お久しぶりですね。このところ、仕事で缶詰状態になっております。まだまだ山積みですが、たまには息抜きも必要です。
さて、八幡市駅まで戻ってきたので、駅の周囲をもう少し散策しようと思います。
神應寺の石標
石清水八幡宮の一の鳥居前を右手に進むと、「神應寺(じんのうじ)」と書かれた石標があります。
この石標には、「谷不動尊 弘法大師作」「国宝 行教律師之像」「桃山御殿建築物」「淀屋辰五郎石碑」と、いろいろと書かれています。いきなり「?」がたくさん出てきましたが、少しずつ片づけていきましょう。
神應寺にはたしかに「行教律師座像」がありますが、これは重要文化財の指定を受けています。石標には「国宝」と書かれているのに、なぜに?
現在の「国宝」は、昭和25年(1950年)施行された「文化財保護法」によって指定されます。それまでは、国宝も重要文化財もみな「国宝」だったということです。指定の基準が変わっただけで、べつに国宝から格下げされたわけではなさそうです。
「桃山御殿建築物」は何を指すんでしょうね。書院は伏見城の遺構と伝えられているそうですから、これのことかな? でも伏見城ですかあ?? よくわからん。
「淀屋」とは、江戸時代の大豪商で、先物取引で財を成しました。五代目の「辰五郎」は八幡の地に住んでいたそうです。しかしあまりに贅沢な生活をしたために幕府に取り潰されてしまいました。その辰五郎の墓が神應寺にあるようです。ちなみに大阪の「淀屋橋」は淀屋が架けた橋です。
谷不動尊は、「杉山谷不動尊」のことです。神應寺のさらに奥にありますので、あとで行ってみようと思います。
さらに奥へと進むと、右手に山門が見えてきます。
神應寺山門
同上
神應寺は貞観2年(860年)、宇佐八幡宮から石清水八幡宮を勧請(かんしょう)した行教律師が応神天皇を祀るために建立した寺と言われています。調べていくと、「はじめは應神寺といった」が、「天皇の号をはばかって神應寺と改めた」という記述が見受けられます。応神天皇は3世紀後半から4世紀にかけての天皇ですから、天皇の号がはばかられるのであれば、なぜ最初から「神應寺」にしなかったんでしょうね。
山門の奥には階段が続いています。ここも階段かあ。でも、せっかく来たんですから入ってみましょう。
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