3月8日(金)13:00開場 13:30開始どこで 21世紀公園、とんがりふれあい館、体験学習室 郡山市麓山1-16-17 (駐車場はNHK郡山の西側に無料駐車場)■側近学について 野地数正 (株)IDENTITY 代表■ビジネスコミュニケーションのコツ 川島弘嵩 夢創塾 代表会費 1000円 (定員先着15名様まで)■側近学について 野地数正成功する社長は、有能なナンバー2を育て備えているものです。組織は、トップ独りの力では、限界があります。社長の分身とも呼べる補佐役・ナンバー2がいるといないでは雲泥の差があります。さてどうすればナンバー2との出会いが生まれるか。経営者を支えて事業を盛り立てる、補佐役・参謀・ナンバー2の育て方。■出会いの切り札 川島弘嵩出会いの切り札である名刺はビジネスの入り口です。どれだけ工夫していますか。どんな業務をやっているか、魅力ある人間力を表現できていますか。またコミュニケーションの秘訣を知っているのと知らないのでは、、ビジネスコミュニケ―ションのイロハとコツを伝えます。夢創塾に来ると、夢と希望が生まれる。夢創塾に来ると、友達の輪が広がる。夢創塾に来ると、すぐに使える技術が覚えられる。夢創塾に来ると、楽しくなる。夢創塾に来ると、可能性が拓ける。夢創塾郡山 川島弘嵩 090-2029-3128
2013/03/05
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経営資源「人・物・金・情報・時間・知識」の最適配分が経営者の仕事 といわれていますが、「物、金、情報」は人についてくるから人と知り合うことが大事だと言われた。ただ通りいっぺんに知り合っただけでは、顔見知りになっただけで終わります。これはと思った人に出会ったら楔を打ち込みことです。人脈というのは、ツーと言ったらカーと打てば響く関係までに持ち込むことです。今の時代でいえば、携帯電話でいつでも話ができる関係ということになるでしょうか。人がその気になる、心が動く瞬間はどこにあると思いますか。「 人がその気になる、心が動く瞬間は 」で検索してみました。情報は、いまやインターネットで情報洪水のごとくあります。2,480万件です。この中から自分に必要な情報を捉える技術をもっているでしょうか。人、物、金、時間、情報は経営の極意なり! と言われていますが情報検索の技術をマスターできれば、いいわけです。また人の心を動かすプロがいます。仕事の必要にせまられて身につけていったものと思われます。これはと思った人に確実にそのふところに転がり込むのがうまい人がいます。
2013/01/28
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今年お会い人の中でいちばん興味を覚える人です。佐賀県武雄市長、日本フェイスブック会長兼日本ツイッター学会会長の樋渡啓祐さんです。41歳。10月18日那須町文化センターにて講演会の始まる前に再会でした。日本ツイッター学会会長を名乗ったと思ったら、次いで日本フェイスブック会長を名乗ってしまったのでしょうね。そのへんのいきさつはよくわかっていないのですが次々とweb情報発信の手を打っている。今この時代の旬な話題づくりは実に長けている。現役市長でありながら笑わせながらの講演が得意なのです。私も身長は小さくないほうなのですが、この人と並ぶとひとまわり小さく見えてしまいます。大笑いしながらの握手を演出しているのです。
2012/10/25
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杜の都、仙台市に友人の息子さんの結婚式に参加してきました。式場は駅から約2キロ程の青葉区定禅寺通沿いにある定禅師ガーデンヒルズ迎賓館。行きは仙台駅から地下鉄で向かいましたが帰りは散歩がてら歩いて仙台駅に向かいました。繁華街の国分町通をぬけてアーケード通りを、、、目にとまったのが路上わきにて、にがお絵描きのパーフォーマンス。携帯で帰りの新幹線の時刻を確認して、時間がまだ大丈夫ということがわかり、さっそく私も描いていただきました。この仕事を始めて8年になるそうです。累計約3万人の似顔絵を描いてきたということです。
2012/10/15
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17日の午後から18日の朝まででしたが、参加している福島県倫理法人会の研修会が会津若松の御宿東凰で開催され参加してきました。県内各地から50名の参加がありました。講師の蓮見利勝さん、とってもわかりやすい講演でした。話し言葉が、私の育った群馬の言葉にとっても似ていた。久喜市在住ということでしたが、石川啄木がふるさと訛りが懐かしいと歌に詠みましたが、故郷を離れていると懐かしいイントネーションなんですね。懇親会まではよかったのですが、和室4名での就寝、一人のいびきがひどくてとてもでありませんが眠れません。真夜中に露天風呂にでもと思ったら25時で終了ですし、となりの部屋で窓をあけて星を見ていた。そうしたら思い出されてくるんですね。15年前に旅したモンゴルの夜空も新月だったので満天の星であったことを。オリオン星座が燦然と夜空に存在感があった。
2012/09/18
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たのしみは 温泉つかり おとなりと よもやま話 花が咲くとき磐梯熱海温泉の元湯にて、仙人のような長くて白い口髭をはやした年配の方が元湯の冷泉の中に浸かっておりました。ずいぶんごりっぱな口髭ですね。何年生やし続けるとそのようになるんですか?と尋ねてみました。28歳のころから口髭をはやしたとのこと。仕事は建設関係の基礎杭打ちで、ディーゼル発動機による顔の汚れがひどくて、毎日落とすのがたいへんで髭をはやすと比較的に簡単に落ちることがわかったのだそうだ。それいらい髭の○○さんと覚えてもらい、やめられなくなったということでした。杭打ちの仕事は日当がよくて当時、職人の日当が「ニコヨン」と云われた時代に、24,000から25,000円になったということです。一般の働き手の日当の約100倍の超高給取りだったとのこと、しかも独立して、だいぶ儲かったとのことでした。東京オリンピック等、右肩上がりの時代だからどこも景気が良かった。とりわけ建設業は田中角栄首相がでたころは勢いが最高だったという。仕事は都内の大手建設会社からで一仕事2,000万の仕事だと200万のキックバックがあたりまえだったという。談合もあたりまえ、古き良き時代だったらしい。その後、台湾、中国、ベトナム等の海外で杭打ち専門で仕事。豪遊ざんまいの時代をおくったという。出身は茨城の潮来の近くだったという、現在、故郷に帰省すると「子供のころみた景色は何にも無くなっちまった」と、、、20年若い私が田舎に帰省しても遠くの山並以外は、かろうじて卒業した小学校の建物の一部と母の実家の茅葺の母屋が残っている位になってしまったわけだから、よく理解できます。故郷に育ったころの面影がないと、もはやそこは異郷の地と変わらなくなってしまうわけです。髭のおじさんは今年80歳になるそうだ。現在は仕事はもちろん引退ですが、関心ある建築業は東日本大震災でかろうじて仕事が廻り始めた状況ですが、有史以来初めての人口減社会に突入して、若者にはたして未来が明るく見えるものだろうかと云っている。ベトナムやカンボジアに行っちゃって働いたほうが未来が明るいんじゃないかとも云う。現在80歳と云うと、かろうじて戦地に行くのをまぬがれた年代、その年代の人はまさに日本の高度成長期を突っ走って日本の一番希望に満ちあふれた時代を生きてきた人達です。先に私が温泉からあがり、軽く右手を挙げての挨拶で別れた。
2012/08/24
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昨日7月7日銀河まつりを訪問しました。自然食レストラン「銀河のほとり」が開催する銀河まつりです。ゲストは富士山麓で有機農業をベースにした自給自足の生活をおくるエコビレッジ「木の花ファミリー」の皆さんです。私がおじゃましたのは「木の花楽団コンサート」の後半部分からでした。木の花ファミリーでつくられたジャガイモ、人参とってもおいしかったですね。持続可能な社会を目指すパーマカルチャーという言葉をきいたことがある。世界各地でエコビレッジがあるようです。現代社会は数々の問題をかかえていることは否めません。いいところもあれば改善しなければならないところがあるわけです。人は幸福な生活をおくることを目指して生きてきたはず。それを具体的に実験・実践している木の花ファミリー。この団体をもう少しどんなところか学んでみたいものです。夏の銀河まつりは、7月8日も午後5時まで開催です。約80名という大家族で暮らす木の花ファミリーは、ひとつの社会実験でもあるかと思います。中国では一族一緒に暮らすしくみがいまだに続いている地域があることを以前、TVで見た記憶があります。家族とは、そもそも戦前は、おおかたの家が3世代同居の大家族であった。戦後、アメリカ型の核家族となった。特に大企業勤務は働きの場が全国どこに転勤になるのかわからないし、転勤となると大家族同居形態がままならないわけです。戦前の3世代同居の大家族は家も大きかった。農家では田植えや味噌作りなどは、隣近所との共同作業だった。農繁期は新潟から田植え作業の出稼ぎ部隊もやってきた。屋根葺きなども隣近所総出でおこなった記憶があります。農業は、田植え機などの農機具がなかった時代です。耕運機がない時代は牛や馬を使って田畑を耕したものです。農業機械の発達と普及によって人手がいらなくなった農業ができる時代になってからですね。
2012/07/08
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自在かぎのついた囲炉裏端で火を囲んで話をする。火の温かさ、遠赤外線でぽかぽかあたたまってくる。火がさびしくなると新しい薪をくべる、と、また火が大きくなる。昔のくらしは火のある暮らしだった。いまでは、いつのまにか「たき火」までも禁止となってしまいました。誰とはなしに、囲炉裏端で火を囲みながらの語らいとなりました。那須ポカラ
2012/06/25
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会津若松の市内、お城の真北に位置する場所になんとも、ほっとする文字の看板が目に入りました。なんだろうと車を停めて入口玄関に貼られた表示があったので確認しました。福島原発のある大熊町の方々がここ会津若松市内に避難生活されている方々の集いの場所であることがわかりました。張り紙をみて新潟市で普及した「地域の茶の間」のようなものだろうかと思ったしだいです。時間が午後3時までとあったので、数分しかなかったので取材せずにあとにしましたが、次回、会津に伺ったおり取材してきたいと思います。いまこの時代に玄関の引き戸が開け放たれているのがいいですね。いつでも開放しているので寄ってらっしゃいと言っているようです。おおくまサロンゆっくりすっぺ:会津若松市東栄町1-15
2012/05/01
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web検索は便利ですね。かつて人が集まる面白い会が各地でおこなわれた時代がありました。その一つに「過疎を逆手にとる会」というものがありました。現在でも名前を「逆手塾」に替え活動していることがわかりました。というわけで、その他、思いつくままに検索で現在も活動しているところを探してみることにします。■ 逆手塾 塾長 宮崎文隆氏 ■japan鷹山会 主催:深澤清氏■ハガキ道 坂田道信氏 各地でハガキ祭りが開催されています。
2012/04/14
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facebookの書き込みに「ITfacebook講座」を書き込んでおきましたら、宮城県登米市倫理法人会の小泉会長からオファーがあり、往復約400kmの出張講座となりました。IT講座を和室で開催するのも乙なものでした。参加者8名の内、facebookを使っていたのは2名でした。IT講座終了後にどう変化するのかが楽しみです。開催会場:割烹若鮨2F和室 宮城県登米市
2012/02/11
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松明あかしのメイン会場である五老山公園への道路は焼きそばやクレープなど露店が並びます。道路は車を進入禁止にして歩行者天国です。人の波はお正月の初詣並ですね。焼きそばを焼いていた親子と思しき人達がおりました。ここ松明あかしの露店商は比較的若い人も多いのですが、一般的に最近の露店商は高齢化しています。悠々自適の年金暮しをしていてもよさそうな年齢の方が焼きそばを焼いているのです。自由業で生きてきたので年金支給を受けていないのだろうか。あるいは祭りの雰囲気が身体に馴染んでいるので働くのが好きなのだろうか。真剣な顔をして焼きそばを焼いている営業中に聞くわけもいかず、あれこれと考えてしまいました。娘さんは愛嬌のある美形です。見た目おばあさんは80才近いのではないだろうか、あのおばあさんも若いころは娘さんのような美形だったのだろうことが推察されます。それが証拠にお客さんが声をかけたらニコッと笑顔を見せたのが娘さんの顔によく似ていた。30~40年たつと顔も姿も変化してゆくものです。最近はアンチエイジングと称しての老化防止をビジネス化にしているところもありますが、気持ちのあり方が顔に刻まれるようです。女性はしわを嫌うようですが、よこ皺は増えても、たて皺はつくらぬようにと云われます。心がストレスを感じることや過剰緊張気味が多いとみけんが縦じわになりやすいもの、おだやかな心ですごせればたて皺にはなりにくいものです。日常の心の持ちよう(魂のありかた)で人相は変化するのです。それが証拠に亡くなり魂がぬけると人の顔はとてもおだやかな顔になるものです。また最近は70歳をこえているようなおばあちゃんがロングレンズのカメラで撮影している姿を見かけます。カメラを構える姿もさまになっているのです。すごいですね。私はもっぱらデジカメ撮影です。
2011/11/13
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鷹山会in仙台 2011.10.15(土)~16(日)10月15日に仙台市に集合して翌日朝9時よりチャーターした大型バスで仙台市内の伊達正宗公の廟と青葉城を散策したのち津波の被害があった七ヶ浜を視察したあと、塩竃港に向かって昼食を食べ、市場で買い物をしたのち仙台駅にて解散しました。私は車で仙台市の宿泊したホテル白萩に直接向かいました。てっきりホテルにて会合が開かれると思いこんでいたのですが、時間になっても誰も来ない。携帯電話が鳴って仙台駅前の貸し会議室にて始まっているとのことで徒歩で向かった。ipadで地図をみようとしたら駅前周辺は電波が消えてしまったので、電波が入るところまで逆戻りして、再度ipadの地図を確認してから集合場所に向かった。ホテルには1時間前に着いたと云うのに、集合場所に着いたのは40分後ということになってしまいました。仙台駅周辺でipadに電波が届かないということを体験してまさかと思いましたが、そういうことがあるんですね。鷹山会とは江戸時代米沢藩の名君と慕われた上杉鷹山公を訪ねる旅から始まったので命名されました。今回3年ぶり20回目の鷹山会の旅でした。夜の懇親会の記念撮影、全国から30名の方々が集まりました。ホテル白菊の朝食仙台市から東に向かい太平洋沿いの七ヶ浜町・菖蒲田海水浴場に向かいました。海の堤防のすぐそばにまで家が建っていたのです。ほとんど基礎を残すだけで津波で家が流されたあとです。この場に立つと言葉を失いますね。松の木も根本からなぎ倒されたものもあり直径60cm級の太い松は地上5m位のところまで流された建物がぶつかり樹皮がはがれた傷痕が残っておりました。海鮮料理 魚長亭総勢22名で昼食に訪づれました。塩竃港で海をながめながら海の幸を食べられるのだろうと想像して大型観光バスを降りました。ほどなくして出てきたのは器の中に肴が10種類ものっており、どこからたべてよいやら状況でした。醤油皿をみつけて刺身を醤油につけて1ヶづつ口にしました。刺身の厚みと大きさといい、文句なしです。この地を訪れたらここの海鮮丼はお薦めですね。さすが漁港にある海鮮料理です。ここで新鮮な肴が食べれたことによって塩竃の印象がよくなりました。友人が旅のコースの中にこのお店を選定したのですがみなさん満足されたことでしょう。仲間とわいわい食べる食事は美味しいですね。ビールを頼んで乾杯するものもあり、昼から小宴会モードでした。店を出るとひものの土産品を売っておりました。私は、80g500円の藻塩を購入しました。そのあと市場では同じものが550円で販売されていました。最後は塩竃の市場に寄りお買いものです。津波で被災された漁港で買い物をいっぱいしていってくださいという配慮です。「鯖と鯵のひらき」と「酢タコ」を購入してきました。市場だけあって安いですね。塩釜水産物仲卸市場 早坂商店 http://www.sellfish.jp/
2011/10/16
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モノスキーさんのblogで運よく1,000,000アクセスを踏んだ記念として段ボール一杯の景品が贈られてきました。無農薬栽培のサツマイモ、かぼす、ワインです。「かぼす」の使い方をネットにて検索してみました。いろんな使い方があるんですね。インターネットの集合知によって従来にない知り得なかった情報をいつでも知ることができる社会になりました。
2011/10/13
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午後2時、人間塾財務部長の増子英明さん(雅グループ)に依頼して今回は奥さまの澄子さんがつくられた横断幕をもって会場の高松山観音寺に着きましたら出演する3人からこの横断幕で記念写真を撮ろうと云う事になりさっそくパチリ。会場からテーマをいただき矢吹紫帆さんが即興でシンセサイザーの演奏を始めるというものでした。織田さんが手を挙げて「希望と愛と感謝とありがとう」のテーマでお願いしますと声をかけ演奏が始まりました。⇒ youtubu 演奏「希望と愛と感謝とありがとう」コンサート終了後は打ち上げ花火でした。感動のコンサートのフィナーレは打ち上げです。想定をこえる参加者に裏方はてんてこ舞いでした。最後に私の打った手打ちうどんを食べていただきました。8月3日コンサートの進行予定を記録として掲載しておきます。当日午前11時に携帯電話に着信があり「午後1時に現地、高松山観音寺に入ります」と矢吹紫帆さんから連絡が入り観音寺にそのむね連絡を入れました。--------------------------------------------------------------コンサート司会進行役:石川澄百子さん3:00 ■ 準備開始5:30~6:30 ■ 倫理法人会員研修会6:45 ■ 高松山権現太鼓演奏でスタート7:00 ■ 岸本会長挨拶7:05 ■ 追悼法要 ⇒ 竹灯ろうに点火7:10 ■ 黙とう(鐘つき堂の鐘をゆっくり三回)7:15 ■ 演奏に先立ち、矢島義謙塾長の講話、7:30 ■ 矢吹紫帆さんの紹介 (川島)7:35~8:40 ■ 矢吹紫帆さんの演奏8:40~9:00 ■ 同上演奏終了後 打ち上げ花火9:00~9:30 ■ 後片付け (竹灯篭、旗、テント、本堂の扉の設置、舞台の片付け手伝い‥)9:30~10:30 ■打ち上げ(人間塾&郡山中央倫理法人会スタッフ、約20~30名まで) 会費@1000円 打ち上げ宴会担当:伊藤幸子さん うどん・そうめんの冷や汁(じゅうねんみそ):川島手配 トマトサラダ(トマト&玉ねぎ)特製手づくりドレッシング:川島手配 オードブル:岸本会長手配 日本一の豆富(扇田食品3000円分):岸本会長手配 飲み物(ビール、焼酎、ウーロン等)持ち寄り10:30~10:40 ■片づけ-------------------------------------------------------------------おおむねこのスケジュールに沿って進行しましたが、竹灯ろうの点火が早めにおこなわれました。太鼓の始まる前だったでしょうか。また打ち上げの終了予定は、盛りあがって約1時間オーバーの午後11:30ごろになってしまいました。■書き込み途中にて、あとで画像等追加していきますのであしからずよろしくどうぞ。
2011/08/06
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久しぶりに顔を合わしたAさんに最近心がけていることを聞いてみました。「たよりにされる人、たよりにされる会社を目指したい」一芸に秀でていれば、あの人にしかできない位の域に達していれば、あのことといえば、すぐにあの人と思い出してもらえる位になればたよりにされる、たよりになる人となります。思い出してもらえるには、ひごろからのアピールが必要だろう。こんなことをやっていることを知ってもらって、いざというときに頭にうかべてもらい電話をいただける関係。あの人はどんなことをやっているのだろうと、名前を検索してプロフィールを覗いてみる、アクティブに情報検索する人はどれくらいいるだろうか。Facebookはそんなニーズにはぴったりなのかもしれません。私は登録をしてみただけでまだ書き込みをしていない状況です。南天をお正月用に飾ったのです。たしか一昨年の12月でした。一年以上も水だけで生き延びています。切り口から根をたくさん伸ばしていました。南天はなんて生命力があるのだろう。時として植物は私たちに環境に適応して生きる姿をみせてくれます。たのしみは水差しにある南天の 生きる力に気がついたとき
2011/01/24
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北の比叡山を目指す高松山観音寺の矢島住職の呼びかけがあり、「現代の寺子屋 高松山・人間塾」発起人会が開催され参加してきました。司会進行役と取材広報カメラマンと兼ねましたので私の姿は写っておりません。高松山観音寺の一隅会館に午前11時集合ということで皆さん参集しました。まず最初に矢島義謙住職から今回皆さんにお呼び掛けをした主旨をあらためまして発言していただきました。そののちに参加者全員に一人一言の自己紹介をしていただきました。こどもたちの研修を32年間すすめてきました。最近は地元の子供たちだけというわけにいかなくなりました。インターネットで調べて研修会を申し込んでくるんですね。全国から学校ごと、グループごとにです。せんだっても200名の研修会を受け入れ開催しました。現在、毎週火曜日、木曜日、土曜日と隔日で行事が組まれています。「現代の寺子屋 高松山・人間塾」も行動に移すには開催日を決めておけばいいのかなぁ~と思います。精神性の高いものを早く立ち上げてくれとの声に押されて、いよいよ今、動かないと。10年先は後身に!それまでに立ち上げておきたい。比叡山の教え「己を忘れて他を利する」、講座は座禅、法話を基本にして、健康講座他、多種多彩に巾広く志を持った方々に参加していただきたいと、長い間あたためていた構想を末永く細く長く一隅を照らすご協力をお願いしたいところです。(矢島義謙住職)座禅は日本の文化ですね。お手伝いできることは積極的にすすめていきたい。(岸本正之さん)蓮沼門三氏が修養団を創立してから104年、中学2年の時から修養団の教えを学んできました。平成の荒れた時代に蓮沼門三氏が生きていたら何をするのだろう。身体を鍛えるところはいっぱいありますが、心を鍛えるところは少ないのではないでしょうか。一神教の国々は戦争を起こしてきましたが、われら日本民族はあらゆる思想を受け止めることができる民族です。あらそいをなくし平和な社会をつくってまいりましょう。(三瓶利正さん)自己紹介のあと「人間塾憲章」をつくろうと云うことになり、皆さんの意見を聞きながら、とりまとめていきました。推敲を重ねながら参加者の総意を成文化することができました。いやはや、この作業はとても集中力がいる作業でした。次に運営役職を決めていきました。塾長:矢島義謙塾頭:矢島義浩教育研修 委員長:三瓶利正教育研修副委員長:伊藤幸子教育研修副委員長:石川澄百子財務部 長:増子英明財務副部長:伊藤幸子事 務 長:川島弘嵩副事務長:瀬戸孝子広報 委員長:松本俊一広報副委員長:増子英明幹 事 長:岸本正之副幹事長:宍戸義美普及拡大委員長:橋本修一普及拡大副委員長:三瓶利正・岸本正之・宍戸義美・松本俊一・増子英明・伊藤幸子・瀬戸孝子・石川澄百子・川島弘嵩・年会費一人5,000円(小・中・高校生まで無料) 入会申込書といっしょに納付すること・例会参加時に@500円(小・中・高校生まで無料)第1回は、1月23日(日)am10:00~11:30 矢島義謙氏 講話「現代の世相を斬る!」第2回は、2月6日(日)am 8:00~ 9:30 三瓶利正氏 講話「2011年にあたって」第3回は、3月6日(日)am 8:00~ 9:30 岸本正之氏 講話「未定」・研修は座禅と法話の組み合わせで行う・松本俊一さんからビデオ研修などやってみてもよいのではないかとの発言がありました。・毎回終了後、運営委員会(約10分~15分程度)を開催する。(次回の予定確認他)発起人会に参加された方宍戸義美さん(株式会社トーザイ企画コンサルタント)、増子英明さん(雅グループ)、岸本正之さん(株式会社キシモトコーポレーション)、橋本修一さん(有限会社理想プラン)、三瓶利正さん(株式会社シー・ティー・シー)、瀬戸孝子さん(東北環境センター有限会社)、松本俊一さん(しあわせ応援隊)、住職奥さま、矢島義浩さん(高松山観音寺副住職)、矢島ちえみさん、石川澄百子さん(ジブラルタ生命保険株式会社)、川島弘嵩さん(有限会社福島エージェンシー)、矢島義謙さん(高松山観音寺住職)、伊藤幸子さん
2010/12/23
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たのしみは 山荘借りて学びあう 仲間と集う企画するとき「滝根町に別荘があるから見学に来ませんか」と言われてたので伺ったのですがほんとうに見に来てくれるとは思わなかったと云われました。「別荘を見に来ませんか?」「では寄らさせていただきます。」云えば行くことになります。話がでてから伺うまで3ヶ月かかったのは、話が出たその時に、その場で伺う予定日を決めかったからなんですね。話が出たそのとき、その場で即、だんどってしまうことなんですね。スケジュール化することが、日にちを計画化することが、実現することです。声をかけてくれたお方は60台後半、われらは50代後半、「気づいたら、即行」=「さってば、さ」ですね。平成元年に山荘づくりがスタートしてから平成22年、まだ制作中ということで、未完成なんだそうです。埼玉県三郷市から田村市滝根町の山荘まで年間約40日、22年間通って山荘をつくり続けてきたそうです。ロケーションは沢水が山荘の脇を流れ、となりの家まで500mくらい離れているのではないでしょうか。日本最初の宇宙飛行士秋山さんの別荘も近所だとのことです。この山荘をよろしかったら活用してくださいとの申し出がありました。実施するとすれば来年の6月ごろが季節的によいとのことですが、はたしてどのようなイベントを催すことになるでしょうか。 山の中の山荘に胸像があるのは珍しい光景です。郡山市にある今泉西病院を創設した今泉亀撤先生の胸像です。昨年12月29日に102歳でお亡くなりになりまもなく1周忌です。角膜移植を最初にやられた先駆者であったことを胸像の裏にあった説明書きで初めて知りました。
2010/12/20
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約80名の方が参加した「ふくしまワールドカフェ」Webを中心とした口コミで参加者を募ったようです。知った顔の方が見られました。久しぶりに会う方もありました。今回は福島大学の学生の呼び掛けだったので会津大学、日本大学の現役学生が多く参加されていた。異世代交流の場にもなっていました。新しい試みに参加するわけですから好奇心の旺盛な行動派の方々が多かったように思われます。自分で考え自分で行動する人達が集まってくる会合は面白い。固定概念をはずすには異質な方々と会うのがいい。最初、「教育」分野に顔を出しました。「教育とは何か」を考えさせられた。文科省が管轄する学校制度は社会が必要とする教育ということでしょうか。学び方を教えてはいないわけです。まだ徒弟制度の中の教えの方が生きる力になるかもしれない。生きる力は、社会に出てから社会で学ぶことの方がはるかに多い。ならば、松下村塾のような私塾での学びの方がいいのかもしれない。必要なことが学べる場は、師のレベルがものを云う。生きる力を育むのは、知力・体力・感力を養う。自分の師匠を見つけたほうがいいかも。
2010/12/04
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