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*釣り人の誰もいなくて浮き寝鳥毎日寒くて、夕方のウォーキングが出来無い。昼間は何かと忙しくて・・・・何故こんなに時間のたつのが早いのかと不思議なくらいだ。当地は若山牧水が終の棲家にした処で、風光明媚な・・・と言っても何処にでもある山と川と海のある街だが・・・・山と住宅地を囲んで蛇行している一級河川があるのだが、ほんの少し前までは山の際に富士ガ淵という真っ青に澱んだところがあった。本当に昔から言い伝えられている民話に出て来るように「カッパ」が住んでいそうな処だっ た。牧水はそこが好きでよく行っていたようだ。今は埋め立てられて幅広い道路が通ってしまった。便利になるという事と趣がなくなるということは、何処まで行っても相容れない仕方の無い事かもしれない。
January 31, 2011
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* 冬木の芽鳥居の上の石ひとついつの間にか一年が過ぎようとしている。この一年は本当に多忙で、何が何だか判らないうちに終わりに近づいた。正月そうそう母のように慕っていた叔母が亡くなった。1月1日だった。スキルス性の癌とかで、あっと言う間だった。何も手につかず、姑の世話だけ。叔母は俳句を長く遣っており、いつか貴方が自由になったらゆっくり話しましょうね・・・・なんて言って居たのに・・・・昨年の年賀状の端っこに・・・・たよられる猫が頼りのさんがにち・・・・という書き込みがあった。一人の暮らしは寂しかっただろう。7月には海外にいる長男に双子の孫が生まれた。6万分の一の奇蹟という出産だった。姑は掛かり付けのお医者さんが預かって下さったので。一人で行って来た。初めての飛行機(地面から離れているものは皆嫌い)勿論初めての海外。一人で行く羽目になってしまったのだった。双子の子育ては大変だ。何時もはあちらに住んでいらっしゃる嫁さんのご両親が力を貸して下さっているのだが、私のいる間はゆっくり休んで頂こうと頑張った。だが私の身体は悲鳴を上げていたらしい。帰国して姑のところに行ったら、私の食事介助を喜んでくれた。そして。ちぐはぐの会話も変らなかった。秋の彼岸の入りに姑は他界した。眠るように・・・・老衰だった。まだ今でも信じられない。何となく束縛されているような気もする。経験者は一年くらい無理だという。今は自然体でいようと思う。新しい年は自分のために生きてみようと思う。
December 31, 2010
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* 和太鼓の腕から腹に初詣明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。蝋梅が満開。香りが漂ってひとつの世界が出来ている。梅の蕾も膨らんで、これから厳冬なの?春なの?と悩む。除夜の鐘が始まって、産土の神社に初詣に行った。風が強くかなり寒かったが、たくさん着込んで行った。焚き火の火の粉が舞うので上着はひどい物。初詣と言ってもお洒落とは縁のないものだ。神主さんも地域の活動を一緒にやっている方なので・・・しかし、衣装が整い、神主の座に座ると、お払いを受けても有難く思えるから不思議だ。お神酒を頂き、甘酒を頂いて、暫く地域の人と雑談してから帰宅した。空を見てびっくり、なんて美しい月だったのか。暫し見とれてしまった。私にでも今年はいい事があるかもしれないと、ちょっと期待したりして。冬の満月ってとても神秘的。見ることが出来てよかった!!
January 1, 2010
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* 秋晴れや今日の富士山独り占めブログを書かなくなってから随分時間が過ぎてしまった。書かなくなったのではなくて、書けなくなったのかも知れない。だから、暫くお休みしようと思ったら、再スタートのきっかけを逸してしまった。11月3日に毎年恒例の山梨県御坂峠の 生なめこ入りほうとう を頂に友人一家と一緒に出かけた。その日の秋晴れと富士山の素晴らしさで、再スタートをしたくなった。紅葉はまだまだだったが、河口湖紅葉回廊には少しだがこんな木もあった。もう少し経つと一面が紅葉で素晴らしくなるのだが、そうなった時には 生なめこのほうとう がシーズンオフになってしまう。どちらを選ぶかと言うと・・・・つい食い気になっちゃうのかな。相変わらずの生活をしている。変った事というと、夫が入院して命びろいをした事と、夫の入院がストレスで飼い猫のしょう太が入院した事くらいかな。雀女は頑張っている。
November 7, 2009
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* 茅葺の少し崩れて紅椿整形からの帰り道、たまには違った道を、と歩いていたら、蓮華畑を見つけた。最近見かけなくなって寂しかったが、こんな近くにあったとは・・・・こんな畑が二面あった。懐かしい蓮華の花。姑が転んで股関節にヒビが入ってから一ヶ月半がたった。何でもマイペースの性格が裏目に出たのだが。ショートステイの夜、一人でトイレをしようとして転んだらしい。病院に入院させたのだが、一晩で断られた。夜中に徘徊して他の患者さんに迷惑をかけたらしい。痛い痛いと立つ事も出来ないはずなのに、何故徘徊?と思ったが・・・。判らないと言う事は、痛い事でも都合によっては忘れてしまうのだろうか。老人病院ではなく、外科なので仕方が無く連れて戻って来た。コルセットを二つ巻いておぶった事もあった。和室の寝床での襁褓交換もかなりきつかった。自律神経のバランスが崩れている、と言われた事もあった。ショートステイ先での転倒とは言え、ショートのホームには今回随分お世話になった。一番大変な時期を一週間も預かって下さった。それからも三泊を二度。デイサービスも車椅子で寝床から連れて行って下さった。その間に雀女は、鍼、灸、マッサージ、整形に通うことが出来た。感謝、感謝である。今では姑も一人で伝い歩きが出来るようになった。90歳を過ぎていても回復する事が出来るなんて人間って素晴らしい。寝たきりにさせない為にかなりの鬼嫁も演じたが・・・・・。明日は姑の診察日。
May 7, 2009
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* 鳥の来て河津桜と遊びをり河津桜が咲き始めた。河津桜まつりも始まった。大島桜と寒緋桜の自然交配で出来た早咲の桜。蕾は濃いピンクで、咲くとやや濃いピンク。熱海桜よりは薄い色だ。熱海桜は12月には咲き始める。河津桜は今が見頃、人出も凄いものがある。街全体でお祭りを盛り上げているようだ。 河津川に沿った桜並木。菜の花はまだ満開とはいかなかった。まあまあかな。こんな中を仲間達と童心に帰って出店を覗いたり、猿の演技を見たり。結構楽しんできた。今年も自分の足で来られた。喜びとはこういうものだろう。いつも手を出さず黙って一緒に居てくれる友に感謝 !個人のお宅にあるのだがこれが原木。昭和30年頃、河津川のほとりで見付かったらしい。約60年咲き続けている。この原木があることで、河津桜と名づけられたと言う。
February 13, 2009
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* みそぎとて若者むかふ冬の海今日は寒風が強かった。富士山がくっきり。当地には近くに二つの神社がある。二つの神社は姉妹の神が祭られている。祭典は1月15日なのだが、今年は今日12日に開催された。 厳冬海中みぞぎ祭りかなり格式のある神社で、歴史も千年以上ある。昔から格式高い祭典なのだそうだが、一度も見たことが無かった。今日は寒風が強かったが暖かくして見学して来た。 二町の関係者が祈祷を受け、みそぎり神輿を担ぐ10人程が白装束でお払いを受けた。 余談だが、写真の後ろにある松林の中に「芹沢光治良」の文学館がある。 裸になったみそぎの神輿の担ぎ手は、今年厄年か年男だそうだ。 風が強く波の高い海に入って行った。 海が荒れているので、沖までは出ない。それでも寒そうだった。こういう祭りがなされていたのか。
January 13, 2009
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* 着膨れてベランダに見る星満天お正月で来宅していた娘夫婦とショコラ(猫)が4日に帰った。娘も婿殿もお正月気分返上でお掃除や力仕事をこなして行ってくれた。感謝、感謝。ショコラとしょう太ももう随分慣れて、大きなバトルはなかった。でも、疲れたのか帰ってしまったら、しょう太はあられもない格好で縛睡していた。兎に角お正月が終わった。また、日常が戻って来た。4日は隣組のお通夜、5日は告別式と忙しかった。同年輩の方の亡くなるのは、ショックが強い。年末に救急車で運ばれ、お正月に亡くなってしまった。病んで居たとは言え、我が家だって同じようなもの。やはり無常というものか。生まれて来た以上誰でも一度は死んでしまう。家族や周囲の悲しみは置き去りにして・・・・。そして、季節は花の春、花火の夏、紅葉の秋、雪の冬と巡っていく。お葬式のあと2~3日寝込んでしまった。無理したつもりもなかったけど、冷えたのかな? だらしが無い。(>_<)痛くて病院に行く気力も無かった。昨日やっと行くことが出来たが。雀女の最後はどんななのだろう。せめて子供達には、痛みと苦しみから解放されて良かったね~と思って欲しい。
January 9, 2009
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* お神酒受け華やぐ六腑初詣あけましておめでとうございます2009年が皆様にとってよいお年でありますようお祈り申し上げます。今年も宜しくお願い致します。
December 31, 2008
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* 白鷺の首たおやかに苅田あと いつも通っている整形外科のリハビリ室の裏庭これでも結構広いのよ。 このプロムナードが御用邸記念公園に続き、海岸に続いている。 秋の旅を書き始めて、一ヶ月もかかり冬になってしまった。PCに向っている時間が儘ならない、姑の看護で遮られたり、腰痛であったり、写真の整理だったり、なかなか進まなかった。PCに向う時間より休んでいる時間の方が長いのだから、仕方ない。やっと、大雑把に終わった。紀州への旅、書いてみると、観光地巡りのようになった。しかし、心は単なる観光ではなかった。青春の回顧も含めて・・・・。友には言うまでも無く、ご主人にもご迷惑をおかけして心苦しい面もあったが、お逢いできた懐かしさや嬉しさ。若い頃と変らない温厚さ優しさに接して、心身ともにいいお歳を重ねていらっしゃる、と感じた。幸せなご夫婦なんだと心底思えた。ジグソーパズルが埋まったような気分を味わっている。雀女の地元と和歌山は気候的に似ている。城下町であったり、海岸のまちであったり、特産物までも同じだ。だから悩む事もある。あの旅の感謝の気持ちはどう表せばいいのか。ぐたぐたと考えているうちに日にちは過ぎて行ってしまう。今考えると良く一人であそこまで行けたと思う。半人前なのに・・・。でも、これからも行きたいと思ったら何処へでも行こう。動けなくなる前に、頑張って思い出を作ろうと思う。今度は三人揃うといいな。性格の違う三人の旅は何時も面白いから。先日、友からワールドのパンダが一頭死んだと聞いた。竹を食べていた子、遊んでいた子、寝ていた子・・・どの子なんだろう。
November 10, 2008
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* とびひとつ急降下して芒原10月と言うのに、暑い暑い日になった。彼女の家に寄って、ご主人に白浜迄送って頂いた。やはり、友のエリアに旅するとこういうご迷惑をお掛けしてしまうのだ、と反省しきりだった。それでも、久し振りにご主人にお逢い出来た事は、懐かしく嬉しい事だった。白浜も学生時代に行ったきりで・・・・・。観光地嫌いの彼女も、今回は仕方なく付き合って呉れたのかも。「クエ」ずくしの夕食を三人で頂いた。翌日、宿を後にしてまづ千畳岩に行った。こんな所だったのか、と思った。でも記憶の中と同じだったような・・・。 白浜 千畳岩三段壁にも行った。昔は何もなかったような・・・・しかし、おみやげ屋があり、「三段壁洞窟館」が建っていた。中には入らなかった。思い出が汚されるようで恐かったのかも・・。 白浜 三段壁 三段壁 今でも自殺の名所らしく立て看板があった。 昨夜の宿から 海底の魚の遊泳の見える「海中展望台」今年双子の赤ちゃんが生まれたパンダのいるアドベンチャーワールドに行った。サワァリーランドをバスで回り、イルカショーや、人工飼育されている赤ちゃんを見て廻った。 1994年に中国から10年の賃借契約一億円で来園した2頭が、 今は6頭になっているとか。ここで生まれたパンダも日本のものにはなららしいと 運転手さんから聞いた。さすがあのお国は逞しい !
November 2, 2008
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* 特急の走る紀州路秋こぼる10月の初め紀州に旅した。和歌山の駅に、半年振りの友が待っていてくれた。和歌山は何十年ぶりだっただろうか。昔の和歌山の街のことはあまり記憶になかった。しかし、彼女が何時も田舎田舎と言うので、何となく頭の中に想像の街があった。 が、どうしてどうして・・・・!!さすが徳川御三家の城下街、県庁所在地の街であった。 車窓からの和歌山城 海の近くに淡島神社があった。3月には雛流しの行事があると言う。 神社のいたるところ奉納された人形で溢れていた。今回の旅は総て友にお任せと言う事で、彼女の運転で「紀州加太」に。瀬戸内海国立公園の山頂に建つ宿からの眺めは素晴らしかった。静かな鏡のような瀬戸内海。浮かぶ大小の島々、友が島、淡路島、遠く四国までか゛うっすらと見える。雄大なOCEAN VIEW。そして、真っ赤な太陽がゆっくりゆっくりと海のなかに吸い込まれて行くのを、じっと二人で見送った。 夕食のメイン 天然鯛の宝楽焼。 聞いてはいたが、紀淡海峡の速い潮 流で育った鯛は身が引き締まっていて美味だった。翌朝宿の近くを散歩した。 これは第二次世界大戦時に使われていた砲台跡。上手く中が撮れなかった。 レンガで実にしっかりと出来ていて驚きだった。 友ヶ島に渡るともっとダイナミックなものがあり圧巻らしい。
October 24, 2008
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ある秋のサンセット * 口調までゆるりとなりてこぼれ萩 朝晩は随分涼しくなった。しかし、昼間は暑い。夏の気分から抜けきれない。週三回整形に通院しているが、なるべく日陰を日傘で歩く。バス停四つほどだが歩く事にしている。リハビリのつもりで。雀女には悪い癖があって、早い話が野次馬なのだ。ある時、不思議な家を見つけた。かなり大きな屋敷なのだが、塀の中はまるでジャングルのようだ。どう覗いてみても木々が絡み合っていて中が見えない。門だっただろう処には車が木々に覆われてお尻だけ出している。そして、その横に通用口が開きっぱなしになっている。木々は塀の上から道にまではみ出している。何なんだろう。そう思ってから、通院の帰りは必ずそこを通って観察してしまう。何の変りもないのだが。今は百日紅の花やノウゼンカヅラの花が咲き乱れているが・・・。遠くから見たら奥に大きな二階家があるのが判った。しかしねぇ~あのジャングルを通って家までは行けないだろう。・ ・・ところが、ある日お尻だけの車が白い車からメタリックの車に変っていた。大発見。どうやって出し入れ出来たのか? 運転していた人はどうやって降りたのだろう?不思議、不思議・・・・興味津々。
September 16, 2008
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暑い暑いと言っているうちに立秋も過ぎてしまった。今週は8月盆の週だ。当地は7月にお盆を済ませたが、この近くにも8月盆の処もある。雀女は2002年にブログを始めたが、3ヶ月程過ぎた頃から、お付き合いして頂いた方がいらした。しかし、今年の2月に亡くなられてしまった。難治性のご病気になられ、外出も儘ならない生活をなさっていらしたが、前向きで、優しくて、尊敬できる先輩だった。ご自宅に句友がお集まりになって、小句会をなさっているご様子も、ブログで読ませて頂いた。何度か入退院を繰り返していらしたが、いつも頑張って克服なさっていた。雀女はそんな先輩に較べたら、私なんかまだまだ甘い、と何時も思った。そして、頑張ってくる事が出来た。昨年だったか「角川学芸出版」の歳時記 に先輩の夏の俳句が例句で載った。 浜の子の課外授業や海蘿掻く 蓴菜を摘む箱舟に肘張ってお祝いのメールをお送りしたが、とてもてれていらした。人間は終わってしまうと才能まで持って行ってしまうのだ。・・・・と、とても残念に思う。先輩のお住まいだったいわき地方は、8月盆だと伺った。そして、いわき独特の風習「じゃんがら念仏踊り」が新盆のお宅を廻るらしい。じゃんがら大好きだった先輩の為に、今年は鉦や太鼓、踊りで供養して頂ける。大好きな揚雲雀さん きっと貴女は頼もしいご家族に溶け込んで一緒に楽しまれる事でしょう。くり坊も一緒にね。ご家族はもう支度でお忙しいでしょうね。http://plaza.rakuten.co.jp/kurinso/diary/200508150000/これは以前先輩がブログに載せた「しゃんがら」の様子。先輩のはどんななんでしょう。
August 11, 2008
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乗鞍岳 高山植物ハクサンイチゲ * 十薬にいざなはれ行く宿の道いつもバス旅行の企画を立てて下さる旅行会社の総会旅行に行った。何と言っても魅力はロープウェイで行く、新穂高、鍋平高原、しらかば平、西穂高(マウントビュー千石展望台)で、眺められる絶景だったが、残念ながら雨で中止になってしまった。山歩きが大好きで長い間いろいろ歩いたが、最近は絶対無理。だからせめて眺めだけでもと、とても期待していたのだが・・・・・翌日は平湯大滝を見て、乗鞍山頂畳平に向ったが霧が濃くてセンターライン頼りの走行でまたまたがっかり。それでも山頂で高山植物のハクサンイチゲを一株見つけた。崖の中ほどにあった。霧雨と強風と寒さに堪えて身を乗り出してアップで写した。ところが・・・バスが下山し始めた頃から霧が突然晴れ、残雪の多い乗鞍が姿を見せた!!素晴らしい景色、残雪の上でスキーを楽しんでいる人達、青々としている雑木林、そして、青空・・・あぁ~もう一度あの雑木林の中を歩いてみたい。足に優しい山道、林を抜ける爽やかな風、そこここに見る山野草。もう駄目と思って休んだ時の一杯の水の美味しさ。そして、次の活力になるバナナ(^^*ゞ 。などなど思い浮かべながら、車窓からの眺めに引き込まれた。車中は歓声が上がりっぱなし・・・二泊三日無理して来て良かった、と心から思える一瞬であった。ちなみに山頂の気温は7℃、下界は31℃と異常な変化も味わった。しかし、旅はいい。少しくらい無理しても、極論を言えばその為に明日命が終わっても、雀女は足の動く限り何処へでも行きたい。後悔のないように。自宅に戻ったらショートステイから帰って来る姑を優しく迎えよう。そして、また介護に、自分の養生にいそしもう。・・と健気な決意もする。また次の旅の機会を楽しみに・・・。(*^.^*) 山頂は霧で見えないがバスの中から写した乗鞍岳 ちょっと見難いが残雪の中でスキーをする人達バスの中で写す
July 9, 2008
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May 17, 2008
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* 飛花落花あびて仔犬の駆けまはり ちょっとした不注意でデジカメを落としてしまった。勿論 壊れちゃった。姫うつぎが美しく可憐に咲いたので摂ろうと思っていたのに・・・壊れたデジカメはちょっとちゃちかったが、慣れていて気に入っていた。扱いがシンプルなのが一番気に入っていた。仕方が無いので、2,、3年前に婿殿にプレゼントされ、大切に仕舞っておいた動画も摂れるデジカメを使うことにした。ところが難しい。彼は何でも大切にする人なので取説もちゃんと入れてあった。でも難しい。写真を撮ることは出来たものの、今度はPCへの取り込みが出来ない。チップ(?)をセットしても、以前のようにマイピクチャーは出ず、難しい画面が出てしまう。あぁ~どうしたらいいのか(涙)そんな事に夢中になって、なかなか他の事が手につかない。何か初歩的な見落としがなるのだろうけど・・・・もっと足腰の痛みが軽減してくれれば集中も出来るのに、・・と痛みのせいにしている。それにしても出来ないということは本当に悔しい!! ガンバ!
April 24, 2008
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満開の熱海桜 ちらちらと散っていた。 * 湯の街の眠らぬ夜と春暁と友達と熱海に行って来た。熱海桜が満開で、少しずつ散っていた。熱海桜はカンヒサクラとヤマ桜の交配種で、梅より早く咲く。濃いピンクで河津桜と同じようだ。河津桜はカンヒサクラと大島桜の自然交配で出来たものらしい。熱海も一時期と違って格安のホテルが多くなった。えぇ~っあんなに有名だった高級ホテルがこんなお値段で?驚かされる事ばかり。熱海の夜景と海の見える屋上の露天風呂を楽しんで来た。通い始めた病院は整形外科の専門病院で、診察室が4つあり夫々医師が常駐している。待合室も広くゆったりとしていてサロンのようだ。何と言ってもリハビリ室の広さ、色々な機械があり何時も患者で満杯だ。眺めもいい。広い庭にはテーブルと椅子が置かれ、東屋のような感じの処が二箇所ある。入院患者さんも憩えるだろう。理学療法士も男性が5人女性が10人ほどいて、てきぱきとさばいていく。でも、外のソファーは4つくらいで、待っている患者は大勢いる。なかなか時間が掛かる。一人の患者に時間が掛かるのかも・・・。車椅子の人も、歩行がおぼつかなくて、介助の必要な人も多い。最初の診察の時「ココに通って来る患者さんの中では貴女のような患者さんは軽度の方ですよ」と言われた意味がやっと判った。その時は、こんなに辛いのに・・・・と思ったが。
March 16, 2008
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2007年の皇居の梅 * 梅ごちや棘の抜けない心あり ・ ・東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ 道真 梅の花が美しく、素敵な香りを漂わせる季節になった。受験の時、なプラス未然形プラスそ は禁止であり、その代表的な使い方がこの和歌だと、色気なく覚えさせられた。今は懐かしい思い出だ。病院を変えてみた。50代の物静かな先生。MRIを撮った。あちらの病院の機械は狭いカプセルのようなものにすっぽり入るものだったが、今度の病院のは円盤のようなものが上にあるだけで、頭上も足元もあいていて閉塞感が少なかった。以前悩まされた機械音もBGMにかき消されていたようだ。診断ではヘルニアは相変わらず二つあるが今は静まっているらしい。そして、もう一つ腰痛の原因がみつかった。こっちのほうが禍しているようだ。でも、暫くは薬とリハビリで様子を見ましょう とのことだった。普段の生活も大切、無理は禁物だと・・・・。加齢とともに進行するがその速度を遅らせるように試みてくれるようだ。お任せしてみようと思う。リハビリも週二回遣り始めた。お薬の数も減った。朝三種類、昼一種類、夜二種類何となく信頼出来る気がする。この気持ちが大事なのよね~金曜日、鍼の予約日だったので、院長に総て話した。・ ・・手術が必要な状態になったら上手な先生を紹介するから心配しなくていい。 雀女より30歳くらい年上の人もそこで手術に成功した。と、励ましてくれた。セカンドオピニオンをお奨め下さって有難うございました。いろいろ考えましたが、今までの病院とは完全に縁を切って、新しい病院に掛かる事にしました。雀女の性格からして今までの病院に戻る事はきっと無い!と思い、新しい気分で初めからの事情を総て説明して、今度の先生に掛かることに決めました。
February 17, 2008
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* 老人のステッキやすむ冬薔薇整形外科の医長が変ってから始めての予約日が来た。姑がデイサービスに出掛けるのを送ってから、病院に向った。待合フロアーで横に座った女性も整形の患者で話の好きな人だった。いかに今まで大変だったかと、手の手術の跡を見せ、曲がって腫れあがっている指を撫でながら延々と喋り続けた。リュウマチだとか。その人の番が来て、診察室に入った。数分で出て来て、憮然とした感じで通り過ぎて行った。お知り合いとご一緒だったようなのでご遠慮していたのよ、と声がして先輩が立っていた。膝の半月版の手術をしてからここに通っているとのこと。伺えば同じ医長の予約だった。診察室に入ってまづ驚いたのは、医長? と思えないほど若いことだった。まるで坊やだ。一時間待って、診察は簡単な問診だけ二分とかからず、次の予約日を指定されて一方的に終わった。元の医長も前の医長も、ベットに横にして足を何処まで上げれば痛みが出るか調べたり、内側に曲げたり、外側に曲げたりして痛み具合を診たのだが・・・。何もなし。痛みは? 激痛はありません、鈍痛だけです。僕は薬があまり好きではないです。これとこれは必要ないですから減らします。後は注射ですね。先生注射は三回遣りましたが効きませんでした。じゃ止めましょう。・・・会話もこれだけ。会計の呼び出しを待っていると、あの先輩もやって来た。何時も痛い注射をされるので覚悟をして来たのに何にもしないのよ。と不満顔。 膝は傷みますか?と聞かれ、今は痛みません。と答えたらじゃあ注射はいいでしょう。それともしたいですか?と言われたそうだ。医者と患者は信頼関係がなければ成り立たないと思うのだが・・・・。とても信頼する気分にはなれない。転院をした方がいいのだろうか。それとも暫くは様子を見てみようか。悩んでしまう。
January 18, 2008
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「木守柿」というのは知っているが、これは何なのだろう。鳥も食べないでこの時期にこんなに鈴なりの柿。 * 影おとし小枝飛び立つ寒雀とある日、鍼の予約日だったので朝はバタバタした。歩いて15分。雀女の通う整骨院がある。院長と若い鍼医が三人居るが、一人はまだ見習いらしく、灸や電気治療専門だ。あとの二人は対照的で、なかなか面白い。一人は鍼は上手だが、冷たい感じがする。患者にちょっと緊張感を与える。もう一人は、優しく親切だから評判はいい。でも、腕は今一かな。あと看護婦さんが二人、受付嬢が一人。雀女の担当はクールで鍼の上手なほうの先生だ。なんと~その日担当の若い先生は大きなマスクで現れた。 お風邪ですか? いえ、アレルギーです。今頃?何の? 判りません。 ・・・えぇ~判らない? 院長にOリングで調べて貰えばいいのに・・・と思ったが余分な事は言わない。院長の書いた今日のカルテを見てから、何時ものように、じっと目をつぶって6つの脈を診る。 メチャクチャ疲れてますね~ では始めます。はじめは仰向きで・・・。暫く其の侭で・・・時間が来るとその鍼を抜いて。今度は裏返し。首、背中、腰、足と・・その時カーテンで仕切られた隣のベットから友達の声がしてきた。暫く会っていない俳句の仲間だ。 先生お隣は○○さんでは?雀女は嬉しくなって聞いた。 そうです。○○さんですよ。 あら~お久し振りだわ~ でもね~雀女さん、今の雀女さんは,ねぇ~人に見せらる姿ではあり ませんよ治療着は着ているし、下着も着ているし、タオルは何枚も掛けているが・・・一体どんな風に見えるのか??? 想像がつかな~~い!! (>_<)。(>_<)。(>_<)
January 14, 2008
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春はそこまで・・・・八重の水仙 * 彼もまた泉下の客と寒の入り寒に入ったと言うが、暖かい日が続いている。寒の間は意外と好天に恵まれる事が多く、風の無い穏やかな日がある。こんな日を「寒日和」という。お正月で運動不足になっている怠けた身体にはウォーキングがいい。友達が言うには雀女にはお爺さんのお友達が多い・・と。それには訳があって、皆「鍼」で一緒になる人なのだ。称して「鍼ダッチ」。皆痛くて苦しくて鍼灸院に来るのだが、徐々に快方に向う。しかし、完治する事はないので予防や疲れると通院する事になる。同じ経験をしているので同士意識も強いし、優しい。ちょっとでも痛みが激しくて辛そうな患者が来ると、自分も少々辛くても席を譲ったり、看護婦さんや先生に言って、中のベットで待たせて貰うように声を掛けたりする。ウォーキングに出かけるとそんな「ダッチ」によく会う。「いい歩き方になったね~」とか「おっ杖は~」とか「この頃会わないね~」などなど・・・お互いの元気を喜ぶような笑顔で話掛けてくる。友達は最初不思議だったらしい。10歳も20歳も年の離れたお爺さんに良く会うので・・・・。この頃では あの方も「ダッチ」なの? ってことになる。ある日学生時代の同じ歳の友達に逢った。久し振りだった。立ち話をしたが、大病をしてやっと良くなったとか。「○子(奥さんで私の友達)も僕の看病で大変だったけど、この頃安心したのかい顔になったよ。雀女ちゃんも杖突いていた時に較べるといい顔になったね~」と別れて行った。友達が またダッチ?そう、そんなに老けていたの。雀女も驚く位だった。人間は徐々に老けていくのではなく、アクシデントが節目になってガクっと年を取るのだろうか。健康第一を心掛けねば・・・と背中を丸くしてゆっくり去って行く彼を見送った。
January 10, 2008
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* 子供らも去にて湯豆腐くつくつとお正月で帰郷していた娘夫婦が猫と一緒に帰った。我が家に来るのは二度目のショコラだが、家のしょう太と違って人見知りが激しい。偶然、兄と妹だったのだが、人懐っこいしょう太と違って、なかなか慎重なので戸惑う。こんな感じの再会だった。そして始まったバトル。物怖じしないしょう太は積極的だ。まあまあなれた頃には帰って行った。流石のしょう太も疲れたらしく。虚脱状態だった。その後はあられものい格好でお腹を丸出しで寝てばかりいた。娘も主婦歴が長くなると頼もしい。殆どの仕事は遣ってくれた。手早いし。キビキビしていて羨ましくなる。そして、有難い。婿殿がまたまたとても頼もしい。何時も手の届かない高い所の掃除はしてくれた。庭の力仕事もこなしてくれた。折角のお正月休みだと言うのに、働きに来てくれたようなものだった。そればかりではない。PCの事。デジカメのこと。普段の疑問は総て解消してくれた。労わられる存在になってしまったのだな~と・・・・・。何時も頻繁には電話をして来ない外国在住の息子一家からも毎日電話が入った。楽しそうに交代で話していた。・ ・・・・兎に角我が家のお正月は終わった。・・と言う感じだ。明日は姑も久し振りのディサービスに行く。日常が戻って来た。
January 4, 2008
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南天 * ひそひその声集まりて初詣新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。我が家の近くの氏神さまに初詣に行った。真夜中の初詣は始めての経験だった。除夜の鐘が鳴る15分ほど前に出かけたのだが、もう100メートルほどの列が出来ていた。小さな神社なのだ。なのに・・・・友達のはなし通りの凄い賑わいだった。この神社の創建時期は定かではないが、歴史は古い。最盛期には社家が30余あったらしい。戦国時代、兵禍にあって社殿を消失して、天正18年(1590)再建された歴史のある神社なのだ。・ ・・と何かで読んだ。当地に来て10数年初めて出かけて・・・・さ~すが と思った。早速持っていったデジカメでパチパチっと。その賑やかな様子を写した。寒くて、風が肌を刺して・・・でも神主さんのお払いを受け、太鼓を叩き、甘酒を頂いてご満悦で帰宅した。ところが・・・・写っていない。(>_<)何かミスをしたんだわ。くやしい~。そして、そして、寒い中頑張ったせいか、今日は足腰が痛くて・・・・。さんざんな元旦となってしまった。でも、誰にも内緒で遣った事・・・夜中に家人の寝ている間に一人で・・・。まあいい経験だったから・・・厄落としをしたと思って、いいとしようかな。
January 1, 2008
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蝋梅が咲いた。 こんなに綺麗な黄色に写ってしまったが実際はもっと渋い色。 * 卒寿なる姑の春着を選びをり今年も本当に終わりに近づいて来た。雨が降っている。 年末の雨は始末に悪い。何となく戦意喪失してしまう。今年は介護と闘病で過ぎてしまった。姑が介護度2と認定され色々なサービスが受けられるようになって、とても助かった。もし、母の時のようにこの制度が無く介護をしていたら潰れていただろう。感謝。そして、雀女の生活も友達の助けや励ましが無かったらどうなっていただろう。これも感謝。そして、二人の友達が未亡人になってしまった。早く立ち直って欲しいと思う。無常と言うものをつくづく感じる。少し早いけど今年はこれで家事に専念したい。一年間お世話になりました。 2008年も宜しくお願い致します。よいお年を・・・・。
December 28, 2007
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雪化粧した富士山。車の中で撮ったので電線が邪魔。 * ひとりゐの物みな染めて寒夕焼整形の予約日で行って来た。風邪が流行っていると言うがマスクの人が多い。たまたま友人と偶然会ったらマスク。(>_<)彼女曰く総合病院は内科も一緒だからと。予防の為だった・・・・・。入口に自販機があるから買っていらっしゃい。と言われて。ところで、大きい病院は何で医者がすぐ変っちゃうのかしら?最初の医者は、臆病で大騒ぎする患者の雀女にてこずって、それでも辛抱強く優しく10ヶ月付き合って下さった。そして、今年の3月に「雀女さんを残して僕は卒業してしまいます。気をつけて生活して下さいね」と挨拶して頂いた。「先生、医長さんでなくてもいいですから、担当は優しい先生にして下さいね」とすかさず雀女。「大丈夫ですよ。次の医長も優しいですよ」とマスクの上の大きな目が笑った。ドキドキで行った次の予約日・・・・心配なかった。優しくて物静かでよく話を聞いてくださる方だった。今回は張り紙だけ「1月より○○医長は○○医長と変ります。ご了承下さい。」さてさて、次の先生はどんな方か・・・・・。
December 25, 2007
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* 参道に箒せはしき濡れ落ち葉 先日「新人芸能大賞」落語部門を見た。新人と言っても10年修行している人も居た。小道具は手ぬぐいと扇子だけ、それでいろいろな表現をする。所作、表情、表現力、実に面白かった。落語は師匠から弟子に一対一で伝え続けられて来ている。300年の歴史があるとか。テレビで受けているお笑いの中には、学園祭の延長のようなものが多い。一つ当たっても生き残っていく人は少ないのかな?夜は笑ってから眠るといい、と聞くが笑えない「お笑い」が多いような・・・・。
December 19, 2007
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我が家のギャング しょう太6,5キロ あられもない午後のひと時 好きなポリ袋を集めて、部屋の隅で幸せそうに睡眠をむさぼっている。 * 菊焚くや炎のかほり惜しみつつ少々弱音も吐いてみたくなった。師走も半ば過ぎると何故か焦る。人並みの家事は出来ないのだから と自分に言い聞かせるのだが、そこは主婦の悲しさかもしれない。姑がデイケアーやショートステイに行ってくれるので、出来る事だが・・。鍼に行く、灸にも行く、機械のリハビリも。マッサージもする。整形にも行く。でも、相変わらず立仕事は持続出来ないし、屈伸する仕事も無理だ。歩く事は出来る。足への付加が左右に分散するからだと医師に聴いた。ただ時々膝折れがあるので恐い。足の筋力が低下しているからだとか。 筋力をつける為にリハビリに励み、体操もしているが、なかなか完治しない。先日ちょっと無理したら、足にガングリオが出来、手の指はバネ指とかで痺れて治らない。この歳で、ご隠居さんでもしていろと言う事なのだろうか。介護に日々を費やしているが、姑がショートステイの時は、なるべく出かけることにしている。決めたスケジュールは体調を整えてなるべく決行する。前日に鍼に行き、湿布をして、痛み止めを飲んで、コルセットをして、次の機会は無いものと思って出かける。次の日は鍼かマッサージで調整する。出かける事がストレス解消になるのか、介護も優しい気持ちで出来る。だんだん崩れていく姑。これは将来の自分の姿かも知れないと思う。その上足腰が悪かったら最悪だよね。遠く離れている子供達には迷惑を掛けたくない。・ ・・・・と悩む毎日・・・・・ても、めげてばかりは居られない。月日は容赦なく過ぎて行くのだから・・・。
December 16, 2007
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*山里の匠の村の冬の雷NHKの当地ローカル局が開局して50周年とか。記念のイベントがいろいろ行われた。~名作に浸る3日間~と題して「あるピアニストの軌跡」をみた。そう。 フジコヘミング が日本で大ブレイクするきっかけになった作品だった。多難な人生を送りながら フジコ はピアノを捨てなかった。猫9匹と片手にタバコ、変った服装のベジタリアン。演奏した何曲かの中には、勿論リストの「ラ・カンパネッラ」があった。リストを弾くために生まれて来たピアニストと言われるだけあって情緒が溢れていた。ラテン系の気性の激しさに、色々な苦難の人生を生き抜いて来た事が加味されたのだろう、おおらかさが溢れていて素晴らしかった!・ ・・・・・と言う事で感動の消え去る前に、もう一つの感動を・・・と大好きな丸子の丁○屋でとろろ飯を頂いて来た。 美味しかった。(*^.^*)
December 5, 2007
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浜松市天竜区 秋野不短美術館 * 裂け石榴夢のせかいの詰りをり旧天竜市の山にある秋野不短美術館に行ってきた。不短さんの作品は何時でもここで見られる。、今回は三人展という事で「秋野 不短」「小倉 遊亀」「片岡 球子」の作品35点が展示されていた。激動の20世紀、女性が画家の地位を築く事は凄いことだったと思う。その作品を写真に撮る事は出来なかったが、感性の素晴らしさは言葉にならなかった。秋野 不短さんは93歳で亡くなった。小倉 遊亀さんは105歳で・・・・片岡 球子さんは102歳でご存命だ。三人は夫々個性的で遊亀さんの優美さ、不短さんの果てしなさ、球子さんの迫力!なんて一言で言ってはいけないのかも知れないと思うが・・・。三人は揃って文化勲章を受章なさっている。小さな町の小さな美術館。中に入ると壁は藁入りの漆喰、床は籐ごさや大理石で出来ている。身体障害者への労わりも行き届いていた。辺鄙な所に在るのだが観客は大勢だった。雀女は夫々素晴らしいと思ったが、片岡 球子さんの大胆な色使いとタッチが好きだ。
November 17, 2007
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今年はもう終わりかなと思っていたら、返り花なのか浜茄子が咲いた。 * 浜茄子のうすき花びら風にまひいつの間にか9月になってしまった。昨日辺りから急に涼風が立ち、あぁ~秋なんだと感じる。姑は介護度2と決まり、週2回のデイサービスと隔週2泊のショートステイを受けている。しかし、デイサービスやショートステイに出かけてくれると楽なようだが、支度と後始末で案外手がかかる。人間って何処までも我侭なものかもしれない。5月の終わり頃、突然酷い腰痛になり右下半身を激痛が襲った。新しい椎間板ヘルニアが出来た、とMRIを診た医者は言った。人間の身体は不思議なもので「異物」が出来ると、それを排除しようとする働きが起きる場合があるらしい。医者は去年と同じように、自然治癒を待とうと決めた。メスなどを入れずに済ませるのはラッキーなのかもしれないが、自然治癒を待つ間の生活の苦痛は大変なものがある。辛い毎日を送った。痛み止めもあまり効かず・・・・鍼と灸とマッサージでお年寄りのお友達が沢山出来た。でも、今では杖とも離れ、おぼつかない姿ながらも歩けるようになった。介護と自分の養生の二本立ての生活は何時まで続くのだろうか。さぁ~今日も頑張るぞ~と気合を入れながら毎日朝を迎える。
September 2, 2007
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時之栖 イルミネーション。11月から三ヶ月続いていた東洋一のイルミネーションが2月28日で終わった。こんなイルミネーションのプロムナードが100メートル程続いていて、素晴らしい!最終日、マッサージの先生がストレス解消にと、誘って下さった。時之栖の丘の上に 世界一大きいという鐘があった。重さ約40トン直径3、824メートル高さ3,724メートル。自然災害で亡くなった方々への鎮魂のものとか。* 曇天に墨絵のごとき梅の花 随分日記をさぼってしまった。昨年の暮れから、どたばたといろいろな事があり、残ったものは介護。今とても変に思うのは、介護保険の仕組み。年長の友達の話によると、国民年金の支給を受ける65歳になると年金より先に介護保険の支払い通知が来るらしい。しかし、介護の認定を受けようとすると、まず市役所に申し込みに行く。暫くすると連絡があって、ケアマネージャーの資格のある調査員が一人で調査に来る。一人でである。そして、本人と話をする。その時の本人は普段のへにゃへにゃは何処へやら。実にシャープで何でも一人で出来ると胸を張る。(おぉ~どうなっているの?)家族の話を聞いて帰っていったが、認定が降りるまでに一ヵ月半も掛かると言った。・ ・・・・・・と言う訳で、まだ認定も頂けず、孤軍奮闘している。救われるのは、夜と土日をたまには夫が開放してくれる事と、ストレスを溜めないように気を使って下さる友達の存在だ。感謝 感謝 。(*^.^*)
March 6, 2007
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* 老いてなほ粛々と迎ふ弓始 新年明けましておめでとうございます。 昨年はお世話になりました。 本年も宜しくご指導下さいませ。年末三十日に息子一家が帰国して来ました。幼い孫旋風で我が家は嵐の真っ只中です。明日は娘夫婦がショコラ(猫)とともに里帰りして来ます。さて、どうなります事やら・・・・・・。
January 1, 2007
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* 湘子恋ひ焦がれて冬の桜かな 当地の駅周辺は、昔10軒の映画館があり、華やかなシネマ街だった。その一つの跡地に立つ信用金庫が商店街振興組合と合同で、懐かしい名画を定期上映することになった。町おこしの運動のようだ。その第一回目として「二十四の瞳」(壺井栄原作、木下恵介監督、高峰秀子主演)が上映された。小豆島の岬の分教場に颯爽と自転車でやって来た新米の「おなご先生」(高峰秀子)と受け持たれた一年生の12人の教え子。楽しい濃密な師弟の関係が続くが、だんだん戦争の足音が教育方針も変える。出会いから20年戦争を挟んで、様々に変って行く。男の子は戦争に、女の子は貧しさから奉公などに・・・。先生の生活も変る。戦争反対をあからさまには表現していないが、師弟愛を前面に出しつつ戦争の悲惨さを描いている。16ミリの上演だったし、古い映画なので見にくかったが、ラストシーンではやはり泣かされた。戦地より盲目になって帰還した子(田村高広)が卒業写真を手にとって、あたかも見えるように説明していく。きっと、戦地で何百回も眺めたのだろう。心の中では総て見えているのだ。そして、数名残った教え子達から復職した「おなご先生」にプレゼントが渡される。ピカピカの自転車だった。仰げば尊しの流れる中、先生が自転車に乗って毎日通勤するシーンでエンド。昔、何回も見たはずなのに、涙は涸れないものだ。隣の若い男性が嗚咽していたのに感動してしまった。そう、特に若い人に見て欲しい。教育の有り方も判るような・・・・・。
December 28, 2006
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* フルートの余韻包んで龍の玉NPO法人グリーン・ハート・プロジェクトの主催する「精神対話士の活動」の話と、癒しのフルート須藤英二の演奏を聴きに行って来た。精神対話士という仕事があると言う事を知らなかった。18年前に出来たという。複雑な現代社会には心を病んでいる人が沢山居る。そういう人が患者になって精神科にかかる前にメンタルケアーをして、患者にしない努力をしている仕事だそうだ。最近言われている「いじめによる自殺」の話も出た。その子の心が悩みで満杯になる前に悩みを聴いて上げる。聴くのには悩んでいる人の立場まで降りて行って其の侭受け入れることが大切な事で、決して上の立場に立ってものを言っても聴いてもいけないとの事。30分の話が終わると、癒しのフルート奏者須藤英二氏の演奏に入った。大阪出身の氏は話も面白かった。演奏活動をしながら、ボランティアであらゆる所に演奏奉仕をしていると言う。10曲ほど演奏したが、心温まるフルートのソフトな音色にやはり心が癒された。クラッシック、ナツメロ、映画音楽、などなど。ドリゴのセレナード・シェルブールの雨傘・・・・・・よかった~。
December 19, 2006
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* 冬日射す社にひとつ猫のかげ近くに神社がある。いつも境内の中にある広場を横切って、買い物に行ったり、散歩に行ったり。小さいながらも、京都の日枝神社の流れと由緒正しい。平安時代に国選の神社に選ばれたと言うから、1000年くらいのの歴史がある。昔、この地区に疫病が流行りそれを鎮める為に出来たらしい。近くに住んでいながら、その程度の知識しかない。今年、ここの鳥居が交通事故にあい壊れてしまった。それを修復する為の寄付の回覧が回った。氏子の皆さまへ・・・・と。えっ氏子? 家は神道じゃないものね、関係ないんじゃないの?・ ・・・と思っていたら・・・住民は皆氏子なんだと言う。初めて氏子っていうのは、地域の住民皆だと知った。でも、氏神様って氏一族を守護する神社ではないのかしら。ものの本によると、住んでいる人とその土地全体を守護するのは産土神(うぶすなのかみ)というらしい。というと産子(うぶこ)が正しいの?と疑問を持った。産子っていうのも馴染みが無い。ちょっと恥ずかしかったが、地元の長老に伺ってみた。すると、その土地に長く住み真心を捧げ奉仕していると、産土神はその人の氏神となって守って下さる。と教えて下さった。そうなんだ。知らないうちに氏子になっていたのかぁ~なんとも不真面目な氏子。そういえば一年に四回は当番で草取りや掃除をしている。毎年お祭りにも関わっている。氏子だったのよね。今度は素通りしないで、お賽銭を上げてお参りしましょう。
December 13, 2006
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鎮魂の 皇帝ダリア * 新蕎麦や店に流るる古きジャズまだ雀女が子供だった頃、ムード歌謡が流行った時があった。和田 弘とマヒナスターズが代表される。そんなムード歌謡歌手に 黒木 憲 が居た。「霧にむせぶ夜」俗に言う一発屋かも知れない。♪涙じゃないよと 言いたいけれ~ど 堪えても堪え~ても 瞼が濡れる~こんな歌詞だった。その黒木 憲が昨日亡くなった。64歳だった。彼が当地に居住するようになってから久しい。晩年は糖尿病とその合併症との闘いだった。奥さんのご苦労は大変なものだった。勿体無いと思うのは、人間亡くなるとその総てを持って行ってしてしまう事だ。作家、政治家、画家、役者、歌手 その人にしか無い魅力がもう二度と味わえないのだ。黒木 憲とは掛かり付けの病院が同じだった。華やかだっただろう若い頃の事は何も知らない。ただ、あの特徴のあるちょっと擦れた女心を擽るような声は、頼んでも二度と聴けない。憲さんやっと楽になれますね~。長い闘病お疲れさまでした。せめて今夜はビール片手に「霧にむせぶ夜」を口ずさませてね!!
November 22, 2006
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* 立冬や風吹き荒ぶ交差点もう立冬も過ぎた。暦の上では冬に入ったという事になる。立冬の日は風が強く大雨が降った。立冬にふさわしく、霰まで降った。肌寒い一日だった。東電のIH料理講習会に行って来た。IHクッキングヒーターには関心がある。これから歳をとったら導入したいなぁ。レンジだけで31万、ロースターもつけると70万、工事費は別ですって。ちょっとおたかいなぁ~ でも、非常に魅力を感じる。たたみ鰯とマスカルボーネのミルフィーユ。じゃが芋のニョッキきのこソース。子羊のグリル焼きタブナード風味。この日のお料理は若者向きだったが、やはり安全性は確か。ヒーターの上がフラットなので、下準備の時は調理台にも使用出来る。掃除もサッと拭けばいい。・・・・と憧れを持って体験して来たが、我が家に帰って磨きこんだガス台を眺めて・・・やはり勿体無いと悩む。当分は此の侭にしておこう。もう先月になるが、友人と箱根に旅した時、「箱根ガラスの森」にも寄った。貴族の別荘を模した欧風庭園。水の都ベネチアを彷彿とさせる。庭園のベンチで、生のカンツォーネを楽しんだ。ガラスのピエロに、密かに見られていたのかしら。クリスマスには特別なイベントがあるようだ。
November 10, 2006
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* 芒野に冠毛銀の波となり今日から霜月に入った。陰暦11月の事で、霜が降り寒さが厳しくなる事を意味しているのだが、この暑さは何なのだろう。地球の温暖化は思いの外加速しているのかもしれない。別名「雪待月」とも言うのだが何だかなぁ~・・・・などと思っていると「お待たせー」なんて急に寒くなるかもしれない。用心、用心今日は久し振りに整形外科に行って来た。近くの石榴の木の実が色づき、パックリと口を開けて食べ頃になっていた。石榴の故郷はイランあたりらしい。日本にはシルクロードを渡り、中国を経て平安時代の後半に渡来したようだ。昔、頂いた記憶がある。色はルビーのように美しかったが味のほうは酸っぱくてあまり美味しいというものではなかった・・・・。鬼子母神の話を思い出すと尚更のこと、鑑賞するものという感じだろうか。先日友人と箱根の仙石原を旅して来た。芒が見事だった。最近の箱根は○○館と名の付く観光スポットが沢山出来た。これは「箱根マイセン庭園美術館」の庭にあった芸術品?ワンちゃんの置物。一客ン万のコーヒーカップでコーヒーを頂きながら、笑ってしまった。決してシッボを掴んでどんなものか見てはいけない!!
November 1, 2006
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* 身に入むや若さ渦巻く無言館長野県上田にある「無言館」。60数年前のある青春と対面して来た。もしも生きて還って来られたら、思う存分絵を描きたい!彫刻の世界に浸りたい!そんな思いを秘めて、太平洋戦争で散っていった画学生の遺作、遺品が並んでいた。享年を見ると切なくなる。20代前半~30代前半の若者ばかりだ。生還して極めれば巨匠が生まれたかも知れないと思うと無念に思えた。作品の総てが素晴らしいのかは雀女には判らない。ただ、純粋に作品の制作に向っていた心は伝わった。どの作品も生きていた。もしかしたら、人間は恵まれ過ぎた状況の中では、本当の夢や希望は追求出来ないのではないか、とも思った。かつて、雀女の師匠だったノンフィクション作家 宇佐美 承(御本人は記録文学作家と好んで言っていらしたが)の著書「池袋モンパルナス」(1995年 集英社)の中の青年の何人かにやっと逢えた。・・・・先生、やっとお逢いして来ました。先生のお書きになった(・・・描くことは生きる事であった。生きる事は描くことであった。・・・)の箇所を思い出しました。・・・とお話し出来たらどんなに良かったでしょう。でも、きっと浄土から見ていて下さいましたよね・・・・・長野県上田市「無言館」 上空から見ると十字架のように見えるらしい。・ http://www1.odn.ne.jp/dansantokamisan/mugon.htm
October 19, 2006
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*酔芙蓉ねじれしままに朝迎ふ 8月の終わりに娘夫婦が夏休みを取って帰って来た。初めて飼った猫を連れての帰省だった。それがアメショーのショコラ。湘南産でどうも話してみると、我が家のしょう太とは兄妹になるようだ。産は湘南でも、かたやシティガールに、そして、かたやカントリーボーイになってしまったのか。バックに入れられてやって来たショコラとの初対面。しょう太は落ち着いて珍しいものでも見るように迎えた。興味津々であった。ショコラに威嚇されても、威嚇されても離れなかった。そして、遂に反撃の怒りを受けたりしていた。大きさを較べて見ると最初は本当に恐かったのかもしれない。ショコラは3キロ弱、しょう太は6キロを超えている。しかし、しょう太は性格が優しい。しつこくない。生まれが半年違うし、女の子と男の子の違いが有るのだから仕方が無い。大きな諍いもなく、2~3日で随分慣れた。これは驚きであった。しょう太が大好きなえのころ草(猫じゃらし)をショコラに譲ったのだ。「これ俺の大好物なんだ。面白くて時間忘れて遊べるし、葉っぱ食べてみろよ上手いぜ」「なぁ~に、なぁ~に、これ何なのよ~。こんなの初めてだわ。」なんて会話があったかどうか、勝手に想像している。やっと慣れた頃ショコラは帰って行った。次の日から暫くの間、朝の5時頃になると、何とも言えない高い声で鳴いた。今度来るのはお正月だろう。・・・・・友遠方より来るまた楽しからずや・・・・
September 23, 2006
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* 街の風夏の風受く病み上がりいつの間にか立秋を過ぎてしまった。今年の夏は激痛との闘いで悪夢のように通り過ぎた。この三ヶ月弱の事は思い出したくないが、自分の不注意が原因だったと思う。腰痛という持病を持っているのだから、もっと慎重に暮すべきだった。毎日顔を出して寝たきりの雀女を手助けしてくれた友、車椅子を押して病院を駆け回ってくれた友、電話で励ましてくれた遠住の親友、・・・・・感謝、感謝の念でいっぱいだ。楽天の友からも気使いのメールを頂いていた。やっとPCに向かう元気が出て来たのだから、無理せずお礼をしていきたいと思っている。そして、医師が話していた同じ病の13歳の少女と25歳の女性の一日も早い回復を祈りたい。これからは、不注意、不遜を謹んで、持病と上手に付き合って行きたい。 ありがとう! 感謝 感謝オーシャンブルー(西洋朝顔) 手入れもしなかったのに満開!!
August 17, 2006
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* 里山に畦塗る音のひびきけり先日、楽天仲間の○さんの旅日記を覗かせて頂いた。なんと1000回目の日記を書かれていた。同じ五年目に突入しながら雀女は何回目なのだろう。彼も一週間に一回にペースダウンしたと嘆いておられたが・・・。雀女は一ヶ月一回にダウンである。一日一句をモットーに開設したのに!!言い訳になるが、痛みがあると神経は其処だけに集中してしまう。鎮痛剤で抑えると、思考力がゼロに成る。一番苦しむのはやはり俳句だ。一ヶ月に句会が一つ、投稿が三つ、欲張り過ぎているのかも。ぎりぎりの十五句をひねり出すのがやっとの状態だ。もう辞めよう、と想う時もある。しかし、そう決心する時に限って、句会の主宰が一句拾って下さる。そして、ローカル紙に句評を添えて載せて下さる。また煽てに乗って、やはり頑張ろう!!・・と想ってしまう。句会は楽しい。いいお句にも出会えるし、お話も聞ける。雀女の今の状態をお話しすると同情されそうなので言っていない。辛らつなアドバイスを頂くと、苦痛でもあり、楽しみでもある。・ ・・・・ああ、句会の日が近づいている。 やまぼうし みずき科
June 4, 2006
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*看護士の手のひら白し桜貝無花果は名前の通り花が咲かない。若葉が出ると同時に実がなる。こんな事は知ってはいたが、実際に見ると妙に感心してしまう。いつの間にか桜は葉桜となり、鯉幟の揺らぐ季節になった。当地は四つの橋をはさんで、河原に鯉幟が延々と掲げられる。実に見事な風物詩だ。先日久し振りで若々しく爽やかな音楽会に行って来た。クラッシック、昭和の名曲、ラテン音楽、とバライティにとんだ明大マンドリンクラブの演奏だった。腰痛に苛まれながらも偶には無理して楽しんでいる。確率の低い手術に賭ける立場ではまだない。医者に一日三回は使用してもいい、と頂いている鎮痛剤をフルに活用して「今」を楽しむ事に決めた。まだまだ若いと想っていたのに、こんな生活になるとは思っていなかったなぁ~。
April 28, 2006
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* 閉園の時を惜しみて白椿 昨日、今年度町内の自治会役員のお別れ会を遣った。自治会、婦人会、子供会、中学部、老人会の役員が集まっての食事会だった。すべてボランティア精神がないと出来ない事で、一年間が無事終わってほっとしている。老人会長のお話には考えさせられてしまった。長く続いていた老人会が、今年で休会状態に入るという。その理由が会長のなり手が居ないという事だった。現会長は、一日おきに透析をなさっている状態で、医者からも もう大役は無理でしょう と言われ、何人かの方にあたったけど引き受けてくれる人が居ないとの事だった。そんな状態で、現会長は四年も務めて下さっていたのだった。六十代から老人会の有資格者らしいが、六十代はまだまだ若い。退職したての方は、自治会でも会長候補になる。潜在的な老人会資格者は町内で百人以上はいる。しかし、任意の団体だから、会費だけ払っている方が多いようだ。これから老人が増えていくというのにどうなるのだろうか。隣の町内でこんな事があった。定年退職なさった方が、老人会のジャンバーを着て、通学路に立って下校する子供達を見守っていて下さった。「あんた暇だから続けて遣ってくれ」こんな言葉を懸けられて、次の日から彼の姿は無くなってしまった。きっと「暇」という言葉が定年退職したばかりの状態の人を傷つけてしまったのだろう。なかなか人生の先輩に接するのは難しいようだ。2~3日前のソメイヨシノで~す。
March 22, 2006
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*冬枯れの田圃いつしか鋤かれをり ここ暫く暖かい日が続いている。昨年と打って変わって体調がいいので、暖かい日はなるべくウォーキングに励むことにしている。青い空と藍色の海。波打ち際や河口に群がる鴎。群れて海面を波立たせる鯔の子供。ちょっと頬を射す冷たい潮風。静かな暖かい太陽を背に聞く松籟。長閑なひと時、弓なりの渚伝いに春のコートを靡かせて歩を運ぶ。そんな時、煩わしさは一瞬総て消え去り、自分だけの世界に浸ることが出来る。・ ・・ゆくりなく映画にみればふるさとの海に十年のうつろいはなし・・・当地出身の歌人「明石海人」が長島愛生園で、この海を想って詠んだ。過酷な境遇の中で、二度と見られないと想っていた この海 をどんな思いで見たのだろうか。39年の生涯の短さが惜しまれてならない。ウォーキングの途中で見つけた。見事なしだれ梅。相変わらず下手な写真。(>_<)
February 28, 2006
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*荒東風を受けて海辺に無となりて9日の朝、歳の離れた長姉が倒れたと連絡を受けた。急いで駆けつけると元気な顔が救命救急室にあった。冗談も言えるし、検査の結果異常も見付からないので、一過性でしょうという事で無罪放免になった。何時もは一人暮らしの姉。諸般の事情から我が家で一晩様子を見ることになった。ところが、連れて来てみると病院での状態と大違い、立てない、座れない、食事が出来ない。翌朝、病院に連絡して、再検査、入院する事になった。土日が入るので、本格的な検査は来週ということに。姉は夫の梗塞による半身不随の生活を8年間介護した。その義兄も5年前に動脈瘤破裂で、あっけなく逝ってしまった。張り切りすぎていた姉は落ちこみ、積極的で明るかった性格は影を潜め、無気力になった。それは実に長い長いトンネルだった。昨年辺りから少しずつ元気になり、誰にも束縛されない生活を楽しみ始めていた。病弱な母を持った雀女には、歳の離れた姉は母のような存在だ。もっともっと自由を謳歌して欲しい。民謡大好き、編み物大好き、観劇大好き、絵画大好き・・・そんな姉。月曜日からの検査、治療、でどれだけ治るのだろう。人生にご褒美というものはないのだろうか。輪島の海。
February 11, 2006
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*除雪車は下に下にと車列前 ひょんな事から寒波襲来の輪島に行った。当地は温暖で雪が積もる事は稀だ。延々とバスで10時間、トイレタイムを除いて何処にも寄らず只ひたすら走った。滋賀辺りから雪。車窓から横に降る雪が珍しかった。日本海に近くなると、トンネルの入り口には氷柱。雪景色はますます凄くなった。輪島の宿に着くころは、薄暗くなっていた。朝の輪島も横殴りの雪だった。雪の露天風呂で朝湯を楽しんだが、寒かった~。名物と言われる輪島の朝市も、時間が早過ぎて寂しいものだった。金沢の兼六園に寄った。観光客に踏まれた雪道は良く滑った。雪に慣れていないので、ふくらはぎが痛くなることだろう。見物で来ている我々には、それも楽しい悲鳴だ。でも、住んでいる人には大変な日常生活なんだろうと想う。ずっとしゃべり続けたガイドさんも仕事とはいえ凄い。年配の方で、歴史に社会情勢に精通し話術が巧みで飽きさせかった。プロなんだなぁ~。
February 9, 2006
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*寒天の星に包まれ宴帰り 1月22日関東に雪の降った次の日、御茶ノ水に行った。何年振りだろうか。今回は友達の快気祝い兼新年会。友人が全身麻痺の恐れのある難病と診断され、去年11月に首のバイパス手術を受けた。後縦靭帯骨化症・・・なんて聞いても ねぇ。何度説明を聞いても、素人の雀女には判らない。しかし、ともかく無事乗り切ってくれた。何年此の侭無事で居られるのか・・・。近場の友だけ集まり逢う事になった。彼は杖をついてはいたが、元気だった。元気で居て頂かないと困るわよ。我々のグループのドンなのだから!雪の明日のニコライ堂。同じく湯島天神。
January 24, 2006
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*墨の香の漂ひ初むる冬座敷 不思議な事もあるものだ。昨年の暮れに風邪を引いた。2週間ほど点滴や抗生物質のお世話になりながら養生した。そして、風邪が治った。すると、何と言う事か、坐骨神経痛まで治ってしまった。去年一年間激痛に苦しみ、整形外科、鍼、灸、マッサージと真面目に、真面目に通って駄目だったのに・・・鎮痛剤が離せなかったのに・・・である。お陰でいいお正月を過すことが出来た。ただ、何時またなるかと言う不安はある。腰痛が完治した訳ではないのだから・・・と言いながらも今がチャンスと出掛ける事も忘れていない。先日も上京して、東郷青児展に行って来た。東郷青児が大好きと言う訳ではない。招待券を頂いたので。あの独特な美人画をじっくり見せて頂いた。雀女の敬愛する作家の初版本のカバーも三冊ある事を知った。神楽坂の街も歩いた。路地を入ると、昔懐かしい雰囲気の残っている所もあった。が、だんだん知らない街になって来ている。
January 18, 2006
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