ペガサスの独り言

ペガサスの独り言

中学2年生後半(長男)


それから、以前のPC前生活に戻るまでにたいした時間は掛からなかったように思いますが・・・(記憶が曖昧です。)

その頃、自律神経って鍛えられないのかな~?なんて事を考えていました!
毎日の長男の生活には何の変化もなく、自律神経なんていう目に見えない物との戦いが、いったいいつまで続くのだろうか?
「見守る」事を実践していた訳ではなく、「あきらめた」だけの自分には、(どん底よりも)元気になってくる柳に対し、またしても期待を寄せていってしまいます。

一見元気になったように見えるので、学校に行かないのを仮病みたいに思ったり、自分で治そうとする努力をしているようにはみえない長男にイラついたりするのですが、また色々と自分が言うと、長男にストレスが溜まってまたどん底までいきそうで・・・
ホント、悶々とした日々が続きました。

それに対し、妻はそれなりに「見守る」事を実践できていたように思います。
母親だからなのでしょうか?
父親の自分が思うことは、世の中ストレスの溜まる事ばかりで、この世の中で生き抜いて行くためには、それに耐え得る身体を(心と共に)作っていかなくてはいけないという事。
少しくらいの困難は自分の力で乗り越えて欲しいし、そのくらいの根性が無いといけない!
それができない今の長男を、何とかしなければ・・・
そんな焦った思いばかりでした。
(起立性調節障害 support group)のホームページの中の「治療」という所では、親に対しては『決して焦らず、子どもを信じて見守る』ことの重要性を説いています。
まるっきり出来ていない、どうしようもない父親です!

そしてそんな状態の中、妻が自分でブログを始めます。
子供部屋で長男と一緒に過ごす時間の使い方として、ブログ巡りなどをしてきた彼女。
その場に一緒にいると、どうしても何か言いたくなってしまうので、自分が子供部屋にいる事はほとんどありませんでしたし、話し相手が欲しかったのでしょうか?
すぐにブログの世界に没頭していきます。
夫婦の会話はあまりないのに、ネット上で楽しそうに会話を楽しむ彼女・・・
ワガママで、ヤキモチ焼きの自分がブログ嫌いになるのは簡単でした!
仕事から帰ってくれば、子供部屋でPCに向かっている長男と妻。
自分の調子が良い時はまだしも、仕事でイライラしていたりすると、どうしても平常心ではいられませんでした。

長男がこんな病気になってしまった理由の一つとして、パソコンを与えた事による生活のリズムの乱れを考えていた自分達。
そのパソコンを買い与えたのは、自分です。
ゲーム機を買う時にもそうだったのですが、使用時間の約束など、まず守れる事はありませんでした。
どこの家でも同じような状況ではないかと思いますが・・・
パソコンを禁止する!なんて話で長男と喧嘩になった事もありました。

あまりに何も変化のない事、改善されていない症状について長男に少しでも注意(?)をすると、「なんで、もう少し待ってくれないんだ!」と、いつも泣かれました。
黙ってみている事がどうしてもできなかった・・・
危機感が無く、のーてんきに感じる妻にやたらと腹が立ち、そのイライラの矛先が長男に向かってしまっているようでした。

覚悟を決めた(あきらめた)自分のはずなのに、どうしてもあきらめきれなかった!
あきらめられないくせに、信じてあげられなかった・・・
今になって思えば、そういう事だと思います!
(今でも、信じてはいますが、信じ切れるのかどうか?)

この頃、妻は学校の本部役員も引き受けていました。
それは、学校に行けない長男に変わって学校の雰囲気を自分で確かめ、先生方とも話をする時間を作る意味でも役に立っていたようです。
奴は奴なりに色々考えていたんですよね?

長男が中学2年生の間は、あまり変化のない生活だったように思いますが、記憶が定かではありません。
中学3年生になる頃には、症状的にはだいぶ改善され、少しずつですが外出するようになってきました。
学校のある平日の昼間にでも、長男と妻は買い物に出かけたりしました。
それもリハビリのひとつなのかな?そんな風に考えられるようになっていきました。
そしてこの頃になると、進学の事が悩みの種となってくるのでした。


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