「○○さんのことを好きになってくれて、私も嬉しいよ。」
私が今まで人からもらった言葉の中で、最も感激して、最も嬉しかった言葉です。しかもこの言葉をくれた人は二人もいました。二人目にこのセリフを言われたとき、私はあのときほど"自分の人を見る目"が絶対であると確信したことはありませんでした。
私はちっちゃい頃、ドラえもんが大好きでした。小学生の頃、小遣いでまっさきに買っていたのがてんとう虫コミック『ドラえもん』 弟と競争しながら補いあいながら全巻そろえたものです。本当に好きで好きである日、金曜7時からのテレビ放送を何かで疲れて寝ていて見過ごしてしまった時「なんで起こしてくれなかったんだ!」と家で暴れて親父にドツかれたこともあります。でもただ1回のテレビも見逃せないぐらい大好きだったのです。
ドラえもんの中の名作と言われるエピソードは数あれど、私が最も好きなエピソードが『のび太の結婚前夜』です。最初に読んだとき、小学生ながら涙が止まりませんでした。(それは今でも変わりませんが)でもそのすばらしさを私の文章力では表現できないなと思っていたらネットですばらしい解説があったのでそちらを引用させてもらうことでかえさせていただきます。
あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それがいちばん人間にとってだいじな事なんだからね。 彼なら、まちがいなく君を幸せにしてくれると僕は信じているよ。」この彼女のパパのセリフは、これから自分の娘を預ける父親として、婿になる男に対する評価としては最高の賛辞でしょう。この時、のび太青年は、自分の花嫁の父親にこんなセリフを言わせるぐらい、立派に成長していたのです。しかも、ここには既にドラえもんはいません。のび太はこれ以前に、ドラえもんとの正式な別れを迎えていたことになります。大人として立派に成長し、ドラえもんと別れ独立していくのび太。ドラえもんという作品は、このゴールに向かってのび太が成長していくまでを記録する作品だったのです。
ドラえもんコラム
http://www.ceres.dti.ne.jp/~toshio/DoraColumn/DoraColumn006.html
運動も勉強も何もかもダメ。困ったことがあるとすぐドラえもんに頼る上に調子にのって大失敗までやらかすどうしようもない男の子。でもそんなのび太を絶対に見捨てないドラえもんとのび太を私が大好きだったのは二人が困ってる人を見たら放っておけない、ほかの人が喜んでいるのをみて自分のことのように喜べるすばらしい子どもだったから。そしてそれをハッキリと短い言葉で称えてくれたしずかちゃんのパパのセリフに自分のことのように喜んだものです。
それ以来、私の人の見る基準はすべてあの「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができるか」になりました。優秀か、金持ちか、正直か、優しいか。そんなことは二次的なこと。たとえどんな大借金を抱えていようが性格に難があろうがどんなブサイクな顔をしていようが、この気持ちを持った人となら一生を供にしてもたぶん満ち足りた日が送れるだろう。だって私にとってはあれだけ好きだったのび太とドラえもんなんですから。
なのでドナが死んでから、いや、キャシーを飼いはじめた時から、私にとって親は絶対のものではなくなりました。「この人たちは私とは、私が好きな人とは大切な所で異なっている。」
だから、あの冒頭の言葉を聞いたときの私の驚きはいかばかりだったか。私が誰を好きになろうがアナタには関係ないでしょう? うまくいったのならばともかく、「好きになった」ことが「嬉しい」? 論理的にまずありえない。私にはまったく理解できない。でも、その言葉が、何よりも嬉しかった。ああ、しずかちゃんのパパが言っていたのはこの人たちのことなんだなって。よかった。私は思い込みや勘違いに好きになったわけじゃない。ちゃんと自分が最も大切だと思うものを持った人を選んで好きになったんだ。って。
私はまだ、のび太にもあの人たちにも遠く及ばない。誰かが誰かを好きになったとして「素晴らしい」と思ったり「よかった」と思うことはあっても「嬉しい」と思うことはない。それは結局のところ他人事だから。他人に起こったことを、感情の変化を「嬉しい」と思う気持ち。私にはまだわかりません。
だから、まだ仮説、ですけど私の持論は正しいのかもしれませんね。
「"優しさ"以外のすべての素養は後から身につけることができる。」
私には一生無理なのかも。
see also...
のび太君のゆううつ
http://www2.neweb.ne.jp/wc/uchimura/mypage/H02.html
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