2013.11.26
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前回の日記の続き

介護なんてまた立て直せばいい、
「来週にも退院できますよ」と言われて嬉しくて
まだ具体的じゃないけどこういう話が出ているとケアマネに連絡した。
「ええ!!??いつですか!?」
と反応に驚いてしまった。
死ぬと思ってたってこと?
ケアマネはヘルパーが怖がっている、家族はどれほどかかわるのか、
もっとかかわるのか、お姉さんも芙美さんも
 こんな状態で人に介護させて後悔はしないのかと聞かれた。
毎日欠かさず通って、頭に禿ができて、口の周りにぶつぶつできて、それでも毎日通って応援し続けての退院だというのになんでそんなこと言うんですか。
まずはよかったですねだろうがー!!!!!!!!とぶち切れ。
往診の先生に泣きついて、翌日にミーティングをしてもらう。

介護の社会化、家族に介護の負担を負わせない。
それが介護保険であるし、我々医療従事者、介護従事者の仕事である。
それがプロである。この理念から始まった。
できませんじゃない、やるんです。
三号研修受けている事業所は50か所以上(リスト化してケアマネへ
入院、他の先生にお願いしよう。
3カ月は伸ばせるかもしれない。
その間に介護体制どこまで立てられるか
新規の開拓、ヘルパーの仕事、ケア、看護師医師の仕事、医療のすみわけ逸脱しないこと
余裕のあるプランからはじめて何とかまた二週間後にミーティングすることになる。
はい、でもなければ
やります、でもなかった。でもやめるとは言わなかった。
先生も協力すると言ってくれたし何とかなるかもしれない…と思ったら
またしても急変する。

今度は人工透析、全然外せませんでした。
原因は足かもと言われて、足切るかどうかもう一度問われる。
原因が足なら切ったほうがいいけど、ママはどうなんだろう。
すごく悩んで悩んで、母に尋ねた。
母は「する」にYesをしてくれた
6回も確認して6回はいと言ってくれた。
私に決めさせないでくれた。

ところがまたしても
「やっぱりできません」と言われた。
リスクが高すぎて、できない。傷口がふさがらないかも。
こんなに悩ませてできないなら最初から聞くなと思った。
ここで打つ手がなくなった。
今のままでは1月の姉の出産には間に合わず、
透析を外せば2日で意識がなくなり、5日で心臓停止。
人工透析は24時間365日。
尿は出ない。
転院すれば通常透析。これは
これは血圧が急降下する可能性があるので一か八か。
在宅では工事が必要でできないし、研修に2か月かかる。








と、ここまで書いたところで20日から絶賛介護中です。
24時間他人介護の最後は介護させてもらおうと思います。
母は腹膜透析をして帰ってきました。
往診の先生のご尽力です。
病院からは猛反対されました。
二度も病院に掛け合ってくれて、今は腹膜透析は私の仕事です。
ケアマネージャーも初期にお世話になった方に変更しました。
家までがゴールで、そこから先はおまけだと思っていたのに
今日で一週間です。

毎日浸出液が全身から出る母の体を洗い、
88年からのホームビデオを見て
大学時代にギター片手に歌った音楽を聴きながら
頭をなでたりして、ゆったり過ごしています。

きのこの卒業生や現役生たちが退院初日からすっと集まってくれて
シフトに入ってくれました。
3カ月の入院ですっかり穴だらけになったシフトですが
「寝たら死ぬぞ!」の介護ではなく
ちゃんと寝せてもらえています。
1か月早いクリスマス会もやりました。
家じゅうクリスマス飾りをして、母の結婚前から今までの写真を母が見えるところに飾り
やりたいことがだいたいできました。

この介護をはじめた25歳の時から母を看取るのは私だと思ってました。
そしてこのブログで私も母も人生が大幅に変わりました。
応援してくださった皆様や、ここで知り合った方々、美女会のみんな
本当に本当にありがとう。
私らしく母らしく、にぎやかに送るよ!







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Last updated  2013.11.26 17:33:14
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