嘉祥寺(深草聖天)
京都市伏見区深草坊町
京阪本線・深草駅より南東へ徒歩12分平安時代の嘉祥4年(851年)、文徳天皇は清涼殿の建物を移築し、年号をとって嘉祥寺(かしょうじ)と名付けました。
当時の嘉祥寺は、現在の位置よりもう少し南寄り、深草瓦町辺りにあったと言われています。名神高速道路をはさんで、仁明天皇陵のすぐ北側です。先帝・仁明天皇の菩提を弔うために建てたのだそうです。
当時は広大な寺域を持った大きな寺でしたが、平安時代末には衰えて、仁和寺の別院となりました。
鎌倉時代中期には藤原道基が再建を図り、安楽行院と名付けられます。しかし、室町時代の応仁の乱により、一部を除いて焼亡してしまいました。江戸時代の寛文年間(1661~73年)に再建された際には、安楽行院とともに聖天を祀って嘉祥寺も再興されました。
嘉祥寺の本堂には歓喜天(聖天)を祀ることから「深草聖天(ふかくさしょうてん)」と呼ばれ、開運招福祈願の信仰を集めています。この聖天は、日本で最初のものだと言われています。
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