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July 16, 2010
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カテゴリ: 少女漫画倶楽部

 6月29日、Amazon で岡田史子さんの本を買った。

 岡田史子(ふみこ)、と言っても知らない人が多いかも知れない。私が高校生の頃、傾倒した「伝説の漫画家」だった。

 届いた本は、もはや「古本」で、昭和54年発行(朝日ソノラマ)『ほんのすこしの水』である。

 古本だけあって、「懐かしい」と2,3回読んだだけで、ページが2枚ほど外れてしまった。

 何かのことから、「慈善はどうかすると偽善となる場合があるよね」などと、息子と話し合っている時、急に、この人の、昔読んだ作品『ほんのすこしの水』を思い出した。

 高校生の頃、岡田史子さんのこの単行本を持っていたが、いつの間にか失ってしまった。それから私は、何回も夢に見るほど、この人の作品を読みたいと思っていた。

 夢はいつも同じようなパターンで、街を歩いていると(多分、子供の頃、憧れた神田の古書店街)、店頭に「岡田史子」の本がある。それに驚いて、買おうとするところで、夢が覚めてしまう、という調子。

 それ以来、熱い憧れを抱きつつ、幾度となく同じ夢をよく見たが、なんやかんやと人生の波にもまれるうちに、忘れてしまい、夢を見なくなっていた。

 だいぶ時を経て、高校生の頃には考えだにしなかった、IT時代にいつしか突入。子供も15と大きくなり、色々互いに「人生論」などを語り合うようになって、突然脳裏に蘇ったのだった。

 「そうだ、偽善と言えば、岡田史子という漫画家が、『ほんのすこしの水』という作品を書いたのを昔読んだよ。お金持ちの人が、物乞いをする人々に施しをしている場面があって。でも、その人々の中に、『あなたの施しはその場限りなのではありませんか』といったようなことを言って、施しを拒絶するー確かそんな内容で、漫画という感じがなくて、哲学的な作品で凄かったなあ」

 私は息子にそう言った。そして、「そうだ。今はネットで何でも検索できる時代なのに、どうして今まで忘れていたんだろう」と急に思い立ち、Wikipedia で検索した。

 すると、岡田史子さんは、5年前(2005年)に、55歳で逝去されていた。私には、憧れていた人が、まだ若いのにもう亡くなっていたことがショックだった。

 北海道生まれで、20歳頃(昭和44年)に、『ほんのすこしの水』の他、数々の名作を描き、手塚治虫主宰の雑誌COM に読み切りを発表した。

 台詞や物語が暗示に満ち、1作毎に絵柄を変えて行くという、実験的な試みが見事成功していた。

 そのため、手塚治虫から絶賛され、早々に筆を折った時にも「なんで描かなくなったのかなあ、惜しいなあ」と残念がられ、また、あの萩尾望都をして「北海道は雪の中に一人の天才を......(以下台詞内容忘れ)」と言わせたほどの作家だった。

 この度、ほぼ20数年ぶりに彼女の本を手にして、「ああ、そうだった。あの時の本はこれだった」と記憶が嘘のように鮮明になったのだった。

 単行本のカバーに「時計の振子が最大振幅するように、かつて描くことと生きることを愛した岡田史子......」と(少し表現が違うかもしれませんが)書かれてある紹介文も、昔のままだった。私は、この文章にも感激したものだった。

 問題の『ほんのすこしの水』で、私が息子に「慈善と偽善」について話した箇所は、こんな風であった。

 物語の最初:中世のヨーロッパ(イタリアかもしれない)の街で、教会の鐘が鳴っている。タリーというお金持ちの娘が、神父に礼拝のお礼を言うと、神父がこう言う。

 神父「...今日も物乞いするものがおおぜいいる」
 タリ―「はい ほんとうに」

 その後、タリ―は、教会前に集まっている貧しい人々に「こんにちは...これはわずかですが 神様のおくりもの」と言いながら、施しを始める。人々は「タリ―さま」と呼び、有り難いと感謝するが、中に疑念の眼差しで彼女を見ている若い青年ルカがいる。

 ルカ「あの人はだれなのですか」
 訊かれた女性「流れ者かい?あの方はさ リッチ家の...」

 ルカ「リッチ家というと町一番の...」
 女性「そう 資産家さ その長女でいらっしゃるのだよ あのタリ―さまは」

 ルカは迷ったように黙っていると、施しの順番が彼の所にやってくる。

 タリ―「こんにちは... あら あなたは... 
          はじめてお会いいたします タリ―と申します さしでたことですけれど これは神様の...」

 ルカ「そう...ルカと申します おききしたいことが あります」

 タリ―にとって、自分の言葉を遮られたことは、多分初めてだったのだろう。彼女は不思議そうな顔をする。

 タリ―「...どんなことでしょう?」

 ルカ「つまり こうなのです... 
     自分の家が金持ちだということのほか どんな権利があってあなたは人に施しをするのだろうかと...」

 その言葉に、衝撃を受けたようにタリ―はルカを見つめ、ショールを両手で頬に押し当て、懊悩する。

 次のページで、彼女は侍女に付き添われ、ショールを被り、青年の元を去ろうとするが、いきなり両手を固く握りしめ、全身を大きくかがめて、ルカに「...失礼いたしました」と許しを乞うー

 このタリ―の、全身を大きくかがめた描写は、昔も今も斬新であり、こんな描き方ができるのはこの人だけだと感動を新たにしてしまう。

 しかし、その前の、タリ―が「...どんなことでしょう?」とルカに尋ねるシーンから始まるページ全体は、高校生の私に大きな衝撃と新鮮且つ不思議な味わいを与えたのだった。

 だから、私は、確か、実際に漫画の原稿サイズの用紙に、墨汁とGペンで、このページをすっかり模写した記憶がある。当時漫画家志望だった私が、丸ごとページを模写したのは、この岡田史子さんの作品の、このページだけだった気がする。

 昔私は、ルカの「自分の家が金持ちだと いうことのほか どんな権利があって あなたは人に施しをするのだろうかと...」との台詞に震えるほど感動を受けた。

 今、この台詞を何回も考えて、こんな重いテーマを物語の冒頭に置き、読者の心に斬り込んでくる作家もいないのではないか、と感じる。

 このページはほんの5コマで、台詞もわずか。だが、絵が暗喩に富み、1枚のページが大きく深い一つの「表現」となっているところが凄い。

 たったこれだけで、さまざまなことが考えられる。

 富んだ人は、貧しい人に施しをするのは当然であるー一つの良識として、そう思われる。

 しかし、「当然である」と考え、それが人に対する同情心からの行為ならまだしも、「私には権利がある。なぜならお金持ちだから」と感じ出したら、それは「偽善」となるのではないだろうか?

 また、こうも言える。富んだ人はほんの少数だが、貧しい人が多数である場合、その同情心は、すべての人を救うことはできない。

 すると、寧ろ同情そのものが、その場限りとなってしまい、曖昧な「お情け」と受け止められる危険もある。

 また、施しを受ける立場の人の身を、富んだ人はどこまで考えることができるだろうか。

 ...などなど、様々な考えが頭を巡るが、一番良いのは、そういう「分析」などしない方がいい、という結論に到着してしまう。

 優れた作品というものは、言葉では語り尽くせないのが常であって、そうした作品を描ける「本物の作家」は昔から希少なのだから。










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Last updated  July 16, 2010 07:36:25 PM
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