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「生き残ったには理由があるんです」私はこの言葉がずっと嫌いだった。理由はこう。生き残ったのに理由があるというのなら裏返すと、死んだ人にも相応の理由があると言ってるようにも聞こえてしまうので両刃の剣的な言葉だなぁと感じてしまうから。生き残った理由ってのは、生き残った人が努力して生きるために見つけるものだし最初からあるもんではない。「生き残ったには理由があるんです」という言葉は神が生き残らせた理由があるとかそういう特別な意味を感じされるようなところも嫌いな理由のひとつ。私的には生き残った人も死んだ人も生き残った理由や死んだ理由が特にあるわけではなくてそれに意味を付けたい人がつけるだけ、冷静に考えるとそう思う。「生き残った意味があるはず」と生きていくパワーにするのは積極的で元気になれる絶望にいるときは一筋の未来への光のような言葉に聞こえるとかもある意味は否定はしない。それは実際は生き残った人に限らず生きていく意味を考えることなんだけど生き残った人には「生きていく意味」より「生き残った意味」という言葉が心に響くとかも実際あるのだろう。昨晩の「今夜もさだまさし」でさださんの話してる「生き残った理由がある」は素直に聞けた。こういう話を聞くときにひっかかりを感じるかどうかは言葉の使い方とか小手先の問題などではなく、言う人の深さや言い方次第なんだなと思った。言われてこれで元気をもらう人が確かにいるのは確か。相手がこの言葉を受け止められるならばそれはそれで生き残った理由を探すためにでもとりあえずを生きていこうと思うことから何かが始まることもある。「生き残ったには理由があるんです」この言葉は言う人によって浅かったり表面的に聞こえたり難しい言葉。浅い感じがしてしまうと「死んだ人には死んだ理由があったとでもというのか」とか思うこともある・・・。
2011/09/18
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つけっ放してたTVの番組でいきなりある言葉が心に飛び込んできた。「震災は不運だったけど 不運に負けたら不幸になる」いい言葉だなと思った。震災でもなんでも不運で不幸になるかそうでないかは自分次第。不運を言い訳にして不運に流されて不運にあったからしょうがないと不幸にどっぷり浸るようなそんな生き方はやだ。年寄りが言う「そういう時代だったのよ」という言葉は嫌い。流されることに甘んじた結果の不幸を時代のせいにして自分の現状を納得したい・・・とそんな風に聞こえることが少なくない。同じ時代でも大変さを覚悟で自分の生き方をした人だってたくさんいるよと、あなたはそこで流されることを選んだから今その先にある人生を生きてるのじゃない・・と、のど元まで出そうになった言葉をあまりにも失礼かなと何度か呑み込んだことがある。そんな負け犬みたいな言葉は近しい人からは聞きたくないものだ。p.s.映画タイタニックのヒロイン「ローズ」をふと思い出した。あぁ‥LD買ったのに1度しか見ないで時代はDVDへ移行してしまった・・・。
2011/08/04
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先週の久米島ドライブで見つけた壁書き言葉遊びのようだけど読むほどに深いかもと感じ後でじっくり考えようとシャッターを切った。今自分は上も下もあまり他は興味ない感じ。よくも悪くも今に満足しているというか。でも昨晩はソマリアの餓死の広がりをテレビごしに見ながら今の生活に満足して生きてる場合じゃないと思った。320万人が餓死の危機どういう助けの方法が未来につながるのだろうか。
2011/07/22
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久しぶりにユーミンを聞いていて高校の時に何度かデートに誘ってくれた人のことを思い出した。何気に大学名と名字で検索してみたら当時の言葉どおりの専門医になっていて後進育成の教本が出版されたりしていた。読者の書評で「症例報告用・・・いたれり尽くせりよ」という記載を見つけて、読んでもない本なのに読む人にやさしい本なのが想像できてなんだかちょっと嬉しくなった。彼は友達が自殺したことで精神医になろうと決めて行っていた大学をやめて医大に入りなおしたという話をしていた。当時、彼の進路の話を聞いたときはその大変さや価値も意思力や心の強さもぜんぜん分かってなかった・・・。今思うと彼は大人で紳士的でとても素敵な人で私は彼のよさが分からない子供だった。ていうか・・彼が私に惹かれた部分は当時の私にとって当たり前にもっていた部分で、自分が努力し人から評価されたいと思っていた部分とは違っていて今思うとどちらも価値なんだろうけれど・・・。生きる道を大きく変える決断と実践で人生を進めている生きた足跡を少し垣間見ただけだけど、昨日はかなり脳みそがショックを受けた。私は何をしていたのだろう。30才以降自己陶酔できるような仕事してないというかそういうの目指すこと横に置いて幸せに流されてそういう意味では仕事人生は漂流ぎみ。なんだか打ちのめされたような気がした。25年経って今頃こんなにいろんなことを考え感じさせてくれるとはなんだかとっても不思議な気持ち。さあ、私ももうちょっと自分の人生頑張ろう。
2011/07/20
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今の子ども手当はただのばらまき。もったいない。同じばらまくのでも考えようなのに。たとえば子供の才能に対する補助を目的とする子ども手当にする。水泳でもバレーでも英会話教室でもピアノでも子供がやりたいと思って習い事をするときに今の子ども手当の額までは国が補助するとか。将来の日本の税収を大きく担うような才能がどんどん育つ。これなら反対する人も少ないだろう。同じ子ども手当として渡すにしてもやりようで本当はもっと生かしようがある予算にできるのにそういうことさえ考えようとしないでただばらまいてるような今現在のばらまき以上のなにものでもない子ども手当ならさっさとやめたが国のため。
2011/06/15
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輸出品の放射能検査証を求めることが批判されてたりするけど見方次第ではそんな悪いことではないのにと思う。心配だから輸入はしませんよとされるよりずっと良心的かもしれない。大丈夫という目に見える保証証明がついているなら問題ないってちゃんと検査してあるし消費者に安全ですよと言って売れる。日本が発行する保証書でいいってのだからある意味ユルイとさえも思える。これでOKってのは暖かい、やるべきことを消費者に対して最低限やってるとそう思えないでもない。他国の販売者がそう思って検査証明を求める気持ちを被災国に対する風評だとか非人道的でひどい差別的な扱いだとかと批判するってのはそれも相手のことを考えずに敵ではない相手を敵にまわしてしまう言動になりかねないようにも思う。
2011/06/15
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学校の放射能基準が「20ミリシーベルト」とされたことで日本では珍しく文部省の前でデモが行われた。デモのあと、「1ミリシーベルト努力」という大方針転換が発表された。デモで何かが確かに動いた!?日本をもっとよく変えられる可能性を感じさせてくれる出来事だった。政治家変えて政治主導といっても政治家は専門家ではないから官僚にごまかされていいように使われるだけ。ほとんどの人がどうにかしろよと思ってる年金問題や高齢者の年齢に合わせた超高い健康保険料の問題とか。日本の政治ってどうしたら変わるのかほとんどの人がおかしいと思ってることでさえ政治家を変えてもどうしょうもなくて変わらないなんてと無力感を感じていたのは日本に直接民主主義が足りなかったからなのかも。政治家に任せたら変わると依存で思いすぎでさらには選んだらあとはその行動力を傍から批評してるだけだったから変わらなかったのだと。日本人は近代、与えられた幸せで生きてきた感があり主張や行動で何かを勝ち取らなくては変わらないという意識が低いのだろう。今後日本が変われる可能性はここにありというのが見えたようなデモだった。政治家まかせではなく国民が本気で怒って行動すること。これなくして国は変われないんだという気がした。皆がおかしいと思うだけでおかしいことが公になりながらも何も変わらないという状態はきっと変えられるのじゃないかなと久しぶりに明るい気持ちになった。
2011/06/15
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そいえばこういう本が昔でてちょっと興味持ったかなということを思い出した。菅総理は自分のために最高にこれを生かして総理の座にいれてるのかも。【中古】afb【古本】鈍感力/渡辺淳一※菅総理がこの本をもってるという意味ではありません全てに敏感な人もすべてに鈍感な人もいない。人それぞれに違う鈍感力があったりして鈍感だからやってられるとかあったりして鈍感ってある意味大事なのかも。
2011/06/15
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原発事故の1か月後くらいのころに毒入りリンゴを白雪姫にすすめる魔女の海外の風刺漫画が批判されていて根拠のない風評を広げる心無い記事だと騒ぎになった。心無いこととの批判がおき、日本領事館が抗議し謝罪記事を出して終わった。だけど今となっては、日本政府の面々の(放射能は確かに通常から考えられない数値だけどところどころ検査してるからだいたい基準値以下になってると思うよ。)くらいの前提で「とってもおいしいよ。みなさん支援だと思って積極的に食べて下さい。」いうあちこちでの連呼してるけど、その姿はまさにあの風刺画の魔女と重なるときがある。ほんとはここまでしっかり確認チェックする体制を政治的に講じたから本当に安心だから安心してくださいというのが政治家の仕事なはずなのにそのあたりは欠落気味。放射能汚染されていても味が変わるわけではないからもともとおいしいものはきっとおいしいだろうになんか論点すり替えてるなと感じてしまう。狂牛病の騒ぎの時もそうだった。農水大臣が「おいしいおいしいみなさん食べましょう」という形で安全をアピール。狂牛病の肉だっておいしい肉はおいしいだろうに安全のシステムを徹底的に構築した安心宣伝ならともかくも「おいしいおいしい」とおいしいから大丈夫農水大臣もおいしいって食べてるから大丈夫と食べてみせるのがメインというこういう宣伝が本当に有効なんだろうかありえないと思ったが・・・もしかするとこういう感情に訴える手法って日本では特に有効なのかもしれない・・・。毒入りリンゴを含みのある表情ですすめるあの風刺漫画は当時日本人を傷つける心無い記事という批判を受けたが今となってはそう見られても仕方のないような局面が後から後からでてきてるような。あまりにもそういう状態が見受けられるのであの記事に日本からの続編が目に浮かぶ。震災で苦しんでる日本人を傷つけるひどい記事だと叫ぶ政府、しかし本音で(これからやろうとしてることをばらしやがってとんでもないな)って落ち。あの風刺画は悲しいかな、ある意味ではリアルな風刺漫画なのかも。魔女が菅総理の顔をしてたなら反応がもう少し違ったかもとも思ったりする。政府の原発賠償を減らす努力の方向性が間違ってると下手すると生きるために誰もがすぐに影響ないなら背に腹は変えられないしある程度のすぐに死なない程度ならと毒入りリンゴをすすめるようになってしまう。あの漫画にひそかな続編が作られるなら仮面の下は優しい素顔の魔法使いが、できちゃた毒入りリンゴをもってうようよ発生・・・。優しい白雪姫はすべて分かっていてそれでも買ってあげる。そんな国にしないでくれ。しかし・・・基準値ではないから大丈夫だということで積極的に農産物を買う一部の動きでは生産者がなんとか助かってるように見えるけれど汚染された土壌で再生産を行い続け放射能の危険にさらされ続けながら健康被害者をさらに作り出すことにならないとよいが・・・とも思えるほど汚染はかなりやばい状況の数値があちこちででてる。農産物生産者が消費者と自分の健康を少し犠牲にしてでもなんとか今の生活を維持してくれたら生産者としての賠償対象から減らせるぞとほくそ笑む政府官僚が善意を利用して人助けのふりしてそろばん勘定してないか・・。
2011/06/14
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生産者に広がる不安。数値が出たら出荷停止や売れ行き不振で困るからできるなら検査しないでくれとた方が助かるという気持ち。大丈夫なのに規制するなという過去にない生き残りのための生産者からの圧力。生き残りのための産地偽装だってやりたくなるだろう。あれとこれ、天秤にかけて判断するとそうなるんだろうという気持ちは分からないではないけれど、でもなんだかおかしい・・。賠償金がスムーズに支払われて将来にも不安がない仕組みを国が提示できたら生産者の行動も判断ももっと違うものになっていたかもと思ったりもする。賠償金支払について政治対応の遅れというか決めてすすめることができない状態はあまりにもどうしょうもない経過報告を聞いているととにかく生産者はとにかく自分を守らなきゃと思うしかなくなる。払ってもらえるかどうかわからない、支払われるにしてもいつになるかわからないそれまでどうなるんだその先も保証なんてないだろうという不安ってとてつもなく大きい不安。多少の放射能汚染を我慢して買ってもらえるならそうしてほしいと生産者が思わざるをえないような政府の対応状態。賠償金の支払いは遅くて不安にさせるほどに放射能汚染の食品は浸透していき賠償支払金額は少なくなることを狙った政策なのかと思うほどに政府の対応はうだうだうだうだ。賠償金支払い遅延でひたひたと広がる汚染。把握さえされない状態で汚染食品の蔓延していき、見えない汚染拡大予感。海外消費者の日本商品の買い控え拡大しそう。政策対応の遅れで風評でなく実害が拡大再生産してる。
2011/06/14
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おばさん年齢が進むにしたがって以前とは意外なほどのおばさんへのイメージの違いを感じる。昔の記憶でテレビ俳優や歌手や知人でおじさん・おばさんだと思っていた人たちが今当時の映像や写真を見ると若いなあ~(若かったんだな~)と見える。冷静に考えるとかなりのジジイが入っている人でも中にかなりの少年が見えたりする(人によるが)。TVの再放送など同じ人を見て、同じ自分の感じるこの感想の落差が面白い。昔はおばさんになるなんて・・・とできるだけなりたくないと思っていたけれどなってみると人生慣れてきて多少のことなら解決できそうに思えて精神的にも楽だし、世界や価値観が広がったり狭く深まったりしてたりで結構楽しいものだと不思議にも思いのほか安心して状況を受け入れられていたりする。こういう感じならおばあさんになるのもなんとか大丈夫そうかな。
2011/06/14
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以前、20代後半の頃におばあさんになるなんてという本のタイトルを見つけてああ、老齢といってもいつのまにかで考えたらおばあちゃんだけどなんだか昔思ったような実感がないというかそういう気持ちだとかあるんだろうなといういう状態が目に浮かぶような感じをはじめて想像したけれど。最近自分自身ふと思うには「おばさんになるなんて」。しかし、おばさんってなってみると予想と違って思ったより結構楽しい。面白い。なにより変な恋愛感情で相手が近付いてこないのですごっく楽。少し前に居酒屋とかで若い子におじさんが話しかけて楽しんでるのみてある意味懐かしさと、自分に声かけられないその状況差と以前見た光景を別の角度(立場)で見てるような面白さを感じた。同じシチュエーションの違う立ち位置で違う感情を抱く経験をするのは子供のころに読んだ本を大人になって読見直して違うもののように感じたのと同じような経験というか、そういう経験が生であって面白い。おばさんになってからガソリンスタンドでアルバイトの半分くらいが愛想が悪くなったのも面白かった。以前若くてきれい?だったころは若い男性の対応はみなかなり丁寧だったのに今は昔おばさん相手対応してる時に見たような表情がこちらに向いているのを感じる。自虐ネタとかはちょっと違って、まじめにその差を面白がって経験してる部分がある。おばちゃん扱いしていた若いこの半分は会話を重ねるとまた態度が違ってくる、思ったより会話が成立するからだろうがそれもまた楽しかったりする。親の世代とか見てても、年よりって昔思っていたよりずっとずっと若い。中身は子供のころの成長に比べるとかなり穏やかな成長だし環境も変わらない状況だと本当に中身は20年前もこんな感じだったのだろうなとそう思える人が少なくない。人生あっという間。実際11歳年下の弟が生まれて赤ちゃんだった頃がついこの間のようなのに弟は今や3人の子持ち。ついこの間のような記憶からなんて長い時間が流れていることか・・。もうあと30年とか生きてもきっと何があってもなくてもあっという間でじきに「おばあさんになるなんて・・」って思ってる未来がきそう。年齢を受け入れられるってなんて楽な気持ちなのだろう。子供のころとても受け入れられないと思ってたおばさんになるということがこんなにも心穏やかなのは不思議といえば不思議。周囲から見ればもう少し抵抗したら?って感じもあるだろうが(笑
2011/06/12
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今日夕方三重テレビにでるからとメールがあった。今も塾講師をしていると思っていたY君はなんと漁協に転職し過疎化する地元復興で楽しい取り組みをたくさん仕掛けていた。尾鷲は数年前に原発反対が通って数百億円の原発補助金でできるものと違う残したい未来を選択をした町という印象が強く残っている。原発に賛成とか反対とか以前に原発誘致するだけで数百億円が棚ボタでもらえるってのは私は人を狂わすように思えてならなかったからそんなものいらないという地域内の葛藤も含まれるであろう当時大どんでん返しのように聞こえた選択決断に拍手したくなったことがあったのを思い出した。Y君と出会ってから私はそう変わっていないが彼は会社やめて転職紹介して遠距離恋愛大失恋して結婚して子供ができてその時の自分にあった転職重ねて今とうとう一番自分らしいところに辿り着いたと感じた。なんだかとても長い長い時間が流れているんだなとふと思う。出会ったころがその人の20代後半頃の年齢って人は人生が目まぐるしく変わって流れが速い。自分もそうだだった頃を思い出したり今も同じ時間が本当は流れているのを思わせてくれたり若い友達ってのがいるのは時間の流れを確認できたりするもの。今日の放送はとても楽しく見れた。・・・きっとY君は早田の町でさだまさしコンサートをいつかやるそういう未来は遠くないなとふと思った。学生時代に好きなさださんのコンサートで警備係りをしたときに好きすぎて真横をすれ違っても声をかけれなかったといってたのを時々思い出す。好きすぎて声さえかけれないってそういう気持ちって結構悪くない。来ていいよと言われても好きすぎて舞台の楽屋においそれと行って初対面の短い時間で忙しい相手に何を話すのと思うととてもいけやしないと昔そういう思いで気持ちだけおいてきてしまったことがあったのを今ふと思い出した。
2011/06/12
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仕事を考えるときよく囲碁や将棋を思い出す。待ったもできない、放棄したくなるような現状。ここから始めるしかないと腹を決めたら違うものが見えてきたりする。もし断然不利でもそこにしっかり足つけて現状から勝てる方法を考えるのは自然体で無理がない分、もっと明るい未来にかえって近かったりする。よーくよく見て考えると思ったより断然有利とかある。思考を変えるか深めるかしないと見えない勝ちへの道とかもある。
2011/06/12
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これまではよく社長が「責任をとって辞めます」ってのはそれなりの責任をとってるように聞こえることもあったが今回はまったく違った。東電が倒産とか銀行の債権放棄とかそういう話が進んだら退職金もまともにでないだろう。東電の社長が辞めた本当の理由は責任をとってというもっともらしい言い訳だけど本当は何より「今辞めたが自分にとって一番得だから」そう感じた。沈没船しかけた船から持てるだけの金塊持って真っ先に下船する船長・・まあ無能なトップは居ても困るだろうけどでも今回の辞め方は辞めた方がお得すぎて申し訳ないという気がしない。文句言われて頭下げ続けて働いた上に退職金なくなる前に満額もらってさっさと辞めて余生を送ったが絶対得って感じだ・・・。いずれにしても現状を乗り切るトップの器ではないといえばそうなんだろうが。この現状にしてあまりにもお得な辞め方は許せない気がした。
2011/05/21
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風評と言ってるものは本当に風評なのか?「風評」語彙:根拠のない噂のために受ける被害。 今の状況を根拠のない被害と言い切るその言葉が怪しくて怖い。 放射能レベルが他地域と比べて圧倒的に高い数値であっても 国の認定規定値以下なのに避けたがるのは風評?その「風評」は現在やってることや分かってることからのある意味「実評価」である側面が少なくないのでは。該当地域の農家は被害者で被災者でかわいそうだということとはわかる、助けたいという気持ちも分かる。丹精こめた生産物だというのも分かる。でも、本当に農家を助けたかったら放射能影響を心から安心できるといえるスキームをもっと完成させる努力をするしかないのでは。福島やその近辺の農産物の買い控え行動を「浅はかな風評」扱いし、不安を口にする人をうわさに振り回されて冷静な判断力や人間的情が薄いかのようなもの言いする風潮さえあるような・・。風評風評と言ってるものは本当に風評なの?通常よりかなり多い放射線量でも基準値以内のものを避けたがるのが風評?風評って言葉の意味が分からなくなったりする。今回の原発影響農産物への「風評」の中には何か解決すべきことがまだまだあるそう思って真摯に対応することでしか風評を本当の意味でなくしていくことはできないのではないかな。特に海外輸出に関してはそういう姿勢が超しっかりしていないとそうそう受け入れられないだろうなと思う。本当の意味で風評をとめたかったら今風評だといってる多くが風評ではない実態をまともに認識して動くしか手立てはない。///それにしても賠償支払いの動きが遅すぎ。。。この状態での農家を考えるとある程度調べてるから大丈夫だからある程度自己犠牲してでも買ってあげようよ、なんてそういう動きでしか助ける道はないのか。しかし国自体がそういう姿勢ではおかしい。消費者の安全をしっかり守れるようにするには農家が困らないスムーズな賠償手続きが必要でこれがないと危ないものも流失してしまわざるを得ないもの。
2011/05/17
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以前、狂牛病が問題になったときに農水大臣が「おいしいおいしい」とマスコミの前で牛肉を食べてみせた。安全のためにここまでやってますという話ならまだしも馬鹿かと思った。狂牛病の肉だって味はおいしいかもよ。福島原発の事故では菅総理が風評被害が出ている福島県の農産物を報道陣の前で食べ、安全性をアピール!?放射能汚染は味は変えないだろうから問題は新鮮でおいしく食べれるかどうかではない。仮に汚染されているものでもおいしい農産物はおいしいだろう。この国は総理もこの程度か・・。おいしいともくもく食べてみせるアピールなんかより安心のために徹底してここまでやりますやらせますという手法の公開と宣伝なら本当の安心と行動につながるのだろうけどニュース見てやはりこの程度かと感じ逆にできる限り自己防衛しなければならないと思った。それとも多くの人があれで安心を感じてるのかな・・・?
2011/05/17
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よく今までごまかしてきたなというかこのまま認めないのかと思ったくらいだったけど今更認めてのうのうと公開してる様子には驚いたが・・。しかし被害が見えないことや、まだ被害者と思われる一般人が表にでてきていないからか日本人はかなり能天気で驚く。こういう国民性を理解してなめきった対応でなし崩し的にやった方がパニックもないし、分かっている人や分かろうとする人その間に資産移動できるし、ずるずるするが得という判断なのだろうかなとも思う。黒煙が延々と出ていたときも燃えるものがないのに黒煙が延々とあがっている可能性はメルトダウンして容器を突き破ってでた物質が容器の下の建屋の可燃部分を燃やしてるとしか考えられないとかいう話がありなるほどと思っていたけれどそういう記事がでてもそこまではありえないとか、それにしては放出された核物質が少ないとかで否定されていたがじゃあ何が燃えてるのよって疑問に答えるものはなく、それでもそれ以上追及されないんだなとその時は不思議だったけど・・もうメルトダウンは認めないのかと思っていたら今更メルトダウンを発表。なんだか浮気しまくってた男が、露骨に浮気していながら怪しまれたらやってないやってないとごまかしまくってもう疲れて相手への感情も薄れてきた時期に今更浮気してたんだと報告されているような感じ?レベル7が発表された時も、TVではあちこちの番組でチェルノブイリの10分の一もないから安心だとかかなり大丈夫、くらべものにならないからみたいな大宣伝合戦。しかし、チェルノブイリは10日で収束してるのに福島は1か月たってもまだまだ収束とは言えず進行形で収束まで3年という話もあるなかこの時点で収束してるがごとくの比較でチェルノブイリに比べると大したことないから安心だという。どこが安心なのかちょっと考えると安心だと思えないという話をものは言いようだとばかりの切り口から安心だと言い・・・安心したいとこういう声が嘘くさく感じないとかあるのだろう。ごまかしごまかし。それを鵜呑みにしたい人の心理も分かるけど、ごまかしの中にもおかしいと思う情報のかけらがたくさん。
2011/05/17
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震災後に連絡がとれなくなっていたお客様から電話があった!何度かメールしても返事なく、グーグル地図で見ると海からかなり近かったのでかなりの被害をうけていることは予測していたが1か月近くたってもしかすると助からなかったのかとも考えながらご注文品をお預かり保留にしていたのだけど。無事でもこんな状況でインテリア系の買い物商品の注文のことなんかそんなこと考える気分でもないだろうし連絡はとれないかもなあと思っていただけにそのお客様からの電話とわかりまるで古い親友が生きていたかのように会社がわいた。みんなこれまでTVで地区が放送されたりメールを待ちながら心配していた。これもご縁。連絡がとれたら送ろうと思っていた支援品のリュックなどをみんなで箱につめてとりあえず許容サイズいっぱいのダンボール3箱送ることに。届けてくれる宅急便を確認した。クロネコも佐川も配達不能地域だけどカンガルー便は法人で相手が受け取れるならOKで戸配してくれることが分かった。なんてありがたい~。この日は思い出してはよく無事だった、すごいな~本当にご無事でよかった~とふとふといきつくたびに何度も何度も思い出されては自分でも不思議なほどに感動していた。
2011/04/13
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義援金の配分が決まったと発表になったけど公平性をかなり考慮した結果というけれど大きく理解できない点が心にひっかかってる。原発避難者が地震・津波で家を失った人と大きく違うのは原発避難者の方は損害賠償を受けられるとすると金銭的喪失財産の差が格段に違うことになるのでは?原発要避難者は、家にまったく問題なくても住めなくなるのだから全壊扱いと土地と家と家財と慰謝料をもらえる権利を考えると地震や津波ですべてを失ってしまった被災者とは天と地ほどの違いがあるのではないかなと思うのだけど。 死亡・行方不明者(8日現在で約2万700人)は1人当たり35万円 住宅の全壊・全焼(同、約4万6000戸)は1戸当たり35万円 住宅の半壊・半焼(同、約1万戸)は同18万円 東京電力福島第一原子力発電所の事故による30キロ圏内の 避難指示・屋内退避区域(約6万5000世帯)については、 住宅の損壊程度にかかわらず、すべて「全壊」と見なし、 1世帯につき35万円を支給原発要避難者に対して義援金配分だという話。まったくの災害として原発が賠償されない可能性が高いのならば別だが・・・損害賠償をうけられる原発避難被害者に対して、今回「義援金」を渡したことで保障などないすべての財産を失った完全な災害被害者への配分が激減してしまっている。原発被災者への賠償の話が具体化する気配のない状況で震災関連被災者として手を差し伸べなければという気持ちはわからないではないが遅すぎる一次配分の理由が公平性を議論するためという言い訳があったのと原発避難者を配分対象として組み込んだことへの趣旨説明もなく慎重な議論がされたような話も聞こえてこず・・・なんか釈然としない思いの残る配分発表だなと思った。配分の公平性ってのは難しいものには違いないが今回、公平性を大事に考えるために配分が遅くなったといってる割にはその公平性のポリシーや採用結論に至った重要論点などが公開されていないし、時間をかけた意味ってのが感じられなかったりする・・・。
2011/04/12
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いいなと思いながらずっとどこかに違和感を感じていたACの金子みすずの詩。 「ばか」っていうと 「ばか」っていう。 「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。 そうして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 こだまでしょうか、 いいえ、だれでも。違和感感じてたのは>こだまでしょうか、 いいえ、だれでも。の部分。「いいえ誰でも」の言い方の問題かなと思ってイントネーションをいろいろ考えてみた。確かにその違和感もあるけれど・・・ここ数日、やっとすっきりした。この違和感はきっと文字言葉で読む詩を、読まずに聞いているから生まれる違和感だ。 「ばか」っていうと 「ばか」っていう。 「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。 そうして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。このこだまのように読めてしまう部分をCMでは読み手が「こだまでしょうか、 いいえ、だれでも。」という答えをわかったうえで言い分けて読んでいる。いい声で、上手な朗読だけど・・・でも、この詩は文で読んでこその詩なのかも。朗読では 「ばか」っていうと 「ばか」っていう。 「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。 そうして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。ここの部分だけ聞いてた段階でもこだまだなんて思わないように言分けられている。それをこだまでしょうかと続けていいえ誰でもと終わらせることがすごく説明臭くてクドくて詩ではなくしてしまってしまっているように感じる。だけどこのCMの朗読は評価が高い。だけど私はどうしても違和感を感じる。違和感ないこの詩の朗読イントネーションはどうあればいいのか朗読方法によってその違和感をなくすことってできるのだろうか?
2011/03/30
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昨日は「あしたのジョー」を見ていて背景画像が放送回数を追うごとにぽつろぽつりあるバラックからビル街に変っていく様子にこれが復興なのかとそのスピードの速さを非常に感じさせられたという話を書いた。しかし夜また考えていて神戸の復興のすごいイメージがなぜ真っ先に浮かばないのかと思った。阪神大震災のときに高架の高速道路のなぎ倒されて火災の海となった街その街の同じ場所の景色がこの15,6年の間にいかに復興してきたかそういう映像が想像はできても感覚的に入ってくるようなものが見れてないのだなと思った。そこでAC(公共広告機構)への提案こんにちわんこもおはよううさぎも可愛くて秩序ある日本の理想像のためにCMしたくなるのはなんとなく分かったけれどもうこれはいいや。未だ記憶新しい阪神大震災から街がむくむくとすごい勢いで復興してきた様子を早送りで見せてくれるような映像を背景に「大丈夫。日本ならできる」とかそういうCMが復興のイメージを具体的にわかせて元気と自信を与えるのではないかな。
2011/03/30
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戦後日本の復興力がいかにすごかったか?私がこれを非常に感じたのは「あしたのジョー」をWOWOWが再放送したものを撮っておいたビデオ。バラックのような家がポツリポツリあるような景色背景が放送回数が進むごとに数年でビル街に驚くような勢いで今に近いものに変わっていく。今回、東北関東大震災の復興を考えるときあの「あしたのジョー」の映像が思い出される。「戦後復興できた日本だから大丈夫」といわれても経験ない世代だけど「大丈夫。きっとなんとか頑張れる。」という「復興」の強いイメージをくれる。機会あったら是非見ておいたらいいアニメだと思う。 【新品】【漫画】あしたのジョー [1~16巻 全巻] ちばてつや全集 (著)高森朝雄/ちばてつや-全巻読破.COM漫画全巻大人買い専門店-【05P15Mar11】
2011/03/29
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スーパーでおばあさん達の会話が聞こえてきた。「(放射能のことがあるから)愛知県産がいいわよ」『分かってる』「かわいそうだけどね。応援してあげたいけど。でもこれはね。」関連地域の生産者のことや生産量を考えると理論的にまったく大丈夫だし問題ないという話は分かる。しかし、産地が分かっていて避けられるものは避けたが無難と思うのは人間の感情としてしょうがない。日頃無農薬や低農薬野菜を選んでる意味がない。かなりの農薬してあってもただちに健康に影響はないとかそういう基準で食品選んでないから。今後、産地の分からない外食や加工食品でしらずに摂取する可能性もあるし、得に外食の野菜とかは洗浄不足とかあるし、行政の対応次第ではただ同然で仕入れて産地偽装販売とかも出てきそうだし、放射能測定はサンプル値だから、場所によっては測るともっと多いものもあるだろうし、情報が正確かどうかも分からない、とにかく分かる範囲では避けたが無難だという気持ちになる。選べる状況なら選ぶでしょう。生産者の不安や経済への影響は大きいがそれは国としてどうあるべきか国内的にも国外的にもその姿勢が今後に影響してくる。野菜11品目などから国基準値の164倍の放射性物質検出でも安全です、300年食べても大丈夫といわれてもそういう国の食品ってどうよって思うもの。自分がヨーロッパの一般人だったらどう感じるか?「Oh、日本製の食品?放射能汚染心配だから他の国のにしようよ」と普通になるだろうな。『これは日本だけど鹿児島だから安全です。長崎だから安全です。」とか言われても世界地図で見ると小さな島国日本の微々たる距離鹿児島どこかよく分からないし、被災地との距離感や影響の地理的感覚とかもないだろうしね。外国のスーパーでの買い物客の会話が聞こえてきそう。「日本産でないのを選んでね」『分かってる』「かわいそうだけどね。応援したいけど。でもこれはね。」風評を愚かだとか、いわれに値する根拠はないとか批判してもしかたない。どれだけ健康に影響はでないから大丈夫だといっても難しい。食べてしまった人に大丈夫という内容ならいいけれど今後も食べてもただちに影響はないなんてふれまわっているようでは風評影響は世界に確実に拡大する。仮にも基準値があるのなら、たとえ大丈夫であってもそれを大事にしないと。国民や消費者の健康を守るという過大なまでの姿勢がないとまったくもっと一切何の影響のないものも日本製というだけで風評被害がとめどなく広がりそうではないか。風評は今は一部の人に影を落としているようだがこれは対処が悪ければ日本の国全体の問題になる。風評を止めるには大丈夫だなんていっても効果ない。国基準値の164倍の放射性物質検出でも安全ですなんてのは逆効果。姿勢を甘くして大丈夫だなんて言ってるような国は心配。風評を止めるには安全を徹底的に重要視する姿勢と徹底する体制をとれるか、これしかない。
2011/03/23
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大地震の揺れが名古屋まで届いたときにテレビが近くにあってずっと見ていた。津波の押し寄せる瞬間も生放送で見ていた。衝撃映像のTV番組で見たような映像。ミニカーの売り場を丸ごとジオラマにひっくり返したように流される車、高架を降りてきた車が水をみて戸惑いあわててUターンしていく現場、鉄のコンテナや舟がすごい勢いで家々の間をすり抜けぶち当たり家々が家を破壊しながらパニック映画のシーンのように暗い空と海のうねりの中に消えていく。後からその時間に亡くなった人の多さとその中の苦悩を考えるとそれは確かに大いなる悲劇であったのだけど・・・放送では流される人も全く映っていなかったし地震や津波に慣れた土地で殆どが逃げて無事だったのかと思うようなどれだけ数見てもへ~すごいね~とだけ思いながら見れるような映像。しかし、後から死者数の刻々と増える状況を聞きながらようやく想像するのは本当はそこは生き地獄で瓦礫の被災地は映らないだけ、言葉に出して報道されないだけで死体が散在する現場(なはず)。だけど全局どこを見ても流れる映像には被害に巻き込まれる人は全くおらず、そういう惨状については言葉での説明さえも全くなく、ゴールデンタイムに流れる刺激的な衝撃映像特集であるかのようでしかなかった。後から亡くなった人の数を聞いて理屈で考えてようやく想像力が少しだけ事実に近づく。その中で、たまたま?映ってしまったとされるTVの1シーンを写した写真をネットで見つけた。打ち合わせする警官の手前に放置されている泥の中から突き出た亡くなってる女性の足。避けようと思っていても少しカメラを引くと映ってしまうほどあちこちに死体、手前の死体を風景のようにしてそこで話しをする人。マルクリブー(戦場カメラマン)写真展を見た時のようなショックを感じた。それを見てやっと、あの衝撃映像と亡くなった人や被害を受けた人の存在の事実が感覚としてつながった気がした。放送倫理ということで?放送されない事実が反って超悲惨な現場の映像をただの見ごたえある衝撃パニック映像にしてしまっているかのよう。何が放送倫理なのだろうかと思った。
2011/03/23
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北野たけしの映画「教祖誕生」を今更ながら見たのだがとても面白かった。お金のために運営されているような宗教でもどこかは本物である部分があるのかそれでも信じる人はいるわけでそういう人達にとってはある意味それでも役にたってるのかも・・・嘘の中にも本当があったりして思うより悪いところばかりでなくてけっこう良くも悪くもこんなもんなのかもなと非常にリアルに感じさせられた。【中古VHS】【1本100円均一!】【5000円以上送料無料】教祖誕生【中古】[☆2]05P28may10
2010/05/20
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タンポポのふわふわを見ると必ず光ファイバーの管で覆われたイギリス館のパビリオンを思い出してしまうようになってしまった・・・。これからずっとタンポポのふわふわを見るたびに思い出しそうな気がする。イギリスのデザイン企画恐るべし・・・。こんなに心に深く残る形ってそうはない。更には昼は光ファイバーで外の光で中を明るくし夜は逆に、部屋の明かりを外に活かし電飾物体化させるということで最先端のエコとか未来とかがいっぱい詰まっているということで素晴らしく仕上がった企画だと感心してやまない。これからずっとタンポポのふわふわを見るたびに思い出しそうな気がする。
2010/05/11
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桜の花は美しいまま散るから名残惜しいという。私は桜は好きだけど散り際に例えられた価値観は自分の心にはなじまない。スポーツ選手などで一番いい時に辞める人はスポーツが好きより大事なものがあるようで好みではない。恋愛はどうかな?どう考えても腐りきってると思うまで切ろうとしない系だったかも。例えばつつじのように枯れて腐ってきてるのにへばりつく花のようになってやっと振り切らなくてはというような状況で別れ際にまだ未練とたたかうようなそういう系かも。遠ざかるとはっきり分かる良かった思い出さえかき消すような、ない方がよいような時間。未練を剥ぎ取るための幻滅の追確認。以前は桜の花のように別れてく人たちが理解できなかったけれど今はそうでもなかったりする。まあ、これは合わない先が見えるって話で今日は書くほどに論点ずれでこれにてごめん。
2010/04/10
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返品可能かどうかは言い方次第ってかなりある。とにかく返したいというお客さんがお店に話しをするときa:商品の少しでも悪そうなところを徹底的に突く 「毛羽(けば)が落ちてくるんですけどこれって不良品! 不良品でなければこんなの欠陥商品ですから返品してください!!」B:本当は気に入らないので返したいけど間違って困ってることにして・・ 「すいません・・・ 思ったのと違って・・返品不可ってなってますけど・・ 完全に私が悪いんですけど・・ 何とか交換お願いできませんか~」a:は有効そうで実はそうではなかったりする。変なやつでかかわりたくないと思わせるとさっさと返品受けてくれるけどまともに対応する店だとa:ではレビューに書かれること覚悟で返品は断る。論点はそういう素材なのか?それとも不良品なのかという点になる。粗悪品を売ってるつもりなどない店としての正規の対処としては、不良品という話に関してはメーカーに確認し不良品であればお取替えするとなる。不良品でなければ結局返せずに手元に戻ってくる。b:は、通常返品は受けていなくてもこれは何とかしてあげなくてはと 対応してもらえる可能性が非常に高い。売るほうの立場で考えると対応可能な言い方って買う方とは結構違ってたりする。相手にもよるけどね。
2010/04/07
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見舞いに通う病室のメンバーが2人変わった。薬剤師さんの説明が聞こえてくる。声が大きいので聞くとは無しに聞こえてくる話の内容。おじいさんは自称86歳。久しぶりに人と話すのか、日常のこまごまとしたことやこれまでの入院のいきさつ、ここ数年の入院の履歴などを薬剤師さん相手に滔々と話しかける。最初は、薬剤師さんも(それは今関係ない話だし・・・)(だけど邪険にはできないし・・・)とばかりに受け流していたが、彼の時間経過とともの変化がとても面白かった。話に一応付き合ってる感じだったのがあまりにも長いので受け流すようになったけれどたまに引き込まれるキーワードがあるとそこでは反応できる!とばかりに反応する・・・すると、おじいさんは気をよくして戦時中の病院の修羅場の中で家族より看護婦さんが心の頼りだった話や砂漠で死にかけた時の話までどんどん与太話が拡大する・・・。薬剤師さんが少しでも面白い反応をすると話は益々違う方向に加速し・・・時々薬剤師さんが薬の話に戻して収束しようとすると今度は薬に関する過去のあれこれ大変なことが起きた話しを語る語る語る。人生の長い間にいろんな病気を経験し、いまもいろんな病気を抱えているからおじいさんの話は尽きない。患者さんの話のなかから今に関係する部分の話しを拾うのは仕事だからという感じで、真摯に対応しようとする薬剤師さん。しかし、この繰り返しで話がどんどん広がり、帰れなくなってしまった様子で小1時間・・。完全にタイミングと逃れる気力を失って、はまってしまっている・・・。薬の話に戻ったかと思うと、麻酔の話から派生して今度は大昔に頭蓋骨に穴を開けたときにドリルの骨の向こうに到達した瞬間の怖さの具体的な描写や当時していた仕事の話まで話がまた拡大する(笑きりがないとはこのこと。しかし、おじいさんと薬剤師さんのふたりの雰囲気は次第に、旧知の間柄か、孫と子のかのように仲良しな感じになっていくのを感じた。薬剤師さんは早く帰ろうとあがくのを諦めてとことん話に付き合い、患者さんと話しをたくさんし対応することに喜びさえ感じ始めてる様子。結局1時間40分、まだ話中だったけれど私の方が先に帰ることになり現場を後にした。おじいさんは一人ものらしいし、薬剤師さんも人慣れしてない感じでお互いにどこか人情を求めていたのかもしれないなとも感じられた。一線置いている他人を、ちょっとしたきかっけで少しの時間で巻き込んで知人にさえしてしまう・・・人を巻き込むってのはこういうことなんだなとつくづく勉強になった。
2010/03/25
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ヒットソングを往年の歌手が歌うときポップスなのに演歌のように聞こえる歌い方になってる事が多い。きっと慣れや、思い入れが重くなりすぎたり、飽ないように抑揚を付けて歌いたくなるとか、理由はいろいろだろうけれど・・・あまり好きではない。決して良くは聞こえないことが殆どだから。今もすごっく好きな曲でさえ、なんだか小節の回った感じがすると年寄り向けというか古くさい昔の歌に聞こえてしまう。稲垣潤一にはそれがない。心の込め方はある程度は変わってもいつも初心のようにリズムに誠実で変に引き延ばしたり、ためたりとかそういところが全然ない。うたも声も好きだけれど彼のそういう初心を感じさせる慣れすぎない曲に誠実な真摯な唄い方には考えさせられ、いつも心地よく心とらわれる。稲垣潤一郷ひろみもその系統を感じる。飽きるほど歌い慣れたであろう歌をうたう時も決して心地よさを越えてるような崩し方まではしない。LIFE/郷ひろみ
2010/03/20
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見舞いに通う大部屋斜向かいのベッドには陽気な爺さんがいる。いつも鼻歌を歌っていてみんなに気軽に話しかける。静かだなと思ったらロビーに相撲見に行ってる。骨董は趣味とかで病室にいくつか並べて皆に語る。看護士さんも珍しいから話題が盛り上がる爺さんのゆるんだ顔、、、この爺さん骨董でナンパしてる・・・。80歳だとか。爺さんが入院してから部屋の人達会話することが増えた。素晴らしきムードメーカー。鼻歌聞いていると不思議に楽しくなる。明日退院だとか。寂しくなる。
2010/03/19
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原付運転いつもかなり気を付けてるつもりが雨で歩行者もいなかったからのろのろ進んで一応止まるべきだったなととまったら・・・・長居した病院からの帰り道違反とられちゃったぁ。うにゃぁ。。。こんな視界広いところの人も歩いてないところで一時停止違反とるなよな・・・と思ったら腹立つけれど捕まったら損なんだし文句言っても仕方ない。だけど・・・・最近、何度か跳ねた泥水で原付汚れてるなと思ってたのね。明日雨が上がったら綺麗にしてあげよう。常にきれいにしてあげる気持ちがあったら乗る気持ちのどこかにある慣れも無くなりそう。とっても便利で重宝してるのにいろんな意味で大切に扱う気持ちがおろそかになっていたせいだなと思った。晴れたら洗ってあげよう可愛いスクーピー
2010/03/07
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固定金利の長期ローンは金利がもったいないようだけどしかしこれからおこらざるを得ないインフレなど考えると固定ローンなら借りた方が得。と思っていたが思ったようなローンが組めなくて頭金を相当入れることが必要になった。マンションの頭金があるとローン支払いは少なくてすむけれどごそっと現金が減る。頭金があると総支払額が少ないはずなのに感覚的に全然得な気がしない。(全額余裕で一括払いできるようならまた違うのだろうけれど)頭金かなり支払って残りの分のローンの金利を考えたら金利は少ないはずなのに頭金それだけ払うくらいなら今のマンションの間取り変更や畳の部屋のフリーリング化や庭の庭化でライティングなどリフォームに使っても安い気になる。しかし賃貸なので出るときには復元費がかかる。そこまでするなら今のマンションより良いところへ引っ越すというのも選択肢。だけど今の所が特別いいのでそれもなかなか。新しくてもグレード落ち感があるなら住んでると嬉しくなくなる。その予算で毎月近所の温泉旅館のいいところへ旅行に行くというのもいいかも。それにしてもはじめてマンション買う気になったんだけどhttp://www.nishitetsu.ne.jp/sunriant/87-hakozaki/南は海と砂浜と箱崎神社の鳥居とグリーンで博多からJR2駅。グレードは下がってスーパーが遠くなるけれど今の家賃の半分以下で買えて空港も名古屋よりは便利だったのだけど。なんだか名古屋にいつくことになりそう・・・。名古屋は元々選んで住んだわけではなかったけれど考えると結構悪くない。空港が移転で遠くなったのが難点だけど。ダーリンはというと土地には何のこだわりもないようで「どこも住めば都だよ」と言う。そういわれるとそんな気がしてくる。ここもけっこう都。
2010/03/06
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退院しやっと一緒にゆっくりできるかと思ったら5日目で急に再入院になってしまったため個室希望がとれず今回は望まない大部屋へ。お見舞いに行ってもソファーがなく椅子ではかなり疲れるけれどでもカーテン越しに聞きたくなくても聞こえてくる会話が人間模様がさまざまで面白かったりする。4人部屋なのだけど、皆、担当看護士と担当の先生が違う。これは一見非合理的のようで合理的、すごくよく考えられていると思った。同じ担当医や看護士が1部屋を担当すると、用事が一人にあって部屋にいくと他の患者がついでにと方々から雑用手間がかかることが予測され、そうなると業務の流れのペースが乱されるからあえてそうしてると思われた。そうかと思ったら、日曜は逆だった。同じ部屋は一人の看護士が一通り声をかけてくる。休みの日は看護士も少ないからその方が合理的という経験則からルールが変わるのだろう。端々に合理的判断が柔軟になされていてそのルール化がしっかりされているのには感心する。
2010/02/28
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自分に関係なかったころは女優さんや現役市長が仕事をやめたり減らしたりして家族の介護をしている気持ちが分からなかった。自分は自分を生かした仕事をし稼いだお金でベテランを雇ったほうがよいのではないかとそういう風にしか考えられなかった。しかし自分が経験しその気持ちが分かった。どんなプロやベテランよりも誰よりも自分が一番心を込めて相手のことを一生懸命考えたことをその人にしてあげることができるし、そうでありたいと思う気持ち。食事だって栄養や調理法だけでなくないもの。以前、高槻市で妻の介護のために任期途中で辞めた市長は「市長の代わりはいても、夫の代わりはおりまへん」と言ってた。その方が自分が後悔しないでいられると思ったその気持ちがやっと分かった気がする。江村利雄さん、本を出しているみたい。取り寄せてみよう。
2010/02/23
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挫折や行き詰まり感をいやという程、身にしみて感じるようなショックで落ち込んで誰かの声が聞きたいときょうだいに電話したとする。ここで電話した時に説教なんかされたくはないとかある。例えばそんなときに、これまで自分の知ってる彼は生活態度がどうだったからだとかもし私だったらその時こうやってうまくやっただろうなとか、その点、自分の家族は素晴らしく感心で頭がいい話をしていて感心だ、そんなんだから親の評価が低いとか・・・その病気は自業自得じゃない?とか他の価値観の相違はしょうがないにしても病気に自業自得なんかあるか!どうにもならない現状結論が出て脱力しているときに正論振りかざして自業自得と言い聞かせるように説教にかかる、傷口に塩をぬり込むようなそんな話はなんて無神経なこと。私にしてみれば話の中身は反省するところは無く価値観の大きな相違を感じた。人は、自分と違う種類の生き方をしている人を否定しないと自分の現状を受け入れられないとかそういうこともだるのだろうがそれにしても相談にたいして何もできないのにそこまで言うかというか最近何度かそういうことがあった。これって例えば子供が受験に落ちたときにもっと勉強しなかったからだとか遊ぶ友達が悪かったかだだとか夜型になっていたからだとか「普通」考えて常識的に駄目でしょとか食事を言うこと聞かなかったからだとかそんな説教をするのと同じだよなと思った。結果が悪かったあとのそんな「正論」って言われる方にとってはなんて無意味なんだろう。あえて意味があるとしたらあまりにもむかついて落ち込みが半減するとかはあるかも。自分も優位にあるときには相手にそういう物言いをしたりするかもしれない。この得意なまでの無神経ぶりは言ってる方は気づいていない。気を付けようと思った。余談だががばいばあちゃん2のドラマで心に残った言葉。「厳しい言葉の中に 優しさを見つけろ 優しい言葉の中の 厳しさに気づけ」無神経な言葉の羅列の中にもある意味愛はあるはずだとは思えるとずいぶん違う。先日IS0の文書の解釈を議論していたときにもらったアドバイスもそういう切り口のがあった。言葉のひとつひとつの意味に大きく反応しないようにしてもっと大局で聞き考える方が意味が分かりやすいとかそれとちょっと似てるところがあるかも。それにしても無神経ひどすぎ。今日は怒り心頭雨あられ☔
2010/02/21
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人も大変だしと迷惑を考えたり言おうとしても助けてがうまく言えないとか自分でなんとか頑張ってきた人ほどそうなのかも。助けてと言う能力が低い分、だから人に頼らず自分で頑張ってそこまで生きてきたとかいう生き方をしてると助けてと言う言葉がどういっていいものか分からないとかあるかも。以前は助けてを言える力ってのも大切なことだなと思ったこともあったけれど最近は少し違う。そういう言葉が言えない人は言えないからそれまで頑張ってこれた人だとしたらやっぱり言えないでしょうがないとかあるかも。著名人の自殺で昔仲の良かった人がインタビューでなんで相談してくれなかったのかと言ったりする話はよくあるけれどそういう相談とかできる人だったら自殺することはなかったかもしれないのではないかなとも最近は思ったりする。人をあまり頼らずだから自分で頑張ってこれた人がどうにも自分で解決できない状況がきてそのときに選んだ死だったのかもしれないなと思うとそういう死に方も否定されるものではなくひとつの生き方と死に方なんだろうなと思ったりもする。
2010/02/11
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最近人の死についていろいろと考えるなかで思ったのだけどまだ死にたくないという人が向き合う死もう生きていたくないという状況の人の死への気持ち同じ人の死なのにあまりにも死を受け入れる気持ちが違う・・・。自殺したくなるときは生への執着が全くなくなっている。生きたいのに病気で死まで残された日を宣告されるような苦しみはない。自殺する人は少なくとも死にたくないという苦しみや悲しみや恐れを感じない状態。生きたいと思いながら着実に死に向かう怖さ無念さ恐ろしさ心の苦しさ。自殺する人には同じ死でもその苦しさがない・・。幸せだったり、未来に希望をいたりするほどに死は受け入れがたい。(これは自殺がいいとか悪いとかそういう次元の話ではない。)自分や自分の大切な人がいつか死ぬときを考えたりする。できるなら前からある程度容易をしてしかし怖がらず心安らかに死を迎えたい。しかし、宗教なし、生まれ変わりとかも信じられない人間がどうしたらそういう心境になれるだろうか?
2010/02/11
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生きるのに必死ないろんな意味で途上国状態の国や時代では子供は少しでも早く一人前の大人になることが理想とされている傾向があるように感じる。先日見た、若かりし日の森田健作の主演ドラマ「俺は男だ!」ではバーを経営してる高校生なんかが出てきていた。最近感じた中では「子供と映画に行った」というブログで書かれてる映画がとても幼い向け映画で、小さなお子さんがいるのかと思ったら、中学生だったり高校生だったりということがあった。確かに大人が見てもおかしくないいい映画かもしれないけれどここに親の望む子供像が出てる気がした。少子化、高齢化は望む子供像まで変える。親は、できるだけずっと、自分の子供は、いつまでも幼く、可愛い守ってあげたい弱い存在であることを望み、子供も子供でそれを多少うざがりながらもモラトリアムにどっぷり浸かって成長しないことが親孝行のような関係に浸ってる感じ。今年は公務員の就職試験会場に保護者の待合室が作られたとか。子供はどこまでも子ども扱いすることを社会自体が受け入れつつあるのか。子供らしいとか、高校生らしいとかは親の都合のよい言葉で理想の子供像なんてのは状況によってころっと変わる。それらって大人の勝手な、なんとも軽薄な言葉だなと改めて思ったりする。
2010/02/08
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「赤と黒」を読んでいたら高校時代の片思いの苦しさを思い出した。スタンダールの「赤と黒」を里中満智子がコミックにした本を整理する前にもう一度と見たら保存版に変更。昔、岩崎良美が「AH~赤と黒みたいな恋をしていますぅ~」と唄ったけど、ほんとの意味がやっと分かった・・(分かるまで長すぎ)自分から好きだなんてあまり言いたくない、しかしそんなんでは始まらない相手、超ハードル下げて相手に近づこうとするかと思うと軽く見られたくない、侮られなくない、とプライドで急に冷たくしてしまう。相手が振り向きそうになるとこれまでの分まで一気に高飛車になってはそれでまた自分のせいで無意味にこけそうになる。懐かしい気持ち。若さだったのかあの無意味に大きく揺れる心の葛藤。スタンダールの「赤と黒」原作が気になるところだけど超長そうなので次は映画くらいから「AH~赤と黒みたいな恋をしていますぅ~」DVD/スタンダール原作「赤と黒」2枚組
2010/01/30
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結婚してからはじめて年末年始を自宅で過ごした。結婚してからこれまで8割がたダーの実家、あとはうちの実家だったので今年の年始に予定が入って帰らないことにした時には正月寂しいなとも思っていたけれど帰省しない年末年始はとてもゆったりで、去年!、今年!という断絶を感じなかった。去年から自然に今年になるという新鮮で落ち着いた感覚だった。帰省するとなると、毎度、仕事をある程度片付けて、パソコンであとできるように準備して年賀状書いて、出かける準備して、掃除して・・・それにしてもよくこれまで毎年帰省していたものだ。彼の実家に帰るのも自分の実家より緊張しないでゆっくりしてしまって心が和むようになっている。まさか自分が盆も正月も毎年帰省し墓参りまでするような妻になるとは思いもしなかった。夫からも可愛がられ、夫の母の出来た人だからだろうなと改めて思った。そう考えるとやはりかなり幸せだけどゆっくり過ごす年末年始はまたよかったなあ。
2010/01/03
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今年は体のことを真剣に考えて食生活を大改善し毎日ちゃんと楽しい食事をしながら2回間食しながら半年弱でダーリン35kg、私15kgやせました。一緒にいても彼の顔が細くなっていくのを感じられた。ぬいぐるみボティにも骨格があることが見えるようになり肩甲骨がまず姿を見せ、鎖骨を感じたころに背骨が姿を現し、脊椎が分かるようになり・・それからずっと疑問だった彼の足の長さが相応に見えるようになった。絶対に言ってる数字よりもっと短いはずなのにおかしいなあと思っていたがおなかがすっきりすると足が長く見えるように!何より洋服がすっごく似合うようになってかっこよくなった!!!前のトドのぬいぐる君状態もそれはそれでいいやと好きになってはいたけれどやせたらやせたでまたいいわ~って妻バカ。いやあそれにしても覚悟が違うからかもしれないけれどこれまでやったどんなダイエットより効果があり楽しく自然に簡単に痩せていきました。あえてストレス項目をあげるならば最初は食事を作る前に栄養素の成分調べが辛かったけれどそれも何度か調べるうちにだいたい頭に入っていくから辛いのは最初だけ。頭を使って、心は満足させて痩せる!身も心も日々軽くなっていく感じでした。
2009/12/26
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先日テレビ番組で25年間サンタを匿名でやってきたアメリカの男性のはなしの再現放送を見た。クリスマスにおなかがすき過ぎてお金も持たずに食事をしてしまい店主がそれと気づきながら「2000円札を落としましたよ」と渡されて、それが助けられたのだということをずっと後になって気づいてそこから彼のシークレットサンタ人生が始まる。毎年クリスマスに残高全部2000円札に換えて困ってる人にメリークリスマスと言って渡して歩く。結婚してからも毎年で妻が気づいてつけていき事実を知り応援者となる。貯金は毎年空っぽになるのだけどサンタでの人とのふれあいのなかから人の気持ちを学びそれが仕事に生きて行動が変わっていき、事業も大成功していく。その彼がガンと分かったときに匿名をやめる。すると、翌年彼が亡くなった後に街角に彼の意思を継ぐサンタがあちこちに立った。で、私もこれまでやってること以外に自分にできることをもう1つやろうと決めた。楽しんでのってきそうな友達に電話し計画進行中。彼ならのってくると思った(笑ダーリンも賛成してくれてる。渡すのは予算は貯金全部ってのはとてもできないので今手持ちのある福袋用のリュックや商品の髭剃りくらいだけど100個くらいあるかな、私はスポンサー兼荷物持ち。ちゃんとラッピングして、友達をサンタに仕立ててあげて缶を集めている人たちに配ろう計画。出来る範囲で楽しんでメリークリスマス。今年はどうも間に合いそうにないけれどそれでも何か確かに動いて進みはじめてる。神様は信じないけれどクリスマスののりは活かしかた次第。偽善ではない、善だなんてそんなことどうでもいい。だって誰より自分の心持ちが変わることのためにやるようなものだから。他にもいろいろ頭で考えていただけの自分にできることを来年はもっと少しずつでも形にしていけてそれで少しでも世の中がよい方向に変わるといいなと思う。自分にサンタはこない人でも自分がサンタにはなれる。
2009/12/24
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NHKのBS放送で自殺についての特集があってシリーズになっていて暗い話題だなと思いながらも心理学的思考、いろんな話もあるだろうと流し見で見た5話くらいあったか。思考法がそうなるのかという視点の違いや自殺者の家族が何より自分が気づいてあげれなかったことに大きな責任を感じてショックから後追い自殺するケース、自殺者の家族が差別的扱いや嫌がらせを受けるなど、目から鱗の話があってかなり勉強になったつもりだった。でも、先日そんな自分自身が一瞬だけど今まで理解できなかった気持ちになった瞬間を経験した。そんなことさえ自分は出来ないのかというただそれだけといえばそれだけのこと。自分に厳しくやってきたからここまでこれた自分の部分、なかなか甘やかせないから人に助けてと言えない。かなり本気ででもやっとの声で言ってみても自分が言うような正論が帰ってきたりするわけで助けてが言えないから頑張ってきたところがあったりすると助けての上手な言い方も知らない。そんな助けてでは届かないなと自分でも思う半面、相手も一生懸命精一杯やってるのも分かるわけで無理言いたくない、困らせたくない、そこを自分なりに乗り越えて蚊の鳴くような声で助けてと言っても自分が惨めになるだけ。なんだか生きるのさえもういいやと投げたくなるようなそんな気持ちってのがあるのだなと知った。言いたかったのは、そういう人の気持ちが少しでも分かった気がして人間的に少しだけ深まったように思えたのはよかったなということ。ショックだったのは一瞬半日くらいの話であって私のそのショックは1日後には久しぶりに燃え滾るハングリー精神に変わった。ああ、この逆境がたまらない、とっても生きてる感じがした。ってたいしたことがあったわけではないといえばそうでもあるのだけど15年ぶりに引っ越してもいいなと思ったマンションのローンが思うように組めなかったって程度のことといえばそうなんだけど。あまり待ちたくないし現金で買えるように半年頑張ってみよ。。。アクロバット的に半年でなんとかする計画をいろいろ立ててみた。これまで長いことゆっくりしていたけれど最初は自分でも無理だと思っていたのがそれでも欲しいと動いていると思いもしなかった道が少しづつ開けてきたりふさがったり(笑人生ゲームと思えばまた楽しめるかも。ルールはあるけどサイを振るのは自分。・・・ってそう考えるから道が開けたりもするのだろうけど自分はその程度かと人を頼れずに死にたくなったりもするわけで気をつけないとなとも思う。
2009/12/24
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一番面白かったのはパンクブーブーのスポンサーがオートバックスだったってこと。売れないからコンビ名の改名まで考えたことがあったという話が事前情報であったので、グランプリの表彰でオートバックスがスポンサーとして出てきたときには名前変えてたらこの偶然はなかったろうなとおーと思った。「パンクブーブーはオートバックスへ」か!まるで良く出来た落ちのようだった。実際パンクした状況ではJAF呼ぶだろうなとも思ったけれど。
2009/12/20
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今年は大変なことがたくさんあって母の命日さえ忘れていた。当日を忘れてたどころではなくて日にちさえ思い出せなくなって妹にメールした。
2009/09/30
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これまでの自殺についての考え方は 局部的な体の病気も酷ければ命が尽きるように 自殺も一種の寿命で精神状態が耐えられないダメージを受けたから 心が死んだ結果だとそういう風に考えていた。でも最近観た映画「疾走」のワンフレーズが気になって考え方に変化がでてきた。神父役の豊川悦司の言葉で記憶では以下のような内容。 キリスト教では自殺は罪だとされているが自分の考えは違う。 人生のすごろくが、たまたま自殺というマス目に止まってしまったのだ。確かになんらかのきっかけ(誰かと出会うとか薬を処方されるとか)とりあえずそのマス目からポンと背中を押してあげられたら未来があるかもしれない。背中を押す効果になれるかどうかは受け手によってツボが違うかもしれないが。人生のすごろくが、たまたま自殺というマス目に止まってしまったのだ。人生のすごろくが、たまたま自殺というマス目に止まってしまったのだ。人生のすごろくが、たまたま自殺というマス目に止まってしまったのだ。とても分かりやすい表現、言いえて妙に感じられた。 余談になるが、映画「疾走」は暗くて重くて退廃的で虚しさいっぱいになる感じが昔の映画「狂った果実」を思い出させた。
2009/09/26
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むき栗があって栗ご飯食べたいなと思ったけど同じメーカーの商品が2つ並んでいた。*日本製 漂白*中国製 無漂白漂白は論外でNO。無漂白でも皮をむく作業過程が中国だとどうなんだろう・・どっちも微妙だなと悩んで結局、殻に入った栗をむくことにした。
2009/09/25
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思うに民営化してもしなくても結局、官僚が自分たちが自分たちの利権で仕切っていたらあまり変わったもんじゃない。民営も国営とかより実態は官僚利権営業に他ならないわけで本質は変わらず外面をいじるだけの話で終わりそう。民営化失敗で感じたのは国営や民営の問題ではなく官僚利権がはびこっているところが変わらないと根本は変わらないなということ。郵政の官僚に指示されていた亀井さんがそこを変えられるとはとても思えない。小手先のサービスの向上変更はあるだろうが・・・。決まった以上は民主党の根本方針徹底と亀井さんの綱捌きとがうまくいくように努力するしかないだろうが、そこまでお膳立てしてあげるのも何だけど、、、しかし考えようによっては意に染まないような改革でしかなければ参議院選挙ごにお役ご免を真っ向からできるだろうけどね。
2009/09/12
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