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2011.10.02
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カテゴリ: 読書記録
【0】はじめに
 本章での目的は、ヘーゲル論理学(所謂弁証法)の骨格を掴むことである。そのために、認識における他の方法論に対する批判とそこから見出せるヘーゲルの立場性、そしてその欠陥を明らかにしていきたい。

【1】ヘーゲルによる認識における他の方法論への批判
(1-0)本項の目的
 ここでは、客観的事実を把握するための方法論を幾つか挙げ、それらに対するヘーゲルの批判とその理由を対置させていく。
(1-1)古い形而上学について
 まずは、古い形而上学について扱っていく。カント以前のドイツの古い形而上学やデカルト、スピノザ、ライプニッツなどの合理論がそれに該当する。事象について特定の規定を理性によって下すことによって真実にアプローチするという立場性を持つ。これに対するヘーゲルの批判は、現実の世界が対立した諸規定が連関しあう全体であるにも関わらずその相関関係を見ずに固定的な規定のみを真実と見做すのは一面的であるということである。
(1-2)経験論と批判哲学について
 次に挙げられるのは、経験論と批判哲学である。前者はロック、バークリ、ヒュームなどのイギリス経験論、後者はカントの批判哲学などである。
 経験論では、真実は現実のうちにあり且つ知覚されるものであるという立場性が取られる。これに対しヘーゲルは、真の認識は多くの要素の分解物である個々の知覚の分析にとどまらず更にそれらを再結合することであるにも関わらず、後半部分を全く見落としていると批判している。
 批判哲学では、現実世界の普遍的な諸関係や諸規定は自我もしくは主観に由来するという立場性が取られる。これに対しヘーゲルは、人間の認識能力には限界があり普遍的な諸関係や諸規定は客観的事実に由来していると反論している。
 これらの二つの批判に共通して見られるヘーゲルの立場性は、個別具体である実在と普遍抽象である思想とを切り離すと相関関係を扱うことが出来ず、個々の事象の間にある自立性とそれらの結合関係を捉えることが出来ないというものである。
(1-3)直接知について
 最後に俎上に上がるのは直接知である。経験論や批判哲学の反動として登場した思想である。ヤコービやシェリングらがそれに当たり、現代の哲学では実存主義に近い。
 その立場性は、真実は経験という媒介を拝した直接知によって接近できるというものである。これに対しヘーゲルは、人間の認識は如何に直接的であれ、何らかの媒介もしくは人生経験が間に存在すると反論している。これを通してヘーゲルは直接性と媒介性との関係そのものを問題にしているのである。

【2】ヘーゲルの立場性
 以上の批判を通じて明らかになったことは、ヘーゲル自身の客観に対する思想的態度=弁証法的世界観である
 その立場性とは、現実の世界が対立した諸規定の連関しあう全体であるということと、そしてそれを認識するためには分析をするに留まらずそれらを客観的事実に基づき再結合しなければならないならないということである。

【3】ヘーゲルの認識=弁証法的世界観の持つ欠陥
 ヘーゲルの弁証法的世界観では、世界の本性を精神的なものである一方でその認識は客観的事実に基づくとされる。その認識に基づくと世界の運動が精神的なものに成り代わってしまい、主観と客観が混同してしまう。





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最終更新日  2011.10.03 01:03:51
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