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◆心の健康を謀る◆


現代のようにストレスの多い時代に生きている人間が、心の健康を保つのは難しい。
とくに私のように、社会的にも認められず、周りの人間にも認められず、経済的にも恵まれず、そのうえ、心の健康というのが、どういう状態なのか解からない者の場合、心の健康を保つのは不可能に近い。

とくに、メンタルヘルスの試験で、いい結果を出す方法を知らないのが致命的です。

実際にテストに回答してみて判ったのですが、自信を持って回答できる質問が少ない。
自信が持てたのは、わずかに「貯金が少ない」と「病気がちである」に、「はい」と答えたのと、「体力に自信がある」と「家族に信頼されている」に、「いいえ」と答えた程度です。

しかし、どうしてこれらの質問によって、心の健康を調べることができるのでしょうか。
例えば「体力に自信がある」に、「はい」と答えても、その人が失恋したばかりなら、心が健康だとは言えないでしょう。
「楽しい気分でいる」「幸福だと思う」といった質問項目もそうです。
家族が病気で苦しんでいるのに、楽しい気分でいる人や、金を盗られて、幸福だと感じたりする人は、やはり健全とは言い難い。
心の健康を測るには、回答者の置かれた状況や、生活環境や家族の状態、経済背景や宗教、イデオロギーなども熟知していなければ、正しい結果は得られず、誤った診断が下され、かえって心を不健康にするのではないでしょうか。

この疑問をN先生にぶつけてみました。
その結果、私は彼を「信頼できない医者」と考えていたのが、間違いだったことを知りました。
彼の答えが、またしても誤っていたからです。
このように、答えが例外なく誤っていれば、「常にきっかり三時間遅れている時計」と同じく、逆に信頼できるのです。

どうして、この時の彼の返答が誤っていることが判ったのか、疑問に思う人がいるかも知れません。
なるほど、彼が何と答えたのか、聞き取れなかったのは事実です。
しかし、彼が何を言ったにせよ、彼の信頼性を考え合わせれば、その返答が誤りだという結論しか出てこないのです。


他の質問項目にも疑問があります。
例えば、「嫌いな仕事が早く終わっても、格別うれしいとは思わない」という項目がありますが、終わってうれしくないなら、「嫌いな仕事」とは言えないように思えます。
この質問は、国語力を試しているのでしょうか。

一つ一つ検討していけば疑問は尽きません。
いっそ質問を簡略化して、「私の心は健康だ」だけにしたら、どうでしょう。
「いいえ」と答える人は、明らかに不健康だし、「はい」または「どちらともいえない」と答える人は、不健康である上に、自己認識ができていないと断定すればいいのです。
この方法だと、テストそのものを省略することもできます。


以上の他の質問に、私がどう回答したか、例を次に示しましょう。

「人と話していて、腹が立つことがある」には、「はい」。
(面と向かって悪口を言われた時、とくにそれが当たっていると、どうしても腹が立ってしまいます)

「配偶者の理解がある」には、「いいえ」。
(一夫多妻に対して理解してもらえない)

「タバコ、酒、胃腸薬が、増えたような気がする」には、「はい」。
(中学生の頃から比べると、増えているような気がします)

「何かをしようとすると緊張する」には、「はい」。
(うそをつくときや、約束を守らないときなど、さすがに緊張してしまいます)

「人前で思うように喋れないことがある」には、「はい」。
(従業員の中田さんに、「コーヒーを入れて下さい」とか「コピーをお願いします」と言えません)

「がんこな一面がある」には、「はい」。
(もっと自己主張しろと言われたら、がんこに拒否します)

「なかなか決断できない」には、「どちらともいえない」。
(決断力があるかどうかを、一時間考えましたが、結論が出ませんでした)

「手足が震えることがある」には、「はい」。
(氷点下の気温の中で裸だったり、電流を流されたとき、震えてしまう)

「簡単なことを思い出せない」には、自分の自宅の郵便番号が思い出せなかったので、「いいえ」と答えました。

回答の提出日を思い出せなかったので、提出できませんでした。
はたして、私の心は健康なのでしょうか。





〔追記〕
ちなみに、テストには「深く考えすぎないで答えて下さい」と注意書きがあります。




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