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知る人ぞ知っていた 原発の危険
震災から三日目(3月13日)に連れ合いと一緒に山の家に戻った。帰りの車の中で原子炉からの放射能物質が漏出していることを知らされた。避難所で連れ合いの隣に、たまたま居合わせた紳士然とした人が、早朝に避難所を出て行ったという。その前日に、その人が部下か同僚かと原発事故が最悪の場合は爆発する危険があるから一刻も早く遠くへ避難しようと相談していたという。
ラジオでは死者や行方不明者、各地の被災状況、電気や水道といったライフラインの情報が刻々と伝えられたが、原発の事故の情報は無い。単一ラインの情報は限られていた。連れ合いからの話で急に原発から出た放射能の問題が現実味を帯びてきた。
その日の夕方に電気が通じた。TV画面の上の方に3つ、4つとテロップが流れ様々な情報が同時に流れていた。テレビからの情報の何と豊かなことか。初めて津波の押し寄せる画面を見た。ラジオで聞いて想像していたものとあまりにケタ違いだった。身体がワナワナと震えた。
インターネットは情報の宝庫 芋ずる式に知りたい情報に辿り着く
原発事故の状況も伝えていた。だが解説する人が淡々と話しているので、その非常さが伝わって来ない。 「外出するときはマスクを着用して帽子を被ってください」 「換気扇は使用しないでください」 いったいどれほど危険なんだろう。 「直ちに健康に影響は及ぼさない」 直ちにじゃなければ将来は危険があるのだろうか。
原子炉の事故の状況を解説する専門家は不安を押しとどめるように、危険性を低く評価するような説明しかしない。アナウンサーも物静かだ。水素爆発のときもあまりに冷静沈着に報道していた。こういうときは、もう少し感情を込めて、ちょとときつめに危険ですから部屋のなかに避難してください!!と言ってくれないとと危機感が伝わって来ない。
インターネットで情報を探し回る。避難地域の10キロ、20キロの同心円が目に入る。我が家は第一原発から何キロ地点なのか、地図で計ってみると45,46キロある。20キロ圏内は避難地域だという。大丈夫だ。まだ20キロ以上あると自分を安心させる。
ところが調べていくと、放射線物質の汚染範囲は風向きや山の起伏に影響しているという。国が公開していた放射線量の情報でも北西方向30キロ、40キロ地点が高く、50キロ、60キロ地点でも高い所がある。ところが当初は具体的な地名が記されず伏せられていた。北西というと自分の住んでいる方向だ。中途半端な情報公開は余計に疑心暗鬼をよび不安をかき立てる。地名が出たのはだいぶ先になってからだった。
インターネット言うのは情報の宝庫で、ある人のブログやホームページ、twitterから芋ずる式に情報の輪が広がり、突き進んでいくと凄い情報にぶち当たる。Speediという汚染予測開発ソフトがあるらしい。さらに一部が公開されているという。3月の下旬に漸くのこと、色分けした地図にたどり着くことができた。さらに放射線関係や宇宙物理学の研究者たちが、さまざまな形で情報を分かりやすく加工し発信してくれていた。Speediの地図の上にモニタリングで公開されたデーターを重ねてくれた人もいた。
自分の住処は何処だ!地図上で探す。北西に高い線量の地域が広がっている。先ず浪江、そして飯舘だ。さらにその先に若干高い福島市が広がっている。我が家はその間にある。ホットスポットならぬ若干クールスポットになっていた。
私が情報源にしたtwitter。今でもタイムリーな情報がいっぱいある。
http://twitter.com/#!/hayano
http://twitter.com/#!/Mihoko_Nojiri
http://twilog.org/tweets.cgi?id=AkiraOkumura&word
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