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今日、K石材と名乗る業者から電話があった。S御苑という墓地の墓石のデザイン、価格のご案内だそうだ。
そうしたことは、今は考えていないと答えると、「以前奥様のお名前で、資料のご請求がありましたので」と言う。
その業者は、電話帳を見てかけたのではなく、市外局番の後は、数字の順番にダイヤルし、それでうちの住所、電話番号、「奥様」の名前を知ったのだと言う。
「奥様」とは、私のことである。
「ええと、奥様でいらっしゃいますか?」
「えっ?あ、はい」
「○○○○様というお名前はご存じでおられますか?」
「それは、私の名前ですけど......」
「あー、そうですか。その、奥様のお名前で、本社に資料請求のご依頼がありましたので、先日、資料をお届けに参りましたのですが、お留守でしたので......それで、ご検討はして頂けましたか?」
「あの、それ以前に、私自身も、母も、お宅に墓石のデザインや御苑の資料のご相談など、何もしていないんですけれど......?」
「あれっ?そうですか?」
「あの~、私の名前や住所、電話番号はどうしてご存じなんですか?」
「それは奥様ご自身にお聞きして、お答えいただいたものですから。じゃ、ご相談のお心当たりがないのでしたら、何かの間違いでしょうか」
「ええ、申し訳ありませんが、うちはお墓のことどころか、息子がずっと入院してましたし、それが大変で、母も私もそうしたご相談はしておりませんので。何か、お間違いだと思います」
こういうやりとりのあと、業者の方には、私の名前、住所、電話番号は消去してもらい、承諾済みとなった。
私は勧誘の営業コールには、本気になることはまずない。
もし少しでも「資料が欲しいかも」と思っても、個人情報の漏洩が怖いので、下の名前を変えて相手に伝えるようにしている。
だから、墓石業者が私の本名を知っている、というのは不思議である。
そうした営業コール風の電話に、母が出ても、まず母は「お待ち下さい」と言って、私に変わることが多い。
母が応対しても、私の本名は明かさないだろう。
要するに、女性の声で、一体誰が、私の本名を墓石業者に語ったのか、それを考えると、怖い気分になる。
しかし、こうした業者と応対できるだけでも、私は幸せなのかもしれない。
東北各地の被災地で、最近、とんでもないことが起きているとニュースで知った。
それは、「遺体安置に1日10万、ドライアイス1個に1万」というものである。
家も土地も、そして大事な家族まで失い、自身の心身の健康さえ脅かされ、辛く悲しく、苦しんでいる人々が何万といる。
その人々が、せめて葬儀は大事にとりおこないたいと願う。
そして葬儀業者に相談すると、上記のようなとんでもない金額をふっかけられ、一層苦しめられている、というのだ。
金銭的にも苦境に立たされている人々を、なぜ絶望の淵へと追い込む行為をする人間がいるのか、理解に苦しんでしまう。
ボランティアをしたり、義援金を送ったり、チャリティコンサートをする善意の人々もいれば、自分の利益のためなら、鬼にでもなる者たちがいる。
なぜお互い励ましあわねばならない、こんな時に、こうまで悪意に染まる物がこの世に存在するのか、と思う。
人の世は、善人ばかりではない、人の心は善と悪が共存する、世間はこんなものだ、といった「言い訳」はいくらでもある。
それでも、「言い訳」が通用しない悲惨な現状が現実にある。
その現実の場に足を踏み入れて、「遺体安置に1日10万」とまで言い切るのなら、もうそんな者には「良心」も「人格」もないのではないか。
そうなったら、人間をやめてしまえと言いたくなってしまう。
こうしたニュースを聞くと「神も仏もないね」と言いがちだが、実際、神や仏は存在しない。
神や仏、とも呼びたくなるような善意、高潔な心が人にはあるはずなのだ。要するに、神や仏、逆に悪魔さえも、人間の心に宿っている。
天災に遭い苦しむ人々に差し向けるのは、あくまでも善意でなければならない。今、人間のそうした高潔な意思が試されているのだと思う。