2023/10/18
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カテゴリ: 政治について
作家の百田尚樹氏とジャーナリストの有本香氏で立ち上げた「日本保守党」に政治家の河村たかし名古屋市長も共同代表で加わって保守政党を目指す!

作家の百田尚樹氏、ジャーナリストの有本香氏らが立ち上げた政治団体「日本保守党」の結党記者会見をライブ配信。今後の国政挑戦に関する方針と政策を発表。



2023年3月2日 7時15分
愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院
愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。
記事元で詳しく読む


皇位継承が男系(父系)である理由
皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが 危険な「母系(女系)天皇」です。  女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。  もしも女系を容認していた場合には その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。  万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで 母系(女系)天皇など過去に一度もありません。  戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。
旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。
現在の皇位継承順後からです。

旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!

《本問題についての主な男系派論派》
青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)
麻生太郎(前副総理)
有本香 (ジャーナリスト)
岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)
大高未貴(ジャーナリスト)
大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)
加瀬英明(外交評論家)
KAZUYA(YouTuber、作家)
葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)
倉山満 (憲政史家・皇室史学者)
ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)
小林節(憲法学者)
小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)
桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)
櫻井よしこ(ジャーナリスト)
佐藤幸治(法学者)
上念司(経済評論家)
水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)
水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)
村田春樹(政治活動家)
高清水有子(皇室評論家)
武田邦彦(環境学者)
竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)
西尾幹二(評論家)
新田均(歴史学者)
百地章(憲法学者)
百田尚樹 (構成作家、小説家)
八木秀次(憲法学者)
山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)
吉木誉絵(作家)
八幡和郎(評論家・歴史作家)
渡部昇一(評論家)
所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同



【誰も教えない日本史】 75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来


“強制徴用"の神話  経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員


嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判  ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授



終戦の詔勅(玉音放送) ※左に現代訳が表示
昭和天皇「 日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・

【大東亜戦争とは】 --- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---
【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】
時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは 牧野伸顕 が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカの ウッドロウ・ウィルソン議長 に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。
議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。



【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】
日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、 三国同盟(日独伊) を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、 ABCD包囲網 で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに 最後通牒(ハルノート) で日本を絞めつけて話し合いに応じません。
やむなく、 国際法が認める、自存・自衛の戦争 に突入していくのです。
1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。  欧米列強が支配している植民地を攻めて開放 していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。  蒋介石の国民党軍 を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、 フランクリン・ルーズベルト で彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために 真珠湾攻撃 で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。
ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。
日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。
(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)
大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。

【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】 (1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)
ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。
昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。
【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判) (1946年5月3日〜1948年11月12日)
日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、 『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判 を行ったのです。
この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。  東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争 であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。
インドの パール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪 を主張したのです。
しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。

■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■
【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。

■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■
マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言
1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。
【お話のまとめ】
■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。
■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。




インドネシア共和国 初代大統領スカルノ
【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか

------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------





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Last updated  2023/10/18 10:43:26 AM


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