遅れましたが、書き込みます。
5月31日から、実家の秋田に行き、5日帰宅しました。
秋田に帰った一番の理由は、
父の病気です。
「 進行性核上性麻痺 」(リンク先: 難病情報センター )といい、難病に指定されています。
パーキンソン病の類縁と言われています。
もし、ご家族が50歳以上の男性で、
「下り坂で止まれず転倒する。その時上体が後ろにそっくり返る」とか
「顔の表情が乏しい」「ろれつが回らない」などの様子が見られたら、
「年のわりに、衰えが早いんじゃない?」などと片付けずに
きちんとした病院を受診してみてください。
父の場合、7、8年前から、「いくらなんでも変だ」と思った母が
何度も大きな病院に連れて行ったのに分からず、
数年前、むざむざ要介護状態になってから、やっと、
介護施設の看護婦さんの紹介で訪れた病院で病気が判明しました。
帰省するたびに見る父は、まるで、人の2倍、3倍の速さで年をとっていくようです。
今年も、峠道の雪が消える3月ごろには、帰省するつもりでしたが、
義父のがん手術がありました。
義父が、自分できちんと治療できる人なら良かったのですが、
せっかく大手術から生還したのに「治療なんかしねぇ」と駄々をこね、
夫が毎週宮城と栃木を往復して憔悴しながら説得しても、
地元の病院にも行かず、こちらに来る準備も頑としてしないまま、
無為に1ヶ月を過ごしたもんだから、またたびも説得にいきました。
そしたら、コロリと、こちらに来ることに(義母と夫の苦労は何?)。
以来、お迎え準備や各種検査、
義父が治療に意欲が持てるよう計らい、
一方で生活指導(隠れてタバコを吸ったりするし)などで、日々が過ぎ、
抗癌剤を飲むことを快く承知するよう誘導し、
飲んでみたら副作用も無く、食欲も普通で元気いっぱい。
本来、自立した大人なら、自宅から自分で運転して通院できるような体調なのです。
その辺が、またたびには、少々苦痛なところです。
この元気な人の相手をしている間に、
実家の父は音を立てるように症状が進んでいるのです。
癌はたしかに恐ろしい病気です。
でも、患者当事者にしてみれば、
その苦しみ、衰える自分を感じる悲しみ、死に向き合う恐怖は、
どの病気にも言えるのではないのでしょうか?
やっと、義父の5週に一度の通院サイクルが確定。
義母の通院もお休みになる週が見つかり、
今回の帰省がかないました。
父の症状がいっそう進んでいて心痛みましたが、
またたびの帰省をとても喜んでくれたのが幸いでした。
父の機嫌が良いと、いつも介護している母、兄、兄嫁、姪、甥も少し楽になります。
自分達も大変なのに、またたびを温かく迎えてくれました。
実家の安心感からか、秋田滞在中は、腹痛もなく体調が良く、
手伝うこともできました。
父が、帰る前日は「正月には帰ってこい」と言っていたのが、
今日、帰り際には「夏休みには帰ってこい。なるべく早くな」になりました。
父も、うすうす、自分の病気が分かっているのかもしれません。
あと何度、寝たきりになる前の父と会えるだろう?
衰える父、足腰が弱くなった母の負担も重く、
後ろ髪ひかれる思いでした。
帰ってきたら、治ったと思った腸がズキンと痛んだ。
義父も義母も、またたびを可愛がってくれます。大事な父母です。
ただ、今のまたたびは、新しい環境に、適応できずにいるのだと思います。
今まで、突然対人恐怖が起きても、家の中なら安心だったのに、
その家の中に、今まで居なかった人がいるわけで、
緊張が24時間全く解けないのです。
先に述べた「義父が自力で治療に行ける人だったら」というもどかしさも、
心にあるのかもしれません。
近頃、なかなか「まったり時間」が書き込みできないまたたびの、
これが、事情です。
書かずにいるつもりだったのに、書いちゃった。
ふぅ・・・・・・
ひとしきり甘えたくせに、突如スネた様子に変貌。
「アオギャオ」と怒った声で文句を言いながらガブガブ
「コユを置いて、どこ行ってたのコユを見て、見て」
という感じでしょう・・・・・・
ふぅぅ・・・・・・・