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男性論≪3≫



同姓で集団を形成する場合、女性は感情によって集団を形成しますが、男は利害を共にする集団や友人を持つ傾向があります。

暴力団や暴走族を女性が結成するケースが少ない(さらに長期間、集団を維持できない)のを見ても、男女による人間関係の構築の仕方の違いが明らかでしょう。

男女が同姓に対する態度には、さらに顕著な違いが表れます。
男が同姓に対してとる態度は、
1. 仲間と見るか
2. 敵と見るか
あるいは、
1. 自分より上か
2. 自分より下か
といった両極端しかありません。

オス犬同士が初めて道ですれ違うときの反応と同じで、男が初対面の男に対しては、とりあえず自分と比較する値踏みを行ないます。
これは自覚している、いないに関わらず、自然に無意識に行なっています。

これが仲間からの紹介などや、相手が仲間に入ってくる場合には、無意識のうちに態度が全く違ったものになります。
仲間とは同じ集団に属する者のことです。

男はほとんどの場合、単独でいることは無く、相互扶助を目的とする団体を作り、これに所属しています。
男が三人集まれば団体が四つ出来ます。
大きい組織の中では、すぐに派閥を作るし、スポーツ・芸能界でも、石原軍団、ジャンボ軍団、たけし軍団などの軍団が存在しています。
暴力団も暴走族も団体を結成しています。

男の作る集団は結束が固く、その中に居る男の忠誠心は強固な場合がほとんどです。
男たちは、どこの誰が決めたか分からないようなルールに従おうとしない代わりに、集団のルールは身を挺してでも守ろうとします。
だからどんな無法者(ぴったりな言葉です)でも、集団の内部では、礼儀正しく順法精神にあふれています。

もう少し集団の枠を拡大して、人類全体を集団だとみなしてくれれば、この世の多くの問題は解決するところです。


このように男は集団への帰属意識(あるいは依存意識)が強いが、逆にその分だけ「孤独」が男にふさわしいイメージとなります。
ひとたび男が集団を離れると、集団に所属していたときの威勢のよさとは対照的に、哀れを誘うほど弱くなってしまうのです。

女性は孤独になることは出来ません。
たんに、一人になることが出来るだけです。
哀愁を感じさせる人間になることが女性にできないのは、女性は一人になると「独立」した一人の人間になるからです。
つまり、女性は一人になると強くなり、男は一人になると弱くなるのです。

「敗残者」とか「落魄の」とか「尾羽打ち枯らした」といった表現は男のためにあります。
これらは、高邁な目標を掲げはするが、それを達成する力の無い者だけが享受できる表現です。
女性はそもそも男のように大風呂敷を広げたりしない者がほとんどです。

自然界の動物をみても、哀れを感じさせるのはオスです。

鳥などのオスは、クジャクを筆頭に、派手な格好をしていますが、一説によると、これは「こんなに目立つ格好をしているのに、おれは生き延びている」と、メスに強さをアピールしているのだといいます。

これを基に考えていくと、進化の過程では「おれはこんなに太っているのに生き延びている」とか「おれはこんなに足が短いのに生き延びている」と、肥満や短足を競い合った結果、敵から逃げ切れない体型になってしまい、生き延びられなかった無数のオスがいたに違いありません。

いまだに生き残っているオスがいるのが不思議なくらいですが、そのほとんどは何の長所も持っておらず、「おれは何も生き延びる長所が無いのに、生き延びている」という自慢の仕方しか無いようなオスなのです。

生き残っている方も哀れです。
(私も哀れです)


<以下、次回へつづく>




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