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五十代 0
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M君はクルマにもかなり興味を持っていたがクルマの免許は持っていなかった。バイト代が生活費に消えなければクルマの免許も直ぐに取っていたのだろうが・・・。
2012.06.03
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M君の下宿にはレコードプレイヤーがありいつも私の知らない洋楽がかかっていた。邦楽では「憂歌団」を教えて貰った。
2012.06.02
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M君はアコースティックギターを持っていて暇さえあればレコードを聞きながら一人セッションしていた。私はそれを子守唄によく昼寝をさせて貰った。
2012.06.01
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大学の近くに下宿していたM君の趣味は多彩だった。ギター、レコード鑑賞、クルマ、空手、女・・・。M君は殆ど授業に出ないでアルバイトで生活費を稼いでいた。
2012.05.31
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二年目の一年生は授業も疎らで昼間に時間の空くことが多かった。そんな時は大学の近くのM君の下宿に遊びに行く事が多くなった。
2012.05.30
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二年目の一年生は落とした「必修の授業」と好きな「選択の授業」を受けるだけだったので昼間も自由な時間が益々増えた。火曜日はスヌーピーは授業が無かったので私が休講で授業が無くなるとクルマでスヌーピーのアパートまで遊びに行った事も何回かあった。今考えると電話もしないで片道90KmのM市まで行ったのだから若かったね・・・。
2012.05.29
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大学の試験と言うのはどこの学部でもカンニングするのが通例となっていたようだ。一年生の時は不正をするのが嫌でカンニングはしなかったが留年させられた時にカンニングでも何でも「単位を取らなければ負けだ」と悟った。授業も出ずに勉強もしなかったのだから試験で出来る訳が無かったのだ。
2012.05.28
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N君と同じ学部で受けた「ドイツ語」の授業は残念ながらN君と一緒では無かったが試験の時には「助け紙」が私の所にも回って来た。しかし、私は単位だけ取れれば良く、いい成績は必要無かったので隣りにスルーパスした。
2012.05.27
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一年目は「ドイツ語」の授業もサボり勉強は殆どしなかったが必修単位だったので二年目は少し真面目に勉強した。発音は兎も角、読むのはローマ字と殆ど同じで訳すのも英語と同じような構文だったので単語さえ覚えれば試験はそこそこ出来た。「Ich funbarte der unch」なんてね。
2012.05.26
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N君と同じ学部で受けた「ドイツ語」の授業は残念ながらN君とは同じクラスでは無かったが小説を読んでいく授業で面白かった。
2012.05.25
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選択授業の中国語はN君と一緒に受けたが週に一度しか無い授業では殆ど身に付かなかった。N君から「序数」という物を教わった。
2012.05.24
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「留年」した年は「数学」の単位と「ドイツ語」の単位を取るだけで良かったがN君と同じ学部の「ドイツ語」や「中国語」も余分に取った。
2012.05.23
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「留年」した事を親友のN君に伝えるとN君「俺もなんだよ」と言ってきた。優秀なN君なので冗談を言っているのかと思ったら本当の事だった。私は全然勉強しなかったので留年は仕方のない事だったがきっとN君の場合は色々な事にチャレンジしすぎて留年してしまったのかも知れないね。それにしても本当に付き合いのいい親友だと感動した。
2012.05.22
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「留年」した事を年下のNに伝えると「別になんでもないじゃない」と言ってケロッとしていた。そして「お兄ちゃんも留年したよ」とも教えてくれたがNは意外と「蹉跌」に慣れていた様だった。
2012.05.21
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「留年」した事をスヌーピーに伝えると「バッカ~!」と言ってとても残念そうだった。そして「親に怒られたでしょ?」とも言っていたが一番怒りたかったのは彼女だったのかも知れない。何しろ私が一年生のうちに彼女は短大を卒業してしまうのだから・・・。
2012.05.20
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「留年」した事を母親に伝えると「嫌だよ!私は!」と言って俄に取り乱した。女というものは急に来るショックに弱いものだと知った。親父の方はたった一言「もう駄目なんか?」と言っただけだった。
2012.05.19
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「留年」は自分にとっては「落第」と言うイメージがあったので非常にショックな物だったが私の周りの反応も様々だった。
2012.05.18
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もう一人の留年生M君は宮崎県の出身だった。本人も意識していたのだろうけれど「青春の門」を連想した。
2012.05.17
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留年生の一人H君は一年目の時に一人で英会話の授業を取っていたH君だった。私が留年生の集められた小教室へ入っていくと「オッス」と声を掛けてきた。
2012.05.16
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留年生のもう一人のA君はロングヘヤーに黒メガネで無口どことなく影の薄いオタク風の学生だった。一年目は記憶に無かったが二年目からも殆ど記憶に残っていない。
2012.05.15
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留年生の一人A君は身長が2メートル近くあったが一年生の時の新入生歓迎コンパ中に急性アルコール中毒で救急車で入院したと言う話だった。退院してからも殆どキャンパスで姿を見る事は無かったが留年を機に退学してしまった。
2012.05.14
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同じ科の留年生は私を含めて五人だった。学籍番号は「あいうえお順」で付いていたがA君、同姓のA君、私、H君、M君の五人だった。
2012.05.13
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後期の試験が終わって数週間後一年生は大講堂に集められて留年生の学籍番号が黒板に書き出された。果たして、私の科の発表になると三番目に私の学籍番号が書き出された。私はそれまでに高校受験や大学受験で落ちるという経験が無かったのでショックは非常に大きかった。発表が終わると留年生以外は嬉々として大講堂を後にした。留年生は科ごとに小教室に集められて今後の説明を受けた。
2012.05.12
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教養課程の必修科目の単位は規定数以上落とすと二年に進級出来ずに留年させられた。私は、前期でドイツ語と数学で単位を落としていたので後期の単位は落とす余裕が無かったが試験の朝はクルマで事故を起こしてしまいただでさえ出来ない試験は散々なものだった。
2012.05.11
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数日後、話し合いで解決すると言った事故の相手が突然、電話を掛けて来た。間も無く我が家に押しかけてきた事故の相手は駐在所に寄って我が家を尋ねてその場で電話を借りて掛けてきたらしかった。話し合いと言っても埒があかず結局、私の方が「5千円」払わされてお引き取り頂いた。この時、祖父が「相手が馬喰じゃしょうがない」と言った言葉が妙に頭に焼き付いた。
2012.05.04
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新聞社のアルバイトで本庄方面へ向かっている時にデパートの入口辺りの駐停車禁止場所に居たクルマが目の前で急発進した。私は対向車線までよけたが助手席のドアの真ん中辺にぶつけられてしまった。相手は中年の男性が二人乗りで私に非があると言い張るので警察を呼んだ。パトカーで来たのは老年の警官と帽子を異様に目深に被った若い警官だった。老年の警官の方は「警察からはどちらが悪いとは言えない」と言っていたが老年の警官がその場を離れた時に帽子を目深に被った若い警官が私に向かって「いつまでもゴネてるんじゃねぇ」とキツく言い放って老年の警官の方へ「話し合って示談するそうで~す」と帰ってしまった。私は警察官というものに強い不信感を抱いた。
2012.05.03
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夜、親父と一緒に事故の謝罪に行った。ブロック塀に傷が付いた左側の家の若いおばさんは「まだ建てたばかりなのに~」と不満を言ったが自分が撒いた水が凍って事故の原因になった事には気がつかなかった。ブロック塀が倒れた右側の家のお爺さんは「塀を直してくれればいい」と言ってくれた。
2012.05.02
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真夜中にT2さんの家から帰る途中、県道に出ると道の真ん中を裸足のオバサンが歩いて私達のクルマに近づいて来た。オバサン「あの~桐生はどっちですか~?」怖かった・・・。
2012.04.23
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T2さんの家へ遊びに行くと大概両親はテレビを観ながら晩酌していた。親父さんはクルマの製造会社へ勤めている人だったが飲んでいたせいか話が面白かった。口癖は「沢山食べても遠慮して食べなくてもご馳走さまは一度でいい」だった。
2012.04.22
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T2さんの親父さんが言った事で記憶に残っているのは毎年、冬になると夫婦で軽井沢の樹氷を見に行くという話だった。熟年夫婦が一緒に楽しむ趣味としては素敵に感じた。しかし「明日は早起きして軽井沢に行くのでもう寝る」と言った時間は深夜だった。
2012.04.21
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この頃、週末は地学長のS君とパチンコ→映画→夜食が定番の夜遊びコースだったがT2さんの家は私達の家の中間地域に在りいつしか夜中に立ち寄る様になった。
2012.04.20
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その頃、T2さんは昼は仕事、夜は国立の短大へ通っていたらしい。私と同じキャンパスだったけど一度も顔を合わせる事は無かった。
2012.04.19
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Tさんと一度だけドライブした数日後T2さんからT2「どうゆう事?東郷ちゃん!Tさんと付き合ってるって噂だよ~」と電話があった。同級生のネットワークの素早さを思い知らされた。
2012.04.18
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こうしてOさんやTさんから突然手紙が来たのは多分、東京で一人暮らしを始めてホームシックになったからだと思う。私は実家から地元の大学に通っていたので連絡がつき易かったのだ。それにしてもスヌーピーもOさんもTさんも小六の時に一緒にクリスマス会をやって以来中学、高校と全く会話も無かったのに不思議だった。
2012.04.16
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なんの時だったか忘れたがTさんと一度だけドライブした事があった。特に行く所も無かったので当時一人暮らしを始めたN君の家へ遊びに行った。自炊していると言うTさんに夕食を作って貰ったような気がするが何を作って貰ったのかは記憶にない。
2012.04.15
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Tさんは東京の大学で女子寮に住んでいるらしかった。大学名は多分聞いたのだろうが私には理解出来なかったのだと思う。確かOさんの大学とも近く保谷市と言う地名が記憶に残っている。
2012.04.14
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大学一年の時にもう一人Tさんからも手紙を貰った。Tさんも中学生の時や高校生の時は全く会話したことが無かったのにラグビーの試合が見たかったとかで「県営球場」で試合をやった時に見に来ていた。帰りは電車で一緒に帰った様だが残念ながら殆ど記憶に無い。
2012.04.13
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Oさんは亜細亜大学に現役で入学したらしかったが私は私立大学には全く縁がなかったので東京の事を書かれてもあまり話は広がらなかった。Oさんは中学三年生の時の担任のN先生の病状を気にしていたがN先生は長生きしましたよ。
2012.04.12
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大学一年の夏にOさんから暑中見舞いや山形の合宿先から絵葉書を貰った。中学生の時も高校生の時も全く会話したことが無かったのに絵葉書や押し花入の手紙が何度か来て帰省した時には会いたいとも書いてあったが残念ながら一度も会う機会は無かった。
2012.04.11
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大学一年の時は「教養部」だったが生活の中心はアルバイトと部活。夏休みにクルマの免許を取ってからはクルマが中心の生活だった。授業も選択科目は殆ど欠席で必修科目も午前一番の授業はサボリ気味だった。夜遊びのしすぎだったのか兎に角、当時は朝起きられなかった。
2012.03.04
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私はクルマの免許を取ったのが大学へ入ってからだったので同級生の中では遅く地学長のS君のクルマに便乗しては遊びまわっていた。同級生たちは、みんないいクルマに乗っていた。
2012.03.03
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一度だけI商事の宴会に出席した事があった。終盤にT野さんが知り合いの女性を呼んで 一緒に飲み始めたが如何にも「お水」と言う感じの女性で宴会の後はT野さんと何処かへ消えていった。美人では無かったがちょっと羨ましかった。
2012.03.02
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I商事のアルバイト中に本町通りに在る小売店に納品した時に店の前にトラックを停めて荷台から「スチール製のシューズケース」を肩に担いだ。その頃は、仕事にも慣れどんなに大きくて重い荷物も簡単に一人で運べるという「驕り」が有った。「スチール製のシューズケース」は思ったより重く肩に担いだ途端、バックブレーカーの様に後ろに落としそうになった。その状態で二三歩下がるとトラックの後ろに駐車していた軽自動車のボンネットにお尻をついて既のところで踏ん張る事が出来た。その時、軽自動車の運転席にいたおじさんと二人して安堵した。
2012.03.01
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I商事には、事務員さんが二人居たがその中の一人は一緒にバイトしていたM君と付き合っていた。尤も私がそれを知ったのはバイト期間が終了してからだった。
2012.02.29
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I商事にチャーターで来ていたU海さんはナナハンライダーでもあったが余り話をする間も無く異動してしまった。もう少しバイクや仕事の話をしてみたかった。
2012.02.28
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I商事にチャーターで来ていたドライバーさんで如何にも元ヤンキーといった感じの青年が居た。当時、私よりも何歳か年下だったがバイクやクルマの話で退屈しなかった。
2012.02.27
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I商事にスポットで何回か来ていたドライバーさんで殆ど水を飲まない人が居た。どうして飲まないのか訊いたら「水を飲むと汗が出るから」と言う「本末転倒」の答えが返って来た。またこのドライバーさんは車間距離を全く取らない人で私は助手席でいつも足を踏ん張っていた。一番苦手なドライバーさんだった。
2012.02.26
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私がS口さん運転のトラックをバック誘導した時に下ばかり見ていてスレート屋根にトラックの幌骨をぶつけてしまった事があった。お客さんには気にせず許して貰ったが誘導の難しさを知った。
2012.02.25
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I商事のS口さんとトラックで走っている時に隣を走っていたクルマと何やら喧嘩が始まってS口さんは窓から腕を伸ばして隣のクルマの屋根を叩いていた。そのうちトラックのエンジンを空吹かしして「こうすれば排ガスがバンバン出るんだよ」と先ほどのクルマを煙に巻いていた。
2012.02.24
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I商事のS口さんは元トラドラで人生経験が豊富だった。外注のドライバーさんがダブルタイヤに挟まった石を取ろうとしているのを見てホイールと石の間に角材を入れてクルマを動かせば「梃子の原理」で簡単に取れる事を教えていた。
2012.02.23
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