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五十代 0
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近友H君に同窓会の写真を貰ったので懐かしい思いで見させてもらいました。2017年、2011年、2006年にタイムスリップした気分ですがあの時、違う選択をしていたらどうなっていたんだろうなんて考えてウジウジしてしまいました。
2024.09.22
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「ハンモック」を見ると思い出すのがベトナム旅行の時の車窓からの風景です。ベトナムの家の車庫や木陰には「ハンモック」が何本も吊るしてあり昼寝が出来るようになっていたんです。まるでベトナムにもスペインと同じように「シエスタ」の習慣があるんじゃないかと思えてきました。しかも「カフェ」にもお客さんが昼寝出来るようになのか「ハンモック」が何本も吊るしてあったので私は勝手に「ハンモック・カフェ」と呼んでいました。そしてベトナム人は、「ハンモック」が無いところではバイクの上で、まるで「ハンモック」に横たわるように上手に昼寝するんですよね。さて私も昼寝でもしましょうかね。
2024.05.18
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「古い免許証」と言うと思い出すのが若かりし頃、日光へドライブに行って霧の明智平で休憩していた時にパトカーに乗ったお巡りさんが職質に来たんです。私が間違って先に「古い免許証」の方を出してしまったら「どうして古い免許証を持っているんだ!」とお巡りさんが怒り出したんです。すると助手席のGFが直ぐに「私も持ってますよ~」と言ってくれて初めてお巡りさんも「群馬県では、古い免許証を返却しない」と言う事を知った(理解した)らしいのですが逆に群馬県民からすれば古い免許証を没収する「栃木県公安委員会」と他県の免許証制度を知らないお巡りさんの方が理解出来ませんでしたけどね。
2024.05.03
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「22才の別れ」この歌は、私の失恋そのものという感じの歌。
2024.04.27
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デートの時間に夕立が来て出かけるにも傘が見当たらずにどうしようか考えていた時に脳裏を駆け巡った歌。「傘がない」
2024.04.27
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パブロフの犬のようにその歌を聴くと失恋を思い出す歌。「愛の迷い子」
2024.04.26
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1. 母親の他界2. 長女一家コロナ感染3. 野立てパワコン故障4. 3年ぶりの海外旅行(タイ)5. 女房殿の北海道旅行今年は、4月に母親の癌が見つかってから最悪の一年だった。来年からは、家族が健康で平穏な生活が戻ってきて欲しい。
2023.12.31
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「修学旅行」「新婚旅行」「家族旅行」「夫婦旅行」女房殿は、旅行した時の事を何も覚えていないんだそうです。「それじゃあ旅行しても意味が無いんじゃない?」と言うと、旅行している時は、楽しいから良いんだそうですが実は私の場合は、「スポーツの試合」の事を覚えていないんです。MLBやサッカーを観戦しても終わったら内容を忘れてしまうんです。更には、学生の頃の自分で出たラグビーの試合も高校生の時の三試合くらいしか記憶にないんです。その代わり、合宿や練習の時の事は色々と記憶に残っています。これは何なんでしょうね?やはり感動度の違いなのかな?
2023.10.10
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1. 義母の他界2. 次男新居完成引っ越し3. 次男一家コロナ感染4. 義兄肺癌ステージⅡ5. パワコン故障交換今年は、1月26日の深夜から訃報。その後も次男一家のコロナ感染、義兄の肺癌罹患と嫌な事が続いた。来年からは、家族が健康で平穏な生活が戻って欲しい。
2022.12.31
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私が子供の頃は白黒テレビが普及しだした頃でしたが我家は貧しかったので隣の家まで毎週「恐怖のミイラ」という連続ドラマを観に行った記憶があります。「ウウウウ~」と言う音楽がとても恐かったのですがこれがテレビで観た最初の連続ドラマだったと思います。最後は「ミイラ」が惚れている女性から「(不死身の)薬を飲むのをやめなさい」と言われて薬を飲まないで朽ち果ててしまうのですがそれを観た私は「美人は残酷なんだ」と思った記憶があります。
2022.11.16
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「ガンダム世代」と言う言葉をよく聞きますが何歳位なのかグーグル先生に訊いてみたら「『機動戦士ガンダム』を少年期に観て1980年代に社会へ出た世代(57~67年生まれ/現在45~55歳)のことである。」なんだそうです。実は、私はこれからちょっと外れたせいか『機動戦士ガンダム』には何の思い入れも無いんです。取り残されているようでちょっと淋しい。
2022.11.16
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「ツクツクボウシ」の鳴き声が聞こえてくると夏休みの終わりを感じてしまいます。「宿題やらなきゃ」「ミンミンゼミ」の声は、夏休み真っ盛りの暑さを思い出しますね。そして「ヒグラシ」の声を聞くと山での夏合宿を思い出します。「カナカナカナ・・・哀しい」
2022.08.31
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1.双子の孫誕生(元気な男児)2.ミロ急逝(心筋症・血栓塞栓症)3.長女夫婦新居購入4.マロ失踪・発見(44日振り)・全抜歯手術5.セレナ代替6. リーフ購入7. 離れのリノベーション始まる今年も悲喜交々。
2021.12.31
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会社勤めをしていた頃、ランチで入ったリストランテで食後に出て来た「白いプリン」のようなデザート。「パンナコッタ」と言う名前を聞いたのは、その時が初めてでした。懐かしい想いで探して、久し振りに食べてみたら「洋酒」が入っていたんですね。あの頃食べた「パンナコッタ」にも入っていたんでしょうか?尤も、アルコール度数は私の致死量までは無かったようです。
2021.10.30
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「想い出が沢山あるから悲しみが深いでも想い出は、いつまでも宝物として残っていてくれる」今日は、親父の30回目の命日。
2021.08.19
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1.長女の出産(元気な女児)2.次男の起業(個人事業主)3.農地処分(暗渠で四苦八苦)4.夫婦で台北旅行(最後の海外旅行になるのか?)5.長男と長女のクルマの代替(e-POWER&軽ハイトワゴン)
2020.12.30
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長男が1歳の頃、妊娠中の女房殿と隣県の厄除大師へ行った事がありました。長男の出産の時は「切迫流産」だったので第二子の安産祈願のつもりで行ったのですが「関東の三大師」と言われた寺は大混雑で駐車場は増設で離れた田んぼの中寒風の中、寺までは何百メートルも人の列が続いていてやっと境内に辿り着いた頃には女房殿のお腹の調子が悪くなりあと数メートルで本堂に着くという時に長男がトイレへ行きたくなってしまって列を離脱結局、その日はそのまま帰宅してしまいそれ以来、二度と厄除大師へお参りに行こうという気にはなりません。安産祈願で厄除大師へ行って具合が悪くなってしまったという洒落にならない思い出です。
2020.12.04
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二度目の別れの後は空しい大学生活が始まり勉強もラグビーも怠け気味で、バイクからクルマに乗り換えアルバイトに勤しんではドライブしたり映画を観たり麻雀に興じたりと怠惰な日々を送っていましたが夏休みの終わりの頃からアオハルシーズン2が始まっていました。
2020.04.18
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初詣に行った年は一緒に映画を観に行ったり交換日記を再開したり大学の合格発表を一緒に見に行ったりと交際は順調に進んでいたかのように思えたのですが5月に入った頃から段々と気持ちのすれ違いが出て来て二度目の別れとなってしまいました。この頃、私の頭の中ではよくアグネス・チャンの「愛の迷い子」が流れていました。
2020.04.17
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この年の元旦に初詣に行きました。自転車だったかバイクだったかは定かで無いですが後ろに乗せた時に「着物と言うものは意外と薄い物なんだなぁ」と思った事を覚えています。着物を着た女性と初詣に行ったのはこの時が最初で最後でした。
2020.04.16
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10月26日(土)は校内マラソン大会でした。2年生の時は学年で1位だった親友のN君が「今年は一緒に走って苦しくなった時に笑顔で励まし合おう」と言って私を終始リードしてくれました。ゴールまで二三キロ地点の一番苦しい時に前を走っていたN君が振り返りニコッと微笑んだのですがその苦痛で歪んだ笑顔は私の一生の宝です。N君のお蔭で私は学年で10位(37分27秒)になり学校からトロフィーを頂きました。そのトロフィーも先日終活で「燃えないゴミ」で出してしまいましたが思い出だけは私の中に一生残っています。
2020.04.15
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10月12日(土)は山形県で姉の結婚式でした。トラドラをやっていた従兄のケンメリ型スカイラインに乗せてもらい福島県までしか開通していなかった東北道から一般道を通って作並温泉まで徹夜で走った記憶があります。将来はトラドラになりたいと言う希望もあった私はその時の従兄がとても頼もしく思えました。一番驚いたのは山形の方の結婚披露宴は一晩中飲み明かす事で下戸だった親父と私達は早々に宿に引き上げてしまいました。
2020.04.14
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高校3年の時の定期戦は10月4日(金)だった。私は1年生の時から「ラグビー」で出場していたが1年生の時は出血で途中退場(ホームで敗戦)2年生の時は3年生が急遽出場でポジションチェンジ(アウェイで敗戦)そして3年生の時は逆転勝利(ホームで勝利)試合後、顧問の先生に「あの時、縦に切り返したのが勝因」と褒められたのは最初で最後だったかな?結局、私達が3年生になってからのチームは1度も〇高ラグビー部に負けた事が無かったのが良い思い出。
2020.04.13
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ラグビー熱も一段落した感がありますが「7人制ラグビー」の話題が出た時にどうしても腑に落ちない事がありました。私の記憶ではポジションを考えるとフォワード3人&ハーフ&バックス4人で1チーム8人と言う気がしていたのです。その謎が昔の日記を読んでいて解けました。私達が高校生の時は1チーム8人で「8人制ラグビー」だったのです。今ではグーグル先生に訊いても「8人制ラグビー」の「はの字」も出て来ないのが不思議です。
2020.04.12
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6月8~9日に「ラグビーの関東大会」で甲府市へ行った。対戦相手は「甲府一高」だったがお互いに試験後で練習不足で走れなかったのが笑えた。結果は逆転勝ちだった。甲府市の宿舎に泊まった時に昼と夜の寒暖差が大きくて盆地というのはそういう気候なのだと身をもって知った。朝、宿舎で布団を畳みながらT君が「朝の光は~♪」と歌っていたら部屋に入ってきたU先生にいきなりビンタされた。「遊びに来てるんじゃない」と言う意味だったのかも知れないが理不尽に見えた。ストレスでも溜まっていたのだろうか?T君には同情したが伝説として後世まで語り継がれた。夜、学校まで帰って来たら文化祭(蛟龍祭)の後夜祭をやっていて生徒達がファイヤーストームの周りで馬鹿騒ぎしていたのが印象に残っている。結局、高校の文化祭には何も係われなかった。
2020.04.12
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高3の5月に何故か彼女とコンサートに行っています。何故復活したのか?何のコンサートに行ったのか?は全く覚えていないのですがS君のバイクを借りてタンデムで緊張しながら行って来た事を覚えています。途中、県民会館の場所が分からなくて人に尋ねながら行きました。あの頃は、赤城県道も知らなかったんですね。
2020.04.11
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4月1日(月)に友人のK君とS君と妙義山までキャンプに行きました。山岳部に入っていたS君の先導で河原にテントを張ったのですが「川の水で炊飯する」と言われた途端にK君と私が反対してキャンプをやめて日帰りツーリングになってしまった記憶があります。S君には悪い事をしましたが何と言っても川の上流に宿舎か何かの建物が見えていたんです。
2020.04.10
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8月5日(日)に友人のK君とS君と大洗まで海水浴に行きました。出かける時に祖父がトリップメーターをリセットしたので片道130Km位だった記憶があります。覚えているのは防風林の中で水着に着替えた事と帰りに私のバイクのリターンスプリングが壊れてシフトチェンジが出来なくなってしまい小山市辺りから飛び乗りで走って帰った事。K君とS君はCB250Tだったが私だけCB125Tだったのが非常に淋しかった。
2020.04.09
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高校時代の日記は何故か高2の5月から始まっていました。失恋のショックで高1の時は日記を書けなかったのか?書いたけど紛失してしまったのか?5月12日(土)の夜に前橋駅に集合してラグビー部員とOBで駅から赤城山まで徒歩で登りました。途中でOBからウィスキーの瓶が回って来て同級生のT君が泥酔してしまい夜明けまでに頂上へ辿り着くことは出来ませんでした。この時、「意識の無くなった人間の身体」と言うものはまるで軟体動物の蛸の様になってしまい60Kg位でもとても一人では運べないと言う事を知りました。この経験以降、TVドラマで意識の無い人間を楽々と運んだりするのを見るととても白けてしまうようになりました。
2020.04.08
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交換日記が終わっても私は自分の日記を書き続けていました。その日記を読んでみたら高校時代の私は毎日、友人と遊んだり学校では勉強よりもラグビー休みの日はバイクと映画とパチンコと今よりも充実した生活を送っていたようです。パチンコに至っては大学入試で他県へ行った日も「運試しだ!」と言ってやっていた事を思い出しました。でも見方を変えると「若き飢えてるの日記」のようでしたね。
2020.04.07
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「春は出会いの季節」と言う人も居るでしょうが春に3回も失恋を体験した私にとっては何と言っても「春は別れの季節」なんです。春に失恋すると入学後や就職後のスタート時に虚無感や倦怠感で暫く鬱状態が続きます。後年ではそれに加えて「不整脈」「花粉症」が加わって私にとっては毎年、春は憂鬱になる季節です。私の日記は3回目の失恋と共に終わっていました。
2020.04.06
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中学時代はラジオを聴くのが楽しみで深夜放送や音楽を聴いていましたが洋楽は専ら「ビートルズ」その後、邦楽の「フォークソング」でした。CDも無い、インターネットも無い今考えてみると古き良きアナログ時代でしたね。
2020.04.05
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殆ど記憶に無かったのですが中学の時に「合唱大会」があったようで音楽の授業なんてまともに受けた事も無い私が何故か「追憶」と言う歌が気に入って真面目に歌っていたようです。どんな歌だったか覚えてないので調べてみたら「Memories light the corners of my mind ・・・」じゃなくてスペイン民謡の方でした。でもそれも原曲は「Flee as a Bird」と言う賛美歌だったようです。
2020.04.04
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日記を読んでみたら中3の時の夢が書いてあった。1. 色々な職業をしながらあちこち放浪の旅をしたい2. 広い草原で牧場をやってみたい1は多分、当時観ていたドラマ「不死身の男」の影響なのだろうけど2の方は心当たりが無い。昔、家で牛を1頭だけ飼っていたせいかな?
2020.04.03
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交換日記は中学3年の10月から始まり3月の卒業式で終わりそして何故か3年後の3月から再開していました。この3年間の空白が何故あるのか記憶に無いのですが奇しくも高校入試と大学入試の前から始まりいずれも卒業の時期に終わっています。思えば彼女のお蔭で私は受験地獄を凌げたのかも知れませんね。「あの頃、君を追いかけた」アオハルだったんだなぁ。奇しくも今日は彼女の誕生日。
2020.04.02
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日記を読んでみたら11月5日(金)に英語の暗誦大会が有った事が書いてありました。これは良く覚えています。私は人前に立つのが死ぬほど嫌だったので学年の話し合いで代表に選ばれなくて安堵していたら夕方、英語のO先生がやって来て「綱取君にしか出来ないんだから頼むから出てくれ」と懇願されて、O先生の為ならと諦めて出場したのでした。結果は地区で2位になって県大会に出場しなくて済んだので本当にラッキーでした。ただ、一緒に出場した1学年下の女の子が発表の時に頭が真っ白になってしまったのか閊えて何も話せなくなってしまった時に何も助け船を出す事が出来なかった事が残念な記憶で残っています。
2020.04.01
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四十数年前の日記帳は交換日記でした。交換日記なんて物が存在する事も知らないで始めましたが異性に対してこんな汚い字と乱暴な文章を使って書いていたのかと思うとこの歳になっても赤面してしまいます。私が日記を書くようになったのは交換日記をするようになったからなので私のブログの原点は交換日記になるのかな?
2020.03.31
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1.初孫の誕生2.次男の入籍3.夫婦でタイ旅行4.夫婦で台北旅行5.バイク(カタナ&KLX)の処分
2019.12.31
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TVドラマ「シャーロック」の中で「ヴィジュネル方陣」という暗号が出て来たのを観て30年以上昔、総務課に異動になった時に先輩から「社員番号は『文字出すテン』と言うチェックバイトを使っています」と言われて社員番号の入力間違いをチェックする方法を教わったがそれから数年経って「モジュラス10」と言うチェックデジットの計算方法を知った時に「あの時の先輩は誰かに冗談で言われた事を鵜呑みにしていたのか?」と考えた事を思い出してしまいました。暗号と聞くといつも思い出してしまう記憶です。
2019.11.28
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学生の時の夏休みに〇カ・コーラでアルバイトをした事があった。その年の夏も今年と同じように連日猛暑続きで当時のコーラは瓶コーラが木製のケースに収められていて両手に2ケースずつぶら下げて運ぶのでとても重労働だった。初日は暑さと重労働でバテてしまい食欲が無くなってコーラばかり飲んでいたら同行していた社員が「豆腐」を分けてくれた。その「豆腐」を冷奴で食べた途端に夏バテした身体になんとも言えないスッキリした爽快感が染み渡った。「三日三月三年」と言うように三日もすると仕事にも猛暑にも慣れたがあの時、「豆腐」に命を救われた記憶は猛暑が来る度に思い出す。
2019.08.16
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旅友Tさんのご子息の事故の話を聞いて自分の事故を思い出しました。ナナハンでブラインドコーナーへ突っ込んで行ったらコーナーの中ほどでクルマを止めて立ち話していた人達が居て驚いてリヤタイヤをロックさせてしまいクルマに激突してしまった事故。雪の降った次の日にサニーGXで裏道を走っていて加速した途端凍結した路面でリヤタイヤがスリップして反対側のブロック塀をなぎ倒してしまった事故。どちらも技術も経験も未熟で「危険予知」なんて言葉も知らなかった頃。親には精神的にも金銭的にも負担を掛けた「若気の至り」です。
2019.02.22
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今年の5大ニュース1.叔父の突然死2.女房殿のクルマを代替3.次男の「もふ猫もふう4」発売4.夫婦で台北旅行5.女房殿韓国旅行今年は長野の叔父が急逝したのがショックだった。救急車の中で1時間位機械による心臓マッサージを受けたらしいが死因は大動脈解離だった。女房殿のクルマは来年の車検の時に代替予定だったが査定をして貰ったら査定価格が思いのほか良かったので急遽代替になってしまった。次男のラインスタンプ「もふ猫もふう」も第4弾が出たがスタンプの販売条件が改悪されてばかりなのでこれが最後のラインスタンプになりそうだ。女房殿が4連休を取れる時に旅行に行きたいと言うので二人で台北旅行に行ってきたがやはり二人だけよりも家族旅行の方が盛り上がる。次男も長女も所帯を持ってしまったし猫達の面倒も見なければならないのでもう当分家族旅行は出来ないと思うと淋しい。女房殿が友達と韓国旅行に行って来た。友達と二人だけで海外旅行に行くのはシンガポールに続いて2度目だが自分で旅行のプロデュースをすれば幾らかは人の苦労が分かるようになるだろう。今年も良い事、悪い事色々あったが来年は果たしてどんな年になるのだろうか楽しみでもある。
2018.12.31
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離れの押入れの中からネガフィルムが出てきたのでスキャンしてみたら「高校の修学旅行」と「20代の頃」の写真でした。20代の頃に親友とダブルデートで海へ行った時の写真でしたが何処の海だったか全く記憶に無く、親友に訊いてから新潟の海だった事を思い出しました。あの頃は、新潟の海へ行くにも茨城の海に行くにも高速道路が無かったので前夜出発で国道を走って峠を越えて行きましたね。懐かしい記憶が蘇ってきました。
2018.12.23
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中学の時の同級生から手紙が来たのが気になって卒業アルバムを眺めてみました。田舎なので小学校から中学まではそのまま同じ面子で170名余り。今でも全員の名前を覚えていて、顔と一致する自信がありましたが全く覚えていない名前の人が一人居たのがショックでした。一人一人名前を確認していると色々なエピソードが思い出されます。ほんの数十分のタイムトラベルでしたがたまには良いものですね。
2018.09.03
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旅友Tさんの御子息が留年したと聞いて自分が留年した時の事を思い出しました。留年した事を両親に告げると母親は大騒ぎして取り乱しましたが父親は冷静に「もう駄目なんか?」と一言だけ。この時、女はドカンと来るショックに弱いが長期のストレスには強く男はドカンと来るショックに強く長期のストレスには弱いと感じた。まぁ旅友Tさんにもご子息に対して男気を見せて欲しいですね。「留年と留学は一字違い」だしね。
2017.03.01
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小学校の運動会では4年生から6年生までの生徒を縦に「赤城団」「榛名団」「妙義団」「白根団」と山に因んだ四つのチームに分け競技種目ごとに点数をつけて競わせていた。鉢巻の色がそれぞれ「赤」「青」「緑」「白」というのが印象的だった。
2015.09.12
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我家がスーパーファミコンを買いに行ったのは私が右足を骨折してギブスをしていた時でおもちゃ屋さんを何軒も探し回ってようやく伊勢崎の老舗で見つけてソフトと共に購入したのだが店主から「AVケーブル」も別売りで、無いと使えないと言われて購入し支払いは値引きが全く無く高額になったので驚いた。「足元を見られる」というのは正にこういう事だと痛感した。
2015.06.30
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この時の旅行は「30日FIXの格安航空券」で行ったので「リコンファーム」が必要だった。航空会社はタイ語でなくても通じたのだが「JICA」の事務所からTHさんが電話で「リコンファーム」してくれた。
2014.09.02
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格安の航空券で行ったのでドンムアン空港に着いたのは深夜だった。到着ロビーではTHさんが待っていてくれた。
2014.08.30
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私のクルマで成田空港まで行ったが予定より大分早く着いたので成田のパチンコ屋で時間調整をしてから行くことにした。この頃は、二人ともパチンコに嵌っていた。
2014.08.29
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