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末娘、ということは我が家にとっても小学校最後の運動会。ただ今高2の長男が小学校入学以来十数年間絶えることなく、最盛期は4人の子が同時に出場した運動会。感無量ではあります。本日のベストショット。父が撮ってくれました。こんな場面、二度とないだろうなあ。。。
2008.05.25
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昨日、次男小学校卒業。こいつが小学校に入学した時のことははっきり覚えている。というより、ちょうどテレビ局が我が家をずっと取材してくれていた年で、だからこの子の入学式当日も朝早くからカメラがスタンバイしていて、ベットから起きるときから映像が残っている。オンエアもされたし、テレビの映らない我が家のためにビデオも頂戴し、何度か見返したので忘れようがない。ランドセルの事を聞かれ、「僕のランドセルはビニール。だから安いよ。でも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、牛皮。」当時、ハード貧乏の絶頂期。あまりにも率直なコメントに血の気が引きましたが(笑)(それに大体、いつ、そんな話を聞かれてしまったのでしょう。。)その直後、「だけど、軽いから僕はビニールのほうがいい。」ときっぱり。そして、「これはピューマ!(PUMAです。)」と、誇らしげにプーマの筆箱を差し出します。親父の僕より巧みに脱走した鶏を捕まえ、「ヘーイ、コッコちゃん残念だったねー」と、ポーズを決めたり、鶏の解体教室で、僕が解体の薀蓄を述べてる横で、末娘と鶏の脚を使ってじゃんけんしてたり(笑)。。。これらすべてオンエアされました。(笑)こいつがもう卒業。あっというまの6年間でした。頭の回転も速く、独創的でしかも器用。図画工作の分野では既に僕はもうかないません。ギターもだいぶサマになってきました。これからの3年間でどう伸びてくれるか、非常に楽しみです。そうそう、この日送辞を読んだのが5年生の末娘。こういうのもなかなかないのではと思いました。
2008.03.22
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卒業式まで厳封。当日子供たちに渡すので、なにかメッセージをと、長女の担任からの通信。便箋と封筒まで用意してある。珍しく女房に通信を読めと言われ、ナルホド、粋な企画だと感心したら、じゃあ、父ちゃんお願いね!何が「じゃあ」なのかさっぱりわからないが、こういうときの女房は非常に狡猾で、娘の目の前ででかい声で念をおす。僕としては引き受けざるを得ない。でもね、この3年間殆ど会話らしい会話もしていない僕に何が書けるのか?難問!期限は明日。
2008.02.27
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小5の次女は4人兄弟の末っ子でもある。まあ僕は大体に子煩悩だけど、末っ子で女の子ということで生まれたときからそれはもうまさに目の中にいれても。。状態。そのせいかな?? 子供というより、早くからよき相棒のような存在。寒さで震えながら外の仕事から帰った時、すっと熱いお茶を差し出してくれるのは女房ではなく、この末娘。汗だくになって帰った時にはタオルと冷たいお茶を用意してくれている。せめてこのくらいの気は遣ってくれと結婚以来女房に発し続けた信号が、女房を素通りしてこの子に届いたかのようだ。(笑)陽気なおしゃべり娘でもあるので、一番会話の時間も長いかもしれない。凹んでいた時期も、幾度この子の陽気なおしゃべりに助けられたかわからない。かっこいい親父でいてやんなきゃなあと思った次第でした。そういえば、タイミングの良さというか何と言うかそういう相性というのもあるのでしょうか。例えば、屋根の上で作業してて何か落としたとき、おーい、誰かとってくれ~なんて声をかけると、必ずこの子が登場。逆に、この子が自転車で溝にはまった時、どんぴしゃのタイミングで車で通りかかり助け出した事もあるし、発作で泡吹いてぶっ倒れた時も僕はすぐ傍にいて、救急車を呼ぶことが出来ました。だから、この子のピンチのときは必ず傍にいてあげられるという妙に確信めいたものが僕にはあるのです。
2008.02.25
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春から愛農学園に行く長女です。何年か前の誕生日に女房が買い忘れたローソクの代わりに仏壇のローソクを立てることを提案して以来、ぷっつりと口をきいてくれなくなった長女です。(笑)まあ、それが原因というわけではなく、そういう年頃だったのでしょう。中学に入るまでは、最高の僕の助手だった長女です。種まきも、草取りも、味噌作りも、大工仕事も。ですから、極端な態度の変化にはちょっと参りました。最近、やっとまた普通に話せるようにはなってきてますが、愛農の体験入学に行ったのが契機だったような気がします。ここでちょっと、僕に対する見方が変わったのかもしれませんし、むしろ、自分自身の殻が破れたのかもしれません。小6の頃、盲腸で入院して、僕はその頃この楽天日記を付け始めた頃で、最初のネタになったんじゃないかな。そういえば、小学校の3年か4年の頃、散髪している女房のハサミを横取りして、バッサリ前髪切って、当分口をきいてもらえなかった事もありました。(笑)頭が良くて気も利いて、その分、超ビンボー時代につまらぬ気苦労をさせたかなあと。。自分だけの部屋が欲しいという希望もとうとうかなえてやれなかったし。あと2ヶ月足らずで、遠くで寮生活。感慨無量。
2008.02.16
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愛農高校から通知が届いたと、携帯に女房からメール。仕事帰りに、合格祝いのショートケーキを買って帰りました。喜ぶ顔を思い浮かべながらあれこれケーキを選ぶ時間、実に幸せな気分に浸れました。
2008.01.31
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地元の新聞の鈴木三重吉賞という作文のコンクールに末娘が入賞。掲載されました。タイトルは「自慢の味噌作り」思わずガッツポーズ(笑)まあ、作文そのものはなんということもなく、先生も随分手直ししてくれたのだろうなあなんて思いますし、事実とは違うところもあって、特に製造については一言相談してくれてもよかったのになあなんて思ったり。自家用として書いてあるので、まあいいかと思ったり。それでもあちらこちらで、読みましたよなんていわれると「大豆は無農薬ではないですよ」なんていちいち頭を掻きながら。。末娘は保育所時代から味噌も餅も重要な戦力としてがんばってくれています。その子が今もそのことを理解しようとし、作文にも書いてくれた。親父としては唯ただ、感謝のみです。
2008.01.26
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髄膜瘤ではありませんでしたと、長男の担任からの電話。ほっとした。ラグビーやってる長男から背中に瘤が出来たと電話があった後、担任の先生から連絡。病院に行ったところ、長男は普通の人とは違い、脊髄が閉じていない二分脊椎というもので、今回、髄膜瘤の恐れがあるので、MRIの受診を薦められた云々。。二分脊椎?? 普通の人と違う?? えらいあっさり言うけど、それは結構大変なことなんじゃないか?ナドナド頭に浮かびましたが、とにかくよろしくお願いしますと電話を切り、web検索。調べていくうちに、冷や汗タラタラ。ラグビーどころか、歩行できるかどうか。それに大体、これまで、陸上をよくやってこれたものだ。。こりゃはっきりするまで誰にも言えんと、女房にも、詳しい事は教えませんでした。結局、二分脊椎でもなく、単純にラグビーの練習で激突した際の内出血とのこと。一安心ではありました。しかし、この間、髄膜瘤はともかく、長男は二分脊椎という先天の障害をもっていたのだということは事実として受け入れかけていました。なんせ、二分脊椎については、診断した医者の解説図まで送ってもらって、疑いではなく、事実として伝えられましたので。ですから、それは認めた上で、そういう障害をもちながらこれまで普通に運動してこれたのは非常に幸運だったと思おう。問題はこれから先、運動好きの長男が、なんとか運動を続けられたら。。そんなことをあれこれ考えておりました。今回、それも杞憂であったということですみましたが、それにしてもこうして家族が皆健康でいられるということがどんなに多くの偶然に支えられてのことなのか、改めて考えさせられたような気がします。月並みではありますが、今できることを今精一杯やんなきゃなあと。。ほんと、それしかないですよね。
2007.12.12
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愛農高校に行っている長男から手紙が届いた。絵葉書だ。細かい几帳面な字でびっしり書き込んである。「お父さん、ラグビー部に入ることが決定しました。」わしはお父さんじゃない、父ちゃんじゃと一人ツッコミをいれつつ、そういやこいつから手紙を貰ったのは初めてだなと思う。もう、試合に出るそうだ。このあたりが小規模校の良い所だと思う。競争を勝ち抜いて勝ち抜いてやっとレギュラーを確保するというのもいいと思うが、いきなり不相応な期待とチャンスを与えられて、それに応えようとして必死にがんばるというスタイルのほうが僕は好きだ。5月には公式戦も始まるそうで、だから、GW帰省時にも練習をしたいので、ボールを買ってくれないか。。ついでに練習に付き合ってもらえると嬉しい。。こいつはラグビーボールがいくらするか知っているのかとボヤキツツも結構嬉しかったりする。実は僕は昔、ほんの短期間だけどラグビーをやっていて、かなりハードな練習もこなした。そのことは長男にも伝えてある。20数年ボールには触ってないけど、なんとなく今すぐにでもできそうな気がするから不思議ですね。若いころに必死にやったことというのは何年ブランクがあってもすぐに取り戻せそうな気がする。と、いうことでボールを買っておくことにしました。(笑)キャッチボールはともかく、ラグビーまで一緒にできるようになるなんて思いもしなかったものな。さて、最後に、毎日が楽しくて、帰ったら日記を見せるので楽しみにしてくれと書いてある。こいつは親に見せられるような日記を毎日つけているのかと可笑しくもなりましたが、本当に楽しくてたまらないという様子がよく伝わりました。よい学校とご縁ができ幸せだと思います。さて、フルマラソンの関節痛もだいぶ良くなりました。GWに備えて、トレーニングもぼちぼち再開!ボールも早めに調達して、コソッと練習もしておきましょう。(笑)
2007.04.25
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長男、本日中学校卒業。今朝の「いってきます」の声を聞いて、ひょっとすると、こいつの学校へ「行っています」を聞くのは最後かもな、なんてちらと思いました。馬鹿がつくくらい、デカイ、元気な声のいってきますを、保育所時代からこれまで、何回聞いたのでしょう。中学に入り、急にその声が小さくなり、何にも言わずに出て行くようになったのが、中2の初め頃かな。だんだん眉毛が細くなり、ズボンもずらせはじめて、目も少し暗くなった。丁度その頃、女房に暴言を吐いた長男を僕は生まれて初めて張り倒し、フルマラソンの会場に向かったのでした。その意地だけでボロボロの状態で、初挑戦初完走。3年になって、だんだん声も出るようになり、愛農高校への進学を決めた夏休み頃から、眉毛を剃るのをやめ、表情も明るくなり、それなりの声での「行ってきます。」が復活したのでした。今日の卒業式は良かったなあ。こいつはつくづく、級友や、先生に恵まれたと思います。本当に良い中学校に恵まれました。困ったのはこのもうろく親父の涙腺の脆さ。終始泣きっぱなし。(笑)もともと、こういうのにはからきし弱いタイプでしたが、今日はひどかった。どう考えても、みっともないので、一生懸命頭の中でくだらないこと考えようとしたのですが、効果なし。まあ、悪い涙ではないので、良しとするか。。。こいつが巣立っていくまで、残り1月。出来るだけのことを。
2007.03.10
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今、病院で,診察待ちをしているところです。今日は、血液検査と尿検査,多分、どちらも異常なしということになるのだろうと思います。この病院は、インターネットが自由に使えるようになっています。痙攣、てんかん、などで,片っ端から検索をかけ、かなりの情報収集をしました。結局、高熱時の痙攣以外は、よくわからないのだなあ、ということがわかりました。次回のMRT,脳波の検査で、明らかな異常が出れば、「てんかん」ということになるのでしょうが,出ないからといって,100パーセントそうではないと、いいきれない。一度でも、発作のあった人は、全く無い人より、二回目のおきる可能性は、いくらかは高いのでしょうが,では、そのために、発作を予防する薬を飲みつづけるべきかどうか。。。そういう選択になるということのようです。娘は、いたって元気で,「泳ぎたい」などと、ほざいていますが、今日の診察次第では、少し泳いでみてもいいかなと思っています。それにしても、今回、実に、多くのことを考えさせられました。自分がこうして元気でいられるということが、それだけで奇跡的なことであるし、ましてや、家族が揃って、元気でいられるということは、奇跡かける人数分の、とんでもない奇跡であると。。。いかに、ありがたい状況に、今、自分は、いるのか。。。とりあえず、それだけは、確かなことなんだと思いました。
2006.08.11
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小4の末娘が、突然倒れ、救急車で運ばれました。今朝のラジオ体操。寝起きが悪く、ぎりぎり間に合った娘が、自転車を降り、僕のそばを通り過ぎるとき、突然倒れました。駆け寄った時、仰向けに倒れている娘の頭のすぐ脇には縁石。白目をむき、手足は硬直、失禁。縁石で後頭部を強打したのが原因と思った僕は、すぐに、救急車を呼ぶよう、頼みました。たった二軒でのラジオ体操ですが、相手のお母さんはいつも参加してくれますし、僕もほぼ毎日参加するようにしています。お母さんは、的確に連絡してくれた後、すぐにそばにより、一緒に介抱してくれました。お母さんの角度からは娘の倒れる様子が良く見えたそうで、立った状態で、意識を失い、その後倒れ、縁石はぎりぎりで掠め、後頭部は打っていないとのこと。じゃあ、原因は?? とにかく、なにをすればいい??僕がしたのは、手を握ること、身体をこすること、名前を呼ぶこと、顔を横にして、吐しゃ物で、器官をふさがないようにすること。口に手を当て、呼吸を確かめたり、脈を取ったりなんて、思いつきもしませんでした。幸い、すぐに意識を回復したので、ほっと一安心。先ほど、とりあえずの検査を終え、帰宅しました。今、娘は、何事も無かったかのように、アニメを見て馬鹿笑いしています。随分、いろいろなことを考えました。また、落ち着いたら書くことにします。
2006.08.09
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中3長男のこと。こいつは、小さい頃から走るのが得意。中学も、かなり期待されて陸上部へ。ところが、いきなり、ひざの故障。大きな病院をいくつも回り、手術こそせずにすみましたが、ほぼ、一年間、まともに練習できませんでした。その間に、どんどん周りにぬかされ、2年生でやっと走れるようになったときは、大きな大会では、補欠に回されることが多くなりました。勉強はあまり得意ではなく、そのくせ、くそまじめなところもあるので、相当な苛立ちを抱えていたのだと思います。眉毛を剃ったり、ズボンをずらしたり、ことあるごとに女房につっかかていました。女房への暴言が、聞き捨てならず、一度、本気で、張り倒したこともありました。息子も大きな大会の当日、僕も、フルマラソン初挑戦の朝のことでした。その時の様子はこの日記にも書きました。学校へ車で送れと息子が駄々をこねたのが発端でした。ここの中学校の父兄は、実にこまめに送り迎えをします。特に、陸上部は、その傾向が強く、自転車で行くと、その日の記録に差しさわりがあるとでもいいたげな様子でした。練習も華美?で、予算一人数万円の県外での合宿が、年数回。特に必要があるとも思えない県外の遠征や、応援、なんてものもあります。僕には、とても健全な中学生のクラブのあり方とは思えませんでした。どうしても合宿がしたければ、学校の体育館で、自炊してやればよろしい。なんで、この山の中から、わざわざ、よその県の山の中まで、バスチャーターして、数万円かけて合宿せんといけんわけ?そういえば、高校のクラブとの合同練習がありました。20数km離れていて、送迎をお願いしますとのことでした。釈然としないまま送っていきましたが、なんと、野球部の連中は、一列になって、自転車で高校に向かっているではありませんか。聞けば、野球部も合同練習をするということ。「これが、ほんまじゃ」と思わず叫んでいました。彼らにとっては、高校球児との練習もさることながら、往復50km近いこの自転車の道のりが、とても有意義な経験になると思うのです。事故のことなど考えると、この野球部の顧問の先生は、相当な勇気が必要だったと思います。それに、練習の効率のことだけを考えれば、車での送迎が正解なのでしょう。親の力であれ、なんであれ、利用できるものはすべて利用して、練習の設備や、道具も、最高のものを準備して、少しでも記録のアップにつなげるという考え方もあるとは思います。でも、僕は、中学校のクラブは、プロ選手の養成所ではないと思うのです。それで、他人がどうであれ、我が家では、大雨、大雪、高熱、骨折等、自転車では危険と思われる正当な理由が無い限り、絶対に送り迎えはしない!それがいやなら、クラブはやめろ、ついでに学校もやめてしまえ、と宣言したのでした。書いていて情けなくなりますが、ちょっと、実績のあるクラブとか、リトルリーグとか、少年サッカーのチームとか、大人が異常に過熱しているスポーツクラブではありがちな話だと聞いています。前置きが長くなりました。実は今日、雨も強かったし、時刻も7時半で、暗くなっていたしで、2年ぶりくらいに、迎えにいって見ました。駐車場にはずらりと迎えの車が並び、帰ってきた子供たちが、次々車に乗り込んでいきます。そんななか、大雨の中を、息子は、ただ一人、まっすぐ、離れたところにある、自転車置き場にむかって歩いていきました。僕はそっと、軽トラでついていきました。まあ、たしかに、この状況で、いつも一人だけ自転車で帰るのはつらかっただろうな、なんて少し思いながら。。僕に気のついた息子は少し驚いたようでしたが、「ありがとう」と言いました。いや、親バカです。すいません。まあ、でも、嬉しかった。
2006.07.23
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中ニの長男が修学旅行から帰ってきました。行き先は東京です。ディズニーランドにも行ったそうです。修学旅行の行き先としてのこのプランはどうもしっくりこないものを感じますが、子供は単純に飛行機に生まれて始めて乗ったと嬉しそうです。まあ、それはいいのですが、こいつが家族のためにお土産を買ってきました。当然といえば当然のことですが、この馬鹿息子の最近の様子からそういう気遣いさえも出来ないかもしれないと思っていたのです。テーブルの上に広げられたお土産の大半が家族のものだと聞いて正直少し驚きました。大してうまくも無いそのおまんじゅうを家族で食べながら、「なるほど、こいつも家族に土産を買ってくるようになったんだなあ。」なんて冗談めかしていいながら、ちょっと涙が出そうになりました。(笑)不意にこの馬鹿息子のよちよち歩きの頃が浮かんできたからです。ちょっと、モウロク親父のエピソードぽくもありますが、まあ、たまにはこういうこともいいかなんて思っています。
2006.02.17
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中一長女の誕生日。我が家では子供の誕生日は必ず女房がケーキを焼きます。昨年は、墓参り用のローソクをこのケーキの上に載せようと提案して大顰蹙を買いました。(笑)女房と娘があれこれこのケーキを前に言い合ってました。聞けば上に載せるローソクの数が足りないとのこと。娘は半べそをかいています。この気持ちは僕にもわかりました。僕も昔、自分の誕生日の夕食がインスタントラーメンだったことがあって、かなり傷ついたことがあります。(笑)ですから、墓参り用のローソクを使おうと提案しました。これは少し大きいので、10歳分ということにして、残り3本を普通の誕生日用のものにしよう。数も足りるし、ケーキに穴もあまりあかないし、一石二鳥じゃないか。娘を慰めようと、まじめに提案したのです。しかし、気がつくと娘はボロボロ涙を流しているし、女房は僕を無神経だと攻め立て、いつのまにか娘の肩を抱いて慰めています。。。今年はちゃんと誕生日用のローソクを買って帰りました。我ながら健気なものです。(笑)
2006.02.16
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