不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2010/12/18
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カテゴリ: 日本旅行記
◇富田城跡の奥書院平に 山中鹿介幸盛の銅像 があります。
山中幸盛は尼子氏の一門である山中氏の出身で、病弱の兄に代わって家督を継承した。
幼名を甚次郎、元服後は幸盛と名乗った。
一般的には鹿介の名が知られている。
毛利氏による富田城攻めの際に、益田氏配下の武将である品川大膳との一騎打ちで名を馳せ、尼子氏滅亡後は尼子勝久を奉じて尼子再興戦で中心的な働きを行い、一時は富田城を包囲した。
しかし布部・山佐の戦いにおいて、毛利軍に敗北した後は徐々に劣勢となり、1571年頃に出雲から徹底した。
その後は因幡方面で転戦した後、織田信長の配下である羽柴秀吉の軍勢に加わり、播磨国(兵庫県)の上月城守備を命じられていたが、毛利軍の猛攻によって落城。
主君・勝久らは自害し、鹿介は捕らえられた。
鹿介は備中松山城にいる毛利輝元の下へ護送されたが、その途上松山城に程近い阿井の渡しにおいて暗殺された。
生年不詳~1578年。


「安来市立歴史資料館」の人に車で行けるとか駐車場とかを聞いて訪れました。
対向車が来たら厳しい道が多いですが、距離があまりないので一か八かで行ってください(笑)。
銅像前は広場になっているので、駐車場はあります。

銅像は「三笠山」の方をむいているのだと思います。
あまり周りの景色は見づらい場所ではありました。
後ろの木も邪魔でしたね。
銅像は1978年に作られたので、地味な感じでした。
男前には見えませんでしたね(笑)。
島根安来b1鹿介像

車で一周できる道を進み、登り口の先のトンネルを越えて少しの所に少し駐車スペースがあるので停めました。
3台ぐらいは停めれます。

登り口から「侍所」に寄りました。
建物を再現していています。
「花ノ壇」と呼ばれています。
蜂とマムシに注意の張り紙があるりますので、夏場は要注意ですね。

「山中御殿」は小さ目の石垣があり、整備しなおしていて雰囲気はあります。
3000平方メートルもあるらしく、広々しています。
山城でこれほど広いのも珍しいですね。

一番の難所は「七曲がり坂」ですね。
昔の山道な感じです。
軍用道で石畳が雰囲気を出しています。
途中には「親子観音」と「山吹井戸」がありました。

二ノ丸まであがると、中海か宍道湖が見えました。
海が見えると、少しホッとしますね。
島根安来b2
島根安来旅行 で訪れた所


島根安来旅行は、まだ続きます





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Last updated  2010/12/18 08:14:45 PM
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