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◆信用に関する論証◆


私は、実は相談されることが仕事の一部です。
(答えることも仕事の一部ですが、正解を答えることは能力の域を超えています)
私に相談する個人および法人も、奇特な方々です。
私を信用でもしているのでしょうか。
(私を信用するなんて、私には、怖くて出来ないところですが)


ところで、人間には二種類あります。
人から信用されないタイプと、空を飛べるタイプです。
(自分は信用されるタイプだと考える人がいるかも知れないが、そう考えるだけで、すでに信用できない)

かりに、厚い信用を得ている人が、
「誰も見ていない時は百メートルを五秒で走れる」
とか、
「古代史を書き換えるほどの歴史上の大発見をした。ただし内容は誰にも話すつもりはない」
と主張したら、例えそれが本当の事であっても、誰からも信用されないでしょう。

人が見ていない時に限って百メートルを五秒で走れたり、空を飛んだり出来る、という経験を実際にしたが最後、誰からも信用されない人間になってしまうのです。

信用されようと思ったら、万が一のことを考えて、人が見ていない所で走ったり、空を飛んだりしないようにするしかありません。


私は信用されない事では人後に落ちませんが、これは私の人間性によるものではなく、私が特殊な経験をすることが多いからです。

例えば、金の使い道を税務署に追求されたとき、
「かわいそうなマッチ売りの少女にあげた」
とか、
「宇宙人に恐喝された」
「知らないうちに突然お金が消滅した」
と、いくら説明しても信じてもらえません。
私が何を経験したかは、本人の私が一番よく知っているはずなのに、実際に何が起こったかを、不当にも他人が決め付けていて、私の証言は何の参考にさえされずに税金を払わされるのです。

しかし、これを応用すれば、信用される人間になるのは簡単です。

かりに私が、
「人に見られた事はないが、百メートル走るのに、どうしても二十秒以上かかってしまう」
とか、
「誰も知らないが、実は女好きだ」
と主張したら、私を知らない人でも私の話を信用するでしょう。
(こういう場合「主張する」よりも「内緒で打ち明ける」方が効果的です)

このように他人に信用されるような事だけ話すようにすれば、信用される人間になることができます。

しかし問題はそれほど簡単ではありません。

普通の大人が、
「わたしは足し算ができる」
とか、
「ドアの開け方を知っている」
と主張したら、別の意味で信用を失う恐れがあります。
また、
「昨日万引きした」
とか、
「時々うそをついている」
と話せば、話は信用されるかも知れませんが、信用できない人間とみなされるでしょう。

また、
「うそじゃない」
とか、
「絶対に本当だ」
といった発言を連発するのも禁物です。
「天気予報をテレビで見た。これはウソじゃない。命をかけてもいい」
といった発言を繰り返していると、何を言っても信用されなくなります。
一般に真実である事を強調しても効果はありません。
説得力が増すわけではなく、逆に信用を失う恐れがあります。

その他、信用を失いやすい発言として、
「おれは詐欺の常習者だ」
とか、
「おれは哲学者だ」
「おれはマッケンジー」
などがあります。

これらの事に注意して信用される発言を心がけ、特殊な経験をしないように気をつければ、信用されるのは簡単です。
人格まで改造する必要はありません。


しかし、同じ事を喋っても、私が喋ると信用されないのはどういう訳でしょうか。

先日もある女性との約束に遅刻したとき、
「チンピラにからまれていた女の子を助けていた」
と言っても信じてもらえませんでした。
どうして信じるくらいの事ができないのでしょう。
信じると何か損をするのでしょうか。

「あなたが女の子にからんでたんじゃないですか」
と言われました。
ここまで信じてもらえないのです。
本当に女の子を助けたんじゃなくて良かった。




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