“お笑い”哲学論のページにようこそ!

 “お笑い”哲学論のページにようこそ!

◆心の健康を計る◆


自慢していると受け取られたくないのですが、私は身体が不健康であることは自慢できます。
うそだと思うのであれば、私の周りの人に聞いて頂きたい。
彼らは一致して、私が毎日のように、身体の不調を言い訳にしていると証言するでしょう。

しかし、心の健康となると、話は違ってきます。
私の周りの人間の心に問題があることは、確信を持って私は証言する用意があります。
だが、私自身の心が健康であるかどうかに、今一つ確信が持てないのです。

先日、心の健康度を知る、いいチャンスが訪れました。
メンタルヘルスの調査に協力することになったのです。
(現在では大企業に勤めている人の大半は、このテストの経験があるはずです)

百項目を超える質問に、「はい」「いいえ」「どちらともいえない」の三つから回答するのですが、問題を読んでみて、健康だという結果を出すには、どう答えたらいいのか、判らないことに気が付きました。
(テストというからには、楽して高得点を目指すべきなのは、言うまでもありません)

知人の心療内科医であるN先生は、その道の専門家であり、私は彼に全幅の不信感を抱いています。
健康と診断されるには、どう答えたらいいか、彼に聞いてみました。
彼の丁寧な説明を聞きながら、私は床のゴミを観察していました。
ゴミの方が興味深かったのです。

断片的に耳に入った説明のうち、ゆうに一割は理解できたと思います。
その結果、はっきり解かった事は、信頼できない専門家の話は、聞けば聞くほど不信感がつのるということでした。

結局、独力で回答して、健康を勝ち取るしかない、という結論を導き出しました。

質問の中には、「約束を破ったことは一度もありません」とか「言ってはいけないことは決して言いません」という質問があります。
これらは、私が日頃よく口にしている言葉ですが、正直に「はい」と答えたら、「この大うそつき」と診断されそうな気がします。

正直すぎると、うそつきの烙印を押されるのです。
かといって「いいえ」と答えると、私が普段口にしている言葉が、うそだということになります。
正直者には困る質問です。

いっそのこと、「どちらともいえない」にしようかと思いましたが、そう考えると、「約束を破ったことが一度も無いかどうかに確信が持てない」と答えたことになり、今度は「国語力の欠如」とか「意識混濁」などの診断を下される恐れがあります。

他にも、「体重が減った」などの質問項目があり、これにも「どちらともいえない」と答えると、同じ結果を招く恐れがあります。
「うそつき」と、どちらがいいのか、苦しいところです。

N先生の話では、こういう調査には、うそをついているかどうかを調べる質問を入れる事があり、これもそうだろうと言います。
この種の質問に「はい」と回答すると、うそをついている、と見なされるらしいのです。
私は、この意見と彼の信頼性を考え合わせ、彼の意見は誤っていると断定しました。

どう答えればいいのか判らない質問は、他にも多数あります。
例えば、「もっと充実した精神生活を持ちたい」とか「過去を振り返って悔やまれることがある」という質問があります。
これに「いいえ」と答える人がいたら、どんな人なのか、ぜひ知りたいものです。

また、「家に帰りたくなくなることがある」といった質問には、どう答えるべきでしょうか。
家に帰りたがらないのは不健康だ、という前提での設問かも知れませんが、それだとほとんど全ての人が不健康という結果になるでしょう。
むしろ、そういう気持を持ったことが無い人の方が不健康だという考え方もあります。

同様の項目は他にもあります。
「人生がむなしいと感じたことがある」「孤独だと思う」「物事にとらわれることがある」などです。
大多数の人が、こういう経験を持っている以上、不健康とする訳にはいかないでしょう。
しかし、不健康な人もこういう経験を持っているような気もします。

そこまで検討するのは考えすぎだ、と言われるかも知れませんが、考えすぎが、なぜいけないのでしょう。
それに、私は「考えが足りない」という評判をとっている男です。
他の質問もじっくりと、考えすぎてみたいと思います。


<以下「心の健康を謀る」に続く>




© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: