すい工房 -ブログー

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小説「クチナシの庭」 (6ページ目)


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 競技にまともに参加していないのだから、疲労などないはずなのに、体は重く、家へ帰るとそのままベットに倒れるように横になった。

 なぜこうも体を重く感じるのか。

 答えなど、考えるまでもない。
 橋川とのやりとりに、精も根も使い果たしたのだ。

 ……考えると、橋川とまともに話などしたことなどなかった。
 必要最低限の会話以外、私に向けられる橋川の声を聞いたことがない。

 だから余計、なぜ彼が、ああも私を疎んじているのか、理由がわからなかった。
 私が何をしたというのか。
 私の何が気に入らないのか。

 うつぶせていた体を仰向けにころがして、視界に広がる白い天井をぼんやり眺めていた。

 さっきの教室の出来事だって、よくよく考えれば、橋川が非難するほどのことはしていないはずだ。

 瀬口先輩と谷川先輩の関係も彼等の想いも、全学リレーの走順に関して起きていた出来事も、何も知らなかった。
 知るはずがないのだ。事情を知っているのは、全学リレーの練習に参加していた生徒だけなのだから。

 知った上での、圭介への態度を非難されたなら、まだわかる。

 橋川の非難は、私が青団、白団の団長の事情を圭介から感じ取り、圭介の考えも知った上で、冷たい反応をとった。その考えが根底に根付いている。

 考えれば考えるほど理不尽だ。

 あとから考えれば、矛盾点にも気づくのだけれど、その場となると、そうもいかない。

 思考も息も体の動きも。
 橋川が側に来ると全てが硬直する。
 何もできなくなる。

 それでそのまま、よく考えれば理不尽な橋川の言葉に、反論もできないのだ。


 私は……もしかしたら、幼い頃の橋川を知っているのかもしれない。

 その想いは、今もずっと胸のうちに残っている。
 中学の、橋川が転校してきたころから考えていた。

 小学校低学年の頃だったら、同小学校出身者も覚えているけれど、そんな話はカケラも耳にしない。
 と、なると、小学校に入学する前のことだ。

 同級生の中には、保育園にも幼稚園にも通っていない子もいたから、橋川もそうかもしれない。
 だとしたら、顔見知りがいないのもわかる。

 私が祖父母の家に遊びに来ていた頃。
 そのころ、どこかで会ったのではないのか。

 あのころは子供の特権で、名も知らぬ子等と遊んでいることも度々あった。
 おまけに私は放浪癖も持っている。
 親の知らぬところで知人ができてもおかしくない。

 その頃の私は、周囲の状況に無頓着だった。
 ただ、目の前にある出来事を、そのまま受け止めていた。
 名も知らずとも、初対面でも、気負いなく声をかけていた。

 橋川とはそのころ知り合ったのでは。

 確信に近い想いには、根拠がある。
 いつだったか、祖父が自分のアルバムを見せてくれたときに、橋川らしき子供が移映っていたのだ。
 祖父母が両側に立ち、恥ずかしそうにはにかんだ顔をした男の子。
 側には、カメラ目線をはずした、犬のタロも映っている。

 その時、中学三年だった私は、一目見て橋川だと思った。
 祖父にこの子は誰かと聞くと、祖父は写真を眺めて考え込み、長い時間をかけてようやく思い出した。

「タロを飼ってたころにな、よく遊びに来ていた子だなぁ。……名前? ……さあ。『しらいし』……だったかなぁ」

 タロとは、以前飼っていた柴犬の名だ。

 祖父がはっきりしないので、祖母に聞くと、祖母はよくその子のことを覚えていた。

「そうそう。タロに遊びに来ててねぇ。……まあ、懐かしい写真。撮ってたんだねぇ。……名前? 『白石』……なんだったかしらねぇ。『ぼうや』って呼んでたからねぇ」

 苗字を覚えているのも、その子を迎えに来た親から聞いたのだという。

「橋川じゃなかった?」
「そんな名前じゃなかったよ」

 似ている子がいると告げると、祖母は「その子に聞いてみたら」と簡単に言う。

 そんなに簡単に聞けるわけがなかった。
 姓が違うというのは、両親の離婚、再婚など、何かしらの事情があったに違いないのだから。
 そんな話を、親しくもないクラスメイトに、どう聞けばいいというのか。

 私にも、心あたりはある。
 小学生になる前の記憶はあやふやなものが多いけれど、白く霞がかった情景の中で、写真に映る子と、そっくりな男の子と遭遇したことがあった。

 あのクチナシの庭に迷い込んだ、あの家の側で。
 その子の面影が、あのクチナシの庭で見た女の子と似ていた。

 後になって気づいたけれど、その時、縁側に立っていた女の子は、なぜか男の子用の着物を着ていた。

 写真に映る、橋川とおぼしきこの子と、クチナシの庭で会った女の子は兄妹なのではと、ひそかに考え続けていたのだ。

 一時期は、それを確かめたくて、圭介や小学校の同級生に聞いてまわっていた。
『しらいし』という名と、クチナシの庭の咲き誇る家屋を知らないかと。

 どちらも、みな首をひねるばかりで、なんの情報も得られなかった。

 あれほど気になって仕方なかった写真も、クチナシの庭についても、今はあの時の情熱は消え去ってた。

 橋川に近づくことさえ……怯んでしまうのだから。
 彼と関わりに、足を踏み出せずにいた。


 ベットに寝転んで体を休めていると、部屋のドアをノックする音がした。

「お母さん?」
 壁掛け時計を見ると、もう六時を過ぎている。
「ごめん。今日は晩御飯いらない」
 重い吐息を吐きながら告げると、カチャリと音を立ててドアが少しだけ開いた。

「……俺。圭介だけど」

 思いもしかなった声に、私は慌ててベッドの上に飛び起きた。
 眠りかけていた意識から、一気に目が覚めた。

「な、なに? どうしたの?」
「入ってもいい?」
「……いいけど……」

 了承を得て、圭介は部屋に入ってきた。
 Tシャツにジーンズと、私服姿に着替えている。
 対して私は、帰った頃のままのジャージ姿だ。

 私は改めて時計を見た。
 六時といえば、まだ部活をしている時間ではないのか。
 訊くと「練習にならないから、みんなで強制終了」と答え、円卓の前に腰を下ろした。

 私には、耳に痛い話だった。
 圭介の変動的な人気の産物である、周囲をとりまく女の子の状態は、これまで幾度か目にしている。
 今回はこれまでに例のない、騒ぎっぷりになるだろうとは思っていた。

 圭介の打開策を断ってるだけに、何だか悪い気がしてならない。 



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