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新年おめでとうございます 一昨年は休養の1年でしたが、造園家(ガーデンデザイナー)を目指して、昨年1月にキャリアカレッジ エクステリア科に入学しました。 半年間、外構、植栽、設計など全課程を学んで無事卒業。現場経験のため、造園の仕事に就業して、勉強中です。 青空のもと身体を動かして仕事ができる面白さがあり、樹木や草、自然についての知識が必要、さらに建築や美術、歴史ともつながる仕事なので、奥は深く、学ぶことがたくさんあり、楽しんでいます。 夏にはロシア旅行、秋には上海へ家族旅行もでき、いい思い出ができました。庭園の勉強にもなりました。 世界も日本も穏やかならず、いろいろと大変ですが、みなさまよい年をお迎えください
January 1, 2007
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加藤健一事務所『詩人の恋』2003年に上演された音楽劇の再演である 私も二度目だが期待に違わず素晴らしかった 芝居の楽しさを味わうことが出来た 舞台は1986年のウィーン 曲を弾けなくなったアメリカ人のピアニストがウィーンにやってくる 原作は英語である 指導教授の指示で声楽教師のレッスンを受けることになる この二人だけで話が進んでゆく オーストリア人の教授は酒飲みでピアノを弾くのもうまくない ピアノを練習しながら飲んでいる酒は何故かオールドパーである ハイネの詩、シューマンの歌曲『詩人の恋』の歌のレッスンが始まる ピアニストは何故このレッスンを受けなければならないのか 納得していないので当然歌に気持ちが入らない 教授はなんとか音楽の気持ち、感情を伝えようと・・・ 反発しながらも教授の伝えようとする音楽の気持ち、感情に 少しずつ出会い始めるピアニスト 「深い悲しみと深い悲しみがあるからこそ生まれる大きな喜び それがぴったり合ったときの素晴らしさ」 ピアニストは父との約束を果たすため ウィーンから5時間のミュンヘンへ行く そしてダハウ強制収容所を訪ねて大きなショックを受ける 「収容所は町はずれにあるのかと思っていたが、わずか20分で着いた」 「道を聞くと何も言っていないのに、私は何も知らなかったと」 「ウィーンなんて何もかも嘘ばかりだ」 「私はもうドイツ語は使わない ドイツ語で歌わない」 その怒りは、ナチスドイツを歓声を持って迎えたオーストリア人 のひとりである教授にも向けられる ・・・・・ ・・・・・ 悪夢にうなされる教授、教授の薬による自殺 ドイツ語で助けを呼ぶピアニスト 教授がシャツの腕をまくるとそこには強制収容所でつけられた 番号が彫られている あなたもユダヤ人か? あなたの物語は? だが教授は・・・・ 「人は物語を一つしか持っていない それを簡単に教えてやれるか」と・・・・ 「勇気があったから、意志が強かったから生き残れたわけではないパンをほしがりながら死んでゆく隣に寝ている男が」 目に入らないようにして生きてきてから生き残ったんだ」 「それは美しい季節、輝かしい5月だった・・・」 歌曲「詩人の恋」のレッスンは進んでゆく ドイツ語で歌われ 英語で訳された歌が歌われ ピアニストは大きな悲しみを体験しながら しかしそれがかすかな希望をあきらめていない歌曲の内容を掴み 見事に歌ってゆく 教授もまた同じく悲しみと喜びを歌う 曲の内容、 二人にとっての大きな悲しみと、再生、かすかな希望 芝居全体の大きな悲しみと再生、かすかな希望が三重の構造になっている 観客もまた大きな悲しみと再生、かすかな希望を体験する 暖かなメッセージを持つ舞台であった 歌曲の歌やピアノが大きな悲しみやかすかな希望をさらに伝えてくれた 加藤健一事務所ホームページ http://homepage2.nifty.com/katoken/
September 6, 2006
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映画『真珠の耳飾りの少女』はトレイシー・シュヴァリエの小説が元になっていますそしてその小説は 17世紀オランダの画家フェルメールが残した作品の中でも有名な作品「真珠の耳飾りの少女」別名「青いターバンの少女」を題材にした物語です私も大好きな作品です「真珠の耳飾りの少女」の絵があまりにも素晴らしいので小説も映画もいらないと思ってましたがかなり評判にもなっていて、気になっていたのでとうとうDVDを借りてきて我が家のホームシアターで見ました(まだ音響装置との接続などは未完成ですがとりあえずテレビより大きく見ることぐらいは出来ます)フェルメールの絵の人物たちがそのまま動き出したかのような光の美しさ、映像の美しさを楽しむことが出来ました2003年度アカデミー賞3部門「美術賞」「衣装デザイン賞」「撮影賞」にノミネートされた作品だけのことがありました絵の具を作るプロセス、カメラオビュスクラのこと当時の市民の日常的な生活の様子、こどもの遊び、料理など時代考証もしっかりしていて、映画作品としても優れたものだと思いました絵「真珠の耳飾りの少女」の紹介http://takannex.fc2web.com/vermeer21.html小説「真珠の耳飾りの少女」amazonのページhttp://www.amazon.co.jp/映画「真珠の耳飾りの少女」のホームページhttp://www.gaga.ne.jp/pearl/top.html
June 17, 2005
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ギリシャの映画監督テオ・アンゲロブロスの6年ぶりの新作『エレニの旅』を見に行きました1919年赤軍のなだれ込むオデッサで孤児になり、難民としてギリシャに戻ったエレニギリシャ内戦の中でふたりの息子を失う1949年までを描くエレニという名前はギリシャによくある名前でギリシャそのものも意味するエレニに重ねてアテネオリンピックの映像を見たときはあまり感じられなかったが人々が苦しんだギリシャ現代史の悲劇そのものが描かれるテオ・アンゲロブロスの語り口は詩情豊かに印象的な映像を長い固定したシーンの描写で重ねて行くその映像は悲しみをたたえて美しいその美しいシーンを見ていると、そこにいる人々の悲しみや怒りが心の底から浮かび上がってくる●テオ・アンゲロブロス簡単な紹介1935年4月27日、アテネ生まれ アテネ大学法学部から兵役1961年 パリ ソルボンヌ大学に籍をおいてアンリ・ラングロワのシネマテークに通う1962年 イデック(映画高等学院学校、IDHEC)に入学1964年11月 軍部台頭で政情不安定なギリシャに帰国1974-75「旅芸人の記録」1984 「シテール島への船出」1988 「霧の中の風景」1995 「ユリシーズの瞳」1998 「永遠と一日」●『エレニの旅』のホームページhttp://www.bowjapan.com/eleni/
June 15, 2005
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劇作家 鄭 義信による新作書き下ろし!トム・プロジェクト プロデュース「カラフト伯父さん」作・演出:鄭 義信(チョン ウイシン)出演:岡田義徳、冨樫 真、ベンガル 日程:平成17年6月10日(金)~6月19日(日)13回公演(予定)主催:トム・プロジェクト株式会社 + 財団法人 武蔵野文化事業団吉祥寺シアターが完成したのでその見学を兼ねてこけら落としの公演『カラフト伯父さん』を見に行きました吉祥寺シアターは小さな劇場ですいろいろな劇が楽しめそうないい空間が出来ていました吉祥寺駅近くですが、家から自転車でゆけるし、いい感じの自転車置き場もつくってあるのでこれから楽しみです作・演出の鄭 義信(チョン ウイシン)は「月はどっちに出ている」「血と骨」などの映画の脚本を担当している劇作家震災後10年の神戸で、なおも心の傷を抱え、寂しく孤独に生きているわかものの姿を描いています幼いときに父母が離婚時々訪ねてくる父を母は「カラフト伯父さん」と呼ばせていた母の死、阪神大震災、父の死、今はひとりで閉じた鉄工所に住んでいるその父が東京から出版社の事業で倒産,サラ金で出会ったストリッパーの女と借金の取り立てから逃げて、転げ込んでくるふたりを帰そうとするが、「行くところがないから」と転げ込まれてしまう離れていた父、何もしてくれなかった父を許せない若者は、ずっと不機嫌で心を開いて、語ろうとしない父が訪ねる「俺が何をしたというんだ?」・・・・・若者の悲しみ、父の悲しみ、父の恋人の悲しみ・・・・3人の登場人物、舞台装置、演出、丁寧に作られた舞台を楽しむことができた阪神大震災とその後の10年の経過が重要な設定になっているその後を生きている人々を書きたかったと言うことはわかるが阪神大震災の被害者の悲しみが全面に出てくることでその分劇構成としては弱さを含んでしまったと言えるのではないか・・・登場人物がいささか類型的それまでの生い立ちや生活の積み重ねが浮かび上がってこないのが惜しい吉祥寺シアターhttp://www.musashino-culture.or.jp/theatre/index.html鄭義信が脚本・演出「カラフト伯父さん」http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/theater/20050525et05.htm
June 13, 2005
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吉祥寺の新しい画廊 A-things吉祥寺に行くときに通るいつもの道,大正通りに小さな新しい画廊が出来ている名前は A-thingsずっと気になっていたが最近やっと入ってみたちょうど写真展をやっていたその写真、風景やライトの建物もよかったが他にデザインのいい、少し古い食器やポット、椅子も美しい美術図書が少しずつ並べられているのが楽しいスペースも少しなので、本当にいいものしか並べていないギャラリーの方とお話が出来た何とニューヨークに長くいらした現代美術の専門家の方で展示品についてもいろいろ詳しい説明をお聞きすることが出来たいいギャラリーが出来て良かったこの通りには木のオモチャのニキティキ、絵本のおばあちゃんの玉手箱パンのダンデゾンがありすぐ近くに mono というギャラリーもあるA-things関連のホームページhttp://athings.exblog.jp/mono gallery というギャラリーhttp://www.monogallery.com/木のオモチャのニキティキのホームページhttp://www.nikitiki.co.jp/top/おばあちゃんの玉手箱http://www.tokyosanpo.com/tama/ダンディゾン吉祥寺にOPENhttp://allabout.co.jp/gourmet/bread/closeup/CU20030528/
June 12, 2005
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6月7日(火)19時開演 紀尾井ホール前回 5月19日(木)に追加公演の空席を購入したので天満敦子 無伴奏ヴァイオリンコンサートにもう一度行ってきました幸運にも、今回は最前列一番左の席なので、前回にも増して、ストラディバリウスの音の響きが伝わってきました今日は『ねむの木の子守歌』の演奏もプログラムにあり、作詞者であられる美智子妃殿下がお見えになりました第2部かお見えになりました私はご成婚パレードで拝顔したことがあり、今回が2度目ですがテレビでの映像よりお元気そうで、何よりでした第1部からこれないほどお忙しいのかそれとも皇室の方はが参加される場合、こうした形でしか参加できない習慣なのかわかりませんがいずれにせよご不自由ですね警備の都合からか席も2階の一番前でした
June 7, 2005
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栗田玲子『画廊の扉を開けて』2000年6月 講談社1800円1970年銀座にガレリオ・グラフィカを開廊し2000年30周年を迎えられた栗田玲子さんの著作意欲的に仕事をされてきた画廊の仕事の実際の様子、オーナーの気持ちがわかって面白かったです
June 6, 2005
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『落花は枝に還らずともー会津藩士・秋月悌次郎』 (上下) 中村彰彦 著 中央公論新社 第24回新田次郎文学賞 受賞会津藩を考える上でとても読みやすい良い本でした小説ですが、秋月悌次郎が見聞きした範囲で書き綴っていることでかえって当時の状況がよくわかりました秋月悌次郎は京都守護職にあった松平容保(かたもり)の側にあって身分がそう高くはないが、学問によって抜擢された公用方という文官であった公用方は朝廷や幕府、各藩との折衝や情報収集を行う彼は学問が好きであり、選ばれて、江戸の昌平坂学問所に学ぶ機会を得る彼にとっての学問とは「学問とは人としての道を知るためのものであり、およそ人たるものは道義に生きるべきなのだ。」その後は藩命により西国を遊歴するなど、諸藩の事情に詳しく、交際範囲も広いという特異な会津藩士であった「八月十八日の政変」の前には会薩同盟成立に動くなどの仕事をしているその後、落ち度があったわけでもないのに、不運にも蝦夷の斜里の代官所(15人)に左遷されてしまう(1859年に幕府は国防のことを考え東北6藩に少しずつ蝦夷領地を与えた会津藩は標津、斜里、紋別に代官所を置いた 税収は年4500両にすぎない会津に海産物が入るようになったという恩恵はあったようだ)その間に時代は大きく変化、二年九ヶ月後再び京都に呼ばれ冬の斜里を出発、ようやく京都にたどり着くが、時すでに遅く薩長同盟による倒幕を防ぐことは出来なかった鳥羽伏見の戦いでの敗北、奥羽戦争での敗北、降伏・・・・秋月悌次郎が戊辰戦争前、戊辰戦争、戊辰戦争後をどのように生きたか松平容保の人となり、京都においてどのような言動をしたのか当時の幕府中枢の動き、慶喜の動き攘夷激派の動き長州藩の動き、薩摩藩の動き,諸藩の動き松平容保が、会津藩がいかに勤王であり、孝明天皇に信頼されていたか松平容保が、会津藩がいかに誠実であったか勤王であり、幕府に忠実であらねばならないという信念を持って京都守護職を勤めたしかしその会津は、攘夷激派によるクーデター成功という政治的変化の中で朝敵とされ、追討令が出される松平容保は若く、誠実であればよいという信念を持って事に当たっている藩の気風はいわば性善説である政治的に見れば未熟であり、政治の動きを読みとれなかった藩の政治判断からみれば不幸なことであっただがそれを貫いたのが松平容保であり、会津藩であった1868年1月鳥羽伏見の戦い 9月会津城落城1864年禁門の変以来の会津藩死者は3014人1868年 開城後 猪苗代謹慎 城内組 3254人 塩川謹慎 城外出撃組1744人秋月悌次郎は降伏の使者として命がけの交渉、開城降伏式の準備にあたる降伏後も永久謹慎、他藩へのお預けの身でありながら、後進のために命をかけて尽力する(猪苗代に監禁される 会津藩処分寛大陳情のために猪苗代を抜け出して北越まで行き、 長州奥平謙輔・前原一誠に陳情 12月-東京伝馬町に移獄 1869年 会津戦争責任者として終身禁固、永代お預けに処せられる)明治5年1月、やっと許されて、会津に戻ることができた一時政府につかえ、法案起草などに従事その後東京大学予備門教諭として奉職 66歳で引退次の年さらに熊本の第五高等中学校の教壇に立つ筋のとおった生き方と誰にでも優しい人柄によって、生徒からも同僚からも慕われたという熊本五高において同僚であったラフカディオ・ハーンが秋月悌次郎のことを書いた文章が残っているラフカディオ・ハーンにとって彼はその日、会っただけで、会った後に温かいものが残るような人としてハーンの想像する日本の神さまのような人として大切な人であった秋月悌次郎の戦後の生き方もまた学問に対する彼の信念を貫くものであった明治28年 熊本五高引退明治33年1月3日没 77歳であった
June 4, 2005
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ベルリンの至宝展 上野国立博物館 へ行きましたhttp://www.asahi.com/berlin/intro/今回特に印象に残ったのは木彫りでした使徒マタイドイツ初期ルネサンスの代表的彫刻家リーメンシュナイダーリンデン(1505年ごろ)聖クリスピアヌスの座像ローマの貴族、キリスト教徒迫害を逃れて、ガリアに滞在していたとき、貧しい人々に靴を与えるために、靴づくりを学んだという。のち殉教座って靴を作っている座像である クルミ(フランス 1420年頃)磔刑磔刑ではあるがロマネスク様式でキリストが苦しむ姿としては描かれない死の克服として静かな穏やかな死があるポプラザクセン地方1150年頃他にマネの『温室にて』1878-79年温室の中の男女フリードリッヒ『窓根の女』1822年妻カローラが窓の外の河を眺めている後ろ姿河をゆく大きな帆船シンケル『岩場にたつゴシックの大聖堂』など上野博物館の中にあるレストランの中では法隆寺宝物殿一階にあるレストランにいつも寄りますたいてい野外の席なら早く座れます(ホテルオークラがやっています 味はまあまあですが野外の席なら、噴水が見えて気持ちがいい展覧会を見た後は一休みしないと・・・・・・)
June 3, 2005
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前にいただいた ミルトンの失楽園にイギリス人ジョン・マーチンが作った版画の挿絵 『イブ』(額装)にシミが見つかったので、心配になり専門の方に見てもらうために版画を扱う画廊へ持っていったオーナーの意見では修復できるがもとの絵の値段と修復費用のバランスから言うとおすすめしないとのことでシミを隠す枠を入れることにした現在、裏に置いてある紙が中性紙ではないとのことなので中性紙に変えることも依頼してきたせっかく来たので今、画廊にある版画をすこし見せていただいたピカソ、マチス、ゴーギャンなどもある版画なのでそれほど高くはない(といってもかなりの金額ですが)私が好きな長谷川潔の版画もある彫ったビュランの線が美しい長谷川 潔「フローラ」ドライポイント、1928年278 x 186 mm、 限定50部鉛筆で署名と番号http://www2.big.or.jp/~adel/grafica/gg-03/hsgw.shtml拡大http://www2.big.or.jp/~adel/grafica/gg-03/gg-03-b/hsgw-b.html(こちらは別の画廊加藤版画にある長谷川潔)..長谷川潔 「ダリアと野の花」..ポアントセッシュ 1932年 ed.35..24.4 x 19.2 cm (イメージサイズ)..鉛筆でサインと限定番号 額装http://www2.big.or.jp/~adel/kato-hanga/kh-0412/0412-b/hsg-b.htmlこれらは長谷川潔の初期の作品です
June 1, 2005
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先日パソコンのプリンター3台目を購入した1台目は95年12月に購入 ヒューレットパッカード850c 黒のみ このときの価格は59880円 !!! (別に買ったスキャナーは 37410円)!!! 2台目は99年12月に購入 ヒューレットパッカード955cこちらはカラー このときの価格は36540円 !! 新しいプリンターはCANON MP-770今回のものは複合機なのでコピー、スキャナーに加えてデジタルカメラからのダイレクトプリントもできる5年前のものより格段に印刷がきれいになり印刷スピードもかなり速くなっています3/29車で花小金井のPCDEPOに行って20700円で購入複合機でこの値段は安いこれは価格コムで出ている最低値段より安いです
April 27, 2005
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この写真は前回のもの今日は急に降り出したすごい雨の中重装備の支度をし自転車で出かけた●短編NOW I LAY MEを読むヘミングウェイが生まれた家のことを書いたものは2編しかないこれはそのうちの一つ戦場で大怪我をした後重い不眠症になり眠れない中で母と父のことを思い出している・・・・●今村さんが関わった映画上映「ヘミングウェイ・ポートレイト」アレクサンドロフ・ペトロフのアニメーション「老人と海」ガラスへ油絵の具で描き 原画29000枚をつくった4年かかって20分の作品に仕上げた1999年のアカデミー賞ショートアニメーション部門受賞海の水をかき分けるオールの動き、水の流れ小鳥の動きなどが美しかった
April 26, 2005
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バリ島芸術をつくった男 ーヴァルター・シュピースの魔術的人生 伊藤俊治 平凡社新書 2002年 780円ヴァルター・シュピースはロシア生まれのドイツ人第一次大戦後当時オランダの植民地であった東インドの文化にあこがれ、ジャワに向かい、バリと出会い、バリ島に住み、バリ島の芸術に生涯を捧げた人だ現在のバリ舞踊の成立に、世界への紹介に、大きな関わりがあったバリ島とヨーロッパ文明の奇跡のように幸福な出会いの記録でもあるヴァルター・シュピースの生涯1895年モスクワ生まれ 父母はドイツ人1902年ピアノ、絵画を習う1910年ドレスデンのギムナジウムに入学 ドイツ文化と接触し影響を受ける ダンスに熱中1914年第一次世界大戦がはじまる ドイツ人である父抑留される モスクワに帰省 抑留され、ウラルに送られる1815年タタ-ル、バシュキュールなどの民族文化を知る 古老から民話を聴き、民謡を覚え、プリニティブな生活に感動する 絵を描き始める1917年モスクワに帰還 オペラ芸術を手がける1918年父レオン死去 家族とドレスデンへ 芸術家のコロニーに住み、ダンス教師として生計を立てる 舞台芸術、絵画1923年アムステルダムで個展 王立植民地博物館に通いジャワやバリの文化に触れる オランダ領インド行きを決意 ハンブルク出港、ジャワ下船、 バンドンでピアニスト、ジョグジャカルタへ移る1824年ジョグジャカルタのスルタンの宮廷楽長となり、ジャワ音楽の記譜ほうを考案1925年初めてバリ島を訪れトランスを伴う儀礼に衝撃を受ける1927年バリのスカワティ家に招かれ、ウブドに移り住む1931年ドイツ映画『悪魔の島』制作に協力 パリで植民地博覧会開催 シュピースも協力し、バリ芸術が大々的に紹介された1937年アグン山南麓イセにアトリエ ヴィキイ・バウム『バリ島物語』1938年ベルリ・ド・ドーテとともに『バリ島の舞踊と演劇』出版 オランダ植民地政府風紀紊乱のかどで拘束、投獄 獄中でも絵を描き続ける1940年敵国人として再び逮捕、拘留1942年収容者を乗せた船がパダンからセイロンに向かう途中 日本軍の爆撃により撃沈 シュピースは享年47歳
April 22, 2005
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バリ島に行ったことはないのですが一度だけバリ島のガムラン音楽と踊りを見たことがある仙台にいたときのことだ間近の席だったこともあり、その力強い演奏、華麗な踊りがつくりだす魔術的な世界に惹きつけられたそれ以来、バリ島は私にとって文字通り、夢の島となり本が少しずつ溜まってきた今日本棚をさらって見たらこれだけあった年代順に並べてみる******************************* バリ島について本のリスト*******************************●魔女ランダ考ー演劇的知とは何かー中村雄二郎 岩波書店 1983年 1700円 宗教と演劇、生活空間、場のつくりだす演劇性についての考察●踊る島バリ 聞き書き・バリ島のガムラン奏者と踊り手たち PARCO出版 1990年 3200円 担い手たちによることば●ガムラン武者修行 皆川厚一 PARCO出版 1994年 2300円 ガムラン音楽を学ぶため留学し、演奏家となった方の記録●バリ島結婚物語 村松章子 情報センター出版局 1998年 1600円 バリの男と結婚した日本女性たちそれぞれの家族を訪ねたルポルタージュ●バリ島芸術をつくった男 ーヴァルター・シュピースの魔術的人生 伊藤俊治 平凡社新書 2002年 780円 今のバリ芸術の生成に ロシア生まれのドイツ人であるシュピースが何故どのように関わったのか バリ人となった男の人生●バリ島の小さな村で 鏡味治也 洋泉社 2004年 1600円 これは人類学者による村での生活体験報告書 1981年初訪問 実際にバリの村に滞在したのは1982年と1991年
April 21, 2005
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バリ島に行ったことはないのですが一度だけバリ島のガムラン音楽と踊りを見たことがある仙台にいたときのことだ間近の席だったこともあり、その力強い演奏、華麗な踊りがつくりだす魔術的な世界に惹きつけられたそれ以来、バリ島は私にとって文字通り、夢の島となり本が少しずつ溜まってきた今日本棚をさらって見たらこれだけあった年代順に並べてみる******************************* バリ島について本のリスト*******************************●魔女ランダ考ー演劇的知とは何かー中村雄二郎 岩波書店 1983年 1700円 宗教と演劇、生活空間、場のつくりだす演劇性についての考察●踊る島バリ 聞き書き・バリ島のガムラン奏者と踊り手たち PARCO出版 1990年 3200円 担い手たちによることば●ガムラン武者修行 皆川厚一 PARCO出版 1994年 2300円 ガムラン音楽を学ぶため留学し、演奏家となった方の記録●バリ島結婚物語 村松章子 情報センター出版局 1998年 1600円 バリの男と結婚した日本女性たちそれぞれの家族を訪ねたルポルタージュ●バリ島芸術をつくった男 ーヴァルター・シュピースの魔術的人生 伊藤俊治 平凡社新書 2002年 780円 今のバリ芸術の生成に ロシア生まれのドイツ人であるシュピースが何故どのように関わったのか バリ人となった男の人生●バリ島の小さな村で 鏡味治也 洋泉社 2004年 1600円 これは人類学者による村での生活体験報告書 1981年初訪問 実際にバリの村に滞在したのは1982年と1991年
April 21, 2005
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東京女子大の校舎の設計はアントニン・レイモンド正門からはいると正面の建物、左右に西校舎、東校舎があり今は新緑に飾られて白が映えているレイモンドはフランク・ロイド・ライトの愛弟子(ライト1867年生まれ、1957年没)そしてフランク・ロイド・ライトはヘミングウェイと同じ町シカゴ郊外にあるオークパークの生まれである(ヘミングウェイは1899年生まれ)オークパークは高級住宅街として知られている宗教色(プロテスタント)の強い町生家は残っていてヘミングウェイミュージアムになっている育った家も残っている声楽家であった母が設計した家ヘミングウェイが通ったオークパーク高校はラテン語やギリシャ語を教えるような学校であり今でもレベルの高い高校として知られている1898年ヘミングウェイ家は北ミシガン・ペトスキーに別荘を購入夏には別荘にずっと行く習慣だったニック・アダムス物語に描かれる話はほとんど自伝でありこの地が舞台になっているそのころの建物がまだ残っている
April 20, 2005
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近くの大学で開催される寄付講座に申し込みをしたところ応募がたくさんあり、抽選という関門もあったのに、幸い受講できることになった雨の中自転車で出かける授業のために大学の門をくぐるのは何年ぶりか・・・ここは女子大なので、校内に全く初めて中に入る・・・受講者は市民参加のほうが多いが大学生でこの講義をとった人も混じっている講師は今村楯夫さん(1943年生まれ)「ヘミングウェイは戦争を殺される側から見つめ、描き続けた作家」「アメリカがフロンティアを失って久しいヘミングウェイは辺境に住み続けたヘミングウェイは文明をどのように見たのか」「9/11以降アメリカは変わってしまった何故今ヘミングウェイか、何故今アメリカかこの講座をとおして考えてゆきたい」私は大戦間の歴史、ヘミングウェイとスペイン戦争、に興味があるアーネスト・ヘミングウェイ 1899年生まれ(イリノイ州シカゴ市の現在は国際空港の近くになる住宅地オ-ク・パ-ク)1918年イタリアの戦場で重傷1928年パリを去りアメリカキーウエストへ1930年『武器よさらば』1931年キーウェストに邸宅購入1937年内戦中のスペインへ1940年『誰がために鐘は鳴る』 キューバに邸宅購入1951年『老人と海』1961年死去ヘミングウェイ年譜http://www.casa-de-cuba.com/hemingway/nenpu.html今村楯夫さんの文章ヘミングウェイの小説「発見」の背後に『新潮』2004年12月号(216-27)http://wwwsoc.nii.ac.jp/hsj2/feature2.html
April 12, 2005
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一日雨が降り、気温が下がりました桜の花も終わりですね若葉の緑が鮮やかです桜の花の見頃はわずか四日ほどロミオとジュリエットの物語のようにはかなく、短い・・・・
April 11, 2005
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桜吹雪、桜の花びらが雪のように競技場の観覧席である芝生に寝て桜を見上げる次々と花びらが落ちてくる 今日はもう若葉の緑がかなり目立つ花びらの散った後のがくの赤い色も目に入る風が吹くと、桜吹雪が舞い、見事だ今日で桜も終わりだ・・・帰り道、このマンション脇の小径を通った桜の花びらが道に積もっているちょうど人通りがまったくなく来世への道のような静寂があった
April 10, 2005
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近くの武蔵野市立大野田小学校が改築され、オープンされていたので見学しました鉄筋コンクリート5階建て(地上5階地下1階)なのでとても広いです各学年3クラスずつの作りになっています 光あふれる明るい作りだし、眺めもいい各学年とも多目的オープンスペースがゆったりとあり他に第1音楽室、第2音楽室、図工室、家庭科室、家庭科調理室理科室、コンピュータールーム、図書室屋上プール学童クラブ、地域こども館アルミサッシや多摩産の木材をたくさん使って優しい空間を作っています欄間窓による通風を併用する床輻射「涼・温房」という空調(床に冷水や温水を流す冷暖房のことらしい)屋上緑化、太陽光発電、雨水利用公募したパブリックアート総工費32億1850万円だそうです(前の校舎は昭和48年、1973年に建ててられていますが耐震診断により強度に問題があることがわかり全面的に建て替えられました)エレベーターと手洗い場 1,2年生のフロア 多目的スペースから教室を見る 6年生教室の広いベランダからの眺め 校門のパブリックアート 今日はもう桜がはらはらと舞い始めました陸上競技場で桜の木の下でお昼を食べ、桜の花影で眠る・・・・
April 9, 2005
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昨日桜が一気に咲きました昨日行った井の頭公園も小金井公園もきれいでしたが今日は近所の桜を見に歩きました水道局の桜新築なった大野田小学校武蔵野競技場の桜 ちょうどお昼時だったので 幼稚園のお母さんたちとこどもたちのグループや お昼を食べに来た市役所の人たちが楽しく食事中市役所前の桜三鷹通りの桜NTT研究所の桜今日歩いたところは宴会をするようなところではないので静かなお花見ができました昨日はかなり強い風が吹いても花びらが散らなかったのに今日はもう花びらが散り始めていますほんとに命が短いそこがいいのだとパートナーが言いますが・・・・早いなーと・・・・これは家の近くのNTTの研究所の前庭にある桜です昨日の井の頭公園の桜
April 8, 2005
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昨日桜が一気に咲きました昨日行った井の頭公園も小金井公園もきれいでしたが今日は近所の桜を見に歩きました水道局の桜新築なった大野田小学校武蔵野競技場の桜 ちょうどお昼時だったので 幼稚園のお母さんたちとこどもたちのグループや お昼を食べに来た市役所の人たちが楽しく食事中市役所前の桜三鷹通りの桜NTT研究所の桜今日歩いたところは宴会をするようなところではないので静かなお花見ができました昨日はかなり強い風が吹いても花びらが散らなかったのに今日はもう花びらが散り始めていますほんとに命が短いそこがいいのだとパートナーが言いますが・・・・早いなーと・・・・これは家の近くのNTTの研究所の前庭にある桜です昨日桜が一気に咲きました昨日行った井の頭公園も小金井公園もきれいでしたが今日は近所の桜を見に歩きました水道局の桜新築なった大野田小学校武蔵野競技場の桜 ちょうどお昼時だったので 幼稚園のお母さんたちとこどもたちのグループや お昼を食べに来た市役所の人たちが楽しく食事中市役所前の桜三鷹通りの桜NTT研究所の桜今日歩いたところは宴会をするようなところではないので静かなお花見ができました昨日はかなり強い風が吹いても花びらが散らなかったのに今日はもう花びらが散り始めていますほんとに命が短いそこがいいのだとパートナーが言いますが・・・・早いなーと・・・・これは家の近くのNTTの研究所の前庭にある桜です昨日の井の頭公園の桜
April 8, 2005
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今朝の朝日新聞に木下長広さんのゴッホ展についての記事があった「ゴッホは、たいていの作品にタイトルをつけなかったので多くの作品に、後生、「悲劇の天才画家」の神話化に都合のいいタイトルがつけられてしまった」そうした先入観を捨てて直接自分の眼と感覚を頼りに、絵を見ようと言う提言だ例として1966年のカタログでは「画架の前の自画像」となっていた絵が近年「芸術家としての自画像」に代えられている「烏の群れ飛ぶ麦畑」(不出品)もそんなひとつだということばが感覚を鈍らせることもある・・・・という一例大事な提言だと思う
April 7, 2005
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2004年ラボ・パーティ国際交流カナダ・マニトバの記事をまとめましたホームステイ4週間の日記を3ページにまとめました左の【ページ】にあります
September 10, 2004
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8/5(木)ふひとの家に行ったところちょうどお父さんがサパーをつくってくれているところで一緒にごちそうになりましたイカと野菜を煮たもので、ご飯にかけて食べましたアジアの味がおいしかったなあ・・・・8年ほど前にフィリピン・マニラからカナダへ移住家でも英語を話しています移住してからフィリッピンに行ったのは一度きりホストフレンドのジョン(=パトリック)はタガログ語はほとんど忘れたと言っています2人と日本パビリオンに行きました二人はヴォランティアで食堂の片づけ私はラボ・パーティのデスプレー日本語をこちらの高校で教えている人が関心を持ってくださいました教えているこどもたちが日本に興味を持つのでプログラムを紹介したいとのことです・・かずやがホストファミリーと一緒に来ていて元気な顔を見せました 8/6(金) 今日はバスを乗り継いでかなみのステイしているコーディネーターのリンダの家に行きました今日の室内の気温は20度、湿度は50%ひろみさんとも合流かなみのつくってくれたパスタの昼食を食べてから介護のシェリルと介護されているホストの姉にも会いリンダの母ベティと一緒に【コミュニティセンターにデイケアーのこどもたちを訪問】しましたいろいろ日本紹介のプログラム最後はひろみさんの仙台雀踊りをこどもたちと一緒に踊って盛り上がりました扇子を両手に持って踊るこどもたちの可愛かったこと・・・ひろみさんのステイ先のマンションにも寄って夜は【ギンター家でサパー】一緒に【競馬】を見に出かけました・・・騎手に女性もたくさんいて1着や2着をとっていました帰りに【ティム・ホートン】(カナダの有名なホッケープレヤーが始めたコーヒーのチェーン店)でコーヒーとドーナツ、箱いっぱい 5人で18ドルくらい・・・二人をそれぞれの家に送ってから【ウクライナパビリオン】で下ろして貰って9時45分からのショーを見ました女性の衣装や髪飾りの華やかさ飛び跳ねる踊りの素晴らしさ、コサックの男声合唱の素晴らしさ・・・ 20分ほど歩いて家に帰りついたのが11時半なかなか忙しい一日でした
August 7, 2004
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フォークラマの日本パビリオンは工業高校を使って一週間行われますウィニペッグの日系人はiいま4世代1000人弱第二次世界大戦終了後 西海岸からやってきた人が多い「私の父は西海岸でセールスマンだった戦争で日系人はキャンプに収容され、仕事も家も失い戦争終結後家族(妻、5人のこども)とともに東に向かう汽車に乗っていて、ここで降りることにしましたどうしてそう決めたかというと東はもっと寒そうだったからですここで仕事を探すのはたいへんだった労働者として働かなくてはならなかった・・・・」ウィニペッグは北米大陸のちょうど真ん中にあり季候がいいのですふひとはここでボランティアとしてホストと食堂で働いています ふひとが責任者に話してくれたので、食堂にラボ・パーティのデスプレーを出せることになりました 食堂に来ていたホストファミリーとラボっ子 踊りに出演した日系のこどもたち踊った曲の意味はわかっていますかと聞いたところ「部分だけ・・・」ですって ウィニペッグで20年以上続いている「日の出太鼓」がSHOWの最後を飾りました
August 5, 2004
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今日はマニトバミュージアムへこの船は実物大のレプリカ と言っても本ものと同じにつくってありますマストは松 甲板はオーク1650年イングランドでつくられた船54フィート、マストは80フィートジョリーロジャー号のサイズです・・・イングランドからハドソン湾への航海は3ヶ月かかったそうですフランスととの関係はいつも悪かったのでこのルートがとられました乗組員は12名 (砂時計を使って時間を計り鐘で知らせて4時間交代勤務)内4人がオフィサー船長、ドクター、第1航海士(ナビゲーション担当)第2航海士(ガン担当、2パウンダーの大砲が12門積んであります)この人たちの料理は船尾の船室に運ばれます他の人たちは甲板の下のキッチンで食事 夕食後ホストファミリーとひろみ、かなみと5人でアシニボン公園の動物園に行くWHITE TIGER 『踊りとら』に出てくる白い虎の姉妹が呼び物です優美な動きでしたアシニボン公園の動物園に行くWHITE TIGER 『踊りとら』に出てくる白い虎の姉妹が呼び物です
August 4, 2004
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大きな行事の後なのでホストは家でゆっくり私は大きな公園まで歩きましたこれが『王様と私』を見た野外劇場です 半透明の屋根です中に黄色の椅子が並んでいます フォークラマという行事が始まりましたポーランドパビリオンに行ってみました入場料は4カナダドル弱入り口のポーランド娘 素敵な笑顔ですね・・・ カラフルな民族衣装とリズミカルなダンスを楽しみましたバスにも乗りましたが今日は16600歩、歩いています
August 3, 2004
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しゅんすけと話しましたとても楽しんでいるようですファームランドにいて隣の家は乳牛を飼っているそうですお父さんはトラックドライバー家族で湖に行って泳いだり、ホストと砦をつくって遊んでいるとか・・・ノバスコシアの高橋テューターと話しましたノバスコシアも順調なようです夕方ホストのマーシャのご両親の結婚60周年のパーティがありウィニペッグ市の南のレストランへでかけました60年の結婚生活!!!着く直前は雨、そして雹(ひょう)が激しく降り、ホストは木の下に自慢の新車を止めたくらいです雹はすぐ止みましたご両親はリムジンで到着(往復100ドル以上かかるそうです)17階にあるレストランの特別室にマーシャの妹、弟(彼はブリテッシュコロンビアから来た)こどもたち、孫たちなど親戚が20人ほど集まりました着いたときには雲の中で(霧の中)何も見えませんでしたが虹がきれいに見えてきましたその後すぐにどんどん霧が消えて近くのゴルフ場から虹がスタートしているように見えてきました 虹のところまで歩いてゆけそうでしたしかも二重です しばらくして太陽が完全に出てくると消えましたがかなり長い間見ることができましたテラスから眺めるとこの市の周りが360度平らであることがよくわかります住宅地も樹が多いので特別室はまるで「緑の海に浮かぶ船」のようでした 料理はスープ、サラダ、メインデッシュ(私は魚)デザートどれもおいしかったです
August 1, 2004
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マニトバと日本の時差は14時間今土曜日の2時なので日本は真夜中ですね金曜日の午後レッドリバー沿いの公園まで歩きました 公園入り口まで30分くらい大きな木が多く、花園もきれいないい公園でしたこれは公園にあった川沿いのコースの案内図 帰りの道に野原がありそこから見た空 夜、リンダの招待で、3人のシャペロンはリンダ一家と同じ公園内にある劇場のミュージカル『王様と私』The King & Iに行きました素晴らしい劇場でした 野外劇場だが、乳白色の大きなドームに包まれていますすきまからは外の木々や空が見えます席は全部黄色のプラスチックの椅子です800席から1000席ぐらいはある大きな劇場です『王様と私』The King & Iha王様に魅力があり,たくさん出てきたこどもたちが可愛かったです
July 31, 2004
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今日の気温は19度Cでした電話で利用する停留所の番号を入力するとこれからバスの出る時間を教えてくれますバスに乗るのに紙幣は使えません1ドル80なのですが2ドル出してもおつりはくれません車内で放送はないので降りる駅を注意して、ひもを引いて合図しますウィニペッグ・アートギャラリーへ着いたところ11時オープンとわかったので近くのパーリャメントビルへその後レッドリバーサイドを歩いてからギャラリ-に戻りました 入場料は6ドルエスキモーの作品やウィニペッグ出身の画家の回顧展キルト展を楽しんでバスで帰りましたホストファミリーに電話みんな楽しく過ごしています議事堂前のビクトリア女王の銅像 議事堂ツアーで一緒になったブリテッシュコロンビアの二人オタワから4日をかけて帰る途中だそうだ素朴ないい青年たちだった 「寒い、寒い、暖かくなるといいね」と言っていました このすてきなマンションに飯澤テューターがステイしています3階にプールがあって泳げるそうです
July 30, 2004
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「広場の真ん中に、花で飾った一本の杭を立てなさい」 06月13日 (日) 新聞の切り抜きからルソーのことばだそうです「広場の真ん中に、花で飾った一本の杭を立てなさい、そこに民衆を集めなさい、そうすれば楽しいことが見られるのです」 これはラボ・パーティの活動とそっくりです・・・
June 13, 2004
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97年デンマーク・ドイツ・イギリス合作映画イスラエルの作家の実体験に基づく小説の映画化ポーランドのユダヤ人ゲットーに一人残された少年が白ネズミのスノーを友に「ロビンソンクルーソー」の物語を頼りに生き抜いてゆく戦場のピアニストの少年版というところ・・・ユダヤ人と見て追いかけ回すポーランドの少年がいる一方助けてくれるポーランド人たちがいるドイツ兵やユダヤ人警察の容赦ない移送作戦が描かれながらとうとう見つかってしまった少年をそっと見逃すドイツの兵隊が描かれる
June 12, 2004
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こどものころ残念ながらラボ・パーティはまだ無かった『笛吹童子』とか『紅孔雀』とかこども向けの番組もあったけれど母の聞くラジオドラマも聞いていてはらはらどきどきしていたたとえば『君の名は』『君の名は』は、昭和27年4月10日にNHKラジオで放送が始まり、昭和29年4月10日まで続いたということだ。毎回、ドラマの冒頭に入るナレーション「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」はすっかり覚えてしまった『銭形平次捕物帖』で江戸の暮らしを学んだ『平家物語』も続けられていて冒頭の有名な語りもそのころ覚えたラジオドラマの方がテレビドラマより心にいつまでも残るのはラボ・ライブラリーの場合と同じで物語の映像を自分でつくりだすからだと思うその後テレビドラマの面白さも知ったがラジオのドラマの面白さとは違うテレビドラマの場合、映像の中に、余計な情報が多すぎて物語の推進力をかえって落とす、弱めるのであろうか今のこどもたちは映像の洪水の中に生きているからこそラボ・ライブラリーを聞く体験自分で物語の映像をつくりだす体験は貴重なものだと思う
June 11, 2004
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『貧しき人々』に続いて『虐げられた人々』読了雑誌≪時代≫に1861年1月から7ヶ月にわたって連載され当時のロシア読書界で非常に歓迎された作品農奴解放からブルジョワ社会への移行期ペテルブルグやせ細った犬の死、その飼い主であるスミス老人の死勘当していたその娘の惨めな死残された娘ネリー語り手小説家のワーニャ養い親の老夫婦その娘ナターシャワーニャは結婚を考えていたがナターシャは公爵の息子と恋に落ちるワルコフスキー公爵その息子アリョーシャワルコフスキーの金と快楽、その前提としての地位の追求その悪魔的な意志は人間に潜む「悪霊」を暗示する後年の作品『罪と罰』のスヴィドリガイロフ『悪霊』のスタヴローギンに続く人物未完
June 9, 2004
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(小学6年生の痛ましい事件にふれて)illusion(幻影)に捕らわれてしまうこととimagination(想像)に羽ばたくことと同じ物語であっても受け取るものによって物語の意味は変わってくるそこには現実に生きているかどうか喜びや悲しみ血と肉を感じているかどうか、身体の問題があるあまりの情報の洪水の中で自分自身の現実、喜びや悲しみ、血と肉、身体が浮遊し始めるのだろうかラボ・パーティのテーマ活動においては逆である物語を受け止め、表現してゆく過程で自分自身の現実、喜びや悲しみ、血と肉、身体がillusion(幻影)をillusion(幻影)として止めずimagination(想像)として羽ばたかせる方向へ解放する方向へと働くのだと思う
June 7, 2004
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今日は D-DAYノルマンディ上陸作戦から50年ヨーロッパのナチスからの解放はここからはじまった・・・・夜 NHKアーカイブを見る「ヨーロッパ・ピクニック計画~こうしてベルリンの壁は崩壊した~」1993年(平成5年)12月29日放送冷戦の終結はここからはじまった・・・・1989年11月9日ハンガリーの国境の小さな都市シェブロンで行なわれたヨーロッパ・ピクニックはおよそ1000人の東ドイツ市民を西側に出国させることができたその後も西側へ脱出希望が続き、ハンガリーは東ドイツ市民の「出国を無条件で認める」と宣言東ドイツ政府と対決「それは提案か」「提案ではない 人道的に判断した我々の決定を伝えているあなたがたはこんなにたくさんの市民が国を出ることを希望しているという政治をこそ恥じるべきだ」その後ベルリンの壁の崩壊、東欧諸国の改革東西ドイツの統合、ソビエト連邦の解体、冷戦の終了と続く歴史の大きな流れをつくりだすきっかけとなった市民たちが、市民運動家が、政治家が、聖職者が歴史を変えてゆく当時のドキュメントフィルム、人々の証言、再現映像によって生々しい歴史の現場が浮き彫りになってゆく(NHKのホームページより)この番組は、ハンガリー共産党幹部たちが極秘に進めた策略とそれを巡る米ソ、欧州各国指導者たちの虚々実々の駆け引きを、多数の関係者の証言と膨大な極秘文書から導き出した大型スクープ・ドキュメンタリーです。
June 6, 2004
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まだ見てなかったのと言われそうですがナチスの冷酷な暴力を徹底して描く組織としても個人としても・・・・その中でシンドラーというドイツ人工業主は雇っていたユダヤ人従業員を、金を使い、危険を冒して助け出す1200人ものユダヤ人が助けられた「ほんとはもっと助けられたのに、しなかったこの車を売ればあと10人助けることができたこのバッチは純金だから、あと2人を助けることができたあと一人を助けることができた」と主人公が泣く・・・・ユダヤ人たちが逃亡する彼に入れ歯を抜き、溶かして作った指輪を贈るそして彼がしたことを証明する文書を渡す全員の署名があるこれはスピルバーグの1993年の作品実話に基づいてつくられたたくさんの方が感動された映画でアカデミー賞も受賞しています***********************************映画としての私の評価は監督の善意や熱意は理解しますがいかにもハリウッドの映画だと思いましたナチスの悪を描くことが、事実がこのとおりだったとしても、表面的、類型的『ショアー』が描きだしたような、私たち自身を撃ってくる深いものがない『戦場のピアニスト』が描いたような生き残ってゆくための闘い、生き残ったがゆえの苦しみにふれない「私は月を指さしているのに、愚か者は私の指の先を見る」ということわざがあるそうです私はスピルバーグにとって愚か者なのかもしれませんが・・・***********************************そして2004年の今イスラエルのパレスチナ政策を見ると作品への見方は確実に変わってきてしまいます今やユダヤ人は被害者ではないユダヤ人は最新兵器で武装した加害者、圧制者としてありパレスチナの人々の恨みは今後末長く続くことでしょう最近イスラエルの反戦派の集会が15万人を集めたそうですそれらの人々とパレスチナの人々の連帯を願わずにいられませんパレスチナの人々にとってイスラエル兵はナチスやドイツ兵と変わらないというむなしい現実が目の前にある昔ポール・ニューマンやサル・ミネオが出た『栄光への脱出』を見て、イスラエル建国の苦闘に感動したがいまから思えばあれは、イスラエル民族の願いは真実でも、政治的な映画だったのだ
June 4, 2004
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公式ホームページのラボ・ライブラリーページに【サンプル試聴】を実装しましたまだ数は少ないですが今後さらにタイトルを増やしてゆきますhttp://www.labo-party.jp/page02_01c.htmlサンプル試聴は英語ー日本語の部分ですが実際の作品では英語ー日本語の録音のあとに英語だけの録音が入っています
April 27, 2004
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本屋さんに行くのは習慣なのか、趣味なのか,(病気なのか)自分でもよく分からない本屋さんに発意より道をしてしまうまた行くと時間の経つのを忘れてしまう最近は従来あった古本屋に加えて、新古本屋というのも増えてきた本屋さんにはよく行っているが古本屋や新古本屋にゆくといままでに見たことがない本がいくらでもある既に買ってあって読んでいない本があるのにそれでも立ち寄り魅力的な本に出会うと後先考えず『一期一会』とばかりつい買ってしまう最近買った『日本映画シナリオ体系(第五巻)』は4センチも厚さがあり20編のシナリオが入って2000円(元の値段は4800円)得した気分だまずは一編を今日読もう・・・・
April 24, 2004
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一つはイラク人質とその家族へのバッシング人質にされた方たちが無事戻ったことをこころから喜んでいない人たちがたくさんいる二つは先生方への日の丸、国歌斉唱強制のことナチスが強制収容所で歌を強要したこととどう違うのか基本的人権は戦わずして守られないと思う三つ目は憲法改正への動き 九条をなし崩しにしたいらしいイスラエルによるパレスチナへの国家的暗殺、アメリカの支持原爆も持っているこの国が制裁されず、勝手なことをし続けている『ならずもの国家』という言葉は今どこの国を指すのだろう
April 23, 2004
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木々の緑は日々新しく次々と花が咲いている東京はは今、ほんとうに美しいそれでも朝から気持が晴れ渡らないのはひとつはイラクのこと特に日本人の人質のことずっと無事を祈っています今回世の中に無事を祈らない人がたくさんいることには驚きましたまたは明らかに無事を祈っているとは思えない言説を見て怒りを覚えますそのような人が言う人道支援ということばはそのままでは受け取れなくなりました
April 13, 2004
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第一回ラボ・スプリングキャンプは1975年ですそうラボ・スプリングキャンプは30回目なのです第一回ラボ・スプリングキャンプは大学生たちと事務局員で新しいキャンプをつくるため、いろんな案を出し合い試みられたのです★この年は中高生以上なので小学生の参加はありませんでした★キャンプ前にオリエンテーションに集まり事前活動をしました グループをつくって、ラボランドへの旅のコースを考えました リーダーも決めた★全員グループをつくって自主コースでラボランドに集まること ラボランドまでのユニークな旅をグループごとに考え、旅を楽しみました 日本海を見て、北からラボランドに入ったグループ 夜行電車を使って来たグループ 長野で降り、善光寺見学をしてから来たグループ 各駅で駅弁を買って、分けて少しずつ食べながらラボランドに来たグループなど 黒姫駅からみんな歩きました★ロッジのメンバー構成の時にあたって、支部、地区、パーティを バラバラにして縦長にすること このときはカードを手作業でわけて、ロッジメンバーを決めました★ロッジ活動で初めてテーマ活動をしたこと 『ピーターパン』★ロッジ交流発表会もこのとき初めて★雪が多かったのでうど坂の畑でおこなわれた雪上運動会も楽しかった私にとってもたいへん思い出深いキャンプでした**************************************この年はラボっ子10周年の年記念のラボ・ライブラリーとして『三本柱』が発刊されましたラボっ子中学生、高校生がやっと増えてきた頃でした交流も盛んになり三本指のラボサイン「ピラーズ」が生まれました今年のスプリングキャンプで『三本柱』が取り上げられたのは大変意義深いことです初めて狂言にふれた参加者も多かったと思いますがプログラムに助けられ狂言の面白さが十分伝わったようです狂言とテーマ活動の間にたくさんの共通点があることにも気づきました**************************************3月29日 春のラボランドに着きましたとても暖かです 道路に雪はありません この間の暖かさでどんどん溶けてきています1班は野外活動、ロッジ活動中 姉妹ロッジ交流会、春祭り、ロッジ別れの集い2班スタッフは準備活動中 集雲堂で狂言と能についてのワークショップ1班の姉妹ロッジ交流会を見に行きました『三本柱』(英日)『三本柱』(英語のみ)の発表は両ロッジともに声がよく出ていましたみんな楽しそうでしただんだん盛り上がってゆく様子がキャンプの高揚と重なっていましたよそのあとお互いに感想を言い合い、いい交流ができていました**************************************3月30日 スプリングキャンプ1班終了/2班スタートスプリングキャンプ一班が無事終了充実した、高揚したキャンプでした医療棟に病人は一人もいませんみんな元気に帰ってゆきました今日もとても暖かです雪は残っていますがかなり少なくなりました引継ぎを終えて先ほど2班のスタッフが太郎丸に入りましたいよいよ2班開始です童話館から黒姫山を見る 妙高山 スキーエリアが大きくなってしまったようだ 樹が切られているのがわかる 小雨のため開営式は短縮バージョンで実施されました シニアメイトの『三本柱』発表は明日になりました小学生特別ロッジ2グループは集雲堂で万作の会の竹山悠樹先生によるワークショップ狂言についてのお話とワークショップを楽しみました茸がたくさん出てくるところをやってみたりとても面白かった、楽しかったというのが参加者の声狂言のお辞儀を教わって終了しました**************************************3月31日 スプリングキャンプ2班二日目 くもりお話広場集雲堂では万作の会の竹山悠樹先生による「狂言の話とワークショップ」 のこぎりで垣根の横木を二本切ったり扇子をのこぎりにします『ずか』『ずかずかずか』と引いて切ります茸(くさびら)になってたくさん、たくさん生えてきたり 楽しいロッジではコーチによる多彩なお話広場あるコースで,身体の「脱力」に挑戦しています 自由時間に交流広場最初にシニアメイトによる『三本柱』 お帰りになる直前に竹山先生にも見ていただいた「ずいぶんいろいろな工夫があるんですね。面白いかったです。」後は2会場に分かれるのでとても全部は見られない行ったりきたりしてみることができたのは・・・入江パーティ『石からスープができるかな』 青池パーティ『ロミオとジュリエット』九州有志の 『はだかの王様』後藤パーティ『安寿と厨子王』(ラストシーン 厨子王 母との再会) 標葉パーティ『ドンキホーテ』 夜特別ゲストのラリー・スワンソンさんがラボランドに到着**************************************4月1日 スプリングキャンプ2班三日目野外活動は天気に恵まれた晴天で日焼けしたコース担当はないのでラリー・スワンソンさんのコースを見にゆく 説明は英語だけだが上手な導入によってみんなたくさんのチームゲーム 歌と踊りを楽しんでいた ラボランド内にある道祖神ですどこにあるかご存じですか ラリーさんはテューターラウンジにも参加盛り上がりました姉妹ロッジ交流会にもご一緒した『三本柱』日英の発表 『三本柱』英語の発表 を両方見てことばと表現にとても感心されていました春祭りグルンパ城前の広場は雪解けで使えないので下の駐車場に変えて実施舞台を三つ作りその間にみんながいるというマルチデスプレー方式(私の命名)にラリーさんびっくり「今まで見たことがない。いいですね。気に入った。」と・・・**************************************スプリングキャンプ2班四日目♪こわくない こわくないったらこわくない♪帰るのなんかこわくない♪あったりまえでしょ♪こわくない こわくないったらこわくない♪ラボっ子だったらまた会える♪あったりまえでしょ今日の閉営式でのお囃子の一部ですみんな涙で、しかし元気に別れました最後にラボランドから出てゆく3人この3人は黒姫駅まで歩きます ふたりのご両親は元ラボっ子彼らもこの道を歩いてラボランドにやってきてまたこの道を帰ってゆきましたその後は新幹線を使わず普通電車を乗り継いで(青春18切符!!)で東京まで帰るそうです みんなが帰った後のラボランドはキャンプ撤収作業雪が解けて少なくなりました雪解け道を歩くと靴は泥だらけですあちらこちらにふきのとうが出ています晴天の青空に雪の黒姫山がまぶしく美しい
April 3, 2004
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ラボ・パーティの活動は日常の活動、キャンプ、国際交流と多岐にわたっていますまずはビデオで見てくださいアドレスは下記のとおりですラボ・パーティ活動をビデオで紹介 http://221.242.202.116/video/ ★ストリーミングビデオに ラボ・ライブラリ_制作の記録ビデオ 「ノアのはこぶね ほか4話 制作の記録 」(20min)が追加されました近くのラボ・パーティをお探しの方パーティ見学希望の方は ・・・・・・ フリーダイヤルで ラボ教育センターへ0120-808743 ( 平日 9:30~12:00, 13:00~17:30 ) 詳しいラボ・パーティの内容は公式ホームページへhttp://www.labo-party.jp
March 7, 2004
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ラボ・パーティ・清水パーティの主催による「清水祭」に行きました1990年に始めた清水祭は今年14回目だそうですテーマ活動の素晴らしい発表が続きテーマ活動の楽しさを満喫した一日でした・・・プログラム1)オープニング2)『ヒマラヤのふえ』(中学生・小学6年生)3)『ゆきむすめ』(高校生)4)清水列車がやってきたー英語の歌・詩ー(全員)5)『バベルの塔』(エバーグリーン母の会)6)『ざしき童子のはなし』(OB/OG)7)GAME 全問正解できるかな?8)年度版に書かれていた世界最古のおはなし『ギルガメシュ』 幼児から大学生まで全員での取り組み ルドミラ・ゼーマンの絵本を元につくられたラボライブラリーより 『ギルガメシュ王ものがたり』 『ギルガメシュ王の戦い』 ルドミラ・ゼーマンの絵本を元にこどもたちの創作 『ギルガメシュ王最後のたたかい』9)エンディング物語はすべてラボライブラリーを聴き、イメージをつくり、身体とことばで表現したものですラボ・パーティではこの活動をテーマ活動発表といっています物語の発表は今回は英語日本語対応での発表
February 29, 2004
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今晩NHKスペシャルでは茅ヶ崎市の浜之郷小学校はパイロット校(生徒720人、先生36人)における大瀬敏昭校長と先生方の学校改革を紹介校長先生はこどもたちに考える力を付けるための授業をするために先生方どうしが授業をが研究しあう年150回の公開研究授業と検討会を提案忙しすぎて無理ですという声に答えて20回あった会議を一回に減らしたり、作らなくてはならない書類の数を減らしてそれまで授業3割!、こども・父母2割、会議を含めた雑務5割という勤務時間を授業6割!、こども・父母2割、会議を含めた雑務2割という勤務時間に変更これも大変な努力だったと思いますが、検討会での先生のことばがよかった校長先生のことば「(若い先生の授業に対して)今日のような授業をやってはいけないと思う」「(あのような切り方では)こどもに安心は生まれない」「こどものことばを聞かなくてはだめだ」「認めてあげなくては・・」「情報をいくら集めても生きてゆく上で何の役にも立たない」「ひとりひとりの考えを大事に聞いてあげるということでいいのではないか」「こどもたちは先生のうまい授業なんてだれも望んでいない」「自分をみてもらいたい」」「自分に自信を持ちたい」「安心して教室にいたいんだ」(大瀬校長先生は癌のため余命がないことがわかっていながら自分で点滴をしながら、学校に通われ、授業を続けられ、2学期の終業式を迎えられた残念ながら学校に来られたのはこれが最後となられた冬休み中に突然たおれられ、二日後になくなられたとのことご冥福を祈ります)このことをめぐるご本人の葛藤、こどもたちへの命の授業のことについてはここではふれません校長先生の学校改革への情熱、こどもたちへの愛情に共感しました「不登校」も「学級崩壊」もなくしたというこの学校へある日の公開授業には全国から1200名の先生が参加すでに20000人を超える先生が浜之郷小学校を訪れているとのこと(かっては学力をつける進学校が注目されていたそうです)全国に小学生は723万人、先生は41万人先生たちはどんな授業をすればこどもたちに生きる力をつけられるのか様々な試みが続けられている とのことでした全国から見学に訪れなくても、みなさんの学校のすぐそばでラボ・パーティはそういう教育をずっとやってきましたよ・・・是非見にいらして、参加してくださいとお伝えしたいです学校の先生方に話しかけるのに今はいい時機ですね
February 28, 2004
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タイトルは Robert Browning の詩からThe year’s at the spring And day’s at the morn; Morning’s at seven;The hillside’s dew-pearled; The lark’s on the wing;The snail’s on the thorn:God’s in his heaven -All’s right with the world. この詩は中学の時習って良く覚えている「全て世は事もなし」っていうフレーズがいい下北沢本多劇場に加藤健一事務所公演『全て世は事もなし』(初日)を見に行った2年前にも楽しんた舞台だ老年期に入ったアメリカの4人姉妹のお話加藤健一らしく、悲しく、笑えて、心温まる舞台だった時々精神の発作が起こってしまう夫(大工さん)がでてくる考えはじめると固まってしまい額を壁や立ち木に押し付けて考え込んでしまう初老の男「俺はどこで間違ったんだろう」(第一段階)「本当は歯医者になりたかったんだ」「俺は落伍者だ」「戻らなくちゃいけない」(第二段階)「分かれ道まで戻らなくちゃあいけない」(第三段階)とどこかに走り出してしまう家族はみんな心配しているが義兄弟の男のひとりがいう「君は正しいんだ」「大事なことにみんな気が付かないでいるんだよ」この後は・・・・
February 21, 2004
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iMac修理完了しましたマザーボードの交換だけですみました前のデータも大丈夫消えていませんでした修理の会社に電話をかけ引き取り修理で・・・・・往復送料および代引き料無料箱が残してあったのでぽんと入れただけで修理に出せました修理費はマザーボード交換・・・・・・・・ 17000円ぐらい技術料・・・・・・・・・・・・・・9000円電池は無料サービス交換ついでにハードデスクを交換80ギガで 14000円 をつけて総計39854円でした入っていた4ギガはケースを買って外付けハードデスクとして使います戻ってきたマックにデータも移しておいてくれたのでそのまま使えましたこのiMacは発売当日に買いにゆき持ち帰ったもので愛着がありますまだまだ使えそうです よかった、よかった(もう一台Power Book G4 を使っています)
January 16, 2004
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朝6:30起床 7:10閉営式があり、しっとりとお別れをしました このとき、空は雲におおわれていたのですが、乳白色に美しくその後一気に晴れわたりました青い空に雪の黒姫山がラボランドの太郎丸前から見えます美しい・・・元気な別れがあり、涙の別れがあり、全国各地にこどもたちが出発してゆきました今回の参加者の四分の三は今年の国際交流参加予定者です今回のキャンプ経験がさらに、パーティの活動の中で国際交流の中で役立ち、実りあるものになることを願っています写真は後から・・・・
January 7, 2004
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