百姓野郎の『ズクなし日記』
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わたしの住む長野県北部には通称「北信流(ほくしんりゅう)」と呼ばれる儀式があります。日本でラージスト5に入る広い、しかし山に囲まれた小町村が多い長野県。その北部地方(北信州、つまり「北信」)の一部に残っている宴会の儀式です。他の地方がそう呼ぶので「北信流」なのでしょうが、わたしどもの地方は「盃事(さかずきごと」)と言ってます。 宴会が始まって1時間か1時間半すぎた頃、その宴会での招待された客もしくは組織の顧問、或いは長老(故老)がこう言って儀式の動議を出します。 「宴たけなわのところ、まことにあいすみませんが、酔っ払って忘れてしまわないうちに『座の決め』をつけたいと思いますが、みなさんいかがでしょう」 (全員「同意」の拍手) 「では、ご指名のほうもわたしどもに任せてもらえればありがたいのですが」 (全員「同意」の拍手) 「ありがとうござんす。では盃を受けていただく方はAさん、Bさん、Cさん。盃を上げていただく方はAさんにはDさん、BさんにはEさん、CさんにはFさん。お願いします。あちらの方へどうぞ」 と、宴席の空いている場所を指します。 指名する人数はその席での「役者」の数によります。15人の場合もありました。「受けていただく」の指名は一言指名された人の功績などをつけます。「上げていただく方」も同じ人数。「上げていただく方」は盃と徳利を持参します。(ビールしかないときはコップとビール)指名された方々は指示された場所に移動し「受けていただく方」と「上げていただく方」として向かい合って座ります。これは畳部屋の場合で、イスなどを使った宴席では立って向かい合います。 さらに長老は続けます。 「『締め』のご指名も任せてくださればありがたいんですが」 (全員「同意」の拍手) 「ありがとうござんす。では、初ッキリをAさん、中締めをBさん、最後にCさん、お願いします」 人生経験豊かな長老もたまには失念します。 「あっ、忘れてました。『おさかな』は・・・・誰がいいかな。あっ、Zさんお願いします」 Zさん、謙遜して断りますが、長老は許しません。顔は渋々ながらZさん、承諾して盃事の場所に移ります。 指名された方々がその場所に落ち着いて、いよいよ厳かに儀式が始まります。 「上げる」方が「受ける」方に盃を手渡して徳利の酒を注ぎます。 ここで「おさかな」の登場。数ある謡曲の中からめでたい曲を選んで朗誦します。 『いけのみぎわの つるかめは~ 蓬莱山もよそならず~ ・・・中略・・・ きみのめぐみぞ ありがたき~ きみのめぐみぞ ありがたき~』 だいたい『鶴亀』が相場です。 最後の『ありがたき』を合図に「受ける」方々は盃を干し、重ねて酒を注がれます。注がれた酒を持ったまま、次の段を待ちます。 「受ける」方々の代表(その場で緊急の互選。)があいさつします。 「ただいまOさん(盃事を提案した長老)のほうから丁重なる盃事を提案していただき、まことにありがとうございました。では、今いただいた方(「上げる」方)にお返ししますので、よろしくお願いいたします。「おさかな」の方もよろしくお願いします」 そして、返盃の儀。(これは省略される場合があります。その場合の挨拶は 「ただいまOさん(盃事を提案した長老)のほうから丁重なる盃事を提案していただき、まことにありがとうございました。本来ならここで盃をお返しするべきですが、また任務を全うした時にお返しすることとして、のちほど皆様(宴会列席者のこと)のところにお酌に回りますのでよろしくお願いいたします」 となります。そして「締め」になります。) あらためて、返盃の儀。 代表者の挨拶が終わると「受ける」方が盃を空にして「上げる」方に手渡し、徳利を受け取って「上げる」方に酒を注ぎます。つまり、立場が入れ替わります。ここで再び「おさかな」係りの登場。 『・・・・(前略)・・・・(中略)・・・・ん~、ん~』 これもなにかのめでたい謡曲の一節です。最後の『ん~』を合図に「上げる」方が盃を干して、お互いにお辞儀してそれぞれ元の宴席に戻ります。AさんBさんCさんは残ります。「上げる」方は盃と徳利を持って帰ります。 次は「締め」です。いわゆる「手締め」のこと。 残ったAさんBさんCさん、それぞれに挨拶してから手締めをします。順序があって時と場合によりますが、組織の小さいところから大きいほうへ、とか、若い者から年寄りのほうへ、という風に、数のすくないものが最初に締めるようです。 まずは組織員12名の代表Aさん。ひとこと挨拶して最後に「・・・・でっかく胡坐をかいてもらって『ヤーッ』てなところで、○○流でお願いします。・・・イヨー!」 (全員、手拍子。) シャンシャンシャン、『ヨッ』、シャンシャンシャン、『ヨッ』、シャンシャンシャン ○○流とありまして、近隣諸郷で拍手の流儀が異なります。 次(中締め)は組織員数24名の代表Bさん。 最後は組織員数36名のCさん。 同じ要領で繰り返します。 最後の最後で幹事役が口上を述べて「北信流」が終わります。 「えー。お勝手元からですが、酒と料理は充分に用意してございます。時間の許す限り、あるを尽くして(酒・料理をきれいに食べて、の意)、ゆっくりやってください」。 ここで、関係者以外はぼちぼち帰りはじめます。
2003/11/29
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