PR
Calendar
Freepage List
Comments
Keyword Search
Shopping List
最近の記事によると、東アジア圏における大学生の基礎学力検査を比較した結果、日本は韓国に惨敗との結果が出たそうだ。
日本の大学で教鞭をとった、ある韓国人教授によると、惨憺たる感想である。
「日本の大学生は、とにかく勉強をしません。どうしてこんなに出来ないのか、というほど、勉強、学問に関心がなく、無気力で、将来への目的がまったくないのです。このままでは、社会に出ても、単純な肉体労働が関の山であるのに、本人達がそれに気づいていない。それで、『中国人よりも高い給料がもらえる』などと思っているんです」
あまりにも学力低下が著しいので、新入生に、高校レベルの勉強を義務付ける大学も増えているらしい。
以前も、テレビで、「最近の大学生は、中学生の英語もよく理解できていないし、満足に漢字も書けない」といったことが話題にもなっていた。
私自身も、大学に勤めていた際、そう感じていた。
英語だけがすべてではないが、大学生にもなったら、国際的視野を広げる上で、語学の勉強は必須である。
それが、中学英語さえ、満足に理解できない状態なのである。
昔、非常勤講師になりたての頃(20年前?)は、まだ大学には、明治、大正、昭和初期頃の「大学生らしさ」が残っていた。皆、大学生らしい気概を持ち、学問を意識していた。
けれども、21世紀になってくると、徐々に彼らの学力はお粗末になってきた。基本的な英語力はおろか、日本語で満足な文章も書けない。書きなぐるようなレポートを平気で提出する。
以前は、板書に筆記体を書いても、文句は出なかった。だが、徐々に「筆記体は止めて下さい」との苦情が出てきた。何故かと訊くと、「筆記体を習ったことが無いから」と言うのであった。
更に数年後、数人の学生が講義後、「英語がまったく分からないんですけど」と言ってきた。何故かと訊くと、「付属校出身だから」と答える。
「付属校なら、英語ぐらい、習ったんじゃないの?」
「えー、でも、英語、選択しなくてもいいようになってたんです。で、僕、英語苦手だから、高校では英語、やってないんです」
「ほ~んとぉ?でも、じゃ、入試は?英語は必須じゃなかったの?」
「あ、入試は、好きな科目で受験できるんで、英語、受験してないです」
あいた口が塞がらないとは、こういうことだったのか...
私が感慨にふける間もなく、その学生は、現状に戸惑っている。「で、この大学入ったら、英語、1回生は必修じゃないですかぁ。どうしたらいいんですか、僕」
どうしたらって、どうしようもないではないか。
仕方ないので、「空いた時間に、講義の後、個人授業してもいいですよ」と言ったことがある。でも、彼はそれ以上、私の所へは来なかった。
私の勤めていた大学は、関西では、指折りとまではいかないが、有名なブランド校で、進学塾の合格者数には、必ず上位に名を連ねる大学である。
決して「頭からっぽで入ってね♪」というレベルでもない。まあ、中の上、あたりの大学であった。
日本人学生の学力低下、韓国人学生が100点なら30点しか取れないほどのお粗末さの背景には、「学歴社会による受験戦争を緩和するためのゆとり教育が原因になっている」との指摘があった。
ゆとり教育も問題を招いているだろうし、少子化により、大学側が学生を「お客様」扱いし、「レベルが低くても授業料を払ってくれたらいい」との、本来の「最高学府」の理念が地に堕ちたかのような商売的ポリシーで、多くの基礎学力のない学生を入学させる低姿勢も悲惨な結果を招いているそうである。
今や大学は、「中学・高校のおさらいの場」と化している。その背景に、携帯やネットに夢中になるIT社会があるのだろう。
あまりに世の中便利すぎると、「ゆとり」を通り越して、「自分の力で考える・調べる」ことを、人間しなくなる。
それなのに、英語教育を来年度から、なんと小学5年から義務化するというのである。英語を早期に身につけるということは決して悪くはないが、その身につけた英語でもって、大人は子供たちに何を期待しているんだろう。
いわゆる「国際社会で活躍できる人材育成」といったところか。それでも、会話だけではそんなに簡単に「国際社会に通用する人材」は育たないのではないか。
How are you? 的な英語をやっていたところで、その先がないではないか。国際的視野を広げるには、大学において、自分の考えを英語で表現できるほどの実力を養わないとどうにもならない。
その基礎を培うのは、中学、高校における国語や英語の読解力、文章力、また他の教科を段階的に学ぶ姿勢ではないか。それらをすっ飛ばす付属校のような高校がある限り、英語の早期教育は付け焼刃に過ぎない気がする。
こうして、現実に、韓国人教授が日本人学生の低学力を嘆いているのを知ると、今の日本人の、韓国ドラマへの熱狂的な傾倒も、気恥ずかしくなる。
昨日、大人気だった韓国歴史ドラマ『イ・サン』の吹き替え版が終了した。
韓国の歴史には、儒教の精神が根付いているため、日本の若者のように携帯やネットに通じていても、倫理、道徳、目上の人への敬意などにより、人間関係や、学問の意義などが折り目正しく保たれている。
そうした儒教の精神を背景にしつつも、人間の複雑な心理を実在の歴史上の人物を通して描き、感動を呼んだドラマが『イ・サン』だったと思う。
あのような芸能界で活躍する人々も、きちんと学校教育を受けて、学ぶことの何たるかを知った人々であろうと思うと、私は、大好きな韓国歴史ドラマを見ていることが恥ずかしい気持ちになったのだった。
忍び寄る悪意の心理サスペンス『美しい隣… February 16, 2011
酷評された「弥太郎」像 でも他の配役は.… January 3, 2011
歳末の『龍馬伝』総集編 2011.1.2 January 2, 2011 コメント(3)