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一気に雪が融けた。溝の雪も消え、勢いよく水が流れている。スノーダンプを買おうかな、と思ったがその前に割れたり反ったりした金具を切ったら、運ぶ時に大きな力が必要なくなるだろう、だったらステンレスやトタンを切る道具さえあればできるかも、と思い金物を切る鋏を買ってきた。さっそく切った。雪かきがうんと楽になった。アスファルトに雪をばらまくと、もうそれだけで消えてしまう。明日は家の裏側(北側)の雪を除けよう、車に乗るのに最短距離で行ける。隠居の周りには手つかずだ。孫が使っていたおもちゃの箱を隠居に運びたいが、大量の雪が邪魔していて車に積んだまま。明日は隠居への道にも手を付けよう。日曜日予定の集まりが、今度の金曜日に変更になった。駐車スペースは確保したので、車で来てもらっても大丈夫だ。それよりも「3.11の集い」に代わるイベントの構想や内容をある程度文章化してまとめておかないといけない。今日やろう今日こそやろうが延びて、いよいよ時間がない。そんなことを話したり、能登ボランティアを定期的にやってる人の話を聞いたり、いったん解散したら2人は飲むんだそうだ。寝袋持参で迷惑かけないようにと気を遣ってくれている。
2025.02.25
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雪はもう大丈夫、に違いないと勝手に思い込んで寝たのだが、朝起きてびっくり。この冬1番のと言っていいくらいの一晩の積雪量。20㎝くらいの新雪!屋根からずり落ちた雪もあり、玄関前にうずたかくなった雪。ぐずぐずしていたら、すぐに昼になりそうだから、今日は8時過ぎに外に出た。除雪車も通っている。まずは玄関から車の通る道までの雪かきをしよう。スノーダンプ一つ分の広さの道をまず開けようと作業開始。昨日からスノーダンプの前の部分の金具が歪み、反ったりして動かすのにすごく抵抗がある。だからいつも以上に疲れる。また連日の雪かきだから疲労もたまっている。それでも今日は日中は青空も出て、アスファルトの上に雪をばらまいておくといつの間にか消えている。溝がいっぱいになると休憩して、その雪が下から融けていき空洞ができる頃にまた出てきて、スコップで雪を突くとごそっと下に落ちていく。午前2回午後2回、30分間ぐらいずつやった。たくさん融けた。明日は晴れて気温も上がるらしい。1歩も2歩も春に近づいているかな。
2025.02.24
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朝、外を見るとまた雪。昨日の雪かきの後にさらに10cm。昨日頑張りすぎたのか、今日はちょっと動いても何となく体が重い。午前中1時間、午後もそれぐらいはと思ったのだが、30分でやめた。途中降ったり止んだり、晴れ間も出てかなりの雪がまた消えた。小さな川や溝に捨てた雪が、下の方から溶けていき、空洞をつくる。スコップでその空洞を突き崩して下にどさっと落ちるのが面白い。そこにまた新たな雪をスノーダンプで運ぶ、その繰り返し。家の周りにたっぷり雪はあるから、当分雪かき作業は続く。2月も最終週、今週は気温も上がり雪解けも進むだろう。よく考えたら2週間後は奥さんの一周忌だ。あんまりのんびりもしておられない。墓の様子も、気になる。3月に入ったら墓掃除もやらないと。
2025.02.23
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1週間ぶりの我が家。「大雪」「強い寒波」…そんな言葉を何度聞いてことか。でもまあ大したことはないだろう、と高速に乗った。丹波付近でタイヤチェックがあった。そこを過ぎてから両側の雪が増えだした。それでも車が走る場所は黒々としたアスファルト。綾部ジャンクション辺りから路面に雪が見え出した。制限速度50㎞の表示が出てくる。高速を降りる。水分の多いべちゃべちゃの雪だから、走っててスリップするようなことはない。でも家の車庫の前、除雪車が通ると道路の両側に雪が寄せられて通路を塞いでいるかもしれない。ちょっと気にしながら我が家に着くと、なんとご近所さんが除雪してくれていた。「お互い様」の付き合いだ。その方の車庫の前の除雪を、僕が引き受けたこともある。こういう関係があることが、こんな時には特にありがたく感じる。玄関前、日曜日にはほぼなかった雪が、測ってみると30㎝あった。少し休んで雪かきを1時間ほど。午後もその続き。明日はお客さんもあるので「全面開通」させておかなきゃならない。明日も雪かきが待っている。
2025.02.22
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孫のテスト週間も今日が最終日。クラブが再開されるかと思ったが、今日も明日もないんだそうだ。明日クラブに送り出してから丹後に帰ろうかと思ったけど、ゆっくり寝たいだろうし、もう起こさずに帰ろうと孫にも話した。日曜日からだから長かった。前は2泊して帰っていたが、今回は特別で6泊もして帰ることになる。テスト週間だから水木金の三日間は昼には帰ってくる。だから昼を含めて三食のメニューを何にしようかと頭を悩ました。そんな時役立ったのが、奥さんが使っていて孫のところで見ていた料理の本。『毎日の晩ごはん献立 800レシピ』という「主婦の友社」発行の本。久しぶりにまじめに調理した。丹後ではここんとこいい加減な食事が多かったから、この本を持ち帰ってちゃんとしよう。来年12月に大きな目標が控えている。だから食生活から気をつけて運動もして元気でいないと、と意を新たにしている。
2025.02.21
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宇治に勤務していた時、担任していた子とその母さんに会った。「子」と書いたがもう53歳にもなる。四条通の阪急入り口(南側)で10時半に待ち合わせていた。10時過ぎについたのでその辺を歩いたり四条大橋からの眺めを楽しんだりして時間をつぶした。遠くの山に雪が見えた。風は冷たいが気持ちいい。そろそろ約束の時間だと思い、待ち合わせ場所についた。二人ともマスク姿、僕の中の彼のイメージは小学生の頃の姿だから、二人連れでそこにいなかったらきっと分からなかった。そうに違いないと思って近づくと、相手も僕と気づいたようだ。近くのマックでコーヒーを飲み、いっぱいしゃべった。苦労話がいっぱい出たが、からっとして少々の不幸など不幸じゃないといった調子で話は途切れることはない。息子はそばで聞いている。時々問いかけると、その問いには答えてくれる。場所を変えてそこでは昼ご飯を食べながら、話が続く。そこに触発されて、僕も勢い込んで話した。気がつくともう3時前。そろそろ出ようとお金を払おうとすると、ここは息子が払いたいので、と固辞される。ここは遠慮なくおごってもらおうと決めた。まさか彼におごってもらうなんて想像だにしなかった。嬉しかった。丹後で買ってきたお土産のお菓子を渡して別れた。また会おう、そしてまたいろんな話ができるようにそれぞれの生活を元気に過ごしましょう、と言って別れた。丹後にもまた遊びに来てもらおう。いい時間だった。
2025.02.20
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昨日は奥さんの11回目の月命日だった。昨年の2月18日はまだ入院中だった。退院したのは2月20日。酸素ボンベを退院して帰る途中で交換する必要があるというので、それを僕がやらなきゃならないのでとても気になっていた。2階で過ごすのは無理だというので1階の奥の部屋にベッドを入れて、頭の方に大きな「酸素濃縮装置」を2台置いて準備してもらった。訪問看護士さんに来てもらい、父の時お世話になったケアマネージャーさんも顔を出してくれた。奥さんの姉弟も来て気遣ってくれた。そんな半端ない大変な状態だったのに、僕はどこか足が地についてない、ふわふわした日々であったような気もする。今、孫のところに来ていてテスト勉強中の孫とは別の部屋でこのブログを書いている。今日の午後は、娘や息子のところに米を持って行ったのだが1歳半になる孫が「ォジーチャン」と言ってくれてついニヤリ!そばに置いてる奥さんの写真がそんな僕を見ている。3月は一周忌だ。
2025.02.19
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朝外に出ると、車の屋根とフロントガラスの上に雪、寒い。孫を送り出してから先日亡くなった方のお参りに行った。数珠がなかったが貸してもらって、般若心経を拝ませてもらった。久しぶりに元気な姪っ子と話ができた。午後は大阪で用があり、その場所に行く行き方を何回も教えてもらった。梅田から5~6分のその場所だが、すぐに分からなくなってしまった。スマホのナビも使ったが、いいようにあちこちに連れていかれて慌ててしまい、結局ガードマンのような方や近くの人に聞いて、ようやく場所を確かめた。その上で早かったので昼食をとった。こう行けばその場所につくと確かめたはずだったのに、やっぱり迷ってしまい、それでも30分前には着いて事なきを得た。梅田駅だから帰りは大丈夫だろうと思ったが、結局迷いながら、やっぱりガードマンらしき人に聞いてやっと電車に乗ることができた。自分でもびっくりするほどの方向音痴にがっかりだ。地図はあるのだが、ほんとに読めないなあ。人も建物も多い都会に僕は住めない・・・????
2025.02.19
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孫のところに来ている。昨日の引継ぎ会が終わったのが5時過ぎ。すぐに会食の準備が始まったころ、事情を近くの人に伝えて孫のところに向かった。途中返却期限になってた図書の本を返して、高速に乗った。順調に進んで、孫の所に着いたのは7時過ぎくらいだった。正月以来の孫、中学生になっている。たくさんはしゃべらないが、声のトーンが柔らかくなってきたような。今週土曜日までの予定を聞きながら、さて何を作ろうかと考える。水曜日からテスト週間に入るようでクラブもなく、月火は4過ぎには帰ってくる。水曜日からは昼までに帰るということで、昼ご飯も必要になってくる。塾も3日間、ピアノも1日と孫も忙しい。テスト週間後の土曜日はクラブがあるかと思ったがそれも無し。いろいろと聞いてた予定とは違っている。さて今日は家の畑で抜いてきたダイコンを使っておでんでも作るか。
2025.02.17
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すっかりとは言えないがたくさん積もってた雪がかなり消えた。 隣村に抜ける峠の雪が少しずれこんで道幅が狭くなっているが、まあ大丈夫だろう。明日夕方、区の仕事が終わったら京都方面に向かう。しばらく孫のところで過ごす。前のPCはネットが使えるように息子に頼んだが、いつ不具合を起こすかわからない。その古いPCを持っていくがこのブログも書けないかもしれない。他の子たちの所にも、精米した米を持っていく。火曜木曜にも予定が入っていてバタバタしそうだ。大根は雪の下、葉っぱが顔を出しているが明日の朝、可能なら掘り出してみよう。その大根を使っておでんをどこかで作ってみよう。孫が作ったお菓子の写真が送られてきた。明日行ったら僕の分もあるそうだ。やった!明日の区の用事は、区長さんが新旧交代するときに行われる区の財産の預金や書類、アルバム、備品等がちゃんと保全されているかどうかを調べる仕事。それを担うのがそれぞれの組の組長。神社の倉庫の中まで調べるから大変ではある。その後、会食という流れ。僕はできるだけ早く孫の所に行きたいので財産の確認ができたら出発する。食べて飲んで交流を深めたい所だが、またの機会にしよう。
2025.02.15
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お隣さんが引っ越しされた。もう15年も住んでたのだという。二人のお子さんたちも大きくなって、高校卒業後は大学や就職でこの地を離れた。何しろお隣さんなので、何かと声をかけたり作っておられる果物を買ったり、世間話をしたりと仲良くさせてもらった。引っ越したのは昨年の11月だったか。引っ越してからも住んでた家の片づけや掃除に長いこと通っておられた。先日の通夜にもご夫婦で参列されていた。新居は僕がよく行く図書館の近くと聞いていたのだが、実際に訪問したのは昨日が初めてだ。新居だから当然なんだが、まあピカピカですっきりしている。台所でコーヒーをいただきながら思いつくままいっぱいしゃべっていた。「死ぬまでにやりたい100のこと」の話もした。その中の一つの大きな夢を来年末くらいに実現できたらいいな、なんてことも話した。にこにこして聞いてくださった。「また来てください」と笑顔で送ってもらった。ほんとにまた来させてもらおう。
2025.02.14
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昨日の通夜に続き今日は告別式。隣組は9時集合。線香をあげさせてもらってから、まだ早いのでコーヒーをいただいた。基本香資を受け取らないという遺族の意向で、持ってきた方には(親戚等を除いて)丁重にお断りした。その受付、和尚さんの送迎、交通整理が隣組の仕事。今日は人も少ないので(昨日は多かった)隣組の何人かも式場の席に座らせてもらった。和尚さんの読経が終わり、喪主のあいさつがあった。今日は故人の闘病と人柄についても触れた挨拶だったのでぐっときた。出棺の際には隣組の数人もお手伝いした。優しくて明るい故人の笑顔や姿が浮かんで来た。火葬場に向かう車に手を合わせた。
2025.02.13
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お通夜だった。4時半頃故人の家を出て、葬祭ホールへ向かう。4時頃から親族で「旅支度」をしてもらい棺に入れてもらう。その前に隣組で般若心経をおがんで送り出すのが、この組での流れだ。同じ村でも隣組によって少しずつ違っていると聞く。故人の人柄に触れたような言葉を考えて少し入れる。そうしてみなさんで般若心経を拝む。般若信楽をコピーした用紙を配り、拝む助けにする。そういう段取りが隣組長である僕に任される。なかなかに気を遣う役柄なのだが、前回の時よりあたふたすることは減ってきた。こう言わなければ、という決まりごとはないのだが、少しサンプルになるような口上が示されていると、特に初めてのことなら大いに助かる。そういう口上を残しておこうと、この隣組の長老にお聞きして書いたこともある。般若心経をおがむ前の口上も残しておいてほしいと隣組の人からも言われた。そうだよなあ、と思う。明日は告別式。出棺が11時。間違いの無いようにやり終えよう。
2025.02.12
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昨日は氷点下になる予報もなく、水道管の凍結も心配なくなったので水を流さずに朝を迎えた。そして今日はさらに青空が増えて、雪もさらに融けていった。隣組長なので、通夜と告別式の段取りを喪主になる方とお話しした。昨年我が家の葬儀に際して個人的にきれいな花を供えてくれたのがこの方。思いがけない花にとても嬉しかったことを思い出す。亡くなったお母さんが、いつもにこにこして畑仕事をしていて、合間にてもらったことも思い出す。我が家の奥さんもその笑顔に笑顔を返して、にぎやかなおしゃべりを楽しんでいた。喪主の方が「いっつもおばちゃんが子どもらに声をかけてくれた」と言ってくれた言葉がしみじみと嬉しかった。僕も花をお供えしよう、と思っていた。あてにしていた花屋さんがお休みでどうなることかと心配したが、何軒目かで見つかって届けることができた娘さんももとても喜んでくださった。亡くなったお母さんの話を聞きながら、うちの奥さんのこともいっぱい思い出した。話した。何だかとても大事な時間だったような気がする。
2025.02.11
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ようやく雪かきから解放されたような一日。時々雪は舞ってはいたが、青空もここ数日では一番多く見られて、雪もたくさん融けた。戸締りをして車庫に向かう北側の通路も通れるようにした。朝、動きの悪いパソコンを修理をしてくれるところに持って行った。個人でやってる方で、これまでも何回か持ち込んでいる。ものすごく分かっていない僕のような依頼主にもていねいに説明してくれる。いっぱいデータの入った長年使ってきたパソコンが駄目だったらどうしようと心配していたが、データを取り出すことは可能だとのこと、ただしパソコンはかなり寿命に近い状態なので、また波線が画面に出てきたりすることはあるだろうとのことだった。ここの方から新しいパソコンも買っていて、データを移さなきゃと思いはしていたが結局やれないままで、データ消失の一歩手前まで来てたようだ。一日預からせてもらったらできます、というのでお願いして帰ってきた。まずは一安心。
2025.02.10
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午前と午後の2回外に出て雪かき。今日はこれまでのように氷点下になることもなく、ずいぶん融けた。もうしばらくは雪も大丈夫かな?ただ夜はやっぱり冷えて予報では-3℃くらいにはなりそうだ。今晩だけちょろちょろと水を流して、凍結しないようにしようかな。前から使ってるPCの調子が悪い。今ブログを書いているのは新しいPC。早くデータを保存しなくちゃと思いながら先延ばしにしてきた。残しておきたいデータがいっぱい詰まっている古いPC。明日はパソコン修理を専門にやってる業者に連絡してみよう。でも困った。画面に波線が入ってマウスが動かなくなったりしている。ウイルスとかでなく寿命が来てるのかなと思う。何とかなってくれるといいのだが…
2025.02.09
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やっと雪も落ち着いてきた。朝いつもと同じように雪かきはしたが、今日は日中そんなに降ることもなくたくさんの雪が融けた。昼前、我が家に隣組のみなさんが集まった。みんな揃ったところで、先達を頼んだ方に前に出てもらって般若心経を三巻唱た。この1年のそれぞれのお家の繁栄と安寧を祈る隣組の行事。それから料理屋さんの車で移動、新年会が始まった。コロナもあって、こうやって集まって料理を頼み酒を酌み交わすのは何年ぶりだろう。それぞれの家の事情もこんな時だからこそ自然に語られて、お互いを分かり合うのもこういう席だからこそだ。普段挨拶はするが、それぞれを語るなんてまずないから、貴重な時間でもある。特に長年この村に住んでいてあまり疑いもしない「慣行」に対して、新しく仲間入りした人の率直な疑問は傾聴に値する。それですぐ変わるわけではないが、少しでも風通しが良くなればと思う。ぼくの年齢で一人暮らしの人は、村のいろんな役の免除もあるらしい。まだ元気でいるので協力はしていくが、時の流れは止められない。前も書いたが、5年後10年後の自分は、そして村はどうなっているだろう。やりたいと思うことは先延ばししないでどんどんやっていかなくちゃと改めて思う。。
2025.02.08
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昨日の話。近所の方から携帯に電話があった。電話に出ると「いや、別に何もないんだけど〇〇さんから電話もらって」「えっどういうこと?」〇〇さんとは雪かきの際によくご一緒するお向かいさん。こういうことだった。いつも早い時間から雪かきをする僕が出てこなくて、家に電話(固定電話)をかけても出ない、2回かけても出ない、何かあったんだろうかそう思って、〇〇さんはぼくの携帯番号を知っている近所の方に連絡をしたということらしい。つまり、ひょっとして僕が家の中で何か(倒れたりしてないか等)心配して連絡したということだった。たまたまテレビを見ていて、(あ、電話鳴ってるな)と気づいたが、受話器を取ると切れてしまったのだった。そういう電話が2回鳴ったが2回とも間に合わなかったのだ。大丈夫!と言って笑いながら受話器を切ったが、一人で暮らすというのはそういうことなのだとも思った。外に出て雪かきを始めた。すでに雪かきをやっていたお向かいさんに挨拶し、お礼も言った。でもこういうつながりがあるのはちょっと安心できるし、ありがたいことだ。
2025.02.07
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またまた雪のこと。もう峠を越したろう、と思って起きだした。あれっ?結構降ってるじゃない、外に出ると親切は20cm、除雪(雪かき)をしていない場所は40㎝を超えている。仕事をしているときは6時くらいから雪かきをして、さっさと朝食を食べ早めに家を出た。よくもまあ、やってたもんだと退職した今はそう思う。朝食を食べ、コーヒーを飲んでから外に出た。ご近所さんはすでに出て雪かき、挨拶をして「よく降ったねえ」「もういいのにねえ」といつもの会話。僕もそうだが、ご近所さんも日に何回も出て雪かき作業をする。同じスノーダンプを使うのだが、ぐっと足で押す力が弱いから少ししかダンプには乗らない。御年88歳!母が亡くなった年齢だが、いたって元気。野菜も作っていて、もらったりあげたりのおしゃべり相手でもある。「すぐえらなる」と休み休みの雪かき作業。日中はかなり融けるが、また今晩も降るのだろうか。また次のピークが週末に、という予報も出ているらしい。今日は車の6か月点検を予約していたが、車庫の前の雪かきに時間がかかりそうだったので1週間延ばしてもらった。
2025.02.06
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意外と積雪は少なかった。朝早く、まだ暗いうちから除雪車が動いているのを布団の中で聞いていた。昨日の夜の降り具合から見て(こりゃあかなり積もってるな)と思いながらその音を聞いていた。トイレのついでに起きた。おそるおそる外を見て、予想に反して前日の積雪の方が多いとすぐに気がついた。家の前で10㎝くらい。昨日雪かきできてない部分で30㎝、これなら除雪作業もすぐできる、そう思って朝ごはん。青空も見えて夕方になるまでにだいぶ融けた。断続的に降りはするが、昼間の雪はそんなに積もらない。明日にはいったん冬型も落ち着くと言っていたから、まずは大丈夫かな。ただ気温は低い。凍結防止で今日も寝る前には水道の水をちょろちょろ出しておくことにする。
2025.02.05
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少し前から「10年に一度の最強寒波がやってくる」という予報が何度も繰り返されている。実際北海道では一気に1mも積もったというところもあるそうだ。朝外を見ると雪景色。朝ご飯を食べてから除雪にかかる。その時は約20㎝。我が家は玄関から車が通る道までが長い。その道の先に小さな川(溝?)が流れていて、そこにスノーダンプに乗せた雪を運ぶ。何往復もやるからかなりの運動にもなる。最初はスノーダンプ1台分の広さの道をつける。次は僕の車庫の前の雪。ここは道の横に深い溝になっていて大量の雪がそこに落とせる。それでも続けてやるとしんどいので、いったん休憩。昼前にもう一度外に出る。お日様が出てきて、道の雪はだいぶ融けた。家の前の道もスノーダンプ2台分の広さにする。午後用があって外に出るが、夕方からまた降り出した。激しい降り方になって来た。この様子で降り続くと、明日の朝は大雪になってるかもしれない。
2025.02.04
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退職後、図書館のスタッフに勧められて科学教室を始めた。いろんな場所でやってきた。東日本大震災のボランティア先でやらせてもらったこともある。幼児・小学生を前にやることが多いが、高齢者を前にやったこともある。でも自分がその高齢者と言われる年齢になって来たし、もうそろそろいいかと思い、一緒にやって来た職員さんにバトンを渡せたらという思いもあり、減らして来た。でも実際にやると楽しいのだ。実験を見つめる子ども達、ビックリする子ども達がとにかく可愛いのだ。保護者が一緒にその場にいることもあり、保護者に意見を求めたり、お手伝いをお願いすることもある。先日の科学教室もそうだった。僕の時間の後、スタッフの方がおもちゃ作りを教えて、そのおもちゃで遊ぶ時間もあった。保護者にも感想用紙を渡した。・実験の途中で子ども達がワクワクしながら見てるのがとても印象的でした。 スムーズにいかない場面やハプニングも実験の醍醐味に感じてもらえるとうれしく思います。・子ども達の「???」の反応や予想外の結果に歓喜する姿をみて、あーいつもの学びもこんな風に楽しく理解がすすむといいなあと思いました。・思わず「おぉー!」「すごい!」と声が出てしまうほど楽しませてもらいました。 身近にある物で実験をすると、分かりやすいですね。こんなに楽しいのであれば学生に戻りたいです。 またの機会を楽しみにしています。こんなのを読むとまたやりたくなる。こうなったらよぼよぼになるまで続けようかな。
2025.02.03
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エンジンをかけると「今日は夫婦の日です」といきなり聞こえてきた。車に乗る時、いつもその日の記念日が音声で聞こえてくる。いつもは「ふーん、そうなんだ」で終わりなんだが、今日はエッとなった。今日は節分。昨日去年の日記を見ていたら、節分の買い物に行ってへとへとになっていると書いている。奥さんのことだ。そうして2月3日の節分の日には午後巻き寿司を3合分作って、知り合いの所にも届けたりしている。僕の母の味であり、奥さんの味でもある。前日そんな日記を見たばかりだったから、ずしんと来た。昨日科学教室で頑張ったし、今日は映画を観に行こう、ご褒美だ、と思って車に乗り込んだのだった。豊劇で見たのは『アイミタガイ』という映画。幾つもの伏線(エピソード)が最後にぐぐぐっと集約されるというか、一つになっていく。できすぎ、そんなんあるわけないと思いながらひきつけられていく。自分のこと、奥さんのこととどうしても重ねてしまい、「泣き虫やなあ」と孫に言われそう・・・奥さんが好きだった「王将ラーメンとギョウザ」を食べ、豊岡駅前の喫茶店でコーヒーとホットケーキを食べた。夕方、奥さんがよく見て笑っていた『笑点』を見て、夜は小さな声で「鬼は外、福は内」と言い豆をまき、買って来た恵方巻をを食べた。
2025.02.02
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1年ぶりの科学教室だ。ギリギリまで腰が重くて、残っていた予備実験を朝やってから会場の公民館に出かけた。10時スタートだったが、参加者は10分前くらいから集まり始めた。みんながそろうまでじっと待ってもらうのは申し訳ないので、用意していたグッズを子どもの前に出して遊んでもらうのが僕のやり方だ。初対面の子どもとの距離が縮まる効用もある。ほぼそろったので始める。今日のテーマは瓶の中の空気を抜くとどうなるか、というもの。いろんなものを瓶の中に入れてその変化をみんなで確かめる。そしてその変化がどうして起きるのかを説明する。そんな流れで約1時間。保護者にも参加してもらった。4~5歳くらいから10歳の4年生くらいの子ども達だから説明は難しいが、目の前の実験を「おもしろい」と思ってくれたらそれでいい。今言葉で説明できなくても、どこかでまた思い起こすことがあればいい。後半は、特に説明の場面では、子ども達の疲れた様子が見えた。やっぱり予備実験はしっかりやっておかなくちゃ。でも子ども達と過ごす時間はやっぱり楽しい!
2025.02.01
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午後4人で集まった。ボランティアつながりでもあり、『1/10 Fukushimaをきいてみる』の上映会をやってきたメンバーでもある。その一人が原則として毎月能登でボランティアに通っていて、1月にも行って来たその報告を聞こうということがメイン。この1月、能登半島地震から1年経ち、また阪神淡路大震災から30年ということで、たくさんの特集が組まれた。それらを一緒に観ようということもあった。能登半島の地図を見ながら、宿泊場所や道路の状況も聞きながら輪島市町野町と能登町での活動内容を聞いたり、参加しているボランティアとの交流の様子も聞いた。僕も利用させてもらった日本航空高校(能登空港の側にある)のボランティアの利用ができなくなったことや連日あったボランティアの活動日が金土日の3日間に限定されて来たこと、社協のボランティアセンターが縮小されたり、閉鎖されようとしている現状についても話してもらった。西本願寺のボランティア活動が«お茶っこ»のような傾聴活動も始めていること、まだまだ需要のあるのが実情だが、社協が引き上げる中民間のNPO団体が住民のニーズに応えようと動いていることも聞いた。3月くらいに行けたらいいなと思っている。
2025.01.31
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また寒くなった。午後、観たかった映画を観に行こうかなと思って、午前中、科学教室の準備を進めていた。リハーサルほどではないが、実験用具や問題の提示の仕方を確認し流れを具体的にイメージしてみた。材料の補充が必要だと気づいたが、まあ明日でも大丈夫だろう、と思いちょっと安心した。12時半頃家を出れば、上映に間に合うと早めの昼を食べた。ふっと外を見た。激しく雪が降っている。午前中も降ってはいたが、断続的で積もるところまではいってない。ただ帰り道や、峠を越える必要があるのでそこが引っかかった。観たかった映画はまだもう少し上映されるし、明日は豊岡で会議も入っている…とまあそんな訳で諦めた。録画してあった番組を観たり、本を読んだり、ノートに書き写したりしてるとすぐに時間が過ぎて行く。1月も残り2日、早い。早すぎる!
2025.01.29
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昨年豊劇で『PAST LIVES』を見た。チラシにあった宣伝文句に惹かれはしたが、まあそんなに期待はしてなかった。でも見終わった時、エンドロールが流れた後ももうちょっと余韻に浸っていたかった。時々会話を交わすようになった支配人さんと、主人公の男女二人と女の夫役の3人の誰に惹かれるか、気になるかについて、少し話した記憶がある。迷わずパンフレットを買った。その映画がレンタル商品としてゲオに置かれていた。じっくり観ようと借りてきた。冒頭の映像は三人がバーで語り合う場面、映画館で観た時には何も分からないまま観ていた。この三人の関係はどうなんだろう、と他の視点で語る場面。 24年間すれ違った運命の相手とNYで再会の7日間、二人の恋のゆくえはーーー。 世界中が共感し絶賛!せつなさが溢れる大人のラブストーリーの最高傑作!このチラシ以上の感動!ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソん。ふたりは互いに恋心を抱きながら離れ離れになる。24歳になりニューヨークとソウルでそれぞれに生きているふたりはオンラインで語り合う。そしてさらに12年後36歳になったノラはすでに他の男アーサーと結婚していた。その彼女に会うためにニューヨークを訪れるヘソン。バーで飲む3人は、この3人。最後がほんとにしびれるのだ。また観たくなるそんな良質の映画の一つ。
2025.01.27
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区の総会があった。年に一回の総会。その前に隣組の集まりがあった。去年受けるはずだった組長を、奥さんの体調のこともあって先送りしていた。その分を今年はやらなきゃと思っていた。ということで、この1年間、隣組の代表として区の会議に出たり、配布物を配ったり、いろんな行事に多少なりとも関わって行かなきゃならない。僕の隣組は、昨年引っ越した家があり、現在10軒(10世帯)。1年が任期なので毎年代わっていく。区長とかの区の役員に選出された場合、組長は免除となるので、次の組長は10年後という訳ではない。それでもそういう役は免除という年齢もあるので、ひょっとしたら最後の組長になるかもしれない。最初の仕事は組長宅での「心経さん」(般若心経をみんなで唱えてこの1年が災禍もなく幸せでありますように、という願いを込める)とその後の新年会の段取り。さっそく料理屋さんに当たってみる、3択くらいの選択肢をあげて、それぞれの希望を聞く。その上で決めていく。去年から隣組のラインを作ってやりとりしてるから便利だ。区の、隣組の1年がスタートした。
2025.01.26
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二度のアラームを止めて、もう少しだけと思って寝たのが良くなかった。まず7時を越えて起きることはないのだが、今日は8時前になっていた。気ままな暮らし、何時に起きなきゃということはないのだが、自分なりの生活のリズムがあるので、何となく嫌な感じがする。来週は久しぶりの科学教室もあるし、その準備やリハーサルをしなきゃいけないのだが、なかなか腰が上がらない。それでも図書室に行って担当の方と段取りを打ち合わせたり準備物を確かめたりもしている。本や新聞を読んだり、テレビを見たり聴き逃し配信のラジオを聞いたり、そして食事や軽い筋トレなんかもするコタツのある居間、その居間がいろんなものを置くからすぐに雑然としてしまう。少し整理してから科学教室の準備をしようと取りかかったのだが、溜まった新聞に目を通し、切り抜いたり川柳や俳句を書き写したりしていたらあっという間に一日が過ぎてしまう。明日は年に一度の区の総会がある。午後は別の予定も入っているが、その後で今度こそやろう。もう時間がない。
2025.01.25
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16日は教育実習をしたとき出会った子と三宮付近を歩いた。お昼もその子が勧めてくれたタイ料理(多分)を食べた。生田神社の近くのホテルに入って、JAZZの生演奏をやっている店で贅沢な時間を過ごした。ただ昼以上ににぎやかな夜の三宮界隈は歩くだけで落ち着かず疲れた。翌日は三宮から灘まで歩いた。電車でひと駅なら大したことないだろうと思ったが、かなり時間がかかったし、歩くのも疲れた。風が冷たいのにも閉口した。三宮付近の賑わいはなく、JRの高架下を歩いたのだが、僕にはこれくらいがちょうどいい。長田の以前の賑わいが消えたという話はよく聞くが、逆に三宮のあの賑わいが復興の証しだと言われるとそうなのか ⁈と首をかしげてしまう。どんだけの電気を使い原発の再稼働を助長するような「復興」って、どうなんだとぼそぼそとではあっても言いたくなる。トランプさんが新大統領になり「(石油石炭を)掘って掘って掘りまくれ」と地球環境なんて知るものか、というような政策を出している。世界はどこに向かおうとしているのか、何ができるのか。いつもここでストップしてしまう。もう少し前に進みたい!
2025.01.24
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昨日の夜はなかなか眠れなかった。11時を回っていて、いつもならすぐに寝入ってしまうのだが、昨日はなかなか寝つけなかった。足が冷たくて、すぐ暖かくなってくるのだがm何故か昨日は冷たいままで、何度も寝返りを打った。トイレに行ったついでに、コタツに入り体を温めてようやく眠ることができた。それでも同じ時間に起きて朝ご飯も食べたんだが、やたらと眠くなり横になったら1時間くらいぐっすり眠ってしまった。ようやく元気になって来た。足許に電気こたつを置いたり毛布や布団をかけて寝ていた寒がりの奥さんだったが、僕は毛布はなく布団1枚で十分だったから、あれっと思った。体質が変わった?歳のせい?運動不足?とまあいろいろ思うが、昨日1日だけで何とも言えないだろう。震災関連の番組をやっとほぼ見終えた。これも録画してある「100分de名著」のシリーズを見た。まず『安克昌«心の傷を癒すということ»』の第1回。もう一つは2020年に放送されたドラマ『心の傷を癒すということ』が再放送されて録画している。柄本佑さんが主人公を演じて、ものすごく心に残ったドラマ。これも見て行く。
2025.01.23
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暖かい日が続いている。昨日に続き、畑に出てタマネギの追肥を行った。中腰での作業なのですぐに腰が痛くなる。以前なら一度にやってしまう所を、2回に分けた。今日は少なめだったから、ついでに雪のなくなったハクサイにも葉っぱの下に肥料を蒔いた。18日は奥さん、19日は父、23日は母のそれぞれ月命日に当たる。その日には般若心経を2回唱える。祖父の月命日は10日、祖母は若くして亡くなったから僕は祖母を知らずに育った。仏壇の上の段には、一日ごとにめくる「過去帳?」があり、その日に亡くなった人の戒名が書いてある。戒名と年齢、そして関係を表す説明が書いてある。 ※「○○の妻」「○○の子」「○○の父」等父と母を除くと80才を越えて生きた人はいない。祖父は妻(祖母)を若くして亡くしているし、妻との間に生まれた子ども達も幼い時に亡くしている。結局僕の父とその弟だけが生き残り、母が父と結婚するまで男3人の暮らしを続けていた。いつだったか、祖父に再婚の話もあったが子どもが好き過ぎてで結婚しなかった、と近所の人が話してくれたことがある。分かるような気もするがよくは分からない。父たち兄弟が大事に育てられたんだということだけは分かる。僕の子ども達、孫たちにこういう我が家の歴史は理解されるだろうか。まずは知るところからしか始まらない。知った所で時代の空気感までは及ばない気がするし難しい気がする。僕自身が祖父や父の生きた時代を具体的な生活に即して理解しようとしなくちゃなと思う。
2025.01.21
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あったかくて一気に雪が融けた。この分ならできそうだと、畑に出てタマネギの畝の雑草取り。今はまだ少ししか伸びてないが、放っておくと勢いよく伸びてタマネギが負けてしまう。小一時間でできた。明日も天気は良さそうだ、追肥を施そう。せっかくだからニンニクやハクサイにも追肥作業といくか。昨日は奥さんの10回目の月命日。一周忌まで2ヶ月を切った。あ、そうだと思いついて昨日はキュウリもみを作った。奥さんの最後の食事となったキュウリもみを作って供えた。手を合わせた。そう言えば、この時期常に痛みはあったようだ。日記を見ると1年前の1月18日「今朝も吐いた」と書いている。「えらい、痛い、もうええわ」と珍しく弱音を吐く奥さんの言葉も拾っている。書きとめているが受けとめきれてなかったろうと思う。どう返せばよかったのか、どう振る舞えば少しは楽になったのか。ゴメンとしか言えない。ゴメン。
2025.01.19
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16日17日と神戸に行ってきた。30年目の1.17を現地で迎える、というのは「死ぬまでにやりたい100のこと」の一つ。1月17日午前5時36分、僕は東遊園地で迎えた。5時頃、生田神社の近くのホテルを出て、会場に着いたのは5時15分頃だろうか、すでにたくさんの参加者でいっぱいだった。間を縫うように竹筒の前まで行き、まだ点いていなかったろうそくに火を灯した。「愛」「あなたへ」「忘れない」「想う」「命」「明日へ」「前へ」等の文字がろうそくの温かい炎に浮かびあがっていた。この日までにたくさんの特集番組が組まれていて、できるだけ観るように死していた。たくさん録画して帰ってからも観た。能登半島地震から1年でもあったので、能登関連の番組も多かった。震災を記憶し続けていることの意味を問う番組もあった。書き手の一人である方の言葉。 続けることに意味がある。 続けてきたからこそ見える景色がある。 継続という柔らかい事実そのものが、 今の私を支えているのかも知れない。僕にはずしんとくる言葉!
2025.01.18
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明後日は阪神淡路大震災から30年目の「1.17」。5時46分のその時間を東遊園地で過ごそうと思う。その日に神戸に行ったことはあっても、その時間に行くのは初めて。震災の年に生まれた孫は昨年父親に連れて行ってもらい、東遊園地で手を合わせた。様々な番組が放送され、できるだけ見ようとしている。今日は2016年に放送された『震度7 何が生死を分けたのか~埋もれたデータ 21年目の真実』というNHKの番組を見た。亡くなった人が何時に亡くなったのかの医師の所見をもとにデータ化し、火事や交通渋滞の要素も入れて可視化したもの。ものすごくよく分かった。助かったかもしれない命があったはずだ、と教訓を示している。1 窒息死を防ぐ住宅の耐震化2 通電火災への備え3 救助を拒む渋滞への対策こういう対策が提示されていながら、でも能登地震に見られるように現実は厳しい。南海トラフで同じ轍を踏まないように、被害を拡大させないようにやらないと。
2025.01.15
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家の周りにまだ雪は残っているが、だいぶ融けた。昨日も『転校生』を見た。ダブルキャストも少しあるが、ほぼ同じ出演者で11日~13日の三連休に計6回の公演。現役の若い高校生とはいえ疲れることだろう。昨日は以前担任した子が、丹後に帰って来て家にいることが多いので、外に連れ出したくて声をかけたら応じてくれた。一緒に観て昼ご飯を食べて、先月亡くなったお父さんに線香をあげて帰って来た。舞台は中央で教室の設定、椅子が置かれてチャイムによって場面や時間経過が示される。僕は3回目の昨日、入って左側の席を選んだ。1回目2回目は右側の席。朝のホームルームは別として、授業の合間の教室だからあちこちでおしゃべりが始まって、まさにそうだろうなあと思いながら、それでも中心になる話にはみんなが向き合って話は進んで行く。右側の客席にいると、左側の客席近くでやりとりしている生徒たちの台詞が届きにくい。最後、何故か転校してきた生徒と転校するかもしれない生徒の2人の静かなやりとりが圧巻なのだが、自分の椅子を撫でる手の動きが心の震えを表しているようではっとした。3回目だから飽きるかもと思ったが、全くそんなことはなかった。自分が読む本の締め切りがその日ということで生徒たちが黒板に作者名と書名を書いていくのもステキだったし、まだ読んでない本もあったし読んでみたいとも思った。ある日、目が醒めると虫になっていたというカフカの『変身』と虎になってしまう中島敦の『山月記』は、ある日目が覚めるとこの学校の生徒になっていたというこの『転校生』の設定とも相まって、まずそれらを読んでみたい。読んだことはあるが、はるか昔のことだ。本棚を探してみよう。
2025.01.14
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昨日今日と『転校生』(作・演出:平田オリザ)を観た。AチームとBチームでこの三連休2回ずつの計6回の公演だ。AB二つのチームとはいえ、22人中、20人は6回とも出演、大変だ。約1時間の舞台。昨年1月に『転校生』を観て、9月の豊岡演劇祭オープニングでもこの舞台を観て、そして今回。昨年あった何人かの名前はない。 ※家に帰って1年前に配られた資料と比べてみた。それでも見覚えのある顔はいくつかあって、当然のことながらこの1年の成長を見るようで嬉しくなる。声がよく通るようになり、それぞれにしゃべりだす教室風景もさらににぎやかだ。確かに高校の教室ってこうだよなあ、と思う。そんな会話が飛び交う中、ドラマが進んでいくのだからすごい。どんな指示をだしてるんだろうか。ある日突然転校してきた生徒と、近いうちに転校してしまうだろう生徒の最後の静かなセリフのやりとりがいつも胸を打つ。明日も行く。明日は知り合いが行きたいというので連れていく。三日連続で同じ作品『転校生』を観ることになるとは思わなかったが、でも観たい気はある。全く飽きない。いつだったか「転校生』の台本も買った。パラっとは見たが、そのままだった。少しは読んでみようか。
2025.01.12
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昨晩11時半になろうとする頃、防災無線の放送が流れた。「当地域に 大雪 警報が出ました」午前3時? 4時頃?だろうか、除雪車が作業している音が聞こえてきた。朝、外を見ると確かにたくさんの雪が降っていた。外に出ると昨日降った雪が20㎝、朝までにさらに20㎝積もっていた。雪かきをしていない場所は、だから40㎝の積雪となっていた。午前中1時間、午後1時間半雪かきをした。この日は雪も峠を越したようでそんなに降らなかったし、道路の雪も融けていった。ただ雪かきをする範囲が広くて、一度にやれない。小屋の屋根に使ってあるトタンの雪がドサッと落ちて来て、あの下にいたらとぞっとする。昨日は「楽しい」が前面に出たが、今日は腰にきて疲れも出てしんどい時間帯もあった。でもスノーダンプで何回も雪を運び道が黒々してくるのを見るのはやっぱり嬉しいし楽しい。いつまでできるかな、とふっと思うこともある。
2025.01.10
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今朝も昨日くらいの積雪、これなら放っておいても自然と融けるだろうと考えていた。昼前、買い物に出る前くらいから降り方が激しくなってきた。買い物に行ってる間にフロントガラスが雪に覆われ見えなくなっていた。明らかにこれまでとは違った降り方をしている。3時過ぎ、スノーダンプやスコップを出し、カッパを着て雪かきを始めた。今シーズン初めての雪かきだ。積雪は15cm弱くらい。道の側の小さな溝に落とす。玄関の方に向かって何度も往復する。車庫の前の雪は側に深い溝があるので大量の雪を落とすことができる。上はカッパを着てるが、下はジャージのまま。でも全然寒くはない。ホカホカしてくる。よく畑談義をする近所の方も出て来られた。正月に来てた子や孫の話をお互いしながらの雪かきだ。あまり積雪が多いと疲れるが、この程度なら適度な運動にもなり、楽しい。もう少し降っても対応できそうだ。
2025.01.09
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玄関の向こうに、道を隔てて隣の家の赤い瓦が見えるのだが、そこが白くなっていた。朝起きて洗顔に行こうと何気なく玄関の方を見たのだった。強い寒波が来てるとは聞いてたがこれまでも何度か外れていたので、どうせ今回も降らないだろうと高をくくっていた。この冬初めての積雪らしい積雪。でもたかだか2~3㎝くらいだろうか、除雪の必要は全くない。ただ寒い。ひどく寒い。その後雪は断続的に降り続いてはいたが、車が通る道路に雪はない。午前中出かける用があったが、家でやることもいろいろあったのでそれに集中した。気象庁が雪に関する注意喚起を行った。明日はさらに寒気が強まるという。勤務しなくていい我が身の気楽さよ、明日の朝が心配でもあり楽しみでもある。
2025.01.08
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父が亡くなった時「相続登記」が必要だと聞いていた。司法書士さんに頼まなくても、法務局で聞いて必要な書類を作れば大丈夫、とも聞いていたのそのうちにそのうちにと先延ばししていたら、奥さんが亡くなり、今度こそと実際に法務局に出向き必要な書類も渡してもらった。正月、父や母が暮らしていた建物(隠居)を解体しないと、という話が出た。父の三回忌が終わったら、と当初は言っていたが、中を片づけるどころか荷物を増やしてるような状態。子ども達からもやんわり促された。ということもあって、まずはと相続登記を自分でやった近所の人を訪ねた。世間話もいろいろやりながら書き上げた書類も見せてもらった。そうして午後は税務課に行き、固定資産税の対象となっている家屋や土地を確認してきた。大の苦手な書類づくりだが、こうなりゃやって行かなきゃ。
2025.01.07
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大学の頃の友人と話した。昨年末もかなりに時間話したが、2月に大阪で会うことを約束していた。ただ、来週僕は神戸に行く。30年目の「1.17」を迎えるその日、神戸に居たかった。朝が早いので前日神戸に入り、東遊園地かどこかで祈りたいと思ってホテルを予約した。16日、大阪で彼に会ってから神戸に移動すればいいと思っていた。その旨伝えたのだが、残念ながら彼もいろいろ事情を抱えていて、無理はせんとこう、暖かくなってから会おうと2月の予定はキャンセル、会うのは3月以降にすることになった。「1.17を神戸で迎える」というのは「やってみたい100のこと」の一つだ。年々規模が小さくなり、僕も少し関わった竹筒を送る取組も途切れた。でも早朝のあの時間にそこにいたいと思う。長田区にも足を延ばしたい。息子が生まれたときの冬、雪の中を職場に会いに来てくれた人が神戸に住んでることを最近知った。その人とも会おうと連絡した。翌日から神戸を離れるらしく、大学時代の友人とは話せなくなったが、その人と積もる話がいっぱいできそうだ。
2025.01.06
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豊劇でチラシを見て行こうと思っていた。昨年12月だったか、この映画のことについての記事が出た。企画・プロデュースが俳優の齊藤工さん。東京の児童養護施設の日常を丁寧に追った作品。豊劇の上映スケジュールにはこんな文字が。 『大きな家』先行上映+監督舞台挨拶『モアナと伝説の海2』も上映中で、しかも日曜日だしだだでさえ狭い駐車場に停められるか心配だったが案の定、満車!仕方なく少し離れた駐車場に置いて、歩いて豊劇に向かった。ドアを開けてびっくり、券を求める人が並んでいる。『モアナ』がお目当てかと思ったら、違った。この『大きな家』のチケットを求める人の列だった。大ホールでの上映だったが、ほぼ満席。豊劇には何度も来ているが、こんなにいっぱいの観客は2回目だ。前は地元出身の方が主人公を演じている映画だというので、その地元から大勢の人が来ておられた。その時以来の大勢の観客だ。ホールに入るとすぐに映画が始まった。僕は丹後で数年間続いた「ふくしま・子どもキャンプ」に参加していたが、その時来ていたのだが児童養護施設の子ども達だった。少しは知っていて様々なエピソードが浮かんでくるが、カメラは様々な年代の子どもの言葉や様子を拾い、そこに生きる子ども達や彼らと共に過ごす職員の日常を映し出していた。キャンプに来ていた子ども達の施設に行ったこともあるが、その具体的な生活をこの映画でリアルに想像できた。とても良かった。何よりも一人一人の人生が、キャンプの後も、この映画の後も続いていくんだと改めて思った。今日一日だけの上映だったが、多くの人に観て欲しい映画だ。
2025.01.05
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新聞を読む。俳句や川柳をノートに書き写す。水やお茶、ご飯を供え、ろうそくに火をつけ線香をあげる。般若心経を唱える。朝食。コーヒー。ちょっとした運動(軽い筋トレ)。ピアノ練習。(まず一曲弾けるように)録画したドラマやドキュメンタリーを見る。洗濯。昼食は残り物で軽く済ます。今日は雨の時間帯が多い。読書。あれこれの片づけ。聴き逃し配信でドラマや音楽、トーク番組等を聞く。年末のFMシアター『冬の曳航』という年末に放送された重厚な作品。2017年の初回放送で朝ドラ『舞いあがれ』の桑原亮子さんの脚本。あっというまに暗くなる。今日は一歩も外に出ていない。寝る前に日記を書く。2023年から2025年までの三年日記。書いてない日も多いが、年の初めはしっかり書いている。奥さんの体調のことも書いている。あんまり良くなかったのに、我が家で「上映会」をやっていた。ゴメン、と後悔後に立たずだが思い出す。
2025.01.04
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正月の朝はみんなで般若心経を唱え、みんなで家族写真を撮る。写真はともかく、父の主導のもと「2礼2拍1礼」をして般若心経を唱えるのが我が家の正月初めの「儀式」だった。いろんな権威・形式に反発しだした頃から、なんでこんなことを…と不満たらたらだったように思うが、いつの頃からか、新しい年を迎えるにあたって大事なコト、大事な時間だと思うようになった。家族写真はいつ頃から撮るようになったのか、これもはっきりしないが続いている。母が亡くなり父が亡くなりそして昨年は奥さんも亡くなった。それでも子どもが結婚したり、孫が生まれたりして家族の構成も大きく変わって来た。今年も家族写真を撮った。奥さんは亡くなったが、新しい家族が増えた。2枚撮った。「うん、なかなかいい写真!」と思っていたが、息子がテレビにつないで大きくして見ていたら、何と最初に撮った1枚に奥さんが映っていたのだ。長男たちの間があいていてそこにちゃんと計算したように奥さんの写真が写っていたのだ。何だか嬉しくなって何回も周りに言ってしまった。「さっき言ってたやん」とあきれられたりもしながら。
2025.01.03
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新しい年だ。子どもたち・孫たちが帰って来てにぎやかだ。ころころ変わる天気ではあるが、それでも雪はなく晴れ間も覗く穏やかな年明けとなった。孫たちの成長にはほんとにびっくりする。少し前はふらふらしながら危なっかしい歩き方を見せていた孫は、もうしっかり歩いているし言葉も出始めている。その分、主張も出てきてお兄ちゃんとおもちゃの取り合いで泣いてしまい、お兄ちゃんまで泣くこともある。親も大変だ。なだめたりすかしたりして、時には抱っこして一人を別の場所に連れて行ったしする。それが食事中ともなると大変だ。なかなかゆっくり食べられない。両親が交代で食事をとり仔ともたびたびだ。もうすっかり忘れてしまってるが、僕らの子育てもそうだったんだろうか。中学生の孫はゲームの話で5歳の孫と意気投合、一緒に楽しんでいる。女子たちのトークも楽しそうだ。長男たちは昨日来て、今日の午後には帰って行った。娘は明後日の朝、次男たちは明後日午後帰る予定。
2025.01.01
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昨日、2回目の忘年会があった。食べたり飲んだりする前に話を聞こう、ということで3~4月以降毎月能登でボランティアを続けてる人の話を聞いた。そのうち2回は一緒に行ったので、ところどころ僕も口をはさんだりして集まった方に聞いてもらった。気心の知れた人ばかりなので、思いつくままに話したり意見を出し合ったりして進めて行った。最初行った時と、12月に行った時の違いや或いは変わらなさについても話してもらった。丹後で大きな地震が起こった場合、能登と同じような道路の寸断や避難生活の困難さもついて回る。志賀原発の避難計画にある、避難所自体が壊れて使えなかったり避難路が通れなかったりした話も出した。1時間くらい話してから、おいしい鍋をつつき、飲み物も飲み始めた。飲める人が限られていたがおしゃべりは次々に、あちこちに飛びながら盛り上がった。僕は11時くらいに帰った。帰る前、「3.11の集い」をどうするかについても話した。例年、「3.11」に近い土日をその日にしていたが奥さんの1周忌がある。「もう(無くても)いいと違う?」という声もあったが集いの日は「3.11」からずれても、やっぱり忘れないことは大事だし中身は煮つめていくとして、やっぱりやろうよと能登に通う仲間に言われた。そうだよなあ。
2024.12.29
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ラジオで短いドラマをやっていた。その日で閉館するという映画館の話。スクリーンから客席を見ていたという役者たちが出てくる。その中に時代劇のスターもいた。それで思い出したのは子ども時代に、村の公民館の2階の広間で映画会が催されたこと。隣村でもやっていて、フィルムの入っていたブリキの容れ物を終わったら持って行く、持ってきてもらうというようなやり方だったように思う。時代劇が上映されることが多かったのだが、約束事がある。悪者に対して主人公のような正義の人(悪者ワルモンに対してエエモン)がいて、数々の非道に対して最後、エエモンが登場、悪を成敗してめでたしめでたしとなるのだ。とりわけ鮮明に覚えているのは、多勢に無勢、エエモンが圧倒的に不利な状況を、応援のエエモンが馬かなんかで駆けつける。次第に追い詰められていく場面と馬に乗って必死に駆ける場面を交互に繰り返しながら映画はクライマックスを迎える。観客の僕らは馬に乗るエエモンが大写しになる場面になると「おおっ」と声をあげ手を打ち鳴らし「早くー」「いそげー」と実際に声をあげたかどうかは定かではないが、少なくとも手に汗を握ってエエモンを応援していた。娯楽の少なかった時代の、懐かしい一コマだ。ちょっと笑えるけど、ほのぼのとしたいい時間だったような・・・
2024.12.26
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今日を入れ今年も残り1週間となった。今日の朝は冷えた。奥さんは寒がりだった。部厚い毛布をかけあったかいシーツを敷いてシャツの上にパジャマを着込んで、さらに電気炬燵を足元に置くという徹底ぶり。僕は代謝がいいのか、布団に入るとすぐあったかくなる。だから今ぐらいの寒さなら、シャツなしでパジャマだけで十分だし、毛布も必要ない。最初布団に入る時は冷たく感じるが、しばらくするとポカポカしてきて眠れる。朝なんか暑いとは言わないがコタツの中にいるようなあたたかさだ。この週末また寒波がやってくると言うが、どうだろうか。少しぐらいの雪景色を期待しているのだが、これまではまるで積もらない。冬タイヤに換えては居るが無くても大丈夫な状態だ。今日は峠を越えて隣の豊岡まで行ったが、全く心配なかった。週末から子ども達が三々五々帰ってくる。なかなか掃除が進まない。もう日がない。
2024.12.25
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クリスマスイブ。去年は午後ケーキ屋さんを歩いたら、予約でしか応じてなかった店が多かった。そうでないところはショートケーキも売り切れてしまっていた。クリスマスにケーキは外せないでしょ、という奥さんの「圧」を感じて探し回った。残念ながら行った時刻が遅かったせいもあるが、いわゆるケーキ屋さんでは手に入らなかった。ひょっとしたらコンビニになら、と思ったら最後の二つが残っていた。そうやって二人でケーキを食べた。今年は去年のように買いそびれないように、午前中買い物を済ませた。ケーキ屋さんでショートケーキを二つ買った。テーブルに写真を置いて、ケーキを並べ、コーヒーも二杯入れて食べることにする。寂しくはないが、いろんな場面で思い出すことはたくさんある。
2024.12.24
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