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Valença do Minho,2016.10.8-Memoirs59(回顧録59),Rooibos Tea_ story (4253)2017.1.11Memoirs・・I reached to Tui where is south border of Galicia of Spain. I walked through to Portugal crossing the International Bridge to Valença .I had to switch wards suddenly from Spanish to Portuese as Bom dia (←Buenos días),Obrigado(←Gracias),zero-um/uma-dois/duas-três-quatro-cinco---(←cero--uno/un/una-dos-tres-cuatro-cinco---).Today・・I recently drink the rooibos-tea which doesn't contain caffeine .If I drink some one with caffeine I will can't sleep in midnight.【Memoirs59--4th day of Camino Portugués 】2016.10.8(Sat) **Onsite Report(現地からのリアルタイム・レポート)は第10報告(10/7-13)の第2項を参照ください。**Tui(ツイ)(sketched at 14:00 in angle of 240°)今日のコースは、Santa Eulálla de Mós (サンタ・エウラリア・デ・モス)からO Porriño(オ・ポリニョ)→Orbenlle→Magdalena→Tui(ツイ)(ここまでがスペイン)経由でValença do Minho(ヴァレンサ・ド・ミーニョ)(ここからがポルトガル)までの28km。Santa Eulálla de Mós のアルベルゲ(Albergue de peregrinos Santa Baia de Mos )には台所があったが皆が寝ている部屋と隣り合わせでドアがない。目の前にBarが3軒もあるので料理する気にもなれず、しかも早朝から営業しているという。7:00にopenするというので真っ暗な中を旅装を整えBarまで歩いて行く。5secで到着。このBar(Teperia Flora)の二階で泊っていたcamino3名が出かけようとしている。Barにせり出した桟敷の部分に鉄の扉がありガタビシしないと開かない代物。3人がそのドアを突き破って行った。なんという慌ただしさなのか。滑車があってドア自身をうまくそれに載せないといけなかったのだ。というわけで店の一番客となった自分にカフェコンレチェとパンが運ばれてくる。外は寒いのでカウンター近くに座った。腰をあげて出発態勢に。外へでて南の方角に歩き始めると、親父が飛び出してきた。方角を間違ったと思ったらしい。さっきの3人と同じように親父の生き字引では北向きに歩きださなくてはならなかったようだ。数日前から使い始めている「Fátima(ファティマ)へ行きます」という印籠がここでも通用した。ムイビエンと指を立てる。Concell do Porriño(オ・ポリニョ市庁舎)(8:33)O Porriño(オ・ポリニョ)は大きな町であるが8時台は閑散としている。美味しそうなパン屋があったのでバケットを1本買い求める。1日は持つ分である。今日は国境を越えてポルトガルのValença do Minho(ヴァレンサ・ド・ミーニョ)に入る。そこまでの宿場は、Veigadaña、O Porriño、Tui。など。このうちTuiには4軒のアルベルゲがあり、ここを出発点としてSCまで114.6km。サリアからSCに向けて出発するような感じで手ごろな距離でありしかも100kmを越えているので、巡礼証明書がもらえパラドールの賄い食にありつける権利を有する。(これに執着するのは小生だけであろうか?)Catedral Tui (ツイ大聖堂をレストラン桟敷から眺める)(sketched at 15:14 in angle of 180°)Catedral Tui(ツイ大聖堂正面)(15:49)slope of Tui(ツイの坂道)(15:52)Rio Minho-Tui(ミーニョ川 :Spain and Portugal)(16:09)Internatinal Bridge Spain and Portugal(国境橋)(16:16)Sunset and Fortaleza Valença (ヴァレンサ要塞と夕陽) (sketched at 19:44 in angle of 270°) Map:Between Santa Eulálla de Mós and Valença do Minho(サンタ・エウラリア・デ・モスからヴァレンサ・ド・ミーニョ までの地図) Elevation Profile :Between サンタ・エウラリア・デ・モス(サンタ・エウラリア・デ・モスからヴァレンサ・ド・ミーニョまでの標高プロフィール) この区間の最高標高は192m徒然の記■カフェイン先日アウトレットに中にあったBookCaféに買い物ついでに寄ってみた。本屋が併設されたCaféで2冊まで持ち込んで読む時間は与えられる。相当な時間である。パソコンなど持ち込みの長居はダメだと書いてあるが本の方は、売り上げに繋がるからよいのであろうか。コヒーをこぼしたりした場合は正直に申告する必要があるが別に買わなくてもよいようだ。実に寛大な本屋である。さて。本題。カフェインがだめなので、デカフェを注文した。60円プラスすれば作ってもらえる。どんな仕掛けなのだろう。やけに待たされたが。最近は、お茶でもノンカフェインがあり助かっている。南アフリカ原産のルイボス茶である。「ルイボスティーは、南アフリカ共和国『セダルバーグ山脈』の一帯でしか生息しない貴重な美容・健康茶です。」と説明書に書かれている。ルイボスティーはから始まる文章非常に奇妙である。「・・にしか生息しない」にかかる名詞が「茶」というくだりが変だ。「ルイボスティーは、南アフリカ共和国『セダルバーグ山脈』の一帯でしか生えていない茶の木「ルイボス」から作られた貴重な美容・健康茶です。」として戴ければよく分かるのであるが。植物でも「生息する」という言い方は間違っていない。美容・健康を植物の「茶」にひっかけている点に無理がある。大自然の恵みをたっぷりと吸収したお茶は、各種の豊富なミネラル類やフラボノイドがたっぷり含まれている。有難いお茶である。
Jan 11, 2017
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La Caridad,2016.9.23-Memoirs44(回顧録44),Nightingale_ story (4239)2016.12.27Memoirs・・Typical camino style road was existed at Villapedre(ビリャペドレ) included rutting pass,old town's road,rough road of farm,forest,little wooden bridge and tunnel of train within only 1.7km.Today・・・I am afraid how to operate the Nightingale sound in I pini del Gianicolo 3rd party of Pini Di Roma by Ottorino Respighi for our 75th regular concert.【Memoirs44--the 20th day of Camino del Norte】2016.9.23(Fri) **Onsite Report(現地からのリアルタイム・レポート)は第8報告(9/23-9/29)の第1項を参照ください。** La Caridad(A Caridá ラ・カリダ)(skeched at 15:59 in angle of 306°)今日は、Luarca(ルアルカ)を出発しSantiago(サンティアゴ)→Villuir(ビリュイル)→Otua(オツア)→Hervedosas(エルペドサス)→Bao y Barayo(バオ・イ・バラヨ)→Villapedre(ビリャペドレ)→Piñera(ピニェラ)→Villaoril(ビリャオリル)→La Colorada(ラ・コロラダ)→Navia(ナビア)→Barqueiros→Jarrio(ハリオ)→Cartavio(カルタビオ)を経てLa Caridad(A Caridá ラ・カリダ)までの33km。Luarca(ルアルカ)のアルベルゲ(Villa de Luarca Hostel)では一人の青年が孤独に何も語らず粛々と準備を整え出かけて行った。その2番手になったのが小生である。あとあと一緒の行動になるポーランド人Dariusz Brosig(ダリウス)である。8000kmの旅を自宅往復でマルセイユ周りで帰るという驚異の青年であった。Villuir(ビリュイル)→Hervedosas(エルペドサス)→Bao y Barayo(バオ・イ・バラヨ)の高原では丘の上から高速道路に国道N-634が絡む姿が一大パノラマのように展望される。Google Earth上で短絡路を見つけておいたのに、その道は森を下っていく工事用道路であった。そのまま進んでもよかったのであるが、600mくらいの遠回りの林道を進む。この遠回りと分かっていながら矢印の方向に正直に道を取ることが本当によいことだろうかと一瞬悩むわけである。時間が許すなら下りきった場所から、目星を付けた最初の場所まで短絡路を戻ってその正当性をチェックしたいところである。しかし先を急ぐため省略。Bao y Barayo(バオ・イ・バラヨ)の村まで反対側の丘をぜいぜい言いながら、犬にも吠えられながら登っていく場所に、一番出発のDariuszに追いついた。かれも朝方の暗い道を一人黙々と登ってきたのであろう。Hervedosas(エルペドサス)(8:45)左手に見えるガードレールが短絡路。しかし矢印に沿って手前の道を進む。Bao y Barayo(バオ・イ・バラヨ手前のN-634と高速)(9:01)追い抜いた場所から2km弱でN-634の国道に出た。野球場のようなところの芝生に上がりマットを広げて今日最初の休憩を取っていると、Dariuszが前を通過していく。そのまま国道を西へ進んでいく。なんの迷いもなしに。しかし、ここは国道を渡り北方向に迂回するルートがcamino道となっているのだ。この道は再びN-634と交差するためその角にあるレストランを見失わなければDariuszのように国道を行ってもよい。しかしそれではつまらない。小生は”正しく”camino道を取ることにした。現地便りにも書いたが、これぞcaminoというような素晴らしい仕掛けがあった。農道から森に入りしばらく行くという足には優しいコースであった。昼前にNavia(ナビア)に到着。木陰で昼食休憩。この頃になるとcaminoの姿が目に付く。華やかな通り。ナビア川を渡って再び田舎道へ。Navia(ナビア)(12:05)Navia(ナビア川の向こうにナビアの町並みを高台から振り返る)(12:17)さて、目的地のA Caridá(La Caridad(ラ・カリダー))までには幾多のcaminoを追い越し13時台に到着。このアルベルゲ(A Caridá Pilgrim Hostel)は定員18名で14:45には満杯になった。 Map: Between Soto de Luiña and Luarca(ソト・デ・ルイニャからルアルカまでの地図) Elevation Profile :Between Soto de Luiña and Luarca(ソト・デ・ルイニャからルアルカまでの標高プロフィール)Max175m この頃になるともはや高い山は無くなった。ガリシア地方までは比較的平坦な道が続く。徒然の記 ・Nightingaleナイチンゲール日本にはいない鳥で美しい声で鳴き、「夜鳴きウグイス」あるいは「サヨナキドリ」と呼ばれる。昨年ポーランドとドイツで聞いた美しい鳥(ガビチョウ?)とは別の鳥であるようである。ナンチンゲールの方が短いセンテンスで高らかに歌う。(今回の旅では9/25のガリシアの旅で、Vilalba (ヴィラルバ)からMaariz (マーリッツ)の区間の林の中で美しい声で鳴く鳥の声をボイスレコーダーで録音している。)さて、Ottorino Respighiレスピーギの「Pini Di Roma(ローマの松)」3部(I pini del Gianicolo(ジャニコロの松)) の最後部にこの鳥が出て来る。一般的には楽譜出版社のリコルディ社から楽譜と一緒に貸し出されるテープを使う。このテープが曲者で、指揮に合わせて合図を送る人と、スイッチを入れたり操作する人の2人が舞台袖に待機しなければならない。よって実際に口笛で真似したり、専用楽器で代用するのが一番よいのだと。先日の市民オケ、正指揮者で定演の全曲を通した時は、なぜかこのナイチンゲールが鳴かなかった。その前の週には、高らかに鳴っていたのであるが。どういう風にやるのか心配である。・チラシ挟み込み今日は有楽町でチラシ挟み込みのアルバイトオケのチラシを他の楽団の演奏会の開催日にそのプログラムに挟み込みを行い宣伝させてもらうことはよくあることである。色んな団体が指定された時間に集まりそれらを一緒に挟み込むのだ。客席数に応じて必要枚数を持参する。10人位が2000枚のプログラムに挟み込む場合は一人平均200回テーブルを回るという作業。1round20secとすると約1時間。今日のは3000枚のプログラム。10種類のチラシやアンケート用紙など。動き出してから1時間後に到着した新しいチラシ2枚増えたことなどもあり3時間も掛かってしまったが無事終了。無限と思われた作業も2グループ計15人で回転させた事により能率が上がったのではないだろうか。歩行歩数8000歩。いい運動になった。camino仲間3人と祝杯。そのまま開演時間をまって聴衆の一人となる以外は帰宅。
Dec 27, 2016
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Montaigu,2016.8.21-Memoirs11(回顧録11)、snow_story(4206)2016.11.24I will up day by day the several sketches drew in long journey to this blog for memoirs,today's sketch is " River of Sévre Nantaise " after 11km from Nantes France.【Memoirs11】2016.8.21(Sun) ナントから南へ。Montaigu(モンテギュ)でテント泊。**Onsite Report(現地からのリアルタイム・レポート)は第3報告(8/20-8/25)の第2項を参照ください。**巨大都市ナント。駅前のロータリを上がり鉄道を跨ぐと真っ直ぐ大通りが南の方向に延びている。都市部の歩道は10m以上もありすがすがしい気分だ。大通りは名前を目まぐるしく変えていく。Avenue Carnot(カルノ通り)、Avenue Jean Claude Bonduelle(ジャン・クロード・ボンデル通り)、Boulevard Général de Gaulle(ジェネラル・ド・ゴール 通り)、Boulevard Emile Gabory(エミール・ガボリ通り)と。一貫して太い道路が続く。Bras de Pirmil(La Loire)(ブラ・ド・ピルミル(ロワール川))を渡すPont Georges Clemenceau(ジョルジュ・クレマンソー橋)を通り、立体交差を上がっていくと、いきなりの小道進入。自作の地図(My Map)通りに道を取るには勇気がいる。今までの立派な道から一転、幅8mほどの狭い生活道路Rue de la Gilarderie(ジラールドリー通り)に入るからだ。両側に家が立ち並ぶ地元民のための道路でこのようによそ者がずかずかと歩いてもよいのだろうかと一瞬思うのであるが、ここを通らないわけにはいかないのである。公園までの最短ルートであるゆえ。蛇行するLa Sévre Nantaise(セーヴル・ナンテーズ川)に沿って数々の公園や、トレッキングコースがあり、別天地のような場所。途中からもう隣の町:Vertou(ベルトゥ)に入っている。現地からの週報にも書いたがここで道を取り違えている。今後何回もある現象であるのだが「行き止まり」という標識にたじろいで別の道を取ってしまったのだ。あくまで自動車用の標識であり、行き止まりの場合でも階段や細い道があり歩くことが出来る場合もある。もちろんフェンスで遮られて行き止まりとなっているケースもあるが。500mばかり遠回りをさせられている。さて、10kmごとに休むという歩行計画なので、この川に架かる橋を渡った箇所で休憩。川にカヌーを組み立てて今から川に浮かべようとしている人たちをスケッチした。この後は炎天下の中を南へ南へと。ボルドーに向けて過酷な歩行が続いている。La Sévre Nantaise(ナント近郊・セーヴル・ナンテーズ川の風景) Map: Between Nantes and Montaigu(ナントからモンテギュまでの地図 徒歩34km)徒然の記■雪11月に積雪! 「悪天候の方が、ウェアを含めてあらゆるものの性能検査に都合が良い。」とはいつも言っている言葉であるが、今日など最高のコンディション。トレッキングソックス(ウイックロン)、ファイントラック(finetrack)のパワーメッシュ、TheNorthFaceのHybrid Delta Zipup、雨具としてmont-bellのトレントフライヤー、サブポーチとして、PaaGooWorksのPathfinder それにトレッキングシューズ、手袋と帽子。こういう態勢でみぞれが降る町へ。雪が多少積もった歩道を駅前まで走る(4.3km)。問題点が2つ見えた・・まずは「手袋」。雪や雨でも使える暖かい手袋を探しているのだが未だに良いものに出会えない。今回は皮手袋という町行きのスタイルで望んだが、指先は案の定冷たくなる。(先の巡礼中のある寒い朝一度だけ某社の”OutDryレイングローブ”を使ったが、インナーの布が指の途中で引っかかりきっちり装着できないのだ。不満100%。企業側のだれもがグローブの装着を試していない商品と見た。)続いて「歩道」に問題が。雪道では少しの傾斜も危なく感じる。歩道が車道より高い場合にはのバリアフリーとかで、各戸の入り口と、道路の間にスロープを設ける。歩道が1m以下の幅だと、スロープ自身が急坂になる。これを歩道側から歩くと、スロープがない場合は問題がないが、スロープがあると道路側に身体が曲がって行き、ついには車道に達してしまう。車がやってきたら危ないことになる。車イスだって、スロープがある都度に傾くはずだ。歩道が狭い場合は家の前にいちいちスロープを設けないようにする等。■西欧との違い日本に帰ってからいつも頭にあるのが「何が違うのだろうか?」という目ですべてを見ている点だ。一番の違いは、人口に比例して存在するというBar(バル)やCafé-Barが日本には無いことではないだろうか。コミュニケーションの一環として町中の人たちが集まる場所。或る者は朝からカウンターで酒を飲み、或る者はエスプレッソを呑みながら新聞を読む。そういう場所は日曜日でも開いていたのである。これが日本には都心以外はなく何か寂しく感じる。また玄関の「上がり框(かまち)」に座り込みじっと外を眺める人達が日本にはいない。みんな家の中である。よそ者が歩いているという情報が共有され、誰かが車で見回りにくるのだ。何事もなく通り過ぎてくれることを一図に願っているかのように。こういう”おせっかいな場面”、いや言い方を変えれば”観察眼” 場合により”人なつっこい”側面 は日本にはない。ポーランドからスペインまで6200km。みな同じような感じ。日本との違いをこれからじっくり考えていきたい。
Nov 24, 2016
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Ploumanac'h,2016.8.17-Memoirs7(回顧録7)、難しい断捨離_story(4203)2016.11.20【Memoirs57】2016.8.17(Wed) フランス・ブルターニュの旅 Plouézec(プルエゼック)からPloumanac'h(プローマナック)往復**Onsite Report(現地からのリアルタイム・レポート)は第2報告(8/13-8/19)の第5項を参照ください。**Houze(オーゼ)夫妻と共に5日間を過ごした。その2日目・・自宅のあるPlouézec(プルエゼック)から50km離れたPloumanac'h(プローマナック)へ行き、トレッキングを楽しんだ。遠浅と奇岩が織りなすブルターニュ特有の景観。海岸を20kmばかり歩いた。今から思えば、毎日20kmくらいの歩行を三日間連続で! ヴァカンス中の夫婦がよくぞ付き合ってくれたと感謝でいっぱいである。最高の”おもてなし”。こんな接待を受けれるなんて なんと贅沢なことだったのだろうか。翌週の月曜日から、シャモニーであるトレッキング大会に出る息子さんの応援に駆け付けなければならない時にだ。1日あればシャモニーへの旅行のパッキングができるためOKだとは言ってくれていたが、土曜日の朝まで、火曜日のSaint Brieuc(サン・ブリュー)駅前での再会から数えて5日間のお付き合い。感謝感激である。まずは皆でPloumanac'h(プローマナック)へ向かう。この時のOnsiteReportは第2報告にある通りで、びっくりしたのは泥海に放置されたボート群。実は引き潮で置いてけぼりにされた無数の船たち。これは心配に及ばないという。満ち潮になれば元のとおり静かに海に浮かぶからと。干満差10m以上もあるこの地域独特の風景であるという。Ploumanac'h(プローマナック)で遊ぶ。昼食を岩の上で食べた。子供連れの家族も別の岩の上。子供たちは元気に遊んでいる。上の女の子はお転婆のようだ。岩と岩の間に足を置いて登ってこようとしている。大きなカモメが食事の残りを欲しそうにだんだん近づいてくる。潮力を利用した水車小屋の遺産があちこちで見られた。 Map Betweeen Saint BrieucからPlouézec(プルエゼック)。Plouézec(プルエゼック)からPloumanac'h(プローマナック)までの地図、Ploumanac'h(プローマナック)のトレッキングルート。ブルターニュの俯瞰地図とともに。徒然の記■五か年計画・・カミさんが宣う。「75歳前に車やめようかしら。」と。高齢者の運転事故が絶えないため恐ろしくなったようである。車をやめるということは、駅に近いマンションに住居を移すことを意味する。このためにはピアノを引き連れて引っ越しをしなければならない。容積が1/5以下になってしまうため今ある家のほとんどを断捨離しなくてはならない。それを5か年計画でやってしまおうという裁断。友達が家を引き払い介護付き老人ホームに引っ越したという話も参考に。さて個人別に許容する持ち物を例えば2立方mまでに限定してそこに詰め込めないものは捨てるといった英断が必要になる。スーツなども1着くらいは残してあとは全部処分!いやぁ、大変なことになってきた。引っ越せないものの山の中で、小生が一人、野良坊菜(のらぼうな)を育てている図式が浮かんでくる。こちらは毎日マラソンでマンションと”別荘=アトリエ”を往復し、Violaを弾きながら絵を描き、畑仕事に勤しむとか。これでは今と変わらない。カミさんだけが物理的に引っ越して行く。結局断捨離などできないのではないかと。
Nov 20, 2016
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Saint Brieuc,2016.8.16-Memoirs6(回顧録6)、日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会の集い【Memoirs5 】2016.8.16(Tue) フランス・ブルターニュ キャンプ地 Camping Plage de St.Pabu(サント・パブ・ビーチ・キャンプ場)からSaint Brieuc(サン・ブリュー)→Plouézec(プルエゼック)まで。Onsite Report(現地からのリアルタイム・レポートは第2報告(8/13-8/19)の第4項を参照。)Camping Plage de St.Pabu(サント・パブ・ビーチ・キャンプ場)を早朝抜け出して、Saint Brieuc(サン・ブリュー)を目指す。途中のスケッチポイントCoquinet(コキネ)や、クレープの店Creperie Des Greves は、なんとこれから会うHouze夫婦が昔住んでいた所とわかりその偶然に驚愕。下記スケッチの絵を見るなり、ここCoquinet(コキネ)!と叫ぶ。Saint Brieuc(サン・ブリュー)手前10kmの地・Coquinet(コキネ)1Saint Brieuc(サン・ブリュー)手前10kmの地・Coquinet(コキネ)2Saint-Brieuc Cathedral Saint-Étienne de Saint-Brieuc (サン・ブリュー)大聖堂 Map Betweeen Camping Plage de St.Pabu and Saint Brieuc(キャンピングサイト・パブ・ビーチからSaint Brieuc(サン・ブリュー)までの地図)徒然の記■日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会の集い・講演会2016.11.19 九段教会にて、総会・会の集い・講演会、懇親会、二次会に参加して今帰ってきた。なんと、「Turbo717 Long Camino Journey 2015-2016 Onsite Report」と題する一冊の本が出来上がっていた。302ページにも及ぶ大判の冊子。Nakanishiさんが編集してくれたのである。Facebookであげた写真もそのなかに織り込まれた大作。頭が下がる。これに今書いている回想録や、スケッチを加えて将来なんらかの形でパブリッシュできればいいかなぁと考えている。ありがとうNakanishiさん。
Nov 19, 2016
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2016.8.11-Memoirs 1-2、パン_story(4197)2016.11.14【Memoirs 1-2】2016.8.11(Thu) その2:ParisからRambouillet(ランブイエ)へ。Monparnasse(モンパルナス駅)は近郊へのローカル線と郊外の主要都市を結ぶ長距離線など数種類の専用ホームがあり多層階を形成する。電光掲示板を見て飛び乗った電車が、運悪く各駅停車のローカル線だったらしく南西に50kmも離れているRambouillet(ランブイエ)へごとごとと70分もかけて各駅停車でゆっくりと進んだ。急行なら30分というのに。6年前の2010年の巡礼で知り合ったフランス人がRambouillet(ランブイエ)近くのAuffargis(オウファルジ)に住む。シャルトルの大聖堂を観たいと思い、パリから歩くコースを練っていた時に、この近くに住むということが分かり2年前から連絡を取ってあったのだ。昨年はパリ止まりであったため会えず、今年はぜひというメール。しかしながら当初は、8月はビジーで、11月にパリで会えればという消極的なものであったが、8月の予定が空いたというので「ではぜひに。」というそういう調子で話が進んだのだ。待ち合わせ場所としたのが、Rambouillet(ランブイエ)駅前。会う前に、すこし町の様子を知っておきたいと思い2,3時間かけて街を散策。当初はここから南に1kmほど離れた場所のホテルからシャルトルまで35,6kmを徒歩で向かうべく、ホテルまで予約してあったのであるが事前にキャンセルをし、Auffargis(オウファルジ)の自宅にお邪魔させてもらうことにした。この城でも御多聞にもれず改修中。その城の一角をスケッチ。Château de Rambouillet;ランブイエ城ランブイエ城(Château de Rambouillet)はフランス大統領の別邸となっており首脳会議が開かれたりする。城の前にJardin Anglais(アングレ庭園)が広がり池にはボートガが浮かぶ。ランブイエ自身も広大な25平方kmにもおよぶ森の中にあり、さらにランブイエとパリの間にはParc naturel régional de la Haute Vallée de Chevreuse(オート・ヴァレ・ド・シェヴルーズ自然公園 )があり、ここは”森の南西イールド・フランス”と思っても間違いはない。さて、約束の16:00となった。駅前でそわそわしながら会うべき婦人Catherineさんを待つ。6年前と変わらず駅に現れし。自宅はこの広大な森の中にある町Auffargis(オーファルジ)の教会通りに面している。さっそくお庭を拝見。ワイン蔵になっているという納屋をスケッチ。Barn in Auffargis;オーファルジの納屋Map Betweeen Paris and Rambouillet;地図:parisからRambouillet徒然の記■パン・・帰ってきてからの手順を書いておいたが、2度目のパン作りでひとつ抜けている材料に気づいた。「スキムミルク・・大匙一杯」を忘れていた。味にはあまり支障がなく違いがよく分からなかったが風味などに多少の影響があったのではないだろうか。3ヶ月の空白とはこのような次第で多少ボケている ということが立証された。■ぼや外出から帰ると消防車が沢山来ていて、自宅までの通路が塞がれていたとカミさんが言う。ウィンドウを開けて聞いたらしい。「自宅でしょうか?」と。向こうの応えは「いえ違います。」と。カミさん。どうして私の家を知っていたのだろうと、首をかしげる。交通止めは自宅から曲がり角3つもいれて200mくらいもあったというのに。ここで面白いのが、質問の仕方である。普通「自宅でしょうか」と聞くものであろうか。
Nov 14, 2016
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The 11th Report(14th(Fri)--19th(Wed)) from France,Spein,Portugal.I am still walking south coast of Portugal for Sevilla.finishing the camino Portuguese (SC)Santiago de Compostela to Coimbra.I moved from Coimbra to Fátima by bus,from Fátima to Portimãn also by bus.I am now Guia(ギーア)at 19th(Wed) Oct.Tomorrow will be tent-staying so I send this blog 1day before than usually.14th(Fri) Oct.São João da Madeira (サン・ジューアン・ダ・マデイラ)--Santiago de Riba--Oliveira de Azrméis--Pinheiro da Bemposta--Albergaria a Nova----Serém de Cima(テント)今日は3日振りの快晴、18階建ての大きなビルの一画にあるホテルから出発する。こんな高いビルが一戸だけある町など知らない。東の山陵に日の出の徴候、黄色+ピンクの晴れやかな空。ホテル3rd floreの食堂より。8:02出発、8:04日の出。意気揚々でスタートしたものの僅Eか1300mの所にあったランドアバウトでマークなくなる。計画したコースはなぜかずっと離れている。計画したルートとcamino コースに相違があったが、そのまま1900mまでカウント。23_01_017 bから540mのポイントで青いマーク発見。カウントを続ける。9:04 3240=23_02_001 bのpoint 。やっと本日分の地図の始まり。昨日早く着きすぎたと感じたのは São João da Madeiraにある消防ボランティア(BV)という町外れの消防署が救護的にアルベルゲを運営している場所までの距離であったためだ。3kmも手前の町中央4300のcountからMy Mapに切り替える。矢印を探しながらキョロキョロするより、こちらのほうが景色を楽しめ安心である。23_02_003 b point(標高222m!)から青いマークに従う。ほぼ南下のため。11:18 5320までcount した所で格好の空きスペースを発見。ポールが円弧を成して18本、大きな緑色のゴミ箱3個、タイル工場の明るいフェンスで仕切られている。半円の半径20mほど。23_02_006 aから350mのpoint 。12:30出発。2:08 7200mで待望のフォレスト。土道が始まる。8008歩で大きな水溜まり。その前に分かりずらいY分岐路。東と西。憶測で西に進む。しかし8400歩で万事窮す。藪の道となってしまった。470歩引き返す。何と松の幹に青いマーク! 東に方向転換。14:4215:01 結局9550歩数。芝生で睡眠休憩+充電。16:00 Albergaria a Velha。当初予定のBVAV(消防署アルベルゲ)に到着したがさらに10kmを目標に進んでみる。途中水、缶詰、バナナなどを購入。20km進めればAguada(アゲダ)のBVAVへ。否なら途中の公園でビバーグ。スーパーで夜食と水1.5Lを買い込んだものだからリュックが重い。夕刻が迫ると森や寒村は実に寂しい。住宅街では必ず犬が吠える。もう真っ暗になってきた。不思議なことに青マークとcamino の黄色が違う場所がある。青はちゃっかり新しく完成した大橋を渡るようにくっきりとした青マーク。camino道は大橋ができる前の古道。途中で合流も、テントを決定しスナックに駆け込む。国道沿いの一軒屋。怪しすぎるが背に腹は変えられない。ミラーボールが回りダンスが出来る空間を提供している。ビール2杯の代わりにバッテリーへの充電を頼む。国道から車が2、3台駐車場に入ってくる。此方は外でヘッドランプを点けながら日記を書いている。テント場の下見に行って驚いた。池と其を跨ぐ石の橋。照明が当たり素晴らしい演出の場所。満月の夜。橋はcamino 道になっていて車は通れない。ここをビバーグ場所と決定。怪しげなスナックには小肥りの女性と経営者のみ。バッテリーを受け取りリュックを担いでテント場へ。テントの上半分がライトに映し出される木々の陰。幻想的な一夜。20:00就寝。早っ!15th(Sat) Oct.Serém de Cima-- Pedacáes--Mourisca do Vouga-- Águedahj--Agueda(アゲダ) de Baixo--Avelas do Caminho--Arcos--Agui--Alpalháo--Mealhada(メアリャーダ)久々のテント泊であるが最悪の事態に。夜半3:13に顔にしずくがポタリポタリと。耳栓をして寝ていたので気付かなかったが雨が降りだしたようだ。3:30益々激しくなり浸水しだした。大事なダウンの寝袋を濡らしてしまえば処置なしである。寝ている場合ではなく寝袋をサックの中に仕舞う。これが毎回手品の様に面白い。フカフカの寝袋。足元から先にサックに押し込んでいくのだ。不思議なことに山のように膨らみきっていた寝袋がどんどんサックの中に吸い込まれていく。最後はもう無理やり押し込みチャックを締める。アラジンの魔法のランプである。さらに圧縮ツールを被せこれも限度まで絞り混む。25cm x 15Φくらいの小さい筒状で完成。最初に寝袋を折り畳んでいては絶対に入らないのだ。これに更に完全防水のスタッフサックに入れて雨に備える。早めの朝食をとり5:05出発。朝方の7:30 Aguadaに到着。元々のスケジュールでは本日分の16.7km point である。昨夜分と合わせよく距離を稼いだものだ。それでも今からMealhada(メアリャーダ)まで26km。この理由は明日のCoimbra までを22kmだけにして午後早く到着したいためだ。たっぷり観光しなくちゃ。Aguadaの「パンと菓子店」(Padaria e Pastelaria Almendria) で7:30-9:00とかなり長いことで粘ったものだ。バッテリーとスマホの充電、WiFi を接続しての交信、休養と栄養補給!10:00 4750 をカウントしたところで大きなT字路。黄色も青もモホンも確認できない。丁度緊急事態。急な便意。食べ合わせが悪かった寝不足か。少し横になろう。レインコートを上下、昨日夕刻からスペイン・ポルトガルの旅では初めてタイツ+半ズボン(runパン)、長袖Tシャツとかなり着こんでいるので寒くはない。10:20出発。なんと西側に行く方向にモホンが立っていた。反対側からは単に細いコンクリの杭にしか見えない。正方向に進むのは実に分かりやすく角かどにモホンがあるのである。誰かが言っていた。モホンを見ながら後退りするように歩けばよいと。10:49 6836をカウントしたところでBar有り。晴れ間が出てきたのでレインコート、ザックカバーなど脱いだり外したりと。すこしコーク休憩。11:15 出発。今日はペースダウンか? 11:46 10km。 23_03_013 Avelas de Cominho。新しく次のカウントを始めよう。12:00 554をカウントしたところで幹線に出る。その角がちょうど教会。鋭角の三角形をなしベンチが2つ。昼食休憩にはもってこい。どうもポルトガル、紅葉が今一つ。松やユーカリの常緑樹の木々が多く落葉樹が少ない。楓類は少し黄いばんだかと思えばすぐ風に吹かれて葉を落とす、桑の葉っぱを大きくしたような葉を持つ木々が、黄色く色が透けた葉を落としている。燃えるよう赤色を見ない。最近は上記のように10kmのカウントで一区切りとし軽食休憩を取るようになった。いちいちMy Mapを見ないので効率がよい。南向きの一本道は分かり易いが休憩する場所が殆んど無いのが辛いところ。今回のように切りが良いところで休憩が取れれば申し分ない。13:00出発。ここから10kmカウントしてみよう 。6627で矢印消える。Maps.Meで確認すると合っている。それにしても矢印が少なすぎる!14:42 7052カウントに大きな運動公園あり。このあたりRea Val de Azarの新興都市であろうか。土曜日であるが閑散とした運動公園前で少し昼寝。雲が出てきて風が吹き寒くなり始める。Anadia Cineteatroという字幕の旗が4本。15:00出発。3:37 10km。ニュージランドからのcamino 3人に会う。コインブラから今日出発したのだと。Anadiaのホテルに泊まるという。彼らから「フランス人か?」と聞かれた。巡礼で顔かたちが変わってしまったのかも知れない。さてあと5kmとなった。BV(消防署)への訪問は初めての体験。所が玄関で門前払い。BV消防ボランティアによる宿泊サービスはある事情でやっていないのだという、そこで紹介されたレストラン兼レジデンスHilário へ。1.5kmもcamino 道を戻る。途中ミニスーパーで買い出し。ここで気付いたのであるが正方向の黄色い矢印や15cm角のモホンのプレートも結構見ずらいのだ。青いマークに慣れてしまったのかも分からないが「道に迷う」ということが大いに起こりうる状況。やはり交差点が一番やばい。SC、Coimbra 間は黄色と青色の両方で情報量を倍にして歩くべしと。ディナーは子豚の丸焼きで超人気のレストランへ、Leitão á Barradaを食す。リッチな人達が正装をして続々と訪れる。コインブラから20kmしか離れていないので車で続々と来るようだ。食べなれないチーズによるアントレなどで大枚を取られた。camino とは別世界である。16th(Sun) Oct.Mealhada --Lendiosa--Carqueijo--Santa Lúzia--Sargento Mor--Adóes--Ciaga do Monte--Adémia--Coimbra(コインブラ)5:00起床。ホテルの中庭、トタンの大屋根の下にシーツ類がワイヤに沢山吊るされている。昨夜テントを洗って乾かしておいたものを取り入れ畳んだり外のそのスペースで朝食を取ったりしている。パラパラと音がし始めた。俄に激しくなってきた。外を見ると豪雨である。トタンを叩き付け大変な音を発しているのである。重装備で出掛けなくてはならないのであろうか。これも止み微かな雨のなかをコインブラに向けて出発。6:4510kmのカウントを今日も続ける。8:17 5139歩でLendiosa 8:29 6200歩でMala8:43 7157歩で森。銃声が聞こる。ガリシアでもそうであったように、日曜日に狩りを行う人達。犬を数匹カーゴに乗せ、車で森に向かうのだ。ホーホーと犬を呼ぶ声。仲間と共同で狩りを行う場面も多い。9:16 8448で小休止。その前9:00頃自転車4台と会う。久しぶりに「SCかファティマか」という質問。実はこれには訳があった。このルート、幹線を避けるため大きく森を西に回すルートで小生のMy Mapルートには無いルートであった。矢印に沿った結果この道を進むことに。このようにルート図を見ないで歩く場合は注意が必要である。森を行きつ戻りつを繰り返している場合はひょっとしてSCへと言うこともあり得るのだ。少ししたらバイク人が大声で叫んでいる。ポルトガル語のため訳がわからず無視した形でそのまま南西方向に進んだ。しかし気になって叫ばれたときのpoint まで戻ってみた。何とそこに小さなファティマ行きの表札が東南方向を指して四辻に立っていた。なるほどヴァリアントルートだったのかも分からない。本来のcamino ルートに戻るための2.5kmの大切な標識だったわけだ。男性の叫びがなかったらもっと外れて歩いていたのかもしれない。camino友達が迷ったpointもこの辺りかも。9:34 再出発。9:53 10km。ここでカウントをresetし次の10kmに向けてそのまま森を進む。 ユーカリと泥んこ道の先に家屋が見えだした。一旦国道と合流するがすぐそれて生活道路へと導かれる。10:26 2318 日曜の町に鐘がなり人が行き交う。小さな雑貨店がBarを構える。camino がSCに向けて8人も離れて通りかかる。丁度朝方コインブラを出発した人達であろう。 ここはSargento Mor。My Mapでは23_04_012 b地点。一旦カウントをreset、コインブラまで10kmと踏んだからだ。丁度教会のベンチ。最初の休憩+充電。自転車で通り掛かった男性が話し掛けてきた。後で教員と分かったが多言語を操り物凄いお喋り。「Obrigado 」と「ありがとう」が同じ意味で発音も似ていることに感動していた。この男性からコーヒーをご馳走になる。Barの人達と喋りまくる彼を置いて11:20 出発。12:09 4153 幅6mくらいの運河のような小川に沿うポプラ並木の気持ちよい道を行く。川面に雨粒のような軌跡。夥しいアメンボウが小川を"歩いて"いる。見ると10cm漕いでは小川に流され同じ場所に留まっているようだ。面白い。12:36 6km、余りの暑さに、レインコートと長袖を脱ぐ。13:25 9km point 。コインブラ市内。運河が右手。北向にかなりな勢いで流れる。目の前を高架橋。鉄道と一般道路、camino 道と川を跨ぐ。コインブラからファティマまでの道はcamino de Fátima という名前の道、看板が出ていた。camino の矢印を無視し川沿いを1km進むことにする、駅前中心街へはこちらが早い。900mでstop。1枚スケッチ。13:5114:10 Flôr de Coimbra 投宿。宿屋の夫婦これから食事らしい。廊下からいい匂い。30ユーロ現金払いのペンション。板張りの床はなかなか良い。さて町に出て驚いた。黒いガウンを着た学生達で溢れているかと思いきや黄色、赤、仮装をした学生であふれかえっている。セメスターの始まりを"祝って"いるのだという。皆歌っている。野菜の蕪(かぶ)を逆さに持ちそれをかじらせてはキスをしている。かじり跡の多さがポイントだ。手に手にコップを持ちお酒を飲んでいる。ビール缶やコーラの空き缶を幾つも足に結びつけ騒音を発しながら歩いている。スーパーの籠に酒などが一杯入れて押してパレードをしている。もっと真面目に勉強をしている姿を見たいものだ。歌は春学期の難しかった教科を愚痴っているようにも聞こえる。この場に教員はいない。いたら袋叩きに会うに決まっている、パレードの最後尾にゴミ回収車と掃除要員が多数控えホウキで掃除してぴかぴかの校庭に戻している。感動である。13世紀創立のこの大学は国立大学。12世紀創立のイタリア・ボローニア大学、フランス・パリ大学、英国・ケンブリッジ、オックスフォード大学、スペイン・サラマンカ大学などと肩を並べる。Coimbra は大学とともに発展し、大学が中心の町なのである。ジョアニナ図書館なども訪れたかったが。17th(Mon) Oct.Coimbra--Fátima--Lisboa(リスボン) ポーランドにおけるチェンスホーバと同じようにポルトガルにも聖母信仰の聖地 Fátimaファティマがある。旅で初めて知った。Coimbraから南 Lisboaまで巡礼歩行は今回は時間の都合でcut。My Mapは出来ているのでそれを見ると真南のTomareを通りTejo川に沿って東側からLisboa に入る。 FátimaはTomare から僅かに10kmくらい西に位置するだけなのに通っていないのだ。ツーリズモではコインブラから独自の青いマークが始まると言った。「camino de Fátima 」の道。これを今回は96kmのバスの旅とする。西海岸の絶景Nazaréを訪ねてからLisboaに入る予定であったが道中何回も「 Fátimaへ」と応えてきた手前行かざるを得ない。昨日 宿屋の夫婦が衣服を全部洗濯してくれ干しておいてくれたのも"Fátimaへ"が効いたのかも知れない。宿を8:03出発。外は雨、気温17℃と暖かい。町外れのバスターミナルからLisboa 行きExpressで Fátimaへ。11.8ユーロ。9:00出発10:00到着。聖堂大講堂10:22 リュック姿は僕一人。コンチャ(帆立て貝)の写真を撮りたいと後ろ姿を撮られる。リュック背面に付けた貝は大船渡から送られてきた貝をはまだ安泰である。スケッチをしようと思ったのにペットボトルがない。バスからリュックを取り出す時に落としたのかも知れない。そこに現れたのがカール(Cal)。救世主のような存在だ。21歳のバッグパッカー。広い会場にリュック人が2人になった。ポルトから町々を格安のlocal バスで巡っているという。南仏に住み世界を観て見聞を広めたいと言う。学校を出てすぐ就職するのは日本人だけであろうか。このあと14:00少し前のバス(5ユーロ)でNazaréに行くのだという。海浜にある赤い屋根群の旧市街!今回はパスした場所なので写真を撮ったら送ってくれるように御願い。水をもらいスケッチに取りかかる。大聖堂はチェンストホーバを小さくした感じで非常に似ている。1917年5月13日に起こった聖母出現の奇跡に因み5月から10月の毎月12、13日が祭礼の日となっている。7万人が集まるという。それだけのキャパを備えた広場や講堂、町全体の1/3を占める面積。チェンストホーバの100万人には及ばないものの聖地としての町は騒音厳禁の清楚な佇まい。小さな御堂の回りを膝のみで歩く人が2人。特別な地なのである。青年が克明な日記を書いている時間を利用してスタンプを貰ったり2枚目のスケッチをしたりと手ぶらで歩き回ることができた。彼の日記にもスケッチを所望されたり青年との邂逅を楽しんだ。将来四国巡礼に来るかもしれない。14:21 21分遅れのexpessでLisboa へ。座席は54指定席であった。12ユーロ。Lisboaバスターミナルは市の北側に位置しホテルのあるMarque de Pombalまでは直線で2.5km。東南に進めばよい。公園で繋がっている。Maps.meにはその公園に薄いピンクの線が縫っている。ジョギング+バイク道である。まあ恵まれた環境である、こちらもcamino 道のように土道を楽しみながら歩いていく。ローマ時代の水道橋(Alto da Serafina)が眺望される。Sãn Sebastiãnの最上段Jardim Amália Rodriguen公園にいきなり出てしまった。ここから岸壁まで坂道が始まり市内が一望できる。"この景色頂戴"と叫びたくなった。下部のParque Eduardo7世、Praça Marques de Pombal の銅像へと高度を下げていく。さらがら市内観光である。銅像周辺を大画面で描く。ホテルに入ってしまったらスケッチまでの間にとっぷりと日がくれてしまう。少しのタイムも無駄に出来ない瞬間である。この地点が地下鉄の入り口であった。ホテルといっても"レジデンス"という部類で、トイレ・シャワーは共通、キッチンなど完備した住居風の造りで部屋は個室。18th(Tue) Oct.Lisboa--Portimão(ポルティマン)5:30起床。Tagus Royal Residenceのホテルは共同のキッチンが各階に2室ずつつついている。ちょうど部屋の前がキッチンで朝から料理にいそしむ。ベーコンに目玉焼きという簡単なものであるがこれが結構パンに合う。豆の煮込み缶詰の半分を温めトースターの横に置いてあった食パンを2枚目ほど頂戴してトースト。因み冷蔵庫上部に保存されているもは余ったものなので自由に使ってよいという(法則?)があるらしい。オリーブオイルやバターなどがそれだ。アルベルゲでも適用される。自分で必要とするのは下段に置いたほうがよい。地下鉄で Marques de PombalからChiadoまで降りる。目指すはCastelo de São Jorge(サンジョルジュ城) 9:00open(8ユーロ)。お城のなかに孔雀が飼われていた。古城の上から市内を見下ろすことができる。絶景。ニースの古城からの景色に似ていて面白い。10:30迄にはホテルに戻りたい。市電が上がってくる路地を目指して坂道をおりる。Maps.Meとコンパスが無ければ迷路の丘は無理であったろう。しかし電源がどんどんなくなり7%で薄暗くなり反応せず。ここまで減るとは予想だにせず。メトロ駅 Terreiro do Paçoはおよそ見当がついている。大型客船などが停泊している波止場に近い。往復切符を買ってあるがまさか同じ駅を利用しなければならないということは有るまい。改札口にカードをかざし入ろうとした。ゲートは開いてくれない。突破しようとも考えたが切符売り場で聞いてみよう。な、なんとその改札口はボート用だという。地下鉄は反対側の階段を降りた所だと言う。突破していたら対岸に渡るボートに乗っていたことになる。明るい桟橋に降りていくスロープがあったので引き寄せられたのだ。地下鉄はArco da Rua Augustaに向かった地下にあった。車がkeep rightで動いているというのに、鉄道、地下鉄はkeep leftで動く。日本と同じだ。ホームの右から車輌が来るのだ。慌てているとき逆に乗ってしまったのはフランスボルドーのトラム。ホテルに帰り、昼御飯の仕度。このあたり観光を二の次にしてしまっているのは体力勝負がまだ続くからである。チェックアウト11:30の時間は既に確認済み。キッチンが使えるのでさんま缶詰、ベーコンなどをフライ、豆の煮込みを暖め、トーストにパン、バナナ、ゆで玉子と満腹状態にしてからチェックアウト。11:00ホテルを出る。 Marques de Pombal駅までは徒歩300mと便利。Reboleira行きのメトロでJardim Zoológicalへ。Sete Rios地区にあるAuto Busターミナルへ。11:30着。早すぎた。12:30の Lagos行きのバスを待つ。さすが首都のバスターミナルである。飛行場のような電工掲示板で発着時刻が表示される。92番のLago行きバスでPortimaoに向かう、3時間半の旅。ピースのは大丈夫か。50セントを惜しんではいられない。ほぼ満員のバス 。 15:45 Portimao到着。24℃の暑さ。南国である。268軒もホテルがある観光地3km西にビーチ、南一直線が海岸、大きな潟を跨ぐ橋、ヨットハーバー・・・、ものすごい観光客。皆半袖、サングラス。アフリカに近いのか熱風。16:45 甘いお菓子を食べながらビールをのむ。ついでに街角をスケッチ、Rua do Camacioを通り、車が通らない散歩道に沢山のブティックやPastelaria(菓子屋)。自然の力強い線はいきなり8Bの柔らかい鉛筆でダイナミックに濃淡を付けて描くのだが街角のような複雑な線がある風景は最近は2Bのプッシュタイプの鉛筆で描く。角度を決めるときなど鉛筆の長い柄が役立つ。薄い線のみではメリハリがないのでそこを部分的に8Bで補う。turbo(ota)流のスケッチの完成。これにごく薄い彩色。壁の色にクリーム色が多い。三原色から作る方法が難しいのであるが、ごくごく微量の色を調合していくのだ。筆先の0.5mmが勝負。マジックのようにあらゆる壁色が出現する。street performanceよろし一人芝居を楽しんでいる。南国に来たのか日没が遅くなった感じ。スーパーで買い物をし終わった17:56 でも、まだ太陽は260度の方向に7度の仰角で輝いている。たっぷり夕刻を楽しむことができる。スーパーのレシートを何気に眺めているとバナナやピーマン、卵といった素材と鰯の缶詰は6%のtax、ベーコンや豆を煮た缶詰は23%のtax。日本でも税率のすみわけでややこしいことになろう。こちらは特に気にしていないように見える。鰯雲が空に浮かんでいる。こちらはいくらか観てもtaxゼロだ。ジブラルタルまでの最終歩行が明日18日(水)から始まる。夕食を安い郷土料理の店O Mata Porcosで、Sopa 、Massinha Peixe(cray fish --ザリガニ! or --伊勢海老!)食す。19th(Wed) Oct.Portimão--Calvário--Estomba--Lagoa--Bempestra--Porshes--Guia(ギーア)5:30 起床 日記の整理など 7:30朝食 8:15 出発、9:30 白亜の建物が層をなし丘の上まで重なる町 Estombaを通過。10:06 N125へ合流point 。国道の交通量に少し躊躇。ラウンドアバウトを見ていると実にスムーズに行き交っている。信号待ちのロスはゼロ。回転のわっかを回っている車が優先。ただそれだけである。空いていれば入ればよく好きな進行方向へ曲がっていけばよいだけ。一生わっかの中を回り続けていても誰も文句は言わない。充分なスペースがあれば有効である。ただこれが慣れていないと"戸惑い"がありスムーズにはいかないであろう。10:30出発、11:00 25_02_005 c point 余りの暑さでタイツを脱ぎrunパンにスタイルに戻る。これで完全camino スタイル。あと3km国道をいくと町中の道にmassugu入れる筈。11:15出発、11:48 Porshes の手前200mで町並みをスケッチ。休憩、道に迷う!おかしい。道なりにカーブを描きつついなか道を来たのにコースから外れている。しかもコース上に戻ってもそこには道がない。Google Mapから作成した最短コースにまた誤りがあるようである。荒野にところどころ白亜の民家が点在し道は1km単位に網目のように入り込ん場所である。大回りしてその先のpoint まで進む。こんどはMaps.Meが言うことを聞いてくれない。犬がふらふら出て来て吠えまくる。灰色の矢印!はMaps.Meがちゃんと動いていない証拠。スマホを再起動。その間東向の支線なら間違いがないと信じどんどん行く。ここでフェンスに囲まれた施設に道を阻まれる。しかしその向こうに国道の音。漸く生還できたのかも。フェンスの先はキャンプ場であった。これなら覚えている。My Map 25_02_007 bのpoint である。14:08 最初の休憩かつ昼食休憩。14:45 出発。ほどなくGuia (ギーア)の町に到着。目指すQueens Villaは各戸にプールが付くという超豪華レジデンス。当然全員車でのアクセスである。少々高くついたがテント泊が続くためやむを得ず。ところが門が閉まっている。ベルや貼り紙が一切無いのだ。通りかかった人に助けを求める、同じ名前のレストランが国道にあるのでそこに聞いて見たらという。レストランに行ったがそこも閉まっている。電話番号があったので連絡を取る。5分ほど待てという。安い方のレジデンスはレストランに繋がる建物でプールも共用である。22℃なので泳げるという。部屋の内装は見たことがないほど豪華。シャワーなど上から144個の穴からお湯がほとばしる。滝のように打たれて我を忘れる。全館独り占めのように誰もいない。プールでひと泳ぎ。国道を東に500m行けばショッピングセンターがあるという。巨大スーパーは歩いて行くようには作られていない。資材、スポーツ、家具などブロックに別れた巨大な敷地。警備員に教えてもらいやっと食材+日用雑貨のスーパーに辿り着く。電池、バンドエード、歯ブラシ、サラミ、バナナ、オレンジ、缶詰と。何かキロ歩いたら全部買えるのだろう。なん万種類と食材が並ぶ。ワイン売り場なんて100m規模で並んでいる。驚きで開いた口が塞がらない。20:00を過ぎての買い物だったためにレジが余り動いていなく長蛇の列。日本にもあるセルフのレジで清算。実に便利。3分で完了。ナッツ類や朝食用フルーツミックスなど買ったために少々高額。13ユーロだった。不夜城のようなスーパーを出て国道を戻る。ビュンビュンと車が通る道のガードレールの外にある側道をヘッドライトを点けながら戻る。
Oct 20, 2016
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The 10th Report from France,Spsin,Portugal.I am still walking the camino Portuguése from (SC)Santiago de Compostela to Coimbra.This reverse course means "Go to Fátima" tracking the blue arrow.Some times 旅の徒然■ネコ、犬、人間こちらのネコたちは日本の猫と同じだ。にゃ~にゃ~と鳴き、顔付きもそっくり 鼻は低いままだ、実に愛らしく可愛いい、人間のような種の違いが無いからであろうか。西洋人とかアジア系というような極端な変化はない。人間の例から考察してみよう。こちらの男性はおしなべて大きい。戦いを好んできた人種のため強く逞しい人のみが生き残ってきたため遺伝的な要素に"逞しさ"が加味されてきたためではないだろうか。女性もしかり。小生など恥ずかしくて4人一緒というタイプのシャワー室には入れないのであるが。犬の例からも考察してみよう。此方の犬はまぁよく吠えるものだ。大きな農園を通った時のことだ。300mもフェンス沿いに吠え続けた。逆方向から来た標的に鞍替えして付けていく。しこうしてもの凄い運動量だ。散歩に連れ出す必要はない。壁の上に登って吠える犬もいる。飛びかかってくる勢いである。人間が好戦的であるがゆえに犬もそうなるのであろう。鳴き止ませることをしないのだ。散歩に糞を処理する道具を持っている人は皆無。まぁ牛がそうであるように掃除をしていたら切りがないのであろう。猫を見よ。このおとなしい動物はあくまで平和的である。■石畳Camino Portuguése(ポルトガルの道)は石畳の道である。Ferrol の町の"石畳"は怖かった。坂道に1m x 50cmのツルツルの石が敷き詰められ雨が降ったらつるりと滑ってしまう石畳。反対にツルツルでは無いが普通の石のように凸凹、雨でもすべらないタイプの石畳。Barcelosの舗道は5cm x 5cmの細かい石が隙間なく敷き詰められたもの。その後このタイプが舗道には多くなった。ツートンカラーとし美しくデザインされることが多いようだ。きっちりとした方形ではなくバラバラだけども全体に釣り合いがとれている。VilarinhoからPortoに向かう道は10vm x 10cmの石で表面が凸凹の石畳が何十キロと。目土が無くなっているものが多く、ストックの先端が挟まってしまう厄介な石畳。並べ方は様々。多角形の石が敷き詰められ表面が平らでなく凸凹であるがゆえに靴や身体にダメージが大きい"石畳"角が丸くそこそこ大きい石を立てて置いた石畳。山道の石畳。大小様々な石が転がり歩きづらさではNo1、熊野古道を思い出すような石畳。そこではたと気づいた。これらは足のツボを刺激してくれるため健康にはとても良いのではないだろうかと。今まで一切の足のトラブルがないというのは道からパワーを貰っているためかも知れない。■日記の項(注釈:My MapとはOpen Street MapやGoogle MapをベースにScreen Copyし、ディジタイザを使い特殊なペンで予定コースを書き込んだものを言う。1日分で10から20シート。番号は次のような意味、ex.22_03_002_b・・・第22ステージ(SCからPortoまで)、3日目、第2シートにあるランドマークb地点。)7th Oct(Fri)Pontevedras--Anta Marta de Ganderon--Cacheiro--Arcade--Redondela--Galleiro-- Sants Eulálla de Mós 5:00起床。ホールやダイニングでもマットを敷いて寝ている人達アルベルゲは超満員。台所でblog更新や朝食。立ったままの作業。7:30南に向かって出発。9:40 ナッツ休憩。大きな石が敷かれた熊野古道のような道が続く。22_03_002 c-d point 9:5010:11 橋の袂でスケッチ休憩。+軽食休憩+カフェコンレチェ 11:04.13:00 Redondera スケッチ休憩13:30 出発。13:45 Bar(Don Vinarius) あり久々の肉の食事--Milanesa de Cerdo14:22 出発。14:34 南向きに進むため直射日光が照りつける。余りの暑さで、長袖を脱ぎ半袖に。15:48 クランクで曲がった筈なのにその地図を消してしまったようだ。失敗!"アルバムアプリ"ごときが外付けメモリーにある一枚の画像を消し去ってしまう権限がどこに有る?と言いたい。クラウドに保存しているファイルから元に戻せたが。16:45 アルベルゲ:Asociacion de Vecinos Santa baia.Mos到着。8th Oct(Sat)Sants Eulálla de Mós--O Porriño--Orbenlle--Magdalena--Tui(Spain)--Valença do Minho(Portugal)5:00起床。7:00出発。目の前のBar , Teperia Floraでカフェコンレチェ休憩。7:15 再出発。杖を調子よく石畳の道をコツコツと音を立てて南の方向に歩き出した途端Barの親父が飛び出してきた。「SCはそっちじゃないんだ。」パラキ(こっちだ)とジェスチャー。ファティマに行きますので。と説明。「ムイビエン!」と言って親父引っ込む。5分ほど歩くと蛍光色の服を着た道路作業風の2人からも同じことを言われる。同じように応える。よっぽど逆方向が珍しいようである。大きい都市 O Porriñoでは更に問題が。急いで歩いていると何かアルベルゲに忘れ物をして戻るところなのかと勘違いされかねないl。笑顔で余裕のある歩き方に努めなければならない。8:35 O Porriño center 8:35と言うのに町は静まり返っている。8:58 街角のパン屋 Panadería Chinchinaで出来立てのパンをget。Tuiに行く経路のうち工場地帯を通るコース(6.2km)と、900m長いがいなか道を通るコース(7.1km)の分岐点。何のマークも無いのでMy Map を見ていたら角にあったBarからまた男性が飛び出してきた。今度は「Tuiか?」と聞く。やはりこの地点で正しかった。2つコースがあるのだと説明してくれる。正方向だといずれにしてもY字形に合流するのでマークがないのであろう。10:12-58 長い方のコースの丘 topで朝食休憩。22_04_005 a'-b' 500m point 。この休憩までcamino に会わず。休憩し始めたら20人も通過していった。不思議。11:32 森の中で犬と記念撮影。13:30 Tuiに到着。観光スポットで休憩。絶景をスケッチ。この絶景の対岸はもうポルトガルであった。Messengerで「もうすぐポルトガルですね。」と言う記事をWiFi のあるBarで読んで初めて認識した次第だ。国境を流れる川、鉄橋と車道が2段になった国際橋の上を列車が走る。22_04_10 b-c 300 小さな教会裏庭。そのままの大聖堂が建つ丘の上へ階段を登っていく。14:40-15:30 カテドラル横のレストランLaqueyuiで昼食。16:06 国境を越えた先にポルトガルの Valença do Minhoの城が見える。青い矢印はお城を巻く道を何処までも誘導してくれる。これでは折角の観光が出来ない。しびれを切らし造反。My Mapに書き込んだ計画コースへ進路を変更。案の定、お城の中に2つある丘を結ぶメインストリートは観光客で溢れていた。ただし殆どは城壁際に沢山ある駐車場から歩いて来た人達だ。camino 姿で歩く人は僕一人。城壁を出てすぐの南側にアルベルゲがopenしていた。SCで「閉まっていた。」と忠告を受けていたアルベルゲである。16:00まではcloseなので時間的にはcloseしていたのであろう。さてポルトガルに入った。ポルトガル時間はスペインより1時間遅い(日本との時差は8時間)よって今15:22。15:45 Valença do Minho アルベルゲ着。国境の橋からポルトガル語に切り替える。すなわち「お早うございます。」はBom dia(ボン ディア)「有り難う」はObrigado(オブリガド)アルベルゲはもうポルトガル語ばかりが聞こえる。丁度自転車の少年団が到着し付き添いの親達を含めて25人の大団体。夕食を1人で食べようとしていたら招き入れられる。骨付きチキンなどをご馳走になる。こちらは例の如くカップヌードルを食べようとしていたら全員「?」の凝視。経験が無いらしい。一口食べてははしゃぐ。ポルトガルにカップヌードルの文化を持ち込まねば。9th Oct(Sun)Valença do Minho--Paços--Fontoura--São Bento da Porta Aberta--Rubiães--São Roque--Labruja--Arco--Arczelo--Ponte de Lima5:30 起床。7:20 出発今日は失敗が多い!どうしたことか。もう頭が狂ってしまったのか。初っぱなの1km-3kmで迷路のような町で道に迷う。計測と青いマークのずれなどが原因。やはり市街地は2.15cm/500m(23000分の一)では無理があり細かい路地が抜けてしまう。倍の縮尺にすべきであった。1.3kmの距離の中に150m、450m、780mの各々の位置で曲がり角(ランドマーク)があるのにも拘わらずその肝心のスタート位置(基点)が間違っていったためにあらぬ方向に。市街地は似たような曲がり角が多くなかなかの難物だ。その他では幹線道路を直ぐの150mで左折しなければならないのに右側を歩いていたたために青いマークを見落とし400m行き過ぎ。My Mapでコースを知っているばかりに勘違いをして早めに曲がってしまったり進んではいけないというxマークを見逃し先に行ってしまったりと。途中で会った女性は同情してくれ「青いマークはとても古く認識できないものが多い。大変badだ。」と。9:30 余りの疲れでナッツ休憩。小石がびっしり敷かれた道は靴と身体に堪える。22_05_003 b point Fontoura 手前970m 9:3011:09 22_05_004 c =São Bento 小休止、Barに沢山のcamino が寄る。11:42 22_05_005 a point 昼食休憩。--12:2013:35-50 麓に店を出していた露店のような場所で日本人sakuraさんに会う。スウェーデン在住とのことで友人とポルトからゆっくり歩いているのだと。14:37 山のtop近くで6人グループに取り囲まれる。記念撮影。22_05_008 b point 標高398m Porttela山(410m)の近く標高398mを登り下り。久々の本格的山岳!15:50-16:25 417m count---3度目の軽食休憩、22_05_010 a-b間 傾斜地の空いた葡萄園 もう日が陰りだした。日陰では寒い。この寒暖の差は何だ!18:30 Ponte de Lima の橋の袂にある立派なアルベルゲ到着。ベッドルームは18台が平置きになった部屋が2つ、贅沢な造りである。宿泊camino は21人しかいない。10th Oct(Mon)Ponte de Lima--Seara--Alto da Albergaria--Vitorino dos Piáes--Ponte das Táboas--Alto da Porela --Vilaboa--Barcelos(Albergue Cidade de Barcelos )7:02 出発。スペインで言うところの8時なので薄明かるい。町中ではヘッドランプはいらない。石畳の橋を渡っていく。アルベルゲのスタンプはこの橋をモチーフにしたものだ。建物に点る明かりが川面に美しく映えている。広場を掃除する人だけが通りを動く、500mもの楓の4列の並木。見事な空間を朝の散歩であろうか老人がゆっくりゆっくりと歩を進める。川沿いの道をさらに800m。京都市渡月橋のような気色。長い堰の向こうに霞が掛かっている。7:32通行する人、ジョギングする人。ボン ディアス! 「Bom Dia ボン ディア」「ス」が多かった。間違って摺り込まれた頭。改善しなければ!迷うことのない緩いカーブ道。これが延々5kmも続く。22_06_002 d点から350mのpoint 。麦わらを運ぶトラクター。パイルしたばかりの麦わらは熱を帯び燃えるように蒸気を吹き上げている。朝日に当って美しい。朝の農夫の仕事は忙しいのだ。巡礼に手を振ってくれる。8:31。葡萄畑が続く。半分ほど色ずいている。石畳でも15cmほどの多角形が組み合わされ表面が凸凹。頭上に葡萄の棚をしつらえたcamino 道。9:30-45 ナッツ休憩。行き過ぎたcamino 4人。少なくなっている。10:40 軽食休憩。22_06_006 Cafe600m手前なるも空腹とパンを消費するため敢えてcamino 道から外れ林道の中へ。-11:2113:14--33 22_06_009 b point 教会の影で昼寝。標高100m14:22--14:40 Pastelarias発見。パン、クロワッサン、菓子パン、コークで3.8ユーロの安さ。 22_06_010 c_dBarcelos 直前の"いなか道(石畳)は938mx 949m逆L字形。10cm方形の石を敷き詰めた道。11th Oct(Tue)Barcelos--Barcelinhos--Carvalhal--Pedra Eurada--Sán Pedro de Rates--Sán Miguel de Arcos--Junqueira--Vilarinho(Mosteiro de Valrão)5:30 起床。スクランブルエッグ、細切れサラダ、鰯缶詰、バナナ、チーズ、パンなどしっかり食べる。ゆで卵、ドーナツ、オレンジ(昨夜食べた感では今までで一番のオレンジ。一昨日のはスカスカで最悪。見分けるコツはないものだろうか。)バナナ・・・などかなりの重量! まぁよしとしよう。今日は行程が久々の20km台。しっかりスケッチしよう。教会前のパン屋、トラックの運転手も南北を間違えているような注意「SCは反対だよ」と。ファティマというとよっぽど珍しいのかキョトンとした顔。8:18 橋をスケッチ。ここで逆コースを歩いている男性と目があう。確かアルベルゲで一緒だった男性である。22_07_001 c-d間。この区間最初の170mで左斜めに道を取らなければならないところ少し行き過ぎる。突然マークがなくなったから気づく。バスの運転手、SCの方向を示してくれる。9:23 22_07_001 e-f間 352歩 Auto Mercado(コンビニ)あり。トンネルから3461歩。My Mapを見ないで何処までも行けるか?10:19 Pereira でBar カフェコンレチェ休憩。今日のコース 一昨日、昨日と違って町を縫うためかBarやMercado が多い。--10:344100mで不明。チェック、10:50 再開。青いマークあり。22_008_005 aから280mのpoint11:38 2212 道路の曲がり角からのcount 。Videoを撮る。12:00 4km count point 。分岐に赤白のX印と黄色のX印。GR11のコースでもあるのだ。12:30 6012 count. 教会内。6043 12:34 昼食・充電休憩。78% 13:38 出発。15:07 で挫折。青いマークが消えた。Maps.Meで確認すると1、2kmコースから外れている。1157で進行方向に合流か!15:00 近道の方の青いマークを歩いていたらトラックが止まりリンゴを呉れる。そのまま歩きながらかじる。非常に美味。感涙。22_08_010 b-c 510m 。point Ponte do Rio Ave近くで逆方向に歩く人。Barcelosのアルベルゲに泊まった人で朝スケッチをしていたら逆に歩く人と挨拶を交わした男性である。やっと追い付いた感じ。驚くべきことにドイツ・'アーヘンに住むブルガリア人Steliyanであった。SCへはガールフレンドと一緒に来たものの2、3日を過ごした後に足の都合で別行動となってしまい、またその兄弟の都合でポルトに会いに行くという複雑な理由で反対方向を歩いていると言う。彼もまたあらゆる人からSCはそっちじゃないんだと言われ今ではFátimaに行くんです と応えるようにしているんだと。"ポルト"と言っても聞き返されるだけだと。皆 苦労しているようだ。今夜のアルベルゲは彼お薦めの修道院Mosteiro de Valrãoへ。Vilarinho センターから1.5km離れているがドナティボであることから降りだした雨に傘という出で立ちで向かう。宿泊camino は2人だけ。専属の老夫婦が何かと世話をしてくれる。廊下にヒータを炊いてくれ、椅子やヒーターその物に洗濯物をかけてくれる。12th Oct(Wed)Vilarinho --Gião--Vilar--Mosteiró--Vular do Pinheiro--Maia--Capela de Araújo--O Porto今日はPorto! 24.8kmのショートコースと33.5kmの海岸コースがある。ここVilarinhoに至る前から海岸への近道は始まっていたようだ。幾つかのヴァリアントルートがあったのはGR11でもお薦めのルートであったからであろう。ファティマへ行くためにはわざわざ海岸を回らなくても良かろうということでもっぱら内陸部に青いマークが付けられたのではないだろうか。5:25起床。毛布を4枚もかけて寝たので其を畳み他の部屋に返す。朝食は鰯の缶詰(0.8ユーロ以下と安く上手い、オイルが入っているので刻んトマトとフライパンで料理しても旨い。ブルガリアの青年はこれにスクランブルエッグをまぶして食べていた。地元で買うと5個で1ユーロと激安。彼は1ユーロ近辺の夕食を食べていたことになる。)、ゆで卵、パプリカ風の大きな赤玉ピーマン(Pimento Vermelho(唐辛子) これがまた甘く美味しい。)、葡萄やオレンジ といつも腹満腹の食事。8:27 3740-count 青いマークがあるが、一緒にあったファティマのマーク消されている 黄色いマークが四辻の左側に見える。ここでMy Mapで確認。22_08_003 b点手前310m。黄色の矢印は単にそのまま進めの矢印、暑くなってきたので半袖になる、ついでにナッツ休憩。砂を積んだ小型化トラックが止まった。スコップで14杯分の砂を荷車に積んだ。石畳の坂道を運んで行く。1分で戻ってきては其を繰り返す。大変な重労働。camino も頑張らなくては!-8:438:53 雨が降りだす。22_08_004 a point 10:24 雨が止んで雲間から僅かに光りが差す。最初の休憩。22_08_006 a 320mの地点。高速まで1210m。10:50出発。10:58 559歩 再度雨降りだす。レインコートを羽織る、黒い雲が流れる。ポルトガルでは一旦雨が降ると2ヶ月続くというのは本当かも。11:12 高速下。22_08_006 cのpoint 。11:57 portoまで、9kmの地点。22_08_008 b12:54 portoまで5km地点。6222count 670m行き過ぎている。進行方向に直線690m進みcaminoに合流。この合流pointが22_08_012 bのpoint もうすでにPorto 市内。もう13:53にもなっている。camino 道はいよいよ細くなり歩行者天国の通りとなった、正面に教会の尖塔が見える。Igeja e torre Clérigosである。公園で昼食休憩しようと思ったのにまた雨が降りだした。22_08_012 cの手前140mの地点。このままHostelへ直行。この場所から200mに泊まるHostel があったのに、ちゃんとMy Mapに書き込んでおかなかったために市内へ至る複雑なcamino 道を歩くことに。ツーリズモで確認して戻ることに。1時間くらいロス。camino の複雑なジグザグは石畳の急坂道を登り下りるするものでとても現代向きではない。今日のコースは土道ゼロ、石畳か自動車道、人気がないわけである。出会ったcamino は1人だけ。Portoの町、Tuiの町と同じく川面から町が立ち上がる。タワーを最上段に構え何十層という建物の重なり。見事である。雷鳴と豪雨と晴れ間が目まぐるしい。順常ではないこの天候。先行きが心配だ。13th Oct(Thu)O Porto-Vila Nova dw Gaia--Perosinho--Mosteiro de Grijó--Lourosa--Ferradal--Malaposta--São João da Madeira (サン・ジューアン・ダ・マデイラ)朝食サービスは7:30から。食べ終わり出発は8:03。Porto対岸の町にある坂道をどこまでも上がっていく。10:33 Barでカフェコンレチェ休憩。23_01_008 10km point。TVでビショップ8人が出る程の壮大なミサの模様が放映されている。10:33 町では折しも教会の鐘が連打されている。此方は葬式であろう。Barにどっと人がは入っていた。11:28 石畳の静かな路地に車から降りた女性。家に入らず小生を待ってくれている。いちじくを袋一杯を抱えていた。幾つかの持っていけと。もうこの時季すっかり熟れており皮ごと食べられるのだ。大きいのを2つ頂いた。有難い。12:34 本日11人目のcamino 。日本人である。SJCCからSCまでを歩いた後、リスボンからポルトガルの道を歩いておられる。3日ほど前から4人で行動しているのだと。M.Oさんは広島のご出身。13:23-14:20 10kmをMy Mapを見ないで歩いた。Lidiの大型スーパー。Porto からリュックに積んできた食料は何であったか? 道路上の空きスペースを見つけマットを敷き昼食休憩。8500count でT字路。黄色い矢印が出ているものの逆向きはどちらの道かを示す青いマークが無い。Give upを宣言し、Maps.Meで現在位置を確認しようとしてスマホを取り出した時だ。一方の方向にある電柱に微かに黄色のX印発見。一方通行はcaminoではない、さすれば同様に青でもXである。方向は定まった。スマホを戻しそのままcount を再開。今日はそれ以外はマークがしっかりしているので11.5kmまで道を辿れた。16:50町は未だだとすればこの場所(とある靴工場である。17:00終業なのか沢山女性達が出てきた。身体にハンディーを負った人も幾人か。)で2度目の軽食休憩。 13階や8階建てビルが建つほどの大きな町であるがひょっとしてもう町に着いてしまったのかも知れない。My Mapを11.5kmの間全く見ていないので町名が分からないところが憎い。幹線を歩いていないため町の境界を示す看板を見ることがないためである。Maps .Me で確認!な、なんともう 今日の目的地 São João da Madeira (サン・ジューアン・ダ・マデイラに着いている!今夜のHotel までは進行方向に540m。17:25 チェックイン。バスタブに浸かる間もなく洗濯、リュックの食料で食事、明日の買い出し、スケッチと。たっぷりと日がくれてしまった。これからのスケッチは手元が見えるようにヘッドライトを携帯せねばならないだろう。ホテルの場合はキッチンが使えないため外食となる。フロントで紹介してもらった郷土料理の店ponto.zeroへ行って1品料理を注文しよう。フルコースを食べられるほど胃の附が空いていない。
Oct 14, 2016
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The 9th report from France.Spain .I reached to Santiago de Compostela at 2nd Oct(Sun)、now walking camino Portuguese .staying Pontevedras.30th Sep(Fri)Betanzos--A Coruña(コルーニャ)-Hercules --Betanzos Arrivaのバス 8:00発。広場にあるバス停には7:30着。そこそこの数の客がバスを待つが7:45に到着したバスターミナルへは2人が歩み寄った。心配になり女性運転手に聞いてみた。8時発のバスかと。Siという。そのうちに乗客が増え10人くらいを乗せて出発。途中のバス停からもどんどんのって来る。通勤バスなのであろう。2.2ユーロ。30分置きに出ている。大多数はFerrol からA Coruña 行きのバスがBetanzos に寄る。バスは8:50頃 A Coruñaのバスターミナルに到着。鉄道の駅より500m南に位置する。ターミナルに上がるエスカレータは、もう何ヵ月ぶりでの乗り物であろうか。ステップでトレッキングシューズがもたつく。荷物預かりは0.65ユーロの安さだ。14:30までの時間を境に時間帯が2つあるようだ。灯台へはバス4番がよいという。久々に見る巨大都市である。迷路のような市街を縫って北部半島に2つある方の岬の左側に上っていく。更に上りに転じる交差点で運転手に聞いてみた。ヘラクレスに行きたいんだが。まさにここだと。バスの方向に沿って登って行こうとしたらブーと音がする。そっちじゃないのだ。東側に行けとジェスチャー。観光バスではないので悠長に灯台など回らないのだろう。Hercules(ヘラクレス)灯台の現在の高さは59m。一世紀から光続けている灯台で世界遺産である。当初は現在より低く41.5mであったという。面白いのは燃料を運ぶスロープが5回ほど塔に巻き付いていたらしくその螺旋の面影が壁に残っていることだ。10:00 openの灯台内の博物館に10:08に入る。一番客だ。年齢を正直に言ったら半額の1.5ユーロ。何もかも安い。階段を数えると234段。どうも階段類はカウントの癖がついてしまっている。高尾山男坂は本当に108段なのかとか、ケルンの大聖堂のは何段だったとか。さて帰りは?まず迷路のような道を辿って教えて貰ったバス停に到着。そのまま戻ってもよかったのであるが折角のA Coruñaである。Calle Panaderasという一角。昼時に近いためそろそろ人で混み出す時間である。瞬間の静けさのなかに午後4時まで続くであろう喧騒が隠れている。Maria Pita広場にあるインフォメーションでcamino 手帳(クレデンシャル)に記念の印を貰う。旧市街地の更に詳しい地図を貰ってCidade Villa地区に登っていく。A Corunaの歴史が詰まった一画であるが観光客は少ない。Colleglate church o Santa Maria del Campo をスケッチしていたら唐かえでの木々の裏にあるのが私の家よ と小綺麗なご婦人が近づいてくる。ひとしきり教会の歴史を説明して最後にムイブエン (とても良く描けているわ)とお世辞を言って自分の家の方に歩いていった。曇り空だったが雨が降りだす。石畳の坂道を降りる。Avenida MontotoにあるBar(Toroi)に避難。スクランブルエッグ、ベーコン、コーヒー、コカ・コーラなどを注文。路上のテラス席から旧市街に登っていく。坂道をスケッチ。いっぱしの画家か? 恥ずかしくなってしまう。ここからはバスターミナルへは1Aが良いとインフォメーションで教えてくれているのでバスの間隔をチェック。1、1A、2、2A、3A、など8系統のバスが目の前に停まる。バーテンにも一様確認のために聞いてみた。「3」番のバスがターミナルに行くと。そんな番号はなかった。1Aの勘違い。バスは15分置きに入れ替わりにやってくる。都会を人とコミニュケーションを取りながら過ごすより、camino 道を歩いているほうがよっぽど楽である。1Aのバスがやってきた。13:30。ターミナル到着13:45。荷物預かりでリュックを受け取り、Betanzos 行きの14:00のバスに乗る。なんとタイミングが良いのだ。ロゼッタストーン解読をやっている学者がMario Pozzati Tipoloがアルベルゲの開門を待っていた。ヒスピタレロが所用のため留守にしている。ミソロジーや巫女、神武天皇にも興味があるという、来年できれば四国巡礼を歩きたいと。caminoはローマを含めて10回目だという。傑作なのがこの教授、小生がスケッチをし始めるとソワソワし始めた。アルベルゲをスケッチし始めた。ごく小さなノートにではあるが。こっちのを遠回しに覗きに来た。坂道を形成する両側の家の複雑な組む会わせと後方に広がる丘の風景。楽しい風景を味わいながらも2人がそれぞれ道端に立ち何かを描いている。傑作な瞬間である。今日のホスピタレロはFernand フェルナンド 駆け足で戻ってきた。4人がキューを作った感じであるが順番に受付が始まる。小生だけ2日目にあたるためスタンプはなし。宿泊代6ユーロだけ。このフェルナンド、乾燥機に掛かっていた衣類をベッドまで運んでくれるなど実に親切に細々とやってくてる。感謝の気持ちを込めてビール1缶プレゼントした。Betanzos には聖 Francisco 教会、聖マリー教会など多数の教会がありいかにも歴史的に重要な位置を占めている。中央の広場に集まる多数の道の2つがcamino 道で石畳。南北に連なっている。明日の旅ではこの南側の道を真っ直ぐに登っていく。聖フランシスコでは19:30にミサが始まるという。久々に出席、この教会、不思議なことに祭壇に当たる部分が南南東を向いている。このため中央上段の壁に西日を通した丸いステンドグラスの光が差し込み徐々に動いていく。こんな面白い現象を見たのは初めてである。ご光のような印。夜教授と日記を書いたりしていたら皆が集まりだした。もう22:22だというのに。セルフタイマ10sec、自分撮り、フラッシュの設定をことごとく失敗して笑いを取る。腹を抱えててみんが笑い転げる。24:00まで歌ったり歓談。こちらは知床旅情を歌う。アルベルゲに集まったのは以下の8人。ガリシアからのLola、サラマンカからのEmilio、イタリア出身のロンドン客員教授Mario Pozzoi Tiepolo、ベルギーからのEidi(プロのViola奏者! 日本に2回も来てい婦人でもあり日本通) シシリアからのSimona(わはっはとよく笑う)カタルーニアからのToni bassolbb as (すっかりスキンヘッドだ)、同じくカタルーニアからーのバイク女性Valle (catalunya)に小生。1st Oct(Sat)Betanzos-- San Estevo--Puente Presado--Leiro--Sta.Eulalia--Santo Tome--Fontenela--Hospital de BrumaMaps.Meに頼らずに、My-Mapだけで進めることを立証したい。敢えて早朝の暗がりを進むことにした。ところが地図に注意書が足りなかった。橋を渡り左に曲がるように見えるような書き方。いきなり間違ってしまった。道路に沿うように書かれているが、一本中に入った登りのcamino 道を行かねばならなかった。お陰で400mも戻るはめに。昼間であれば壁に埋め込まれたモホンを確認できたのかも知れない。その後は暗な道、森に次ぐ森---。問題はない。指標も道路の上に書かれた矢印、My Mapのランドマークをそのたびにチェック。8:02やっとヘッドライトを外す。21_02_009 cd間500m point 。もう半ズボン、半袖では寒すぎる。朝冷えのなか全く汗を掻かなくなった。SC空港から飛び立った飛行機が曙の空に美しい。_、10:14 21_02_014 a point で自転車カタルーニャに住むバイク女性Valleが追いつく。彼女はこの足で50km先のSCに本日中に入る筈だ。頑張れヴァジェ!途中 随分大きい栗のイガが落ち大きな栗が弾けていた。丸々と太ったものを2、3個拾う。昨夜は皆で栗を茹でて食べたものである。本日も同じメンバーが集結する筈。11:10 昼食休憩。この間山里は店など皆無。昼が21_02_14 bのpoint Boueiro 11:43 出発。今日の最高位は435m。もうこんな登りは金輪際お断りしたい。14:31 Hospital de Bruma のアルベルゲ着。寒村にあるアルベルゲ。食料に関しては心配ないという。果物、パン、スーパー夫々の車が来るのだという。プーと警笛を鳴らしてアルベルゲ近くに止まるのである。ダッシュで駆け出し食料をgetする。18時までにはのうちに昨日の全員が到着。Malioと昌石は18:30に一軒しかない村のBarへ夕食に出かける。残りはアルベルゲで夕食を作っていた。ポテト、チキン苫東、パンなど結構豪勢な食事。2人も合流し夕食は続く、別の団体はイタリアのボーイスカウト。9人も。祈りの歌の後 食事。今日はこのHospital de Bruma に17人が泊まった勘定。ほぼフル。1st Oct(Sat)Betanzos-- San Estevo--Puente Presado--Leiro--Sta.Eulalia--Santo Tome--Fontenela--Hospital de Brumaかで、My-Mapだけで進めることを立証したい。敢えて早朝の暗がりを進むことにした。ところが地図に注意書が足りなかった。橋を渡り左に曲がるように見えるような書き方。いきなり間違ってしまった。道路に沿うように書かれているが、一本中に入った登りのcamino 道を行かねばならなかった。お陰で400mも戻るはめに。昼間であれば壁に埋め込まれたモホンを確認できたのかも知れない。その後は暗な道、森に次ぐ森---。問題はない。指標も道路の上に書かれた矢印、My Mapのランドマークをそのたびにチェック。8:02やっとヘッドライトを外す。21_02_009 cd間500m point 。もう半ズボン、半袖では寒すぎる。朝冷えのなか全く汗を掻かなくなった。SC空港から飛び立った飛行機が曙の空に美しい。_、10:14 21_02_014 a point で自転車カタルーニャに住むバイク女性Valleが追いつく。彼女はこの足で50km先のSCに本日中に入る筈だ。頑張れヴァジェ!途中 随分大きい栗のイガが落ち大きな栗が弾けていた。丸々と太ったものを2、3個拾う。昨夜は皆で栗を茹でて食べたものである。本日も同じメンバーが集結する筈。11:10 昼食休憩。この間山里は店など皆無。昼が21_02_14 bのpoint Boueiro 11:43 出発。今日の最高位は435m。もうこんな登りは金輪際お断りしたい。14:31 Hospital de Bruma のアルベルゲ着。寒村にあるアルベルゲ。食料に関しては心配ないという。果物、パン、スーパー夫々の車が来るのだという。プーと警笛を鳴らしてアルベルゲ近くに止まるのである。ダッシュで駆け出し食料をgetする。18時までにはのうちに昨日の全員が到着。Malioと昌石は18:30に一軒しかない村のBarへ夕食に出かける。残りはアルベルゲで夕食を作っていた。ポテト、チキン苫東、パンなど結構豪勢な食事。2人も合流し夕食は続く、別の団体はイタリアのボーイスカウト。9人も。祈りの歌の後 食事。今日はこのHospital de Bruma に17人が泊まった勘定。ほぼフル。2nd Oct(Sun)Hospital de Bruma--Cabeza de Lobo--A Rúa--A Calle--Ponte Barral--Poligono--Rúa do Rio---Rúa da Pastoriza--Santiago de Compostela--Arbergue Fin de Camino今日は24km先の Sigüeiroまで楽勝の距離。全員がこの距離であるため7:00まで寝静まっている。しかしながら6:30頃から2、3人がそわそわし出し一階の食堂に光が灯る。着替えをするためだ。小生はマリオ教授の例に倣って朝シャワーという余裕。その後は何時ものようにたっぷりの朝食。時間は7:20にもなっている。室内は最早ヘッドライトを点けてこそこそするような時間ではない。思いきって室内灯を点けてみた。作業はずっとしやすいはずだ。探し物(衣類を入れるスタッフバッグの一つがない。昨日洗濯物を干している時、果物の販売車がやって来たのだ。皆がダッシュで走っていった。その時咄嗟に折り畳んで別の袋に入れていたことをすっかり忘れていた。)をしている間に時間はどんどん過ぎていく。無いものを諦めて8:30 出発。Viola 奏者のEidiが一足先に出発。昨夜上のベッドでひっそりと寝ていた男性が続く。朝靄のなかを真っ直ぐに南に進む。3人が揃って歩く瞬間があった。8:45と遅くなっている日の出を撮影したりゆっくりとした歩調。女性が"ピース(おしっこ)"と言ったと思うのだが突然トウモロコシ畑に消えた。あとはこの男性と話しながら段々とspeed を上げていく。彼はその方が合っているらしい。聞くと昨夜はA Coruñaから40kmも歩いてアルベルゲに19:00に到着しバタンキューで寝てしまったのだと言う。今日の予定を聞いて見るとSC(Santiago de Compostela )まで行けたら行きたいと。 A Coruñaからもイギリス人の道があるがtotal 80kmで100kmに満たなく"コンポステラ"という巡礼証明書が貰えないため、余り歩く人がいないのは事実。バルセロナに住むスペイン人であった。母親がガリシア出身であることから彼に"Santiago "という名前を付けてしまったのだと恥ずかしそうに話す(セビリアではさしずめ"カルメン"と女の子に名前を付けるのと似ている。) "サンチャゴ"がサンチャゴを目指すという傑作な話し。まだ"自分の名前"の大聖堂には入っていないのだと。バルセロナに住みながらサクラダファミリアの中もまだ見ていないとも。灯台もと暗しとはこのことか。彼に触発されてSCまで進むというアイディアが浮上した、明日の予定分16kmを前倒しするというあり得ないスケジュール。実行出来たらどんなに素晴らしいことだろう。Camino der Norte の知り合いの多くが今日の10/2(日曜日)に照準を会わせていたからだ。遅い到着となるため何人に会えるかわからないが。9:30-40 カフェコンレチェ休憩。この時点でマリオ教授が追い付いて来ている。12月生まれで小生より5ケ月若いが荷物が少ない分速く歩けるようだ。Barを出てからは話し込んでいる2人を残し俄然speed up。11:38 高速下通過=My Map 21_03_010 d point ここはSigueiro 7km手前 。SCへ行けるかも! ここから延々7kmも真っ直ぐな広い土道。森を切り裂いて出来た道のように見える。12:53 Sigüeiro着。何回もトレースした町と公園にたどり着いた。全部覚えている。空から見た景色を地で歩いている不思議な感覚。公園を巻く道を行ってもよいのだ。黄い矢印がそちらの方向にも書かれている。camino 道にはモホンが誘導してくれる。12:30-13:20 公園で昼食休憩。丁度歩き始めた後続のサンチャゴとマリオ教授がやって来た。街角のBarで作戦会議。マリオはここのHostelに泊まるという。サンチャゴは"サンチャゴ"を目指すという。彼にとってはこれがいけなかった。足を痛めてしまいフィニステラには予定通り行けなくなってしまったからだ。 14:25 Minras 出発。My Mapは話しながら進むことには敵さない。しっかりマークを見落とした。その上にMaps.Meのトレース情報に誤りがあった。途中から"Ota-Camino"道を創作し苦心しながらも本当のcamino道に合流した。サンチャゴには随分苦労をさせてしまった。18:00 カテドラル到着。山のよういる観光客の中にむさ苦しいが意気揚々とオブラロイド広場に突入。この瞬間はいつも素晴らしい。鼻高々である。巡礼事務所18:30、コンポステラをもらう列がぐるりと廊下を巻き外側の噴水の所が最後尾という。日曜日でも事務所は20:30までやっているとのこと。玄関を閉めるまでは巡礼者が入場できるようだ。明日8時の受付のほうが空いているという。19:00-20:30 街角のBarで夕食。実はこれが単なる街角ではなかった。フランス人の道に面していたからだ。やけに人通りが多いなと思いながら1週間もサンチャゴにいるというテントを担いだカップルと爆笑に次ぐ爆笑。隣近所には迷惑な話である。何がそんなに可笑しいか? 覚えているのは秘密にしてあった年齢を教えたときだ。二人はひっくり返ってしまった。全員クレージなんだよ と説得。3rd Oct(Mon)Arbergue del Fin del Camino--Camino Office泊まったアルベルゲFin del camino はその名も「camino の終点」でCamino de Francesの道から近かった。丁度モンテドゴーソ(Monte do Goso)とSCの間、約2kmの距離に位置する。モンテドゴーソのアルベルゲが閉鎖されたため利用する巡礼が多く100人規模の巨大アルベルゲ。築10年でマリオはずっとそこで年の半分近くを(3.4.5、8.9.10月)ホスピタレロのボランティアを行うという。現在は天涯孤独で母親のロザリオを大事そうに首に巻く。我々のように大聖堂を見てから行くという場合は実に遠く感じる。ビルの一階部分の全てを占める上、広大な庭を持っている。WiFi 、キッチンなど全てが揃ったアルベルゲで心地よさではno1ではないだろうか。都心から離れており静かである。9ユーロ。これからSCに向かわれる方お薦め。そこをリュックを担いで6:40抜け出しcamino Frances に出て再びSCを目指す。今度こそコンポステラを貰い、パラドールが提供する巡礼者用の朝食にありつき、大聖堂の中に入ってヤコブ様に抱きつきスケッチをしボタフメイロを見たいと--やるべきことは山ほどある。7:15 camino 事務所到着。既に10人くらいが並んでいた。真っ暗な中コーヒーを啜ったりお喋りをしたり8時の開門を待つ。その時点で60人くらいが並んでいた。 受付のスタッフは6、7人。1人ひとり電光掲示板に書かれた番号の所に進み出る。合計何キロ歩いたかは問題ではない。SCまで"継続して100km以上歩いたことをクレデンシャルに押されたスタンプから読み解くから大変だ。こちらはFerrol からSC(114km)の分の巡礼証明書が発行された。これは無料。3ユーロ追加すれば歩いた距離を証明してくれる。2ユーロ払えば証明書保存用の筒を買える。少し奮発をして距離証明書を作ってもらう。スケッチブックに挟めばいいので筒は要らない。ここでリュックを2ユーロで預かってもらう。Bookingしてあるホテルに午後に行くまで預かってもらう。スケッチブックを入れた小型のザック一つという身軽い体勢。さて次なるはパラドールの朝食サービス! 9:00スタートながら8:30現在 1人しかおらず拍子抜け。9:00に偶然通りかかったコンポステラを貰いたての2人(アメリカからの新婚で5w フランス人の道を歩いてきたというディレクターと俳優)を加えて結局10人の定員に7人が招き入れられた。厳かな玄関を通過し中庭に出て小部屋に。多種類のパンにジャムの小瓶がテーブルにところ狭しと並べられている。コーヒー、ミルク、沸騰したお湯などのポットが並びゴージャス。そこにスペイン・ドキュメントのTV局の取材が入った。TVに映っても良いのかと事前にQ。全てYesマンの小生にカメラが回る。Yesと応えた人のみが映るように慎重にアングルが選ばれるようだ。食後のちょっとしたインタビューに応じるかとの質問にYesと応えたばかりに大変なことに。カメラクルーの数人とドキュメンタリーのアナウンサーやディテクタリーに囲まれて庭先で収録が始まった。camino の感想などを聞かれスケッチなどを介して長時間のインタビューを受ける。この放映は来年になるという。期待しないで待つくとにしよう。続いてメインメニュー。カテドラルの中へ。サンチャゴ氏が来ていた。フィニステラ行きは足の都合で1日延期の模様。後でメールが入ったが自転車を15ユーロで借りたらしい。10時になっているが大聖堂は空いている。本当のサンチャゴさんに抱きついたり堂内をスケッチしたり自由に時間を過ごす。水彩の水を捨てに北口に3m出ただけで再入場は認められず再び南口から入り直す。どのゲートもまだ列は出来ておらずコンポステラの観光は午前中に限ることを実感。その意味でも昨夜中にSCに到着しておいて正解であった。11時前に南北方向(十字架で言う短い方の左右のウィング)の北側の席に座りミサを待つことに。最高の1日になりそうだ。スペイン警察の最高位幹部が100人も参列し始めた。これは間違いなくボタフメイロが始まるぞ!(毎年の恒例行事で胸の勲章が増えていくという。翌日の新聞topにでていた。)11:47ミサが始まる。巡礼者読み上げのタイミングではいの一番「フェロール Japan」と。朝一の受付で早かったためとcamino道順が"English"と前にあるからではないだろうか。スタートした地名毎に国名が口早に次々とlist upされていく。12:43壇上のspeach tableが片付けられた。ついに12:51 ボタフメイロが開始される。昨日の日曜日19:00のミサでは実行されなかったようだ。金曜日の19:00は確実というのはこの曜日を指定した関係筋の出資があるからだという。スペイン警察や座席を予約した日本の観光団体や多数の組織から金が動いた筈だ。今日のボタフメイロは特別に長い。香炉の揺れが止められもせず長い時間振られている。席が良かったため長時間Videoを回すことができた。Praza de Cetvantesセルバンテス広場にあるレストランManoroで昼食。さて午後のスケッチはどこへ?オブラドイロ広場でうろうろしいぇいたらUSAからの男性が声を掛けてきた。Breakfastに一番で並んでいた男性である。ホテルのチェックイン。その足でまたパラドールの賄い食へ。18:30に丁度20人目で滑り込みセーフ。朝食と違って各自調理室へ上がっていきトレーに色々な物を載せてもらう。5星のレストランは流石に大きい。50mほどの廊下に10部屋の調理室。ガラス越しに機材や料理が見える。ワイン数本なども渡され全てを小部屋に運ぶ。食事は豪華絢爛。こてが只はだとは信じられない。外に出れば夕焼けが始まっていた。20:08 sun set日没をスケッチ!4th Oct(Tue)PR Plaza de Galicia--Monte do Goso--SC7:20 出発。モンテドゴーソへ!Camino フランス人の道を逆に5km辿る。懐かしい町並みが次々と現れる。マリオ教授がボランティアを務めるアルベルゲ Fin de Camino はこの中間の場所にある。大聖堂を指す2人の彫像はMonte do Goso の丘から300m離れている。下側すなわち南側から進む場合は巨大アルベルゲ・モントデゴーソの底辺から登っていく方が早い。公園は現在整備中で最後の追い込み。小路を整備していた。彫像のある一角が広大な公園になる。時間は8:20。朝焼けが始まった。日光と彫像の間に木立があるため上手く日の出が彫像に当たる瞬間をとらえられない。女性caminoが1人いた。記念撮影。イギリス人の道から到着したばかりの4人、 僕を知っていたらしく抱擁してくる。記念のスケッチを1枚。高さ2.5mほどもある2人の彫像。身丈半分のガウンを羽織っている。前後に帆立て貝。杖には瓢箪。ポシェットを肩からぶら下げている。革で出来た上物であろう。プッくりと膨らんでいる。足はサンダル履き。頑丈な足首。実はこの彫像が小生を一押ししてくれた。壊れてしまったポシェットを買い替えと。午後マリオ教授とRúa do Preguntoire(Cervantesセルバンテス広場から南西に延びる小路はかっては貧民のための店がずらりと並んだという。現在も1階部分は間口2mぐらいの店が並んでいる。)へ。カバンを売る店Julio Tojoに行き肩掛けカバンをget。30ユーロ。今後はバックルの痛さに苦しめられることもなく快適な旅が期待される。パスポートなどの貴重品、スマホもコンパスもノートブックもすべて引っ越した。マリオ教授とは帰り道でばったり会い Rúa do Preguntoireを教えてもらっていたのだがよい店が見つからず買うのは諦めていたのだが午後再び教授と一緒に物色。さて忙しい。時刻は11:12。パラドールの賄い食をgetしなくてはならないのだ。Plaza do Obradoiro(オブラドイロ広場)を小走りに歩いていたらまたマリオ教授にまた会った。スーパーマリオのゲームをしているみたいによく"hit"する。この教授もまたパラドール食を食べに!11:25 行列はなく我々が1、2番。しかし直ぐに満杯の10人に。3番手から5番手はなんと ポルトガルの道をリスボンから、はたまたPortoポルトから歩いてきた人達で、あとで主人に代わってミサに参加する3番手の奥さんの方が懇切丁寧に情報を教えてくれるPadrónは階段を下りて教会に行け、Caldes de Reisは足湯がある。Pontevedraは聖母マリアの町 この道で最も重要なpoint 、Valença do Minhoのアルベルゲは閉鎖さている、Barcelosからはバスで1時間のBrasaへ行くべし、Vilarinhoからは海岸コースがよい。もの凄いspeedで捲し立てノートに書いてくれる。Camino イギリス人の道で会っていたSimona 、Toniもこの中に。さてこの昼食は豪華であった。豆を煮たスープ風のもの、分厚い魚のムニエル、玉子の料理に目玉焼き、テーブルワインに果物、ヨーグルト、デザート、オレンジと、飽食状態である。食後マリオはパラドールの中を仔細に案内してくれる。リッチな人々が寛いでいるすぐ脇の彫刻までもその謂れを解説。なにもかの詳しいのでおったまげた。でたところで日本カミーノデサンティアゴのスタッフだった小川氏に会う。北の道をオビエドから歩いてきた完遂された。その帰りに肩掛けカバンを一緒に買いにいったのである。さてSCはもう見納めであると思うと涙が出てくる。オブラドイロ広場から見て左側の階段を下りた所にあるBarから大聖堂を見上げた光景をスケッチ。ホテルに帰りオーナーにコインランドリーの場所を聞きつつ裏手にあるテラスへ。屋上テラスは全くのプライベートスペースでアロエや各種のハーブを栽培していた。日が燦々と降り注ぐ。丁度真下がガリシア広場、2、300m離れたらところに大聖堂。ビルの5階部分だけのHostelであるが連日満員の札が立つ。洗濯は、着ているものも含めてほぼ全てを洗濯。5ユーロに乾燥3ユーロと値が張るがSCで一旦全てをresetした積り。最後の晩餐はこれも教えてもらったRue da Vaina という小路にあるMaria Castañaへ。3食分只だったのでたまの贅沢。ワインはJoaquin Rebolledo 。アントレは例の如くCaldo Gallego(カルド ガジェゴ):ガリシア風スープ、野菜がワカメに見えてしょうがないがホウレン草のような葉っぱが煮込まれたものでワカメ色、これに豆とポテトが煮込まれている。スープといえばこれ以外にないらしい。2ndはメインディッシュ。Navalas ao Allo 長い貝をつるりと飲んだのは12年前。その時は生であった。今回のは別の貝を。煮込まれガーリックで味付けされたもので固くはあるが非常に美味。7本の貝を平らげる。パンと一緒にRazor shell(1cmx12cmぐらいの長い貝)、デザートはTiramisu with Chestnuts.22:24 退出。5th Oct(Wed)SC--Milladoioro--Rua de Francos--Teo--Areal--Esclavitude--Camblas--Santa María de Iria--Padrón--Ponte Cesures--San Miguel de Valga--O Pino(Valga)さて今日からポルトガルの道。 朝の気温11℃。ずいぶん寒くなってきたものだ。最近はスタート時は長袖を上に羽織っている。下はまだ半ズボンのままであるが。8:08出発。SC(サンティヤゴ)の町を南西に向かって歩いていく。矢印は青色。サービスであろう。反対向きに歩く人のためにつけてくれている。1人旅なので自由にMy Mapで完全確認。正方向にこれだけ多くの人がいるなんて驚きだ。オラ、Buen Camino 、ブエノスディアス。挨拶の度にカウントがおかしくなっていく。10人ほど固まって通りすぎることもあり大変。10:48--40 22_01_006 bから480m。SC手前12km地点。広い運動公園。ここまでで100人以上のcamino に会う。休憩時間内でも40人ほど通過!13:00 大きな教会あり。一つ鐘が鳴る。22_01_009 aから350m。県道に合流する箇所。13:03 出発。14:20-50Padrón 手前800mに教会あり、そこで昼食休憩。A Coruna の旧市街にあった教会と瓜二つ。Padrónの丘の上に建つ教会!修道院のような佇まい。橋を通しての眺望は素晴らしい。16:39 ブラジル人を含んだ10人ほどの大団体につかまる。記念撮影。16:40Pontecesureの美しい町並みが橋の袂から眺望できる。ヴァリアントルートともうすぐ合流し5km先のValgaに向かう。16:4318:16 SanMiguel deValga に到着。スーパー兼Barで小さなピザとコーク休憩。Valgaのアルベルゲは2km先という。テントを張る場所は無いわけではないが日没を待っている時間があれば先へ進んで見よう。途中で葡萄を摘んでいる農家の人にアルベルゲを尋ねたら10kmという。ScreenCopyの別の写真を見せてしまったためだろう。落胆していたら葡萄2房を呉れた。別のBarで今度は精確なアドレスを見せたら2km先だという。がぜん元気に。山道のみの2km--日没が早くなれば真っ暗になる時間帯、19:10 アルベルゲ着。皆夕食や歓談で寛いでいる。17人目が小生。6th Oct(Thu)O Pino(Valga)--Carracedo--Caldas de Reis--Briallos(Portas)--La Seca--Barro(San Amaro)--Alba(San Caetano)--Pontevedras5:00起床 8:04出発。この時間差! 日記の整理や食事などで時間を費やす。小生を除いて全員がSCへ向かって1日か2日をかける。1日だとすれば距離が長すぎ、2日の場合は余裕が有りすぎるという中途半端な位地にあり、人気が無いのかもしれない。10:00までに会ったcamino は200人。1日で600人くらい。実に多くの巡礼が歩いている。歩数カウントに加え、挨拶3連発のオラ、ブエンカミノ、ブエノスディアス、camino 数のカウント。例えば23 24 25 -- オラ、ブエンカミノ、ブエノスディアス、165 166 167 168---。30 31 32---。忙しくてしょうがないが。ブエノスディアスというべきところ、ブエノスアイレスと間違ってしまった。オリンピックの都市名を言ってどうする!SCより南は寒村が多い感じ。細い迷路のように入り組んだ道。崩れた壁、潰れた屋根。My Mapでも"最難関"と手書きの箇所がいくつも。通りを拡大した地図をつけてやっと分かる程度だ。スペインではBarの数で町の大きさを量る。こういう寒村は、いくつか繋がって県道に一軒というような例も散見される。ブルーのサービス矢印は2日目から極端に少なくなった。正方向の矢印から逆向きの方向を探るのが困難。T字路やY字路で進行方向にどちらに進むかが黄色い色で矢印が示される。逆向きではどちらへの分岐が正解なのかをコンパスを頼りに読み解かなければならない。Pontevedra 市内到着は17:20。頂上に教会を抱く。壮大な旧市街を擁する。スケッチタイムは残念ながら取れない。まずはアルベルゲび急ぐ、アルベルゲには18:00前に到着。もう殆ど寛ぎの時間帯である。玄関に入るときバッグパッカーが2人うなだれて出てきた、さては満杯かと思ったが巡礼手帳をかざすとokのサイン。アルベルゲは巡礼手帳を持っていないと泊まれないのだ。
Oct 7, 2016
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The 7th report from France.Spain.フランス・スペインから第7報(16th-22th Sep)I still walking camino der Norte,around of Asturias of Spain,detaily at Cadavedo.■歩行count--100から900までの歩行カウントについては杖のtopに置く指で100台をcount upすることは以前書いた。左親指、右親指、右人差指、左人差指のon、offを1、0で示すと000台--0000100台--1000200台--1100300台--1110400台--1111500台--0000600台--0010700台--0011800台--0111900台--11112進方を使えば15まですなわち1.5kmまでカウントできるのであるが途中からの変更は混乱する、しかもややこしい。ただ上記カウント方法では0台と500台、400台と900台が同じ形である。ボルドー辺りからこれを改善している。400台では人差し指を動かし900台では親指を動かすようにして区別し、500台は0台と区別するために400台同様人差し指を動かすようにしている。手の位置と動いている指の違いで何台をカウントしているのかがたちどころに分かる仕組み。カウントは距離を計っているためバス停などで台形の形を歩むときや斜め横断のときは3歩に1歩はカントしない。きつい坂道では右足カウントに半歩の隙間をあける。すなわち右足カウントに半歩追加して左足カウントを行うというように間引きしながらの歩行とする。■タオルフランス・ブルターニュに住むcaminoの友人宅へお土産として日本のタオルを持っていった。乾燥が早くとても便利だと。ところがキョトンとした顔をしている。キャンプ場でも気付いていたのだが薄いタオルが干されていない。バスタオルばかりだ。アルベルゲで青年に聞いてみた。君たちはタオルを使わないのかと。Noという。"タオルに石鹸を付けて背中をごしごし"という文化を持たないようだ。素手で身体を洗う、背中のまん中に容易に手が届くという。Marcにも聞いたことがある、唯一両親はスポンジを使うと。どのアルベルゲでもタオルは皆無、みな素手なのである。逆に言えばタオル文化をヨーロッパに広めるビジネスチャンスではないかと考えた。■矢印camino道には黄色い矢印の他に青地で黄色の浮き出しのあるVieira(ビエイラ:モホン)という、帆立て貝をデザインした11本の線と貝の頭から構成される)のシンボルマークがある。台形のコンクリに埋め込まれたものが多い。銅板、陶器など様々な形がある。北の道の巡礼も2週間になんなんとするのに初めて方角を指していることに気付いた。いままで黄色の矢印とsetだったので気にも留めなかったqがAsturias州に入ってからは帆立て貝だけの時が多くなってきた。帆立て貝の頭が右を向いているときは右へというように、上向き、左右、真っ直ぐ(地面)の種類があり、見落とすと大変なことになる。その他マークに"BICI"があるがバイク用の誘導マークである。矢印に"A"が添えてあるとアルベルゲに誘導してくれる。市内に入るとマークが消えてしまう。この場合は大体西に進むか教会に向かえば間違いがない。16th Sep(Fri)S.Vincente de la Barquera --Acebosa--Serdio--Pesues--Unquera--Colombres(Astrias)--Buelna--Pendueles--Andrin--Llanes(La Casona del Peregrino Hostel)雨の中7:10出発。いつも思うのだが重いリュックが身体にまとわりつく感じはサイボーグを背負うか、歩行補助の機械を背負うのと似ておりがっちりと体に食い込む。四股を踏むような体勢で一旦リュックを膝に乗せる。それを一気に肩に担ぐのだ。ポシェットのバックルがリュックに挟まれて痛い。すこしポシェットをづらしバランスを取ると調子がよい。今朝もMarcを待って出発。古城の石畳を降りていく。 国道を7kmほど歩き暫く歩く。川をわたりAstrias州に入る。Colombres 10:00着。10:10-カフェコンレチェ休憩。 やっと小雨に。 イタリア人Giacomoジャコモとも行動を共にする。Marc、Giacomoのsetをあとにしてspeedをあげる。あとは1人旅だ。Lianes(ヤネス)までは殆んど国道を歩くという超高速のバスク人Javierヤビエルと途中から一緒だ。40代で独身、ポリスだという。漫才の阪神巨人の巨人に似ており早口でまくしたてるところもそっくり。アルベルゲに着くまで一回も休まないという。こういう人と一緒なら潰れてしまう。途中から1人で行ってもらうことにした。ただこのルート海岸コースが用意されている。Penduelesまで戻るか脇道を取り、海岸コースに合流するかの選択肢が可能なpoint であることに気付く。ところが目の前を男女の2人組が通りすぎ案の定大きなジャンクションで地図を見始めた、Llanes まで国道で12kmの地点でもある、追い付いたので脇道からcamino 道に合流する道があることと、こちらの方が10kmで短く景色がよかろうと説得、しこうしてここから海岸コースとなった。Bufone de Arenillas海水による噴出を見学延々海岸コースを歩く。当所の宿泊予定のAndrin で15:20 サラダ+コーク休憩。電池28%とやばい状態。このスマホ 電源を入れたまま充電すると接点の調子でピンポン、ポンピン・・・と音がする。どうも接続端子が甘くなっているようで注意が必要。歩きながらの充電は中止。この海岸コース思わぬ落とし穴が、GRコースなのでトレッキングコースとして整備されている。よって距離は度外視だ、Cueの町を通りたかったのに、丘の上から見下ろすだけで下ろしてくれないのだ、Llanesの町までもがだんだん遠ざかっていく。延々5kmくらい遠回りをさせられた。My MapではCueを通る車道が示されている。僅かな地図のよみちがいとGRのマークを信じすぎた事による。スマホの電源を殆んど切っているために分岐点ごとに電源を入れ直すのも煩わしい。あぁ2、3日もつアップルスマホが欲しい!Llanes の町、旧市街の佇まい。素晴らしい、教会でミサをやっていた。スケッチをしていると皆が寄ってくる。一部始終を見届けてから立ち去る。こういうギャラリーを抱えつつたった5色(赤青黄白黒)で全てを表現するのはきつい。あぁ24色が欲しい、荷物を減らすための苦心ではあったが。ホテルで進められた郷土料理店で久々の贅沢な食事。。店でドイツ婦人Annaと20:30に合流する。 ミュンヘン近くに住むという。フルコースにワインがついてたったの11ユーロ。17th Sep(Sat) Llanes--Poo--Celorio--Barro--Niembro--Naves--Nueva--Cuerres--Pineres de Pria--Toriello--Ribadesella7:17 Anna と一緒にスタート。11:40-11:5012:30 丘の上 教会の鐘 19-01-014 790m pointCuerres通過 12:50JAVIER ヤビエール14:45 Ribadesella 到着。バスク人JavierはBarでアロスコンレチェ--米をミルクで焚き甘くしたデザート。別のBarでChristian winterと会う。18th Sep(Sun) Ribadesella--San Esteban--La Vega--Berbes--La Esoasa--La Isla--Colunga--Pernu--L Llera--Prieca--La Vega-- Sebrayo--Tornon7:25 出発。8:42 海が見える場所9:17 良い景色 山と牛と海の組み合わせ。10:12 海岸べりで軽食休憩。La Espasa近く10:56 Isla13:00-13:20 軽食休憩13:55 La Llera 14:50 Sebrayo アルベルゲ通過。15:30 Tornon のアルベルゲに到着も10人分は予約で満杯だと、Igouとともにテント場をさがす。ユーカリ林の素敵な場所を探しあてここで長時間14時間過ごす。Igouがご飯をコッヘルで焚きだした。20分も炊いているのに芯がある。最初強火で6分、弱火で10分。、蓋をきっちりしたままの保温を提案してみた。日本では「赤子泣いても蓋を取らず」だと英語で言おうと思ったが「蓋」がでて来ない。きっちりした蓋ではなく少し開いているので上手く炊けなかったのかも。しかし覆いをして待つこと10分。そこそこ美味しい。このご飯と豆をmixし夕食の一時。19th Sep(Mon)Villaviciosa--Grases--Nieveras--Pion--La Olla--Campings Deva--Gijon10:48 峠 rest11:40 pionでsports drink休憩。あと3kmでBar有りと"閉店中"のレストランのオーナが言う。恐らく車での距離を言ったのだろう。普通の人に道を聞いてはいけないのだ、こちらは辛いcamino 道。急坂につぐ急坂。4kmも歩いているのにレストランの影さえ見えず。高速を潜って2kmもたった頃 郊外型レストランLa Curuxaを発見。むさ苦しい格好ながらテラスで昼食。13:10-14:35 8ユーロ 少し贅沢だったか。1st--Fabada Asturaina(豆とソーセージの煮込みでAsturaina の名物という。)2nd はチキン。さてGijon まで5km1.3km降りた所にキャンプ場あり。巡礼には5ユーロという破格の値段でキャビンを提供している所。入り口に近い四辻にフランス人夫婦が立っていてたので声を掛ける。なんとブルターニュからだという。JacqueとPochonと言う。話が盛り上がりキャンプ場のカフェテラスで続きの話を。すっかり打ち解けあったが、小生は電話予約したばかりの市内のホテルへと。15:45 出発。16:20-40 スーパーにより買い物。無花果いちじく Higo Blancoグレープフルーツ:Pomeroカップヌードル:Yatekomo Gallina Blanca などを買い求める、Gijon のアルベルゲで一緒になった女性はポーランド学生の2人。デンマークからのご夫人、マドリードに住むスペイン男性の5人。男性はチベット人と友達だといい、数珠を手首に巻いていた。ビーチからのサンペドロ教会の景色が一番だという。明日はスケッチタイムを設けもう少しゆっくり歩いてみよう。20th Sep(Tue)Gijon--Verina--Santa Eulalia--Tamon--Trasona--Aviles(アヴィレス)8:30-45 Gijon浜辺でスケッチ 巡礼一人も通らず10:57 工場を抜け丘を上り詰めると平坦 軽食休憩11:24 出発。14:50 Aviles アルベルゲ到着。雲ってきたので今日は終わりとする。余った時間で少し今までのことを整理。Juan ignacioユアンはバイク人。毎日100kmを飛ばすという、イルンからSCまでをたったの8日間。8時出発-15時到着の日々という、PEPIN ニックネームはぺピン JOSE ホセが名前のガリシア人と.S.Vicento de la Barquera から4日くらいアルベルゲで一緒。Jacques Pochon 夫婦とアルベルゲで再会。ブルターニュでは井本勝が有名であると。水で全てが治るとーいう、The film lumiereMasaru emotoThe book la revolution d`un seul brin de paille などインタネットを調べよという。21th Sep(Wed) Aviles --Salinas --San M.de La--Vallinas --Naveces--Antiago del Mont.--Ramon--El Castillo--Muris de Nalon--El Pito--Las Duenas--Rellayo--La Magdalena--Sotomayor--Soto de Luina5:30 起床 7:00出発。10:00 Santiago de monte(まさにmonte、monte 登り登りの村である。)の先、2km最初の休憩。12:20 丘の上の町、Muros de Nalon でBar休憩。手前の丘の上でドイツ人母娘と会う。Panasonicのカメラを持ちながらセルフタイマーを使った事がないようだ。娘さんが操作をし仲良く3人で記念撮影。開放されたひとときだ。-12:45Camino 道らしい土の道を下る--山の中--13:064.2km ほどカウントしていたらEl Pito に到着。静かな街道、ユーカリの大木の並木道。広大なイギリス庭園が右手に広がる。教会あり。名所のようだ。このメモの直後左折しなければならなかったpoint を飛ばしかなり遠回りをしてcamino 道にもどる。今日のテント場に15:00に到着。しかしながら松林と棘のある雑草に覆われた場所。僅なspaceもあるがこのままSoto de Luinaニャ に進む。2km手前の村はチロルのような素晴らしい景観。岐阜県恵那市にある棚田を思わせる斜面はこちらでは牧草。車道がそこを縫っている。camino 道は農家の庭先をかすめるようにして通っている。16:45 Soto de Luina 到着。パラグアイからのgeorg ジョージと会う。Hosptalero(ホスピタレロ) のPepeが19時に到着。明日のコースについて詳細な説明。コスタコースが良いであろうと。WiFiの無いアルベルゲであるがBarに行くのを止めスーパーで買ってきた食材で食事。イタリア人Giacomo と一緒。今日のコースは38kmにup-down850mを考慮すると47kmレベル。よく歩いたものだ。22th Sep(Thu)Soto de Luina --Valdred--Albuerne--Novellana--Castaneras--Santa Marina---Ballota--Tablizo-Ribon--Friera--Cadavedo--Villademoros--San Crstobal--Queruas--Canero--Puente de C.--Barcia--Almuna--Luarca5:30 起床。Soto de Luina から1.5kmほど行くと山コースと海岸コースの分岐点がある。昨日ほどの起伏がないものの今日も34kmほどの長丁場。N632aの国道を下り、谷に下りて登り返すという行程を5回ほど繰り返す。100mのup-downは身体にこたえる。4回目で計測をしてみた。谷に筋ルートは1.7kmであるが国道による大回りは2.7kmもあった。しかし例のup-downを10倍するという計算方法では谷筋ルートは3.7kmレベルとなり国道のほうが楽という計算。忠実に国道を歩くcamino もいて面白い。この海岸コース、名前がよいが海岸は少ししか見えず大部分は深い森の中。山コースのほうが良かったのかもしれない。今後"コスタ(海岸)コース"は"海岸に近いジャングルコースかつup-down非常に厳しいコース"と名前を改めるべきではないだろうか、10:00 Santa Marina Barでカフェコンレチェ休憩。12:30-13:15 Cadavedo の上で昼食休憩。14:55-15:00 Rarcia My Mapでのpoint 17_07_004 b 休憩。15:54 Luarca 着。Maps.Meによる現在位置確認は3分以上かかる上、結局"分かりません"とoutputされることがしばしば。もう使うのは止めにしよう。バッテリーの消費も甚だしい。My Mapだけで十分である。あらゆる曲がり角が正確に記されているから寧ろ電源を入れっぱなしして常時My Mapを見るようにすれば現在位置確認の必要は無い。Luarca の町に比較的早く着いたもののアルベルゲ的には最終客に近くすごコンプリになったようだ。北向に港が開けた意外は東西と南側に急峻な崖に囲まれた谷底のような町にである。camino 道から町に下りていくところで老人がアルベルゲまで案内をしてくれた。きつい坂道を何回も登り降りしているにであろう、足腰がしっかりしている。途中の見事な景観を描こうとしてこの道をまた戻っていった。camino 道を逆に歩くということは前向きのマークが見えないため至難の業。ポルトガルへの道が逆コースとなるためそれこそマークを頼らずMy Mapのみで進行しなければならない。覚悟をした次第にだ。本日の行程は計画時点より17kmアドバンスである。
Sep 23, 2016
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成城学園前風景(その2)_story(4070)2015.12.29猫のショーウィンドウショーケースに20体ほどの猫の置物(みんなユーモラスである)と本物の猫が寝ていた。思わずスケッチ。徒然の記1 ポーランド、バルト3国2015年の今年は「ポーランド、バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)」と深く関連した年であった。・映画「杉原千畝」は、リトアニアのカウナス(Kaunas)で日本領事館を1939年に開設し、ポーランドから逃れてきたユダヤ人を中心として6000人の人々を日本国経由という条件で脱出させたことをテーマにした映画。・歌、「百万本のバラ」(ロシア語: Миллион розミリオーン・ロース)は、ラトビアの歌謡曲『Dāvāja Māriņaダーヴァーヤ・マーリニャ』を原曲とするロシア語の歌謡曲(1981年)である。ソビエト連邦の歌手アーラ・プガチョワ(Алла Пугачёва)が歌い大ヒット(1982年)・・グリジアの放浪画家 ピノスマニの実話に基づく。・旅「ポーランド、ドイツ、ベルギー、フランス」でワルシャワで知り合った日本人は、ドイツ、ポーランドを経て、バルト3国を経てフィンランド、スウェーデンを周ると言っており、それを自転車旅行で実現した。・加藤登紀子さんは、2014年の夏に「百万本のバラ」誕生の国ラトビアを訪れている。これがきっかけとなり、2015年6月 ラトビアのリエパーヤ交響楽団を招聘し「百万本のバラ」コンサートを開催。徒然の記2 加藤登紀子 ほろ酔いコンサート201528歳の加藤登紀子が熱唱した。(なお歳は「50歳を過ぎると歳を取る」という計算に基づいている。72=50+22 よって50-22=28)毎年恒例の読売ホールでの「ほろ酔いコンサート」に2年ぶりに出かけた。12/11の神宮外苑でのcamino仲間の忘年会で巡礼仲間が沢山聴きに集まるということを聞いた。ならばということで、登紀子事務所のスタッフに便宜を図らってもたい当日の玄関でチケット受け渡し。開場前に扉に入るために、暗号を用意した。「ヤマ」と言えば「カワ」と答える簡単なものであったが・・。本日の歌のset List・・(多少間違いがあるかも知れないが筆記したものと、スタッフから貰った資料と、小生の1万7千曲のデータベースから発売年数を列記した。第1部まず一杯呑んでから始めよう・・百歌百会(2015年・・歌手生活50年記念アルバム)酒がのみたい島唄(1993年)あなたに(2003年)いく時代かがありまして(1980年)ひとり寝の子守歌(1969年)あなたの行く朝(1976年)時代遅れの酒場(1977年)1968今どこにいますかコージ(詞:倉本 聰/曲:加藤登紀子)(百歌百会(2015年・・歌手生活50年記念アルバム))今は恥ずかし夢のなごり(百歌百会(2015年・・歌手生活50年記念アルバム))人間だもの第2部グッバイダンス(1991年)オペラの終幕今日は帰れない(2013年 ポーランドのパルチザン・ソング )花はどこへ行った(2014年)愛の讃歌(Edith Piaf エディット・ピアフ 生誕100年)私は後悔しない(2013年)愛はあなたの胸に(百歌百会(2015年・・歌手生活50年記念アルバム))アンコール百万本のバラ(1986年)富士山だ(2012年)花筐(はながたみ)(2004年)花は咲く知床旅情愛を耕すものたちよPower to the peopleNever give up tomorrowできれば、無垢の砂~「パリは燃えているか」によせて~ (「映像の世紀」、「新映像の世紀」のテーマ曲 作曲:加古隆) (百歌百会(2015年・・歌手生活50年記念アルバム 収録))も聴きたかった。 終演後はcamino仲間と有楽町にあるBeerレストラン「Lion」で気勢を上げた。みなさんお疲れ様でした。
Dec 29, 2015
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徒然の記1 第九 完訳その2その1から続く。数字は小節番号、太字の数字はメトロノーム 2015.12.5 Blogその2Beethoven Symphony Nr.9 第九第4楽章 第2部の始まり・・595・・Andante maestoso 二分音符=72 荘厳賛歌の部分 コーラス(T,B→S,A,T,B(*)繰り返しの部分から加わる) (*)は繰り返し。(*)Seid umschlungen, Millionen ! Diesen Kus der ganzen Welt !(*)(*)Brüder ! überm Sternenzelt mus ein lieber Vater wohnen.(*)(抱き合え、幾百万の人々よ! この接吻を全世界に! 兄弟よ!星空の上に愛する父なる神が住んでいるに違いない) 627 Adagio ma non troppo ma divoto(敬虔に) 二分音符=60 コーラス(S,A,T,B)(*)は繰り返し。「Welt」はff) Ihr stürzt nieder, Millionen ? Ahnest du den Schöpfer, Welt ?(*)Such ihn überm Sternenzelt ! Über Sternen mus er wohnen. (*)(君たちはひれ伏すか、幾百万の人々よ? 創造主を予感するか、世界よ? 星空のかなたに創造主を求めよ! 星々の創造主が住んでいるに違いない。) このあとは、新しい詩は出てこない。 主題提示部と、荘厳賛歌の復唱となる。655Allegro energico,sempre ben marcato(アレグロ 精力的に、十分はっきりと) 付点二分音符=84 指揮者・・90くらい同時進行(復唱の部分)・主題提示部(第一主題)・・コーラス(S)(*)は繰り返し。。繰り返すときコーラス(B)が加わる。さらにコーラス(A,T)が段階的に加わる。(*)Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium, (*)Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum!(*)(*)(歓喜よ、美しき神々の煌めきよ、 エリジウム(楽土)から来た娘よ)(我等は炎のような情熱に酔って天空の彼方、 貴方の聖地に踏み入る!)・荘厳賛歌(第二主題)・・コーラス(A)(*)は繰り返し。繰り返すときコーラス(T)が加わる。さらにコーラス(S,B)が段階的に加わる。さらにコーラス(A,T)が段階的に加わり、この部分に集約されて大合唱(der ganzen Welt !)で終わる。(*)Seid umschlungen, Millionen ! (*)Diesen Kus (*)der ganzen Welt !(*)(*)(*)(抱き合え、幾百万の人々よ! この接吻を全世界に!)R(730)・・コーラス Ihr stürzt nieder, Millionen ? Ahnest du den Schöpfer, Welt ? Such ihn überm Sternenzelt ! Über Sternen mus er wohnen. (君たちはひれ伏すか、幾百万の人々よ? 創造主を予感するか、世界よ? 星空のかなたに創造主を求めよ! 星々の創造主が住んでいるに違いない。)763Allegro ma non tanto(アレグロ あまり速くなく) 二分音符=120・・Soli(*)は繰り返し。 Freude, schöner Götterfunken,(*) Tochter aus Elysium,(*)(歓喜よ、美しき神々の煌めきよ、 エリジウム(楽土)から来た娘よ)782・・Soliとコーラス、810 Poco Adagio→Tempo 、 Deine Zauber、Deine Zauber (*)Deine Zauber binden wieder, was die Mode streng geteilt; Alle Menshen werden Brüder, wo dein sanfter Flügel weilt.(*)(貴方の御力により、 時の流れで容赦なく分け隔たれたものは、再び一つとなる。 全ての人々は貴方の柔らかな翼のもとで兄弟になる。)827・・コーラス Alle Menshen(3回) werden Brüder, wo dein sanfter Flügel weilt.(全ての人々は貴方の柔らかな翼のもとで兄弟になる。)830・・Soli 832 Poco Adagio→Tempo カルテット・・最も美しい場所である。 Alle Menshen(2回) werden Brüder, wo dein sanfter Flügel weilt.(全ての人々は貴方の柔らかな翼のもとで兄弟になる。)843Poco Allegro,stringendo il tempo,sempre più Allegro(すこし速く、全てのテンポを急いで、引き続き少し速く)851Presto 二分音符=132・・コーラス(S,A,T,B) 忘年会の終わり方のようにどんちゃん騒ぎ。 舞い上がって終わる。 Seid umschlungen, Millionen ! Diesen Kus der ganzen Welt ! Brüder ! überm Sternenzelt mus ein lieber Vater 、ein lieber Vater、wohnen.(君たちはひれ伏すか、幾百万の人々よ? 創造主を予感するか、世界よ? 星空のかなたに創造主を求めよ! 星々の創造主が住んでいるに違いない) Seid umschlungen,Seid umschlungen, Diesen Kus der ganzen Welt ! der ganzen Welt ! Diesen Kus der ganzen Welt ! der ganzen Welt !(君たちはひれ伏すか、君たちはひれ伏すか、 創造主を予感するか、 創造主を予感するか) Freude,Freude, schöner Götterfunken,(歓喜よ、歓喜よ、美しき神々の煌めきよ)915Maestoso(荘厳に) 四分音符=60・・・・コーラス(S,A,T,B) Tochter aus Elysium, Freude,Freude, schöner Götter--(エリジウム(楽土)から来た娘よ、歓喜よ、美しき神々の煌めきよ)920 二分音符=200くらいPresissimoto(出来るだけ速く)--funken.
Dec 5, 2015
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丹沢ユーシン渓谷その3_story(4031)2015.11.20神奈川県西丹沢・ユーシン渓谷その32015.11.17 13:50 245°渓谷の美、晩秋の西丹沢。玄倉川に沿った林道を下っていく。電柱が書かれているが、ユーシンロッジまでは電気が通っているようである。渓谷はV字状の谷。徒然の記1 山谷山谷ミニコンサートが台東区日本堤2丁目の教会で行われた。その中に讃美歌があり、Violin-Viola-Celloで合奏をしつつ歌声がこだました。山谷のおじさん達が30名ほど集まりみんな大声で歌い よかったのではないか。Violaとしてのボランティア参加は1年ぶり。ト音記号の楽譜を幾つか読み違え練習不足がばれてしまった。反省会のあと、小生はひとり千住大橋へ向かった。江戸時代に隅田川に渡された最初の橋であるという。南千住駅前(荒川区)と同様、この橋の袂(足立区)にも芭蕉の出立の地(矢立初の地)の石碑があった。矢立ての初句・・『 行く春や鳥啼き魚の目は泪 』芭蕉が歩いたのは千住から中禅寺。東北を経て日本海側→大垣までの600里。2400kmの旅であった。その地図なども大きく図示され探訪の一助となった。奥のほそみち行程図 徒然の記2 宇宙エレベーター今日は浅草2丁目でベンチャーを立ち上げた高校の同窓生を尋ねる目的もあったのである。この方、航空工学分野の名誉博士、工学博士、名誉教授というそうそうたる肩書きの持ち主であるがいたって庶民的。10万kmの紐(デザー)があれば、宇宙空間に物や人を運ぶことができるという。研究費は10兆円を要するという。これをカミさんに話したら300兆円くらい安倍さんの懐にあるので、可能ではないかと。・・こちらも大きい!紐の素材はカーボナノチューブであるがまだ3cmしか完成していないという。今日はいいことを聞いた。実はこの研究は核廃棄物を宇宙に運び、太陽に向かって飛ばすことにより燃やしてしまうという構想と結びついているというのである。恐れ入った。核廃棄物は地球最深部にいくら埋めても無くならない代わりに、核分裂を繰り返す太陽であれば問題なくGood Jobをしてくれる筈である。夢のような話を今は全世界の科学者が真面目に検討を始めているというのである。あぁ、胸が救われた感じであった。福島の「核廃棄物」が10万年規模で残留する危険性もこれで払拭できるかもわからない。この紐(デザー)はさらに200-10,000mという高空規模で、風力発電を行うという構想にも結び付いているという。ジェット気流などを利用して安定的な風力発電を行おうとするものである。このベンチャー、そういう幾多の課題を世界規模で推進することを事業としているらしい。門外漢である小生も身を乗り出して聞き入った。小生にも一枚加わわって欲しいとも。”柔らかい頭”ならいくらでも提供する所存である。奇想天外なる発想なら得意とするところである。関連論文を3通貰ってきた。これを読破しよう。
Nov 20, 2015
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東京街角その2_story(4013)2015.11.2東京街角・・新宿区・杉大門通り (丸ノ内線「四ツ谷3丁目」の北側)(mon)26 Oct 9:45荒木町、舟町に沿って南北に走る200mほどの「杉大門通り商店街」。ものすごい数の看板があり夜はすごい事になっているのかも知れない。あるゆる色がまたたいていることであろう。ここには空中にとぐろを巻く電線の束があった。「杉大門通り」とは、江戸時代、この地の北にある金勝寺には大門があり、門を通る横丁には杉の並木があったこところからそう呼ばれた。外苑東通りを挟んで昨日の絵「新坂」が北側、「杉大門通り」が南側と一直線の道は呼び名が違っている。 徒然の記1 フィッシングにまんまと簸かかった!メールを読んでいる最中に差出人「JCOM Admin.」から件名「Account Locked.」というメールが入った。「親愛なる顧客:。あなたの電子メールは、1.30 GB の記憶域の制限を超えています。あなたの電子メール ボックスを更新するまでは、新しいメッセージを受信することができますないです。http://www.myjcom.jp/mail_status 警告: 非アクティブ アカウントを終了します。ウェブメール チーム!このメールに返信は答えることができません。」というアナウンスだ。メールアカウントを調べてみてもメールをサーバーに保存するような設定になっていないし、メールはこのところ毎日開けているので1.3GBも溜まる筈はないいのである。ところが、メールについてきたURLの文字が「http://www.myjcom.jp/mail_status」となったのでクリックし、ログインし、メールアドレスとパスワードを入力し、お客様サービスに繋いだのだ。メールについてきた言葉をそのままコピペし、こんな事を言われたのでどうすればよいか教えてください。とメールを打ちかえした。あとでJCOMから電話がかかってきた。さっきの質問は、ひょっとしてフィッシングの罠ではなかったかと。パスワードなど情報を入力しましたかと。URLをクリックし最初の画面ですでにパスワードなど入れて個人情報を伝えてしまっている。その後はJCOMの本当のサイトに飛んだのだ。上記、赤字の箇所がフィッシングで、まったくそっくりに質問画面が作られていた。まんまと騙された。こうなると、JCOMからの電話も怪しい。パスワードの変更手続きなどを教えてくれるのであるが、本当に信用してよいのだろうかと。まぁ、メールアカウントにまつわる操作や実際の動作確認はJCOMサイト以外ではできない筈なので、ここは信頼し、パスワードの変更作業を行った。フィッシングメールがまだ残っていたので調べてみると、「http://www.myjcom.co.jp」の文字にマウスを置くと、そこに表示される真のURLをみて驚いた。全然別のURLになっていたのだ。「受信することができますないです。」と文章まで間違っている。外人が作った文章に違いない。くわばらくわばら。徒然の記2 東海道五十三次・街道をゆく夕刊に旅行会社主催の歩く旅の宣伝が入っていた。「2016年から気持ち新たに歴史街道を歩きませんか?」というお誘いである。カミさんが注目した。初回は、日本橋から品川宿までの9kmのみ(5時間)。25名に一人の割合でガイドがつく。3990円と安い。2回目は品川宿から川崎宿の11.7km 5時間。3回目は川崎宿から神奈川宿まで10.3km 4.5H。そこで考えた。カミさんが食指を動かし友達らと参加することになったりして、すっかりこれに嵌まり、京都まで行ったりして。促すと、「足が痛くなったらどうするの!」と宣(のたまう)。まさにお姫様の質問である。当然足は痛くなる。それを乗り越えてこそスペインcaminoである。だましだましこういうこともしてもらわなくては! この新聞をいつも目に付くところにわざと置いておこう。徒然の記3 チューリップなんとチューリップが園芸栽培上人気なのか。赤玉は売り切れであった。そこで「Garden Harmony Red Mix」と名の付く赤系統の球根を買ってきた。5種類が入っていてすべて赤系の花が咲くという。1.(シードフ)・・・草丈50-60cm2.(カーナバルデニース)・・・草丈50-60cm3.ディケロスティマ(イダマイア)・・・・・草丈50-60cm4.イキシア(ビーナス)・・・・・草丈40-50cm5.(リニフォリア)・・・・・草丈15-20cm()だけのは、チューリップである。5球づつ25玉あった。最近の球根ビジネスはすごい。50球くらいsetになっているのは、そのまま土に埋めればいいように紙の容器に入っている。容器は溶けていくらしい。便利になったものである。丸型や矩形など、業者が思い思いの型を売り出している。底に穴が開いており、小さな球根達がころころと見え隠れしている様は面白い。さっそく植え付けた。手前が草丈の低い品種の「5.」のチューリップ(リニフォリア)から。以下4,3,2,1の順番にした。背丈が揃って綺麗に咲くであろう。来春を待とう。
Nov 2, 2015
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清里_story(3989)2015.10.9スケッチ1 多摩よこやま道 展望台防人・見返りの峠10/7(水)に「一人camino」として家から走った道。(昨日、一昨日の絵に続く)徒然の記1 山荘談義知人の八ヶ岳山荘に仲間と一緒に行く機会があった。名古屋から到着した夫婦はそば粉を持参してくださった。そば粉で蕎麦を作る代わりに栄村秋山郷に伝わる長野県選択無形民俗文化財である「はやそば」を作ることとなった。はやそば(早蕎麦)を食す・・木島平近くの宮内庁御用達のそば粉を使って早そば作った。その美味なことと言ったら表現出来ないくらいだ。こんなに早くお蕎麦が食べられる!レシピ・・1 そば粉1:水2を器でダマにならないようによくかき混ぜる。2 大根5cmを短冊型に細切り3 ネギを刻む4 1を温めながら粘りが出てくるまでよくかき混ぜる。5 4の火を消し2を混ぜ込む。6 おてしょう(小皿)にそばつゆを入れる。7 5を6に載せる。一口か二口ずつ。8 7に3をまぶし食す。つゆを濁さないように食すのが通。以上。合計10分。
Oct 9, 2015
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ポーランド、ドイツ、ベルギーを歩くー第15報 その2アーヘンからNamure(ナミュール)まで7/21(火) Blégny(ブレニュー)手前5km寒い。曇天の日が続く。小雨交じりである。前の夜アーヘン・ユースホステルで寝ながら考えた。旅を止めるとしたら今が潮時である。旅を続ける場合は寒さ対策が欠かせない。ポンチョ一つでは足元は無防備である。野宿で凍死の恐れがある。極小のリュックを買ったが食料品などは入れたら満杯で使い物にならない。ここは大きいリュックとマット、テントを買うべきではないかと。散財ではある。日本で何か職を得よう! 店の開店はレシートで調べると10時であると。アーヘン出発を10:30として35kmの行程では夜行となってしまうが逆にテントを張るには都合がよい。ここは前向きに!新調したリュック(60L+10Lという本格的なものだったが非常に軽く優れもの。大きくは感じさせない。)とテント(変形の台形をした奇妙な形。ポールは台形型一つ。店では最軽量という。)で旅を続ける。アーヘンから10kmほどでベルギーとの国境である。オランダ・ベルギー・ドイツの3国の国境ポイントがあり、山の上は賑わっていた。十分観光スポットである。ここで日本人親子とベルギー人の家族と会う。記念撮影をして別れる。オランダも2kmほど歩いてベルギーに入る。何と静かな風景だろうか。日本の風景を彷彿とさせる。すなわち電柱があるのである。奈良の風景とも似ている。お寺を教会に変えればそのままベルギーとなる。選んだ道は田舎道ばかり。やはり心配していたようにスーパーが無い。ドイツで買った食料を食いつなぐしか手がない。大きな町を経由するまでは辛抱。さてAubel(オペル)の町に着いた。起伏の多い丘陵地帯にポツンと町がある。決まってどの町にも教会があるが閉まっている。広場ではレストランがパラソル合戦。一番流行っている店に飛び込み料理をオーダー。食事中にはタブレットのチャージをお願いする。行程はまだ5kmも残っているがビールが旨い。夕闇迫る中を丘陵地帯をいく。予定したより3km手前で山に入っていく道を発見。牧場に上がっていく道。よい平坦な場所を見つけた。明るいうちに初めてのテントを張らねばならない。紐で引っ張る形のテントであるがポールが変形一本であるので至って簡単。2mのマットが余裕で展開出来る。荷物の出し入れは横サイドからとアクセスは抜群。ただMontBellのよりも結露が多い。この点ドアの開け閉めを工夫すれば何とかなるのでは。7/22(水) Engis(アンジ)にて・・新しいテントを畳み森を抜け出す。テン場を計画したポイントを通過したがテントを張れそうになく昨夜の位置が正解であった。延々と丘陵地帯を行くが、プロの自転車レースのような集団が通り過ぎていく。大きな町Liège(リエージュ)を通過。ここからはベルギーの大河Meuse(ムース)の蛇行に沿った旅となる。背後の丘を越えて近道を選ぶか蛇行に沿った遠回りを選ぶか。当方はあくまでも計画した道を進むがそのきつい事。カンカン照りの太陽ではへこたれる。さて寒村のアンジに入った。広場で漸く数軒の店がopen。イタリア・シチリーからの移民の親子や親戚が経営しているBarであったりサンドイッチの店であったりと。要するに幾つかの店を梯子しながらの食事。ここでもタブレットにチャージを依頼。C型のコンセントを付けただけなので至って簡単。お願いすればどこでもやってくれる。ここから8kmは岩石粉砕やセメント工場が続く。ここで予定した場所よりも近くでテントを張る。川の土手が続き散歩道もあるのでまぁどこでもテントを張れそう。7/23(木) Sclaigeaux(スクレノー)にて・・ムース川は北に向かってオランダを通る。川の左岸(北側)と右岸ではこのあたり発展の様子が違っている。北側は岩石の山が続きそれを原料とする工場群。しかし電車が通っている。河畔は静か。づっと自転車道が続いている。水鳥が沢山いる。船着場にスロープがありボートの出し入れを行うのであろうか。水浴びではないが髭でも剃ろうと進み出て転んでしまった。藻に体重が乗った瞬間すってん。なんと注意深く水に入ろうとしているのに立て続けに2回も。何かに捕まらなければとても歩けない。おかけで身体はびしょ濡れに。これも都合がよいかもわからない。水浴びでもと。テントを張れる時間まで歩いてやっと計画ポイントに近づいた。アーヘンを遅く立ったしわ寄せが漸く解消。テントの色は草色。目立たないので助かる。7/24(金) Namur(ナミュール)にて・・市内まで17kmしかない行程。ルンルン気分である。ここですべてを解決する必要がある。2日前にリエージュ手前で買ったsimカードがまたまた使えないのである。ナミュールからの行程をこのムース川沿いとした場合の宿泊ポイント。でなければ内陸を6日行くための大量の食料の買い出し。ユースの予約が取れていないようなので5km南(ムース川を遡上する方向)のホテルへ進むこと。などである。川岸の芝生で休んでいたら同じような格好のバッグパッカーが歩いてきた。ポーランド・グダンスク近くの自宅からサンチャゴまでの予定でテント泊のみですでに1ヶ月歩いているのだという。十分臭っていたが。驚いたものだ。スマホ一つだけで地図もなにも持たず1日40-50kmを歩き夕闇に紛れてテントを張る若者であった。ナミュールまで一緒に歩く。ムース川に沿ってフランス国境に入ってからは計画が無いというので、さらに南下してLe・Puyまで行けとコメントしておいた。ヨーロッパの人はシェンゲン条例が適用されないので何ヶ月でも気ままに旅を続けられる。こちらはタイトなスケジュールであるというのに。この青年小生と別れてから近くのスーパーで大好きなチョコレートペーストの瓶を見つけてきたらしく再び川岸のベンチ(彼は"バンク"と言っており会話で意味が分からなかったものだがこれで解消)で一緒になった。ナミュールの町にもJakobsWegのマークがあった。simカードのBase社の販売店に寄って事情を聞く。ドイツからベルギーに入ってもvodafoneのsimカードのままでインターネットをonにしたままであったため、Base社のsim(15ユーロ)を挿入した途端15ユーロ分が飛んでしまったのではないかとの何やら分からない説明。インターネットを使わないときはモバイルネットワークの「データ通信を有効にする」のチェックは外しておけという。新しいsimを購入して問題解決。i(インフォメーション)に立ち寄り今後のコースを相談。川沿いを行けと。町が沢山あって食料や銀行の心配はないという。今後フランス国境までのコースを変更する。道が簡単である分距離は稼げる。しかも巡礼街道(マースの道)に近い。1日40kmでも歩けるため目的のReims(ランス)に到達出来るのではと。列車も利用できる。ホテルには浴槽があった。ヨーロッパに来て初めてである。今まで全部シャワーであったから。うれしくなって湯船に何回も浸かる。
Jul 24, 2015
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Report14--5 weeks to Poland Kraków-Paris walking_story(3682)2015.4.8Baby can not speak anything but can send some sign by moving the hands and fingers for us to tell his intention.His hands like conductor,and finger move very well.He is catching the baby milk bottle titly with little finger not to release any more.4/1についで1週間ぶりのblog。Dies ist der Blog von einer Woche zum ersten Mal nach dem1.April.スケッチ 目次1.仏果山(747.2m)から宮ケ瀬ダム湖 2.経ヶ岳(633.1m)から仏果山を眺望3.相模川自然の村のさくら祭り・・展望テラスから日記 目次1.徒然の記1 山岳run 39.02km2.徒然の記2 パン焼き数列3.徒然の記3 海外旅行保険4.徒然の記4 旅装束 考察1仏果山(747.2m)から宮ケ瀬ダム湖春の佇まい。首都圏自然歩道を登ってきた。絵を描いていると林道と交差する地点で休憩していた4人組が展望台に上がってきた。小学校の教諭グループである。結構横浜から来ている人が多い。丹沢に登るほどはきつくは無いので人気のコースのようである。手前の稜線続きの山が「高取山(705m)」経ヶ岳(633.1m)から仏果山を眺望霞んで見えるのが仏果山。そこからの南路はまさに”難路”。半原峠(488m)が底で、滑落しそうな細い道をロープを持ちながらup downしてきた。相模川自然の村のさくら祭り・・展望テラスから大嶋河原の桜が満開。4,5日の両日は地元の「大沢さくら祭り」相模川自然の村「清流の里」手前が「ビレッジ若あゆ」・・キャンプや野外活動の拠点河岸段丘をなしている緑地帯からジャングル道を滑降してしていくと、展望テラスに出れる。はじめての裏道であったが偶然一大パノラマを発見。徒然の記1 山岳run 39.02kmいつもの仏果山(747.1m)往復に変化を加え、経ヶ岳(きょうがたけ 633.1m)、華厳山(602m)、(荻野-or西山-))高取山(522.1m)を縦走した後、先日の八菅(はすげ)神社経由という大回りの「里山run」を企てた。My Tracks(アプリ)で計測した結果は下図のような太った猫の後ろ姿のようなトレースとなり面白い。半原から国道412号の側道(173m)に入る。仏果山(747.1m)から横浜ランドマークや相模湾、江の島、もちろん屏風のように聳える丹沢の主峰群が目の前である。宮ケ瀬ダム湖も眼下に望めて実に気持ちがよい。南の経ヶ岳、華厳山、高取山は地元では「相州アルプス」と呼ばれ、「西山を守る会」が整備してくれている。My Tracksによるトレース結果 写真を撮るとマーキングしてくれる徒然の記2 パン焼き数列初期値5と3の場合・・・0→5→2→7→4→1→6→3→0初期値7と4の場合・・・0→7→3→10→6→2→9→5→1→8→4→0→・・・ さて何の数列だろう初期値5と3の場合は、ホームベーカリー一回分で5枚の厚切りパンが出来上がり、それを毎朝3人が食べるとしたときのパンの枚数の変化を表したものである。右に向かって+5になっているタイミングが、新しく食パンを作ったことを意味する。焼きあがるタイミングや、食事前後で猫の目のようにパンの枚数が変化していくため、頭が混乱する。紙に書けば大したことはないが、空で計算しようとするとなかなか難しい。平均1.66回で5日に3回焼く計算となるが、パンの枚数からの変化は次のように複雑である。[最初は0枚→パンを焼く→5枚になる]→[次の日のために朝食前にパンを焼く→3枚食べる→2枚になる→パンが焼きあがる→7枚になる]→[パンは焼かない→3枚食べる→4枚になる]→[次の日のために朝食前にパンを焼く→3枚食べる→1枚になる→パンが焼きあがる→6枚になる]→[パンは焼かない→3枚食べる→3枚になる]→[次の日のために朝食前にパンを焼く→3枚食べる→0枚になる→パンが焼きあがる→5枚になる]目まぐるしく変わる数値は、物流現場では First In First Outといったスタック操作であり、供給が途絶えないように生産を確保するという、まさにJust In Timeの思想で家のパン焼きが運営されているのだ。徒然の記3 海外旅行保険カミさんに聞いてみた。僕が死んだらいくら貰いたいかと? 「1億円!」と即答する。続いて掛け金の段になった、3,000万で5万円、2,000万で4万円、1,000万で3万円。どちらにする?「1,000万。」と一番安い奴を答える。一挙に10分の一である。なんと、現金なことよ。今までの旅行では空港で待ち時間を利用して申し込んできたが、今回はインターネットで申し込んでみた。窓口価格からは40%くらい安くなるかわりに色んなオプションが付かないという落とし穴がある。保険というのもはなかなか考え方が難しいものであるが、何も無かったときはムダだしと思ってしまうのはケチな性分からであるが。まず病気になったときの治療代はべらぼうだというので、「無制限」という商品を購入しておいた。車は運転しないものの、対人1億円などと。徒然の記4 旅装束 考察1荷物を3つに分けるという案大き目のザック(Gregory75L 15kg)・・もろもろを詰めるが、衣類など軽めのものが中心。小さ目のザック(Osprey 25L 5kg)・・水、テント、食料、スケッチブック4冊、スケッチ道具、ガイドブック、地図。ポシェット・・タブレット端末(カメラを兼ねる)、バッテリー、行動食などアクセス頻度の多いもの(2kg)。さて、1.この3つを身体に括り付けて歩いてみた・ザックを前後に担いでみた・・苦しい! 足元が見えずらい。夏場は暑い。しかし2本のストックが持てるので荷重が2割削減されることが期待できる。3つ合体ポシェット(2kg)はおへその位置。2.キャリーに大きめのザックを置き、小さめのザックを担ぐ。・・「本末転倒形」で、キャリーがきしむ。重音を発し、とても長距離歩けない。キャリーに大ザック車輪の大きさにもよるが、旅行鞄に付いているような小さなキャスターは不向き重すぎてゴロゴロと耐えがたい音を出す。3.小さめのザックを買物キャリー(この写真よりも大きい車輪がよい)に乗せこれを曳く。・・軽快である。はやり道路をゴロゴロ曳くのは少し抵抗を感じる。キャリーに小ザック小さめの折りたたみハンドキャリーで車輪が大のものがあればよいが。これが無いのである。自重2.4kg 45kg搭載など似た商品2つ見つけたが今一大きいのである。key-word 軽量台車 HT-042・・2.4kg max 45kg 折りたたんだ寸法・・680x390x50(sum=1120cm) Carry Cart ETC001392・・2.48kg max 50kg・・624x370x60 車輪は12.5cm (sum=1054cm)まだ結論が出ない! 1か、3か。荷物を極力減らしてザック一個で行くべきか!まずは大き目のザック一つで、今日から(4/8-9)2日間かかけての丹沢縦走。 体力の限界を知るためである。この結果到底無理となったら、荷物半減にチャレンジ。・・着の身着のまま・・あぁ本当に「ホームレス」である。では次回まで。In Wiedersehen,bis zum nächsten Ma!
Apr 8, 2015
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新宿御苑_story(3638)2014.12.2日本庭園の芝生にいる。雨が降っているので、自由にスケッチが出来ないのが残念。せっかく来たのに雨では商売あがったりである。ふと見ると桜の木があった。この時期の桜はわくらばを沢山つけて、黄色茶色に染まって美しい。しかも枝垂れ桜である。枝垂れて紅葉モミジよりも桜に風情を感じている。暫くすれば全部散ってしまうことは分かっているのであるが、1日、1日を主張して止まないのである。徒然の記1 自閉症者の心11月29日の夕刊に東田直樹さん(22)のエッセー「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」が「THE REASON I JUMP」として英訳されベストセラーになっているという記事が紙面Topで出ていた。・・昨夏英国で出版されるとアマゾンの英国サイトで発売一週間でベストセラーに。BBCでも取り上げられ、米国ではNY Timesなどが書評で紹介し、発売1カ月で10万部など・・・。KBを模した文字盤に指で指して、言葉を伝えることによって、気持ちを外に伝えている、もともと純真な心の持ち主であったのだろう。本や詩が書ける人でもある。今までこういう本がなかったため、自閉症の人の本当の気持ち察することができなかったのであるが、この本は自閉症の人が自らを分析し「どうして何回も同じ行動をするのか?」を解いているのであるから全世界の人が注目するわけである。自閉症の人を理解できる言葉があった。すなわち、『東田によると心と体は別もので不良品のロボットを操縦しているような感覚だという。』。本人自身非常に悔しい思いをしている筈である。制御の効かないロボットを苦心しながら一生懸命動かしているのであるから。悔しく、残念で、悲しく、自暴自棄になってしまうのを、必死で前に向かって生きている姿に、涙するのである。本人は「僕たちのこと 諦めずに教え続けて」と言う。人の気持ちによりそう なんて簡単には言えるものであるが、本当の心の声を聞いてあげなくてはならないだろう。そのように感じさせる夕刊記事であった。徒然の記2 何でも自動化TBSテレビで「所さんの日本の出番! 自動トイレに自動ドア 外国人がオ~ッと驚く日本の自動文化を調査」というのがあった。見るともなしに見ていた。今はやりの日本人を元気にする趣向の番組に見えたからだ。しかし観方によっては我々のガラパゴスぶりを認識するいいチャンスではないかと思い真剣に拝聴。実際小生も、インターネット上で印象に残るのは、TrackMyTourというソフトを使いながら日本を旅している外人が、「日本のトイレ 分からん!」とトイレの写真を掲載しながら嘆いていたことを思いだす。何もないのが普通なのに、トイレがボタンだらけで、分かりにくいのであろうか。ガラパゴスの門をたたいて初めて遭遇する事項であるが帰るころにはすっかりその虜になっている筈である。日本に来た外人が驚くのは、そこまでするか! といった自動化。このルーツが、大阪万博であるという。「動く歩道」でおもてなしをしたのが原点のようである。爾来進化に進化をとげ、ついにガラパゴスとなってしまった不思議の王国が日本なのであろう。自動串差しマシンが世界から注目されているというのに、シャワー付きトイレの普及はなかなか進展しない。本国に帰国したら設置の宣伝をして貰いたいものである。Picture1(sketch-direction 200° pm2:08 Sketch point:Goryoutei,Shinjyukugyoen,Shinjyuku,Tokyo,Japan GPS 35.685247,139.709178(35°41'6.89" N,139°42'33.04" E)標高46m
Dec 2, 2014
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大阪へ(その4)_story(3603)2014.10.28大阪城脇にあるホテルKKR大阪に行くついでに淀屋橋界隈を360°見回している。中之島の緑道で、桜の並木道を見つけた。ちょうど1W後の26日(日)が大阪マラソン開催の日となるため、通行止めの看板が目に付くようになっている。中之島の散歩道大坂市庁横から中之島公会堂の方向を眺望。桜並木はこれから紅葉を迎える。徒然の記1 昨夜のカバンのトラブルどうも真相はこうだ。小生よりもっと酩酊していた男性。多摩センターで座席が空いた拍子に網棚からカバンを下げたのではあるまいか。全く同じようなショルダーバックが並んでいたため、turbo717の”弁当箱の空き箱とポーランド語の本以外何も入っていない方のカバン”を小脇にした筈だ。橋本駅終点で、氏は小生のカバンを抱えたまま寝込んでいる。同様に多摩センターから真向い側に座った小生は、網棚にあったカバンをそのままにしていたのだ。橋本でそれを取り家まで持ち帰った。ところが開けてびっくり、財布、Suicaカード、手帳まで。ぎっしり詰まっている。財産など全てをなくしてしまったその男性は帰るに帰れず南大沢駅で途方に暮れていた筈である。その間30分。間に合ってよかった。最初は橋本に着いた時点で、網棚に2つのカバンが揃っていたと思ったがそうではなかったようだ。ただ、家に持ち帰るまでに、違いを察知しなくてはならなかった次第である。こちらも少し酔っていたため判断が鈍くなっていたと考える。色んな人からコメントがあった。「酔っているときは電車に乗らないで。」というコメントも頂戴した。これでは、繁華街で飲んで家には帰れなくなってしまう。鉄則、酔ったときは特に「網棚に荷物は置かない」ということを肝に銘じたいと思ったしだいだ。徒然の記 ほんとうの徒然旅計画で気が滅入ってしまっている。ホテルやホステルの予約が意外と手間取っている。地図で調べて歩行コースに近い場所を特定するのがなかなか難しい。毎日35kmほど歩いてから大都市に到達するような日程のため夜の到着となり、1泊の場合は、早朝スタートということで、市内の観光はほとんど出来ない。このため連泊のスケジュールを随所に挿入している。各都市の宿泊を押さえながら机上で旅をしている段階。スケジュールkeepが絶対条件となり、変更がなかなか難しいく、このあたり、都市優先で、途中間に合わなければタクシーにでも乗って辿りつく必要がある。野宿も教会などを当てにしなければならなく、なかなかしんどい。押さえたHotelやHostel・・クラクフ(Kraków)、オシフエンチム(Oświęcim)、チェンストホヴァ(Częstochowa)、ウッチ(Łodz)、ワルシャワ(Warszawa) 、トルニ(Toruń)。ポーランド国内では、グダンスク(Gdańsk)、ソポ1(Sopot)、グディニアグヴォナ(Gdynia Głowna)、ジブヌフ(Dziwnów)などがこれから。ドイツ・・ケルン(Köln)なにせ、観光シーズン到来でホテルがどんどん埋まっていくので気が気ではない。都市と都市の間で、3日以上野宿をしなければならないとするとバッテリーが持たないということにもなり、スマホあるいはiPhoneに蓄えた地図情報が検索できなくなってしまう。こういう場合の対処方法は?などなど山積し始める問題点。「困難打破力」「困難突破力」なる力が試される旅行であり、幾多の試練が立ち塞がる。「やめといたら!」という声も響きだし、耳をふさぐ気合が必要な昨今。Picture1(sketch-direction 280° am9:01 Sketch point:Yodoyabashi,Festbalhall,Osaka,JapanGPS 34.692792,139.500828(34°41'34.05" N,139°30'2.98" E)標高2m
Oct 28, 2014
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大阪へ_story(3600)2014.10.25 東中学校という大阪・中央区にある中学校の古稀の集いに参加するために大阪にやってきている。淀屋橋駅で降りて川の東北を眺めてみた。 徒然の記1 旅の予行練習(その3)群馬・神流町生利(しょうり)の里いろり庵に集まったのは、主の女性を含めて7名。2週間後の11/9(日)に山岳マラソン大会が開かれる場所。全国から選手が集まると言う。神流川(かんながわ)の清流と紅葉の里、最高の環境にある。スケッチは後日掲載予定。 Picture1(sketch,direction 194°am10:55 Sketch point:Shinjyuku-center-Street-East,Shinjyukuku,Tokyo,JapanGPS 35.690408,139.690947(35°41'25.47 N,139°41'27.41" E)標高35m
Oct 25, 2014
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今日の日記。群馬県神流町再び新宿へ(その4)_story(3599)2014.10.243分間スケッチ教室の第2段で、再び副都心にやってきているが、生徒を置いてひとり気になる景色へと。空がほとんど見えないが、高層ビルに高層ビルが映っている場所があった。その谷間に昔ながらの低層のビルが肩を寄せ合っている姿が微笑ましく、 新宿・中央通り東 徒然の記1 旅の予行練習神流町生利(しょうり)にやってきている。昨夜は下久保ダムで野宿。無事熊にも食われずに一夜を過ごす。残り13kmを4時間くらいかけてゆっくり歩いた。詳細は後日 絵をupする時に。 Picture1(sketch,direction 194°am10:55 Sketch point:Shinjyuku-center-Street-East,Shinjyukuku,Tokyo,JapanGPS 35.690408,139.690947(35°41'25.47 N,139°41'27.41" E)標高35m☆☆太田 宏★★
Oct 24, 2014
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大阪散歩(その2)_story(3562)2014.9.17大手前から天満橋まで下り、大川を眺めている。天満橋からの中之島の風景(大川の西側)は、大阪で一番好きなSpotである。今回は趣向を変え、大川(旧淀川)の東側を眺望してみた。優美な人道橋の「川崎橋」がかかる場所。ここは、「天満川川崎渡し 」 として もともと 左の天満川崎と右の前島( 都島区網島町 )を結ぶ 「 渡し 」 が あった場所 である。前島は 大阪城の京橋口に接し 京街道・大和街道に通じる要衝の地でもあった川崎橋の風景大川(旧淀川)にそって桜之宮公園が伸び、こんもりとした木々の連なりが美しい。川崎橋を右に渡り終え京阪本線をくぐると大阪城に繋がる陸橋にでる。土佐堀通りを渡る陸橋で大阪城に最短で行ける。都島(みやこじま)はジョギングする人にはたまらない緑地ゾーンがあり、毛馬までおよそ5kmも繋がっている。徒然の記 パソコン教室と幹事会朝から、資料纏めと、パソコン教室と幹事会のため9時間もサラ文事務所にいたことになる。駅から近く夢のような事務所であるが、家賃が会員の年会費に相当する。これを有効活用する手をいろいろと考えている。会員にしか部屋の貸し出しはできないが、サラリーマン文化芸術振興会の活動に賛同していただければまずは会員となっていただければ、部屋は自由に使える。ぎゅうぎゅう詰めにすれば30人は入れる部屋を、破格の値段で貸すことができる。いかがだろう。sarabun*nifty.com(*を@に変えてください)にメール下さい。朝:9:00-12:00 昼:13:00-17:00 夜 18:00-21:00 1人300円。こんな安い貸し部屋代はない。空き部屋状態は、下記でチェック。http://www.sarabun.org/3_ivents/2014/140916_room_plan.htmPicture1(sketch-direction 34°pm4:25 Sketch point:Osaka-castke,Cyuoku,Osaka JapanGPS 34,684475,135.521278(°)(34°41'4.11" N,135°31'16.6" E)標高19m
Sep 17, 2014
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銀座散歩_story(3554)2014.9.9 その2元の会社で、イタリアはミラノに駐在してした人たちの集まりが銀座であった。時間前にその辺をぶらつこうと思ったしだいである。日本橋にある室町コレドなども見てみたい。ならば「三越前」で降りるのが一番。と思ったが、丸の内線はそこには行かない。「銀座」で乗り換えてえらい苦労。そもそも「丸の内線」と「銀座線」とは「赤坂見附」で「)(」で接している。ここで乗り換えるのが鉄則であるのに銀座まで来てしまった。地下通路をうろうろ。コンパスを取りだしたり、スマホの現在位置確認などしつつやっと銀座線を探しだした。室町コレドのECO EDO 日本橋ではアートアクアリウム2014 ~江戸・金魚の涼~(7/11-9/23)を開催中らしく、地下道は長蛇の列。皆手に手にチケットを持ちキャッキャと言いながら最後尾と叫ぶ箇所に並んで行く。あっけにとられ田舎人は立ち尽くす。田舎もんにはなんのことかさっぱり分からんすでに300万人も入場者を惹きつけたという木村英智プロジューサーによる金魚アートである。19:00-23:30はナイトアクアリュムというものもあり沢山のもアーティストが出演する。ありもうお祭り騒ぎである。その喧騒を抜け出し漸く地上に上ってきた。そこは昔ながらの日本橋。老舗が何百年も店を張ってきた場所でもある。ビルの一角にそういう店がまだ並び静かに商いをしていることこそが驚愕である。日本橋三越前から中央通り昼食時。日本橋の袂にある東屋から。東の方角を眺めている。徒然の記1 LEDどこでもセンサーライト昨日は傑作であった。センサーライトを台所に置いて、カミさんとかくれんぼである。真昼の出来事である。相手も台所の影に息を潜めて隠れている。当方もドアの陰に隠れて息を止めている。とにかく人間の気配を機械に悟られないように静かにしていないといけない。センサーライトは(株)ムサシの「DOKODEMO」という商品。探知範囲は4mx100°、焦点型赤外線人感センサーを搭載している。高輝度1W LED。『周囲が暗い時に人が来ると人感センサーが探知し、自動点灯する。』玄関先に置いて、夜 車などに乗りこもうとする人の足元を照らすようにしたいというのでCo-opに注文してあったものである。電池を入れて実験することとなった。別に息を止める必要は無かったのであるが、センサーの性能も確かめるべくなるべく動かないようにしておいて、さっとその場を通るようにして点灯するかをチェックするのだ。なかなか点灯しないので歩き方を変えたり、息の仕方をかえたり。あまり説明書を読まずにチェックを始めたものだから、息まで止めてしまっていた。まぁ、ゲーム感覚で性能をチェックしたわけである。しかし、なかなか反応が鈍い。ではと実際に玄関先の鉄柱に取り付けてみたが点かない。たぶん鉄柱が数本あると、人間の熱が複雑に反射して点灯しにくくなっているのではないかと、置き場所を工夫してみた。点灯してもなかなか消えないので、実験は時間がかかる。結局次女が使っていた一輪車に取り付ける(磁石だからどこでもくっつく)ことにした。こちらだと良く反応する。しかし・・・このblogを書くためにもう一度説明書を読んで初めて納得した。「周囲が暗い時に」を読み飛ばしていたために、明るいところではいくら実験をしてもだめであったようである。カミさんも小生に似てせっかちになってきたのであろうか。中秋の名月を見ながら、置き場所を理想的な位置にしてみてチェック完了。・・反省・・説明書きはよく読む事!2014.9.9の月昨日が「中秋の名月」。しかし東京は曇りであった。今晩はよく見えた。Picture1(sketch-direction 334°am11:50 Sketch point:Mitsukoshi-Dept.Chuoku,Tokyo,JapanGPS 35.684369,139.774844(°)(35°41'3.73" N,139°46'29.44" E)標高4m
Sep 9, 2014
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熊野古道-小辺路・中辺路・伊勢路(その6)_story(3529)2014.8.16昨日から予定を変更している。今日は那智の滝がメイン。昨夜は実に大変なテント場所探し。まず渡瀬温泉、下湯川温泉になど場所探すもよいスポットはない。湯の峯温泉にいく場所に小学校があるがどうも様子をがおかしい。人の出入りが多すぎる。見ると老人ホームに半分ほど占有。廃校になっているのだ。残った校舎の片隅を寝床としたい。しかし一軒家が先にあり、校舎から道が延びている。まあそういう環境下の不法侵入者。この無賃巡礼者をお許しあれ。 朝新宮行きのバスでに飛び乗る。バスを乗り継ぎ那智海岸へ。昨年同様ひと泳ぎ。那智の滝一周も崩落現場先に進めず。那智の滝を3時間くらい見続けたことになる。熊野市内に住む親戚が迎えに来てくれた。夜は次女の嫁ぎ先家族全員が集まり盛大なBBQ。明日は待望の大花火。徒然の記1 熊野巡礼次の予定で熊野を旅している。太字がその日の行程。前日までの行程は前日以前のblog参照。 8月16日(土) 湯の峯温泉ー新宮ー那智の滝。 8月17日(日) 熊野 (熊野大花火) 8月18日(月) 熊野-鬼ヶ城・・・大泊-日帰り温泉があれば利用-松坂 青空ライナー21:40 8月19日(火) シーティーエアターミナル 5:20着 ☆☆太田 宏★★
Aug 16, 2014
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熊野古道-小辺路・中辺路・伊勢路(その5)_story(3528)2014.8.15今日は果無村落の観音堂(小屋泊)から果無峠(1050m)へ。山をup-downして熊野本宮大社へ。観音堂の前にある小屋は千と千尋の世界。かび臭く。巨大コオロギの天国。その数100匹以上。コンロでお湯を沸かしていてもその前をピョンピョンとジャンプ。鼻を掠めて飛び回る。小屋の中でテントを張ろうと思ったぐらいだ。箒の先で叩いては雨戸を開けて外に放り出す作戦を挙行。2.300匹を始末したか。寝不足もいいところだ。夜半に大雨。朝も降り続く。小屋を6:00出発。果無峠着 7:15。 山を5.1km 下って9:30着。熊野本宮 11:30着。 精魂尽き果てた。 郵便局でさらに装束を一式交換。キャラバンを脱ぎ、トレイルシューズに履き替えるも、昼食時に行程変更を決定。今夜は5kmほど先の川湯温泉か湯のみね温泉に停留。あすバス及びJRで那智にむかうことにする。行く予定だった中辺路(熊野本宮大社→熊野那智大社。 これからの山(熊野本宮大社→熊野那智大社)のプロフィールは下記。宿題となった。中辺路(熊野本宮大社→熊野那智大社)の高度プロフィール 徒然の記1 熊野巡礼次の予定で熊野を旅している。太字がその日の行程。前日までの行程は前日以前のblog参照。 8月15日(金) 観音堂-果無峠(1050m)-八木尾(83m)-九鬼-三軒茶屋跡(210m)-熊野本宮大社(90m)-本宮郵便局(荷物の送受)-川湯温泉(20km) 8月16日 8月17日(日) 熊野 (熊野大花火 テント泊) 8月18日(月) 熊野-鬼ヶ城・・・大泊-日帰り温泉があれば利用-松坂 青空ライナー21:40 8月19日(火) シーティーエアターミナル 5:20着 ☆☆太田 宏★★
Aug 15, 2014
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熊野古道-小辺路・中辺路・伊勢路(その4)_story(3527)2014.8.14国道425は先日の雨で大きく決壊。3年前の大雨でも決壊したため巨大な砂防ダムを作ったが、今回の土石流は3時間でそのダムを埋めてしまいそこから溢れた土石流が国道を直撃した。かろうじて激流の間にあった石を伝って渡れたものの、今後数年は通れないのでは。秋以降小辺路を計画される方は長大な迂回路を取らざるを得ないだろう。地元民の嘆きはいかばかりか。さて、昨晩は大雨で大変。屋根のある場所にテントを移したり大変な労力。西川第一小学校を5:45発。昴の郷 7:15 十津川温泉 8:00。10時前に、郵便局に局留めの荷物を受け取りそのまま温泉に直交。ここでゆっくりし過ぎたため歩く気力がゼロに。ほうほうのていで果無峠まで1kmの観音堂に17:30到着。 徒然の記1 熊野巡礼次の予定で熊野を旅している。太字がその日の行程。前日までの行程は前日以前のblog参照。 8月14日(木) 重里-大津越-昴の郷(150m 温泉があれば一風呂)-柳本(150m)-十津川温泉(143m またはここで一風呂 郵便局で荷物の送受)-果無村落(絶景)-観音堂(小屋泊) 8月15日(金) 観音堂-果無峠(1050m)-八木尾(83m)-九鬼-三軒茶屋跡(210m)-熊野本宮大社(90m)-本宮郵便局(荷物の送受)-備崎橋-請川橋-松畑茶屋跡-百間はぐら-小雲取山-石堂茶屋跡-桜茶屋跡-小和瀬-小口(25km) 8月16日(土) 小口-円座石-越前峠-(大雲取山)-舟見峠-那智高原公園(15km) 8月17日(日) 那智高原公園-熊野那智大社-那智滝-勝浦(温泉) 日帰り温泉があれば利用-新宮-熊野 (熊野大花火 テント泊) 8月18日(月) 熊野-鬼ヶ城・・・大泊-日帰り温泉があれば利用-松坂 青空ライナー21:40 8月19日(火) シーティーエアターミナル 5:20着 ☆☆太田 宏★★
Aug 14, 2014
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熊野古道-小辺路・中辺路・伊勢路(その3)_story(3526)2014.8.13今日は伯母子峠(1215m) am5:40 発。三田谷橋へ下り、三浦峠(1065m 15km)へ登り、西中-国道426を5kmほど。重里まで。国道大きく決壊。道路閉鎖部分の空地でテント設営予定。地元の親切な男性から近くの小学校の運動場を紹介されたので、設営を撤収し移動。19:00 就寝。 徒然の記1 熊野巡礼次の予定で熊野を旅している。太字がその日の行程。前日までの行程は前日以前のblog参照。 8月13日(水) 伯母子峠(1215m)-三田谷橋-三浦バス停-神納川(345m)-五百瀬(いもせ 350m)-三浦-三浦峠(1065m 15km)-矢倉観音堂(400m 20km)-西中-重里。pm5:00着。西川第一し(テント泊 27km) 8月14日(木) 西中(210m )-重里-大津越-昴の郷(150m 温泉があれば一風呂)-柳本(150m)-十津川温泉(143m またはここで一風呂 郵便局で荷小学校、19:00の送受)-果無村落(絶景)-観音堂(小屋泊) 8月15日(金) 観音堂-果無峠(1050m)-八木尾(83m)-九鬼-三軒茶屋跡(210m)-熊野本宮大社(90m)-本宮郵便局(荷物の送受)-備崎橋-請川橋-松畑茶屋跡-百間ぐら-小雲取山-石堂茶屋跡-桜茶屋跡-小和瀬-小口(25km) 8月16日(土) 小口-円座石-越前峠-(大雲取山)-舟見峠-那智高原公園(15km) 8月17日(日) 那智高原公園-熊野那智大社-那智滝-勝浦(温泉) 日帰り温泉があれば利用-新宮-熊野 (熊野大花火 テント泊) 8月18日(月) 熊野-鬼ヶ城・・・大泊-日帰り温泉があれば利用-松坂 青空ライナー21:40 8月19日(火) シーティーエアターミナル 5:20着 ☆☆太田 宏★★
Aug 13, 2014
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熊野古道-小辺路・中辺路・伊勢路(その2)_story(3525)2014.8.12今日から高野山をスタートにして熊野古道・小辺路→中辺路→伊勢路を歩く。転軸山森林公園内のログハウスをam5:40に出発。金剛三昧院から漸くにして小辺路に踏み込いれる。今日は山道としては長旅の22km。up-downも相当にあり水6Lを担いで山中に入る。10時間の行程でまったく水が無いとすると500cc/1時間として5Lの計算。山水が出ていればよいが乾季は期待できない。また川では断崖絶壁を橋でわたる場合も多く水が期待できない。それに料理用の水一回分500ccx2とするとさらに水を節約せねばならない。スケッチ用の水もごくごく少量にせねばならないだろう。いざ出発。 15:00大股発。伯母子だ着。15:45,伯母子 山小屋着。18:30 小屋宿泊は1人。 徒然の記1 熊野巡礼次の予定で熊野を旅している。太字がその日の行程。前日までの行程は前日以前のblog参照。 8月12日(火) 転軸山森林公園ー2km-金剛三昧院-薄峠(995m)-丁石-大滝-高野龍神スカイライン合流-水ヶ峰分岐-林道タイノ原線-下谷(674m)-大股(ここまで17.2km)→桧峠-伯母子岳(1344m)-伯母子峠(1215m 山小屋 ここまで22km) 8月13日(水) 伯母子峠(1215m)-三田谷橋-三浦バス停-神納川(345m)-五百瀬(いもせ 350m)-三浦-三浦峠(1065m 15km)-矢倉観音堂(400m 20km)-西中バス停(テント泊 22km) 8月14日(木) 西中(210m )-重里-大津越-昴の郷(150m 温泉があれば一風呂)-柳本(150m)-十津川温泉(143m またはここで一風呂 郵便局で荷物の送受)-果無村落-観音堂(小屋泊) 8月15日(金) 観音堂-果無峠(1050m)-八木尾(83m)-九鬼-三軒茶屋跡(210m)-熊野本宮大社(90m)-本宮郵便局(荷物の送受)-備崎橋-請川橋-松畑茶屋跡-百間ぐら-小雲取山-石堂茶屋跡-桜茶屋跡-小和瀬-小口(25km) 8月16日(土) 小口-円座石-越前峠-(大雲取山)-舟見峠-那智高原公園(15km) 8月17日(日) 那智高原公園-熊野那智大社-那智滝-勝浦(温泉) 日帰り温泉があれば利用-新宮-熊野 (熊野大花火 テント泊) 8月18日(月) 熊野-鬼ヶ城・・・大泊-日帰り温泉があれば利用-松坂 青空ライナー21:40 8月19日(火) シーティーエアターミナル 5:20着 ☆☆太田 宏★★
Aug 12, 2014
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熊野古道-小辺路・中辺路・伊勢路(その1)_story(3524)2014.8.11明日から熊野古道・小辺路・中辺路・伊勢路を歩く。今日は高野山を散策。明日から小辺路ルート(高野山・金剛三昧院から熊野本宮大社までの72km)は、大峯奥駈、小辺路、中辺路、大辺路、紀伊路、伊勢路のかなで、大峯奥駈の修験道を除き、もっともきつい巡礼路といわれる。図のようにピークが3つ存在する。伯母子岳(おばこ 1344m 麓の670mから700mのup)、三浦峠(1065m 麓の360mから700mのup) 、果無峠(はてなし 1050m 麓の140mから900mのup)の3つの峯を越えなければならないからである。本日は、高野山を散策。南海の終点「極楽橋」を降りて、ケーブルと専用バスで「高野山」の神域に入るのであるが、こちらは不動坂を徒歩で向かう。第一日目は聖域「高野山」に徹した観光。転軸森林公園のログハウスにリュックを置き奧の院、大門、高野山霊宝館、金剛峯寺などこの一帯にある主な施設を訪ねる足が既に棒になっている。心配された天候は曇りから快晴に向い非常についている。ログハウスは10畳の広さに1人。小辺路の標高map3つのピークは、左から伯母子岳(1344m)、三浦峠(1065m)、果無峠(1050m)徒然の記1 熊野巡礼次の予定で熊野を旅ししてきます。太字がその日の行程。 8月11日(月) 阪急3番街バスターミナル7:00 7:15大阪-新今宮-橋本-極楽橋9:15 極楽橋(523m)-不動坂-3.8km-高野山(815m)-2km 転軸山森林公園キャンプサイト(820m)-大門-奥之院観光5km・転軸山森林公園ログハウス泊 8月12日(火) 転軸山森林公園ー2km-金剛三昧院-薄峠(995m)-丁石-大滝-高野龍神スカイライン合流-水ヶ峰分岐-林道タイノ原線-下谷(674m)-大股(ここまで17.2km)→桧峠-伯母子岳(1344m)-伯母子峠(1215m 山小屋orテント ここまで22km) 8月13日(水) 伯母子峠(1215m)-三田谷橋-三浦バス停-神納川(345m)-五百瀬(いもせ 350m)-三浦-三浦峠(1065m 15km)-矢倉観音堂(400m 20km)-西中バス停(テント泊 22km) 8月14日(木) 西中(210m )-重里-大津越-昴の郷(150m 温泉があれば一風呂)-柳本(150m)-十津川温泉(143m またはここで一風呂 郵便局で荷物の送受)-果無村落-観音堂(小屋泊) 8月15日(金) 観音堂-果無峠(1050m)-八木尾(83m)-九鬼-三軒茶屋跡(210m)-熊野本宮大社(90m)-本宮郵便局(荷物の送受)-備崎橋-請川橋-松畑茶屋跡-百間ぐら-小雲取山-石堂茶屋跡-桜茶屋跡-小和瀬-小口(25km) 8月16日(土) 小口-円座石-越前峠-(大雲取山)-舟見峠-那智高原公園(15km) 8月17日(日) 那智高原公園-熊野那智大社-那智滝-勝浦(温泉) 日帰り温泉があれば利用-新宮-熊野 (熊野大花火 テント泊) 8月18日(月) 熊野-鬼ヶ城・・・大泊-日帰り温泉があれば利用-松坂 青空ライナー21:40 8月19日(火) シーティーエアターミナル 5:20着 ☆☆太田 宏★★
Aug 11, 2014
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W大構内(その1)_story(3474)2014.6.22法学部と理工学部のせめぎ合い法学部と理工学部と学部が違うものの、同じ大学の卒業生が八ヶ岳のログハウスのcaminoの会で偶然出会った。二人に共通なのが、弾丸のようによく喋るという事である。漫才をやらせば、法学部がつっこみで、理工学部がぼけという役柄であろう。先日この大学の正門に近いところで研究室の集いがあった。時間に余裕があったのですこし散策。法学部の前に巨大な黒松が立っている。神奈川県真鶴半島にあった巨大な松と親戚なのかもしれない。W大学 法学部前大学は高層の校舎群で埋め尽くされている。現在商学部の高層の校舎を建設中。徒然の記1 燃え尽き症候群オペラ「魔笛」が終わった。実はこの演奏会は、通常の定期演奏会に影響を与えないということが条件で引き受けていたプログラムである。よってこれに出演する人はこの半年、倍以上の練習量となった。当然昼から夜にかけて何度も練習をすることに。定期に穴を開けないための条件であったがゆえに、演奏会が終わった今何か虚(むな)しい。目標を失ったような燃え尽き症候群にかられている。Violinで特別参加の方は一生に一度の事と、神奈川県は大船の山奥から毎回練習に駆け付けた。一幕では子ども達22人が演じる動物達が、二幕でパパゲーノとパパゲーナーの間に産れた子供達13人 と多数主演する。なかなか楽しい演出になっていて、4歳児から許された入場者も大いに楽しめたのではないだろうか。 徒然の記2 モーツァルト オペラ「魔笛」奇想天外な物語は、何度読みかえしても不可解な筋書きなのであるが、アリアがどれも素晴らしい。今回は約3時間の演出であったが、舞台が楽しいので、時間を感じさせない。あっという間に終わってしまったという感じ。パパゲーノのアドリブがなかなか面白い。客席から笑いを誘った。楽団員も指揮者もくすくすと笑いを堪えたほどだ。この陽気なパパゲーノ(鳥刺し)はモーツァルトの分身なのかもしれない。府中市制施行60周年記念 府中シティ・ミュージック・ソサエティ 第6回公演 オペラ「魔笛」モーツァルト作曲 日本語訳詞上演 キャスト:タミーノ…望月哲也、パミーナ…砂川涼子、ザラストロ…矢田部一弘 夜の女王…乾ひろ子 パパゲーノ…押川浩士、パパゲーナ…小田切一恵 モノスタトス…菊池大翼 ほか声楽の名優揃いで圧巻であった。指揮…今村 能、 演出…小澤慎吾、 管弦楽…府中市民交響楽団2014.6.22 本番のオーケストラ・ピット>下手から Picture1(sketch-direction 170° am10:30 Waseda-Univ.Sinjyukuku Tokyo.JapanGPS 35.708725,139.719922(35°42'31.41" N,139°43'1172" E)標高1480m
Jun 22, 2014
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セルバンテス文化センター_story(3461)2014.6.9ガリシア音楽特別コンサートスペインから来日しているミュージシャン :ピアノ Javier Otero ヴォーカル Najla ShamiのDuoコンサートが千代田区六番町にあるセルバンテス文化センターであったので出かけた。 3月にあった日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会の巡礼報告会で知り合った仲間からの誘いである。会場は100名ばかりのホールでほぼ満席。ガリシア出身のヴォーカリスト・作曲家、ナジラ・シャミさんと ピアニストのハビエル・オテロさんによるDuoコンサート。ナジラ・シャミさんは、タンバリン状のパンデイレータを巧みに操り、打楽器奏者にも変身し打ち興じる。5/31の日記参照。 >セルバンテス文化センター正面から六番町界隈をスケッチ。 徒然の記 原村滞在ーー蕎麦打ちましたら Picture1(sketch-direction 289° pm2:00 Sketch point:6namcyo-west,Chiyodaku,Tokyo,JapanGPS 35.6882,139.73565(35°41'17.52" N,139°44'8.34" E)標高30m
Jun 9, 2014
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大阪へ_story(3421)2014.4.30大阪スケッチの旅10月以来の半年振りの大阪。(2014.4.13)その10月に開催の予定であった中学のクラス会、半年遅れで開催とあいなった。夜行バスに こりごりの小生はジパングを利用した3割引きのチケットで大阪に乗りこんだ。当日の日帰りと言う軽装である。クラス会会場は、天満橋。新大阪から地下鉄で淀屋橋へ。京阪に乗り換えて2駅であるが、時間がたっぷりあるのでこの辺りのお気に入りをスケッチしながら中之島を散策した。フェスティバルホールのある建物(フェスティバルタワー)は最終的にはツインビルになるということで、西側にビルの建設が始まっていたが、まだ地上部には姿を見せていない。淀屋橋から土佐堀川、フェスティバルホール新緑の土佐堀川。徒然の記2014.4.30-1 「神聖ローマ、運命の日 オスマン帝国の進撃」スバル座(有楽町)で映画「神聖ローマ、運命の日 オスマン帝国の進撃」を見た。オスマントルコが神聖ローマ帝国を侵攻しようとする歴史時代劇である。歴史的にはオスマン帝国最盛期から衰退期にかかる時期で、キョプリュリュ・メフメト・パシャの婿カラ・ムスタファ・パシャが、功名心から1683年に第二次ウィーン包囲を強行する。一時包囲を成功させるも、ポーランド王ヤン3世ソビエスキ率いる欧州諸国の援軍に敗れ、16年間の戦争状態に入る(大トルコ戦争)。ウィーン攻防戦の1683年9月11日の激戦を中心に映画が描かれている。オスマントルコの大宰相・カラ・ムスタファ、数々の奇跡を行っているヴェネチアの修道士・マルコ・ダヴィアーノ、ウィーンにいる神聖ローマ皇帝レオポルト1世、ポーランド王ヤン3世・ソビエスキ、トルコ人のアブール、アブールと同居する聾唖の娘レーナらが主な登場人物である。圧巻は30万のトルコ軍と、5万の神聖ローマ帝国連合軍の攻防。まさに軍師・官兵衛と思しきポーランド王ソビエスキの登場である。奇襲作戦はソビェスキの指揮で挙行される。連合軍はトルコ軍をけちらし圧勝するのだから。ポーランド派のカミさん(ポーランド人であるブレハッチ氏を追いかけているため、ポーランド語を始め「なんでもポーランド」の人になってしまっている)は、さぞ鼻が高かったろうと。徒然の記2014.4.30-2 「プラネット アースin Concert」東京フォーラムで4/30に公演があったので、有楽町ついでに行った。逆かな。プラネット アースin Concertが有楽町であったため、スバル座に立ち寄ったというのが真相。さて、この映像。BBCの「プラネット アース」チームがNHKや、米国のディスカバリーチャンネルと共同で作っ動物物語が元になっている。今回すごいのは、映画音楽の巨匠ジョージ・フェントンの音楽を東京フィルハーモニー(指揮:ベンジャミン・ノーシー)が生演奏しながら12のストーリーを紡いでいくという組立である。オケの背景の巨大スクリーンには、ホッキョクグマ、ゾウ、雪豹、イルカ、洞窟の冒険、エベレストを越えていく鶴、何百万羽というハク雁、コウテイペンギンなどなど全地球に生息する生きもののリアルな場面が展開され、息をのむ迫力に圧倒された。ナレーターは神木隆之介ら。この鑑賞が次女からのプレゼント。3人で観賞。帰り新宿のビックロによりデジカメなどを物色。Picture1(sketch-direction 270° am10:04 Sketch point:Yodoyabashi,Festbalhall,Osaka,JapanGPS 34.692792,139.500828(34°41'34.05" N,139°30'2.98" E)標高2m
Apr 30, 2014
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入院(その2)ー手術当日_story(3397)2014.4.7 府中の桜中央文化センター交差点に向かう道から(その2)(2014.3.30)この先の十字路からは東西南北に桜並木が観れ圧巻。日本一の景観となる。 徒然の記 手術終了。 鼠径ヘルニア。手術開始17:30 終了 19:00。夢の中であった。気づいたら終わっていた。12:00から病室で待った家人は待ちくたびれて寝てしまった。明日の予定の情報のままであった孫娘らが途中見舞いにやって来てくれた。生協の荷物がどっさり届いている筈なので4時間頃一旦カミさん帰宅。戻ってきたころようやくオペが開始。指輪はちゃんと残っていた。ゴム手袋を挟んで呉れた模様。火傷はなし。只今無数のチューブが繋がれたまま。恥ずかしい話ではあるが毛が無くなっている。どうも麻酔科のおねぇちゃん達がよってたかって剃っていった節がある。寝ている間に。あぁ、神様。元の身体に2日がも早く戻してくだされ。皆さん御心配をお掛けしました。 Picture1(sketch-direction 20° am8:51 Sketch point:Fuchu Cherry bloosom,Fuchu City,Tokyo,Japan GPS 35.674131,139.481886(35°40'26.87" N,139°28'54.79" E)標高60m☆☆太田 宏★★
Apr 7, 2014
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お伊勢詣で(その8)_story(3386)2014.3.26伊勢神宮遷宮記念旅行ツアー 的矢港(その2) 3月13日(木)-14日(金)に、伊勢市、鳥羽市を観光した。14日は、鳥羽市・畦蛸(あだこ)にある料理旅館「西村屋」をあとに下記行程で観光。旅館「西村屋」→パールロード経由→鳥羽展望台→海の博物館見学→二見→金剛証寺・参拝→伊勢神宮内宮脇・おかげ横丁散策→JR伊勢市駅「快速みえ」→名古屋駅解散海の博物館は、「海民」と呼ばれる漁師・海女・船乗り・海辺に住む人が、海と付き合ってきた歴史と現在、さらに未来を伝える『海と人間』の博物館。三重県・鳥羽市・海の博物館前入江パールロードからそれ、鏡浦の方角に丘を降りる。こつぜんと海の博物館が現れる。目の前の海は牡蛎の養殖や、マグロの養殖を行っている。和歌山のマグロに較べて、メタボではないと胸をはる。高い山は朝熊(あさま)山(555m)・・頂上近くに金剛証寺がある。徒然の記 あぁ。木槿(むくげ)の木が!カミさん 昨日Violin-ViolaのDuoの演奏会に向かうとき、ぽつりと「すこし、玄関回りすっきさせたいわねぇ」と言っていた。「ぼくがやるよ。」と返した筈であるが・・・練習が終わり家に帰ると、な、なんと。木槿(むくげ)の木の枝がバッサリと剪定され、ひょろと2本の細い幹を残すのみとなっている。たぶん僕がやると、ここまで”すっきり”できないであろうとの読みである。何としたことか。いつも小生のいない間にやってしまうのだ。いつかは、中津川に行っている間に、橡(くぬぎ)の大木を業者に頼んで持って行ってもらったように。このときは、あまりの景色の変わり様に茫然自失。今回は、まぁ、先般の雪でかなり傾いていたので切らないといけないとは思っていたが。ここまでやるとは。本人はあっけらかんとしている。猫のような性格で。1か0しかないのである。好きか嫌いか、徹底的にやるか、やらないかの2者択一ですべてが即決されていく。中間案というものが無いのである。まぁ、さばさばして明確でかつ、明晰であろうが。家で朝昼晩と合計6時間もピアノを弾いていた。ステップアップという練習過程で、発表会があったためである。108人もそれに出たと言う。本人は最後の取りとして20分間、4曲を暗譜で弾いたと言うのではないか。第20ステップまで行き着いたのは3人目という。まさかこんなおばさんが最後のステップまで!まぁ、敬服には値するが、”僕の”木槿(むくげ)をどうしてくれよう?腕の力は相当鍛えられていたのであろう。ピアノを弾く手にのこぎりを持ち替えて、鬼のような形相で、憎き植栽をばさりと切ったのであろう。カミさんにかかればツタであろうが、けやきであろうが、植栽はすべて憎き対象に思えるのであろう。はたして、後の整理は小生の仕事である。すべての枝を30cmくらいの長さに切って、袋にいれてゴミとして捨てなければならない。あぁ、仕事が増えてしまった。下腹部が痛み出す。徒然の記 グレースの会もう息つく暇がない。赤坂サカス前の店「コスタリカ」に、K氏が主宰する「グレース」の会に出かけてきた。5月18日に行う府中の森芸術劇場で行う、府中市民交響楽団の定期演奏会のチケットの宣伝を兼ねて。今日は山根マリナさんという若いミュージシャンが歌っていた。客は40名ほど。帰りがまずかった。小田急唐木田まで行ってしまい、家に着いたのは0:50。あぁ、神様。睡眠時間を!Picture1(sketch-direction 283° am10:26 Sketch point:Uminohakubutukan,Toba City,Mie Pref.,Japan GPS 34.389186,136.895200(34°23'21.07" N,136°53'42.72" E)標高0m
Mar 26, 2014
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お伊勢詣で_story(337)2014.3.19伊勢神宮遷宮記念旅行ツアー3月13日(木)-14日(金)の日程でお伊勢参り+鳥羽市を観光してきた3月13日・・・名古屋駅 近鉄改札口→「観光特急 “しまかぜ”」→伊勢市駅→徒歩→伊勢神宮外宮・参拝→伊勢神宮内宮・参拝→鳥羽市畔蛸(あだこ)料理旅館「西村屋」3月14日・・・パールロード経由→鳥羽展望台→海の博物館見学→二見→金剛証寺・参拝→伊勢神宮内宮脇・おかげ横丁散策→JR伊勢市駅→名古屋駅外宮・せんぐう館 まがたま池式年遷宮の資料館:せんぐう館は、新しく建造された建物。ふりしきる雨の中、唯一この館だけが雨露を凌げた。背景は外宮の森池には沢山のシラサギが。徒然の記 パソコン教室サラ文(サラリーマン文化芸術振興会)で毎月1回 パソコン教室なるものを主宰している。今日はなんと9名もの参加。5坪ほどの小さい事務所が人で溢れかえった。うれしいことである。Word,Excel,スマホの授業をした。予定のレジュメの他に質問タイムを設けたら、堰を切ったようにどっと質問が行われ時間が迫ったほどだ。WordではTab(タブ、文章の先端を綺麗に揃えることができる。)を、ExcelではCOUNTA関数(文字列が入ったセルの数を数える)COUNTIF関数(特定の文字が入ったセルの数を数える)などを勉強した。Wordでダミーな文章を1secで200文字くらい自動的に派生させる方法を御存じだろうか。半角で「=rand()」(「」は説明のための文字で、中身だけ)を入力し、Enterを押すと、あら不思議や、MicroSoftの宣伝文が出る。スマホではUSB端子を使ってスマホで撮影した画像をパソコンに移す作業などを披露。Picture1(sketch-direction 220° pm1:47 Sketch point:Sengu-kan,Ise City,Mie Pref.,Japan GPS 34.486767,136.707047(34°29'12.36" N,136°42'25.37" E)標高5m
Mar 19, 2014
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2011.3.11 14:46 M9から3年_story(3371)2014.3.11東京マラソンコース(その6)2/23に開催された東京マラソン2014。このblogはその1日前に同じマラソンコースを走っている。その時にスケッチした景色をもとに物語をつむいでいる(その6)品川折り返して再び日比谷通りへ出て、北上。増上寺の門の背景に、建設がすすむ虎の門界隈が見える。虎の門交差点から新橋までの大通りをパリ・シャンゼリゼ通りに見立てて整備もすすむ(新虎通り)。地下に高速道路を建設中。増上寺前背景のビルは、左から「愛宕MORIタワー」(オフィス)、「愛宕グリーンヒルズ・フォレストタワー」(住宅)虎の門ヒルズ(52階)3つの高層はすべて森ビルである。一度でいいからフォレストタワーのようなマンションの高層階を独占したいものだ。とぶつくさ言いながらゆっくり地上を走る!徒然の記 2011.3.11 14:46 M9から3年今日は、近所のrunning経路を慎重に選んだ。3年前の14:36に新小倉橋の展望スペースで、普段聞こえない金属音が響いてきた。地下から突き上げるような唸るような音であった。それから10分後に、畑の一本道で、地震に合ったのである。電柱がしなり、畑の物置からがらがらと缶などが落ちてきた。犬を散歩していた人が「地震ですかネ?」といいながらトボトボと家路をを急ぐ姿。家に帰るまでの10分。その間住民たちが道路に飛び出して来て「今までに無い揺れであった。」と口々に叫んでいた。家に帰るとカミさんが、食卓の下から這い出てくる所であったが、その後10時間も停電となり、ラジオでのみ惨状が伝えられた。あれから3年。未曾有の国難となった。福島では地震・津波・原発と3重苦。今も13万人が避難生活を強いられている。原発近くの村や町は震災当日のままの状態に残され痛ましい。その数日は、朝ドラも、のど自慢も、大河ドラマもすべて放映中止となった。計画停電が実施され、電車も間引き運転となった。blogを読みかえしてみると、原発の爆発という事態がうまく国民に伝わっていなかったようにみえる。類推や憶測の情報が多く、本当はどうなの?ということが知らされていなかったようで、多数の外国人が国外退去して行った。核拡散の事実の情報を抑えていた節がある。本当は東京も危ない状態ではなかったのだろうか。さて、この11.3.11 2:46 (pm)M9を覚える語呂合わせが、新聞に出ていた。「1ワン1ワン3さんちの、1ワン1ワン2に4よ6ろMめ9く」として、11.3.11 14:46 M9を語呂合わせして、小学生に記憶をしてもらいたいと。大きくなったらできることを考えようと述べていた。2時42分だったか、2時46分だったかとあやふやになりそうであるが、この「に、よろ 246」で間違えることはない。まず、震災の記憶を忘れないことだ。徒然の記 Z席新国立劇場のオペラの抽選見事外れた(昨日のblog参照)。カミさんは? コンサートに行っているため結果は聞けない。Z席40席のうち20席は抽選。残り20席は当日券という。早朝より並べばokということであろうか。一回冷やかしに行ってみよう。それにしても初台や、代々木5丁目など近隣の住民は地の利があって羨ましい。Picture1(sketch-direction 0° am12:10 Sketch point:Zojoji-temple,Minatoku,Tokyo.Japan GPS 35.657075,139.749967(35°39'25.47" N,139°44'59.88" E)標高3mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.611286,139.327172(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Mar 11, 2014
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turbo717's パソコン講座_story(3359)2014.2.28岩本町 風景月に一回、第3金曜日に山谷ミニコンサートに通う。経路は京王線橋本から都営新宿線「本八幡」までの直通の電車で途中 岩本町で乗り換える。地上へ上って再度秋葉原で地下へ、東京メトロ日比谷線で三輪田まで。途中の岩本町 地下鉄ホームから地上までは160段。エスカレータを全く使わず2段飛びで駆け上がった日には1日のエネルギーを全部使い果たしたように足が棒となる。1段20cmとすると地下32mとなる。それほど深い場所を通っているのには分けがある。隅田川をぐぐるためであると推測。ちなみに東京で一番深い駅は、大江戸線の六本木駅(海抜-42.3m)である。都営新宿線-岩本町 地上出口。靖国通り(東西)、国道4号線(都道302号線)(南北)の交差点。頭上には首都高速上野線。喫茶「Cafee Veloce」が朝の寛ぎを提供していた。徒然の記1 パソコン教室今日のパソコン教室ではH婦人とK男性(新入会員)が加わって5人で開始。Wordでは「段落」と、Excelでは「絶対参照、複合参照」を勉強したが理解できたかしら。よもやま相談の方が面白かったようである。いわく、ブラウザーを更新したら「お気に入り」が消えてしまったがどうする?インターネットで検索が遅くなった。インターネットの履歴を表示したいが・・Wordのインデントがmm単位であるが文字数単位にするにはどうする?などなど。Word講座・・字下げや、ぶら下げという言葉が実に分かりづらい。2行目以降のインデントに対し、1行目のインデントがそれより右にあれば「字下げ」となり、左にあれば「ぶら下げ」となる。講師でもややこしい。しかもインデントは、前者の場合、1行目のインデント=「2行目以降のインデント」+「字下げ文字数」、後者であれば 2行目以降のインデント=「1行目のインデント」+「ぶら下げ文字数」 となる。頭ではとても対応できない。左の余白マーカーからみて、1行目あるいは2行目の開始位置が一番遠くにあるものがインデントと、字下げ/ぶら下げの文字数の合計となるように仕様化されているためと考える。いづれにしろややこしい。ちなみにインデントマーカーはAltキーを併用すると1/100文字単位にスムースに移動する。Excel講座・・・絶対参照、複合参照では、$マークが出てくるのであるが、これをF4キーで行うことがなかなか呑込んでもらえない。これは来月でも復習したい。G1のセルが計算対象であれば、F4キーは一回押すたびにG1→$G$1→G$1→$G1→G1と変化し、これを繰り返す。今日加わったH婦人とK男性は事務所で初めて顔を合せた。ところが入室するなり驚愕。元の会社で、K男性の上司がH婦人であったのである。休憩時間にお互いに話が盛り上がった。因みにK氏は2月に入った新入会員である。徒然の記2 Ctrlキー+FnキーWordでCtrlキーとF4を行うとブックの終了となってしまうと昨日のblogで書いた.Facebookで、Excelでも同様とコメントがあったのでWebで調べてみた。Ctrl+F1 Excelのヘルプ、作業ウィンドウの表示/非表示 Ctrl+F2 印刷プレビュー表示 Ctrl+F3 名前の管理 Ctrl+F4 選択したブックを閉じる Ctrl+F5 ブックを最大化から元のサイズに戻す Ctrl+F6 複数文書を開いている時、次のブックへ移動 Ctrl+F7 最大化以外の時の文書ウィンドウの移動 Ctrl+F8 最大化以外の時の文書ウィンドウのサイズ変更 Ctrl+F9 選択しているブックを最小化 Ctrl+F10 選択しているブックを最大化 Ctrl+F12 ファイルを開く =Ctrl+O Picture1(sketch-direction 160° am8:45 Sketch point:Iwamotocho,Chiyodaku,Tokyo,Japan GPS 35.695753,139.775094(35°41'44.71 N,139°46'30.34" E)Google Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.611286,139.327172(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Feb 28, 2014
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隅田川・・橋のある風景(永代橋-完結編)_story(3359)2014.2.27隅田川テラス 散策(その3)品川からスーツを着て歩いた12kmの旅。最終回。隅田川テラス(隅田川河畔の堤に設けられた緑道)から江東区方面を眺望。永代橋連作の第3段。(完結編)隅田川テラスから永代橋この「永代橋」、江戸時代に崩落したことがある。それを題材にした落語「永代橋」がある。文化4年(1807)年9月20日日曜日(8月19日)の実録落語である。正面右にある月島・佃島界隈の「佃祭り」も同様。明和6(1769)年旧暦3月4日、佃島・住吉神社の藤棚見物の客を満載した渡船が、大波をかぶって転覆。悲惨な2つの事件が、目の前の隅田川で起こった。これほどこの一帯は江戸時代から栄えていたと言うことであろう。爾来、220年 川幅は倍くらいとなり水運とマンションの栄える一帯となっている。徒然の記 サラ文通信3月号の編集会議が今日(2014.2.27)新宿であった。以前は機種毎にやOS、Officeの異なる複数のパソコンを駆使しつつも、不安定動作で泣きに泣いたが、最近では2台に絞って、Offce2010とOffice2007の2台の安定しているパソコンで作業を進めている。きわめて順調に2時間の作業を終えた。終えたと思ったのもつかの間、オペミスで片方の作業がものの見事に消えてしまった。2時間の作業が水泡に帰した。内容はこうだ。隣で頑張ってくれている女性に、作業を手伝っているときだ。確か、テキストボックスの枠線を消す作業をしているときだ。同じ作業ならばF4キーで繰り返せる。同様のテキストボックスがそばにあったので、F4キーで繰り返そうとしたとき、ミスが起こった。女性がCtrlキーを押していた。小生がF4キーを押した。なんと、Ctrl+F4キーって、Wordの終了を意味していたのである。現在の文章を保存するか聞くために「保存」ダイアログボックスが現れるのである。そこで変なウィンドウが現れたと思って、「保存しない(N)」を選択してしまうと、文章がそのままものの見事に消えてしまうのだ。恐ろしい。Word、のCtrlキーとファンクションキーの併用をネットで調べると・・・Ctrl+F1 Wordのヘルプ、作業開始の表示/非表示 Ctrl+F2 印刷プレビュー表示 Ctrl+F3 文字列を切り取り、スパイクへ登録 Ctrl+F4 Word終了 Ctrl+F5 文章ウィンドウを最大化から元のサイズに戻す Ctrl+F6 複数文書を開いている時、次の文書ウィンドウへ移動 Ctrl+F7 最大化以外の時の文書ウィンドウの移動 Ctrl+F8 最大化以外の時の文書ウィンドウのサイズ変更 Ctrl+F9 空白のフィールドを挿入 Ctrl+F10 IME入力補助 Ctrl+F11 更新されないようにフィールドロック 解除はCtrl+Shift+F11 Ctrl+F12 ファイルを開く Ctrl+F4は「Wordの終了を行う」とちゃんと出ていた。これまた危険な操作であった。し、知らなかった今の今まで。 Picture1(sketch-direction 180° pm3:53 Sketch point:Sumidagawa-river Chuoku,Tokyo,Japan GPS 35.677758,139.787294(35°40'39.93 N,139°47'14.26" E)Google Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.611286,139.327172(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Feb 27, 2014
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豪雪地帯の雪解け_story(3351)2014.2.19北公園の冬(その3)外気温2.5度。寒いため雪が融けない。いつまでも北国の様相である。ヒヨドリと楽しく会話をしていた。北公園のケヤキ(その2)左端にヒヨドリ。どうもパレットの色彩が気にいったようである。足元に置いてあるパレットをきょろきょろと覗き見る。そこまで降り立った。さて、相当慎重に歩を進めたが、思いとどまり飛び立って行った。徒然の記 大雪で孤立大雪により依然として関東甲信地方で2000世帯余の孤立が続く。このうち山梨県では17市町村で1511世帯。長野県では2市村9世帯13人。群馬県では7市町村176世帯315人。埼玉県では6市町259世帯533人。東京都では2町村137世帯244人。今回の記録的な大雪に関係する事故で死亡した人は、群馬・埼玉・山梨など8県で計20人。山梨県富士吉田市、早川町、大月市、東京・奥多摩町 埼玉県秩父市、群馬県各市が昼のニュースで放送された。臨時休校を解除した群馬県の小学校では、先生が生徒に尋ねていた「休み中何をしていましたか?」「はい、雪だるまを作っていました。」 別の女の子は「スーパーに行って買いだめをしました。」この2つの答えが面白い。後者は何と所帯じみた回答であろうか。前者は金曜日から5日間もあったのに、雪だるまだけ?「勉強していました」と期待したのに・・・という感じで、あてが外れた素朴な回答である。Picture1(sketch-direction 0° pm2:01 Sketch point:KIta-Park,Midoriku,Sagamihara City,Knagawa Pref.Japan GPS 35.584433,139.333653(35°35'3.96 N,139°20'1.15" E)標高148mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.611286,139.327172(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Feb 19, 2014
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八王子バイパス_story(3345)2014.2.13町田・八王子境・・七国峠へ(その1)町田・八王子の両市にまたがる丘陵地帯は北部では七国峠古道が走っており旧鎌倉街道(御殿峠古道)と交差している。山林も豊かに保存されなかなかの緑地帯となっている。今回はそういう場所をトレッキングrunで巡った。途中、八王子バイパスの上を通る。「八王子バイパス」は国道16号線(東京環状)の交通量削減と中央道への導線として計画された道路で、打越ICから相原ICまでの南行き(横浜方面)が有料区間(250円)である。自転車(30円)も走れる不思議な”有料道路(緑色看板)"である。歩道も併設されなかなか面白い。こんどはここを走ってみるか。相原橋から相模原市内相原の高台の住宅街を結ぶ橋「相原橋」から正面は丹沢山系(左端・・大山)眼下が八王子バイパス。右・・相原高台・・シチリアにもこういう風景があった。断崖の上にそそり立つ住宅街エッジが面白い。徒然の記 神奈川県公安委員会からついに赤紙が!な、なんと。「高齢者講習」と嘯(うそぶ)くではないか。年3万kmを乗っていた我輩をチェックするのだと。現免許の有効期限がH26.8.17。その時点で70歳を超えていると、講習証明書がないと免許の更新ができないのだという。3時間にも及ぶ講習(自動車免許の講義・討議・運転免許適正検査・実車)をこの6ヶ月以内に、近くの自動車教習所で受けてくれと言う。その講習場所はもうしっかり印刷されている。気に入らない時や満席の場合は40か所位の裏面のリストから選べという。これでは自動車教習所と警察がグルになっていると言わざるをえない。受講料は5800円も。75歳以上は加えて予備講習を受けねばならないと。ネットで調べるとチャレンジ講習なるものもあり、実車で十分な運転機能が確認できれば高齢者講習が免除されるとある。2650円・・運転に自信があればこちらの方が安いが、いいカモにされる危険性がある。”高齢者の運転技術の低下の推移”なんて論文の材料にされるのではないか。「高齢者講習」で、認知症のような症状が発見されるかもしれない。その時は即病院へ?どうも医療機関とも結託しているシステムではなかろうか。カミさん曰く。最も条件の悪い日を選んで検査して貰うべきであると・・・前の日にフルマラソンでも走っておいてから行こうか。何を言う? そもそも小生に運転免許が必要なのは、カミさんが倒れた時など不測の事態に限られるのである。運転をやめるきっかけとなった『バックで急発進』したのは、昨日発表がのあったプリウスのリコールの症状のせいではなかろうか。明日も大雪偏西風は1週間で地球を一周している。よって気象条件が重なれば周期性のものとなろう。2/16(日)が30kmを走る青梅マラソン2/23(日)が42.195kmの東京マラソン。雪の影響を受けなければよいが・・・・。Picture1(sketch-direction 246° pm4:43 Sketch point:Okurigawa-river,Otuka_Teikyodaigaku,Hachioji City,Tokyo.Japan GPS 35.635719,139.415844(35°38'8.59 N,139°24'57.04" E)標高72mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.674794,139.758183(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Feb 13, 2014
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第67回府中駅伝競走大会都庁界隈(その3)_story(3343)2014.2.11都庁展望室へ(その4 完結編)昨日のblogでは城壁のようにそびえる都庁のスケッチを掲載した。今日のスケッチはその都庁横の中央通り。2/23の東京マラソンのスタート場所は、東京都道新宿副都心11号線。新宿副都心 中央通り新宿中央公園前交差点(リージェンシー東京ハイアット脇)から中央通りを望む。東京モード学園のコーン状のユニークな建物が遠望される。正面が新宿駅。すぐ手前を左右に横切っている道路が東京都道新宿副都心十一号線。都庁前を通り、「都庁北」と「都庁南」の交差点を結ぶ。徒然の記 第67回府中駅伝競走大会2014毎年この時期に行われている駅伝大会。我が「昼休走会(ちゅうきゅうそうかい)・・会社の昼休みに走る会」が、15年ぶりに参加した。25kmを5人でタスキを繋ぐ。企業、大学、高校、市民ランナーらおよそ300チーム。元の会社では、「カタツムリ」、「カメノコ」といった伝統のrunningクラブがあり、同じように昼休みに走りながら皆でタイムを競い、青梅マラソンや河口湖マラソンなどにエントリーしてきた仲間である。会社の周りは丁度2km。これを昼休みに2,3周するのである。多摩川べりに遠征することもしばしば。水曜日には、夜練といって多摩ニュータウンなどへ遠征し、20kmくらいを走っていたものである。いまだ現役の社員や、毎日トレーニングに励んでい会員が中心となり、久しぶりに大会に参加してみたという次第である。昨年の忘年会のときにこの話が持ち上がり全員手を挙げたものの、蓋を開けてみたら5人だけが参加ということになっていた。1区 W氏、2区 T氏、3区 H氏、4区 M氏、5区(アンカー)turbo717という布陣である。このオーダー、若い順=速い順 に並んでいるようであるが、かっては5km16分で走っていたものばかりである。今では目も当てられない。最高22分から26分と遅くなっている。10時30分 スタート。雪が残る郷土の森・サッカー場の脇から。25kmを走る300チームが一斉にスタート。速いのは15分で戻ってくる。よって11時45分にはレースが終わる。高校の陸上部などである。1km5分30秒、5区のタスキは制限時間12時20分(110分で20km・・平均5分30秒/1km。)で繰り上げスタートとなったようである。10チームが不名誉なスタートとなった。小生の到着は12時32分。132分/25km 平均5分18秒。最も速かった1区W氏の22分(4分30秒/1km)を除けば後ろの4人の平均は、112分/20km 5分36秒/1kmということになり繰り上げスートとなった10チームの前4人までのタイムの平均とそう変わらないという体たらく。しかしながら、駅伝というのはなかなか生き生きとしていて面白い。スタート/ゴールが同じ場所であるため、一か所がそれを応援する人たちでごったがえす。元の会社の人達、200名くらいがいまだに走っていて顔を合わせるのが面白い。毎年走るべきだと痛感。こちらは普段はリュックを背負ったりして7分/1kmなどとちんたら走っているのであるが、even5分台keepで走るというのはきつい。緩急をつけないと持たないのである。日頃速く走る練習をしておかないとこういう大会では勝負にならない。あぁ。Picture1(sketch-direction 76° pm4:35 Sketch point:Nishi-shinjyuku,Sinjyukuku,Tokyo.Japan GPS 35.690408,139.690947(35°41'25.47 N,139°41'27.41" E)標高35mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.674794,139.758183(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Feb 11, 2014
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津久井湖畔_story(3336)2014.2.4津久井又野公園を目指して!running仲間の一人が、他の仲間と一緒にトレール・ランの練習として、月1回、”小生に断りもなく”、家から半径20kmの範囲を駈けているらしい。多少連絡があってもよかろうと思う。彼らのrunnninの途中で待ち構えておいて驚かそうと思っているのに。大半は高尾-陣馬である。この稜線は半分が相模原市緑区であることからも、小生のテリトリーなのである。今回は図らずも、津久井湖の湖畔にあり「水の苑地」をスタート/ゴールで又野公園往復と称し、14kmを走ったというではないか。不覚であった。「又野公園」を知らなかった。そこで、running仲間が走った翌日に、津久井湖半周をトライすることによって、又野公園まで行ってきたと言う次第である。実は、以前は津久井湖全周が出来たのであるが、上流にある相模湖と間の右岸で落石が頻繁に起こることから通行止めになっている。このため途中の、名手橋(なでばし)で津久井湖を渡り半周するというのが限界となっている。津久井湖中沢の春を待つ里山山の上に電波塔が立っている。峯の薬師がこの中腹にある。大垂水峠から高尾山はこの突き当りにある坂道を右に取り登っていく。津久井湖半周の自動車道路はカーブを左に曲がっていく。徒然の記 確定申告納税の場合は2月17日から受付であるか、還付手続きや税務署への相談は、もう始まっている。還付の場合は手続きは、早ければ早い分、還付が早く行われることもあり、雪空のなか走ったという次第である。正直に言えば、普段はそんな元気はないのであるが、「雪道のrun」という話題性のほうに掛けたという次第である。若い!!午後から雪という寒い日にわざわざ税務署まで走っていった。「確定申告run」である。往復12km。さすがにrunningスタイルで税務署に突入というわけにもいかず、玄関前で着替えて涼しい顔で窓口に並んだ。昨日の3日からやっている窓口は、5,6人が列を作っているだけで、あっと言う間に受け付けが済み、控えの書類に「文書収受」というハンコを押してもらって帰ってきた。「税務署run」というのは初めての体験であったが、なにせ還付金がおよそ10万円(今まで払い過ぎていた?)もあるため、走りに力が湧いたのも事実。計算が間違っていなければこれだけのお金が戻ってくる筈である。またこの確定申告内容が住民税にも反映され減額されると言う。6月の通知をチェックせねば。何もしなかったこの5年間。毎年熊野古道に行けたぐらいである。まずは、3月にお伊勢参りに!Picture1(sketch-direction 310° pm1:44 Sketch point:Nakazawa,Tsukiko-lake,Midoriku,SAgamihara City,Kanagawa Pref.Japan GPS 35.593722,139.280125(35°35'37.4 N,139°16'48.45" E)標高161mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.674794,139.758183(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Feb 4, 2014
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押上ー東京スカイツリー百景(その5)完結編_story(3333)2014.2.2東京スカイツリー百景(その5)ソラマチスカイツリービューイングは30F。Beer&PUBの「Super"DRY"」という店の西側が展望場所になっていて夜景や、スカイツリーを見上げる場所となっている。あまり知られていのか、あまり人がいない。で、じっと夕焼けを待つ男性は1人のみ。そこで盛んに新宿方向をスケッチ。なにせ新宿副都心のビル群、六本木のビル群も含めて何百万とビルがひしめくためスケッチは無理と見た。しかし、似たように描くという技術もスケッチには必要で夕刻までの時間スケッチを楽しんだ。ソラマチダイニング スカイツリービューイング30Fからの東京スカイツリー、新宿方向ソラマチダイニング スカイツリービューイング30Fからの西日(2014.1.17)右は新宿副都心、手前六本木、東京駅、隅田川左は東京タワー東京スカイツリーの左端はほぼ垂直。この東京スカイツリーからのダイヤモンド富士が2014.2.3 16:58:39-17:02:04の時間約3分半で、天気が良ければ見える筈。さてどうする。80cmx50cmの画用紙を4枚ももらった。長大な絵を描けと言う。であれば永代橋と佃界隈にある高層マンション群をスケッチしても面白いかと考えている。そのついでに隅田川河畔を北上してスカイツリーを夕刻尋ねてもよいか。なかなか心が騒ぐ富士山追いかけである。本番指揮者:今村能(ちから)さん指揮でブラームス1番市民響の練習日。9時30分練習開始。チューニング後指揮者登場。ざっと一楽章を通した後細かな指示。ザルツブルグを流れるザルツァッハ川(塩の川)の河畔でスコアを読みながら感動した曲。この話が実はキーで、常に「流れるように」という指示であった。川の話を持ち出したのもそれを言うためであるという。この一言で指揮者の目指す方向性が掴めた。転調がめまぐしい曲であるが、その調に皆が集まる、アンサンブルをすることが重要と。cres(クレシェンド)はPから。decres(デクレッシェンド)はFから。<>はアクセントの意味。3連音符は機械的な、1,2,3ではなく、3拍目をためよと。早や目の1.2.ためた3.というリズムで。espr.(エスプレシーボ)は・・外に向かって強く。dolce(ドルチェ)は内に込めて、控えめに。などの指示が出されブラームスを弾くための大いなる勉強になった。今後3ヶ月頑張らねば。徒然の記 サラ文新年会サラリーマン文化芸術振興会の新年会が午後からあった。総勢35名ほどが集まり、かっぽれや大道芸、ハーモニカ、ミュージックソー、朗読、尺八、剣舞などの演目を楽しみつつ、お互いに持ち寄った食材やお酒でお腹を満たしつつ、談笑するという会である。聴衆のなかに95歳の母親を連れてきた会員があり、その方最後まで最前列で演目を聞いていた。素晴らしいことである。最後は皆で10曲ばかりを歌い盛り上がった。2次会は両国駅前の「北海道グルメ日本橋亭」で。「小指湿布」(6時間の湿布で、肩こり、腰痛、耳鳴り、頭痛などが劇的に治るという驚きの療法)の実演(turbo717:小生)などで大いに盛り上がった。Picture1(sketch-direction 230° pm3:13 Sketch point:Tokyo-Sky Tree,Sumidaku,Tokyo,Japan GPS 35.710283,139.813053(35°42'37.02" N,139°48'46.99" E)標高3mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.674794,139.758183(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Feb 2, 2014
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神田明神_story(3329)2014.1.28湯島散策湯島→不忍池→神田明神→御茶ノ水駅と廻った散策のBlogも完結編。この神田明神。境内に見どころが30か所ほど。宝さがしのようで面白い。・銭形平次の作者 野村胡堂 旧居地に飾られていた灯籠・銭形平次碑:平次の住居が明神下の元の台所町。縁の明神下を見下ろす地に建立。・神馬・みゆき号(神幸号) 生きた馬・・信州 佐久高原からやてきた牝馬・・噛みますので手を差し入れないで下さい。という貼り紙が。・石獅子・・江戸期の石造。関東大震災で崩壊したが、親獅子2頭が保存されて、再建。子獅子は紛失したので平成期の石造。・AKB48の二十歳の祝い(写真)・花坂爺さん復活の新聞 ・少彦名命(えびす様)ご尊像などなど。ざっと30。なかなか面白い神社である。参道筋には、甘酒屋「天野屋」がある。店に入れば明神甘酒が振舞われる。・・地下に糀室(こうじむろ)があり江戸時代から引き継がれている。度々TVに出る。神田明神1月のViolin-Viola Duo奇数月に友とDuo(二重奏)をやっている。今日がその日であった。曲目は、・R.シューマン 美しき五月に Op.48-1・R.シューマン あなたのひとみを Op.48-45・R.シューマン 鳴るのはフルートとヴァイオリン Op.48-9 ・R.ワーグナー 天使 WWV 91-1・コルネリウス 御国に来てくださることを Op.2-No.3・モーツァルト 協奏交響曲 K.364 Andante ・モーツァルト Duo K.423 第1楽章なかなか難曲ぞろいであったが、楽しい3時間を過ごせた。往生際が悪い!(その2)”確定申告”の先輩に怒られてしまった。何も分かっていないと。トホホ。し、しかし小生の周りで、確定申告などをしている人を見かけたことがないのである。皆水面下で行っているのか?5万円弱が還付されるとならば、目の色を変えてもよさそうだが、実際はそうではない。国税庁のHPを端から端まで熟読して、やっと帳票執筆にたどり着くのであって、アホな普通の人には到底無理である。賢い人しか、還付を受けられない仕組みは、いささか問題である。国税庁は、一人5万円として1000万人が還付手続きをしない分、5000億円ほど肥やしている筈である。国税庁にとって”不利”なことはあまり宣伝しないと見る。あぁ、悲しい。Picture1(sketch-direction 300° pm2:45 Sketch point:Shinobazu-pond,chiyodaku,Tokyo,JapanGPS 35.709842,139.770281 (35°42'35.43"N,139°46'13.01" E)標高9mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.674794,139.758183(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Jan 28, 2014
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聖橋_story(3284)2013.12.14第九本日(2013.12.14(土))は第九のGP(ゲネプロ) 府中の森芸術劇場のどりーむホールのステージで。16:00音出し~18:30 まで。「プロメテウスの創造物」序曲、第九1.2.3楽章を仕上げる。その後合唱団発声練習 20:00から21:05まで合同練習。 小生自身 今回スコアでソロとコーラスの譜面を予習している。Ja--(ヤー) とコーラスでバスが一拍早く歌いだす部分は、Vaと一緒である。ほとんどの合唱の歌いだしの2拍前にオケから必ず”合いの手”が入る。など新しい発見があった。この歌、今まで毅然と歓喜を歌い上げていると思ったが、庶民がビールを飲んだ勢いで路上で踊り歌う様(前の人の腰をつかみ、数珠つなぎになってジグザグに進む)も表現しているところがあり、揺れるように、足踏みするような、楽しいフレーズがある。(音符では八分音符で上下するフレーズが続くような箇所)そういう場所ではソリストも同様に躍動して歌う必要があるという。少々ダメ出しがあった。あすはなかなか楽しい第九になりそうである。神田川の絶景クルーズ船「カワセミ」の日本橋川・神田川コースは、柳橋→浅草橋→左衛門橋→美倉橋→和泉橋→神田ふれあい橋→万世橋→昌平橋→総武線→丸ノ内線→聖橋→御茶ノ水橋と遡上し、kokodeUターン。One-Wayで進むのとは違って橋を下流側からと、上流側からで2回見れると言う贅沢極まりない旅である。 聖橋この聖橋も、御茶ノ水駅が改修工事のため大きく足場が神田川に組まれているため全景は下流側から見上げる形のみとなった。公募で決まった橋名である。湯島聖堂とニコライ堂を結ぶことから「聖橋」という投票が一番多かったという。長崎県 雲仙市 小浜にも似たようなデザインの橋があった。徒然の記 昨日のアパラチアン・トレール3500km完歩の加藤則芳(のりよし)さん・・後日編加藤則芳(のりよし)氏の壮絶なバッグパッキングの旅行は、アパラチアントレールの魅力を余すところなく伝える。数年前に両足首を捻挫しているためその後遺症なのか、旅は順調ではない。相当の痛さをこらえての艱難辛苦の旅であった。旅自身は2005.10月に終了し、本を2008年まとめ、2011.7月に発刊している。しかしながら、「あとがき」に、さらに壮絶な病の報告があり、驚愕している。2010.6月に医者からALS(筋委縮性側索硬化症)の宣告を受けたと報じているからだ。そのときはすでに箸も持てないとあったのでもはや、トレールはおろか歩行さえもできないという状態である。あれから3年。いまではどんな状況だろうか。大変心配である。3500kmx30kgの荷重という負荷が原因だろうか? はたまた後遺症の痛さを抑えての長時間登山がいけなかったのであろうか。登山の激しさを想像してしまう。第九のお誘い府中「第九」2013。ご希望の方はBlogのTopからたどってメールをください。日時:2013年12月15(日) 13:30 開場 14:00 開演場所:府中の森芸術劇場 どりーむホール全席自由:¥2,200円チラシ:Picture1(sketch,direction 300° pm1:10 Sketch point:Ochanomizu,Sumida-Rover,Cyuoku,Tokyo JapanGPS 35.700686,139.762842(35°42'2.47" N,139°45'46.23" E)標高2mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.663589,139.189486(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。15544(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。1128.jpg" />
Dec 14, 2013
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ついに念願のクルーズが出帆_story(3281)2013.12.11落ち葉道路に散り敷いた落ち葉を竹ぼうきで掃く。五葉松、アケビ、サネカヅラ、アオヅタ、オカメヅタ、サツキ、アカヅタ、ヤブガラシ、ヤマブキ、ヘクソカズラ、イチョウ、モクレン、モミジ、クヌギ・・。前の6つは常緑樹であるが、用済みの葉を落とす。サネカヅラに赤い葡萄状の実が付いているのを発見。アケビも通常の細長いものではなく、丸い実をしたものを2個も発見。白モクレンの落ち葉は大きく、丸い葉っぱ。大きさを調べてみると直径19cmの大きさがあった。クヌギの枯葉は長いものは、30cmもの長さがあり、片側22脈で、その先端は尖っていて鋭い。これらを書斎に運び入れ、スケッチ!なかなかの収穫である。初冬に万歳。カワセミ日本橋川・神田川予定した船とは別の便で川下りを楽しんだ。この船やけに速い。乗船中にスケッチを3枚。忙しったらありゃしない。コースは、日本橋→江戸橋→鎧橋→茅場橋→湊橋→豊海橋→(隅田川)→隅田川大橋→新大橋→両国橋→蔵前橋→厩橋→Uターン→蔵前橋→(神田川)→柳橋→浅草橋→左衛門橋→美倉橋→和泉橋→神田ふれあい橋→万世橋→聖橋→御茶ノ水橋→Uターン→御茶ノ水橋→聖橋→万世橋→神田ふれあい橋→和泉橋→美倉橋→左衛門橋→柳橋→浅草橋→柳橋→(隅田川)→(日本橋川)→豊海橋→湊橋→茅場橋→→鎧橋→江戸橋→日本橋注意点:安いが、途中Uターンで2つの川を一周しない。日本橋発は大体4便。10:30発 12:20発 13:50発 15:20発 。小生はこのうち12:20発に乗り込んだ。 川の下から高速を眺める首都高速。日本橋川、江戸橋JCT。府中「第九」2013。ご希望の方はBlogのTopからたどってメールをください。****************************************日時:2013年12月15(日) 13:30 開場 14:00 開演場所:府中の森芸術劇場 どりーむホール全席自由:¥2,200円曲目:ベートヴェン:バレエ音楽「プロメテウスの創造物」交響曲第九番 ニ短調 作品125番「合唱付」so:半田 美和子 al:手嶋眞佐子 te:望月 哲也 ba:青山 貴 指揮:飯守泰司郎管弦楽:府中市民交響楽団混声合唱団:府中「第九」2013合唱団Picture1(sketch,direction 100° pm12:20 Sketch point:Edo-Bridge,Cyuoku,Tokyo JapanGPS 35.685172,139.771075(35°41'6.62" N,139°46'15.87" E)標高5mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.663589,139.189486(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。15544(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。1128.jpg" />
Dec 11, 2013
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ふれあいの道(高尾~桧原村)トレールラン_story(3270)2013.11.30第3回 ガスパール・カサド国際チェロ・コンクールの優勝者は。八王子駅前にある「オリンパスホール」で開催された第3回 ガスパール・カサド国際チェロ・コンクールの本選を聴きにいった。4時10分に終了し、一般聴衆の投票なども行われたが、結果は下記。2時間後にプレス発表があり、インターネットに公開された。本選2番手に登場し、R. シューマン: チェロ協奏曲 イ短調作品129を弾いたホー・シーハオ(HE, Sihao 中国)が優勝した。(12/1 表彰式)3番手に登場し、E. エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調作品85を弾いたキム・ミンジ(KIM, Min Ji 韓国女性)が2位。1番手に長大な難曲 プロコフィエフ: 交響的協奏曲 ホ短調作品125 を弾き切ったチョ・ブラノン(CHO, Brannon 米国)が3位。ホー・シーハオのシューマンはうまく感情表現がなされ、短い曲ながら凝縮した完成度を披露した。困り抜いたように「ハの字」の眉を寄せ、朗々と弾いた。キム・ミンジは有名なE. エルガー:チェロ協奏曲を弾き観衆を惹きつけ、投票数も多かったようである。チョ・ブラノンの弾いたプロコフィエフは難曲中の難曲であり、物語を紡ぐように語りかけたチェロであったが、惜しくも3位。技量はNo1のように感じた。陣馬山へ晩秋の陣馬山を堪能した。家→峯の薬師→中沢山(494m)→View Point→コンピラ山(514.7m)→大洞山(536m)→大垂水峠→城山(670.3m)→景信山(727m)→陣馬山(854.8m)→和田峠→林道→陣馬高原下(330m 全28km)→高尾→JR→橋本当コースは、12月7日(土)の開催される「第一回 ふれあいの道(高尾~桧原村)」トレールラン大会のコース(全43km)と一部重なるため登山しない方が無難。 陣馬山 山頂より北の方向 晩秋の景色正面が日の出山(902m)、遠くに日光男体山(見えていないが、標識盤に記載があった)山頂直下の広場に小学生の遠足登山の団体があった。陣馬山頂上にある茶屋のおじさんが「猿が出る」と注意を呼び掛けていた。徒然の記 八王子のチェロ人口2006年から始まった「ガスパール・カサド国際チェロ・コンクール in 八王子」2009年が第2回、今年がが第3回目の国際コンクールである。歴史的なチェロの巨匠であるカサドの名を冠した世界からも注目される国際コンクールとなっている。通年にわたって様々なチェロイベントが催されている。もちろんコンクール期間中は八王子の街はチェロ一色になる。色んな会場で、チェロ体験コーナーがあり、幼児でもチェロに触れることができるのだ。人口53万人の八王子に対してチェロを弾く人が全国一で多いのではないかと思う。チェロ教室も多い。山谷ミニコンサートを主宰されている人も、この八王子のチェロ人口増加に貢献されている。Picture1(sketch,direction 351° pm12:17 Sketch point:JInbasan,Hachioji City,Tokyo JapanGPS 35.653189,139.163308(35°39'11.48" N,139°9'47.91" E)標高855mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.003533,135.678608(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。15544(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。1128.jpg" />
Nov 30, 2013
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ケーブルの傾斜角_story(3268)2013.11.28高尾山のケーブルカー先日「NARP関東」というグループの「高尾山ぶらり散歩」という企画に参加した時の事である。普段は乗らないケーブルカーという乗り物に乗った。このケーブル、日本一の急こう配を下って行く。その角度なんと、31.18度という。ケーブルカーの座席では山側に座った人が10cmばかり谷側にずり落ちてくるほどの急傾斜である。紅葉の木々はほぼ垂直に植わっているように見えた。そこで計算してみた。先日の「嵐山」の傾斜を。あの事件の後、2万5千分の一の地図を買ってつらつら見ているのは、嵐山城址がある「嵐山」。その標高は380m。水平距離500mで標高40mの保津川までの落差は340m。傾斜を計算してみると37.2度。いかに垂直に近い山腹をころげ落ちて行ったか。高尾山ケーブルの傾斜と見比べて空恐ろしくなった次第である。陣馬山へトレッキングをやる女性から、「高尾山」登山口→陣馬山→市道山→臼杵山→瀬音の湯(五日市十里木(じゅうりぎ)まで25kmを5時間で走ったとメールが入っていたのだ。闘争心丸出しで、こちとらは家からトライ。家→峯の薬師→中沢山(494m)→View Point→コンピラ山(514.7m)→大洞山(536m)→大垂水峠→城山(670.3m)→景信山(727m)→陣馬山(854.8m)・・林道→陣馬高原下(330m)→高尾→JR→橋本とばかりrunしたのであるが、陣馬山手前で足が吊ってしまい、陣馬でリタイア。陣馬山からの下りも5kmもありtotalで結局28.38kmも走ってしまった。翌日は、山谷ミニコンサートと珊瑚の会(大学OBオケの集い)での演奏があるので早めに切り上げた次第である。次回は翌日に予定が無い日を選んで、もうすこし野山をエンジョイしたいと思った。スケッチはその時のものである。家に帰って地図を見ると、五日市→臼杵山→十里木→五日市は以前走っていた。持っている地図に鉛筆で記してあったのだ。 中沢山(494m)→View Point→コンピラ山(514.7m)のView Pointから津久井湖と富士山 晩秋の景色この絶景pointがあるおかげで裏高尾の人気のコースとなっている。バードウォッチャーも多く、180度開けたこの場所で、しばらく鳥を見ている人も多い。ジョービタキがこの日は鳴いていると言っていた。家から11.5kmの地点。徒然の記 雲流図昨日のスケッチ「雲流図」の説明書が出てきた。天龍寺自身は8度も大火で焼失している。最後の消失は明治維新の蛤御門の戦いで、薩摩藩の砲火によってほとんどが灰燼に帰したとある。このとき焼け残った禅堂を移築して法堂兼仏殿として今日まで伝えられた、ただ移築後100年が経ち2000年に耐震補強をほどこし修復された。天井画は明治期には、鈴木松年画伯による雲流図があったが、和紙に描いて天井に貼られたもので損傷が激しく、今般、加山又造画伯によって完成された「雲流図」であるという。直径9mの円の絵は、厚さ9cmの杉板159枚を貼り合わせ、漆を塗った上に白土を塗り、墨色で直接描かれたものという。Picture1(sketch-direction 251° am8:40 Sketch point:Mt.Fuji,Tsukuiko-Lake,Sagamihara-City,Midoriku,Kanagawa Pref,JapanGPS 35.606772,139.239386(°)(35°36'24.38" N,139°14'21.79" E)標高439mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.003533,135.678608(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。15544(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。1128.jpg" />
Nov 28, 2013
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エドワート・シルベスター・モース_story(3255)2013.11.15江戸東京博物館にて第3金曜日は台東区へ山谷ミニコンサートでのボランティア。午後は浅草橋まで南下して柳橋などをスケッチしつつ、両国橋を渡って、江戸東京博物館へ。明治初期の笑いにあふれた子供達のスケッチがあるからと足を向けた次第である。エドワート・シルベスター・モースの770点にも及ぶ挿絵と解説が載った『日本その日その日』の本の紹介などを展示した「明治のこころ・・モースが見た庶民のくらし」展覧会を見た。当時の写真やコレクションなど300点が展示され圧巻。日本滞在は3回。1877.6.17-11.2、1878.4.23-79.9.3、1882.4.25-83.4.14と通算4年に過ぎないが、最初に日本に来て3日後に「大森貝塚」を発見している。東大教授としても業績が著しい。もともとは「シャミセン貝」の採取に日本に3ヶ月の旅行だったはずなのに、初代の自然科学系の教授になったりして日本に深い影響を与えることとなった。まさに大天才というほかない。1870年かたダーウインとも文通をして、日本にいち早くダーウインを紹介した学者としても名高い。庶民の暮らしのコレクションは帰国後も続けられ5000点に上ると言う。驚くべきは、店の看板などもコレクションをしている。江戸から明治のまさにその時代の暮らし、ほとんど切り取った感じで貴重である。会期は、2013.9.14~12.8まで。ご覧あれ。大阪にて大阪探索もなかなか楽しいものだ。コースは11/2のblog参照。谷町筋は、天満橋を渡っても延々と北上しを毛馬(けま)にある長良東交差点まで続く。この手前、「源八橋」という聞きなれない橋の名前を交差点名から知るに及んだ。環状線の「天満」で中学の同窓生と会うことになっているが、時間的には「源八橋」に立ち寄る時間はあった。そこでその橋からの景色をスケッチしてみた。源八橋から大川と大阪環状線。川岸には、タウンビル、メロディーハイム・グランセーヌ、アルカディーナ天満橋リバーサイドなどのマンションが立ち並び、どこか外国に居る感じ。川には、ボートを練習する学生が居た。今日の演奏午前は山谷ミニコンサートでナツメロなどを合唱。Viola soloではアイルランド民謡「ロンドンデリーの歌」を演奏したりなかなか楽しいアットホームな雰囲気。夜は、モーツァルト ピアノ協奏曲23番。第二楽章など、天上の音楽のようにとろけるような美しい旋律である。ベートヴェン 交響曲第2番。両方とも第一回目の練習となったが全楽章を通しつつ細かい部分のダメダシ。3回目に仕上げる。2月が2回目。5月が3回目である。やり応えのある曲揃いである。Picture1(sketch-direction 340° pm4:11 Sketch point:Genpachi-bridge,Osaka-City,Osaka Pref.JapanGPS 34.684067,135.517400(°)(34°41'2.64 N,135°31'2.64 E)標高15mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 34.652600,135.506306(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。15544(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Nov 15, 2013
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谷町筋を北上_story(3253)2013.11.13劇場型詐欺オレオレ詐欺と違って、高齢者を狙った投資話は、複数の人達が役割を演じ、言葉巧みに投資話を持ち掛けると言う。これを劇場型詐欺という。詐欺にあった人は元を取り返そうと、さらなる投資話に乗っていくという。総計何千万円の詐欺にひかかっていくという図式である。パンフレットがすごい。大手の名乗って信用させる。電話でまず断る戦術がいいというが、相手の誘導についつい乗ってしまうのが心理作戦である。こういった詐欺にあう人達は資産家などお金持ちが多い。リストが出回っているようである。当方はいたって安全である。ひかかろうにも元の資産がないため、心平穏に暮らしていける。カミさん曰く・・あの人達、もっと別のことに頭を使ったら!と。そう、復興支援などに汗を流すとか。大阪にて大阪探索もなかなか楽しいものだ。コースは11/2のblog参照。天王寺から、谷町筋を北上している。谷九から谷一まで実によく歩いたものだ。昔の市電の停留所「上二」の交差点は「上本町1」、「上一」の交差点は「上町」と改変されている。スケッチのある谷町六丁目交差点から北と東の300mx300mの界隈が、小生の子供時代のテリトリーで、あらゆ路地を知り尽くしていた。公設市場や、銭湯があったのに、いまでは高層のマンションだらけの殺風景な町となってしまった。谷町筋がもっとも変化の波にもまれたわけで、昔は天王寺までは細い道しかなかったのに、3車線の広い道路が通っている。「空堀商店街」もこの谷町筋で分断されてしまった。谷町六丁目交差点と谷町筋谷町と上本町は、丘と谷を形成していたため階段や坂が多い地区であった。階段には手摺りが付けられていて、よく尻で滑り降りたものである。軽業師のような感である。真鍮や銅の手摺りは磨きに磨かれいつもピカピカであった。猫画像昨日の猫の絵の一覧では、「喋るネコ」という題名で本をだしてもよいかなぁと考えている。それにしてもよくお喋りをした猫である。猫の気持ちになって脚色したのは小生であるが、ほどんどあういう形でニャーニャー鳴いていた。blog本文の文章を読み返しているうちにすぐそばに猫がいるような不思議な感じになってしまった。食卓の上に、今も居るような錯覚。Picture1(sketch-direction 0° pm2:45 Sketch point:Tanimachi-6,Osaka-City,Osaka Pref.JapanGPS 34.675978,135.517442(°)(34°40'33.52" N,135°31'2.79" E)標高15mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 34.652600,135.506306(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。15544(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Nov 13, 2013
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