全1788件 (1788件中 1-50件目)
浦島太郎の気持ちAIなるものはすごいもののようです。 「忘れえぬ人」と先日題材で雑文掲状したら、今日の題材枠のところに、「忘れえぬ人」「浦島太郎」とでてきました。これがAIの作用というものでしょう。 こんな夢の世界をマスターしたくても、齢90になると、する余裕がなくて残念で仕方ありません。 将棋の世界もAIが卓見しはじめたようですね。 せっかく、題材をいただいたので、浦島太郎について感想書いてみましょう。 国民学校1年生の時、学芸会で「浦島太郎」やらしてもらった記憶があります。 昔 昔 浦島は助けた亀につれられて 竜宮城にきてみれば 絵にも描けない美しさ 乙姫様のごちそうに 鯛やヒラメの舞い踊り ただ珍しくおもしろく こはいかに 月日のたつのも 夢のうち 遊びにあきて 気がついて お暇乞いもそこそこ 帰る途中の楽しみは 土産にもらった玉手箱 帰ってみれば こは如何に 元居た家も村も無く 路に行き会う人々は 顔も知らない者ばかり 心細さに蓋とれば あけて悔しき玉手箱 中からぱっと白煙 たちまち太郎はおじいさん 調べたらありました。 良いことをすればよいことがある。他者に親切すれば、その善行はきっと報われる。 約束をまもらなければ報いがあるとも教えたものだそうです。 また、浦島太郎状態とは、自分だけが取り残された状態のことをもいうとか。 科学が進み、いろんな機器、便利な世の中になり、逆にその用途についていけぬ今浦島の老人というところ。 でも、必死に生きて、それが楽しみといえるように切磋琢磨しましょうか。
2024年03月09日
コメント(0)
早いもの、2年祭がやってきます。 どうしてもいなくなったとはいまだに納得いかず、隣の部屋から出てくる気がしてなりません。 あれだけ飲んでたアルコールも一つものみません。うまくないんです。 膝の調子もようやく痛さがなくなったので、活動を再開します。 なにもかも、停止したままですので、終決算にとりかかります。
2024年03月07日
コメント(0)
時の経過は早いとは、古今東西言われたことなるに全くわがブログの古巣は、門戸が固く閉じ、入場不可だった。 機材の更新、居所の変更、家人の逝去などの諸事情重なりて、わが古巣に手続きの段階で躓きはいれなかった。めんどくささもてつだって、fbの世界ではねのばしていた。でも真の論調、魂磨きはここが一番だ。 うれしさいっぱい。
2024年01月26日
コメント(0)
ゴトリ ゴトリ と鈍い音 真夜中 汽車は走る 山形むけて 俺も一緒にはしってる 誰もしらない北国に 我が地盤をばかためんと ズーズーしゃべる者達の 異卿に来たと知らせてる 寒い寒いと聞かされて 着るだけ着物をかけたれど 車中スチーム、人いきれ 一枚、二枚ストリップ 映画のような姉さんが あくびしながら時計見る おめめは 重りをつけている 見てたらあわててハンケチで お顔につけて眠り顔 時は午前一時半 窓は黒黒、まあるで墨を流すよう 止まる駅名が変になり カマスザカまで飛び出した 外は静かな雨模様 駅のあかりで照らされた 濡れたホームの石畳 小さな雨がはねている 前のおっさんお口をば 大きく開けて眠ってる 姉さんさすがだその調子 お顔は大事に隠してる 昨日の昼は銀座をば 肩をいからしさっそうと 歩く姿もハイヒール モンロー風に歩いたね 車中はまさに天下泰平 あたいも一つ眠ろうか 時はすでに午前二時 時は流れて午前四時 空気冷却一変す 北国突入思いしる またもや一枚、二枚カムバック 白河夜船も通り過ぎ 車中は死せるごとくなり 映画の姉さん何ものと 帽子も服もニュウルック アミダ夜会のエンビ服 開いたお口はアクビのためさ 抑えたおててモアケセサリー 鼻やら目やらさすってる 隣のおっさんねとぼけて さあ着いたぞと降りはじめ なあんだ小川かとまた座る それから四つの駅を越す 彼はまたもや夢の国 いずこの国へ行くのやら 野番の駅員ねむそうに かんてらさげてあるいてる 2燭光電気の駅員室が なぜか心に淋しく映る 東の山ぎがあかるくなって うっとりぼんやり幽めい界 あすの9時まで汽車の中 (1954・3月12日記) 69年の歳月がたった。南の端から山形までよく決心したものだ。 このスタートがあったらばこそ、今の自分がいる。人の通らない道の経験積んで、良き父、母、兄弟姉妹に恵まれ、そして現在、新しい地で良き伴侶をえて、良き子等ができ、孫も優秀な仕事にそれぞれついてる。 遠いところに行った子を親の立場で考えてその気苦労に馳せ、考え感謝したいと思うこの頃である。亡き父母、亡き姉、亡き妻を思いて捧ぐ。
2023年03月26日
コメント(0)
生きてることの代償に傷心というとても悲しいことがあるものだ。 机の奥底から、メモがでてきた。 父との別れの時だから、半世紀も前になる。 われ一人 病名知りて 隠しおり いずれは知れしと 思いながらも うすぐらき 眠れぬ父は 病床に 背なさすりおる母 病名しらず 兄弟を 一人ずつ呼べという 医師の言葉の 暖かくて冷たき 聞き違いと もう一度病名をきく 医師の答えは 前と変わらず コバルトの 照射に行きし 父の床 いつまでもあれ この暖かさで 治らずとも 命だけは 長らえて 我等子たちの 実花見届けほし 一日せめて一時間 ながらえてと祈る 天よ医よ我が味方して欲し もう一つ いびきつづけと手を合わす 痛みで眠れぬ父よあわれ コバルトに 行きし父の床 暖かし いつまでもあれ この暖かさよ 長崎の大学病院だった。昨日のようにおもいだす。 母もいなくなった、 妻も1年祭を済ませた。 不思議なもので、呼んだら、隣の部屋にいるような気が最近してきた。 こちらが近ずいたからかも。 でも、なんだかこれからが、一仕事できそうな気持が漲る。 傷心の妙薬と謳ったが、父母の思い、妻の思いを完成させることが妙薬のようだ。
2023年03月24日
コメント(0)
卵の殻を破って一歩一歩成長するのが、人生である。 凡人は保守を愛し、偉人は変動を待って、活躍するものである。 「天の大任を降ろさんとするや、先ず災いその身に及ぶ」と申し、 波瀾万丈の中にありて初めて真の祈りに徹することができる。 艱難の大なる後に、幸福の恵みの花の大なるが咲く。 新しい時代は小さい事と大きい事が、一つの原理によって一貫する、 理、法、礼、道、一致の世界であるから、小さい日々のことを善処 することなしに大功はない。 温故知新の要はますます大切である。 地理、地質に立脚せずして産業の発展はなく、歴史、と離れて人格者の育成はない。 地球の構造、成立も神慮により明らかになるだろう。 (尊師檄文より)
2023年03月21日
コメント(0)
妻の1年祭を済ませた。 あっという月日が済んだが、未だその現実感がない。 遺品の整理もいっこうにすまない。 かたずけしてると、我が親、妻の親、我が友、妻の友、その方たちの贈り物、便りが次々にでてきて、ほとんどが幽界の人物である、 断捨離なる言葉で、小学校の先生の娘は、情け容赦なく捨ててしまう。 服でも、自分たちにあわぬものは、みな処分。 貰ってた母親の俳句、目を通す。 当時の情景おもいだす。 パソコンに写して読んだ証拠を幽界に報告。 整理ストップ。 むすめの断捨離の声おっかける。 忙しい。
2023年03月15日
コメント(0)
第1条 何事も人様が先、我は後。第2条 事に損得ある時は、得は人に譲り、損の方は我が取る。第3条 事に苦楽ある時は、楽は人に譲り、苦の方は我が引き受ける。
2023年01月15日
コメント(0)
連れ合いとは、よく言った言葉であります。 いて当たり前、いなくなるとどうも空虚で隙間風がいつも吹いてるようで落ち着かないものです。認知症であってもいい、寝たっきりでもいい、側にいてほしいものです。 1934年、昭和9年に生を受け16年に国民学校1年生となり、世は大東亜戦争勃発で、戦時教育真っ只中、挙句、敗戦の屈辱も十分味わいました。「欲しがりません勝つまでは」戦地で苦労してる兵隊さんのこと考えて、食う物も満足でなく、我慢しました。死ぬ事がどんなことかもわからず、特攻隊で戦果あげることに発意した小学生でした。 価値観を同じにした経験を持つ者同士がいると気心が安心するものでしょう。満ち足りた世となり、若者との生活感のずれを感ずることしきりです。
2022年12月18日
コメント(0)
青春とは人生のある時期でなく心の躍動を言う。 臆病さを退ける勇気 未知への探求心 霊感が湧き希望の波長が高まる瞬間 20歳であろうと人は老い 80歳であろうと青春はある。 米の齢の誕生日を迎え負け惜しみを唱える偉大な日なり。
2022年10月15日
コメント(0)
マーフィー博士は「夫婦はクズ拾いであってはならない」と言います。 つまりお互いに相手の小さな過去や欠点をさがしあげつらっていては、どろ沼の関係になってしまうということです。 妻の立場からいえば、夫を気分よく働かせることが、自分にとって最高に良い事に気がつくべきですし、夫からいえば、いつもはつらつと家庭を守ってくれる妻こそ最高の妻であり、自分にとってもよいはずです。 たとえそこに多少のウソや偽善が入り込んでいたとしても、妻を、夫を、ほめ、「クズ拾いにならない覚悟」が家庭の幸福を護る秘訣です。 家庭がうまくいけばそこからウソや偽善は消えてしまいます。 (マーフィ名言集より)
2022年10月14日
コメント(0)
やっちまった! ブログ一表紙がおかしいので一部プログラム削除した。 ところがどこがどうなったか、画面ガバラバラになってしまった。 修復不可能。自分でつくったものなのに、さっぱりわからんくなった。 日記まで出てこない。 齢かな。修復の案がうかばない。 仕方ない。余分なところ消去だ。 スッキリした日記部分でてきた。 余分なことはすまいと決心ス。
2022年10月13日
コメント(0)
長崎原爆投下77年経過が昨日8月9日です。当時の経験者がなくなってしまう時、やはり物申しておかねばならぬ義務がありましょう。11時2分といいますが、緑色の光がして、しばらくして地響きに驚き蛸壺にとびこみました。海峡を離れた天草の地ですら振動しました。海の向こうにおおきな入道雲が沸き上がっていました。6日に広島にウラン型の原子爆弾投下。20万人も被害があったら、1も2もなく降参になるのがわかりきったことなのに、長崎に、返事がないのをよいことに、ウラニューム型の爆弾ということです。人類に、両方の実験は済んだから、もう核爆弾はやめてください。と言いたいところだが、今まだ、保有国で、使用ちらつかせているのは解せないことです。当時は大変でしたでしょう。8日にはソ連が宣戦布告し満州に9日未明に進行してきてます。7月26日に米英中よりポツダム宣言が発せられ28日に鈴木貫太郎首相黙殺。8月6日広島原爆。これだけの被害があれば、お手上げであろうに、長崎の分は、異種原爆の実験遂行の為だったろう。広島被害があってのトップ層での審議で、まだ本土決戦も話題があったとか、こんな大きな爆弾幾らだもないだろうとか、衆議混沌。長崎被爆にいたりとか。小倉が目標だったよう。北マリアナ諸島テニアン島から原爆積んで飛んできた。重さ4,5トンだそう。前日8日、八幡が空襲にあい、300人が殺され、その煙がくすぼり、下界がみえぬ小倉で、視界確認原則がはたせず、長崎に変更したとか。4,5トンもある爆弾、投下したら飛行機が、軽くなり飛び上がったという。裏話もきいたが、被害者は地獄だ。長崎から生きて帰って、看護婦していた隣のお姉さんは、髪が抜け、歯茎から血が出て3年後に他界された。こんな話がアチコチで聞かれた。核だけでなく戦争はいけない。
2022年08月10日
コメント(0)
8月15日終戦記念日がやってくる。新聞に「戦争と平和」についての寄稿を求める宣伝が出てた。 戦争経験者なるものが激減の現在、貴重なる経験者として機構しようとかんがえている。 といっても、小学生でふりまわされてただが、従事したことは事実である。 老人会、シニア会といってるが、この小学生経験者もあまりいなくなった。 昭和16年12月8日が、いわゆる「大詔奉戴日」といって、、天皇陛下から、開戦の詔勅が下った日として貴重された。小生が16年4月に「国民学校」1年生として入学した。「大詔奉戴日」なるロゴが言えなくて、朝歯みがきながら、教頭先生の父親のそばでくりかえし、覚えたことを記憶している。厳格な父親で、新聞を畳に広げ読んでいるときには、歩いていて、すこしでも新聞に足が触れたら、大きな手で折れるくらいの平手打ちが足に飛んできた。 「新聞を作ってる人は、一生懸命に記事を書いている、それを足で踏むなんて失礼だ」というわけだ。又、当時はラヂオが唯一のニュス源だったので、ニュースの時間に騒ぐと大きな怒声が来たものだった。 騒ぐなと言われたら、かえってなんだか気分が可笑しくなってくるもんで、吹き出すと、つられて兄弟が笑い出す。大きな怒声がとびだす。 ニュースの時間が来ると、嫌なものだったのを記憶してる。 父親がはじめて教頭さんになったんで小さな学校だった。櫨宇土国民学校で、1年、2年と一緒の複式学級だったと記憶している。 先生の子供は、勉強が出来るのが当たり前の空気があり、いつも手本のようにされた。上級生もやさしくしてくれて、ペッタなる紙の切り抜き武者絵をひっくり返すと自分のものになる遊びがあるが、これなどもってきてくれた。いっぱい箱に入れて遊んでいた。それが原因ではないが、病気になり、3か月も学校をやすんだ。病気しても村に医者はなく、母の看病であった。母は医者の子だったので知識はあった。 ようよう学校にいったら、学芸会だという。ウサギと亀の山登り競争だ。 主役のウサギにされたが、ピョンピョンと両足そろえて飛べない時だ。パタパタだ足。 3年になる時に1000人ぐらいの富岡国民学校に転校となった。 人数も雲泥の差があるとびっくりしてるのに、級長の役がきた。 断ればいいのに、まじめに受けた。先生の子であるからの贔屓だったと思うが、こんな役なんで任せたのか今もわからん。がっちりいじめを受けた。でも耐えた。 4年には戦況まっさかりとなり、学校は、兵隊宿舎となり、分散学校でお寺があてがわれた。 昭和20年8月6日に広島に原爆がおとされ、9日になって、午前11時頃、緑の光がピカットしたら、おおきな振動。大変、本堂から飛び降り、庭の隅のタコツボ防空壕にとびこんだ。 東の空におおきな入道雲ごとき、きのこ雲があがった。長崎のプルトニューム原爆雲だった。 広島で20万もの死人がでたら、だまってても降参間違いないことはわかってる。 だのに、ウラン原爆の威力は、広島でわかった。続きがみたいので、降参もたもたの間にプルトニュームの威力実験を長崎で行ったというわけだった。負けるものには発言なし。 一人で軍艦1隻撃沈できる。特攻隊志願。国民学校3年生は、それが日本人魂だと思っていた。星柄のパンツ、朝日柄のパンツはいた、鼻高の米英のマンガのおっさんに敵愾心湧かしたものだった。 妻をなくしてもう4か月、だが、まともな行動がまだできない。1人でもこんななのに、砲弾で日常茶飯にまだロシアはウクライナを砲撃してる。人を殺してる。大変である。指導者が狂うと大変な影響がでる。力と力で滅びるまで己を誇示せねばならんのであろうか・困ったものだ。
2022年07月20日
コメント(0)
2022年06月23日
コメント(0)
思いがけない伴侶の別離に、動こう、行動しようと思っても、支離滅裂になり、己が己でなくなってしまう現象を確認した。 子らが、乱雑になったわがまわりの品々を片付けるに、その分屋では、貴重な品なるものも、価値知らず処分しても、なんの反応も感じなかった。 不思議なものである。喜怒哀楽忖度は、共有する者が側にいてまず感じるものと知った。 これから、共有するものが、家族みなにかわっていこう。 仲間の励ましも、とても心に響いた。 電話一本のはげましの声の心に響くありがたさ。なんともいえないものである。 特にグループの長たるものの慰めは、涙がこもる。心しておこう。 人の心根は、傷心時に寄り添う。忘れまい。 さて、わが学は、さざれ石の巌のなりたちに徹してきたが、残余の齢、もうひと働き、指先を動かす脳活性化の認知症予防に掛けてみよう。
2022年04月24日
コメント(3)
妻が亡くなりました。 40日祭を終えましたが、まだ正気がもどりません。 なにをやっても、うつろな気持ちです。 テレビ見ると、ウクライナの惨状は忍びがたいものです。 この状況を差配してるロシアの指導者たるや、もう人界を離れ、悪魔の世界の仕業そのものです。 長たれば、人の痛みを早く感じ早く人の手で人を殺す悪魔の仕業をやめてほしい。 たった一人の人間を亡くしこんなに心迷うものなのに、たとえ1分の正義があろうとも、人の命を取ってはいけない。しかも大量に殺傷している。心迷う人が増え続ける。 うつろな心でも、ロシアのトップが目覚める日が一刻でも早くくるように祈りたい。
2022年04月22日
コメント(1)
コロナに悩まされた年があけ、又新しいオミクロンに悩まされる年の明けです。 早くこの人類の災いを、総力で地球から撲滅せねばなりません。それまでは、互いに感染せぬように注意しましょう。 一歩一歩、安全確認で進むよりほかないようです。 高齢者の車事故には困ったものです。 同じ高齢者として、同列にみてほしくないです。 確かに身体能力はにぶくなってるのは否めませんが、己を知って行動したいものです。行動してます。 先年、連れ添いが入院した時、13時から18時までの面会時間、しかもナース窓グチまで、用件はナースが病室まで連絡、その返事を待つこと3-4分、それを聞き、車で家にかえりました。所要時間30分。 これが、バス利用だと、半日がかりになる田舎です。タクシーだと片道2000円、行って帰って4000円。 毎日行っていたのが、とても行けない。 でも自分の腕は、知っている。 「これがいちばん危ないらしい」というが、なんと苦中の苦。返答に困ります。 高齢者も辛いものです。 なんとしても厳重注意で運転します。
2022年01月05日
コメント(0)
山形からリンゴがおくられてきました。 さっそく箱を開けてみると、きれいにならんだつやのあるリンゴ。 中に、じんまち の産地説明がありました。 じんまち。それは、山形の空港がある街で、むかし、日本の航空隊がおり、敗戦後には米軍航空隊がいた所です。 私にとっても、忘れがたいところです。 神町駅。12月23日、汽車から落ちてサクランボ畑の鉄条網にひっかかり、9死に1生をえたところです。 修業論文が三年生に課せられた地学の課題で、大蔵村の大網地すべり地帯がフィールドでした。 冬休み、 調査すべく山形から鶴岡に向かい、たしか10時ごろ、鶴岡駅で農学部の金子君と会いました。山岳部の合宿で山形に向かうところでした。 「大網はもう雪のしただよ」と彼は、言います。じゃあきらめるか。 「せっかくだ、鶴岡はおれの縄張り、一丁やるか。」 駅裏の飲み屋にはいり、テーブルにのせたイスをひっくりかえして「一杯たのみますよ」ではじまりました。「クリスマスイブの前祝といこう」 焼酎11杯の異名をもつ金子君、よく鶴岡をしってる。真昼間のはしごで夕方になった。 さて帰ろうかと、2人で山形行のキップを買い汽車にのった。 余部で乗り換ええ山形に向かったことは記憶してたが、車内の暖房が息苦しく、連結部の通路に涼みに行ったのが、じんまちだった。 降りる人、乗る人がすんみ汽車は発車。 昇降口はひらいたままだった。冷たい空気が気持ち良い。 カーブで連結部がガチャリと動く。 左右に振れた時に、小生、車外にダイビングしたらしい。 石原で眠っていて、目がさめた。 なんでこんな石原でねてるんだろう? そっと手を伸ばすと冷たいものがある。何だろう。線路のレールだ。 汽車から落とされた。 山形で酒飲んでたのにと思い違いして、鶴岡行は、忘れていた。 財布は、ある。 汽車から落ちたと思うと怖くなった。あたりは真っ暗。 小さな灯りが一つみえる。 それにむかって走った。 <a href="https://plaza.rakuten.co.jp/tennjinn369/18001/"> 八百屋のおじさんが、軽自動車で、病院へはこんでくれました。はじめてみた、産婦人科のベッド。やおやさんあわてて産婦人科に運んだところでした。あれから何十年の歳月。あのおじさんの孫さんかも。山形の大場君にお礼とエピソードを電話ではなす。聞いてみるよ」との返事。浦島太郎話がでるやも。おそまつ。
2022年01月04日
コメント(0)
さ、今日は4品野菜料理出来たぞ、電子レンジがあるんで見事な出気だ。 こんな便利なものがあるんだ、男やもめの自炊生活にこれがあれば、学生生活もかわっただろうな、なんて考えた。飲み屋のかあさんのお世話も少なくなったろうになあ、なんて、なつかしい思い出うかぶ。 料理ならべ、炊飯器みると、こりゃいかん、洗米、水着け、スイッチの段階で、健忘!。 30分置くとおいしいと聞き、この段階で、炊飯準備終了の気分だたよう。 おおあわてで、冷凍庫の中から、冷凍おにぎり出してレンジで解凍。! クリスマスイブのテレビの放送あり。 おや、何十年前の昨日、23日。イブのイブを鶴岡で山岳部の金子君と酒のんで、汽車からダイブしたっけ。 60まで23日は酒飲まない日守ったっけ。 昨日はすっかり健忘してた。 健忘が痴呆にならんようにせにゃならん。 さあ、まじめな炊事はじめよう。
2021年12月24日
コメント(0)
炊事というのが、こんなに深いレパトリーがあるという事が知らされた、なんていうとうまくなったみたいだが、天手古舞の毎日というのが正直の感です。 健康であることが、こんなに大事だとおもいます。 誰が病んでもなりませんが、介護するのもされるのも、大変です。 人生最後の装飾をゆっくり形作りたいものです。 年の暮れ、新年の希望を待つ心がこんなに充つとは。 さあ、昼の準備にかかろうか。
2021年12月22日
コメント(0)
コロナ蔓延で、イベントの中止続々。9月に行われる里見祭りも今年も中止。 童子ばやしさんが、天神さんで里見太鼓を打つという。大岳院の里見忠義公墓前で打ち、北野神社で祈願して、公演をするとの事、山守では、公終焉地で神事を行うのが本日。 僅か8年の倉吉ずまいの殿様、どうやら倉吉に親しみをもって慕われだしたようだ。 丸に二の字の家紋をつけた童子ばやしの4年生の太鼓演奏は、なかなかりりしい。 神社の鈴が柱の括り付けて有るのが気になった。 近所の人がお宮参りでのジャラン、ジャランと鳴るのがうるさくてとうとう鈴も鳴らせなくなったのか、八幡さんでは、デレンコデンの太鼓がうるさいと文句がきたと言ってた。 よくきいたら、コロナ流行で、綱に触って伝染しないようにとの計らいだそうだ。 コロナは参拝形式まで変形させたようだ。 こんなところまで、注意してるとほめるべきかもしれない。 さて、ひる12時から公演と聞き、境内の掃除をしておこうと、朝6時から神社に行き、草とり落葉掃除をした。あるあるおちば、木の枝、2時間かかりやっと、いちだんらく。 総代さんも掃除にくることになってるが、まあ次をやってもらったらいい。 静かな杜の中で、箒の音だけで気持ちがいい。 見違えるような境内になって、皆が来たらびっくりするだろうと、朝飯くいに帰った。 忠義公がこの神社を建ててくださったんだと思うだけでなにか身近く感じれるものだ。 勿論太鼓連は、とても上手に観客がすくないのが気の毒だったが、クラスター回避でしかたなかった。
2021年09月05日
コメント(0)
◎208(ほめる効用)ほめることはあなたの部下や同僚に自信を植えつけます。上役の重要な仕事は、上手にほめることです。マーフィ 逆に悪いところを注意する場合、ずばり その欠点をあからさまに感情をこめておっしゃる方がいますが、本人は悪いと反省する前にいやな感情に差配されて、不愉快になり反省までいかず忘却しようとします。 ほめることは認めてあげることだから、悪いところを本人が治して認められようと努力します。
2021年08月27日
コメント(0)
長年連れ添った妻が手術を伴う入院をしました。 どっこいコロナ蔓延真っ只中、入院しても、病室はおろか、面会もさせてもらえず、午后1時から6時までは、病棟受付までは可能ですが、体温測定、姓名記入、病人姓名記帳で、「御用件は?」でナースとうしての面会なしの状況。 やがて日取りも決まり、手術の日に、病室から手術室に行くとき、病棟の出口でちょとあっただけ、あとは通路が違う道を、手術室の待合室まで行き、時間を過ごさせてもらいました。 手術終了も執刀医の説明があっただけ、本人には「ごくろうさん」の言葉もかけれずまさに門前払いのありさまです。 手術後も同じ、病棟入口の受付までの許可で皆目状況わからず。 個室を希望して2日で、大部屋になったという事を聞きなぜかもわからず悶々。 個室希望者が多く、事情ある人のために代わってあげたことを後で聞き納得。 コロナ罹患死亡者は、親族にも合わずに火葬されるというがきびしいものです。 無事、退院の運びに至り、今は家での養生になりホットしていますが、大変な時代です。 世界的な蔓延、全人類の総力で早くこの危機を脱出できるように祈りたいもの。
2021年08月24日
コメント(0)
27日先日。14時から、コロナワクチン第1回分の接種して頂きました。 集まるな。マスクせよ。外国では、ワクチン接種したら罹患者が激減した、などニュースばかり流して、ワクチン対策の科学的対策を何故しないのか。科学立国の日本で、あまりにも自国での製作対処は、できないのか不思議であった。 集まるな。マスクせよ。成す手はなく、罹患者の数を報告する、都市の長のあほう面にはうんざりした。 高齢者は、危険だと脅すだけで、なんの対策もできず、家にヒキコモルだけのイライラは、もう沢山だった。 注射したから、大丈夫だとは、思わない。防御態勢ができたことを誇りに思う。次の波が来ればその時に対処すればよい。 月食の時刻まで弁えた科学立国が、身近なコロナの対応にオロオロでは、笑止。専門家のいいつけは聞かねばならぬ。専門家は、責任もってリードせねばならない。
2021年05月28日
コメント(0)
越し方、行末なるものは、万物が背負ったそれぞれの宝であり、宿命でもあっります。 今、全地球的にコロナで大騒ぎになっています。鎮静化せねばならないという事に関しては皆同一なれども、共通の問題として、事にあたられない、それぞれの利害があるようです。 有孔虫が跋扈して、全地球的に繁茂、その死骸が化石化して、今資源となって石油世界を謳歌したことをみるに、なるようになってるのかもしれない。でも石油時代も次にバトンをわたそうとしている。 さて大上段にかまえたこととは別に、高齢者なる部類に属してみるに、おのれの越し方で、行く末の空想位してみても悪くはないと思いはじめた。否、人より日本を這いずりまわった経験が、役に
2021年05月16日
コメント(0)
コロナの蔓延を聞いてから、何ほどの時間が経過しただろうか。 個人企業では、コロナ発病との評が立ったら一発アウトだ。客が敬遠すれば、仕事は即座になくなる。 老人は、世間との接触を極力避けて、コロナとの距離をおかねばならない。それが若い者への最大の協力と心得て蟄居、蟄居の生活をしいられている状態だ。若いものが仕事ででかけ、コロナ感染したら、それは致し方ない。名誉の戦死だ。時代の波がくるまで、仕事休止といこう。 それにしても、ワクチン接種で行動的に予防手段を講じるすべができぬものか、いらだちをかんじる。一流の科学立国を任じるならば、ワクチン作成に踏み込まれないないのか、じれったい。 マスク、ウチワ、カーテン、遮断もよろしいが、もっと元にふれる対策こうじれないものか。ノーベル賞、取れる実力あれば、コロナ対策も一丸となってほしいもの。 老人は蟄居なら、手先を動かして悩の活性化はかり、認知症予防になればとミサンガ作りを試みている。昔はこんな事はオンナの仕事といっただろうが、幸い今は、そんなこといったら、森オリンピック大将の用に血祭にあう。頃はよし。刺繍糸を寸法に料理して、ミサンガつくりに邁進中。 どっこい、ミサンガといっても奥が深い。 スマホみても作り方は丁寧だ。 いい時代ではある。やる気だしたら、手本はワンサ。 蟄居なんて、勿体ない。やるものが一杯出来た。 お迎えもちょっとまってください。閻魔さま。 ミサンが作り邁進。
2021年04月14日
コメント(0)
大方10年近く前、松崎の喫茶店でパンフレットをいただいた。 それは、地元の方の歴史調査報告でした。「東伯耆の戦国時代 羽衣の里戦国武将南条元清の生涯」 それによると西暦1592年の朝鮮出兵に南条元清城代として1500の兵を連れて朝鮮へ出兵。甥の元忠との家督争いを避けて南条元清は小西家へ小西家家老として関ケ原合戦時には肥後宇土城を死守加藤清正の和睦要請で加藤家家老となる。加藤清正の遺訓を受け加藤家を辞し単身大阪城へ。瀬戸内海航海中に発病し京都にて64歳の生涯を終える。小西行長、加藤清正まで出てくる壮大な地元判官びいきの物語と、当時200年後とは言え池田藩武士松岡布政の調査「伯耆民談記」を信奉してたもので気にも留めませんでした。 ところが、コロナが高齢者蟄居を迫り、古を漁ってる時に、日本海新聞に、北条の島の堤城主の山田出雲守が毛利の萩藩と岩国藩にあったのが同一人物であるらしきとの県埋蔵文化センターの発表がありました。 追っかけていたら、羽衣石の歴史にはいり、小鴨元清にたどりつき、上才原で強盗に殺されたと思ってたら文禄・慶長の役に元忠に代わって自ら1500人の兵を率いて朝鮮に渡り、慶尚道仁道県の領主の子を生け捕るという手柄をたてた。後見人の座をめぐる争いで、元忠との確執が生じ山田越中守の進言で秀吉によって、小西行長の下へ預けられ、此の時南条姓にもどしたという。 関ケ原の戦いでは、小西勢に属し加藤清正の隊と戦うが、家臣一同と同じく投降。戦後、小西家が没落すると6000石をもって清正の家臣に転じ、剃髪して元宅と名乗った。慶長19年(1615)10月26日死亡。墓所熊本県横手 禅正寺 (ウイキペディア参照する)かくて小鴨元清の晩年は諸説あり。南条氏盛衰記は上記の如、伯耆民談記では関ヶ原の戦いの後、美作国へ逃れ、その地で死亡したとされ、東京大学所蔵「南条系図」によれば、元清は「作州才原」に住むとしている。唯これらは、後世に書れた書物にみられるもので、照明する確実な資料があるわけでない。 「南条氏盛衰記」説の方は傍証資料もあり、熊本県に墓石が存在するなど信憑性が高いとありました。伯耆倉吉では、里見忠義が房総より来たりて、池田藩の伊木忠貞が姫路より来て曹操の歴史展開がありました。真実は。
2021年02月25日
コメント(0)
伯耆民談記より 慶長5年の秋、石田治部少輔三成に輿し羽衣石滅亡に及びしにより、元清も倉吉に居住し難く、再び漂白流浪の身となり、夫婦に7歳の子息、家来1両人を召し連れ倉吉を忍び出でぬ。 梅翁山曹源寺は先祖の族縁あるにより此の寺に滞留したり。元清の最後 元清此の寺に滞留せるなか、内室ふと病悩に罹りけるが、医薬効験しなく、遂に此の寺にて亡命ぬ。その墓所は寺より下なる山の谷にありて、今に石塔ありと言えり。 明くる慶長6年の春、元清一子亀若丸を伴いて、當寺を立出て、潜かに上方へと志し、作州に入り大町村に旅宿しけるに、亭主夫婦大いに労り其の風情浅からずして、元清の氏名を尋ねける故、我は伯州岩倉の城主たりし小鴨左衛門尉元清なりとて、事の始終を包まず物語りければ、夫婦は涙を流し容を改めて拝復して申す様、某も元は伯州の生まれにてしかも御領分の百姓なりしが、永禄の乱に居村を退転して、今此の里に住し僅かに身命をつなぐまでなり。 幸いに御宿を仕る事の有り難さよとて、種々に馳走しけるが、殿様の御在所安堵あらんまでは、若君を我等夫婦預かり御養育仕るべしとて、懇ろに申せしかば、元清大いに喜び、亀若を預け置き、其身は大町村を立ち出で、同国才原村に止宿せり。 然るに此の宿の亭主心善しからぬ者にて、つくづく思うよう、此の人の容顔言語、尋常の人に非ず、必ず伯州崩れの貴人なるべし。然らば帯するところの腰のもの丈にても、さぞ効果ならん。又、金銀の蓄えも有るべし、奪いとらばやと悪心を発し、密かに隣家の者と計り近郷に忍び居る強盗山賊を招き、夜更け人静まりて左衛門尉主従の寝所へ忍び入り、熟睡を窺い先ず主従の腰の物を奪う。 元清主従目を覚まし起き上がらんとする所を、強盗ども左右前後より一度に切りつけ、追に此処にて空しく亡命せり。浅ましかりし身の果てなり。 その怨念残りしにや件の亭主隣家山賊の者共、間もなく病み悩み、子孫跡方もなく耐えはてたりとかや。しかのみならず、元清横死の後、其の祟りにや一村人馬病悩奇怪の事共多いかりける故、村老とも是を恐れ、彼の霊を慰んとて才原村に新八幡の小社を建て尊崇したりけるが、其れより病悩の憂いもなく事に霊験あらたにして、今に祭礼おこたらずという。小鴨元清は、上才原で強盗により、差後をとげた
2021年02月24日
コメント(0)
小鴨元清は、伯耆の国、倉吉の岩倉城の大将。 毛利の吉川元長の攻撃によって、負けた。 時は天正10年5月25日。 彼の勇士12人の内、杉森善右衛門家昌は深手を負い進退叶わず、館の内にて切腹する。比の甚五郎清照やがて之を介錯し其身も共に切腹す。永原玄蕃、城に残り表門の櫓に登り、散々に射る。 寄せ手の立花伊織が士卒の持つ楯に射立つる矢文あり 一筋に思いきる矢のあずさ弓 また引き返すこころなけれど各々是をみて、扨ては左衛門尉切腹と察したり。去るほどに城中は一円に煙気充満し、櫓門殿舎悉く灰燼となり、五百余年伝わりたる名城此の時に滅亡す。 これは伯耆民談記 松岡布政にある岩倉城落城の描写で、家老永原玄蕃の死を元清と寄せ手は間違えた。裏手の山から小鴨元清は、羽衣石へおちのびた。 左衛門尉元清は羽衣石の城に客と為てありけるが、舎兄伯耆守元継、天正16年の冬より中風を患い、上方の勤務、諸の公務悉く元清変わりて勤務せり。同19年伯耆守卒去し、嫡子中務少補元忠、幼少なる故元清後見となり、家事国政等を執行す。朝鮮人の時も1500人の人数を引具し渡海しけるが、元忠成長の後は倉吉打吹山の麓なる湖山に館舎を構え居住して代官の如くに近郷を守備し居たり。
2021年02月24日
コメント(0)
再三申すが倉吉の中心にまだこの看板がたっている。何故、里見忠義、伊木忠貞の項目を入れないのかということだ。 史料が少ないことは事実であるが、里見忠義にしては、房総から国替えされてきて、しかも幕府の扱いが尋常でなかったことは事実だが。 かの地で書かれた、里見忠義の小説での、池田の家臣、つまり伊木三十郎家老率いる伊木家臣が、槍でつついて、家から主君忠義を外に出したとあるが、これは作者が取材に倉吉に来て、博物館はじめ資料を求めて行った現在の面々の印象だと信じる。それが、まだこの看板をゆるしてることだ。 1622年に里見忠義はなくなった。その扱いも暑い時に1か月も江戸の家老の仕儀を待ち、放ってるような仕儀だ。僅か15年の伊木治領でも1632年までいるのだから、こんなどさくさはありえない。 姫路城普請奉行は、忠繁で忠貞の父、実際に監督したのは伊木半兵衛。その家臣たちは精鋭であるはずだ。 国替えで加古川の渡し場での米子家老の刺殺事件も無事に処理した伊木家老。房総からの冷や飯食わされた先人を大事にしても、粗末にはあつかわないはず。こんなことを明らかにすることが出来なかったここの地の文化人の責任である。房総の人にお詫びをします。
2021年02月06日
コメント(0)
資料の大切さとその判断は、それを評価した人の人格が反映する。 忠実に反映すればよいが、もし反対で悪い面だけが判断されたら怖いことである。 年代がたてば、史料がすくなければ、判断する人の空想も守される。 里見忠義の資料が少ない。ないに等しい。 これを離れた房総で判定しようとすれば、大変である。 やはり、地元の人がない資料なら、なんとか探しだしてやる気概が無ければだめである。 歴史関係者の奮起をのぞみたいもの。
2021年02月05日
コメント(0)
「はーて、あれは何だったけ」 「何という名前だったっけ。顔は浮かぶんだが」 これがが始まると、もう駄目だ。おれは認知症? ヒントがあれば思い出せるのは認知症じゃないそうだ。 齢取ったら忘れも多くなるさ。らしい。 でも 軽度認知症(MCI)というものがある。健常者と認知症の中間の状態であり、本人や家族から一部の認知機能の低下の訴えがあるものの、日常生活への影響はほとんどなく、認知症とは診断できない状態のこと。 認知症はある日突然に発症するものではなく、長い年付きをかけて徐々に進行していくもので、その途中にあるものがMCIらしい。 MCI (Mild Cognitive Impaiment) この軽度認知症の段階で適切なケアをすれば、約26%が健常者へと回復できるようです。 そのままにしておくと、10~20%が認知症に移行するようです。 加齢では説明できぬようなもの忘れ 友人と会う約束自体を忘れる。 〇軽度認知症の場合。「忘れる」という自覚があるため、メモするとか、工夫することで、日常生 活に支障出ないように対応できる。 〇認知症になったら「忘れる」というような自覚がないため自分自身でカバーできず、日常生活に 支障がでる。軽度認知症段階で26%が適切なケアで健常者へ回復 病院の治療は勿論。食事、運動、生活習慣の改善。 認知機能向上につながるトレーニング、手先を動かすことで脳の活性化は、第一に考えよう。
2020年11月24日
コメント(0)
認知症になったらどうしよう。 その時はその時。じゃなく、意識して当たって行こう。 7人に1人が認知症になる」なんていったら、宝くじあてるより、確率は高いじゃないか。 適齢期じゃなく、まさに渦中にある、86歳。 生きざまをしめそう。 コロナでヒヤヒヤして、今度はにんちしょう。こんちきしょう。 相手を十分知っておくことが先決だ。1、 日常生活の小さなサインはどんなもの? 家事 家電操作に戸惑うようになった。 洗濯ものを干し忘れるようになった。 料理の味付けが変わった。 仕事 新機種の使い方を覚える気にならない。 最近会った人の名前が思いだせない。 短時間で何度も同じ質問を繰り返す。 外出 外出するのが面倒になった。 道に迷うようになった。 服装に気を使わなくなった。 其の他 気づかずに同じ商品を買ってしまう。 水を出しっぱなしにする。 趣味がたのしめなくなった。 ご本人は不安や恐怖心のさまざまな葛藤から「自分が認知症かもしれない」ことを素直に認められなくなるそうだ。でも、その時はその時だ。周りの人間が気ずこう。 歯医者さんに歯垢とってもらいに行く時間がきた。 閑話。
2020年11月19日
コメント(0)
「行方不明になった人がいます、心当たりの方はご連絡を」と有線放送がありました。 最近、この人探しの放送が多くなりました。 認知症の人が多くなったそうで、せっかく永らえても、これでは、人生つまらないものです。 人生100歳時代といわれる今、65歳以上の7人に1人が認知症になる時代だそうです。 認知症について、知ってるようで知らない事ばかり。 認知症について調べてもました。 1、「普通の物忘れ」と「認知症の物忘れ」の違い。 これは、物忘れの自覚があるかないかだそうです。 「経験したことが部分的に思いだせない」(普通の物忘れ) 「経験したこと全体を忘れている」(認知症) 「何を食べたか思い出せない」(普通の物忘れ) 「食べたこと自体を忘れている」(認知症) 「目の前の人の名前が思いだせない」(普通の物忘れ) 「目の前の人が誰なのかわからない」(認知症) 2、認知症になる前段階として、「軽度認知障害(MCI)と言われる状態があり、適切なケアをすれ ば約26%が回復するといわれる。 3、認知症の予防法に 運動 コミュニケーション 食生活の見直し 4、認知症になり記憶がなくなっても、その時に抱いた周りの人の扱いの感情は残ることがあると言わ れます。 「知っておきたい認知症の事 住友生命」より 只漫然として生活していても人生、生きてる以上、認知症にならない可能性にチャレンジする事もまた意義あるものです。
2020年11月17日
コメント(0)
ミサンがなどとおもっていたが、奥が深いものだ。 刺繍糸を糸撚り機で撚って、合計18本を一本にすると丁度いい。 中々面白いもの。ハートの形、矢印、と奥がふかい。 ネットでの先生は、いくらでもいらっしゃる。 記憶して、脳の指令を指先に集める。 指先が、糖尿の為かごわごわとした感じだったのが、お陰で和らいだようだ。 手首に作ったミサンガをはめていると、なんだか若やぐ気がする。 毎日、一個はできる。作るのがたのしい。 孫が5,6個持って帰った。 シニアの友に勧める為にも、もっと上手にならねばならぬ。 80の手習い脳の活性化、認知症の予防になるかな。 コロナの外出禁止は、高齢者にとって楽しみのもの作っておく事も重要。
2020年11月14日
コメント(0)
このコロナの蔓延全くどこまで続くヌカルミぞ!だ 一喜一憂の言葉があるが、最近都市部の感染率は2ケタ3ケタだ。 go to なる経済効果を考えての施作も、余計に混乱する。 シニアの会も大山、安来と計画されたが、参加申込していたが、高血圧、糖尿病、肥満じゃコロナのいいエサになり、迷惑をかけることになる。予想するのは、最悪の罹患の状態。 申しわけないが、参加取りやめを決め電話した。 月の世界に手を伸ばす現代、一発で何万も殺せる爆弾作れる現代、全世界がコロナに翻弄されている。 科学の粋を早く発揮してほしいものだ。 高齢者、高齢者と危ないターゲットが向けられると、もうちょっとやり残しがあるんじゃがと力みたくもなる。 人に迷惑だけはかけないように注意しよう。
2020年11月10日
コメント(0)
ミサンガなるもの初めておめにかかった。 しかもとりつかれたようにミサンガハート作りに精をだしている。 親指を使うと脳が活性化するなる文言とコロナなるものに老人がかかると重症化するなる文言が気にかかったからだ。 部屋に籠るのが、世間に、家族に迷惑かけない。 というわけで、会合は全部断ってきた。 気分、気分で老齢を精神力でカバーしてきたが、自ら蟄居したら、消極的になり、老齢化するのが目に見える。これではいけないと、何かをなさねばと考えたのが、認知症予防法を自らの肉体で体験実証してみたいと始めたのが、手先を動かす事で脳の活性化することをはじめることだった。 ミサンガ作りがとても気にいった。 刺繍糸なるものが、いままで仕事で使ってきたのがある。しかし、これでは細い。 まず、糸づくり、糸撚り器でつくると、なんと頑丈そのものになる。手回しで撚っていたが、モーターで何かできないかと考えた。 健康器具を点検。破損して、倉庫にあるものを引き出し、分解。 普通、小さいモーターは、回転が速いが、これはわざわざ遅くして作つくってある。手より機に接続すると、このために作ってあるかという具合に回転がドンピシャリ。改造も多くなく、接合できた。 糸が立派に大きめ、小さめな撚糸ができるようになった。 ミサンガ作りは、コンピューターに親切丁寧に、一杯先輩が教えてくれる。 朝から色とりどりの刺繍糸、しかもパールヨットの最高級品。文句ない。 後は、指先のできぐあい。脳の記憶具合。 間違ったら、ほどく喜び、動かす指が活性化する。何をとっても為になることばかり。 箸を使う事も指先運動になるが、外人と日本人では、効果が違うらしい。 なぜなら、脳みそを使うことで、違うということらしい。日本人は箸遣いはあたりまえでつかってるが、外人は箸でつまむのをおやゆびと人差し指が、など脳を使っている。脳の使い方が違うという。 脳の活性化。認知症の予防。 最近変化があったのは、指先である。 指先が何かカバーを付けたような感じがしていたのが軽減したような気がする。 これは、糖尿の影響であるとお医者さんが言っていたのが、軽減したことでグッドである。 家にヒキコモルなんて気はサラサラしなくなった。 夜おそくまで、ミサンガ、ミサンガである。 コロナなんて何処?。 さて、この喜び仲間に教えたろ。 もっと上手になってからだが。
2020年10月29日
コメント(0)
貴重な体験を生かして 夢にまで見た祖国に帰ってきたのは、11月も末のことでした。 帰国してからは、村中一等兵によって啓発された、 「やる気になって行動すれば、自分の能力は高められる」と言うこの体験を生かすことにより、私は実業化の道を歩み始めました。 シベリアでの貴重な体験は自己の改革となり、無限の能力を引き出しました。 そして、私はこの体験を実践の中から理論づけ、新しい日本の建設のための人材育成に役だたせようと一つの運動に着手したのです。それが現在も続けている「B・Fシステム」であり、一人でも多くの青年に理解していただき、その輪を広げたいと全国を回って、講演を続けているのです。 どんなことでも 「はい、喜んで」といって前向きに挑戦できる人材の育成です。 本気になると 世界が 変わってくる 自分が 変わってくる 変わって こなかったら まだ本気になっていない 証拠だ これは私の敬愛する坂村真民さんの詩です。實ニスケールの大きな、素晴らしい詩であります。 戦後40年ーーーー。 私はB・F(ブライト・フューチャー=輝かしい未来を開く)システムと言う独自の「人つくり」システムの体系化と普及運動に心を燃やしてきました。そして、その真髄というのが、紛れもなくこの「本気」ということなのであります。 人間はだれでも陰気と陽気というものがあります。 私は陰気を黒ボタン、陽気を「赤ボタン」、疑う心やしらけた心を、「黄ボタン」と名づけています。 この赤ボタン、つまり陽気こそが、「本気」なのです。これを万物を育成発展させる太陽に例えるならば、黒ボタンの陰気は、すべてを破壊・衰退させる地獄といっていいでしょう。 すなわち、人間の頭の中には、太陽と地獄が同居していて、内外の刺激を受けて行動しているわけです。 人間の体のすべての調節をしているのは、自立神経ホルモン中枢です。この自立神経ホルモン中枢に黒ボタンの陰気が振れると肉体的活動は衰弱を始めます。 逆に赤ボタンの陽気は血液の循環が良くなり、活性ホルモンが行き渡り顔色は良く目は輝いてきます。 人はこの赤ボタンと黒ボタンのどちらお押すかできまります。 困難や苦難に向かって勇気をもって挑戦するか。または、弱腰でにげだすか。大きな目標に向かって赤ボタンを押す可。なんの目標もなく黒ボタンを押すか。 戦後の人生もまた、荒波、高波、挫折と克服を繰り返すこと何千回ーーー。 それを乗り越えるたびに独自の体験と信念を基礎としたB.Fシステムをより強固にすることができました。 そして、72歳の今日もなお、 「赤ボタン人生こそ、使命寛に燃えて、宇宙自然ノエネルギィを吸収し、自発的な創造性を発揮し、目標に向かって同道と進むことを可能にする」 と全国の若者たちに説いて回るという生涯を貫いておるのです。 志水さんは、酷寒のシベリアに抑留され、生き地獄の捕虜生活の中での、一人の人間との出会いから貴重な「魂」に目覚めた。地獄の中で人間性を失ったものが、己自身の心の中から運命と境遇を創りあげていったのである。 「天のまさに大任をくださんとするや、必ずその人に苦難をあたえむ」という試練を乗り越え 「目標を立ててやる気になって行動すれば、自分の能力は高められる」という悟りの境地とはーー コロナで蟄居。国難をくぐり抜けた先輩を偲び、シベリアの酷寒に思いを馳せた時、9月末昨日。清水さんの息子さんより便り受け、感動窮りなし。 文章の最後がまだあったので、「赤ボタン」の心で筆記しました。
2020年10月01日
コメント(0)
里見忠義の倉吉での活動は、謎の部分が多い。記録がない。 というのも肝心の池田光政治世となり、家老伊木忠貞が倉吉を統治し、里見忠義を管理したのに、倉吉での伊木の記録がほとんどない。 里見忠義は、滝沢馬琴の八犬伝のモデルとまで言われながら、終焉の倉吉にあまりにも記録がないのである。 8年の間倉吉にすみ、5年間は、池田藩の統治の元にいた。伊木長門率いる池田藩一番家老の所だ。 15年間の間、天文の洪水から、確たる治者がなく、荒れたるままの河川を修復し、地名として残る「長門土手」「勝入寺建立」など短時間で実績をあげてるのに、記録としてない。 よっぽどの魂胆があってのことだろう。姫路での徳川の息懸かりの督姫の血筋と前糸姫の子供、光政を始め3兄弟は、差別をうけたようだ。伊木家の記録なしもうなずける。15年後倉吉着任の荒尾も前任の伊木の業績は、気にもしなかったようだ。 大河ドラマに里見忠義をと、千葉から学者、治者が、里見終焉後に調べに大挙してきて、おおくの推察事項を発見した。だが、千葉の方で新聞連載の里見主従の倉吉事情をみれば、池田幸隆が、米子の家老池田由之を呼んで、里見の扱いを相談してる。しかし、由之は因伯国替え途中に大小姓神戸に殺されていない。子供の由成が家老で、この処置も伊木忠貞がなしており、伊木家老の存在がぬけている。 作者が聞きに行った倉吉博物館では、里見のことは図書館にあるんではと確たる伊木の証を示さないから間違った。 伊木家は、織田信長の臣で、池田家が侍大将組閣から、忠次が重臣として参加、忠繁は、姫路城の普請奉行、3代忠貞は幼年なるも伊木半兵衛なる初代からの老臣が、がっちりと守っていた。 只、備前での伊木忠貞公の川崎での幕府からの茶会での毒殺事件は、どこまでの事なのか、その後のいきさつなど、同族であれば、荒尾の時代倉吉で、伊木の記録は、そっと閉じられたのかもしれない。
2020年09月22日
コメント(2)
大将たる者は、全軍を率いて、相手にぶっつかり、勝たねばならない。 部下が信頼し、大将の為なら滅私奉公、命もささげるという位の雅量が必要だ。 誰でもその素質があるものではない。 持って生まれた素質があるものだ。 志したら、切磋琢磨せねばならない。 天から降っては来ない。 理論ならだれでもいえる。 黙ってても側にいきたくなる品格が必要だ。
2020年09月15日
コメント(0)
里見安房守忠義公の歴史は、おぼろげながら、倉吉に房総から国替えで来られ遺構も整えられ、観光面でも武者行列など実行され、千葉との交流もなされるようになりました。 大河ドラマにだそうとの思惑もあり、かなりの運動もなされております。 しかし、倉吉での里見忠義公の存在は、大名から、池田藩の預かりの身になった時の倉吉家老の伊木忠貞の存在を抜きにして、物語ろうとするから、ちんぷんかんな里見物語になってしまっています。 市役所の前の看板にも、いきなり、岡山池田との国替えの荒尾からはじまって、伊木時代の15年間は抜けていますので、房総のほうで、倉吉での里見忠義の生きざまをしらべてもちんぷんかんのことしか分からないのです。 大河ドラマ推奨の作家が、里見忠義が、伊木家家来に槍でつつかれながら、前大名屋敷を追われ、下田中の辺鄙屋敷に移ったと推察して小説化しています。倉吉の博物館にしらべにきたら、埴輪や土器などばかりで、里見の事は分からなかったといっています。 伊木忠貞も当時6歳ですが、姫路城城代普請家老の伊木忠繁の子供です。 伊木家初代忠次は織田信長の臣から、池田家創成にまわされた雄です。その甥で三木、姫路の普請の責任を負ってきた伊木半兵衛。初代2代3代と伊木家を補佐していますから、伊木家は磐石です。 池田家の姫路から鳥取への左遷の身と里見家の江戸湾からの追放の身を重ねてみるになんら変わらぬあわれさをも感じたことでしょう。 あえて記録にないは、半兵衛の心意気です。 勝入寺、長門土手の建設は、姫路城普請を現場で指揮してきた半兵衛には、殊の外安易ではなかったでしょうか。ほとんど今の姫路城の骨格に池田輝政時代になされたようで、暴れん坊将軍の江戸城は姫路城です。 姫路城を追われた池田、姫路にきた本多は房総の大多喜城主で、里見家を見張りに行き、滅亡を見届けた徳川重臣、豊臣秀頼の嫁だった千姫が嫁になっており、千姫の子勝姫は、池田光政の正室になるという複雑な因果があります。 岡山池田の第一家老で、岡山雄藩にしたてた伊木忠貞、それを育てた伊木半兵衛のマル秘は倉吉のどこにありましょうか。
2020年08月30日
コメント(0)
記憶に残る戦歌に「どこまで続くぬかるみぞ!」と南方で進軍されてた兵隊さんの歌がありました。 いま、そんな気持ちのコロナ騒動です。 実態が明らかにならぬまま、経済、生命の両立に、ひずみがあちこちに、音をたてて鳴り響き、喧々囂々状態です。 語る人の言い訳もっとも。最悪になったらどうするは、やってみなくちゃわからん。 朝の番組でも、もっともご意見。 感染したら、高齢者は即重体化。その覚悟はせずにはおかれまい。 若い人は、感染しても、体力ではねのけれる。 この差が、意見を対立させてる。 早くコロナの実態を明らかにしてほしい。 それまだ高齢者は、待期。
2020年07月15日
コメント(0)
新型コロナ問題は、なかなか収まりそうもない。 感染数が東京を始め、数が増加の傾向です。 手洗い、マスク、三密を避けよ位で、対策のしようもない。 経済活動と防災との両立もなかなかむつかしい。 トップの判断も、過去、未来を判断しての現在をかんがえねばならず大変のようだ。 特に予定は未定にして、コロナの動向に勘案しなければならない。 講習会を先週計画した通りに、来週から実行するという。 先週計画した時は、コロナと付き合って経済活動しようとの動向だったが、昨日の段階では、感染経路がわからぬ多数の発生を若者にみている。若者に発症はないが、これが、高齢者への感染が始まったら、重症段階になり、医療不足につながるだろう。 勇気をもって、講習会を先に延ばす決断がトップにあってほしいものである。 参加を拒否したら、臆病段階でしかうけてないようだ。 撃ちてし止まん。勝つまでは。 俺だけは大丈夫だけでは、もう通用しないようです。 蛮勇は血圧にも悪いようです。
2020年07月13日
コメント(0)
2020年06月28日
コメント(0)
平均寿命が長くなったので、目立つようになったのが、認知症の存在です。 生命保険のパンフレットを見て、自分がその只中にいることをしりました。 厄介なものです。生きるということには、いろんなことがつきまとうんですね。 戦時中は、爆弾に驚かされ、平和になっては、コロナが蔓延し生命を驚かし、黙っててても、自分の脳が変調を来たすなんて、じっくりと認知症なるものを勉強させてもらいました。 65歳以上、2012年約462万人の認知症、これは、7人に1人。 これが 2025年約700万人に認知症、これは、5人に1人。あくまでも予想であるが。 だれもが、候補になりうることらしい。 若年性認知症は、65歳未満で平均51,3歳だそうです。子供もまだ勉強中で、働き盛りで仕事ができなくなっては、家庭が悲劇におちこみます。 シニア年齢で、若年の悲劇は通過したものの、若者たちには大変なことです。 原因解明はいずれなされ、対策がなされるだろうが、宇宙まで手を伸ばし、染色体まで操作する時代でも、脳内の操作には、むつかしいのでしょうか。 救われるのは、一遍に認知症になるのでなく、時間をかけて発症するらしい。そこで、症状にきずいたら、適切なケアをしたら、26%が回復することも事実らしい。 一番身近な自分の脳だ、自分の責任でケアをしてみよう。 人生100年時代といわれる今、ボケてちゃもったいない。
2020年06月25日
コメント(0)
全くコロナの風評は、シニアの生活も検討がつかない。 それでなくとも肺炎は、気をつけねばならぬシニア、コロナが狙うは肺ときている。 マスクをつけて防御できるわけはない。何しろ見えないからやっかいだ。 外出をひかえよというが、家の中でやることもそんなにあるものじゃない。 かといって、人のいない河原散歩も、安心した時にできるもので、不安定な時は、散歩する気分はでないものだ。 これが、全世界での蔓延だから驚く。 今までの歴史で、何回か世界的なものがあったようだが、科学が進歩して、宇宙、染色体まで操作できる時代になっての事での事件。驚く。 熱中症と加算して、なんだか頭が痛いように感じ、気が気でない。 経済活動と防除活動が相半して、生活圏も変形しようとしている。 やけっぱちな行動の世界のニュウスが、テレビで報道されてる。テレビ見てたら、余計にコロナ漬けになり、憂鬱になる。 加齢者は用心し、みなの足手惑いにならぬようにせねばならない。 人同士の諍いを始める国もまだある。よくよく業の深い指導者もあったものだ。 目覚めねばならぬ時期、はやくコロナの浸潤を止めねばならぬ。 醜い指導者は、無視される時代にならねばならぬ。
2020年06月18日
コメント(0)
お便りいただきました。 ありがとうございました。 目下いそがしいので6月頃又詳しくお手紙だします。 お手紙はどんどんください。 奥様に宜しく お元気で 5,4、27 「炎を洗う」「コーヒー野郎」の黒瀬さんの書籍を、母親が送ってくれた。 それで、黒瀬さんに便りをしたら、返事をいただいた。 平成5年のもう昔のことです。 その時は、本当に大忙しの時だったようです。 次に送っていただいたものは、青森県津軽郡の小学校の文集でした。「中村久子先生の一生を聞いて」と題するもので、黒瀬さんが講演した時の感想を6年生の児童が書いておくったものでした。 平成4年10月17日に青森で「中村久子女史の生涯」の講演を依頼されてお話しになられました。 それを聞かれた先生が、ぜひに小、中学生にも聞かせたいものと尽力され、平成4年11月30日に、小学校の講堂に招いておこなわれました。 黒瀬氏は、平成4年に10月と11月続けて、青森に大阪から出かけて、中村久子女史の講演にでかけています。そして、小学校の生徒さんが、感想分をしたため、担任の先生がそれを郵送しました。 その感想文にいたく感激し、文集を作り残しています。 これが平成5年の1月31日。忙しいので6月ごろ又手紙するとあったのはこの作業の時だったようです。 文集の誕生について 巻頭言に、青森に2回行き、小学生の感想が、送られて来て、黒瀬さんの奥さんが読んでいくうちに、これほどまでに熱心に聞いてくださったのかと、非情に感心して、4回も読み返されたとあり、読み終えた時はもう夜が明けていたそうです。本人もこれほど感銘あたえたものなら、プリントしてのこすべきと小冊子にまとめたそうです。 文集の中の担任の女先生のお礼と、講演の情熱に圧倒され感激し、あの溢れるエネルギーはどこから来るものか、子供たちもびっくりしてたこと、心にしみて感激してたことと生徒の感想文がつらねてあります。 今東光の弟子であり、丁稚、炭鉱夫、職工、兵隊、闇商人、コーヒ業と豪胆な職歴で、18人の女性をお世話して、その方方の1人か2人の子供さんたち28人を大学まで卒業させ成人させた豪快な男が、心底、人間・中村久子に心酔された西海の快男児像が黒瀬昇二郎です。
2020年05月21日
コメント(0)
「お前は無理だよ」と言う言葉を聞いてはいけない。 もし自分でなにかを成し遂げたかったら、 できなかった時に他人のせいにしないで、自分のせいにしなさい。 多くの人が、僕にも、お前にも「無理だよ」と言った。 何故なら、彼らは成功できなかったから。 途中で諦めてしまったから、だから君にもその夢を諦めてほしいんだ。 不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだ。 決して諦めては駄目だ。 自分のまわりをエネルギーにあふれ、しっかりした考え方をもってる人で固めなさい。 自分のまわりを野心であふれ、プラス思考の人で固めなさい。 近くに誰か憧れる人がいたら、その人にアドバイスをもとめなさい。 君の人生を考える事ができるのは君だけだ。 君の夢が何であれ、それに向かっていくんだ。 君は幸せになるために生れてきたんだから。
2020年05月18日
コメント(0)
コロナの特集を見た。 宇宙、深海、ゲノム、等々、科学の進歩著しい。だのに、コロナウイルスのように世界を震撼させる見えない恐怖もやってくる。 まだまだ試練はやってくるようだ。 高血圧、糖尿病、肥満は、ウイルス感染の重症標的のようだ。 せめて、騒動の増幅にだけは、加わり迷惑かけじとシニアは、在宅を決め込む。 扨てなにかやることは、と探してたら、書類の中から、関西建築家の若い時励まして頂いたのがでてきた。 金儲けの前に人儲けと思いますので、よき人と多くめぐりあわせることがすばらしいと存じます。とある集団を紹介していただいた。その中にチラシもはいっていた。新鮮に心に響く。1、迷ったら、コインを投げてうらなおう。 表が出たら、やる。 裏が出たら、止めない。 あなたの持っているコインの表には、「GO(進め)」と書かれています。あなたの持ってるコインの裏には、こう書かれています。「DONT STOP(止まるな)」成功者が、人生を占うコインは、どちらも表です。裏はないのです。あなたのコインはどちらも裏になっていませんか?コインを2枚貼り合わせて、どちらも表のコインを作りましょう。2、今やれることをやってると、運は向いてくる。 どんな時でも今やれることがあるはずです。とりあえず、今やれることをやるのです。そうすることによって、運がむいてくるのです。またできないことばかりに気を取られて、今できることをしないでいると、いつまでたっても運はむいてきません。恋人がいない間に、一人でしかできないことをしておくのです。今やれることは、今やっておかないと、やがてできなくなるのです。
2020年05月17日
コメント(0)
全1788件 (1788件中 1-50件目)