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巡礼の絵をもとに随想しています。本日の絵は、北部を東西に縦断する巡礼街道の西寄り240km地点。Rabanerl-del-caminoの風景。左の絵は街道の西側。右の絵は街道の東側。この道が延々770kmも続きます。(巡礼4日目-その2)(巡礼4日目ーその1)に続きます。am9:30 マリサとディエゴが追いつき、小生を抜かしていく。靴紐を結び直していても彼らは待たない。遅れたほうが速歩で追いつく。スケッチを終え、背後にある店で水を買う。と巡礼杖が数種類置いてあり、一番背が高い「ひょうたん」と「貝」がついた典型の杖を購入する。19.6ユーロ。9:45再出発。マリサとDIEGO(ディエゴ)を追う。300mくらい先を歩くのを発見。追いつくべく、「ずり足走法」。長い杖がじゃましてなかなか走れない。MURIAS DE RECHIVALDO村《253.8km》で追いつく。大きな杖を見て、両人 大笑い。ここから3人の旅となる。マリサはスペイン北部ビスケー湾の端に位置するBILBAO(ビルバオ)に住む。今回はビルバオから南下したcamonoとの交点、ログローニョ《610.0km》からの旅をする。すでに359kmを踏破している健脚。炎天下、木陰の休憩でこれもスペイン人のDAVID(ダビッド)が合流し、4人となる。ディエゴは無口、ダビッドは相当のおしゃべり。4回目の旅ということで、このカミノは『精神的、宗教的、愛、アミゴ(友達)・・・すべてだ(トードだ) 』 と熱っぽく語る。pm3:30 RABANAL DEL CAMINO(ラバナル デ カミノ))《237.9km》到着。ダビッドはさらに旅を続けるという。結局次の宿泊まで5kmの道を途中まで行き、折り返してきたようであり、ここで泊まったようだ。 このダビッドと替わり、翌日から旅を共にするのが、強健のアドニスというGalicia;ガリシア地方の青年。 食堂で3人の女性巡礼が英語で会話している。小生にもスープを分けてくれたりする。スケッチをして歩いているのだと言うと見せてくれという。描いた分を見せると全部覚えがある光景で、話がはずむ。メキシコの女性が自分のノートに何か書いてくれという。アルベルゲをボールペンでスケッチし、少々お話。なんと、10月12日に日本に来て、20日まで滞在するという。眼科のドクターで、日本で学会があるからという。日本を知っている巡礼も多く、日本に行ったことがあるという人に、この後何人にもあった。因みにダビッドは日本の化学会社の合弁企業で働く。
Dec 11, 2004
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巡礼の絵をもとに随想しています。本日の絵は、Astorgaにあるガウディの司教館(現在はサンティアゴ巡礼路博物館)です。(巡礼4日目-その1)PUENTE Y HOSPITAL DE ORBIGO(プエンテ イ オスピタル デ オルビゴ)《274.7km》→ASTORGA(アストルガ)《258.5km》→RABANAL DEL CAMINO(ラバナル デ カミノ))《237.9km》 36.8km アルベルゲを1人で6:30出発。あたりは林。真っ暗。村のメーンストリートに出ても寝静まっている。実はPUENTE Y HOSPITAL DE ORBIGO(プエンテ イ オスピタル デ オルビゴ)には、MUNICIPAL,PARROGUAL,SAN MIGUELの3軒の宿があり、小生が泊まったMUNICIPALは村営の救護施設のRefugios(レフヒオス)にあたるらしい。どうりで、ボランティアがpm8:00に引き上げていった。朝方、水が出なかったので、街道筋にある別のアルベルゲに立ち寄り、水を補給。ここだけが人の気配。ここで、Leonからしばらく一緒だったMarisa;マリサと会う。彼女も足が速く、小生の前を歩く。途中で道が2方向あるのを、小生は国道沿いを歩く。マリサとこれも後で知るDIEGO(ディエゴ)は、一緒に別の丘の道を進む。ASTORGAの町を遠望する丘で、合流。 彼らは一息をついたあと出発。小生もデジカメですばらしいASTORUGAの遠望をとる。このように写真をとっているわずかの間も彼らは10数m先を歩き、追いつくのに「ずり足走法」が必要ということになる。追いついた勢いで、そのままASTORGAまで走る。9:15 ASTORGA到着。ガウディが設計したという司教館(現在はサンティアゴ巡礼路博物館)をスケッチ。 ここで、マリサとディエゴが追いつき、小生を抜かしていく。
Dec 10, 2004
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巡礼の絵をもとに随想しています。本日の絵は、オルビゴ橋です。(巡礼3日目)LEON(レオン)《306.8km》→PUENTE Y HOSPITAL DE ORBIGO(プエンテ イ オスピタル デ オルビゴ)《274.7km》 32.1kmアルベルゲ:LEON(レオン)の出発時間は午前6時30分以降。ダニエルとマニュエルの兄弟をam5:00前に起こしたものだから少々文句あり。ただしこの部屋ではいびきがすごく、食堂に寝ていた男女はいびきから解放されるべくベッドを移動したのではないか。小生もいびきには弱く、眠れない。am5:00 続々と巡礼たちが起きてくる。朝食のサービスがあり、パンやコーヒーを飲んでしばしの語らい。 ダニエルとマニュエルの兄弟とam6:30出発。レオン大聖堂を回らずにSAN MARCOS経由で、Beruesga川をわたる最短ルートを取る。幾組かの巡礼と一緒になり、10人くらいの集団で、カミノを歩く。この集団の中に、後で行動をともにするMarisa;マリサがいた。すこぶる速い女性。ここからコースが2方向にわかれ、丘陵地帯と、車道沿いの2方向。Marisa達女性陣は丘陵地帯を行く。ダニエルとマニュエルの速歩グループは、車道沿いのほうを行く。サンチャゴまでの道のいたるところに生えるハーブを口したりしながら。途中 A-66号線のインターチェンジで、道を失う。西に向かうためには、とぐろを巻くインターチェンジを大きく迂回しなければならず、我々はそのままかまわず、道路上を進む。そのうちCaminoのマークが現れ、正規の道に合流。自転車が進めるCaminoは、国道沿いのことが多く、たいていは、西に向かう国道か一般道である。土道のCaminoと並行か、どこかで合流する形で絡み会いながらサンチャゴまで続く。正午近く、PUENTE Y HOSPITAL DE ORBIGO(プエンテ イ オスピタル デ オルビゴ)《274.7km》 の橋にさしかかる。 大きな祭りを行っているらしく、橋の下の河川敷では、ソーセージを焼いたり(焼いている人は目を保護するヘルメットをかぶり本格的)、ワインを飲んだり騒いでいる。5ユーロ払えば、5時まで飲み食い自由であるとか。その場合は特別の帽子をかぶり区別しているようだ。小生は足に早くも豆が出来たため、ここでリタイヤ。ダニエルとマニュエル、もうひとり途中から同行の3人は、ASTORGAまで16.2kmを歩くという。そうすると彼らは48.3kmの走行となる。彼らがいわゆる50kmペース/1日 の人たちであり、最強健のグループにあたる。小生は村営のMUNICIPALに宿をとり、軽装で群集に戻る。通りに面するホテルのベランダを借り、ビールを飲みながら、Orbigo橋のスケッチを1枚。pm5:00には、スペイン国大統領が登場するというので、ステージ前には村中の人が集まって来た。待つこと1時間、 パトカーに先導された車が群集の中に入ってくる。村中の人と挨拶をしている感じ。この村出身なのかと思うほど。やっと演壇に登場。頭上にはヘリコプターの音。小生は悲しくもそれどころではない。足が痛い。シャワールームでもとにかく痛かった。アルベルゲの人に豆の治療をしてもらう。針で刺し、水をだし、消毒、絆創膏、はがれないように透明の絆創膏、そこを踏まないようにクッション材(初めて見たが、すこぶる調子がよい)など。応急手当をしてくれる。両足に。感謝!!
Dec 9, 2004
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本日は、Leonの大聖堂を紹介します。(巡礼2日目)EL BURGO RANERO(エル・ブルゴ・ラネロ))《344.2km》→LEON(レオン)《306.8km》 37.4km 早朝4:00に誰かがベッドをたたく。昨日「いっしょに行こう」などといわれ気安く返事をしていたのか。眠たい目をこすりながら起きて、前夜近くの食料店で、買っておいたバナナ、オレンジ、パン、ヨーグルト、台所においてあったコーヒーなどを口に入れる。そこには他の2人もおり、スープを電熱器で暖めていた。すぐに出発準備を整え真っ暗闇な中を出発していった。僕を起こしに来た人はトイレなどでもたついており、最初に出発したした人たちの後を追う形で、1人でスタート。外は街灯が灯っているが、村外れにさしかかると真っ暗闇。ヘッドライトをつけてCaminoのマークを捜す。ほどなく、村から次のアルベルゲの方向へと潅木が続く道にでる。またずり足走法で追いかけるが、10分しか違わないはずなのになかなか追いつけない。やっと1時間ほどして、かれらは土道のカミノ(Camno:巡礼路)ではなく、車道を速歩していた。このほうがサンダル姿の2人にはスムースに足が運べ、都合がよいらしい。この2人と歩くときは、この後も土道のCaminoと舗装道路とが並行している時は、舗装道路のほうを歩くこととなった。この2人はダニエルとマニュエルといい、同じリュック、同じサンダルを履く仲のよい兄弟である。兄のほうがネクスルの販売部長をしていると後で知る。アルベルゲの台所においってあったコーヒーはさぞかしまずかったろう と何回も言う理由がわかった。兄のほうは、映画「レオン」に出てきた俳優とそっくりで、かっこがよい。2人ともスペイン人で、RONCESVALLES(ロンセスバーリェス:スペイン側のスタート地点の一つ)《747.1km》から403kmをすでに歩き、344kmを残している。ゴールは同じなので、一緒に歩いてもよい仲間である。2人は59歳と56歳で、ともに3人の子供がある。携帯電話をもっているため、盛んに家と連絡をとっている。「いまJAPON(ハポン:日本人)と歩いている」 と言い、電話をこちらに向けるので、息子とおしゃべり。「君のお父さんの足は、鉄のように丈夫だ!」と叫んでみるが、通じたかしら。楽しい道中が2日続くことになる。スタスタ歩くこと、8時間40分 正午12:40にLeon(レオン県の首都)に到着する。 まだ先へいけるはず。Leonの大聖堂:サンイシドロ教会はステンドガラスが見事であるというので、まずは見学。”荘厳なる光の洪水”とはこういうことなのか。中では結婚式を行っていた。小生はステンドグラスをスケッチ。 ダニエルとマニュエルの兄弟は先に急ぐのをやめLEONのアルベルゲで宿泊の手続きをするために戻る。小生はサンイシドロ教会の外側をスケッチ。2,3日後、このスケッチから「Catedralの右側と左側で完成年度が異なる」なんて詳しい話を聞いた。
Dec 8, 2004
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今夜から15夜、スペインの旅をお話します。サンチャゴ・デ・コンポステラというスペイン北西部の聖地まで、ピレネー山脈から770kmの巡礼路が通っています。このうち、中間部分のSahagun(サアグン)から旅をしました。大体1日のお話が、1日の行程になっています。ではどうぞ。(巡礼1日目) Madid Charmartin(チャーマルティン)駅 TALGO(急行電車) am8:00→Sahagun(サアグン)駅am11:30 。Sahagun(サアグン)《362.1km》→EL BUROGO RANERO(エル・ブロゴ・ラネロ))《344.2km》 17.9kmSahagun(サアグン)の教会で、クレデンシャル(COMPOSTELA(巡礼証明書)用に各地でスタンプをもらうための台紙)の発行をしてもらう。パソコンがおいてあったので、Yahoo.co.jpを立ち上げて、メールを数人に発信する。pm1:00.さあ、ここからスタートだ。 Sahagun市街の詳細な地図をもらいまずは黄色の矢印探しから始める。最初は意外と難しい。だが、慣れると、極端な曲がり角でもなければ、自然体で進んでいけばよいことに気が付く。すなわち、最初の矢印からは、次の矢印へはそのまま、真っ直ぐ進めばよいのだと。気を回しすぎて、車道の方向に向きを取らなければ、そこがたとえ、納谷の裏であったり、細い路地であったりしても、とにかく進んでいけば道は開けるものであると。またいくつかのグループが前を歩いているので、それも指標にしていけばよいのだと。真っ直ぐな車道でも、側道がついており、そこは土の道。ポプラや低い潅木が植えてあり、それも目印。潅木の葉っぱの部分が地上から1.5mくらいに揃えられているため、地面が起伏になっている箇所では、木々の葉っぱの部分もアーチ状を成して続く。リュックを背負ったまま、走ったらどのんなものかと・・。走ってもそんなにおかしくはないものである。まずは、目的地のEL BUROGO RANERO(エル・ブロゴ・ラネロ)まで、17.9kmを「ずり足走法」で走ってみる。 不思議なことに、前に行く人を走って追い抜いても、スタスタその人は、付けてくる。相当の速歩の人である。あとでわかったことであるが、小生のずり足走法のスピード(キロ10分位)と速歩の人の速度はほぼ同等であったことである。恐るべし。アルベルゲ(宿屋)の場所は、どこでも捜すのが少々難しい。街道に面していれば、楽であるが、面していない場合は、矢印が2方向となり、アルベルへ行くか、アルベルゲに寄らず真っ直ぐ進むかである。たいていはアルベルゲに立ち寄って、スタンプを頂戴したり、情報交換を行ったりするようである。アルベルゲのEL BUROGO RANERO(エル・ブロゴ・ラネロ)《344.2km》 pm4:45頃到着。
Dec 7, 2004
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本日、やっと超難解Puzzle:ENIGMA(エニグマ)を解明しました。偶然出来たり、出来なかったりとこれを繰返す約6ケ月。組み立て・・1分34秒。分解1分34秒。だいたい同じタイムですネ。なかなか難しいです。!!図形は、A,B.Cのアルファベットに似ています。完成・・ 分解・・ 複雑な回転が7回くらい、必要です。。これは(株)ハナヤマのPuzzleです。東急ハンズなどで買えます
Nov 29, 2004
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