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やってしまいました。今年最大の大外れ。9/28の夜明け前に自宅を出て、宮城県の西北部まで900㎞余り、車をすっ飛ばして駆け付けました。目的は勿論栗駒山の全山紅葉です。この日を選んだのは、①天気予報で天候が安定しそうだったこと、②昨年9/27に実行して2日か3日早かったこと、③ということで、今年は更に2日遅らせて、9/29(火)決行となった次第。 いざ、現場に到着してみると、紅葉は始まったばかりで、通い慣れた地元の人に聞いてみると、気温の下がり具合で変化はあるが、この週末辺りがベストではないか、というご意見が多くを占めました。そんな経緯で今年最大の大外れを味わってしまい、今は少なからず落ち込んでいます。 とは言うものの、山頂直下まで来て山の神様へのご挨拶を欠いては失礼に当たる、ということで、山頂(下画像)までは歩き続けましたが、お賽銭は控えました。次の機会に大きな成果が得られた時に大盤振る舞いをさせて貰うことにします。因みに交換レンズ込みで2.5㎏にも達する一眼レフはザックから取り出す気力も沸かず、結局運んだだけに終わってしまいました(アホらし!! )。
2020年09月30日
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”県境越え遠出”への規制が始まって以来、ほぼ2ヶ月に亘って山から遠ざかっていました。この程その規制が解かれたのを受けて、久し振りに出掛けてみました。引き籠り解消第1幕の行き先は、三重・奈良県境に鎮座する俱留尊山(くろそやま=1038m)にしました。理由はブランク2ヶ月で脚力が減退している恐れがあり、実歩行の標高差がさほど大きくないこの山が妥当、と考えたからです。 入山口は秋のススキで有名な曽爾高原からのコースです。広くゆったりした遊歩道から歩き始めます。ススキが生えた範囲は、しっかりした階段が設えられていて、安全性は申し分ありません。稜線に出て、遊歩道が終るとコースの様子は様変わりし、大小の岩石ゴロゴロの悪路に加え、雨でぬかるんだ道はよく滑ります。生死の境目・・・という様なハードなものではありませんが、雨後の歩行では気を抜かない覚悟が必要です。 ススキのエリアを歩く限りは、視界もスッキリ開けていて爽快な歩きが楽しめます。その後はずっと森の中で雄大な遠景を楽しむ様なコースではありません。山頂もこの調子で、半径5mほどの平らな範囲は土が踏み固められていますが、その外は5~6mの樹木が塀の様に取り囲んでいて、登頂のご褒美、雄大な風景を堪能という楽しみ方は期待薄です。積算標高差は、途中の70~80mのポンピングを含めて540mほどで、ブランク明けの足慣らし登山には妥当な選択だった様です。
2020年06月22日
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先般(4/3)鳥取県の扇ノ山に登った際、登山口の案内板に「氷ノ山後山那岐山国定公園」なる文言に遭遇しました。氷ノ山(兵庫・鳥取県境)や後山(兵庫・岡山県境は)複数回(と言っても高々2回ですが・・)登っており、「フムフム・・」とスムーズに理解できたのですが、那岐山(鳥取・岡山県境)はさっぱりイメージが浮かびませんでした。「だったら行かねば・・」ということで、昨日行ってきました。 自宅から少しでも近いコースを、ということで、まず選んだのは岡山県側の登山口です。そこには3つのコースが供用されていますが、取り敢えず選んだのは一番東側の「菩提寺コース」です。実際に歩いてみての感想は、実によく手入れされていて、歩く上での危険な箇所というのは見当たりませんでした。まだ山開きに相当する行事前らしく、コース内への倒木などで歩き難い箇所も少なからず見られましたが、これはやむを得ないことです。全般的に土の斜面のコースには丸太で階段が設えられていて、スリップなどへの備えは万全です。更に雨水などによる表土の”えぐれ”も防いでいます。残念なのは段差の大きいところで、最大段差は大人の”膝”(約50cm)近くもあって、これでは”歩く”を通り越して、”跳ぶ”か”よじ登る”しか対処方法はありません。多大な費用を投入されているとは思いますが、少しずつでも改良したいものです。 標高1100mを超える辺りからコース内の残雪が目立つ様になりました。といっても深さは最大でも10cmほどで、前回の扇ノ山の様な苦行はありませんでした。昼近くなって気温が上昇すると雪解けが激しくなり、コースは小川状態になってしまいました。画像は山頂(1255m)の様子ですが、この残雪も後1週間もすれば消えて、ドライウォーキングも可能になるかと思います。 初めての遠征を通じての感想は、雪山へのトライなどの特別な目的がないなら、やはり雪が消えてからの登山が快適かと思われます。雪の少ない今年でこんな状態だったので、5月に入ってからそれぞれの登山目的に合わせて選ぶのが良さそうです。
2020年04月16日
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本格的に暖かくなってきました。山の雪もそろそろ解け始める時期です。となると、山野徘徊に備えて足腰を”平地仕様”から”傾斜地仕様”に改造しなくてはいけません。ということで山歩きの特訓に入ることにしましたが、何分にも半年の間、何のスポーツもしていない為、足腰の筋肉は伸びたゴム紐状態です。ということで、手始めに選んだのは、自宅から35kmほどの高御位山(たかみくらやま 標高:300m)です。 手始めとは言え、高々標高300mでは訓練にもならないので、周辺の山をいくつか縦走して、積算高度を630mまで増量しました。半年ぶりの歩きとしてはこれが限界で、筋肉を結構酷使してしまいました。多分2~3日は筋肉痛で通常歩行にも支障が出るかと思います。尚、画像は主峰(?)高御位山頂上の小さな神社で、この日は快晴・温暖という絶好の登山日和だったこともあって、大勢のハイカーが訪れていました。 こうした酷使を梅雨入り前にいくつかこなしながら、2500~3000mの山にアタックできる筋力を呼び戻して行くことになります。今月中に同じコースを歩いて、この時はコースタイムを重視した歩きに専念するつもりです。更に、4月に入れば近傍の二百名山、三百名山にも食指を伸ばしたいと思っています。
2020年03月22日
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昨日は記事更新をすっぽかして愛媛県まで遠征していました。理由は石鎚山登山です。更に正直に言うと、例年なら紅葉で真っ赤に染まる天狗岳を画像に収めることでした。 前乗り+前泊という、ワタクシとしてはかなり豪華な態勢で臨んだのですが、結果は”はずれ”でした。理由は現地の紅葉が例年より遅れ気味で、色変わりが始まったばかりだったことです。サクラの開花に例えれば”二分咲き”そこそこといった進行状況でした。ここに通いなれた客の話では、クライマックスはこの3連休の後半辺りだろう、とのことでしたが、生憎その時期には台風が接近しそうだし・・・。 先般の東北・栗駒山といい、今回の石鎚山といい、いずれも訪問時期が早過ぎ・・・という結果になってしまいました。遠方のターゲットは、タイミング選択の情報も不足気味で、こんな結果に甘んじざるを得ない状況ですが、性懲りもなく来年もやる気満々です。
2019年10月10日
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昨日は記事更新をすっぽかして愛媛県まで遠征していました。理由は石鎚山登山です。更に正直に言うと、例年なら紅葉で真っ赤に染まる天狗岳を画像に収めることでした。 前乗り+前泊という、ワタクシとしてはかなり豪華な態勢で臨んだのですが、結果は”はずれ”でした。理由は現地の紅葉が例年より遅れ気味で、色変わりが始まったばかりだったことです。サクラの開花に例えれば”二分咲き”そこそこといった進行状況でした。ここに通いなれた客の話では、クライマックスはこの3連休の後半辺りだろう、とのことでしたが、生憎その時期には台風が接近しそうだし・・・。 先般の東北・栗駒山といい、今回の石鎚山といい、いずれも訪問時期が早過ぎ・・・という結果になってしまいました。遠方のターゲットは、タイミング選択の情報も不足気味で、こんな結果に甘んじざるを得ない状況ですが、性懲りもなく来年もやる気満々です。
2019年10月10日
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8月下旬を想定していた八ヶ岳の赤岳(2899m)が、秋の長雨や台風で延び延びになっていましたが、この程やっと実行に移すことができました。9/14~15の本欄が飛んでしまったのはこのためです。 登頂は9/14でしたが、約束(!?)通り3K(3000m超)、準3K(2700m超)に3年のブランクがあったことで、脚の筋肉はヘロヘロに軟弱化しており、登りに随分時間を消費してしまいました。このため日帰りは無理という判断に至り、山上(赤岳展望荘)で1泊してしまいました。もう一段の筋力強化が必要・・・というのが、今回の遠征での反省点です。 という話は横に置いて、今回の山行は2日間とも良好な天気に恵まれました。初日(登頂日)は11時頃から4時頃までは濃いガスに包まれ、展望が効かない時間帯のありましたが、夕方にはこうしたガスの薄まり、夕間づめにはブロッケン現象が頻繁に観察できました(下画像)。ガズが薄くなった時合での撮影なので、背景の山の様子が透けて見えていますが、そこは”ご愛敬”ということでお見逃しください。
2019年09月16日
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昨日は本欄への書き込みは葛城山登山口で済ませ、早々に山歩きに取り掛かりました。目的はこの山(標高959m)の山頂部のツツジの大群落を見に行くことです。低山だからと言ってノンビリしていると、この時期はロープウェイという文明の利器で訪れる、津波の様な人出に揉まれることになります。ということで、早朝山歩きに取り掛かり、ロープウェイの運行時間(通常9:00頃~)までには撮影を済ませ下山してしまう、という計画です。結果的には、ほぼ目論見通り捗り、繰り上げ運航で客が増え始める前に、全てを済ませ下山しました。 この山のツツジは有名で、「一目百万本」という触れ込みで集客に成功しています。脚力に自信がある人は徒歩で、そうでない人はロープウェイで・・・という風に、誰もが気楽に行けるのが要因だろうと思っています。何はともあれ、本格的な混雑が始まる前に下山できたのは大成功でした。下画像はそうしてGetして来た内の1枚です(画像Clickで拡大表示)が、実行時期もベストなチョイスでした。”百万本”は大袈裟ですが十分に見応えがあり、再訪する機会があれば、迷わず同じ選択をするつもりです。
2019年05月17日
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行ってきました。大峯奥駈道のつまみ食い登山。今回のターゲットは大天井ヶ岳(1439m)です。洞川(どろがわ)の”かりがね橋”直下から山に入り、岩屋尾根を辿るコースです。上画像が今回辿ったコースの断面図です。大小取り混ぜのポンピングがあり、積算高度は910mほどになります。コースは頂上付近が広葉樹林である点を除けば、ほぼ全域が杉や檜の人工林です。従って周辺の景色を楽しみながら歩く、という様なことは全く期待できません。ただひたすら、自分の足元を見つめながら歩く、どちらかというとタイクツな登山でした。長所は杉などの枯葉がコースに降り積もっていて、コース全域がふかふかなことです。舗装路や岩場のコースの様な足裏への衝撃がなく、足の疲労が少ないのは”救い”でした。 下画像が大天井ヶ岳山頂の様子です。山頂部は半径3~4mの円が描けるかどうかという広さです。質素な看板と三角点が建っているだけの簡素な風景です。現在は広葉樹の葉が出揃っていないので、辛うじて幹や枝の隙間から遠景が望めますが、あと半月もすれば新緑に包まれて完全に目隠し状態になってしまいそうです。
2019年05月04日
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1週間前、大峯奥駈道の要衝の一つ、山上ヶ岳(1719m)に登りました。関連情報整理のため、Webを探し回っていて、某自治体観光部門が発行した奥駈道の主要な23座のリストに行き当りました。このリストに載った山々のうち、八経ヶ岳、弥山、山上ヶ岳は既に登ってしまいました。残る20座を何年かで全山登頂しようという新たな目標を設定しました。奥駈道全行程を忠実に辿る方々の労力とバランスを取る意味で、特別な理由がない限り、山岳の標高の半分以上の積算高度を歩き通すことが必須条件です。また、2000m以下の山では、夏場は炎熱地獄の拷問を受けるに等しいので、出掛ける時期は10月から5月の雪のない季節だけです。 という訳で昨日、早速行ってきました。目標は吉野山からスタートして、最初のピーク・青根ヶ峰(858m:国土地理院地形図表記)と2番目の四寸岩山(しすんいわやま=1236m:同)のピストンです。入山口は奈良県黒滝村北部の県道48号の旧道、地蔵峠(553m:同)からで、積算高度は約1300m、歩行距離は往復で約15.5kmとなり、結構ハードな歩きになってしまいました。各数値はもう少し詳しく調べて確定値を求めるつもりですが、取り敢えず新規企画がスタートしたことについての紹介です。
2019年04月29日
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昨日は朝明るくなって、空は快晴だし風はないし、何をするにも絶好の”○×日和”でした。そうだ。山へ行こう。ということで出掛けた先は、3日前に行ったばかりの高御位山です。今回は少し負荷を増やして縦走にトライします。歩行距離は約2倍の7.7km、積算高度もほぼ2倍の630mになります。 この時期に、こんなに短期間に山歩きを反復したことはありませんでしたが、3日前の歩きを、まだ筋肉が覚えている状態での歩きなので、コース全域に亘って快調に歩き通すことができました。前回同様、今回も水4リットルをお供に連れて行きました。この4kgは少々応えましたが、山頂の高御位神社に納めて身軽になった後は、至って軽快なウォーキングが堪能できました。上画像が今回歩いたコースをGPSで記録し、地形図に重ねて表示したものです。また下画像は今回歩いたコースの起伏を断面図形式に書き直したものです。 立て続けの歩きで、脚の筋肉にはいい刺激になったと思います。次は更に負荷を増やして1000mクラスにトライしたいところですが、このクラスの山は県内でも北に偏在しているので、雪がどうなのか慎重な調べが必要です。
2019年01月15日
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例年ならGWの頃から始める山歩きを、今年は大幅に繰り上げて開始することにしました。齢を重ねて、従来の様な遅いスタートでは、冬の間”炬燵のお守り”に専念する余り、ヘロヘロになった脚の筋力が十分に回復しないことを悟ったのが大きな理由です。まずは手近(自宅から30km圏)で手頃(標高300m)な、高砂市の高御位山から始めることにしました。脚に適度に負荷をかける目的で、ザックには水4リットルを忍ばせました。 この山は、全山がほぼ凝灰岩で成り立っており、全行程の半分以上が露出した凝灰岩の岩盤を辿ることになります。実際に登ってみての感想は、5月の初歩きだと脚力は完全に抜けて普通の老人に戻っているのに対して、今の時期なら前年の歩き納めの頃の脚力が半分以上残っている感覚でした。コースタイムに対して数分超過という程度で山頂に到達しました。上画像は最高点に設置された祠で、円内はこの冬の暖かさで開花し掛けたツツジです。コース全域でこの様なツボミや、既に黄変した花が見られました。ここから3mほど下がったところには立派な神社が建っています。因みに持参した水はこの神社に奉納して戻りました。下画像は山頂部から瀬戸内側を見下ろした様子です。 帰路は少し遠回りして、プチ縦走しながら下山しました。この結果、標高300mの山を往復しただけですが、累積高度差は400mを超えました。初歩きにしては充実した、いい山行だったと思っています。
2019年01月12日
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石鎚山の紅葉が凄いらしい・・・というウワサを聞いて、行ってみました。とは言え、「言うは易し。行うは難し」を絵に描いたような結果になってしまいました。詳しくは後日報告するとして、まずは撮影した画像の1つを紹介します。切り立った岩峰の南西側の様子ですが、少しピークを過ぎたかな?、という印象でした。赤く色付いているのはドウダンツツジの様です。赤を通り越して茶色になってしまったものも多数見受けられ、2日ほど早ければベストだったかもしれません。尚、画像のピークが天狗岳ですが、馬の背中の様な狭い岩尾根を渡って、現場まで行って来ました。 駆けつけ登山から下山後速攻帰宅という弾丸ツアーになってしまい、足腰はヘロヘロです。午前中はもう一眠りします。
2017年10月10日
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直近2日間は焼け付くような嫌な暑さは影を潜めています。このまま爽やかな秋に突入・・・とはならないでしょうが、来週も天気はぐずつきぎみというお告げです。こうなると高い山、深い山域には手を出せないので、ここは手近な2000m未満の山で数をこなすことにして、昨日は鳥取県・大山(1711m)に遠征して来ました。 このクラスの山の泣き所は、半月前の様な猛暑の時期に登ると、山頂に到達しても「涼しさ」を感じることはできません。高温環境下での重労働を強いられ、体力だけを吸い取られて、ヘロヘロになって戻って来るのがオチです。そんな狙いが的中して、昨日はかなり快適な山行になりました。同じような読みで集まったのか、大山は全域で初めて見るような大賑わいでした。当方は朝6:30に山に入り、山頂で20分ほど小休止した後下山にかかり、12:00には登山口に戻っていました。 この山の登山道は実によく手入れされていますが、ほぼ全域にわたって丸太で階段を造り込んでいます。この丸太の直径が10cmほどで、これを二段積して階段1段にしています。この落差が標高差800m近く続くと、大人でも足腰へのダメージは小さくありません。この日親子での登山客がかなりありましたが、幼稚園児くらいの子どもでは乗り越えるのは大変で、両手、両足、両ひざに加え、お腹まで使って苦心している子が大勢いました。何とかならんもんかね~~
2016年09月11日
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台風の影響か、なかなか天候が安定しません。前回の八ヶ岳から1ヶ月弱が経過しており、うかうかしていると脚力が元の木阿弥になってしまいそうです。ということで、"繋ぎ"といってはお山に失礼ですが、久し振りに近畿の百名山・八経ヶ岳(1915m・奈良県)に行って来ました。前回訪れたのは2003年だったので、13年ぶり・・・ということになります。 軽く考えていたのですが、予想以上に大変なツアーになってしまいました。アクセスルートは国道309号になりますが、奈良県天川村の中心部を過ぎた辺りから道は極端に狭くなり、すれ違いにも骨が折れる有様です。その狭い国道があっちこっちで改修工事が行われており作業時間中(8:00~17:00)は、30分×2回以外は完全に遮断されてしまいます。更に世界遺産に登録されたことで、登山者は大幅に増えた様です。前回は登山口の駐車場は無料だったのですが、乗用車で1000円を徴収するように制度が改められていました。 さて、山の方は・・・というと、登山コースは前回と比べて格段に手入れが行き届いていました。流石は世界遺産効果。登りに4時間10分(休憩込)かかりました。山頂の看板は13年前と同じでしたが、前回は石を積んで立てていましたが、今回は近くの立ち木に括り付けられていました(上画像=プチ興醒め)。登山コースが奥駈道に差し掛かかる辺りから山頂までは、原生林の地面を覆うコケが美しい点が見どころですが、中でも山小屋がある弥山(1895m)から八経ヶ岳の区間は超A級(個人の感想ですけど・・・)のポイントがテンコ盛りです。生憎、昨日は頭上がガスに覆われて日差しがなく、立体感に欠ける画像になってしまいました(下画像)。
2016年09月03日
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一昨日は「赤岳へ行って来ました」と、木で鼻をくくった様な紹介になってしまいました。今回はコースの様子や難度など、少し内容を補強して、数ある八ヶ岳登山コースの一つとして紹介したいと思います。赤岳山荘の駐車場を出て250mほど林道を進むと、北沢コースと南沢コースの分岐点に着きます。今回は南沢コースを歩くことにしました。この時点で日の出時刻には至っておらず、真っ暗な中、ヘッドランプを灯しての歩行です(画像は下山時に撮影したもの)。4:30 南沢コースの山道へ。5:00を少し過ぎた頃、木々の隙間から覗く空が白み始めましたが、深い森の底まで照らす力はなく、更に30分ほどライトを灯しての歩行になりました。コースの大半は大小の岩石を敷き詰めた荒れ道で、甚だ歩き難い。残る半分弱は落ち葉の積もった森のコースと河原歩きです。南沢コース(入山口から行者小屋まで)の森の構成は、大半がシラビソ(多分・・・)などの針葉樹に、ダケカンバなどの広葉樹が一部混ざる程度です。コースを2/3ほど進むと、木々の隙間から稜線上の赤岳展望荘のシルエットが見えるようになります。更に進むと広い河原に出ます。ここにはヘリポートも敷設されています。ここに来てやっと主峰・赤岳が見通せるようになります。赤岳山頂は▼マーク付近。ここ地点から行者小屋までは、あと10分足らずといったところ。7:16 行者小屋に到着。朝食が3:00頃だったので、この時点で空腹感に包まれる様になりました。腹の虫をなだめる意味で、おにぎり2個で早めの昼食。水場では冷たくて旨い水が汲み放題で提供されています。測定すると7.5℃で、手を洗うのも辛い冷たさでした。昼食を兼ねて、ここで24分休憩。7:40 行者小屋を出発。地蔵尾根コースを辿って標高2710mほどの稜線上に出ます。ここからコースの勾配は急上昇。肩で息をしながら進むことになります。40~50分ほどで森は途切れて、剥き出しの岩場になります。画像は急勾配の岩場に設えられた頑丈な梯子。梯子や鎖、ロープという具合に、あらゆる安全装備にお世話になりながら高度を稼ぎます。1時間半ほどかけて稜線上の"地蔵の頭"に出ました。ここから赤岳展望荘までは5~6分といった距離。9:13 赤岳展望荘に到着。ここで22分休憩。山頂への最後の急勾配を辿る頃には、足腰にかなりガタが来ていました。標高差170mに1時間弱を費やして、何とか頂上へ。10:29 赤岳山頂到着。過去2回ここに来ましたが、この日が最も登山客は多かった。山頂には20分ほど滞在して、下山にかかりました。 下山ルートは赤岳文三郎コースを利用しました。12:07 行者小屋到着。10分弱休憩後、行者小屋出発。帰路も南沢コースを利用。14:06 赤岳山荘に無事帰着。
2016年08月09日
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昨日は記事に穴を開けてしまいました。理由は一昨日昼から、今年の"山始め”で出掛けていたためです。遅れに遅れていた我が家の夏山シーズンが、やっと始まりました。行先は八ヶ岳の最高峰・赤岳(2899m)です。先月末頃から山の天気をチェックしていましたが、連日雷雲が発生していました。その雷雲も、なくなりはしませんでしたが、縮小傾向が見られたことから出掛けることにしたものです。前日(8/6)の昼に神戸を出て、その日の夜に現地着、数時間の仮眠をとった後、山に入りました。 登山口は美濃戸高原から更に2kmほど奥に入った標高1690mほどの地点です。山頂までの標高差は、ほぼ1200m。早朝4:30に歩き始めて、行者小屋着7:15、山頂着10:29。頭痛のタネだった足腰の持久力は八分通り回復したと判定してもよさそうです。もう1つの心配事・天気の方は、画像から分かる様に絶好の登山日和でした。この時点で測定した山頂の気温は22.1℃(精度:±1℃)、下界は35℃程度であったろうと思います。 山頂滞在は20分ほどで切り上げ、14:06には登山口まで戻っていました。今回の山行で少し自信を取り戻すことができました。今月下旬を目安に、次の行先を決めようと思っています。
2016年08月07日
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前回の足慣らし登山は、見事に返り討ちに遭ったようなものでした。"歩行困難"までは来たしませんでしたが、畳で胡坐をかいた様な姿勢から、いきなり立ち上がる様な機敏な行動は、2日間ほど取れませんでした。ということで、そうした障害もとれたところで、昨日は兵庫県第2の高峰(!?)・三室山(みむろやま)に出掛けて来ました。 三室山は、登山口から山頂までの標高差700m余り、コースの2/3ほどは人工林の森を歩きます。コースの半分ほどは沢に沿っているので、いざという時の飲料水に困ることはありません。全工程ひたすら登り続けるコース設定なので、アップダウンに伴うロスの感覚は全くありません。国土地理院の地形図には、上半分(標高1040m付近以上)のルートは描かれていませんが、登山路はキチンと敷設されており、しかもよく手入れされています。特段危険なところはありませんが、頂上直下に1箇所だけ鎖場があります。但し落差は2m少々と小規模なので、危険を感じるほどではありません。それよりも人工林に敷設されたコースでは、木の根が露出しているところが多く、これが雨などで濡れると非常に滑り易くなります。今回は久し振りに、この"濡れ根っこ"でスリップ転倒(尻もち)してしまいました(不覚)。
2016年07月25日
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この地方も梅雨が明けました。梅雨が明ければ夏山シーズンの開幕です。・・・と言いたいところですが、実はあれこれと取り紛れて、足慣らしを全くしていません。そんな訳で典型的な『ドロ縄』になりますが、足慣らし目的で近場の登山を試みました。今回選んだ山は、氷ノ山(ひょうのせん=1510m)です。昨年9月末以来、凡そ10ヶ月、アウトドアらしいことは何もしていません。このブランクで足腰がどの程度弱っているかの点検が目的です。 結果は悲惨なものでした。とても3000m級の登山に耐えられる状況ではありません。あと1-2回、同程度の山に登って、足腰の耐久力を上げなければ・・・という結論で、本格的な山歩きは8月第2週頃まで延期です。この週末には後山や三室山にアタックしながら、足腰の様子を見ることにしました。 尚、氷ノ山に兵庫県側から登ると、稜線直前まで湧き水があり、持込の荷物の重量は1kg程度は減らせます。今回は「ひえの水」「弘法の水」「一口水」と名付けられた全てを試飲してみましたが、いずれも清涼感、喉越し、雑味などで申し分ないものでした。強いてランク付けするなら、「一口水」が水温が最も低く、大汗をかいた登山者には最高の"ご馳走"でした。
2016年07月20日
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27、28日の2日かけて奥穂高岳に登り、余勢をかって涸沢に降り同地の紅葉(黄葉)を見物して来ました。今回利用したルートは、登山口は岐阜県側・新穂高温泉、下山は涸沢からパノラマコースを辿って上高地に降り、その後路線バスで新穂高温泉まで戻って車を回収する・・・という具合です。1日目は常時頭上が雲かガスに覆われる、という具合で、登山者にとって有難くない天気でした。2日目は打って変わって抜けるような青空で絶好の登山日和、紅葉見物日和になりました。この天気は終日続き、夕方になっても穂高岳近傍の山々がガスに包まれることはありませんでした。 奥穂は今回で6回目の訪問です。小さな変化ですが、山頂の穂高神社の祠が前回(一昨年)登った時は木製だったものが、今回はきれいな石造りのものに更新されていました(上画像)。この奥穂登山は言ってみれば口実で、本当の目的は長野県側の涸沢の紅葉見物でした。岐阜県側から登ったのは、運が良ければ無料駐車場が使えることと、圧倒的に登山者数が少ないことが理由です。 28日は4時に起床、5時には小屋を出て涸沢を目指しました。途中で日の出を迎え、歩きながら朝日に映える草紅葉やナナカマド(赤)、ダケカンバ(黄)を楽しみつつの下山になりました。涸沢カールの2軒の山小屋で時間を潰しながら好機を待ち、ゲットした画像の一つがコチラ。自分なりの評価としては、そこそこいいタイミングだったかな、などと思っているのですが、厳密には1日か2日遅かったかもしれません。遠目には分かりませんが、実際はナナカマドの葉は赤を通り越して茶色に変わっていました。次にはピンポイントで絶好機を選びたいとは思うのですが、天候の巡り合わせという問題があって、それが何時になるかは分かりません。
2015年09月29日
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常念岳には過去2回登っていますが、いずれも10月に入ってからのアタックでした。1回目は今回と同じ三股登山口から、2回目は一ノ沢登山口から登っています。今回この山を選んだのは、(1)標高差1600mクラスの山で交通の便が良いこと、(2)昨日紹介した「ゴジラみたいな木」に逢いたかった、というような理由からです。 「ゴジラみたいな木」は多くの登山紀行文で取り上げられています。三股登山口から山道に入るとすぐに常念岳方面と蝶ヶ岳方面に道が分岐します。常念岳方面コースはいきなり急登のジグザグ道になりますが、今回は緩やかな蝶ヶ岳方面へのコースを辿ります。コースは沢沿いに・・・というより、ところどころ川原を歩いて進みます。増水時には通れなくなるため、常念岳コースの方に迂回するルートが設けられており、今回はこれを辿って本筋のコースに戻ることにします。「ゴジラ」はコースを800mほど辿ったところでしたが標高差が230mあり、往復して1時間ほどを潰してしまいました。 ここからが本題の常念岳徘徊です。迂回ルートを辿って常念コースに戻った時には、7時になっていました。僅かの間緩やかな森を進みますが、やがて標高差700m近い針葉樹林の急登に入ります。降雨時はこのコースを水が駆け下ることになり、かなり洗われています。土が洗い流されて木の根が露出してしまい、なかなか歩きにくい状態ではあります。この急勾配の森林帯を2.5時間ほどでやり過ごしました。その後少し長めの緩やかな勾配の尾根歩きが続きます。 続いて花崗岩の巨石が折り重なった壁のようなコースに入ります。巨石を乗り越えるようなことは殆どありませんが、風化した花崗岩の小石や砂を踏み誤ると、転倒や滑落といった事故にもつながることになり、気を抜くことは厳禁です。こんなデンジャラスなコースが標高差400mほど続きます。上の画像はこの急勾配をほぼ登りきったところ、前常念と呼ばれる場所です。背後のガスに隠れた山塊が常念岳山頂で、残り標高差は200mほどです。«前の記事 次の記事≫
2015年09月16日
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昨日は1ヶ月ぶりの登山ツアーのため、記事落ちさせてしまいました。行き先は安曇野市の常念岳(2857m)です。今回も弾丸ツアーになってしまい、つい先ほど(3:10AM)無事に帰宅しました。朝3:30に仮眠から目覚めてから一睡もしていないので、今は猛烈な睡魔に見舞われています。取り敢えず今から昼まで寝ることにします。 ところで掲載した画像は、常念岳の南3.7kmほどに位置する蝶ヶ岳への登山道脇にある「ゴジラみたいな木」です。切り株か枯れ木かは分かりませんが、形がゴジラの頭部に似ているのに気付いた人が、口や目の位置にそれらしい石ころを並べて、一層リアリティを高めたものと思われます。今回常念岳へのアタックの前に、寄り道してこの写真を撮りに行ったのですが、このためのタイムロスが後々の本命登山に大きな影響を及ぼすこととなりました。次の記事≫
2015年09月14日
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台風13号のコースが反れて、天候も非常に安定していることから、「行くべ!」となって、金曜午前3時に家を出たところまでは、昨日の第1報で紹介した通りです。午後3時に立山の駐車場に到着し、その日は車中仮眠で翌日始発のケーブルカーで行動を開始するつもりで、途中一般道に降りたりしながらノンビリ走ったのですが、予想外に午前中に到着してしまいました。これなら当日中に行動を起こせば、2泊3日の予定が1泊2日に短縮できそう・・・ということで、直ちに室堂平行きの公共交通機関に飛び乗ってしまいました。 室堂平到着は2時になっていました。事前に観光情報に当たった結果では、この時期、どの山小屋やホテルも満室ということだったので、最悪の場合、山上の大日小屋まで歩きを覚悟していました。但し、この場合、小屋到着は早くて午後7時、遅ければ8時になって、小屋では”迷惑な客”扱いは免れません。ということで”ダメ元”で雷鳥荘”(上画像)に”飛び入り”はダメか尋ねたところ、意外にもOKとの返事。一気に戦闘意欲は萎んで、今夜はここでお世話になることに。混雑ぶりはなかなかなものだったらしく、夕食は2交代制の後半になってしまいましたが、8時前には爆酔してしまいました。 翌朝は午前4時に起床し、身支度と軽い朝食を済ませ、5時には出発しました。この日の行程の概算は、積算値で登り600m、下り1900mといったところで、”山登り”というより、”山下り”といった方が近いかも・・・。小屋から100mほど下ったところが雷鳥沢キャンプ場になっています。沢を渡ったところで、登山道脇に何箇所か湧き水がありますが、何年か前に通った時、その冷たさに驚かされたものです。今回はその温度を測るのがツアー付随のミッションでもあります。で、測定した結果がコチラ。表示は3.5℃で、冷蔵庫でも相当無理をしなければ得られない冷え様です。 さて、いよいよ本題の山歩きです。雷鳥沢から標高差150mほど一気に上って稜線上に出ます。その後暫く緩やかな尾根道が続き、続いて小さなアップダウンをこなしながら歩きます。標高2500m前後の気温は25℃程度でしたが、それでも汗は噴出して来ます。後から照り付ける太陽に焼かれながら、7:55、奥大日岳(2606m 下画像)に到着しました。 今回出発に当たって大チョンボがあり、愛用のカメラを持たずに家を出てしまいました。大きな一眼レフとスマホカメラは持っていましたが、一眼は手軽に持ち歩けるものでもないし、スマホは細かな調整ができず、仕上がりがイマイチなところがあり、道中で見かけたちょっとした風景や草花は泣く泣く見送りました。«前の記事 次の記事≫
2015年08月10日
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2日間、記事更新を放っぽり出して、奥大日岳(2606m)・大日岳(2498m)を徘徊してきました。多くの皆様が更新が止まったままのサイトに様子を見にお越し戴いたようで、申し訳ありませんでした。 金曜日のAM3時にここ、神戸を出発し、土曜日は終日徘徊、つい先ほど(AM3時)帰って来ました。今回は2週間前の様なアクシデントもなく計画を全てこなして来ましたが、暑かったことには閉口しました。画像は奥大日岳の山塊に朝日が当たり始めた時の様子ですが、一番高く写っているのは奥大日ではなく、山塊の中央部のコブのようなところが奥大日岳です。尚、室堂平・ミクリガ池付近から見て、大日岳はこの山塊の後になるため画像には写っていません。 何はともあれ、下山後、麓の温泉に入っただけで、仮眠も取らずに走り続けたために、今は猛烈な眠気に襲われています。取り敢えず、今から昼まで寝ます。ツアーの様子は明日、ということで・・・・次の記事≫
2015年08月08日
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国道2号線・加古川バイパスの加古川を渡る橋梁付近を走っていると、正面にはげ山のような比較的きりっとした山が見えます。標高は300mで、高い山ではありませんが、登山口の標高は10mほどなので、まるまる山を味わうことができる山です。正月三ヶ日の間にここに行こうと思っていたのですが、寒波にやる気を摘み取られて、これまで延び延びになっていましたが、昨日やっとアタックして来ました。上画像は登山口間近での撮影なので、一見してペターとして迫力に欠けますが、離れて見たり、実際に歩いてみると中々引き締まった山でした。 はげ山の様に見えたのは何年か前に大規模な山火事があって、その痛手からまだ回復していないためだそうで、登山路周辺には炭化した樹皮をまとった枯木が多数見られます。お陰で登山口付近の僅かな区間を過ぎると、高砂市や加古川市を一望しながら歩くことができ、目が退屈することはありません。生憎この日は上空は青く抜けていましたが、低空に靄がかかったような状態で、景色を楽しむことはできませんでした。この山は山全域が凝灰岩でできているようで、今回歩いたコースの9割は露出した凝灰岩でした。 この山域には33通りのコースがあると、通りがかりの人が教えてくれましたが、今回は最短のコースを通ったので、1時間弱で山頂に付きました。山頂には立派な社も建っています。また山頂部には15mほどの、ほぼ垂直の断崖があって、ここではロッククライミングを楽しむ人もいました。 この後、起伏のある稜線を西に辿って、3つ目の小ピークの尾根筋を通って下山しました。登山口を基点に、逆三角形を描くようなコースを辿って来たわけですが、このところコタツで寝たきり生活を送りがちで、鈍りかけた足腰に少しはカツが入ったようです。この山には、雪が解け始めるまで、何度か出掛けることになりそうです。次は、最低4Lの水をザックに忍ばせて、筋力増強を目指してみます。
2015年01月26日
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昨日の記事で、「大山に行きます」などと大見得を切ってしまった関係上、万一完遂できずに下山するような事態になったら恥ずかしい・・・ということで、内心ハラハラしながらのアタックになってしまいました。冬の間怠け切っていて鈍ってしまった足腰も、幸い山に入っている間は大きな問題を起こすこともなく、無事に山頂に到達し下山して来ました。とは言ってみたものの、大山寺登山口から山頂までは標高差920mほど。これに登りに4時間、降りに1時間50分(いずれも休憩時間を含む)かかってしまいましたが、登りの4時間というのはちょっと時間の使い過ぎだったかもしれません。 上画像は山頂に立てられたモニュメントですが、10年前に訪れた時には頭の平らな面には小石が大量に載せられていましたが、今は綺麗に取り除かれています。やはり今の方が見た目にもいい・・・というのがワタクシの感想です。因みに円内がワタクシで、カメラを意識して一応笑顔を作っていますが、実はかなり草臥れていました。 大山は南北両面が激しく崩落しており、稜線上に設けられた主峰を巡る登山コースは大きく損なわれているようです。このため最高峰の剣ヶ峰(1729m)や次峰の弥山には、現在は立ち入りの禁止措置が取られています。とは言うものの、いつの世でもルールを無視する人はいるもので、この日もワタクシが山頂部に滞在していた20分程度の間にも、剣ヶ峰に2人の人影が確認できました。因みに、下画像の左ピークが弥山、右の黒く陰になったピークが剣ヶ峰です。モニュメントは弥山に隣接する、10mほど低いものの崩落被害が及んでいないところに置かれています。
2014年06月16日
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朝食は途中のSAで1時過ぎに済ませたため、荷継沢で2回目の朝食を兼ねて15分休憩。いよいよこのコースの核心部であり、パワースポットの白出沢に取り掛かります。沢は1箇所だけ逆”く”の字型に曲がっているだけで、ほぼストレートに奥穂高岳と涸沢岳の鞍部の山小屋(穂高岳山荘)を目指します。ほぼ全行程、上の画像のように岩石が折り重なる”河原”ですが、高度が上がるに連れ、岩石のサイズは大きくなります。悪いことに昨夜降ったらしい新雪も見られるようになりました。逆”く”の字の屈曲部には、テニスコートサイズの雪渓が残っていますが、普通ならこの時期、表面は黒く汚れている筈の雪渓が、この新雪できれいに化粧し直されていました。 勾配はほぼ一定で、山小屋までの高度差800mの間は、体も気持ちも休まるところはありません。歩行ペースはガクンと落ち、早朝には1時間に300mほど高度を稼いでいたのが、200m前後まで落ちてしまいました。10数m歩いては休むという、寸取虫モードを繰り返しながら、何とかパワーを吸い尽くされない状態で穂高岳山荘に辿り着いたのは11:55になっていました。雪も舞い始めるこの時期、流石に登山客はまばらで、小屋は閑散としています。とは言え、泊まる気もないのに中で休憩する訳にはいかないので、強風に晒されながら屋外の休憩場を使わせて貰いました。ここでは昼食を兼ねて15分休憩。 荷物はここに置いて、山頂を目指すことにしました。山荘から先は新雪が残っています。特に崖道で足掛かりとなる岩の上は雪でスリップし易く、山荘を出てすぐの20mほどの崖はいつもの数倍のスリルとサスペンスを味わってしまいました。この崖を過ぎると、稜線部の雪は強風で吹き払われて、比較的楽に歩くことができ、45分ほどで奥穂山頂に到達しました(下画像)。長い帰路のことを思うと、長時間山頂で感激に耽っている訳にもいかず、滞在は10分ほどで切り上げ、下山に掛かりました。途中の経過は省略しますが、往路と同じルートを逆に辿り、18:28には無事に新穂高温泉の登山指導センターに戻り着きました。無駄に元気な老人(間もなく65歳)の、2013年度体力テストはクリアです *^^* ≪前の記事
2013年10月22日
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奥穂登山に話を戻します。上の画像はこの日歩いたコースの距離と標高の関係を現した断面図です。山道の小刻みなジグザグは拾い切れないので、距離は幾分短めに出力されています。尚、画像をクリックすれば、1.5倍ほどの拡大画像をご覧戴けます。 新穂高温泉の登山指導センターに入山届けを提出し、歩き始めたのは5:22でした。当然真っ暗でヘッドランプを点灯しての歩行になります。ここから白出(しらだし)沢出合までは6km弱の林道歩きです。往路では脚力も充実しているので穂高平避難小屋の近くに設けられた近道を通りました。これで1km余りの距離を稼ぐことができます。5:30を過ぎる頃にはホンノリ明るくなりましたが、頭上が樹木に覆われた場所でもランプなしで歩けるようになったのは5:50頃でした。白出沢出合到着は5:57でした。ここまでで標準タイムに対して30分弱稼いだことになります。ここで10分休憩。 ここから山道になりなすが、シラビソ(多分・・・)などの針葉樹の森を貫くコースの勾配は比較的緩やかで、歩きは比較的快調でした。黄色や赤の落ち葉を敷き詰めたコースを、熊除けの鈴の音だけをお供に黙々と歩いて、重太郎橋に到着したのは7:20でした。この区間でも30分ほど時間を稼いだことになります。休憩10分で歩行を再開。 沢はここから上流は白出大滝を迂回する高巻きコースに入ります。ここからが本格的なアドベンチャーコースの始まりで急勾配の断崖の割れ目のようなコース(下画像)が始まります。重太郎橋にの脇に掛かったハシゴを登り、岸壁にしがみ付きながら先を目指します。下画像のハシゴ上端からV字の稜線の交点に向かうかすかな筋がそのルートです。こんな岸壁ルートを30分ほど進んで水なしの沢を横断し、森林帯に入ります。次第に勾配はきつくなり、足腰の負担は大きくなりますが、まだこの段階の難度は序の口といえます。1時間少々で岸壁と森林帯を抜け、初回(一昨日)にご覧戴いた岩石ゴロゴロの沢(水は皆無です)の始まりで、荷継沢と白出沢(右)が出会う地点です。標高は凡そ2200m、到着時間は8:32でした。ここまでで距離の約80%は消化したことになりますが、労力面では60~70%が残っています。ここまでで稼いだ1.5時間は、ここから先で少しずつ返済することになります。≪前の記事 次の記事≫
2013年10月21日
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行って来ました、奥穂高岳日帰り登山。新穂高温泉の登山指導センターを4:22に出発、12:55山頂着。とんぼ返りで下山にかかり、新穂高温泉の登山指導センターに18:22到着・・・という結果でした。 画像はこのコース随一のパワースポット白出沢(しらだしさわ)源頭部で、大石、小石が累々と散乱しています。全て両側の岸壁が崩落したもののようで、この日もカラカラと乾いた音をたてる落石がありましたが、音は両岸にこだまするためどの方向から落ちてくるのか目で追うのは非常に困難です。こんな悪路が標高差800mに渡って続くのですが、前回(2008年)にはここで足腰のパワーを完全に吸い取られ、穂高連峰縦走日程が1日増えてしまった経験があります。悪いことに前夜降雪があったようで、3000m付近で1~3cm積もっていました。山頂部の雪は風で払われて残っていませんでしたが、コース中の日陰の岩場は滑り易く、特に下りでは怖い思いをしました。 無事に日帰り登山は完遂したものの、消耗はかなり激しかったようで、岐路自宅まであと10kmのところまで戻ったころ、運転中記憶が飛ぶ(居眠り)現象が現れ始め、料金所の駐車場に侵入して寝てしまいました。あっという間に4時間余りが経過してしまい、先ほどやっと帰宅しました。まだ眠り足りないので、今からもう少し昼寝します。ということで、山の様子は後日紹介します。 次の記事≫
2013年10月19日
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縦走3日目。この日はひたすら麓の折立登山口を目指して下るだけです。前夜の夕食時、同じテーブルに陣取った客同士で話が盛り上がった中で、折立登山口から出る路線バスに話が及びました。その時点で私のアタマには14:00の1便だけしかありませんでした。誰かが10:20の便もあるヨと言い出し、ならば少し出発を早めて、道中の足の運びを少しだけ速めれば、半日早く帰宅できる・・・ということになり、それを実行してみました。 薬師岳山荘を出たのは5:55でした。昨夜決めたとおり早足で歩を進めて、太郎平小屋に7:06に着きました。この区間だけで30分近く時間を稼いだことになります。 太郎平小屋は宿泊客は全て出発した後で、広大な小屋前の広場はガランとしていました。ここは水は豊富で殆ど制約なしに利用させて貰えます。この2日間水に関しては不自由を強いられていましたが、ここで弾けるように贅沢をさせて戴きました。ここで20分余り休憩して、7:30に再び歩き始めました。 水の制約が取れたと言っても、一旦小屋を出ると再び砂漠の旅です。しかし下りでは大汗を掻くこともないので、困ることは殆どありません。辛いのは、雨水がコースを激しく浸食していることです。小砂は流されて、人の頭サイズの石だけが取り残されており、歩きにくいこと甚だしいものがあります。道幅は広いのですが、この石ころだらけの道には閉口しました。途中経過は省きますが、折立登山口には10:05に到着し、無事に早い便を利用することができました。 ≪前の記事
2013年09月29日
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スゴ乗越小屋の冷たい水で少しは癒されたものの、先は長く険しい登り勾配が続きます。北薬師まで残り標高差600m余り、1時間に200m登れたら上出来なのですが、思惑通りはかどることか・・・ 小屋を出て暫くはシラビソ(多分・・・)などの針葉樹林と草原の中を進みます。勾配の緩いところには木道が設えられています。300mほど登ると間山と呼ばれる小ピークに着きますが、ここまで来るとこうした林も草原も途切れ、ハイマツが点在する禿山に変わります。標高が下がっていた間、視界から消えていた名峰の数々も、再び見渡せるようになります。上画像は間山を少し過ぎた辺りで来し方を振り返った状態で、左のピークが剱岳、右が立山です。この頃、この2日間で初めてガスがかかり始めていましたが、まだ薬師岳の近くまでは達していませんでした。 北薬師まで残り300mを切る頃には、かなり足腰に来ていました。ペースはガタ落ちで、20-30歩進んでは深呼吸休憩(?)を繰り返す”寸取虫モード”の歩行パターンから抜け出せなくなってしまいました。それでも何とか14:36には北薬師岳(2900m 下画像の左)に着きました。期待値より40分ほど余計にかかりましたが、これは足腰の疲労に伴う休憩の増加によるもので、出来としては上々ということにしておきます。 続いて薬師岳に向かいます。距離にして1kmほどですが、この間だらだらと100mほど下り、その後登り返すことになります。最後の登り返しは実に苦しい修行になってしまいましたが、何とか1時間で通過できました。15:44 薬師岳(2926m 下画像の右)到着。流石にこの頃にはお膝元まで濃いガスが押し寄せていました。1時間前までは見えていた周囲の名峰群も、この時点では殆どガスに巻かれて見通しは利かず、長居をする意味もないので早々に小屋を目指すことにしました。 ↑ 北薬師岳(左)と薬師岳(右) 薬師岳まで到着してしまえば、明日下山するまでもう登りはありません。もはや「怖いものなし」という心理状態です。登りで働く足の筋肉は伸び切ったゴムのような有様ですが、下りで働く筋肉にはまだ生気が残っていました。弾むようにガレた緩やかな斜面を下り、16:22には薬師岳山荘に入りました。宿泊手続きを済ませ、早速ビールで祝宴・・ということになりました。因みに、この日も19時を少し回った頃には深い眠りの中に落ち込んでしまいました。≪前の記事 次の記事≫
2013年09月28日
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さて2日目です。この日の行程は薬師岳を越えて200mほど下った薬師岳山荘までの12kmほどです。平地なら2-3時間で通過できる距離ですが、激しいアップ・ダウンがあり、積算高度は登り1350m、下り1000mほどをこなさなくてはいけません(上画像がコース断面図)。そんな訳で早発ちは必須条件になります。4:00に起床し、4:30には五色ヶ原山荘を出発しました。小屋の朝食は5:00からなので、出発後に明るくなって摂るつもりで、予め弁当にして貰いました。真っ暗闇を2日遅れの中秋の名月が照らしていますが、山道を見分けられる明るさではありません。ヘッドランプを点けての歩行になります。 小屋を出て暫くは木道が敷設されていますが、鳶山の中腹でそれも途切れます。ヘッドランプだけでコースの大石・小石の安定度を見分けながら歩くのは骨が折れますが、メリットもない訳でもなく、先行者、後続者がどの辺にいるかの概略を知ることができます。1時間ほど歩いた頃に、東の空が赤く染まり始め、間もなくライトは要らなくなりました。日の出の頃には上空には高層の雲がかかっていましたが、2時間ほどで殆ど姿を消してしまいました。10時間を越える睡眠でスタミナは満タン付近まで回復していたこともあって鳶山(2616m)、越中沢岳(2592m)へのポンピングは、途中で朝食を挟みながら無難にこなして通過しました。 越中沢岳からスゴ乗越(上の断面図の最も標高の低い位置)への550mの大下りは、巨石を縫っての歩行やガレ場の連続で、かなり足腰には応えたこともあり、10分ほど腰を下ろして休憩しました。ここから先は北薬師岳までひたすら登り続けることになります。取り敢えず、スゴ乗越から150mほど登ったスゴ乗越小屋で大休止を取ることにして歩きを再開しましたが、この頃からスタミナ残量が気になり始めていました。スゴ乗越小屋には10:05に到着しました。 歩行距離だけに注目すれば、この小屋が薬師岳山荘までのほぼ中間点になります。ここで2泊目を決め込む登山者も少なくありません。現に昨夜五色ヶ原山荘で同宿したうちの1人は、私より30分ほど遅れて到着しましたが、ここに1泊すると決め込んで10:30で1日を打ち切ってしまいました。この小屋には冷たくて豊富な水があり、泊まりたくなる条件は揃っていますが、昼前で業務を打ち切るのは何とももったいないので、私は初期の目標通り薬師岳山荘を目指すことにします。ここで早めの昼食を摂り、50分の大休止の後、不足してきた飲料水を補充した上で、次を目指して出発しました。 ↑ 2日目の日の出。左のピークは針ノ木岳、右は北葛岳(未訪問)。≪前の記事 次の記事≫
2013年09月26日
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五色ヶ原に向かうルートは、(1)室堂平、(2)黒四ダム、(3)薬師岳経由といろいろありますが、今回は(1)の室堂平からアタックすることにしました。立山直下の一ノ越、更には一ノ越から富山大学の立山研究室がある稜線までは、2週間前に立山や龍王岳に登った時と全く同じです。ということでこの区間を2時間ほどでクリアして、稜線に辿り着きました。 ここがこの日の最高点(2840m)で、ここから五色ヶ原(山荘=2490m)まではアップダウンはあるものの、平均すれば下って行くことになります。ここまで来ると、今日歩くコース上の鬼岳、獅子岳や五色ヶ原、更にその奥に北薬師岳、薬師岳までが一望できるようになります(上画像)。一昨日も触れましたが、この日は雲のカケラも目に付かないほどの快晴で、富士山を始め北アルプス、八ヶ岳の主な高峰を見渡すことができました。五色ヶ原の北側斜面は激しい崩落が続いているようで、絶壁には木も草も生えていません。コースはこの崩落部分ギリギリのところを辿るように設けられています。 立山研究室から先は龍王岳を巻きながら下り南面に回るのですが、この区間は下の画像(中段)のように岩石を撒き散らしたような斜面が続きます。南面に回れば、通過点の鬼岳、その奥に獅子岳が重なって見えるようになります。滑り易いガレ場を200mほど下って鬼岳に着きますが、ここは山頂は通らず山腹を巻いて通過します。更に100mほど下り、同じくらい登り返したところが獅子岳(2714m)です。ここから再度350mのガレ場を下ってザラ峠(標高2348m)に下ります。下り切ったところが「峠」とは是如何に・・・と突っ込みを入れたくなる場面ですが、昔々富山平野から黒部や大町に往来する際、一番低かったこの場所を通っていた名残かもしれません。今はそのような道はありませんが・・・ ↑ 龍王岳を巻いて通るゴロタ石のコース。中央の黒い山塊が通過点の鬼岳と奥に獅子岳。 ザラ峠からは、大崩落の現場を右手に見ながら150mほど登るとなだらかな丘陵に出ます。ここが五色ヶ原で、平坦部は全コースに木道が敷設されていて、歩き易さは格段に向上します。画像の左手に、逆光に沈んだ五色ヶ原山荘が見え始めます。上部右のピークは鷲岳、左は鳶岳ですが、鳶岳の中腹まで木道が敷設されています。環境省や富山県の、環境を守ろうという強い意志が現れています。以前はここに2軒の山小屋があったようですが、一方は老朽化で廃止され、基礎だけが確認できます。 小屋に着くとすぐに宿泊手続きを済ませ、テント泊の客も交えてビール片手に宴会が始まってしまいました。鳶岳の中腹にはまだ大量の雪渓が残っていますが、気温の低下に伴い融雪が停止して、小屋は断水状態になってしまったそうで、小屋自慢の風呂も水洗トイレもストップしていました。5時からの夕食を済ませ、この日はまだ外が暗くなり切る前に寝てしまいました。≪前の記事 次の記事≫
2013年09月25日
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9/20から2泊3日で北アルプスの五色ヶ原から薬師岳をハシゴして来ました。1日目、2日目は「これ以上ない!」という快晴で、名だたる高峰の遠望を満喫できました。これまで重ねてきた山旅の中で、最も天候に恵まれた2日間だったかもしれません。 さて本題の縦走については、1日目はそこそこの難度、2日目は計画面で欲張りし過ぎたこともあって甚だしい苦行になってしまいました。画像は1日目の宿泊先、五色ヶ原山荘です。この小屋は、標高2400m前後の山小屋では珍しく、入浴可能・・ということで大いに期待して出掛けたのですが、残念なことにここに来て気温が急降下し、雪渓の融雪が停止して断水状態になっていました。他にも小屋ご自慢の水洗トイレもアウトで、この点は期待外れでした。 当り外れはありましたが、総合的には大満足の山行でした。ならば、もう一度同じことができるか・・と問われると、正直なところ無理かもしれません。ただ、こうした荒行タイプの山歩きが、1年でも長く続けられるよう体のメンテには気を配って行きたいと思います。尚、山行の詳しい内容は改めて紹介します。 次の記事≫
2013年09月22日
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立山から一ノ越に戻ったのは12時を少し回った頃になっていたので、ここで昼食を済ませて次の龍王岳、浄土山に向かうことにしました。上の画像は立山からの下山途中にその方向を捉えたもので、左のドーム状の岩山が龍王岳、右の象の頭のような平坦な丘が浄土山です。前回ここを訪れた際、山頂を示す標識などが全くなく、大いに困惑したものですが、今回はGPSを使って、山頂とされている場所の正確な位置を確かめることもミッション(と言うほどでもありませんが・・・)の一つです。 一ノ越から稜線までは標高差150m余りですが、この区間に40分ほどかかりました。ここには富山大学の立山研究室の施設が置かれています。その施設の近くに荷物を置き、龍王岳(2872m)に向かいます。 一旦20mほど下り、その後ドームの岩壁を登るのですが、高度差は僅かなので辛さを感じる間もなく、10分ほどで到着しました。立山の目の前にありながら、実にマイナーな存在らしく、途中ですれ違った人は3人、山頂で出会ったのは1人だけでした。看板の右側の山塊が立山とそれに連なる大汝山、富士の折立です。更に看板支柱の右のピークが真砂岳、左は別山で、いずれも標高では我が国のTop100に入っています。 ここには浄土山のついで(!)に立ち寄ったものなので、滞在は7分程度で切り上げ、次の浄土山に向かいました。因みに、立山の山頂が見られたのはこの時が最後で、以後ガスの包まれて見ることはできませんでした。 荷物を回収して、起伏があると言えばあるし、ないと言えばない様な、緩やかな丘陵を辿って浄土山(2831m)に向かいます。この山はサッカーコートほどの広さの山頂域に、ピッチャーマウンドのようなコブが何箇所か配置されたような格好をしています。前回ここに来た時、これといった標識がある訳でもなく、山頂に立てたのか立てなかったのか、何とも割り切れない思いをしながら下山したものです。そんな訳で、今回はどのコブが国土地理院のいう山頂かを確かめることを目標にして来ました。上の画像がその結果で、地形図の▲印はコブのピークから15mほど下がった場所になるため、これは手違いか誤りだろうと解釈することにしました。この場所の特定に20分余り、右往左往しながら場所の確認に当たったため、軌跡はかなり輻輳しています。その際、ハイマツの藪コキも行いましたが、お陰でこの日唯一のライチョウに出会うことができました(下画像)。 浄土山から室堂に直接下るコースは、前半は大きな岩石帯を突っ切る形で切られており、膝に応えます。後半は石畳が敷設されていますが、室堂平の平坦部位外は凸凹が激しく、油断すると躓きそうな仕上がり具合です。4時前にバスターミナルに戻り、5時には麓の立山駅まで戻り着きました。このあと日帰り温泉で汗を流して、スッキリして戻って来ました。 ≪前の記事
2013年08月30日
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立山駅を始発(6:40)のケーブルカーに乗り美女平へ、続いてバスに乗り継ぎ室堂に着いたのは9時少し前になっていました。上の画像はバスターミナル裏の登山口に設けられたモニュメントで、背景の山は左が立山、右の頭が切れている山塊が浄土山です。特段の荒行に向かうでもなさそうな大勢の人たちが、ここで入れ替わり立ち代わりしながら、逆光をぼやきつつ記念撮影を行っていました。そうした人たちを横目に、手早く身なりを整え、まずは立山と浄土山の鞍部の一ノ越に向かいます。この区間は室堂平の平坦部で幅2~3m、山に差し掛かった所で1m程度の石畳が敷設されていて、隙間はコンクリートできれいに埋められています。差し詰め山の高速道路(!)と呼びたくなるような環境が整備されています。ここでは道の広さが効いて、登山客が多い割に混雑感はありませんでした。 一ノ越に着いた頃には、途中で摂った朝食から6時間半が経過していて、空腹感が強くなったため軽く食事を摂りつつ小休止。この時点で立山山頂に向かうルートの異様な人並みを見て、先行きの難航が予想されました。通常ならこうした行列を見ると、さっさとスケジュールを変えてしまうのですが、今回はそうもいきません。昨年から今年にかけて、従兄弟3人が立て続けに他界し、今年は三大霊山(富士山、立山、白山)のうち、富士山以外に巡礼を済ませることを必須の目標にして来た関係上、中止する訳にはいきません。ということで、この行列に加わることにしました。途中の経過は省きますが、荷物は一ノ越にデポしたことや歩行ペースがいつもの半分ほどに落ちたことで、大した疲労感もなく立山(雄山 3003m)に着きました。ここで主たる目的である巡礼のセオリーに従い、祈祷をお願いしました。金500円也。この頃(11時前)はガスも薄くまばらで、広大な室堂平が俯瞰できました。 ↑ 室堂平の大パノラマ。後方に大日岳(左)と奥大日岳(右)。その右には剱岳も見え隠れしていましたが、1時間後にはガスに沈んでしまいました。 無事に祈祷も済ませ、立山連峰の最高峰・大汝山(3015m)に向かいました。距離は約400mほど、小さな起伏をこなして20分弱で到着しました。狭い山頂に10人余りの客が順番待ちしながら記念撮影をしていました。それを待って自身も写真に収まり、10分弱の滞在で引き返して、立山からは再び行列に加わることに。この頃には人波は更に増えて、難所では全く行列が動かななることもありました。やむを得ずコース外のガレ場や岩場をショートカットして先を急がせて貰いましたが、褒められた行為ではありません。反省・・・≪前の記事 次の記事≫
2013年08月29日
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1年ぶりに弾丸ツアーで立山に行って来ました。一昨日の夕方に自宅を出て、立山近傍の3000m級4座を巡って、先ほど(1時を少し回った頃)帰宅しました。画像は立山の最高点3003m地点ですが、ここは雄山神社のご神体になっていて、立ち入るには入場料(祈祷料)500円が必要です。 どうしたことか昨日の立山は、小学生の団体が集中していました。私が歩いた時間帯だけで、50~100名の団体3校に遭遇しました。引率の先生方は安全確保や点呼にさぞかし神経をすり減らしたことと思います。問題は一ノ越から山頂までの狭くて険しい登山路で、登り下りが交錯して身動きも取れない有様でした。登りは行儀よくワタクシも行列に加わりましたが、下山する頃には混雑は一層激しくなり、やむを得ずコース外の岩場をバイパスしながら先を急がせて貰いました。小学生のいい子たち、決してお行儀の良くない爺さんの真似はしないでね。 3時間ほど寝たのですが、まだ眠気が取り切れてはいません。昼夜逆転になってしまいますが、もう少し寝ようと思います。現地の様子は改めて紹介したいと思います。 次の記事≫
2013年08月28日
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室堂ビジターセンター前の広場で小休止の後、ザックはそこに置いたまま御前峰への残り250mに取り掛かりました。上画像が広場から白山神社越しに見た御前峰ですが、ここから先はハイマツ帯と岩場が広がります。コースは丁寧に整備されていて、危ないところはありません。半分ほど進んだ頃、ハイマツ帯も途切れ途切れとなり、砂礫地に差し掛かったところで、イワギキョウが見られるようになりました。この花もちょうど最盛期といったところで、コース脇に多数の固体が見られました。こうした青紫のイワギキョウの中に数株が一塊になった白花の固体をが見られました。この時期、高山帯の砂礫地を歩けば、どこの山でもよく見られる花ですが、10年間各地を歩いて来ましたが白花には出会ったことがありませんでした。そういう意味で、初めての出会いであり感動ものでした。 室堂平を出て、山頂へは1時間ほどで到着しました。山頂の様子は第1報(3日前)に紹介しましたが、たまたま標柱の周りがガラ空きになった時間に撮影したもので、実際には韓国からのお客さんも含めて大変な混雑振りでした。山頂には10分ほど滞在しただけで降りて来ました。そのまま登山口を目指して歩き始めました。上空(?)ではヒンヤリした空気に包まれて気持ちよく過せたのですが、帰路で標高が下がるに連れ気温が上昇するのは、いつものことながら体に応えました。登山口(標高1280m)に着いた頃には、全身びしょ濡れに近い有様でした(恥)。 ≪前の記事 ↓ 珍品の白花イワギキョウ
2013年08月08日
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”カンクラ雪渓”から一踏ん張り急勾配に耐え抜けば、広大な室堂平です。ここには緩やかな起伏の広大な草地が広がっていて、今を盛りに多種多様な高山植物が咲き競っています。中でもワタクシのターゲットとするところはクロユリ(黒百合)です。これだけの大群落には他の山域で出会ったこともないし、話に聞いたこともありません。10年前と比べても、ボリュームは一段と拡大したように思えました。ただ惜しむらくは、規制線が張り巡らされて、近づくこともできません。加えて花の大半が客に背を向けて咲いていて、群落の様子を花の前面から撮影することはできませんでした(下画像)。この山域で発見されたという花の種類は実に多く、列挙すればキリがないほどですが、それらが今月前半のうちに一斉に咲き揃い、百花繚乱、狂喜乱舞の世界を演じてくれることになります。 緩やかな勾配で歩行ピッチをあげるべきところを、花見にうつつを抜かして、かなりの時間を消費してしまいました。これが主目的だったので、特段反省するものではありませんが、ここまで来たからには主峰・御前峰をパスする訳にもいかないので、気合を入れ直して山頂直下の山小屋に向かいました。≪前の記事 次の記事≫ ↑ ハクサンコザクラ ↑ コバイケイソウと主峰・御前峰。 頂上まで残り高度差250m
2013年08月07日
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山歩き開幕戦でもあり、花見登山ともなった今回の山行は、10年前と同じ岐阜県側の登山口からとしました。他の登山口も選択肢に加えて、山を多角的に楽しむ・・というのも、山の楽しみ方として重要かもしれませんが、単純に長い間住んでいた岐阜県に愛着があり、登山口の近辺の土地勘がある、という理由からです。 登山口(上画像)左側の茂みの後方にあるビジターセンターで入山届けを提出して、5:20に歩き始めました。コースはすぐに急勾配になります。しかしよく手入れがされていることに加え、このコースの特殊な事情になりますが、数10mの急勾配区間を凌げば、周期的に踊り場のような平坦な道が現れる・・という構造的な優しさもあり、勾配の割には歩きやすいコースです。ただ、ほぼ中間点に当たる大倉山までは、ブナ、ミズナラ、ダケカンバなどの巨木が林立する原生林なので、強い日差しを遮ってはくれますが、同時に展望も遮られて風景を楽しむことはできません。 大倉山を過ぎる辺りから巨木は次第に数を減らし、潅木や草地の比率が増えます。勾配は相変わらずですが、花見や風景をを楽しみながらの歩行が可能になります。大倉山と山頂の中間点(≒登山口から75%付近)に”カンクラ雪渓”(下画像)がありますが、ここから上は草地かハイマツが主役になり、花見はここからが本番です。花はただ今最盛期・・というような状態でしたが、10年前と比べると立ち入り規制が強化され、遠くから眺めることに終始してしまいました。因みに、朝のうちはガスがかかっていて、山容を目にすることはできませんでしたが、カンクラ雪渓まで来てやっと主峰・御前峰を見ることができました(下画像・上部中央寄りのピーク)。≪前の記事 次の記事≫
2013年08月06日
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我が家のレンゲショウマ(蓮華升麻)が開花のピッチを上げて来ました。全体像を捉えようとすると、花の様子がさっぱり伝わらないのが泣き所かもしれません。それはそれとして、風の噂では御岳山(みたけやま:東京都)のレンゲショウマも見頃を迎えたそうな。 そのレンゲショウマに逢えるかどうかは判りませんが、山歩きの腰の上げ時がやって来ました。今年も開幕戦(?)は蓮華岳・針ノ木岳のコマクサの花見登山、時期は7/25前後・・と決めていたのですが、生憎なことに居残り梅雨で現地の天候が一向に安定せず、とうとう今年は見送りになってしまいました。次なる標的は、今年の目標には入っていなかったのですが、白山(石川県・岐阜県)への花見登山にしました。週間予報によると、何とか北陸地方の天候も安定しそうなので、今夜には出発しようと思っています。
2013年08月03日
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本日は外に出ておりまして、旅先から投稿しております。何分にも手元に充分な機材がなく、いつものような書込みはできません。そんな訳で、つなぎのネタで恐縮ですが、先般(と言っても3ヶ月経ってしまいましたが・・・)紹介した西穂高岳縦走の詳細バージョンを紹介します。外部サイトを参照しています。 コチラからご覧ください。因みに、上の画像をクリックすれば拡大版を表示します。
2012年12月08日
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1ヶ月前に数回にわたって紹介した黒部峡谷・下の廊下ウォーキングの模様を、写真で紹介する狙いでスライドショーを作成しました。この場で取り上げた時と比べて、画像サイズは大きくし、枚数も増やしています。下記のリンクから入ってご覧ください。 コチラからどうぞ 因みに上の画像は白竜峡で、下の廊下全域で最も川幅が狭くなっているところです。大雨が降れば、我々(人間)が歩いている位置をイワナが泳いでいるに違いありません。
2012年11月11日
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十字峡を後にして10分ほど進むと昨年10月に大崩落を起こした現場に差し掛かります。幅30mほどの岩盤がスッポリ抜け落ちるように崩れてしまい、長い間通行できない状態が続いていましたが、関係者の尽力で上画像のような桟道が取り付けられ、通行が再開されています。 その後も掘削路は延々と続きます。黒四ダムまで残り10kmほどのところが白竜峡と呼ばれるエリアで、黒四ダムから下流ではこの辺りの川幅が最も狭くなっており、川幅は10mを切るようになります。ここに来て黒部本流の流れが次第に白濁し始めました。十字峡を通過した頃には、きれいに澄み切っていたのと比べると様変わりです。原因は黒四ダムの観光放水が始まった影響のようです。白竜峡通過後も掘削路くぐりや崩落しそうな現場を高巻きで迂回する苦難のコースは延々と続きますが、通路と谷底の平均的な高度差は10m前後まで縮んで来ました。 本流に流れ込む大きな支流、内蔵助谷との合流点まで来ると、黒四ダムまでは1時間半を残すだけになります。ここで昼食を兼ねて少し長めの休憩を取ることにしました。ある人は調理を始めるし、ある人は沢水でタオルを濯ごうとして嵌ってしまう(深さは膝上ぐらいでしたが・・・)などと、40分ほどリラックスした時間を過ごし、最後の歩きにかかりました。40分ほど歩いたところで、対岸の山腹に人工の施設が目に入るようになります。更に20分ほど歩き、本流の屈曲部を通り過ぎたところで、巨大な黒四ダム本体のシルエット(下画像)が目に飛び込んで来ました。一同(5名)から歓声が上がります。ダム本体から500mほど下流で、本流に架かった橋を渡りますが、観光放流の飛沫が雨のように頭上から降り注いでいました。 河原からダム堰堤までは高度差200mほどの急登をこなさなくてはなりません。長い間水平歩道を歩いて来た足腰は、平地歩きに馴染みきってしまったのか、この最後の急登は実に応えました。太腿が攣りそうになるのを宥めつつ歩くこと30分、案内板の示すままトンネルに導かれて、トロリーバスを見掛けたところで、今回の歩き旅は無事に終了しました。 今回行動を共にしして来た方々とは、それぞれ行き先が異なるので、ダムの堰堤上まで移動したところで別れました。この方々はルートの途中で出会って、何となく一緒に行動して来たのですが、お陰様で実に楽しい山旅になりました。この場を借りて改めて御礼を申し上げたいと思います。 ≪前の記事
2012年10月13日
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さて、2日目です。朝5:30、朝食は明るくなってから摂ることにして、そそくさと阿曽原小屋を出発しました。小屋の裏手の急勾配を100mほど登ると、またもや平坦な巻き道になります。1kmほど歩くと、今度は急勾配の下りになり黒部川の本流脇に降りたちます。川沿いに少し歩くと仙人ダムに着きます。この頃にはすっかり明るくなっていました。ダムの堰堤を通って対岸(右岸)に渡りますが、この堰堤上で朝食を済ませました。 そのまま右岸を1kmほど進むと吊橋があり、これを渡って再び左岸に戻ります。吊橋は人の足の部分に板が張ってあるだけで、谷底が透けて見えるので、結構な高度感が味わえます。この後、黒四ダム直下まで、ひたすら左岸を歩くことになります。吊橋を渡るとすぐに樹林に入るため、S字峡と名付けられた足下の黒部本流の様子は窺い知ることはできません。対岸の山のどこかに黒四ダムから引いた水で発電する地下発電所があるらしいのですが、一般の通行人が目にできるのは、送電線がトンネルから鉄塔に切り替わる所だけです。 黒四地下発電所を過ぎた辺りから再び峡谷沿いに進むことになります。切り立った岸壁に、律儀に水平に掘削された歩道は、カーブで山塊の裏に消えるまで延々と続きます。この辺りは歩道と谷底の高度差は20mから100m、昨日通ってきた場所と比べて落ちた時の危険度に大差はないのでしょうが、高度から来る緊張感はかなり軽減します。岩盤崩落などで掘削部分が失われた地点には、昨日の水平歩道と同様に丸太の桟道が敷設されています。こうしたスリリングポイントを辿ること1時間余りで、我々アルキニストの憧れの聖地・十字峡(下画像)に到着です。棒小屋沢、剱沢が黒部本流と一点で合流している、このコース屈指のビューポイントです。画像右下から左上に向かう流れが黒部本流、右上から流れ込むのが棒小屋沢で、水流は痩せ細っていますが、これは途中で取水されているためです。この流れを遡ると鹿島槍や爺ヶ岳に行き当たります。そして左から流れ込んでいるのが剱沢で、こちらの上流には剱岳が鎮座しています。来年以降の話になりますが、こうした山々に裏側からアタックしてみたいものです。≪前の記事 次の記事≫
2012年10月12日
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帰りの都合もあって今回はアルペンルートの西の基点・立山駅の無料駐車場に車を置いて、黒部峡谷の入口・宇奈月温泉までは電車で向かいました。ここから下の廊下の出発点・欅平まで、お馴染みのトロッコ電車(上画像)で向かいます。紅葉最盛期までまだ10日ほどあるためか、トロッコはガラガラで、私に指定された車両は乗客1人という状態でした。ガタゴトと揺られながら、1時間15分ほどで終点・欅平駅に到着。 ここからウォーキングの始まりです。のどかな序奏などはなく、いきなり急勾配の山道が始まります。ヒーヒー、ハーハーと高度差350mほどを稼ぐのに約1時間、標高950m付近でやっと平坦な登山路に入ります。これが「水平歩道」の始まりで、この先9km近くは最大でも50m程度のアップダウンしかありません。暫くは広葉樹の森ですが、この森が途切れたところから絶壁コースが始まります。ここから約3時間半、アドレナリン出まくりの第1級のスリルとサスペンスが続きます。 岩盤部分には、何とか人が通れるように「コ」の字型や「L」字型に歩道が掘削されています。この様な掘削路の部分では、余程身体を乗り出さないと、自分の立ち位置から崖下の様子を見ることはできませんが、谷を迂回した対岸のコースを見ると、悠に200mはありそうな崖です(下画像)。それを見せられると、今自分がどんな場所にいるか容易に想像がつき、またまたアドレナリン増量ということになってしまいます。 一方、軟弱そうな岩盤部分や掘削部分が岩盤崩落などで失われた部分には、丸太で組んだ桟道が敷設されています。桟道からは丸太越しに谷底まで見通せるので、高度感は跳ね上がってしまいます。因みにモデルとして画像に登場戴いたのは、京丹後市から来たというIさんですが、この方とは1日目の水平歩道のほぼ全域を一緒に歩き通しました。 約5時間歩いて、1日目の宿泊先・阿曽原温泉小屋に着きます。手続きを済ませて、さて温泉へ・・・と行きたいところですが、浴槽は一つしかないため男女で1時間交代の利用になります。小屋から温泉までは、そこそこ急な道を5分ほど歩かなくていけませんが、きれいに管理された温泉で、十分満足できました。≪前の記事 次の記事≫
2012年10月11日
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10/9-10の2日間、黒部峡谷・下の廊下を徘徊して先ほど(0:30am)戻って来ました。1日目は黒部峡谷トロッコ電車の終点・欅平(けやきだいら)から阿曽原温泉小屋まで、2日目は阿曽原から黒四ダムまでの全工程30km余りのスリルとサスペンス(?)に満ちたコースです。 このコースは関西電力が黒部川にダムを建設するために、V字型やU字型の切り立った峡谷沿いの断崖を、カタカナのコの字型にくり抜き、資材運搬用のルートを開拓したのが起源になっています。画像は全行程のほぼ中間点、白竜峡の上手付近です。道幅は40~50cmほどあり、よろけたり躓いたりしなければ、歩行に不自由はありません。歩道部分から谷底までの高さは画像に箇所で10mほどですが、最大で200mに達するところもあります。小屋の案内によると、天井部分は凸凹があり、頭をぶつけてタンコブを作る人が絶えないそうで、ヘルメットを着用するなど、いつもとは一味違う重装備になってしまいました。現地の詳しい様子は続報で紹介することにして、取り敢えず今から寝ることにします。 次の記事≫
2012年10月10日
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先般の西穂縦走から下山の際、大阪から来たという20歳代半ばと思しき若い夫婦に遭いました。その日、2人は新穂高温泉から槍ヶ岳まで日帰り登山を敢行したそうです。その話を聞いて、私の”やる気スイッチ”がONになってしまいました。 そんな経緯があって、天気が好転するのをジッと覗っていたのですが、昨日25日、やるならこの日だ!ということになって前日から出掛けました。この日の行程は標高差2100m、距離13.4kmほどを往復する長丁場です。早朝4:05に新穂高登山指導センターを出発、当然真っ暗でヘッドランプを点けての歩きになりましたが、林道の終点、白出(しらだし)沢出合付近でランプは要らない明るさになりました。ここから山道になる訳ですが、滝谷避難小屋までは、緩やかとは言えないものの比較的楽な勾配です。槍平小屋から勾配はガクンときつくなり、更に千条分岐からは「これでもかっ」と言わんばかりの急勾配が迎え撃ちます。が、この日のワタクシ、こうした条件はすっかり頭に入れており、対策として荷物は極限まで削って、7kgほどしかありません(通常は12~13kg)。心臓破りの急勾配も無難にこなして山頂には12:30に到着しました。山頂に祭られた祠は、5年前に登った時のもの(円内)とは形も色も全く異なるものに変わっていました。 先を急ぐ旅(?)だったことや、山頂が大勢の客で混んで来たことから、滞在は6分で切り上げ下山にかかりました。同じコースを逆に辿って新穂高温泉を目指します。穂高平避難小屋を通過した頃に日没となり、再びランプに登場願う運びとなりましたが、18:35に無事に下山を果たしました。 帰路、夕食をとった後猛烈な眠気に襲われ、車中で仮眠を取ったのですが、目覚めたのは8時間後になっていました。長い眠りのせいで”弾丸ツアー”は不成立でしたが、槍ヶ岳日帰り登山は”大願成就”です。
2012年09月26日
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奥穂高岳から穂高岳山荘までは標高差200mの下り、距離は600mほどで特段の危険箇所はありません。この区間を30分弱で通過し、13:28に山荘に到着しました。西穂山荘を3:53に出たので、この区間を9時間25分で通過したことになります。前回は12時間を要したので、かなりの進歩の跡が認められる・・と、ま~この部分は自画自賛です^^; ここの休憩コーナーで昨夜相部屋になり、朝は一緒に出発したものの脚力差が出て置いて行かれた2人組に再会しました。話を聞くと20分ほど先に到着したとのこと。早々と缶ビールを横にくつろいでいました。彼らは今夜はここに泊まるらしいのですが、私は予定よりかなり早く着いてしまったので新穂高温泉まで下ることにしました。20分ほど彼らと雑談した後、お世話になったお礼を言って、13:50山荘を後にしました。 山荘の敷地を1歩踏み出すと、すぐに下画像のような累々と岩石が積み重なった悪路が始まります。ここが白出(しらだし)沢で、画像は下手を見下ろした状態です。積み重なった岩石は、大は軽自動車サイズから、小は砂粒サイズまで雑多ですが、全て落石が溜まったものの様です。こうした落石銀座が標高差800m、距離にして1.6kmほど続きます。以前ここを登ったことがありますが、岸壁からの落石の音が両岸にこだまして、どこから落ちて来るのか場所を特定できず、怖い思いをしたことがありました。幸いなことに、今回はそうしたスリリングな場面は一度もありませんでした。 この落石銀座を通過すると、森に入ります。ここから下は特段緊張を強いられることはありません。4:22に重太郎橋に到着しましたが、ここで雨が降り始めてしまいました。やむを得ず合羽を着用しましたが、その結果の暑かったこと・・・。雨は結構な勢いで降り続け、頭上の木の葉に打ち付ける雨音で、すぐ下を流れる沢の音がかき消されるほどでした。この雨は新穂高温泉に着くまで降り続けましたが、歩行の障害になるようなことはなく、18:58に登山指導センターに到着して、今回のツアーを締めくくりました。 ≪前の記事
2012年09月21日
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天狗岳に到着したのは8:39でしたが、朝食が早かったこともあり、ここで軽く腹ごしらえを済ませました。さて、スリルとサスペンスのクライマックスを過ぎても、コースが安穏なものに変わる訳ではありません。天狗ノ頭を過ぎると一旦50mほど降りますが、ここも”A級”の難所です。これを降り切った鞍部が「天狗のコル」で、ここから先に興味がない人や、崖道歩行を継続することが困難になった人は、岳沢を経由して上高地に降ることもできます。という話は脇に置いて、次のターゲットのジャンダルムに向かいます。 天狗のコルからジャンダルムへは標高差300mをこなさなくてはなりません。ここでも上-左画像のような壁をよじ登らなくてはいけないし、それが終っても上-右のような急勾配に耐えなくてはいけません。いくつもの難所で緊張を強いられたこともあって脚の疲労感は強く、ここの急勾配は応えましたが、2時間がかりでこれを乗り切り、ジャンダルムの基部に到着しました。ここにザックを置いて、空荷で頂上に向かいます。岐阜県側に巻きながら高度を稼ぎ、何回かジグザグにコースを取って上を目指しますが、この区間は浮き石が多く気が抜けません。それでも10分少々で頂上部に到着しました。前回のアタックでは濃霧に邪魔されて、頂上に寄らずに通過してしまいましたが、何とか雪辱は果たせたと言えそうです。但し、この日もガスに包まれて、奥穂高岳は勿論、眼前の難所「ロバの耳」も「馬の背」も視界に捕らえることはできませんでした。 ジャンダルム滞在は8分ほどで切り上げ、荷物を置いた基部まで戻りました。ジャンの岩峰の長野県側の巻き道を、鎖にしがみ付きながら通過しますが、この日は濃霧が幸いして恐怖感は薄めで済んだようです。ロバの耳をやり過ごし、初っ端にご覧戴いた馬の背を通過すれば、これで”A級”の難所は完食です。後は♪ラッタッタと鼻歌がもれそうな達成感・・・というか、何とか命を落さずに完歩できた安堵感を味わいながら、眼前の奥穂高岳(3190m 下画像)に向かいます。山頂のモニュメントには大勢の順番待ちの登山者が控えていたことと、既に4回目と言うこともあって、5分ほど過ごしただけで通過してしまいました。≪前の記事 次の記事≫
2012年09月20日
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